不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  不必要な善意というブログ 

私が書くこのブログ、毎日の出来事を綴っているわけでもなく

と言って、計画的に歴史について書いているわけでもない

仕事を終えて帰宅後、するべきことを終えてからPCの前に座り

パソコンが起動するまでの時間、本棚に向かいその日のテーマを

決めるのが通常である

決まらなかったらどうするの?

そういう時は日本語(やまとことば)だったり、漢字の話でも・・・

と姑息な手段に切り替える訳で(笑)


今月はあまり本が読めていないのが悩みである

本を読む時間が無くても、本は買い続けているので

結果として未読の書籍が増えていき、本棚に収まらなくなり

最後の手段として、本棚に飾った【ガンダム フィギュア】が段ボールに

放り込まれることになる

今年の夏にはガンダムが全て段ボール箱入りすることは明白である(笑)

今年になって400冊ほど時代小説をもらっていただけたので、何とか

本棚に収まっているのが現実です

未読の時代小説だけでも現在60冊余り、政治・社会が20冊ほど

今は空き時間の間に「カエルの楽園」(百田尚樹著)を読んでいるが

一日数ページという状態でいつ読み終えることができるのか・・・・

もっと時間が欲しいと言うのは、年寄りのわがまま?


本が欲しい方は遠慮なくコメントください

歴史(古代史)、神道、社会、政治、日本語、漢字、時代小説、 その他いろいろ・・・


ガンダムはファーストが主で、アムロとシャアが出ていないのはガンダムと思っていない

ので、数は少ないですが、欲しい方がいらっしゃれば、連絡してください

以前知人に相当数、無償譲渡したので数は減っていますが、それでも何とか・・・


自称「棄て魔」であり、何でも捨ててしまい、仕事も家族まで捨てた愚かな爺ですが

(本当は妻に捨てられたのですが・・・)

ガンダムと本と、日本男児の誇りだけは捨てずに来ました (自慢にならないか・・)


この世の中で知らなくても生きていけるというものが数多くあります

要らぬ節介、小さな親切、大きな迷惑、そんな事でも書いた者勝ちの世界

それがネットであり、「当ブログ・不必要な善意」かもしれません

昨日より一つでも多くの物事を知り、明日に眼を向けられる

そんな「肥やし」にでもなればという思いと共に、自ら学びながらノートのように

書き散らかしています

皆さんが思うほど「博識」でも、「聡明」でもなく、学歴も無く齢を重ねてから

学んでいる爺ですので、間違いや勘違い、思い違いなど多々ありますので

引用されたりする場合には「自己責任」でお願いいたします。


私は人間が「きらい」である

今でこそ「知らない人」と当たり前のように話ができるが、若いころは

表面上は当たり障りなく過ごしていても、心の中で「一人になりたい」

と常に感じていた

原因は「自分で生きている」という驕り(おごり)からである

今は他人によって、見えないモノによって「生かされて」いることを

実感しているので、人は大好きである


昨日まで見ず知らずの人が隣に居て、会話をしていることが偶然と

思う人には理解してもらえないかもしれないが・・・


もし、日常の生活(仕事・近所付き合い)だけをしていれば、この後

どのくらいの人と触れ合い、会話できるのだろうか?

そう考えた時、私はあと数人くらいのような気がしてくるのである

それほど、地方の片隅で生きながらえている爺には、大きな変化など無い

退屈な時間に支配されている


私の中に「変わりたい自分」と、「変わりたくない自分」が同居している

それが仲たがいを始めると、「鬱(うつ)」の症状が出てきてしまう

おかげさまで今年は酷い症状が出なかった

これもブログの効果かな?

そんな話をカナダの親父様にした記憶がある


私が他人になれないのと同じに、他人も私になれないのである


すぐに自虐的になる人もいるが・・

きっと見しらぬ他人と自分を比較する傾向が強いのかもしれない


他人の正体を知れば自分と比較することが、いかに意味の無い事かと

気づくことができるような気がしている


他人と比較するのは「対等」な関係を望んでいるからで、他人によって

生かされている、支えられていると思えば、比較して落ち込むことが

如何に無意味であるかが理解できるかもしれない


私は数えきれない人たちに支えられている

これは大げさな意味でも、冗談でもない・・・

私は十数年前、すべてを失くした人間である

今、PCの前で「お気楽な事」を書いていられるのも、他人のお蔭で

あることを常に意識している

どんな時も長屋の爺のわがままを、軽く受け止めて当たり前のように

支え続けてくれた親友たちが居る

経験からいえば、死ぬには途方もない気力と労力が必要である

しかし、本当の意味で「生きる」には、死ぬ以上の「覚悟」と「エネルギー」が

必要なのである

そのエネルギーの源を与えてくれたが「他人さま」だったのである

他人に裏切られ、身内に捨てられて、気が付けば「他人」に拾われた爺

私にとって他人とは・・・やさしいヒトであり、非情なヒトなのである


私にとって他人さまとは、親しくしたい存在でありながら、どこかで距離を

置きたい存在でもある

大人の間合い・・・人と人の【間(ま)】がどれくらいなのか、長屋の爺は探し

求めているのかもしれない


人が好きで、人が嫌いな爺

解るようでわからない話をしてしまいました


この世が偶然で成り立っていると思っている人

予測できない人生、不安ではありませんか?

この世が必然で成り立っていると思っている人

決まっているなんて「つまらない」と思いませんか?

