不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  妄想 日本の女帝を考える 

ヤマト民族の眼は大陸を見続けてきた

その大陸とは「中国大陸」である

日本の文化や制度、いわゆる「国つくり」の手本は

大陸にあった

その中国では、国の頂点(トップ)に座るものは

男子で無ければならなかった

(則天武后という例外はあるが)

日本の制度・国つくりの基本的な思想によるならば

「女帝」は不可解そのものなのである

その最初は「33代推古天皇」ということになる

日本の史書に書いてあるから「事実」という視点から

視点を変えて「外(そと)」から見てみると、倭人伝には

女性天皇には一切触れていない事が分かる

範である大陸人から見て、「異常・論外」なことを

史書に残さなかったなど考えられない

《 書き残すのは恒ではないから遺すのである》

とりわけ不思議な事も無く、さして書き残す事は

日本のリーダーには見受けられなかった事になる

945年成立の【舊唐書(くとうじょ)】東夷伝の記述

「倭王の姓は 阿毎(あま)」とされている

《 隋書・東夷伝 にいうタリシヒコの姓は阿毎と同じ》

703年に粟田真人が唐に朝貢し、【日本国は倭国の

別種だが、倭国という国名はよくないので、日本にした


と記されている

これをどう判断するか、悩むところだが・・・

私の考える 推古天皇は女帝ではなかった とする

ならば、推古天皇に該当するのは【聖徳太子】であり

山背皇子(山背大兄皇子)の死によって、阿毎一族が

途絶えたか、文武天皇は【阿毎氏一族】とは違う血筋

だった事になるのではないか・・・

(第42代文武天皇 在位697~707年)

私の中では南北朝分裂以前に、奈良時代に大きな

天皇継嗣問題が起こっていた匂いを感じるのである

これを日本式の《易姓革命》と言っても良いかもしれない

識者が聞けば、何を馬鹿なことを・・・といわれるだろう



日本の正史が信憑性が無いなら、他所の国の史書を

参考に組み立てても不都合はあるまい・・・

なにせ「勝者が残した書」は利害が優先され、面目や

保身の為の記述は避けられないからだ

一方、同じ書でも面目も利害も発生しない「外国の史書」

には、偽る根拠が無いからである

律令制を大陸から学び、「大王(おおきみ)」と言う呼び名を

天皇(天之皇帝)とするくらいであるのに、女帝などという

タブーを犯すだろうか?

奈良時代の女帝は「捏造」であるか

若しくは、朝廷が分裂(並立)していた事も考えられる

根拠の無い妄想を暫らく考えてみたい・・・・。

                    
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