不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  漢字を学ぶ 


明 と 暗

「明」 めい あかるい のもともとの文字とは・・・



は「まど」のことで、朙とはまどから差し込む月の光のことである

その意味は、「神が月の光となって、おいでになるところ」

月の光の差し込む方は「あきの方」といい、「塞がる方」の反対の意味になる

「暗」 あん くらい の元の文字は・・・



門は先祖を祀る廟舎(みたまや)の門のことで

音は「神の訪れ」「神の応答」のことである

神に問いかけをして、それにこたえるように神が門から暗闇の中に訪れる

そういう意味を持つ文字である


明に対し暗であるならば、では 【朝】 といえば何だろう?

「朝」だったら「夕」だろう・・・ というのは不正解です

朝 にたいする文字は 《暮 ぼ》

朝令暮改 などと使いますよね、朝令夕改とは言いません(笑)


青丹よし 奈良の都・・・・

この丹は以前にも書きましたが、赤色をした硫化水銀のこと

では青とは? 何かと言えば

青の元の文字は  で下は「丹」、上は「生」であり

青とは「青色の丹」という意味なのである

赤い色の硫化水銀のことを【丹】、青色の硫化水銀の事を【青丹】と呼び

どちらも永久不変の色、邪気を祓う色とされた

表面上の解釈は、華やかな色彩で染まった都の華やかさを詠ったものだが

裏の意味は、邪な気で充満した都を祓い清めるために、各地から青や丹が

集められたという暗号だったかもしれない


夏は夜。
月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる、また
ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。
雨など降るもをかし。

 (清少納言 枕草子より)

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◎  宮内庁という破壊工作組織 

天皇陛下、8月にもお気持ち表明…宮内庁調整

「生前退位」の意向を持たれている天皇陛下が8月中にお気持ちを表明される方向で、宮内庁が調整していることがわかった。

 同庁は、陛下が退位の意向を示されたとの報道を否定してきたが、象徴天皇制の根幹にかかわる事柄のため、陛下が直接、国民に説明される機会を設けるべきだとの考え。天皇の退位は、皇室制度の改正につながり、意向の表明は憲法が禁じる天皇の政治的な行為にあたる恐れもあるため、陛下が述べられるお言葉の内容を慎重に検討している。

 関係者によると、現在82歳の陛下は今後、さらに年を重ねていくなかで、象徴天皇としての活動ができなくなるならば、現在56歳の皇太子さまに将来、皇位を譲ることも必要ではないか、という意向を持たれている。


         2016年07月29日 Copyright © The Yomiuri Shimbun


木は森に隠せ・・・

こういう話題が省庁から報道機関に出されるときは、隠したいことや

意図的に誘導した思惑や、国民の関心をそらせたい何かがあるときと

相場は決まっているのだが・・・何があるのか(笑)


とにかく宮内庁ともあろうものが「生前退位」などという言葉を使う時点で

こいつら役人は不敬の極みである

この国には天皇位を生前に譲る場合は【譲位】という言葉がれっきとしてある

それを知らない宮内庁でもあるまい・・・

伝統や古式、慣習の破壊を目的とした売国組織と証明しているようなものだ


国・国家組織が憲法を守らないのも非常識である

天皇は政治や政事に口をはさむことは禁じられているのは常識だ

慰霊の旅くらいなら国民も我慢しているが、自虐思想的発言を漏らしたり

自らの意思で皇位をどうにかしようなどとは、越権行為であり許すべきではない


私は天皇崇拝者ではないし、皇室絶対主義でもないので

今回の天皇の言動には不快感を覚えてしまう


昔、「天皇はそんなに偉いのか?」 といった友人がいたが

まさしく、天皇は偉いのかという話にもなってしまう気がする

尊敬される天皇・皇后で無くなれば、「ただの人」になるのは当然で

ネットで観られる昨今の皇室議論は、そういう事から起こっていると

私には見えてしまう


全ての原因は「神道の祭祀王の家」に相応しくない愚か者を入れたことに

あるのだと思える


人為は天意に及ばず

国民など利口なようで案外単純で愚かなものが多い(私を含め)

上手に立ち振る舞って、ほころびを見せなければ、何ことも無かった


ところが、宮内庁という国賊組織がやりたい放題を始めたことが発端に

なり、いままで関心を持たなかった若年層にまで強い拒否感を感じさせ

てしまい、時を同じくして一般家庭の主婦層にまで内情を疑われ

ついには廃太子論まで出てくるようになった

(これを世間では 墓穴を掘る という)