人生・・・どう思うかどう判断するかで、楽しくもあり、不安でもあるのです


このブログ「不必要な善意」は、一本の縁と言う糸を手繰り寄せるための

バス停と思っています

この場所に立ち寄ってくださった人たちとの「縁(えにし)」というものが

必然であることを信じております


一つでも多くの「必然との出会い」が私を勇気づけてくれています

性格がねじ曲がっていても、わけのわからない事を言っても

そっと見守ってくれるだけの出会いで有ってもいい・・・・

それが必然であるならば


それがこの十数年間で出した答えかもしれません。
関連記事
スポンサーサイト

COMMENT FORM

  • URL:
  • comment:
  • password:

おはばんわ
お早うと、こんばんはのあいの子
新しい造語でしゅ

声を揚げて笑ってしまいました
捨てられたステマですか?

わたくしは今日或る女の人と別れました
(彼女の耐えられないものが私そのものでした)
(愛があれば私は煙草をやめていたかもしれなせん・・・・・)
彼女は煙草が嫌いでした・・・?
長屋の殿とは上手く行くはずでしゅ
あはは。

2016/06/08(水) |URL|ウナっち [edit]

思い出と心の傷

ウナさん おはようございます

物は使うもので、蓄えるものではないと

人は出会うもので、別れるものでないと

物に使われている日常は何と悲しい事か・・・


働いて手に入れるものなど無数にあります

捨てて初めて知る、物の価値もあります

新芽を育てるには、葉を落とすことも必要かと・・・

またいつの日か、杯を共に・・・・。

2016/06/09(木) |URL|長屋の爺 [edit]

これが私だから...

今晩は。長屋の爺様(このお名前とお姿のイメージが一致しませんが)

変わりたい自分と変わりたくない自分が同居する気持ちはよく分かります。
私は仲たがいせず、自分に諦めているかな(⌒-⌒; )
親父様に相談した時に、そのままでいいんだよ〜みたいなネクラな私のままでいいんだと開き直ったら、楽になりました(笑)
私は老後一人でいいと思っています。
見栄でもなくて私には合うんです。
孤独って孤独死とかイメージ悪いけど、人それぞれで私には合うんです。こんな事言うから昔っから変わり者と言われてしまいます(笑)
だからちょっと心に闇を抱えている人と出会うと心が楽になります。

後、どの事もこの事も、悪い事も良い事も偶然でなく、全てが必然だと言いますよね。
あの日あの夜、お店の方も含めていろんな想いを持った10人が大森の交差点で10人が出逢った!
アリエスさんの言った通り、必然の交差点だと信じています。

あなた様はテレビは観ないでお正月の箱根駅伝くらいで受信料を払っていると、私も同じ様なものですが、今「トットテレビ」を放映しています。
お年が私と近いあなた様なら懐かしいし、時間も比較的短いしので、折角受信料払っているなら(笑)
私は20代の頃、向田邦子さんの本が好きでした。世の中を斜に見るものの捉え方とか、どこか世捨て人のような雰囲気が好きでした。
今回は向田邦子さん中心でした。まあ娯楽番組としてですが。
今、ビックサイトで東京おもちゃショーを開催してますが、最近、色んな事が懐かしくなって自分の年を理解してきた感じがします。

2016/06/09(木) |URL|ツグミ [edit]

今、自分に必要な物

ツグミさん こんばんは

「ねくら」という言葉はあまり使いたくないですが、物事を深く考える人の総称だと思っています

考える前に歩いたり、走り出す人もいるようですが、人間に備わった最大の能力が「考えること」でしょう

考えているから立ち止まったり、悩んだり、遠回りしたりして生きていける

踏み外しても、ぶつかっても、考えることさえ忘れなければ、道は開けてくると信じています

そういう意味では、私も生まれてからずっと「ネクラ」だった気がします
(一人でいる時間が大好きな子供でしたから・・・)

テレビを見ることに割かれる時間が惜しい・・・
一行でも文字を読んで、自分に「潤いを注ぎたい」

愚直と言われても、変わり者と言われても、自分に何が必要か、相応しいのかを探し続けたいと思っています

人間の明日など解らないものです
残りの時間をどう過ごすのか、「覚悟」をもって歩みたいと思っています。

2016/06/09(木) |URL|長屋の爺 [edit]

命の期限

有り難うございました。

>踏み外しても、ぶつかっても、考えることさえ忘れなければ、道は開けてくると信じています。
考えることさえ忘れなければ...なんて言われたのは初めてです。
いつも反対の言葉しか言われませんでした(笑)
生きていてもいいんだよと、初めて肯定されたような気分でした。
幼い時から否定の中で、緘黙児の私は一人遊びしか出来ませんでした。

テレビの事は解っています。すみませんでした。
あなた様は言葉を大切に扱っているのに、ネクラなどという言葉を使って、ごめんなさい。

2016/06/10(金) |URL|ツグミ [edit]

自信をもって

ツグミさん おはようございます

あなたが謝る事などないですよ

些細な事でもよいです、自分に自信を持つように意識を変えましょうよ

貴女は自分で気づかないだけで、貴女にしかないモノを持っているんだから

その優しさ、自信の無さが自分を傷つけているように思えます

意識を変えるだけでこの世のなか、案外面白いものですよ(笑)

2016/06/10(金) |URL|長屋の爺 [edit]

Trackback

トラックバックURL:http://theangerheart1182.blog.fc2.com/tb.php/980-2251a5bf


back to TOP