不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  昔話 桃太郎を考える (吉備と出雲) 

古代ヤマトを考えるとき「通説」によれば

5世紀ころに統一国家となったとされるが

私は統一国家になったのは、しばらく後の

ことだと考えている

日本の国家としての形は「地域国家連合」のような

同盟関係で成り立ち、それぞれの「王」が統治していた国家群

だったのではないかと思っている


吉備国は鉄生産によって大きな力を持ち、連合国家の中でも

最強の国家だったかもしれない

その吉備王国と拮抗した勢力を保持していたのが「出雲連合国」であり

出雲の【意宇】を治める「意宇王」等だったのではないかと思う

古代ヤマトの中で、連合国家から中央集権に変えようとする勢力にとって

出雲、とりわけ「意宇」の勢力が邪魔であった

意宇は「越の国」をも勢力範囲に含んでいた可能性がある

その意宇の勢力である「意宇王」を征伐するには「吉備」の力が

必要だったのか、あるいは吉備・出雲連合軍は古代ヤマトにとって

太刀打ちできない勢力だった可能性もある


出雲を制圧するには「吉備」を取り込むことが先決だった

もし「吉備王」が承諾しなかったとすれば、吉備の平定を急ぐ

必要が生じたかもしれない

選択した策が、吉備の群臣たちの寝返りを促すことだった・・・

「裏切り」によって、吉備王を謀殺し吉備を傘下に収めたのち

出雲平定の戦を行った

それが「意宇王」の抹殺である


意宇王なき意宇の地に、新しい管理者を置く必要に迫られ

出雲国造という意宇の土地を取り仕切る家が創られた

その重要な役目は、意宇王が祟らないように祀る事

意宇王を慕い従属しない者たちを捕える事

その捕えられた者たちは各地に移住させられ

出雲族は出雲から消えた・・・


出雲国造家とは天津神の子孫ではなく、古代ヤマトに

従属した(寝返った)吉備の臣だったことも考えられる


なぜ、出雲国造は代替わりに、朝廷に貢物を持参するのか

「出世すごろく」のきっかけ(一臣下が出雲の為政者に栄達)に

感謝するとともに、過去のような「裏切り(温羅斬り)」は致しません

という「誓い」を宣言する為ではないだろうか・・・


                     
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