不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  和と書かねばならなかった時代 


和を以て貴しとなす

どうしてこのような言葉が書き残されたのか?

なんとなく編者が気に入っていたからでも無いだろうし

私は聖徳太子と呼ばれた人物は居なかったと思っている


それでも 和を以て貴しとなす と書かねばならなかった事情

というものに私は非常に興味をかきたてられるのである


なぜ 和 が大事なのか?

和 が無ければどうなると言うのだろうか?

これこそ私たちが無意識に抱えている 《祟り》 に起因した

古代人の「教訓」なのではないだろうか・・・


和が無ければ、和が崩れれば、争いが起こり犠牲が生じ

犠牲が生じれば、恨みが湧き起ることになる

つまり、結果として「祟り」の誕生である

祟りを極力回避する方便が 【 和を重視する 】 ことになる


しかし世の中、そうは問屋が卸してはくれない

権力欲 金銭欲 物欲 色欲 それを欲する限り摩擦が生じ

和は簡単に崩れてしまう事に・・・・ 

その現実を「良い方向」に変えるために、敢えて「貴し」と言い

言霊に縋ったのではないだろうか・・・


書きのこすには、書き残さなければならなかった事情(理由)が

存在するはずだ

文字を書くことができた人は、ごく限られた人たちだったはず

文字を書く「紙」も貴重で、入手するのは難しかったはず

そんな背景で「書き残す」ことの意味を考えれば、何を残すかは

きわめて大事な選択だったと感じる


例えば、現代の刑法を考えても、犯す者がいるから罰則を設け

違反者が居るから「禁止項目」が書かれているのではないだろうか


十七ヶ条の憲法が誰によって考えられ、書かれたかは知らず

第一条  人と争わずに和を大切にしなさい
第二条  三宝を深く尊敬し、尊び、礼をつくしなさい
第三条  天皇の命令は反発せずにかしこまって聞きなさい
第四条  役人達はつねに礼儀ただしくありなさい
第五条  道にはずれた心を捨てて、公平な態度で裁きを行いなさい
第六条  悪い事はこらしめ、良いことはどんどんしなさい
第七条  仕事はその役目に合った人にさせなさい
第八条  役人はサボることなく早朝から夜遅くまで一生懸命働きなさい
第九条  お互いを疑うことなく信じ合いなさい
第十条  他人と意見が異なっても腹を立てないようにしなさい
第十一条 優れた働きや成果、または過ちを明確にして、必ず賞罰を与えなさい
第十二条 役人は勝手に民衆から税をとってはいけない
第十三条 役人は自分だけではなく、他の役人の仕事も知っておきなさい
第十四条 役人は嫉妬の心をお互いにもってはいけない
第十五条 国のことを大事に思い、私利私欲に走ってはいけない
第十六条 民衆を使うときは、その時期を見計らって使いなさい
第十七条 大事なことは一人で決めずに、必ず皆と相談しなさい


「天皇の命令は反発せずにかしこまって聞きなさい」ということは

当時の群臣は天皇を敬っていなかったことになり、相手が天皇であっても

平気で反発していて、私たちが思っているような天皇の権力・権威など

確立していなかった、つまりは「お飾り」「神輿」のような存在に近かった気がする


「公平な態度で裁きを行いなさい」というからには、裁断は個人の裁量で

行われていたことになり、国家としての基盤が固まっていなかった


「役人はサボることなく早朝から夜遅くまで一生懸命働きなさい」とは

真面目に務める役人が少なかったのかもしれない(現代も同じと言う声が聞こえそうだが)


「役人は勝手に民衆から税をとってはいけない 」

「国のことを大事に思い、私利私欲に走ってはいけない」とは、臣民に対し

金品を強要し私腹を肥やす役人が多かったことになる


「大事なことは一人で決めずに、必ず皆と相談しなさい」

最後に第一条と同じ内容の言葉で締めくくっている

話し合って(相談して)決めるようにと言う事は、独断専行する人間が

大きな問題(頭痛の種)だったのか?


私が十七ヶ条の憲法が創作された時代を想像するとき、お隣の国・シナ

や南朝鮮を連想してしまう

役人は賄賂や金品を強要し、真面目に勤務せず私腹を肥やすことに没頭する

自分の都合や気分で裁断を下し、他人と意見が異なれば、暴力で自我を通そうと

する

おそらく大陸や半島を手本にしたとすれば、当然の結果として表れていたの

かもしれないし、混沌としたその時代に、現実に対し理想とされた人物像が

「聖徳太子」というスーパーマンではなかったか・・

インドや中国から伝わってきた「逸話」の断片を繫ぎ合わせて創作された

スーパーヒーローが「聖徳太子」という人物だと私は思っている


この時代に権力の頂点に在った人たちの対局が「聖徳太子」であるなら

国史が編纂された時代までは、国家として纏まりの無い状況が続き

権力争いの絶えない時を重ねていたのかもしれない・・・
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