不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  北面する天皇の誕生 


天皇が神の子であった時代

天皇は公の場においては北を背にし

南を向くことが当然であった

いわゆる南面することが常識だったのである


神の子が「釈迦の下僕」になった

749年2月 聖武天皇は前代未聞の行動

をしてしまった

南を背に「北面」したのである

私はこの時から、天皇は祭祀者であって

祭祀王ではなくなったと考えている

そして神の子孫という衣を脱ぎ捨て

以降、宮中での祭祀は「儀礼」として

続いてきたのである

祭事の形式をとった「儀式」であり、そこには

信仰(宗教観)が薄れていった天皇が居た


千代田に熱烈な感情を入れている人には

申し訳ないが、私は神道という括(くく)りの中で

判断するとすれば、そういうことだと思っている


東大寺は特殊な寺院である

過去のブログにも書いたのだが・・・

東大寺に残る神々の歴史

私はこの神名を読み上げ【神を勧請】する意味

が理解できなかった

もしかすると聖武天皇は自分だけでなく

国中の神々まで「三宝の奴」にしようと

考えていたのかもしれない(暴論であるが)

あるいは神の子であることを捨てた負い目

がそうさせたのか・・・


東大寺の修二会(お水取り)の起源は

若狭の遠敷明神が遅れてきたお詫びに

水を献じたことだという



遠敷明神(おにゅうみょうじん)

この名前から判断すれば、【おにゅう】とは

お・丹生 (おにう)の変化だろう

丹生とは文字通り「水銀の採れるところ」

丹(に)が生まれる ということだ


東大寺と丹(に)は深い縁がある

東大寺大仏(盧舎那仏)の制作には

「銅」のほかに「金」と膨大な「水銀」が

必要だった

当時の金メッキは水銀がなくては成り立たない

その「金」は日本で初めて【陸奥国】から産出し

天皇に献上された

本体には約一万トンの「銅」を、「金」は440Kg

水銀は2,4トン消費したという

今では全国各地に「丹生」の文字がついた

場所は相当数存在するが、この時は未だ

密教が浸透していない時代であり、大量の丹を

産出する地域は限られていただろう

福井県には今でも【丹生山地】と呼ばれる

山々がある

標高は500~600M程度の連なる山々だが

古代では辰砂が採れたのだと思う

水銀を献上してくれた者がいて、その者を

「丹生明神」として伝えたものかもしれない

献上したのは「水」ではなく、「水銀」だった

のではないだろうか・・・



428-daibutsu.jpg

私は仏教には全く知識がない

だから好き勝手な妄想を思い浮かべることが

できる理由だが・・・


修二会という名前・・

朱 丹 恵(得) (しゅにえ)が語源ではないか?

専門家が聞けば笑われるだろうが

長屋の爺の程度ではこのくらいが限度ですね(笑)

                   

 
関連記事
スポンサーサイト

COMMENT FORM

  • URL:
  • comment:
  • password:

Trackback

トラックバックURL:http://theangerheart1182.blog.fc2.com/tb.php/715-561dd83a


back to TOP