不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  予定外 & 日本の神 


予定は未定とは言いながら・・・

この数日、いろいろなことが有って更新ができなかった

ひとつは愛車のポンコツ軽自動車が調子が悪く、急きょ別の

軽自動車(ポンコツ)を探すことになり、猶予が無いため慌ただしい

ドタバタ劇を演じてしまったw

今では私にとって「自動車」とは下駄、サンダルと同じで「履ければ」OK

という代物で、機嫌よく俊敏に動いてくれることが絶対条件であり

燃費より維持費、購入代金、取得費用が大事なのである


後から自分で改造なり補修なりするのも「楽しみ」で、ピッカピカの新車

は全く望んでいない

とにかく仕事に行くのに公共の乗り物は選択肢に無い

地方は足である自動車を欠いては生活もままならない


仕事以外の車は「稼がない」もので、趣味・贅沢と割り切っている

それゆえ若いころは新車に乗るのは当たり前で、早く快適に走る

ものこそ「自動車」という認識だったが、この十年くらいは走れば

見かけ・年式など気にしなくなった

家族もいないし爺一人が日常移動するのに、高級車は不要である

遠くに行くなら新幹線や飛行機もある

車で行くにも今の時代「レンタカー」があって常時保有する必要も無い


さらに休日であったが、友人からSOSが入り、友人宅の手伝いに

はせ参じたのは良いが、何年かぶりに梯子の上で作業したもの

だから、ふくらはぎや太ももの裏が筋肉痛になってしまった(笑)

おかげで昨日は「寝落ち」する羽目になって更新どころかメールも

チェックできなかった・・・



日本人はテロとか聖戦と言うものに「免疫」が無い

どうしてかと言うと、日本人は【絶対神】を持たない民族であり

神さまの名前で人を殺しても「正当性」を主張する事ができ、

神さまが絶対であるから、何をやっても許されるとされる

一神教というものに「なじまない」からだと考えている


神さまが許す戦い(殺し合い)とは「確信」して行う争い

つまりは【怨霊】や【祟り】などは存在しないからだろう

人と人の争いには「恨み」がつきものだが、神と人の争いには

恨みは発生しないという理屈なのだろう


日本人的な発想では、理不尽な【殺生】をすれば怨霊に

祟られるという潜在意識が心のどこかに住み着いている


テロや聖戦と言われる宗教的争いには神の「意思」によって

自分が代わって行っていると言う「口実」があり

確信犯と言うべき都合の良い理屈で自分を正当化している

そんな人間に「説得」も「譲歩」も何の効果も無いことになる


日本には神が居ても、神の教え(教義)があるわけではない

「何をしなさい」とも言わないし、「何をしてはいけない」とも言わない

神の名において「何かを成す」ことは正当化できないことになる

神さまが賽銭を要求することもないし、貢物(供物)を指定することも無い

日本の神は「救う」こともしないし、「罰する」こともしない・・・

何が有ってもそこに在って、私たちを見つめ続けている


私だけではなく世の中で苦しんだことがある人は、一度はこう思ったはずだ

 【この世に神も仏もあったものか・・・】 


ところが最近、私はこう思うようになった・・・

神も仏も居るから「人生」なんだ

生かされているから「苦しみ」「悩み」「笑い」「泣く」のであって

神さまが何かの試練を与えているのではない、そもそも人生

とは喜怒哀楽・困難・苦難が混在するもので、其処をどう生きるかは

神さまではなく、自分の気持ち次第なのだと言う事ではないか・・

そんな事を思っている


神さまに願っても神さまはジッと観ているだけではないか・・・

やはり、私にとって「神さま」とは【感謝】する対象であり、何かを願う

相手ではないと強く思うようになった

日本の神様は「支配」も「束縛」もしないで、見守ってくれる存在である

そんなふうに感じたりもしている

支配しないのだから生かすことも奪う事もしない・・・という理屈だが


明治以降、日本は神さまの意思・意向で諍いを選んできた

そもそも明治になって西欧文化受け入れと共に、神に対する意識を

曲げたことによって多くの命が失われたのかもしれない

天皇は神ではないし、神の意思で戦争するなど言語道断であり

神の名を利用した明治の反乱軍(クーデターを起こした官軍)は

其処で大きな過ちを犯したものと考えている

日本においては「神」は絶対ではない

神の名において「命をささげた」と思っている人には理解できないだろうが

御霊と呼ばれる人々は「愛する国を守る」ために「命をかけた」のであり

神を守ったのでも、天皇を守ったのでもない

愛する家族と家族が暮らす「日本」を護ったのだろうと私は思っている


靖國に皇族が参拝しないなら、それもしかたが無い事だろう

皇室が存続するも途絶えるも、誰にも止めることはできない

この日本に「神罰」は存在しないが、【天罰】は存在するかもしれない

ただし・・・天が何物であるかは長屋の爺は知らず・・・・




この国を守った英霊はどんなことが有っても、靖国に居る

戦場にとどまる御霊は居ない・・・【靖國で会おう】、【靖國で待っている】とは

靖國が「御霊の終の棲家」である証明なのだから・・・・。
 


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