不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  【雑学】江戸の貨幣事情 


江戸者の 生まれ損ない 金を貯め


江戸っ子の 妙は身代 つぶすなり


江戸っ子は「宵越しの銭は持たない」というのが自慢だったという


「聞いたかと問われ 食ったかと答え」

目に青葉 山ホトトギス 初鰹

ほととぎすの声を聴いたかと問われて

初鰹を食ったかと答える 絶妙の掛け合いである(笑)

当時の初鰹は一両という値段だった

今でいう15万円くらいの値打ちか・・・

ここで江戸時代の貨幣について雑学を

私たちが現在使っている「円」という貨幣は明治からだ

その当時は円(えん)・銭(せん)・厘(りん)が単位で

昭和29年以降、銭・厘は廃止され円だけが流通通貨となった

では江戸時代はと言うと、両(りょう)・分(ぶ)・朱(しゅ)・文(もん)

であった

一両は四分、一分は四朱と等価値だった

そのほかに「銭」が使われていて

例えば、一両は銭6,500文、一分は銭1,625文

一朱なら400文余となる

銭千枚は「千文」とは言わず、「一貫文(いっかんもん)」と呼んだ

銭(寛永通宝)は当初「一枚は一文」という貨幣だったが、1767年に

一枚が四文の「寛永通宝」が鋳造されて、庶民に重宝がられ

この時期から江戸期のモノの値段が「四の倍数」に定着することになった

風呂代が「八文」、蕎麦の値段が「十六文」、髪結い賃が「二十八文」

この新しい四文銭(寛永通宝)は裏側に青海波が描かれていたため

【波銭(なみせん)】と呼ばれた

一両を15万円とした場合、一分は約4万円くらいで

一朱は約1万円、銭一文は20円から25円ということになる

時代又は基本になる物の値段によって正解などないが

凡そこのくらいの貨幣価値だったことが窺い知れる

時代劇を観るときの参考にどうぞ・・・


文銭を 六枚夜鷹(よたか) くやしがり

四文銭とばかり思って受け取った夜鷹((売笑婦)が

波線ではなく一文銭だったので悔しがっている情景を

川柳にしたものだ

当時の売笑婦の値段が「二十四文」だったことになる

体を売るのに今の500円~600円とは何とも・・・・


【旅行】

日本人の旅行には「参勤交代」が大きく貢献したといいます

各街道を整備し、宿場や旅籠(はたご)が作られ

旅行案内書などが一般にも普及していたそうである

そのおかげで、神社・寺院などの信仰者の遠出にも利便さ

が高まり、多くの庶民が詣でるきっかけにもなったとされる

おそらく江戸時代の日本人の国内旅行者は世界一

多かったと私は思っている

これは300年前のオランダ商館長ケンペルの手記からも

窺い知ることができる

ヨーロッパでも数百キロの旅行などそれほど多くの人は

できなかったという事なのだろう

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有って節約無きゃ我慢

お早うございます
銀行って元は『両替商』でしょ
ですが
今は100万円を持参しても
100万円分の『金・GOLD』には
交換はしてくれません
つまり只の紙であります
みんなが
価値があると信じて集めますが
かえって盲に成り易いのも
お金のせいかもしれません
あきめくらには『自分』は
見えませんから

起きて半畳寝て壱畳
私は明日のあて(つまみ)は
明日考えるようにしております
今日を生きるで
精一杯でありますから。

2015/09/19(土) |URL|朱鷺二羽・ウナ [edit]

取り敢えず解決しました

ウナさん こんばんは

やれやれ・・・やっとアクセスできるようになりましたとさ・・・

原因は不明のままです
ウナさんのコメントを知らせるメールから、自分のブログにたどり着けました
とても感謝しています(笑)

メールの承認アドレスをクリック
承認画面左上のHOMEボタンをクリック
そうすると自分のブログ画面に入れます

その画面のまま「お気に入り」に入れて(以前からあれば上書きをする)登録する
これで解決しました・・今のところですが
ウナさんのコメントに変身打ち消しの文返信しなければという思いが成功の秘訣でしょうか?

怪傑打ち消しの文解決ハリマオ?

2015/09/19(土) |URL|長屋の爺 [edit]

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