不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  神道という語 

 神道

今日は神道について考えてみたいと思います

神道と言う言葉(文字)が最初に現れたのは

奈良時代に成立したと言われる【日本書紀】の中

【天皇 仏法を信じ、神道を尊ぶ】 (用明天皇即位前期)

という表現が初出という

ところが・・・それ以降、神道という文字は何処にも見えなく

なってしまい、平安になってその文字を見ることができる

ようになる

突如として平安中期に神道と言う語が登場するまでは

どうなっていたのだろうか?

ある説によると、日本書紀に見える「神道」と平安以降で

使われる「神道」は別のものではないかというのである


日本書紀にいう神道とは、「神々」のことかもしれない

という説がある

神道の起源をどこに定めるかによって、解釈も多様になる


縄文時代には日本の民俗信仰・民族宗教として成立していた

あるいは、奈良~平安時代に独自の宗教として自覚された、又

室町時代以降、仏教から独立して神道として確立された・・など

諸説ある


此処からは私の考えになるが、最初の縄文時代から成立して

居たと言うのは承服できない説である

そもそも縄文の古代宗教は「アニミズム」が主体であり、特定の

人間(神)若しくは神の末裔を崇める事など納得できないし

周囲にある万物に神が宿るとされた原始宗教に似合わない

と思える日本神道の形式なのである


では奈良・平安時代に独自の宗教として自覚されたと言う説

私はこれが一番現実的だと考えている

暴論と言われるのを覚悟で言えば、7世紀終盤~8世紀初頭に

特定の人間たちによって【創られた】宗教形態ではないかと

思っている

それ以前に神祭りの記述が残されているではないか!

そう言う人もいるだろうが、その解釈の基は何かと問えば

「日本書紀に書かれている」という答えが返ってくるだろう

そう・・・すべての判断基準は【日本書紀の記述】なのである

藤原不比等の血統の正統性と、持統天皇の即位の正当性に

欠かすことのできないものが有るとすれば、おそらく神によって

民を支配するシステムが必要だったことが考えられる


出自も曖昧な藤原一族、天皇即位の正当性を疑われる持統天皇

その両方を一気に解決する手段が「神道」による歴史創作だった

もっと極論を言えば、持統天皇も元明天皇、元正天皇も【演者】の一人

だった可能性すらある

監督・脚本・構成は「藤原不比等」という天才だった

アマテラスという巫女を太陽神とすり替え、持統天皇を反映させ

日本国が女神の国というシナリオを描き、女帝である持統天皇が

即位するのは当然であり、原初は天照大御神という女神から

始まった国であるかのように創作したのである

しかし、それがすべてでは無い・・・

隠された歴史を巧妙に書き換えながら、現代とは違う意味の

死者に対する「怖れ」を抱いての歴史創作であり、その結果

過去の為政者たちを天上の「神」として、時には日本土着の

「神」として、社の内に「閉じ込め(封じ込め)」た気配がする

それが【禁足地】であり、古代神社なのではないだろうか

当初(8世紀初頭)は、祟らないように「祀り上げた」のだろう


その背景にあるのが、各地で独自に信仰されていた神々たち

を如何にして一つの線でつなぐのかという問題だ

各々太陽神や氏神、地主神を有していたと考えている

それを否定することは「統治」するうえで思わぬ障害となる

ある神は天津神として、またある神は国つ神として遇した

その多くは藤原政権に仇成す恐れの低いものだっただろう

しかし、祟る可能性の高い神はおそらく「封じ込め」にあった

と思われる ヤマト国家成立における最大の敵であった

出雲の神々である

沢山の名前がある神に納得できなかった時があり

今にして思えば、それを端から同じ神と考えたから難解

だったのであって、出雲の別の神々と思えば納得できるのである


8世紀初頭に日本各地に神社が建てられたり、祠が整備されたが

すべて藤原作品の小道具ということも考えられるのである



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