不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  言葉の雑学・不思議 

 《 ざます 》

 他所様のブログは沢山の考える「題材」を提供してくれる

皇室関係のブログなどで、揶揄しているのだろうと思うが

「・・・ざます」ということばで表現されているものが有る(笑)


「・・・ざます」というのは、山の手の「奥様ことば」だそうだが

この言葉・・・本来は江戸の吉原の花魁(おいらん)言葉なのである

「ありんす」「ざます」は花魁が使う「廓(くるわ)の言葉」だと

私は認識している

それが何故か、明治になって「山の手」の奥様達の言葉になったそうだ

明治の上流階級の奥様達は、そういう事情を知って使っていたのだろうか?


「わっち」、「あちき」、「ありいせん」、「ありいす」、「・・なんすか」、「・・・なんし」

そんな「廓ことば」の中で、どうして「・・・ざます」だけが生き残ったのか?

本当に言葉というのは不思議であり興味深いですね・・・・


江戸・吉原の遊女は全国各地から集まってきたようだし

出自も農民の娘だったり、商人の娘や武士の娘も居たと思える

その前歴を隠すためだったのか、あるいは出自による差別や負い目を

失くすためだったかもしれない

特に遊女三千人の最上層に居る【花魁(おいらん)】、【太夫(たゆう)】は

別世界の人間でなければいけなかったのかもしれない

そんな最上層に上り詰めた一握りの花魁に「あやかって」、明治の動乱で

財力・権力を手にした一部の「成り上がりもの」が、好んで使ったのかも

しれない (吉原遊女=山の手夫人) などと言えば、何処からかクレームが

付きそうだが・・・


 《 四角卵と晦日の月 》

四角卵(しかくたまご)と晦日の月(みそかのつき)

江戸時代、有ったら観てみたい代表と言われた二つである

というより、有りえない代表かもしれない・・・

卵は種類を問わず100%「丸い」のが常識であり、四角い卵など

有るわけがない、だから有ったら「観てみたいものだ」と言う事になる

「晦日の月など有るわけがない」

ピンと来ないかもしれないが、江戸時代は旧暦で暮していたのだから

当然月の出方は決まっていた

月は十五日を頂点に「満ち欠け」を繰り返し、晦日に月は見えないのが常識

江戸時代の映画やドラマの設定で、晦日に雲の間から月が顔を出すシーンが

あれば、お粗末な時代考証と思って良い

女(女郎)の真(まこと)と晦日の月は観たことが無い

江戸時代の有るわけがない代表だが・・・現代は如何に?


《 夕立(ゆうだち) 》

*WIKによれば、夏の午後から夕方にかけてよく見られる天気。

激しいにわか雨を伴う と書かれている

つまり夏の夕方に降る「激しいにわか雨」のことである

では、どうして「夕雨」といわないのだろう・・・・

「立つ」とはどういう意味なのか? と調べてみたら

立つというのは、「風や波、雲などが起こり立つこと」だという

だから、本来の夕立とは「雨が降る」事では無く、モクモクと雲が

沸き立つ様子を指していたようなのだ

雲が沸き立った結果、激しいにわか雨がふる事から、雨が降る事が

「夕立ち」の事とされたようである


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