不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  富士の高嶺に雪・・・・ 

 田子の浦 

  ゆうち出でてみれば  真白にそ 

    富士の高嶺に  雪は降りける


これを編修したものが、百人一首に入っていて

教科書などに載っているので、日本人なら

知っていて当然という「山部赤人」の歌である

彼の没年は736年と言われている

田子の浦は静岡県にある海岸で、其処から観た

頂に雪を纏った霊峰・富士山を仰ぎ見た感想を

歌ったものである


この歌がどうかした?

この歌は古代史の大きな疑問を教えてくれている

わけが解らない話で恐縮です・・・


この富士山は一万年前には現在に近い姿で

人々の目に映っていたという

736年に没した歌人の生前には、日本中の

多くの人々の知るところだったはずである

おそらく大陸沿岸部、半島南部でも多くの人に

認知されていたと考えている


だが・・・・

日本書紀、古事記には一行の記載もされていない

一行もである・・・・

日本の国史である「史書・日本書紀」は720年に

完成しているのである

赤人の時代に多くの歌人が富士を読んでいたのに

史書はなぜ「無視」し、まるで富士山が存在して

いないように、扱ったのだろうか?

同時期に編纂された「常陸国風土記」にも

【福慈岳(ふじのたけ)】として記載されていて

どうしてヤマトの歴史を纏めたものに、霊峰である

富士山が消されたのかは謎である


書かなかった(載せなかった)のではない・・・

書けなかった(載せられなかった)のだろう

今まで考えてきた記紀の傾向からすれば

辻褄の合わないことや、矛盾する記述の

多さは当然なことである

何が 誰に 不都合だった?

これは長屋の爺の宿題である

日本はアニミズムの国であった(過去形)

山を神体(神)として崇めてきた過去がある

その最高峰が富士山ではないか

日本アルプスの奥まった場所にあるわけではない

江戸時代でさえ、江戸から富士山が観れたという

尾張・三河からもその姿は見られたともいう


どうしてこんな「稚拙な事」をすることになったのか

隠せるような問題ではないのは明らかであり

「日本書紀」が人(日本人)の眼に触れないという

確証(自信)でもあったのか?

なにやら、お隣の国の歴史教科書を観るようで

気持ちがざらつくのを感じる


古事記にあるエピソードにも、ヤマトタケルは駿河の

地で火責めに遭い「草薙の剣」で難を逃れた

当然、ヤマトタケルの眼には「富士の峰」は映っていた

富士の裾野は書けても、峰は書けなかった・・・・

富士山の信仰は間違いなく在ったと思う

なぜ富士山信仰は「タブー」とされたのかを

次回から考えてみたい・・・・。

                  
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