不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  長屋の爺のルーツは長屋 

60数年前、私は長屋で生まれました

4軒長屋でいわゆる「炭住(炭鉱住宅)」と言われる場所です

水道は各家庭に無く、共同水場という小屋があって

其処から天秤棒で運んで、水瓶を満タンにするのが子供たちの

役目だったのです

今のように家にテレビやゲームなど無く、勉強もせず家の手伝い

薪(まき)割りや石炭出し、水汲み、子守り、新聞配達のバイト

春や秋になると山に入り「キノコ」「山菜」「木の実」などを

採って来るのも子供の仕事でした

冬になるとなぜかクリスマス用の「モミの木」を伐り出しに行かされたり

家の前の雪かきは当然で、大きな通りまで歩く道を確保するのも

我が家の子供の仕事でした

障子の張替えの手伝い、布団の打ち直しの手伝いなどやるべきことは多く

子供といえど遊んでなど居られない時代でした


カレーライスは年に一度、クリスマスの夜に街に仕事に行っている姉が

帰省して作ってくれるカレーが唯一ですごい「御馳走」でした

当然ケーキなるものも、その日だけであり、外国の宗教行事であろうと私たち

子供にとって「特別な日」だったのです

節分はなぜか盛大にやって、普段食べられないような菓子類を、父親が

家中に撒いて歩くのです

その菓子を「蓋付きの缶」のなかに拾い集め、それから長い間自分達の

「おやつ」として食べるように各自が保管したのでした

バナナは遠足の時に一本だけ、メロンは病気になった時だけだったのですが

叔父が夕張で「メロン」を栽培していましたので、年に一度だけ一人半分

のメロンを食べられるようになったのは、今でも記憶に在ります


親類が雪*乳業に努めていて、訪れるたびに持参するチーズやバターなど

で我が家は乳製品には不自由しなかったと思います

(因みに私は牛乳・ヨーグルト、牛肉が苦手で今も食べられません)


言葉で書くと何やらほのぼのとした田舎生活に感じると思いますが

貧しかったのは想像を絶するものでした

小学校に入ったばかりのころ、我が家には米を買うお金が有りませんでした

詳しくは書けませんが、父が部下の使い込みの責任を取らされて、父の給料は

天引きされて0円だったのです

毎日「ジャガイモとカボチャ」・・・来る日も来る日も「白と黄色」

それ以来私は、好物は?と聞かれたら・・「銀シャリ」と答えています

何も豪華なおかずなど無くても、美味しいコメが食べられることが

何よりの贅沢・・・・

貧しいというのは、コメが食べられない事をいいます

新しい何かが買えないから貧しいのではありません

そういう意味からいえば、今の日本人で貧しい人は一握りです


私がジャガイモを口にするようになったのは家庭を持った後でした

四半世紀の間、ジャガイモが喉を通らないようになっていたのです

最近では「新じゃが男爵」が出回ると、「イモ団子」を作って食べます


どんな辛い過去でも・・・時間が過ぎれば笑い話にできる

たしかに、そういうものかもしれません


その日その日が食べられることが、どんなに素晴らしい事で

喜ぶべきことか・・・・

食べることが何よりも優先されるのが本来あるべき姿だと思います


現代は、衣 > 住 > 食

最新家電 >  遊興費 > 嗜好品 >三度の食事 

になっているような気がします


物と情報が氾濫していると言われていますが、まがい物・粗悪品・不用品や

業界の戦略に上手い事載せられ、流行と言う言葉に振り回されているだけ

私はそんな気がしています

人の生活にはそれぞれ違いがあるのに、同じものを購入して不思議に感じない

そういう人々が増えています

仕事で伺うお宅にも、この家族構成でどうしてこの品物を購入したのか不明な

ものが多々あります

テレビショッピングで「その気」にさせられたのかもしれませんが・・・(笑)


最近の日本人は、ちょっと考えることが「苦手」になってきたのかもしれません


映画やテレビドラマは、何から何まで説明し「見せて」くれるのが特徴で

考える時間も与えずに、次から次へと視聴者の脳に情報(映像)を送り込みます

その瞬間にQとAを的確に見せてくれるのですから、考える必要は無く

考える行為こそ「邪魔者」となります


日本人が考えなくなった原因は、映像媒体の進歩と読書の衰退です

本を読むときに、主人公のイメージは各読み手(読者自身)によって

違いが出てきます

ところが映像では美男子な俳優だったり、美人女優だったりするわけですから

個人のイメージも創造力も邪魔なだけです

家の描写一つとっても、個人によって微妙な差異が出るはずですが、映像は

視聴者の誰にも平等に、寸分違わぬ「モノ」を提示してくれます


私は原作本を呼んだ作品の映像(映画・ドラマ)は観ない事にしています

逆に映像を観た作品の原作本は読まない事にしています

だから比較することもなく、不満を口にすることも無く、楽しませてもらえる

偏屈な長屋の爺ならではと言う事でしょうか・・・


そのうち日本人は日本語の大部分を使わなくなっていくでしょう

語彙が少ないと嘆く日本人が多くなったそうです

日本には「話し言葉」「書き言葉」「尊敬語」「丁寧語」「謙譲語」「ヤマト言葉」

「熟語」「慣用句」など、日本人として知っておくべき言葉が山ほどありますが

その多くは「紙媒体」から様々な知識を得るのが一般的です

難しい専門書を読まなくたって、日本語を正しく使っている書物は多くあり

日本語を丁寧に正しく使っている作家の本は読んでいて飽きることが無い

のも特徴です

映像とともに流れてくる言葉が解らなくても、映画・ドラマを観終わるのに

不自由は感じません

ところが小説で意味の解らない言葉が出てくると、それが解らなければ次の

頁に集中できなくなることが有ります

ではどうするか?

辞書を引いたり、ネットで意味を調べたり・・・・そうやって、言葉を覚えて行く

私が普段心がけていることなので、それが正しい事かどうかは分かりませんが

少なくとも10年前の長屋の爺より、日本語を多く知って、多く使えていると

思っています

テレビが悪いとは言いません

映画を侮辱するつもりもありません

もうすこし 自分自身の頭で小さなことでも良いから、考える習慣にしたら

違った世界が見えてくるかもしれない・・・

そういう事だと私は思っています。
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