不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  温故知新 

故きを温ねて新しきを知る

以て師たるべし


私が古代史に興味を持って様々な文献を

読んできて、歴史から多くのことを気付かされた


学んだなどと言うのは「烏滸がましい」話であり

今の日本の社会にも相通じる事柄が点在している


人はなぜ争うのか・・・

人はどう行動したとき、どういう結末を迎えたのか

人が他人を「敬い」「尊び」「信頼する」のはどうしてなのか

おぼろげながら気づいてきたように思える


人は理不尽に命を奪われるために、この世に「生」を

受けたのではない

私は今の時点で、そう確信している


殺すくらいなら殺されたほうがまし・・・

これほど自虐的で神を冒涜するものは無いと

長屋の爺は感じている

その言葉は、私はこの世になんか産まれたくはなかった

そう宣言していることと大差ない言葉である


生きると言う事は、多くの犠牲の上にのみ成立する

自分が某有名高校や某有名大学に入学したと言う事は

誰かが「不合格」になったと言う事

自分が「メダル」を取れば誰かが「取り損なった」のである

人の犠牲の上に成り立つ人生が嫌なら、生きている意味すら

否定することになる


動物の肉を喰らい、植物の命を絶ち、人は生きている

一般人もベジタリアンも関係なく、命の犠牲の上で生きている

これは動かしようの無い事実である

それ故、それらに感謝するのが日本人本来の「敬う」気持ち、

神に対する感謝なのだと思っている


それを別の視点から見れば、人間とは「残酷」な生き物かもしれない

動物を殺して肉を食う事は「是」でありながら、向かってくる相手に

対しては無抵抗を「是」とし、立ち向かい自己防衛することは「否」

というのである


守る事を拒否することは簡単であるが

自分が無抵抗で死ねば、守るべき人間も死ぬことになる

幼い子を持つ親が、殺されたほうがましというのは

守るべき「我が子」を殺すことに等しい

これは詭弁でも屁理屈でもない


明日から自分の家に、私たち家族は「争いません」

「無抵抗主義者です」「殺されても構いません」

そういう貼り紙を掲げておくというのはどうだろうか?


きっと**人や在日**人が喜んで侵入してくるだろう

自分だけでなく幼子まで「惨殺」されて満足だろうか?


渋谷でシュプレヒコールをあげていた親たちに問いたい

どうして【誰の子供も殺させない】と言うのか?

無抵抗は「子供を殺す手助け」をすることになる


生きるのではない、生かされている人生という認識

生かされている者が、殺されても良いというのは

神や先人に対する冒涜である


もし・・・私が明日突然死すれば、我が家の飼い猫・ミコは

数日で命が尽きるだろう(猫を引き合いにして申し訳ないが)

守るには生きなければならない

守る事を放棄することは、無責任な大人のすることではないか


なぜ70年前、私たちの先人たちが「死ななければいけなかったか」

その過去を知る事こそ、今の時代を生きる指標になり

これから我が子・孫が生きてゆける最善の方策を見つける

ヒントになる気がするのである


自分の力で生きていると思うから、命に対し不感症になる

生かされている人生に、「捨てる」ことは許されない

寿命をまっとうすることは、真剣に生きることである

生きると言う事は何かを守る事・・・・

我が子の命を軽視するのは「人としての人生」では

無いと私は思うのである。



連日の暑さの中の業務で、軽い熱中症の症状があり

ダウン寸前です 更新を休むかもしれませんが

早めの対応と言う事で大事ではありませんので・・・ 



                    
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