不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  神さまと神社を理解する (2) 

初歩的なことで恐縮だが、私たちが頭の中で

イメージしている「神社」というのは、7世紀

後半に作られたものである


古代日本に於いて古代豪族の割拠した時代には

存在していなかったというのが一般的な説

だと思う


古代ヤマトが統合された背景には、「話し合い」で

成されたわけでは無い

当然ながら「血を流した結果」での統合であり

無念の思いはいたる所に発生したことだろう


なぜそう思うのか?

平安時代の「蝦夷討伐」を観れば明白である

時代に関わらず「統一・統合」とはそういうものかも

しれない


これから先は「長屋の爺の自論」である


私たちの国日本も、地球上の国々と変わらず

自然神が人の上に君臨し、絶対的な「チカラ」を

顕していた

そんな時代とは違い、人が人の上に君臨する

言い換えれば「支配」する時代へと変化していった


百の部族が在れば、百の神が存在していた時代

その神々と原始宗教の神を「八百万の神」と呼ぶ

ことにする


日本には一万を超える神々が居るとされ

東大寺・修二会で勧請される神がそれに該当する


その八百万の神々を実世界と同様に「纏め上げる」

必要に迫られた

しかし言葉だけでは大きな影響力は望めないまま

神々の序列に苦心した結果、支配者である

人間を神に置き換えて、系統立てることにした


各地に散らばる「豪族が拝する神」の頂点に

新たな神を創作する必要に迫られた・・・

そこで考え出されたのが、天孫降臨神話であり

皇祖神というものだったのだろう


しかし、事は簡単にはいかなかった・・・

統合したとはいえ、絶対的権力を持たなかった

天皇家は古代豪族の信仰に苦慮することになる

結果、古代豪族の祖を神格化することで収めた

征服者・支配者は「前政権・前王権」は絶やすのが

一般的であるが・・・

絶やした後の「祟り・怨霊」に腐心することにもなる


野や山で「神請い」をするには何らかの問題があったの

だろうと推測する

常在の「館」を作ることで、頻繁に怨霊を鎮めること

が可能になったというところか・・・

怨霊封じ、鬼の祀りの確立である

(これはあくまでも長屋の爺の妄想にすぎない)


なぜ日本の古墳・陵墓に埋葬者の名前が無い

のだろうか・・・

これも諸説あるが、私は「原始宗教」の影響を

強く受けているからだと思っている

原始社会では亡くなった親や親類の名を口にしたり

そのことを普段話したりすることを忌み嫌っていた


(アイヌ神謡集 からの引用)

その風習の名残が古墳時代にも影響を受けて

被葬者の名前すら口にしなかったのだろうと思います


口にしない、話題にしない・・・・

だから文字の無い時代であっても、口伝すら

あやふや、不明とされるのではないかと思う


そこに、口にすることも憚(はばか)られた神とは

別の神が鎮座することになったのだろうか・・・


神社に「封じ込められた神」、「祟りを鎮められた神」

の名前さえも定かではなく、封じたことすら不明になり

霊験あらたかな「神さまの顔」だけが伝わったのかもしれない


良い面(ご利益)だけが伝えられる神とは、怨霊神、不遇の先祖

を隠すために、のちの世に創られた神さまなのかもしれない。

                    
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