不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  天皇家とキリスト教 (二) 


 朕(ちん)と爾等(なんじら)国民との紐帯(じゅうたい)

 は、終始相互の信頼と敬愛に依りて結ばれ、単なる

 神話と伝説に依りて生ぜるものに非ず
 
 】


これは大東亜戦争敗戦の翌年、正月元旦の昭和天皇の

「人間宣言」といわれるものの抜粋である

これは「現人神」の否定と、神話や伝説を纏(まと)った

人形ではなく、生身の人間であることを国民に宣言

したものと私は考えている


この宣言の 相互の信頼と敬愛に依りて結ばれ 

という部分こそ、現在の天皇家と日本国国民の

たった一つの「結ぶ糸」なのである


では、なぜ昭和天皇はこのような宣言を行ったのか

言わされた というのが真実だろう・・・


GHQ・マッカーサーは原案で、天皇が「神の裔(すえ)」

であることを否定し、「架空」という表現をした

それは天皇家の歴史を全否定することだった

しかし、日本は天皇が現人神であることは否定しても

神話と神の末裔であることは護りたかったようだ


アメリカやバチカンは天皇と皇族を「クリスチャン」に

したいという願望があった

しかし天皇の改宗は実現しなかった

もしそれを強制すれば、日本国民がどのような

反応を見せるか想像できたのだろう・・・


ところが、その年(昭和21年)に来日した米国

教育使節団のジョージ・ストッダート博士と

昭和天皇の会見で、天皇が皇太子(今上天皇)

の家庭教師に「クリスチャンの夫人」を依頼した

という・・・

これは、アメリカの天皇家の改宗強要だったと

私は考えている

天皇が「米国人家庭教師」を依頼したというなら

「そういう事実もあったのか」と納得するしかないが

天皇みずから【クリスチャンの夫人】と限定することに

言いようのない不快感を感じる

これは言わされた(強制された)としか思えない


昭和天皇の戦後責任の取り方の一部分と

見れないこともないが、天皇とマッカーサーの

会談で何が残され、何が失われたのか

そして何が取り決められたのかは不明である


現実に皇太子の家庭教師はクエーカー教徒の

ヴァイニング夫人が就任し、週に一度「教養」と

いう名の英語教育が実施された


これは私の私感であるが、教養とは「キリスト教的

価値観」の洗脳であり、現在に至る皇室の動向に

日本的ではない「欧米的思考」が土台となっている

姿に表れている気がする


その証拠にヴァイニング夫人が皇太子に教えたのは

欧米的な家庭像だった


家族は一緒に食事をし、食後はくつろいだ雰囲気で

コミュニケーションをはかる・・・・


戦前の天皇・皇后と皇太子は別々に暮らし

養育係が身の回りの世話をして、親子が自由に

会うことすらできないかった

そんな皇室は欧米人には理解できないものだった


自分の子供を腕の中で育てる、欧米的家庭を

理想としたのかもしれない

天皇家は改宗する以前に、欧米的価値観を

目指すことになってしまった


なぜ 「クリスチャン夫人」 だったのか?

それは家庭を持つ女性による「欧米的家族」の

意義や価値観を学習させることだった

男性の学者や学問一辺倒の堅物ではダメで

家庭を持つ夫人、それ以上でもそれ以下でも

不適格だった


そうなれば、昭和天皇自ら望んだとは到底思えない

アメリカもしくはGHQ、バチカンの思惑が昭和天皇

を動かしたということではないだろうか・・・


ひらかれた「皇室」とは、欧米的価値観に染まった

伝統とは別世界の空間であり

悠久の時を刻んできた日本の天皇制度の瓦解を

意味するのかもしれない


【免疫】という言葉がある

少なからず現代の日本人は「欧米的価値観」

の影響下にあり、欧米的思考に免疫がついていて

疑問に思わないことも多い

ところが見るべき場所(位置)を変えると

疑問に思う事が次から次へと増えてくる


すべてのことには「必ず理由(わけ)」がある

世界は「女性」の力で変化してきて

女性の望む方向に舵は切られてゆく


なぜ美智子妃殿下(皇后)だったのか?

香淳皇后はなぜ反対したのか?


なぜ雅子妃殿下だったのか?

昭和天皇はどうして反対したのか?


見方によって、現在の天皇家が「一神教」

の価値観で動いていると思えるのも

必然なのかもしれない・・・。

                   

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No title

はじめまして。
歴史は興味深いですね。
最近になって、自虐史観教育を受けていたと知るようになりました。
GHQといえば焚書を多くしたようですが、「仁徳天皇陵でもした」、と身内の人が言っていた、というのを見たことがあります。何の証拠を抹殺したかったのでしょうね。
日ユ同祖論というものがあり、神社や神輿の由来、掛け声と囃子言葉に関することなど、興味深いです。

2015/05/19(火) |URL|mayflower [edit]

史実は勝者の言い分

こんばんは はじめまして

言葉であれ文書であれ、残すにはそれなりの理由があり

私たちが事実と思っている「史実」も疑わしいものばかり

不都合は「残す理由」が無いものであって、抹殺しようという意図ではない

焚書・改竄もあると思います

「消えたもの」は想像するしか方法がなく

「とるに足らない」事でも、消してしまうほうが「価値」が出るものもあります

2015/05/19(火) |URL|長屋の爺 [edit]

