不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  謝罪と土下座の文化 

日本では毎日何処かで「謝罪会見」がある

おそらく世界で一番「謝罪」する文化の国だろう

謝罪なんて世界共通だろうと思っていませんか?

ところが「日本人の謝罪」の文化は、異常なほど

多いのである

A,では他国は「謝罪会見」はしないのか?

Q,ほとんどしません!

種を明かせば、「謝罪会見」ではなく

「釈明会見」をするのが、世界の常識なのです

記者会見という名目で、「釈明」「説明」するのが

「会見」を開く目的なのです

しかし、日本では「会見」といえば、間違いなく

説明・釈明の前に「謝罪」を口にし、頭を下げるのである

どれだけ謝るのが好きな民族なのか・・・・。

ところが、日本人も戦前・戦後では「釈明」を容認

する風潮が存在していたのです

言ってみれば「寛容」な日本人が多かったという事に

なるのかもしれません


この謝罪会見が頻発したのはつい最近の話で

21世紀になってから、極端に増えたというのが

現実なのです

それだけ日本人が「言い訳」する姿より、親妙な

顔をして「謝罪」する姿を見たがっている

そんなふうに感じます

他人の過ちに「寛大」な対処が出来なくなったのか

他人の不幸は蜜の味がお気に召すのか・・・

なんか・・・国会の野党の姿とダブって見えるのは

私だけでしょうね(笑)


真意はともかく「とりあえず謝る」のが昨今の

日本人の処世術になってしまった

周りの国が「ごちゃごちゃ言うから」

とりあえず謝っておくか・・・

謝って溜飲を下げるというのは、幻想でしかなく

謝った次に問われるのは「誠意」という代物である


誠意って何でしょう?

謝っても「誠意」が感じられないと言って

どんな言葉で謝罪しようとも、許す事が無い

誠意って「胸を切り開いて」見せられるものでも無し

そこで、誠意を具体化することが要求される

それが「倍賞」「慰謝料」というものだ

では謝罪を省いて、「釈明」だけにして「誠意」

という名の「慰謝料」「倍賞」だけで人は納得

するのかというと、それも絶対ではない・・

「カネやモノではない、誠意を持って謝罪しろ」

となってしまう(笑)

じゃあ どっちなの?


自動車部品のT社が「謝罪」しても、それではダメ

と言い、倍賞をしても制裁を課す国がありますが

欧米諸国は「誠意」が基本の習慣なのでしょう

誠意=カネ が21世紀の常識なのです

謝ってもらっても「腹は満たされない」

これが現実かもしれません


さて、日本には「土下座」という文化があると

言われています

これって日本人は間違って覚えている文化

なのです

土下座ってどう言うモノか、調べてみました

ウィキによれば・・・

【土下座(どげざ)とは、土の上に直に坐り、

平伏して座礼を行うこと。

日本の礼式のひとつで、本来は極度に尊崇高貴

な対象に恭儉の意を示したり、深い謝罪や請願の

意を表す場合に行われる】


【相手に向かい正座した上で、手のひらを地に付け、

額が地に付くまで伏せ、しばらくその姿勢を保つ】


申し訳ないが・・・大笑いさせてもらった

日本人の文化がこんな形で捻じ曲げられているかと

思うと・・・哀しくなってきます

では土下座とは何なんだ! といわれるでしょう


説明しま~す

日本において「土下座」とは、明治までは

宗教儀式として行われるか、高貴な人に

向けて行われていたもので、恭順や畏敬

の念を表すものだった

さらに、日本人が土下座をするようになったのは

「江戸時代」からなのです

「土下座」という言葉すら、江戸時代からであり

古代の日本人は日常的に土下座はしなかった

江戸時代の土下座とは、「下座」することだった

「下座」?

