不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  外国訪問とご静養 

ご静養

言葉だけを聞くと、ぼんやりとしか見えない

天皇の行事である

なぜ「静養」が必要なのか?

皇室祭祀は曜日には関係しない

各種行事に参列されるのは「土・日」が多い

平日の二日間は「執務」があり、殆んど毎日

何らかの公務と祭祀が控えている

その激務によって、天皇の健康が損なわれ

ては、日本が国家として機能しなくなる

そういう意味の配慮から「静養」をする


静養とは激務の「肉体的・精神的疲労」を

癒す意味でも大切とされる

だから・・・激務(公務)に携わらない宮家では

「静養」という言葉は殆んど使われない

だからと言って、秋篠宮殿下が何もしていない

わけではないが・・・・


最近多く聞かれる「東宮一家」のご静養問題

この「ご静養」は疲労を癒す為のものではない

名目としては「妃殿下」の病気静養というところか

スキー場の人ごみに出て「病状」が良くなる類の

病気なのかは疑問だが・・・

「西洋」に行くのがお好きらしい

西洋も「静養」という同じ音だからなのか?

千代田の雀たちの間では、「年度予算を消化」する

ために、一家団欒と静養を行っているなどとさえずる


静養するほど「公務」「祭祀」に勤しんでいるとは

見えないのだが、別世界の話であり、何を言っても

「ごまめの歯軋り」というところか(笑)


錦の御旗 というものがある

豪華絢爛な旗印という解釈だろうが、私の解釈は

日本の皇室制度の「魂」の尊称であると・・・

錦の御旗=天皇 という位置づけであり、かつての

日本人はこの御旗を背にまい進してきた経緯がある

神道があったからでも、現人神だったからでもない


錦の御旗は【日本人の魂の象徴】なのであり

天皇は代を重ねて人代わりしても、心の中の

御旗は不変なのである

その御旗に背を向ける「天皇」が現れたとき

ヤマトの国は滅ぶときである

国が存続するしないという次元の話ではない

精神的な「国家」としての柱を失う事であり

神の不在・・神を否定する国家の誕生なのである


この国は「多神教」の国家として悠久の時を刻んできた

その総てが「皇室祭祀」の中に凝縮されている

廃れては復活し、軽んじられれば道を正し現在の

形式が伝わっている

その形式を形骸化・簡素化することこそ「否定」であり

それに於いては香淳皇后が最期の抵抗者だった

一歩ずつ、一つずつ変わる事が「改革」であり

その速度が極端に遅いものを「伝統」といい

逆にその変化を急ぐ事を「破壊」という

千数百年の積み重ねを、数十年で変える事が

どういう事なのか・・・

私達日本人は、一人の神に支配される事は無い

それが通説の「皇祖神・アマテラス」であってもだ・・・

皇祖は皇室の祖神であって、私達の祖神とはいえない

伊勢の祖神は国民すべての「祖」とは断言できないのだ

なぜ 天皇が敬われるのか?

私達国民の安寧・繁栄を毎日祈念してくれる

大切な人【祭祀王】だからである

国民のために祈らない祭祀者は「無用の長物」

自分の為に祈る者に、尊崇の念など湧くはずもない

天皇の天皇たる所以がそこにある

今回のパラオ訪問を「税金の無駄」という意見も

聞かれる

私は申し訳ないが、そうは思っていない・・・

しかし、残念でならないのは、パラオに行くだけの

お気持ちがあるのなら、一度でもよいから・・・

靖国に足を運んで欲しかった

現在の日本の礎を築いた「戦没者」たちに

向き合って欲しかったと私は思っている

日本の国に「戦犯」は存在しない

これは国会でも承認された事実である

なぜ?

靖国には行けなくて、パラオなら行けるのか

その答えは永久に返ってこないかもしれない

                   
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