不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  長屋の爺の持論 

本来なら台風一過の秋晴れになるはずだが、秋雨前線の影響から

どんよりとした一日になり、今日はまたしても雨・・・

雨が嫌いではないとは言っても、降り過ぎるのは考え物ですね


読者の方は「ブログを止めて、爺は何をして暮らす?」

そう思っているかもしれないですが・・・

私は十数年前に一度ネットから引退した身です

そんな爺が懲りもせずネットに帰ってきて、また去ろうとしています


私は人生に対し欲張りな性格の持ち主なのか、何でも経験しないと

気が済まない「癖」があり

あれも一度やってみたい、これも経験してみたいという思いが強く

飽きっぽいのとは別の「経験主義者」だと自分で勝手に思っています



そんな爺は落ち着いたらもう一度【木彫】、【模型造り】、【写真撮影】、【切り絵】

【版画】、【写経】と妄想は際限が無く、何でもやってみようと息巻いています


今読んでいるのは【禅】、【禅宗】、【日本語】、【漢字】に関する書籍ばかりで

古代史はしばし休憩中です


漠然と待っていて得た知識、情報はなかなか吸収できない性分で

自ら欲して得る情報・知識は乾いた身体にどんどん吸い込まれていく

そんな気分でいます

それが身になるかどうかは、また別の話なのですが・・・



経験が無駄になる事は無いと、私は信じていて

「芸は身を助ける」と言うそうだが、さしづめ「経験は身を助ける」

と言う事だろうと思っています

とは言うものの、私は人生の歩み方が不器用で数々の失敗や

挫折を経験してしまいました

「もう少し利口に振舞えたなら、しなくてよい苦労は少なかったのに」

そんなアドバイスをもらったこともあるが、不器用な生き方しかできない

長屋の爺は反省も後悔もしていないです(笑)




人生は産まれた時が「スタート」で、死ぬ時が「ゴール」である

これは人間であれば、人種も性別も国籍も関係なく定まっていることではないでしょうか

ただし解っていることはスタートの時期だけで

ゴールは誰にも見えない事だと思っています

人によって短距離であったり、長距離のような人生もあり

これは自分では決められない【ルール】といえます


一つだけ不変なのは必ず全ての人間はゴールを迎えること

そういう意味からすると、何処にゴールがあるか考えずに人生を歩むのが

人間と言う生き物なのかもしれません


10年の人生とは知らずに過ごすのも、70年の人生と知らずに過ごすのも

だれにも分からない事であるから、人によっては「明日があるさ」と今日を

無意味に過ごしたり、明日にも人生が終わるが如く「生き急ぐ」人もいます


しかしどう生きても人生であり、その先には必ずゴールは存在するのです

そのゴールである「死」について考えたり、死を想定することは

意外とタブーにされている気がしています

そのゴール(死)を不吉だとか悲しみの種と思い込み、意識しない事が

良い事なのかどうか・・・私にはわかりません


ある日突然目の前に現れるかもしれないゴールがあると自覚し

日々を過ごすのは容易なことではないですし、私にそれができるかと

問われても自信を持って「過ごせます」とは言えません・・・

だが、その日は誰にも必ず来るのが現実です


自己中心的な人間は否定されるが、その自己中の向く先に在るのは

他人である


私は自分に向かって「自己中心的」になろうと思っています

自己中心に振舞うのは相手にではなく、自分の気持ちに対し「自分が」

「俺が」という主張をしたいという意味で・・・

何とも上手く説明できないですが、自分に優しく、自分に厳しく、自分と言うものを

大切に、許してあげる生活とでも言うのでしょうか・・・


最近街で見かける若い子たちは、まるで金太郎飴のように髪形も服装も言葉遣い

も同じような人ばかり・・・・

人と同じでなければ「ヒトでは無い」と思っているかのように周りに似せて生きてます

社会や自分の周りばかり意識して生きることが楽なのでしょうね

自分という存在が何処にあるか理解できないのか、あえてしないのか・・・・

現代人は自分を観ることより、他人ばかり意識して生きている気がします

自分より他人を意識していて、他人と違う事に意識が向けば当然似せようと

考えるのかもしれませんが

同じ色 同じ匂い 同じ形の中にしか住めなくなった現代人

他人と違う事がまるで罪でもあるかのように・・・・




私は引きこもる若者を強くは否定しません

金太郎飴の世界、クローンばかりがもてはやされる世界に嫌気がさしても

当然だと思っているからです

(単なる怠惰な者 その環境に甘えている者は別ですが)