大名行列が通るときに、行うのが「下座」であり

【低いところに下りて、うずくまる】 ことが下座である

膝を突いて手を地面につけるなんてぇのは、誤解

なんです

今で言うところの「ヤンキー座り」みたいなもので

よかったのである

もちろん「体育座り」でもけっこう(笑)


日本の時代劇に出てくるシーンを思い浮かべ

殿様の前に両手を付いて、頭を畳にこすり付ける

姿を表現すれば、「平伏」というのである

下座はあくまでも「低い所に下りる」のであり

土下座は「地面に降りる」ことなのである


さらに、下座しなければいけなかったのは

【徳川将軍」【徳川御三家】【徳川家から嫁いだ姫】

この三通りしかなかった

それ以外の大名には、道の脇に寄る程度の事で

構わなかったというのが事実である

時代劇の脚本家の無知ゆえか、見た目だけ

を追求した「見栄え」の為せることなのか

徳川時代に描かれた資料にも、「紀伊家」の

大名行列の様子が残されていて、武士や

役人は平伏しているのだが、町人はみんな

「ウンコ座り」をしている(笑)

申し訳ない・・・言葉が悪いですね

正確には「蹲踞(そんきょ)」して

行列を見物と言うか、眺めている姿が

描かれています

庶民にとって「下座」「土下座」とは

たんに「しゃがむ」事でしかなかった


「土下座に曝される」という言葉が実際に

明治時代の新聞に載っていたといいます

土下座とは「単に地面に座る」ことの証明

といえるかもしれません


日本人は明治以降、土下座の誠意や畏敬

の念は薄れていき、昭和・戦後においては

土下座は「カジュアル化」されてしまい

誠意の対象には成り得なくなってしまった

だから土下座して謝罪しても、誠意を見せろ

という展開になってしまう

日本人の誠意がどのあたりを言うのか疑問

であるが、「平伏」「謝罪」くらいでは、誠意を

見せたことにはならないのだろう


私は「土下座」の姿を遠い昔に見た記憶がある

いや・・・土下座をした記憶があるというべきか

学校の廊下や教室を「雑巾がけ」した光景

まさに膝をつき、両手を床につき、土下座に近い格好

をしていた

手で雑巾がけをすることを、日常の教育とされた

今の老人達が、教育者や経営者として生きてきて

土下座に抵抗感が無いのも、幼少の教育の

産物かもしれない


庶民の土下座は日本の文化ではない

戦後日本、それもつい最近の日本人が安易に

謝罪のパフォーマンスで行っているだけのもの


土下座を強要するというのは、「ハラスメント」

であり、誠意を表すものでなく、当人の心情など

測る事などできないのだと思っている。


古代人は「神」の前に、額ずき手を突いて

畏敬の念を表現した

土下座のルーツは神に対する尊崇の心情を

表す「儀礼」だったのである。

人間に対し「土下座」することは・・・

【神】を冒涜する事であるのかもしれない。

                    
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No title

長屋の爺さま、はじめまして。
「謝罪と土下座の文化」、楽しく読ませていただきました。

私の幼少時代(もう40年近く前です)の記憶ですが、正月や盆に母方の実家にて手みやげを渡す父に「気を使っていただいて!」と土下座する祖父に対して「つまらない物ですが」と土下座する父、というまるで儀式のような光景を、帰省のたびに目にしていました。幼かった私はいつもそれをぽかーんと眺めていましたが(結構長い時間がかかるのです)あれはなんだったのでしょう。

いつのまにかあのような文化はなくなってしまったように思います。

2015/02/25(水) |URL|ご〜ご〜ひでりん [edit]

初めまして

こんばんは

昭和の時代までは確かに、何処でも観られた光景でした

この場合、お父さんとお祖父さんのやり取りは、土下座ではなく

平伏していたのだと思います

誠意ある行い(土産持参)に対し、真摯な気持ちからお祖父さんは

誠意に対し誠意で応えようとしていたのでしょう

立礼より「平伏」のほうが、より強く「心情」を表す事ができる

きっとお祖父さんはそう考えたのかもしれませんね


古代では神さまに対し「平伏」することが土下座でした

神さまにしか行わなかった土下座

それを「土下座して謝れ」はとんでもない「かん違い」です。

2015/02/26(木) |URL|長屋の爺  [edit]

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