不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  女帝・持統天皇 (一) 

日本を変えた天皇

おそらく何十年後かには、今上天皇も名を連ねるかもしれないが・・・


女性天皇の代名詞ともいえる「持統天皇」

通説で言われるような天皇だったのか疑問が残る

天武天皇とおしどり夫婦だったと言われる通説に首をかしげる爺だが

持統天皇のいくつかの疑問を考えてみたい


 日本書紀の記述は信用できない

全ての古代史の基準・物差しになっている日本書紀には大きな矛盾がある

天武天皇の指示によって編まれたと言われることはご存知の通り

天武天皇による「天武朝」の正当性、つまりは天武天皇を主役とする「国史」

を作るのが主眼であったはずだ・・・

ところが日本書紀を観る限り、天武天皇が主役とは思えない内容なのである

なぜか?

日本書紀は完成こそ720年だが、一年二年で作られたものではない

おそらく持統天皇が即位した後に編まれた可能性が高い

日本書紀には天武天皇紀は上下2巻に残されている

崩御して数年~十数年後に始まったとすれば、天武天皇の生年が不明であること

天武天皇の前半生が全く書かれていない事

乙巳の変のときに何処で何をしていたのか、まったく記されていない事

これは天武天皇の歴史とは程遠い内容なのである


ところが、研究者の一部や識者は天武系の人々によって編まれたもので

「吉野方(天武朝)」に有利に書かれているという(笑)


壬申の乱に焦点を当てられていて、肝心の天武の生い立ちが欠落している

一つの虚偽を書くためにいくつもの「ウソ」を書かねばならないのは想像できるが

その「ウソ」に矛盾・齟齬が見つかって、いっそ書かない方がよいとなったのか?

私は持統天皇は天武天皇の後継者でも、正当な皇位継承者でも無かったと思っている


【持統天皇】

名 鸕野讚良 (うののさらら) 

諡 高天原広野姫天皇(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)
  大倭根子天之広野日女 (やまとねこあまのひろのひめ)

父 天智天皇(中大兄皇子)
母 越智娘(おちのいらつめ) 蘇我倉山田石川麻呂の娘

紛れも無く古代豪族「蘇我氏」の血を引く女性である



かつてヤマトは古代豪族の合議によって治められ

その豪族によって「共立」されたものが【大王(おおきみ)】として存在した

その豪族とはおそらく「出雲」の部族たちだった可能性が高い


出雲と聞くと日本海に面した現在の島根県を想像してしまうが

此処で言う「出雲」とはヤマトを建国し、本州の主だった豪族・部族の

集合体で、吉備・出雲・越・東海、そして関東・東北南部にまで及ぶ

部族たちの総称だったと思っている


そこへ九州から来た新興部族がヤマトの仲間入りをした(神武東征)

当時の大王は共立された大きな権力を持たない「長(おさ)」ではなかったか・・・

その「チカラ」を持たなかった大王が、大きな力を持とうとすれば

当然のことながら古代から続く有力部族の力を削ぐことだろう


私の私観だが、古代部族により共立された大王(天皇)は

第32代 崇峻天皇で途切れたと思っている (あくまでも私感です)

34代 舒明天皇から後の天皇は、九州から流れてきた別部族という認識だ

崇峻天皇が暗殺された辺りから、日本では幾つもの問題が生じていた可能性がある

日本の内政だけを観ていたのではわからない部分が多いが

外交という目線で観れば、半島と大陸の情勢に影響を受けていた時代だった


それを象徴するのが、天武天皇と天智天皇だったように思う

ある説によれば、天武天皇と天智天皇は異父兄弟だと言われている

母は同じ【宝皇女】、後の皇極・斉明天皇だが、天武天皇の父親は

用明天皇の孫(子とも)とされる【高向王(たかむこおう)】の可能性が高い

高向王の后だった宝皇女が「多武峰の一族(一派)」に略奪されたという

多武峰の一族(一派)とは、反蘇我勢力と言っても良いだろう

高向王は蘇我氏の血を引く皇族である

高向王と舒明天皇は言い換えれば、蘇我系勢力と反蘇我勢力であり

大陸の唐や新羅勢力の動向に一喜一憂する状態だっただろう

天智天皇は【親百済派】であり、反蘇我系だった

天武天皇は【親新羅派】だったとされ、蘇我系の本流だった


乙巳の変の後、蘇我系と反蘇我系は反目し合っていた事だろう

その和解策が天智天皇の娘を天武天皇の妃に、天武天皇の娘を天智天皇の

妃に差し出すことでは無かったか・・・

いわば「人質」としての婚姻だったと私は思っている

天武天皇の妃に天智の娘が多いのは、その時の反蘇我系の後ろめたさと

何が何でも和解にこぎつけ、天智天皇が即位することが最優先だったからだろう

天智天皇の【称制】とは、即位できない膠着状態だったという事だということなのだ

天武天皇と持統天皇は、仲睦まじい夫婦などでは無かった・・・

数多いる一夫多妻の時代の一人の女性でしかなく、人質にも等しい存在だった

私にはそうとしか思えないのである・・・。

(つづく)

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