不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  天皇と新嘗祭 


宮中祭祀の基本とは何だろう?

神に祈る・・・皇祖を祀る・・・八百万の神を祀る・・・


私が知る宮中祭祀の基本とは・・・

人はみな神によって生かされ、食によって命を繫いでいる

そういう真理に基づく【食儀礼】のかたちであると考えている


我々の身近にある神社祭礼で、どうして供物(米や魚貝・酒)を供えるのか

それは神前に命の糧を供え、それを参列した人(氏子)がお下がりを

いただくという【神人供食】の儀礼の形だからなのである

これは我々一般人も天皇も基本的には同じ形をとっていることになる


天皇が毎年11月23日に執り行う【新嘗祭】で、神前に新穀と新酒を

奉げ、自ら食する儀式が【神人供食】に沿ったものであることは理解できる

神によって生かされていると言うのは、米や魚などを食することによって、命を

つないでいること、神さまと同じものを食するという観念、結果としてその食は

神さまから頂いたものである、という事を基本としているのだろう


では天皇はその食儀礼で、いったい何を祈っているのだろうか・・・

神社の神官が「祝詞(のりと)」を上げるのと同様に、神官のトップである天皇も

祝詞を奏上する


これを 【申詞(もうしことば)】 といいます

これは建前としては【天皇直伝】ということになっていて、天皇が存命ならば

直接、崩御後ならば天皇の御傍に仕える神官が次期天皇に伝授します

実際には直接教えることなどほとんどないと思われますが、後鳥羽上皇が

子である順徳天皇に秘儀について教えたことが記録されています

作法は御付きの神官が、申詞は奉書に書かれている物を「読む」ことに

なるのでしょう・・・

読める、読めないを心配することも無さそうで、「るび」さえふってあれば

あとは「抑揚・調子」さえ乱さなければ、誰が見ているわけでもなく

閉ざされた空間での出来事であり、「無事完了」は決定事項と言う事になる


その申詞から解る事は、天皇は常に「国中平らかに安らけく」と祈る立場であり

本来自分や身内のために祈るものだが、日本の天皇は私心を捨て日々どころか

常に国のため、国民のために祈りをささげていることになるのです



それも・・・だれも観ていないところで



観ることもできない天皇の祈りをどうして日本人は信じているのだろうか?

それは日本の天皇は「私心」を捨て、会ったことも無い国民のために、日夜

「安寧であれ」「安らかであれ」「命をつないでくれ」と祈っていると、信じているから

敬うこともでき、信頼を寄せ、誇りに思っているのである



その天皇が、「身内が・・・」「残された家族が・・・」 と私心を表に出すとは

考えもしなかったので、今回の騒動になったということでしょう


なぜ天皇は天皇としてこの国に君臨してきて、政治が変わっても、閉ざされることなく

脈々と「天皇家」を繫いでこれたのかは、この国のために国民のために、「私心を捨て」

ひたすら祈ってくれているという、信頼・尊崇が基盤にあったものと思っています


そういう意味で考えれば、今の天皇(実際は皇后)は 国民<長男家族 という事になる

そんな天皇を信じろ、敬えといわれても、信じるべき「心の柱」を欠いたままでは

如何ともしがたい状況なのではないだろうか・・・


何事も無く時間が経過すれば、日本の法律では皇太子が次期天皇に就くだろう

象徴天皇の公務と言うが、2年前の新嘗祭も秋篠宮が代理を恙なく勤めた経緯もあり

祭祀以外の公務は摂政を立てれば、何も問題など無い話なのだ・・・


皇室典範を変えようとするのは、皇太子をすぐに天皇にすることでは無く

そのあとの天皇に「女性天皇」の道を開きたい思惑が透けて見えているのである


それが解っているから、政府も腰が重いと言う事ではないか?

やり方を間違えれば、皇室制度そのものが消滅する忌々しき問題だからこそ

国民が冷静に天皇家と皇室制度、過去・現在の皇室の現実を知っておく必要が

あるのだと私は思っている。




申詞(もうしことば)


伊勢の五十鈴川の河上にます天照大神、、また天神地祇、諸神明にもうさく

朕(ちん)、皇神の広き護りによりて、国中平らかに安らけく、年穀豊かに稔(みの)り

上下を覆寿(おお)いて、諸民を救済(すく)わん

よりて今年新たに得るところの新飯を供え奉ること、かくのごとし
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ごこくほうじょう

お早うございます
日教組は日本人が憎くて堪らないのかも

今の小学生は『にいなめさい』を読めません
勿論書くことも・・・・
これは習わなかったからと誰もが思いますが
違います
知らないことを知ろうとする『思考』が育っていないからです

俺、もといわたくしは小学の高学年のころと
中学の頃が一番頭が良かったと思われます
知らないことに出会い
紐解くことに夢中だったからです
学び習うと書いて『学習』と読みますが
それに『体感』が寄り添っておりました・・・いつも
『痛い』という字を知りその意味を竹刀が・・・
腕の青あざをもって『竹刀』が教えてくれました土佐
あはは・

昔の人は偉かった
『暑さ寒さも彼岸まで』・・・けだし名言であります
あはは。

2016/08/14(日) |URL|はしびろこう・ウナ [edit]

痛みを知る

ウナさん こんばんは

痛とは、全身を通り抜ける痛みのことです

だから、痛みとは苦しむことに繋がっていて、その痛みは厳しく・甚だしく・徹底的に体を通り抜けます

身体だけでなく精神的にも痛みを感じるのは痛みは人間のすべてに影響するからかもしれません

痛みに強い・弱いは正面で受け止めるか、いなすか、流し去るか・・・その程度によるのかもしれませんね・・・


2016/08/14(日) |URL|長屋の爺 [edit]

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