今の若者は自分で自分の人生を決められないのかもしれませんが

人と同じことを続けていても、その先に在るゴールは各々違っていることに

気づいていないのでしょう

自分に自信が持てないのではなく、他人と同じになるしか術を知らないから

他人と「つるんで」生きるという楽な道を選んでいるだけかもしれません


世間という言葉が有りますが、私は世間というものを観たことが

在りません

世間は何処に行けば観ることができるのでしょう

私たちが常に意識している世間という物の正体は何でしょう


私も正確には分かっていませんが、世間というのはギルドのような

モノではなく、自分が勝手に作り上げた仮想空間のような気がします



私が思うに、世間という空間を意識したときから、人は自分を蔑(ないがし)ろ

にして自分に冷たく、他人に優しく接しようともがいている気がしています

自分に優しくできない人間が、他人に優しくできる道理はないのですが・・・



自分に優しく 他人に厳しいのは 理に適っているとは思いますが

ただし・・・意識の上で、言葉の表現での話だけでしょう


理解してもらえるかどうか解りませんが・・・

外に向かって自分に甘く、他人に厳しいのはお門違いであり、自分に

対し他人より自分を大切に思う事は至極当然のことだと思っています


私はボランティアとかチャリティーが苦手で

ユニセフなんて偽善の塊だと思っている変人です

動物愛護と言いながら、ケンタッキーを頬張る人間が哀れであり

ベジタリアンと豪語する人間が植物という命を口にするのを軽蔑しています



現実でも世間や国のために自分を粗末にする人など居ないでしょうし

職務や責任感・誇りという言葉で自分自身を律するのも、きっと深い理由が

在るのかもしれません


名誉や誇りだけで人は生きていけません

自分に生きる糧である「ご褒美」を与えなければ、生き続けることはできないでしょう

食べることが何よりも優先されるのは、自分にご褒美を与え自分に優しくすることと

同じだと思っています

自分が大切だから明日のために「モノを食べる」

自分がどうなっても良いなら、食べることを止めても差し支えないことに

なるでしょう

食費を削って他人と同じものを買い、同じ格好をする人間は自分という

存在に対しとても失礼な事をしていると思っています


お米を最低価格のものにして、一円でも安い隣町のスーパーまで行き

浮いたお金で「高い外食」をする日本人・・・・

月に一度の散財のために、毎日を軽視して自分に優しくできない日本人

これが日本製品が売れない原因にもなっています


安物が似合うと思っていますか?

中国製の安価で粗悪なものが自分に相応しいと思っていますか?

本当に不味いお米で満足していますか?

外食する金額のほんの一部で、一月美味しいお米が食べられるように

なります(計算してみてください)

これが世間を意識した大きな「害」だと思っています


「安い」「お得」「儲かる」は日本人が観ていると思いこんでいる「世間」という

ものから発信される風聞でしかないのでは・・・

私にとって安い高いの判断基準は、自分が納得できるかどうかであって

世間がどう言おうと、自分が納得したらそれが「適正価格」で、どんなに

評判が良くても、自分が納得できなければ「不適正価格(高い)」となります


簡単に言うと、もっと自分に対しご褒美を与える生き方がしたい・・・

そう考えている長屋の爺なのです。


* 念のため、これは私の持論であり、人はそれぞれ考え方が有ります

 私は他人がどう考えているかを問うているわけではありません

 コメントに持論を書かれても、お応えする事は無いと思います。
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今晩は

1000回でブログを休止なさるとのこと、
残念ですが、人様にはそれぞれのご都合がありますものね。
ブログはこのままになさっておいてください。
(できれば)

時々、見に伺います。
みこ様を見に来ます。
みこ様だけでも時々Upしてくだされば
嬉しいのだけれど。

それから今まで見る度に思って、
言わなかったことがありますのです。
「花はそっと咲き・・・」の方ですね。
あの黒ネコちゃんが、うちの近所にいた
野良猫ちゃんとそっくりで。

