不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  長屋の爺の神社とは参拝とは(一) 

私は「神社の神さま」はお願いするの

ではなくて、感謝するものである

そう言ってきた

本来の神さまとは「怖ろしいモノ」だった

とても「気軽にお願い」するような対象で

はなかったと言っても良い


神さまに向き合うことを「参る」という

私はこれは「まつる」の変化だと思っている

「まつる」とは何だろうか?

祀る・祭る・奉る とも言うが、簡単に言うと

神さまを喜ばす、気持ちよくなってもらうこと

「参る」は「舞いる」に通じる

舞いは神様を喜ばす表現である「踊り」である

沢山の食べ物や舞を奉げて、気分よくなってもらう

のが「まつり」である

神輿、笛・太鼓、お囃子で楽しくすることが

神さまを楽しませる事になる


なぜか?

機嫌を損ねると、とても「怖ろしい神(鬼)」だからである



ただし、神様といっても大きく分けて幾つか

に分類できる


皇室が行う「皇室神道」

鎌倉時代に興った「伊勢神道」

出雲大社を中心とする「出雲神道」

八百万の神を奉る「地方神道」

(道祖神や地主神など)

無念の死を遂げた人の「御霊神道」

(菅原道真、平将門など・・)

そしてそのどちらにも分類できない「近代神道」

英雄=神 が典型的

(あくまでも長屋の爺の暴論ですけど・・・)


何でわけるの?

と言われれば、多神教だからと答えます

唯一無二の「一神教」でないと言っても

神さまにもいろんな神様がいて、同じ扱い

をすることに不都合が生じます

神話の神さまと豊臣秀吉を「神」と一括りに

しては都合が悪いからです


極端な言い方ですが、「まつり」の規模は

神さまの力の大きさともいえます

もっと簡単に言うと、脅威とか神威と言った

ほうが解りやすいでしょうか


太陽が無くなったら「我々」は死に絶えます

その太陽の力を此処で書くまでもありませんね

だから「太陽神」には最上級の敬意と尊崇を

表す必要があります


ところが「人間」が神になった「人物神」には

好き嫌いや親近感、尊敬度が反映され、全国区

にはなりえません

秀吉や家康、乃木将軍に毎日拝礼する

という人は、私の身近には居ません


願いをかなえるという説は何処からきたのか

私は知りません

が・・・おそらくアニミズムから人が主役になった

ころに、大きな変化があったのだと思います

太陽や月、海、川、山、木々、動物たちの霊を

「カミ」として、敬いつつ畏れていた古代人

己が「諸神」によって【生かされている】ことに

感謝していた時代から

己を【支配】するのが「カミ」であるとされた時代へ

大きく変化した


だから支配者である「カミ」にお願いするという

本来から外れた参り方に変わった

私はそう考えている


だからと言って、日本人は「アニミズム」の民で

唯一の神だけを受け入れる事はありません

苦肉の策が「天神地祇」といわれるもの

天つ神と国つ神に区別したのである

だから国つ神の大本は「精霊」であり

天つ神の大本は「皇祖神」と言っても良い

と私は考えています



天皇はカミの子孫であり、神話の時代から

綿々と続く「家系」であるというのが現代の

皇室である

これを否定したり論破することは、何も生み

出さないといえる


ただ、最近の神道に対するいろいろな「活字」を

みると、神道という大雑把な括りで語るものばかり

天皇が行う「まつり」と、私達が日々行う「まつり」

が同じとはいえないと思って欲しいのです


私が天皇に敬意と尊敬をどうして持ち続けている

のかは、この日々の「まつり」にあります

もしも、天皇が日々の「まつり」を疎かにしたとき

私にとって「天皇」も「皇室」も無用になります

つまり尊崇の対象で無くなるという事です




私は神社の境内に足を踏み入れると

どういうわけか「張り詰めた緊張」を感じます

人によっては、「厳か」「ひんやり感」「ピリピリ」

だったりします

これこそが日本人が無意識に持ち続けている

「霊に対する感受性」だと思っています

此処で言う「霊」とは、物質霊であり、死者の「霊魂」

とは少し違うものです


お寺に足を踏み入れて、心が「ホッコリ」する

と言う人も居るでしょう

それは「ご先祖様」や「近親者」の霊魂が其処に

あるという意識が引き起こす感覚かもしれません

ところが縁も所縁も無い「他人」が踏み入ると

得体の知れない恐怖感が湧きます

是の原因は「先祖様」の霊魂が守ってくれるという

感覚が有るか無いかの違いではないでしょうか

話を戻します・・・


神社には私達の祖先が祭られているわけ

でもないのに、どうして「安心感」がわくのでしょう?

神社が怖いと言う人は居ませんよね(笑)

人は其処に何が「祀られ」ているかは、大きな

問題ではないからでしょう

私は、何かをお願いに行く人は解りませんが

神社を参拝する人は、お願い事が無くても

それなりに拝礼してほしいのです

何も考えなくてもよいと思います

お願いも感謝もしなくて結構ですから

ただ ただ 手を合わせてください

それが「参る」という事だと思います

(つづく)

                    
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こんばんは。

今日の記事をお借りします。

ありがとうございます。自身に滲みこませてやりたい記事です。

2015/03/11(水) |URL|KUON [edit]

どうぞ

こんばんは

KUONさんには許可済みですのでどうぞご自由に・・

ことわりなど無用に願います

この記事でいいんですか?(笑)

2015/03/11(水) |URL|長屋の爺 [edit]

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