不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  長屋王を考える 

私の抱える宿題の中の最大の難題は【長屋王】だ

ほとんど迷路にはまった気がしている


長屋王 とは、父親は天武天皇の皇子(高市皇子)

母親は天智天皇の娘(御名部内親王)である

天武天皇の孫であり、天智天皇の孫でもある

これ以上の血統はこの時代には見られないものだが

しかし、長屋王は皇位に就くことは無かった

今でも信じられない皇統の引継ぎがあったからだ


持統天皇の陰謀から、孫である文武天皇に譲位された

天皇位は過去に天皇位についていない草壁皇子の后

である元明天皇に渡ってしまった


通説によると、天皇の后が皇位継承権を持つことは知られている

(これも私は持統天皇による創作だと思っているが)

しかし、元明帝は天皇の后ではない、そんな掟破りが公然と

行われたことに大きな疑問を感じるのだ

通説では歴代の女帝は皆【皇后】であったとされる

だから皇位に就いても何ら問題が無いと言われた

その条件にすら当てはまらない天皇即位とは不可解だ

さらにその後、元明天皇は天皇の皇后でもない未婚の娘の

内親王(日高内親王)に皇位を譲ってしまった

それでは皇位継承に相応しい親王・王は居なかったのだろうか

と思ってしまうが、最初に掲げた【長屋王】という優秀な継承候補

が居たのである

血統からいえば、誰よりもふさわしい血筋を持っている

元正天皇から引き継いだ聖武天皇より、はっきり言えば

血筋は勝っているのだ

聖武天皇は父親は文武天皇だが、母親は藤原宮子であり

母方は臣下の身分である

天武の孫である長屋王、天武の曾孫である聖武天皇

天智天皇の娘(内親王)を母に持つ長屋王

藤原不比等の娘を母に持つ聖武天皇

どちらが天皇に相応しいかと言う話だけではない

元明天皇から元正天皇に譲位されたとき、聖武天皇は

わずか6歳の子供であり、長屋王は23歳?の立派な若者だった



私は日本の歴史と皇統史を破壊し改竄したのは持統天皇だと

思っている

皇紀2600年と言おうが、125代続く血統・天皇家と言っても

胸を張れる歴史ばかりではなかった

不敬と言われようとも・・・そのように考えている


私は天武天皇の男系が途絶えたのは、理不尽な皇位の

受け継ぎが重なった結果と、適正な候補者の命を絶った

結果がもたらしたものだと思っている

通説では、持統天皇は天武天皇の遺志を継いで天皇位に

就いたというものがあるが、私は納得はしていない

私は41代・持統天皇から48代・称徳天皇までを

持統系の時代だと考えている

持統天皇から持統天皇の孫・42代・文武天皇へ

文武帝の子に繋ぐために文武の母であり持統帝の妹の

43代・元明天皇に繋がり、さらには皇后でもない未婚の

女性に44代目を繫いだ(元正天皇)

即ち持統朝の焼き直しのような形で45代・聖武天皇へと

繋いでいったのである

持統天皇の血筋だけに絞って皇統を繫いでいった結果と

有力な皇位継承者を抹殺してきた結果、引き継ぐべき

若き後継者が絶えてしまったと言う事だろう

(長屋王の子の多くは殺されているが、不比等の娘が産んだ

子たちは生存している)

これだけを見ても偶然とはいえず、明らかに長屋王の血筋ではなく、

長屋王と吉備内親王の抹殺が目的だと考えられる

その場に居合わせた子たちも惨殺されたと言う事ではないか

さすがに別に住む不比等の娘と孫まで殺す意図は無かった

いや、むしろ不比等の娘と子であったから、難を逃れたのかもしれない


一つ解せないことは、長屋王の子・山背王が従四位下に直叙されている

これは蔭位制の規定によると親王の子相当とされることから、長屋王が

親王であり、その父高市皇子が皇位に就いていた可能性も出てくる

持統天皇の称制期間は本当は高市皇子が天皇位に就いていて

その死を待って持統天皇が天皇位を奪った可能性もあり

少なくとも持統天皇がすんなりと皇位に就いたとは思えない

空白と言われる4年間にどんなドラマがあったのか・・・


宮中の中で高市皇子支持派が草壁皇子派とが分裂し

南北朝のような状態であったならば面白いとは思うが・・・

書いてないから、書き残されていないからといって

無かったとは言い切れないのが歴史である



御寺・泉涌寺に天武帝から称徳帝までの位牌が無い事は

天武系を除外したのではなく

天武帝と持統系を無かったものとして後世の天皇家は考えていた

その結果が御寺の扱いになっているのではないか・・・


持統系が絶えたのは西暦770年であり、その後いくらでも

位牌を整えることができたはずであり、明らかに持統系(天武男系)

を認めていない証ではないだろうか・・・・

世間で言う125代の皇統と断言するなら、八人の天皇を除外

することは万世一系を自ら否定するようなもの

どんな天皇であっても、天皇は天皇であり先祖であることに

間違いないのである都合の良い史実だけを取り上げて、

万世一系も皇紀2600年も、蜃気楼のごときものに思えてしまう

神代、上古の時代ではなく、国史に残る時代の史実について

検証することなく、蓋をしてしまう日本の歴史、皇統史に

疑問を感じるのである。


宿題は未だに答えを見つけられず・・・であります。
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