不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  万世一系を考えてみる  

歴史の一つの事柄を観るにも、観る角度、位置、基準によって

千差万別の見え方があるのかもしれない


私を含めて日本人が【万世一系】というものをどれだけ理解し

自分なりの考えを持っているのかを知る機会はきわめて少ない


一般的に「万世一系」といえば、天照大神を祖とした家系(血脈)が

代々続いていると言う概念である

これについては肯定も否定もできない事はハッキリしている


このブログで何度も書いてきた「その時代、その場所に立ち会う」ことでしか

歴史の真実を知る事ができない最低条件だからである


その時代の人間が書き残した文献ですら、個人の立場、基準で書いている

のだから、公平・公正、そして真実とは言い難いのである


話を戻すと・・・

万世一系というのは、あくまでも神話の世界から続いてきたという「大前提」

が基準になっていることを、私たちはきちんと認識しなければいけない


だが、どの家庭・家系でも「嫡流」というものと、「傍流」というものがある

平たく言うと、「本家筋」と「分家筋」という事ができるのだ


日本の皇室は「婿養子」は居ないという歴史になっているのだから

あくまでも「本家・分家」の基準で考えてよいと思う

どうしてこんな事をいう?

南朝・北朝というものが、かつて存在したことはご存知だと思う

この南朝系・北朝系というものも、見方を変えれば本家・分家という

ことがいえるのではないか

いまの天皇家は北朝系と言われているが、これが正しい皇統かどうかなど

議論する意味も無いが、明治からは南朝系だという説もある

これが事実なら国内での小さな「易姓革命」かもしれない(笑)


日本は歴史的な基準に照らしても「易姓革命」は起きていないが

男系男子での皇位継承は残念ながら途絶えていたと言う事ができる


だが歴史を振り返ってみても「一夫多妻制」の歴史において、嫡流など有って無きが如し

権力の後ろ盾がなければ、年齢も嫡流も意味をなさなかったのが歴史事実である


日本の皇室には断絶の危機が何度かあったと言われている


史書によれば・・・第26代 継体天皇は傍流も傍流、応神天皇五世の孫という

それも越前の三国に住んでいたと言うのだから、皇統だったかすら不明に感じる

宮廷のだれが、その人物を応神天皇の子孫だと言いきれたのか大きな疑問だ・・・

(21世紀の現代、内親王が替え玉・影子と噂されていることでも推測できる)

この時点で、皇統が断絶して、血統が変わっていた可能性は否定できない

なぜなら、日本の臣民のうち、何人の人間が天皇の素顔を観ることができたのか

そういう事からも、権力者たちによる統治とは如何様にもでき得る可能性が高かった

ということになるのである (疑い出したらきりがない事は承知なのだが)

*あくまでも可能性の話であることを承知してください


私は皇統が変わった可能性があるのは、第29代 欽明天皇の時代から

それも、何代にも及んで起こったのではないかと勝手に思っている

大雑把に言うと、欽明天皇から天武・持統天皇の時代である

欽明天皇の時代は仏教が入ってきた時代であるが、このころは未だ

「天津神」という認識が定着していなかったと思っている

この時代では八百万の神、つまり「地祇(くにつかみ・ちぎ)」が皇室の

信仰する神だった

天皇が仏教を導入しようか迷っていた時、群臣たちは「地祇」の怒りを

たいへん怖れていたと言われている


天皇が天津神の末裔なら、地祇(国つ神)の怒りより、天つ神の怒りを

先に心配するはずではないだろうか・・・・

この時代は皇祖神・アマテラスという概念は無かったと思う根拠でもある


この後は仏教推進派と廃仏派の激しい権力争いが繰り返され、その影響から

皇位継承問題も「きな臭い」事件が頻発していて、どこまで信じてよいか判断できない

ような皇統史なのである


とくに私は第32代 崇峻天皇の暗殺によって、即位したわが国最初と言われる

女性天皇 推古天皇 は捏造だと考えている

一連の事件で活躍したとされる用明天皇の皇子・厩戸皇子が推古天皇の即位と同時に

摂政に就いて「政務」を取り仕切っていたと言う事に不可解さを感じている


皇統男子、万世一系と言うなら、能力もあり年齢的にも問題の無い厩戸皇子の

ほうが天皇の妃より、適任者だったと誰しも感じるはずだ・・・・

何か不都合があったなら、摂政になど指名されないだろうし、政務を取り仕切る

ことも適わなかったと考えるのは当然ではないだろうか・・・

*日本で最初の女性天皇は持統天皇だったと言う根拠でもある


なぜ私が皇統が変わっていると思っているのか?

