不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  私の「二者択一」の古代史 

私の自論に「女性天皇は虚説」というのがある

どうして日本だけが「女帝」を選択したのか

この問題に関する通説に説得力が無いと思っている

天皇に「何かが起こったとき」は皇后が即位する・・・

はっきり言って、平安時代の「後出しじゃんけん」に思える


第33代 推古天皇の即位の経緯が胡散臭いのである

この時代の皇位継承候補は複数存在した

中でも「血筋」「見識」「素養」どれをとっても抜きん出ていた

厩戸皇子が健在だった

その太子を差し置いて、歴史上初の女性天皇に就くなど

理解しがたいのである

そこで「魏志倭人伝」の記述が引っかかる・・・

倭のオオキミの姓は「阿毎(あま・あめ)」で

後宮に美女600~700人とあり、間違いなく

男帝だったという事になる

推古天皇は554年に生まれていて、即位したのは

39歳の時である

その時【厩戸皇子】は19歳~20歳で、推古天皇が

即位すると同時に、「皇太子」兼「摂政」に就いている

厩戸皇子は推古天皇の兄(用明天皇)の皇子であり、

全てにおいて申し分ない状況であったのに、即位できな

かった理由が不可解である

若すぎるなら政治総てを任せるはずが無いし、逆に言えば

それほどの技量があるなら、天皇になっても不思議は無い

という理屈になる


別の角度から考えれば、どちらかが虚偽(偶像)という

ことも考えられるし、両方虚像とも考えられる

何せ、藤原が編んだ「正史」なのだから、造作も無く

でっち上げる事は可能だろう

日本書紀ですら、44代元正天皇という内親王でもなく、

皇后でもない女性が天皇に即位した前代未聞の時代に

完成したのだから、捏造・改竄など造作も無い事

かもしれない



推古天皇が実在の天皇なら、厩戸皇子(聖徳太子)は

虚像ということになり、厩戸皇子が実在なら推古天皇は

虚像もしくは男性天皇だったことになるのである

なぜそんなことが史書に記されていたのか・・・

その後の女性天皇、皇極(斉明)天皇か持統天皇、

元明・元正天皇の即位を正当化するための、「前例」

を作るためだったと思っている

もう一つの仮説は、聖徳太子架空説である

出自の様子がまるで、キリストの生誕話を焼きなおした

かのようであり、十人の話を聞き分けたとか、天から

舞い降りたかのような「超人」と言われている

そんな「尊い貴人」が天皇に即位できなかったなど

信用しろと言うほうがどうかしている・・・。

その背景にあるのが、太子の皇子である「山背大兄王」

を蘇我入鹿が攻め滅ぼしたという通説に在る

それほど「高貴な太子」の息を理不尽にも死に追いやった

「蘇我入鹿」の大罪を後世に残すことであり、太子が「尊く」

あればあるほど、「蘇我」の悪者ぶりは歴史に刻まれて

いく事になるのだ

藤原鎌足・天智天皇→蘇我入鹿・蝦夷→聖徳太子と息子

「善」を滅ぼした「極悪」、その「極悪」を滅ぼした者は「賞賛される善」

そういう事になる

太子が立派で有ればあるほど、蘇我の悪者ぶりは大きくなり

その悪者を天に代わって「成敗」したのが「藤原の祖」と言う構図

だから藤原氏一族が「高位」を独占しても、天は許してくれる

そんなところではないだろうか・・・・。



古い時代から遡ってくると見えないものが、720年という時を

起点に古代へと戻っていけば、なぜ史書に記されなかったのか、

なぜこういう記述になっているのか、どうして即位できなかったのか

色々な事が見えてきそうである

全ての起点は「藤原の論理」からと思っている



ここに書いたことはあくまでも長屋の爺の「妄想」であるが

「歴史書」に書いてあるから事実なら、週刊誌や朝日新聞の記事も

事実になる時代が来てしまう・・・。

そんな偏屈な理由で少し暴走してみたいと思っています。

                    


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