不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  ヤマトの国で名前を呼ぶこと 

ある方のブログを読んでいて、感じたことを少し・・・


日本人は名前を呼ぶことに、他所の国にはない

特別な思いや慣習があることをご存じだろうか

一年前の記事

古代日本では、名前を呼ぶと言う事は、相手を所有する

つまり、自分の物 にすることでもあった

つまり、名前を呼ぶもののほうが「上位」であり

支配的立場にあると言える


なぜヤマト女子の名前が残っていないかを知るヒントが

「所有」という問題なのです

公式な記録に残されている女性の名前は「天皇の后」が

ほとんどであり、そのほかは一部例外はあっても「通名」

が常識だった

「紫式部」「和泉式部」「清少納言」「源**の女」など・・・

通称であり、実名が残されている者は稀有である


女性は誰かれなく、複数の男の所有にはならない

という「決意・固い意思」を実践するために「名」を秘した


歌のやり取りで「顔も見せず」「名も告げず」とは

女性(やまとなでしこ)の品性だったのかもしれない


名前を呼び合う習慣が無かったことの「名残」が

「うちの亭主」「「うちのかかぁ」「おい」「あんた」などで

どの家庭も通じてしまうことになる(笑)

これも「言霊」からきているのだろう


日本人の意識の中の「名前」とは、神が個人を識別できるように

神に対して「捧げる」ものだった



命名(めいめい)

名 の字源は、子供が生まれて一定期間が過ぎると

神さまに、タ【祭肉】を供えて、口(サイ)【祝詞】を奏上し

本名を付けたことからきている


命 の字源は、儀礼用の帽子をかぶった人が、神の

お告げを受ける形からきている

令と命は元々は同じ字だった

令 とは神のお告げであり「命令」として使われ

命 とは「生命」は天から与えられたものということから

「命(いのち)」として使われるようになった

名は「命」であり、この世で神によって生かされている

証(あかし)が命(いのち)を得ること

神のモノであるという「名」=「命」ということになる

だから名を神にささげることを「命名」すると言い

神以外に「名」を呼ぶことが許されなかった時代が

古代では有ったと私は思っている

(あくまでも長屋の爺の妄想であるが)



ちなみに、字 とは宀(ベン)と子の組み合わせ

宀(ベン)とは祖霊を祀る廟(びょう)のことで

子供が生まれると、祖廟に参って子供を見せ

仮の名(幼名)をつける

これを称して「字(あざな)」という


后(きさき)

この字は、人と口(サイ)の組み合わせで

女性が天からお告げ(いのち)を与えられる形だろうか

つまりは、王の「きさき」の意味であり

元々は【王子を産む女性の姿の象形文字】である


名前は記号でも符丁でもない

神さまに判別してもらうために付ける目印で

誰かの為ではなく、神さまに奉げる物だと私は

思っている

                      
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