それは、それまでの天皇が仏教導入に関して、慎重・中立だからである

欽明天皇から崇峻天皇までは、明らかに仏教を推進する天皇は居なかった

ところが、推古天皇の時代からは仏教が導入され、皇室に深く根付いて行くのである

神の子孫である天皇家が仏教に帰依する発端は別の意味で皇統が変わったことを

意味する可能性があると私は思っている


欽明天皇の直系と言っても、敏達天皇系と用明天皇系があり、どちらが直系なのか

一概には言えないが、崇峻天皇・厩戸皇子は用明系であり、後の舒明天皇・天智天皇

は敏達系なのである

つまりはどちらか本流で、どちらかが傍流だったという見方ができる

大きな皇統の中の小さな流れに明らかな変化(血の流れ)が見えた瞬間である

( 私は天皇の血統だけでは無く、皇后の血統も大きな流れを変えることを含め

皇統が変わると考えている )


私はこの時点で、大きな括りで言えば、天皇家は神道から仏教へ宗旨替えをしたと考えている

今のような皇祖神を主体とした「皇室神道」は、持統天皇の時代から始まったと

強く感じているのであり、なぜ皇統が変わっていると考えるのかは、次の時代の系統がすんなり

皇位継承ができず、皇后が即位したことが一番の理由なのである


嫡流(直系)にしろ傍流にしろ、皇位継承に何ら問題が無ければ、誰かが即位したはず

それができずに前代未聞の皇后が即位して、重祚だとか、「称制(しょうせい)」を行ったなど、

捏造どころか滑稽な論理にしか聞こえないというのが私の自論だ

正当な皇位継承なら人臣たちが皇位に押し上げるだろうし、それがなされなかったところに

見えない謎のようなものがありそうである


その混乱を逆手にとって、皇祖神を男神から女神に変更し、形の上での「神道」を

中心に皇統を奪取したのが持統天皇と不比等だったのかもしれない


それまで神社という「施設」がほとんど見られなかったヤマトに、皇祖神を頂点に

神社信仰という新しい信仰形態を構築し、天皇という存在(チカラ)を定着させた

素晴らしい発明だったと考えている



アニミズムから仏教、そして仏教&神社神道という形で、この国を統治する形が

作られてきたと、私には思えて仕方がない・・・・


天皇家が代々血がつながっていたかなど、日本人は知っていたのだろうか?

現代ですら夫の子供と言われていた子が、実は別の男性の子だった・・・

そんな話が21世紀にもあるのだから、天皇家の血のつながりなど詮索しても

意味の無い事に感じてしまう (古代の男女の性の事情はおおらかだったという)

私は血がつながっていたかどうかなど大したことではないと思っていて

日本人にとって天皇として「相応しいか否か」が本質に在るのであって

天皇家に血統という言葉がふさわしくなく感じて、皇統という言葉を

常々使っている理由でもある

日本人が8世紀ころから信じてきた(信じ込まされてきた)天皇の祈りこそ

日本人が天皇を崇拝し、日本人の誇りにしてきた「心の柱」だと・・・


ここで、私の長年の疑問を書いてみたい

日本人は天皇が、誰にどんな祈りをささげていると考えているのだろうか?

アマテラス(天照大御神)でしょうか・・・

八百万の神 でしょうか・・・・

八幡神でしょうか・・

オオクニヌシの神でしょうか・・・

ぶっちゃけた話、私たち日本人は漠然と「神に祈ってくださっている」 と考えている

というのが本当の処ではないですか(笑)


天皇の祈る相手(神)が誰という限定をしないでも、天皇を信じられる日本人

これが日本人の日本人たる所以でしょう


私たち日本人の考える神々の向こうに在る存在

自然と共に生きてきた日本人の「感謝と畏怖」の心の対象

そう・・・【精霊】ではないかと私は考えています


モノ皆 神が宿る世界、それが日本という国であり、その神々に祈ってくれている

存在が天皇だと信じ込む日本人

その日本人の頂点に在る天皇の資質に疑問を感じている

赤子(国民)のために祈らない祭祀王が必要なのか、認めて良いのか・・・・・

それが今回の騒動の「根本」だと私は感じています。

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