No title

こんばんは。

天ぷらうどんの最後の方に、おつゆの表面に、もろもろになった天かす(揚げ玉)が残ります。

その天かすが、何かの法則のようなもので、集められて行くような気がする、頭の中でそんなことが起こっている気のする、昨今です。

やはり。そうなのか、と。

まさこさんの醜態から気づき始めたのでしたが。

実はもっと以前からのことが。

いつもありがとうございます。

2015/05/19(火) |URL|KUON [edit]

残された物の信憑性

本当に大切な真実は、残されている
物では無く、時の者に都合の良い者が残されているのですねぇ。
然し、それも完璧には隠し切れず、
ハラッと残っている部分から、
真実を読み解いて行く。

人の生き方も、然りですね。
その人の本当の姿って、分かりませんよね。大雑把な判別は出来ても、
中味と外見に可成りギャップがありますもの。又、自分自身でも、素の自分は分かりません。
でも、ギャップって凄い魅力も伴いますね。一概に、歴史は、と考える
だけで無く、隠された部分から
紐解いて行くワクワク感は、
自分の歴史にも当てはまり、
自分の自分探しを楽しみたい気分
になって来ました。

それから、天皇について、
聖書的な世界から考えると、
バベルの塔から、世界が分かれた。

神が預言した最後の民族である
ユダヤ人は日本人のことで、天皇は
その王であり、モーゼは日本に
来たなど言う説もあり、ミステリーがいっぱいですね。
私はこの頃、次元はもしかして、越えられるのでは?
などと、妄想してます。
歴史の確証に迫れたら、最高ですが
天皇も神格化した人間で在られる
のに、今又神の域に奉る風潮があります。天皇賛美は、政治に於ける
国民の不信感と良いリーダーが現れない憂いからでしょうか?

2015/05/20(水) |URL|花橘 [edit]

kuonさんへ

こんにちは

本音を書けば差しさわりのある話題で、他人様に諂う気など

ありませんが、日本人の血が逡巡させています

あくまでも過去の史実を語るとき、すべては「推論」でしかありませんが

できうるなら「その時 その場所」に居たかった・・・長屋の爺です


言葉の魔力・・・「なぜ皇室を開かなければいけなかったのか?」

私の原点は、まさに そこ から始まっています

もしかすると、日本は「取り戻せない処」まで、来ているのかもしれません。

2015/05/20(水) |URL|長屋の爺 [edit]

花橘さんへ

こんにちは

人生も歴史も似通っているかもしれませんね

押入れの奥に残されたものが本当に大切なものかどうか?

残っているから「大事なもの」という先入観

なぜ残されているのか、きっと理由(わけ)があるはず・・・


欠けたピースの多い「ジグソーパズル」

これこそ古代史だと思っています

欠けた(無くなった)ピースは、どうして無いのか・・・

残されたピースはどうして残っているのか・・・

私の推論・暴論の基本は二つだけです


天皇という生身の人間を敬っているのか、それとも祭祀王としての

「天皇」像を崇敬しているのか・・・

一神教的な賛美(無条件の尊崇)であるならば、

【相互の信頼と敬愛】とは異なる世界の話でしょう

天皇は国民の信頼にこたえてこそ、日本国の精神的支柱になりうるのです


今、天皇家や東宮家への辛辣な意見・批判は、諸問題に黙する皇室の真意が

国民に伝わってこないもどかしさ、いらだち、落胆の心情が火勢を強めている原因でしょう

2015/05/20(水) |URL|長屋の爺 [edit]

ありがとうございます。

天皇を本当に崇拝し、敬愛申し上げているならば、その方が、黙して語らずでいらっしゃるのですから、
何も言わず、信頼している訳には
いかないのでしょうか?
あれこれ追跡し、調べ上げたり。
日本人としては、待つことなのでは?と思うのですが。
それがその方を敬うことと思うのですが。勿論、私も次代に対して
危機感を抱いています。しかし、
歴史の流れが、只今はそれを良しと
しているのならば、仕方ないこと。
他の面で、必要なことにもなるの
では?
それの答えは長い時がかかると思いますが。

2015/05/20(水) |URL|花橘 [edit]

花橘さんへ

こんばんは

何も言わず信頼することは「盲信」すること

日本人は「天皇教」の信徒ではないから・・

というと言い過ぎでしょうね


なぜ日本の天皇は敬われるのか?

これを個人がどう解釈するかの問題でしょうね

古来、日本の神道は「偶像」「人間」は拝まないもの

私はそう確信しています


世の中、信じる者、信じない者、無関心な者がいます

私は無関心にだけはなりたくないですし

盲信することはあり得ません

「あばたもえくぼ」「盲目の愛情」が大嫌いです

黙って静観する人、自ら考え言葉を発する人

私が後者の人間なだけ・・・

皇室を否定する気も、天皇を否定する気もありません

ただ・・・無関心な日本人にだけは死んでもなりたくない

考えることを停止した「息する屍」にはなりたくない

これが本音です。

2015/05/20(水) |URL|長屋の爺 [edit]

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