不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  太陽神 

最近 雨が降ると頭痛がして憂鬱な日になる

考えが散漫になり、集中できない・・・・

これって、たんなる老化?


DSC_0141-22.jpg


前回のつづきのような記事ですが・・・

大己貴命が御神酒の正体なら、どうして神前に大己貴命を

供えることになるのか?


一つ考えられるのは、祟る神はその子孫が祀ると鎮まる

ということから、大己貴命=御神酒であるなら、御神酒を

供えることで酒の持つチカラと、子孫の祀る力によって

祟る神、荒ぶる神を鎮めたいという期待・思惑になったの

ではないだろうか


とするなら、天照大御神の正体は【祟り神】ということになり

鎮めたまえ 祓いたまえ とは祟り神である「アマテル神」を

鎮める呪文だったことになる


荒ぶる神・祟り神=天照大御神 というのは、日本書紀にも

残されている

崇神天皇の御代、疫病が流行り、多くの人民が死に絶え

崇神天皇6年に疫病を鎮めるべく、従来宮中に祀られていた天照大神と

倭大国魂神(大和大国魂神)を皇居の外に移したという


本来なら皇祖神である神を外へ出すことの意味が理解できない

ここは素直に「荒ぶる祟り神」の仕業によって、人民が

死んだと解釈したから放逐したと考えるべきだろう


ところが事は簡単ではなく、またしても書記は捏造した気配がある

崇神天皇7年に突如【大物主神】が出現する

祟りは大物主神の仕業だと言うのである

そこで大物主の子孫である【オオタタネコ】を祭主として

祭らせれば収まるという託宣が出たことになっている


普通に考えれば、祟り神が大物主神と判ったのならば、放逐した

皇祖神・天照大御神は宮中に戻すべきだろう

それを60年間さまよわせて平気だったと言う事は何かある?


そこで気になるのが、大物主を祀る「三輪山」にある

大神神社に残る伝承を伝える【謡曲・三輪】のなかの一節に

こんな地謡がある・・・・


 【思へば伊勢と三輪の神、思へば伊勢と三輪の神

 一体分身の御事、いまさら何と磐座(いわくら)や】
 



つまりは伊勢の神と三輪の神は同じなのは当然で、

今さら何を言うのか・・・そういう言葉なのである


伊勢の神と聞いて当然考えられるのは、天照大御神

であり、太陽神の事だろう・・・しかし、アマテラスは

女神であり、三輪山の神・大物主は男神である

同じと言うのは解せない話ではないか・・・

そこでアマテラスが伊勢の神ではなく、アマテルが

伊勢の本当の神だという理屈にもなるわけだ

天照大御神=大物主神=大国主神ということになる

ということは・・・出雲大社の祭神と伊勢の祭神は同じ

という事になってしまうではないか


私は出雲の主祭神は大国主ではなく【素戔嗚尊】だという

持論である

素戔嗚尊を隠すために、大国主は利用されたと思っている

その根拠が大国主は素戔嗚尊の6世の子孫だという伝承

に残されている

祟る神は子孫が祀ると鎮まるのである

出雲国造が大国主や素戔嗚尊の子孫ではない

あくまでも大国主が子孫と言う考え方が基本である


DSC_0132-22.jpg



朝 昼 夜 これも日本にはそれを表す言葉(音)があり

その音に「漢字」をあてはめたと思っている

その中の【昼】という文字、「ヒル」と読むのはなぜなのか?

本来この文字は「ちゅう」としか読めない文字である

なぜヤマト人は「ひる」と読むのだろう・・・

もともとヒルと言う言葉があった、それに字をあてはめたもの


《昼という文字は元々は筆を持つ手に、日の傘を加えたもの

で、呪儀もしくは太陽にたいする祓いの仕草ではないかという》


私は「ヒミコ」に対する「ヒルコ」に注目している

【ヒミ・コ】はその名の通り、日・見・子 太陽を観る(仕える・奉仕する)者だ

では【ヒル・コ】とは何だろう?

日・流・子 あるいは 日・留・子 とも考えられる

「ヒル」とは古代の太陽のことではないだろうか・・・

だから古代人は太陽が登っている間のことを「ひる」と呼んだ

のではないか

流された太陽の子? 太陽の輝きを持った子?

その「ヒルのコ」であるなら、太陽の子という解釈ができる

日の御子→昼の御子→ひるの御子→蛭の神子→蛭子

神話で忌み嫌われ流された蛭子こそ、古代ヤマトの

太陽神だったかもしれない

その蛭子伝説の地を調べれば、何かヒントが出てくるかも

しれないと思っている

(昨日書きたいことは上のような事だったが、頭の中で

纏まらなくて締まりの無い記事になりましたw)



ウィキペディアによれば、最初に淡路洲(淡路島)、次に蛭児を生んだが、

蛭児が三歳になっても脚が立たなかったため、天磐櫲樟船(アメノイワクスフネ)

に乗せて流した、とされる

伝承では「摂津国に流れ着いて海を領する神として現れた」と言うものが有る


なぜヒルコを流すような神話にしたのか?

それはヒルコが本来のヤマトの太陽神だったが、アマテラスを太陽神と

したい何者かによって、すり替えるために抹殺した・・・



そもそも出雲の国譲りがあったのなら、どうして出雲に降臨せず

高千穂に降臨したのか疑問だらけであるが

太陽神(ヒルコ)が最初に日本に定着したのが九州南部だとしたら

国譲りをヤマトから出雲の地に、太陽神の降臨を伝説通り九州に

書きのこした結果ではないだろうか

伝説と史実をおり混ぜた結果の不自然な記述なのだと理解できる


宿題が多くてなかなか先に進まないですが

コツコツと考えていきたいと思っています (長屋の爺)
関連記事
スポンサーサイト

COMMENT FORM

  • URL:
  • comment:
  • password:

Trackback

トラックバックURL:http://theangerheart1182.blog.fc2.com/tb.php/844-225e8956


back to TOP