不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  日本書紀と万世一系 

私が天皇家の万世一系に疑問を感じる要因は

日本最古の史書といわれる【日本書紀】の中身

がお粗末だからである

天皇の歴史と言いながら、歴代天皇の生没年

すら不明になっている現実に違和感を感じている


どうして不明にしたのか?

ずっと考えてきたが、その考えは間違っていた

ふと、そんな考えに行き着いた・・・


書かなかったのではない

別の系譜の人間には「分からなかった」だけ

天智天皇の前後の系譜と、それ以前の天皇家の

系譜が別物だったとしたら・・・・

書きようがなかった可能性がある


さらに皇統を改ざんして、つじつまを合わせた結果

生没年を書くことによる矛盾に直面し、不明のまま

史書を編纂した


天智天皇より四代前の天皇から生没年が明記されている

その四代前こそ・・・ねつ造・改竄した【推古天皇】で

創作なのだから生没年は脚本の一部であった


日本の天皇で生没年が知られている最も古いのは

第30代・敏達天皇である

(推古天皇の夫といわれている天皇)

しかし・・・そのあとの第31代・用明天皇は不明である

(聖徳太子の父親で、子供の聖徳太子も不明である)

さらに暗殺されたとされる32代・崇峻天皇も不明である

そして・・・33代推古天皇は明確に記されている


これらを見れば、持統天皇の時代から時間を遡って

不都合は削除し、捏造・改竄・創作した天皇だけ

巧妙に生没年を記したと思えるのだ

書かなかったのではなく、書けなかったにも関わらず

書いた理由は、自らの系譜の正当性を主張するため

書き残した・・・


国家プロジェクトでありながら、お粗末な「日本書紀」は

限られた人間の目にだけ触れるものだったのでは?

そう考えれば古代天皇家(大王家)の系譜など

大きな比重が置かれることもなく、由緒ある系譜に

紛れ込むためだけの「史書編纂」だった



なぜ・・・・女帝だったのか?

なぜ崇峻天皇の後継が推古天皇(女帝)だったのか?

舒明天皇の後継がなぜ皇極天皇(女帝)だったのか?


私の考えは女性天皇の時代は天皇の改竄があり

不都合な天皇を消すために、油彩画のごとく上から

新たな女性天皇を書き足した

中国大陸でも女性皇帝は一人だけ・・・・

則天武后だけなのである

国の統治は男性が行うものという不文律があり

大陸から文明を学んだ国に女帝は存在しない

特に大陸を範として、積極的に律や令を学び

実践していたヤマト朝廷が、そこだけ独自色を

出す必然性が見当たらない

シャーマンとしての資質が尊ばれた卑弥呼の

時代とは明らかに違っている時代なのである


天智天皇は即位せず【称制】を行った

(称制とは、新帝が即位の儀式をせず政務を

執ることをいう)

私の中で「称制」とは、後世の人間が都合のよい

言い訳をした形だと思っている

天智天皇と持統天皇が称制を行った天皇である

なぜこの親子だけが称制を行ったのか?

称制とは即位することが許されなかった人間の

言い訳だと思っている

即位できない理由は数多ある

一番考えられるのは、皇位継承権の低さであり

最低限の資格を有していなかった

天智と持統は即位できる資格がなかった

そんな可能性も考えられるのである

                   

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