不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  人と王と神 



人という漢字を説明するときに、人と人が支えあう

そういう姿を現した文字というのがある

私は「じんましんが出る」思いで聞いている

人と人が支えあう姿・・・美し過ぎる解釈に思わず

引いてしまうのである

これは理想・夢・願望から作られた説であり

人を「一本」の棒に例え、さらには「つっかいぼう」に

なぞらえることに釈然としない気持ちが湧きおこる

人とは棒一本で表現されるような存在だったのか


古代の象形文字で「人」は、横を向いて少し首を

竦めた形で表現された

何か重い宿命(さだめ)を背負うかのように・・・・

万物の霊長とは程遠い形に見えてしまう

貴き人と言うなら、【大】や【立】のほうが高貴な人

というイメージに近いだろう

【大】は胸を張って仁王立ちする姿

【立】は大地に足をつけ仁王立ちする姿である

神の前で儀式に臨む高貴な人の姿は「大」のほうが

相応しいだろう

大神とは神と人の間に立ち、神の言葉を伝える役目

そもそもは巫術に長けた特別な人のこと



その「大」が人々を導き、統率する形を発展させて

【王】と呼ばれるようになった


どちらも「オオ」なのである

 「王」とは神に祈り、神を讃(たた)え、神と契約し

神と交渉をする

その交渉の結果如何で、王は「王の王たるゆえん」を

判定される


それが「王の責任」「殺される王」の伝承となったと思われる


何やら面倒な話になってきたと思っているでしょう (笑)


卑弥呼という女性(女王)はなぜ死んだのか?

卑弥呼暗殺説などの根底にあるのが、「殺される王」

というアジア各地に残る伝承が基になっていて

王の言動が神の意に沿わないとき、王と神との交渉が

きちんとできていなかったりして、人々が耐え難き苦難

を強いられた場合、神の意思により、王は人の手によって、

又は自らの手によって、「死」を選択させられた

「天人相関」が唱えられるようになった要因でもある



オカルトと笑われるかもしれないが、この数年間だけを見ても

異常気象や自然災害、数々の世情不安はどうして起こったのか

起こった原因は現代の【科学】で説明ができるという

果たしてそれだけだろうか・・・


地球に未来を感じている人は多いと思うが、人間とて時間を経て

終わりに向かう宿命がある


神は死なないというのは私の中では基本である

死なないから神なのであって、死ぬ神などこの世に存在しない


どうしてか?

神とは自然そのものだから・・・・

海は死にますか 山は死にますか

風はどうですか 空もそうですか・・・


と言ったのは さだまさし 「防人の詩」である


これを聞いたとき、自分の考えが確信に変わった

古代の日本人は「万物」に霊が宿り、その霊こそ

日本人の「神」だったと言う事なのである

人は死ぬが神は死なない

神が死ぬときはこの地球が終わるとき・・・


本題に戻そう・・

大神と言われる「日本の神様」は、厳密に言うと

神ではないということ

神と人の間に介在する「巫術」をつかさどる存在

ということが言える


私たちは「大神」に参拝しているつもりでも、実際は

その向こうに居る「神」に参っていると言う事なのである



その理屈で言うと、天照大神とは太陽と人の間に介在

する存在であり

白竜大神とは水と人の間に介在する役目を担う存在だという事

になるだろう



では、天皇とは何なのかという疑問がわいてくる

天皇は祭祀王という立場の「神」と「人」との交渉人(ネゴシエーター)

という見方もできる

神(自然)と折り合いを付けられないときに、神(自然)は

猛威を振るい、人々を苦難に落とす

祭祀王である天皇の霊威が落ちれば、自然が荒ぶるということ

であり、霊威は日々磨かなければならない・・

それが毎日の礼拝なのである

天皇の礼拝を「私事」とする日本に未来などない


日本の災害苦難は必然と言う事を私は感じている

選択肢は二つ、どれを選択するかで日本の未来は変わる

見えない物にこそ、想像以上の力が宿る

科学の目を通してみる習慣では見えない物もある

わたしはそう考えています・・・・
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