不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  報道とネットを冷静に見る 


今回の震災報道を観て、テレビというものの存在意義と価値について

考えた方は居られるだろうか?


私は行政や政府への不満や言動を論う事に躍起になっていて

報道機関として旧態依然のままの自分達の姿に気付いていないお粗末さ

を感じている


同じ場所に全社の報道関係者が雁首揃えて、同じ画像・動画を繰り返し流すだけ

非常事態に際し各社が一致団結し、日本の報道機関としての「気概」を見せることも

できずに、被災地や被災者の「危害」になっているだけのようだ・・・


例えば、A社は熊本市内を担当し、B社は南阿蘇村を、C社は益城町を、D社は宇城市

その他八代市、氷川町、西原村、大分県などを民放各社が分担して取材報道すれば

きめ細かな支援の目安になるかもしれないだろう

どこそこの避難所に物資が来てないなどと言う事をなくすためにも、報道機関が

かかわれることは有るはずではないか・・


他人の失態を論うようなネガティブな姿勢ではなく、市民に寄り添う「泥臭い」姿勢が

こういう状況では望まれているように感じている



その一方で、ネットの功罪も顕著に見えてくる

報道機関で言えば・・

 【熊本地震】MBS山中アナ、取材用弁当写真をツイッターに上げ批判続出

AS20160419003711_commL.jpg


自分が何をしに現地に足を踏み入れているか自覚できない阿呆である


震災TBS弁当


さらには他人の不幸に乗じて、「原発問題」をこの時とばかり発信する反原発主義者たち

停電で暗い夜を過ごす市民の事などお構いなしの自分勝手な言動に終始し

電気に「原子力」も「火力」、「水力」、「太陽光」などと記されているわけでは無い

なぜ今・・・この時に叫ぶのか?

不安な夜を過ごしている市民にとって、原発の電力も太陽光の電力も意味など無い

単に電気のある生活を望んでいるに過ぎないのではないか


いったい誰に発信しているのか・・・

他人の不幸に付け入る姑息な手法に腹立たしさが湧き上がってくる

火事場泥棒とおっつかっつの所業に感じるのは考え過ぎか?


川内原発で作られた電力だから、こういう状況でも「要らない」と言うのだろうか?

こういう状況でもオスプレイは危険だから熊本の空を飛ぶなと言うのだろうか?

自衛隊は軍隊で戦争をする人間たちだから、支援に来てほしくないと言うのだろうか?
 



電力会社はどんなにバッシングをうけても、熊本や九州のの被災地に電力を送るだろうし

どんなに批判されても米軍はオスプレイで人や物資を絶えず搬送し続けるだろう

自衛隊も後になって、自衛隊解体、戦争反対と罵声を浴びることになろうとも

救援活動の手を止めることは無いし、黙々と自分達の使命を全うするだろう



誇りと恥は一心同体である

誇りの無い人間は恥を知らず

恥を感じない者は誇りの一欠けらも持たず

我が身を顧みず他人を論う事に終始する


どうせ良い事は言われないのだからやるだけ無駄と考える事は恥であり

人としての誇りを持たない人間なのである

どんな時も精一杯努力することが日本人の誇りであり、それをしない事は

恥であると真の日本人は思っていて、それが 大和魂 なのだと

長屋の爺は思っています
関連記事
スポンサーサイト

COMMENT FORM

  • URL:
  • comment:
  • password:

Trackback

トラックバックURL:http://theangerheart1182.blog.fc2.com/tb.php/949-61acca1b


back to TOP