不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  謎の尾張氏、熱田社 

道路脇にあるデジタル温度計の数字を観て「めまい」がした

午前中にもかかわらず【34度】、それも涼しい風が吹き抜ける

橋の袂だったので余計に衝撃だった

街の中ならいったいどのくらいの温度なのか

まだ7月に入ったばかり・・・この先どうなる?


言葉や文字は自分の都合の良い解釈をすることができる

「書いてあるから事実」というのも、その一端なのだろう

なぜ書いてあるのか、なぜ書いてないものが有るのか

そんな事は自分の解釈にプラスかどうかの基準でしかない


三種の神器を護持するのは宮中・伊勢神宮・熱田神宮である

神器が本物かどうかなど、だれにも分からないだろうが

皇祖を祀るといわれる「神宮」、天皇が住まう「宮中」は別にして

なぜ、熱田神宮に神器の一つが納められているのか?


この問題に注目すべき論説は非常に少ない印象がある

なぜかといえば、熱田神宮、尾張氏に関する記述の少なさが

原因と思える

熱田神宮の創建は不明である

古事記にも日本書紀にも、創建についての記述は無い

三種の神器を納めた重要な神社の歴史に触れていないのは

強烈な違和感を感じてしまう

これは書き漏らしたのでも、書くべき程重要では無かったわけでもない

意図的に歴史から「抹殺」したかったからだろう・・・・と私は思う

熱田神宮の社伝によれば、創建は113年(景行天皇43年)である

景行天皇の生没年は不詳であり、通説に依れば3世紀末~4世紀前半

の天皇だという

すでにこの説をもってしても「あり得ない」「矛盾」の創建時期なのである

この景行天皇の息子が誰でも知っている【日本武尊(やまとたけるのみこと)】

であり、伊吹山の神の「たたり」によって亡くなったとされる

伊吹山の神の祟りとは面白い話であるが、なぜ「祟られた」のかは不明である


ヤマトに大きな異変があった時は、三関を閉じることになっている

古代の三関とは、不破(ふわ)関(美濃国、現在の岐阜県不破郡関ケ原町)

鈴鹿(すずか)関(伊勢国、現在の三重県亀山市)

愛発(あらち)関(越前国、現在の福井県敦賀市内)である


関があるという事は、関の先は他国という観念としか思えない

美濃・伊勢・越前とは東海信越地方であり、歴史で言う【東国】に相当する

あの天武天皇が近江朝に勝利できたのも、東国勢の助力の結果だという

その東国勢力とは「尾張」であり「越」であり、「伊勢」の部族だったのではあるまいか

壬申の乱までのヤマトは関の内側に限定され、東国と呼ばれる地域は服従など

していなかった

東国を味方につけることができるかどうかが、皇位の安泰を意味していた

可能性すら考えられる

なぜ「草薙の剣」が熱田神宮(尾張氏の地元)にあるのか?

その答えは壬申の乱に隠されている気がしている


熱田神宮の創建は不明だが、日本書紀編纂の時代には存在していたらしい

草薙の剣に関する記述に、「草薙の剣は熱田の祝部(はふり)の掌り奉る神」

「草薙横刀は、是今、尾張国の年魚市郡の熱田社に在り」とあるからだが

この説にも少なからず疑問は残る・・・


天武天皇686年6月の記述に、「天皇の病をト(うらな)ふに、草薙剣に祟れリ。

即日に、尾張国の熱田社に送り置く」 
という記述が残る

これも後に書き記した可能性も残るが、尾張氏の盛衰が遺されていない現在

どういう状況で、草薙剣が熱田社に納められたのか、知ることは適わず

その点に関しては疑問のままである・・・

この熱田社(熱田神宮)は平安末期に藤原氏に替わるまで尾張氏が奉斎していた

そんな尾張氏の実像が見えてこないのには、日本書記編纂時の権力者の思惑が

色濃く出ているのかもしれない

天皇家と縁戚、祖神が同じと言う記述には大きな「?」が付いて回る事が多い

同じ身内という「免罪符」によって、囲い込んだ部族は多かったのではないか

その代表が・・・「出雲国造家」だと私は思っている


観る角度を変えれば、天皇家に「寝返った」「裏切った」可能性すらある

出雲国造家に関しては、もう少し頭の中を整理してから書きたいと

思っております


何時になる事やら?  それは言わないでください(笑)

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