不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  江戸は誰が名づけた・・ 

風邪の具合が最悪・・・

喉の痛みがちっともなくならない

肘の具合も同じ状態、「テニス肘」らしい

ポンコツだから仕方が無いのだが・・・


江戸

何気なく当たり前のように使う「江戸」という言葉

どうして江戸と言うのか?

爺のくだらない疑問の虫が動き出した(笑)

ウィキによれば、

「江戸」という地名は、鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』が

史料上の初見で、おおよそ平安時代後半に発生した

地名であると考えられている。

地名の由来は諸説あるが、江は川あるいは入江とすると、

戸は入口を意味するから「江の入り口」に由来したと考える

説が有力である

11世紀に秩父氏から出た平重継(江戸重継)は、

江戸の桜田(のちの江戸城)の高台に居館を構え、

江戸の地名をとって江戸太郎を称し、江戸氏を興す

と記されている


さて・・・どう考えればよいのか

平安という時代が本当なら、「良い場所」という

意味合いで「吉土(えど)」「恵土(えど)」だろうか

鎌倉以降なら「衛努(えど)」「衛堵(えど)」

「枝徒(えと)」だろうか・・・

誰かが名づけたのだろうが、その真意までは

分からないのである


「え・と」、え(兄)と(弟)の意味である

「え」とは、お前(相手)を表したり、できるという

意味もある

「と」は動作の相手を表すとされ、~と共に

などの意味である

飛躍すれば、 貴女(貴方)と共にとなる


さらに「と」は【外】でもある、都から遠く離れた地は

政(まつりごと)の外、都から遠く離れた未開の土地

に暮らす者たちの領地であった

秩父氏という中央政権から外れた貴族の末裔

腐敗と陰謀の渦巻く京から遠く、穢(ゑ)の外(と)

にあやかった、なんて言うのも面白い・・・。


徳川家康は1590年、小田原攻めの論功行賞で

北条氏の旧領を基に伊豆・相模・武蔵・上総・下総の全域

、上野の大半及び 下野の一部を、居城を江戸城と

することが秀吉によって決められた

秀吉は徳川家康をどうして江戸の地に留めたのか?


私は「えど」だったからではないか・・・

そんな思いがしている


本来は「政治的」「軍略的」理由からだとは

思うのだが、秀吉の心の中に「厭離穢土」の

旗印が浮かんだのかもしれない


穢土=江戸


小田原でもなく、鎌倉でもない・・・江戸

小田原氏の「後釜」としてではない事を露骨に

表している

秀吉が家康の潜在能力を過小評価していたか

これがあったからこそ、家康の「全国統一」が

成し遂げられた可能性もある

塩分が強く「飲み水」すら乏しい「江戸」の地に

家康は「厭離穢土 欣求浄土」の思いを

膨らませたのかもしれない




平安時代以前にこの地を「エド」と名づけた者

エドは蝦夷(えみし)の支配地の入り口であり

蝦夷の地への入り口(戸)、夷(い)戸(と)だった

私には平安よりずっと以前に、そう呼ばれていた

ような気がするのである。

                  
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