不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  天皇が願い頼んだ時代 

宇多天皇 

この天皇の名をできれば覚えてほしい

略歴は以前書いたが、もう一度記してみたい


第59代 宇多天皇

御名 定省(さだみ) 884年臣籍降下し 源 定省 と称す

中務省の侍従職に就いていたことから【王侍従】と呼ばれた

光孝天皇の在位中に天皇の意に依り源姓を削り、親王に戻り

翌日、天皇は定省を皇太子に立てた後、崩御した


天皇の皇子(親王)が臣籍降下したのちに即位した例は無く

宇多天皇が唯一の例外天皇である

この当時は太政大臣である藤原基経の時代であり、降下した親王が

天皇位に就くことなど考えられないが、これは一人の女性が動いた結果

と言われている

【藤原淑子(しゅくこ)】

太政大臣・藤原基経の異母妹で、後宮を束ねる長官 「尚侍(ないしのかみ)」

尚侍は通常五位相当の官職、最高位 従三位であるが、淑子は宇多天皇によって

正三位から従一位に叙せられ、信じられないほどの破格の扱いを受けた女性である


事の経緯は以下のようだ・・・

第58代 光孝天皇が崩御した直後、淑子は皇位継承のしるしである【剣璽】

を定省に自ら渡し、基経をけん制したとされる

このように定省は21歳の若さで皇位に就いたが、基経の憤懣は大きかった

その後、「阿衡事件」 〔三顧の礼と阿衡(あこう)に詳しく書いた〕が起き

宇多天皇と藤原基経の仲は最悪となる

菅原道真の登用や新撰字鏡、類聚国史、寛平の御遺誡などでも

知られる天皇である (道真は天皇と仏教(密教) 二 に書いています)


私が着目しているのはこれではない・・・

即位した翌年、888年に画期的な神事を始めたことである

清涼殿に設けられた【石灰壇(いしばいのだん)】と呼ばれる床に

天皇自身が下り、四方の神祇を拝礼したのである

これを【毎朝御拝】という

明治以降、この神事は掌典長や侍従による【毎朝御代拝】に

とってかわられたモノである

明治までは天皇みずから行っていた神事である

その神事を始めたのが宇多天皇と言う方だった

しかし・・・

この神事の注目すべきところは、天照大神の「神鏡」に対し拝礼した最初の天皇

だったと言う事にある



それまで「神鏡」は箱に納められて天皇の寝室(夜御殿)に置かれていた

夜御殿には剣璽も置かれていて、三種の神器がすべて夜御殿にあったのである

そのうちの神鏡だけを取り出して、別の御殿に移したことは大きな意味を持つ

天皇が天照大神の子孫であることは定説であっても、その実態のない扱いが

臣下に翻弄される状況になっていると考えたのか?

神鏡を移したと言う事は、天照大神に憑(たの)むことで天皇の威信を

取り戻したかったからではないかと思えるのである

       《次回に続く》





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