どこぞで御飯をもらったり、顔を見れば
私も何くれとなくあげて、
冬には家に入れて上げていました。
どうも腎臓が悪いらしくて、相談の結果、
動物愛護協会で引き取ってもらいました。

面倒見がいいんですよ、日本の愛護協会も
そうですか?
悪いところは治して、よく診てくれます。
広大な土地に沢山の獣医さんつきで
心配なく暮らしています。

美男子ノラちゃんでした。
どうも、持論ではないけれど私事でした。

みこ様だけでも時々見せて下さると嬉しいな。
休止なので、終止ではないでしょう。
ブログはこのままになさっておいてください。

2016/09/25(日) |URL|ミルティリおばさん [edit]

米は込めて

お早うございます
(嘘、うちょ本当は25日20時)
おいらが小学生のサッカークラブの
コーチをしていたときです
夏には赤城しぐれとか
冬にはラーメン屋とかが談笑に使われました
ですが
一番驚かれたのは私も驚いたのは
お味噌のおにぎりでした(家内が作りました)
内には(なかには)
こんなに旨い飯は食ったことがない
などと云う子も

梅干は贅沢かも知れません
米は塩が似合いましゅ
あはは

2016/09/25(日) |URL|はしびろこう・ウナ [edit]

はしびろこう ウナさんへ、

お味噌のおにぎり、味噌むすび、
美味しいですね。
今はとんと食べられませんが、
母の味噌おにぎりが美味しかった!

味噌柏餅も美味しいです。

サッカーをなさるのですね。
ポジションはどこでしたのですか?
甥が野球監督しとります。

これからスポーツの秋!ですね。

2016/09/27(火) |URL|ミルティリおばさん [edit]

何も決めてはいません

ミルティリおばさん こんばんは

1000回を区切りに更新はしないと決めたのは事実ですが、その後どうするかは未定のままです

当分の間ブログはこのまま放置することになりますが、どうするかはまだ先になります。

申し訳ないですが、ミコの写真だけをUPするかは確約できません

黒い猫は以前飼っていた「やまと」という黒猫です

脱走した翌日に交通事故で天に昇りました。

2016/09/27(火) |URL|長屋の爺 [edit]

貧乏と贅沢の基準

ウナさん こんばんは

貧乏という言葉が死語になればいい(笑)

贅沢は敵でもなく、批判するべきものでもない

自分はどうあるべきか、が大きな問題だと思います

「価値観は共通しないし共有できない」

偏屈な爺の持論ですが、感謝を忘れた日本人を顕著に観ることができるのが、「お米」を粗末にすることだと思っています

2016/09/27(火) |URL|長屋の爺 [edit]

Re: はしびろこう ウナさんへ、

> お味噌のおにぎり、味噌むすび、
> 美味しいですね。
> 今はとんと食べられませんが、
> 母の味噌おにぎりが美味しかった!
>
> 味噌柏餅も美味しいです。
>
> サッカーをなさるのですね。
> ポジションはどこでしたのですか?
> 甥が野球監督しとります。
>
> これからスポーツの秋!ですね。


些末な事ですが一言・・・此処は長屋の爺のブログのコメント欄でして

掲示板でもありませんので、ウナさんのブログにてお願いいたします(笑)

2016/09/27(火) |URL|長屋の爺  [edit]

失礼いたしました

こんばんは
聊か焦りがありました
なにかブログを休まれそうで・・

ペースを落としても短文でいいのですので
更新をしていただきたいと思います

愚にもつかぬコメントを入れてしまいました
すみません
ちと
返信が違うなと思いましたが
長屋の親父殿ではありませんでした
間抜けなおいらは今、気がつきました
あはは。

2016/09/28(水) |URL|はしびろこう・ウナ [edit]

失礼いたしました

8私もエントリ違いでしたが、
止めてしまわれそうで、
気がはやりました。

ウナさんが仰るように
短文で更新速度を落とされて
お続けになったら、、、、、

勝手ながら短文は読みやすいです。
長屋殿のブログは、内容と照らして
過不足ない長さではありましたが。

2016/10/02(日) |URL|ミルティリおばさん [edit]

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