今まで天皇が何を考えているかなど庶民は知るすべも無かったが

関心も無かったと思っている


天皇がこう言った、皇后がこう発言した・・・・ 


私心を封印して象徴天皇として、祭祀を執り行い、またそれを助けるのが

天皇・皇后という身分だったはずだが、いつのころからか日本の権力構造の中に

自ら口だけでなく行動でも介入する兆しが見え

天皇・皇后とはこんなにも世間に出てよいものなのかという疑問が国民の中に

広がってきている


税金を自分のポケットマネーのように扱う役人や国会議員も見かけるが

同様に皇室関係者の行動には須らく「国民の税金」が消費されることになる

たとえ個人的な観賞という行動一つとってもである

警備や移動手段、それに伴う人員の負担なども、その多くは税金である

内定費の中から・・・というのは、税金からという意味なのである


税金で食っている受刑者が暑いの寒いのと能書きを言うのはお門違いだ

という友人がいたが


言いたいことやりたいことがあれば、その税金による庇護から抜けて

言うべきことだろうし、税金で暮す身を弁えているならば、自ずと生活の中身も

相応になるはずだと私は感じている


*今日は休日で、少々酒が入っての更新のため、過言があれば容赦ください。

◎  安全な国 平和な国の正体 

 昨日はそれまで猛暑が続いた帳尻合わせのように、梅雨に戻ったような雨の一日

どうやら爺は夏風邪のひき始めのような症状が出てきたので風邪かもしれない

という事は、夏風邪は馬鹿でも引くことが証明されたようだ (笑)


障碍者施設の大量殺人事件に日本中が怖れ悲しみ、世界の注目を受けている


日本が「安全」「安心」な国だったころはすでに遠くに去り、不確実な環境に生きる我々

は過去の亡霊を信じ、自らの都合の良い神話を構築してきただけだったかもしれない


遥か昔、地方の家では鍵をかける習慣が無かった

無施錠の家に上がり込んで、他人の物を盗むのは朝鮮人と相場は決まっていたからだ

向こう三軒両隣、味噌・醤油・米、衣服なども貸し借りして、けなげに生きていた時代である

日本人は平和(安全)と水は「無料(ただ)」だと思い込んでいる民族である


ところがその安全がほんとうの安全では無かった事を知らない人は多い

戦後一日たりとも日本が安全であったことが無い・・・

と言ったら信じるだろうか?

主要な市町村の駅前一等地にどうしてパチンコ店が存在したのか?

そこの本来の所有者は誰で、どうなったのか・・・知る人は少ない

空襲で一家全て焼死した家も多かった

一面焼け野原で、縄を張った区画が正当なものであることを証明する役所ですら

空襲の被害を受けていたのも事実だから、日本人に成りすます半島人も多くいた

それに異を唱えた親類が、酷い目に遭った話は各地に存在する


戦後日本は平和だったと思っている人は、本当の竹島問題をご存じだろうか?

平和であったはずの戦後日本が、隣の韓国に領土を武力で奪われても平和

だったと言いきれるのだろうか

日本国憲法は1947年に作られ、話題の憲法9条もその時に成立している

李承晩韓国大統領が勝手に軍事ラインを引き竹島を韓国の領土として編入

漁船を不当に拿捕し、海保の巡視船を銃撃までした歴史を知らない日本人が多い


なぜ日本の教育では「竹島問題」を正確に教えないのか?

竹島問題とは、GHQの傲慢と日本政府、とりわけ自民党の怠慢によるものであり

その理由(わけ)を教えない家庭教育、学校教育があって

知ろうともしない現代人たちがいることに驚いている

私たちの年代でも、新聞やテレビから情報を得ている人間は、間違った歴史認識を

当然のように身に纏っている

だから、竹島問題に関心を持たなかったり、尖閣をシナにくれてやればいいなどと

愚かな事を言いだすのである


あと半月少々で【日本の一番長い日】がやってくる

政治や神道に多少の興味がある方でも知らない歴史があるのだ

それが靖国問題であり、A級戦犯という亡霊のような言葉である

なぜA級戦犯というのかはご存知の方も多いだろう・・・

なぜ「A級戦犯」という言い方をするのか・・・(念のために)


極東軍事裁判(東京裁判)において定義された中に

極東国際軍事裁判所条例の第五条の(イ)というものがあり

英文で書かれたものが第5条(a)で、それによって「戦争犯罪人」となることから

A級戦犯(a項による戦争犯罪人)と呼ばれるようになったのである


ちなみに、極東国際軍事裁判所憲章第6条b項「通例の戦争犯罪を犯した」とされる

者に対して B級戦犯といい

第6条c項「人道に対する罪」に違反したもののことを「C級戦犯」と

区別しているにすぎないのである


ここまでは知る人ぞ知る話なのだが

では今の日本でA級戦犯に該当する人間がいるかどうか・・・

これを知る人は極めて少ないと感じている

結論から言うと、日本にA級戦犯はおろか、B・C級戦犯もいないのである


昭和28年8月3日、衆議院本会議で 「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」

を社会党も含めた満場一致で決議し、結果として「戦犯」と言われた人たちはすでに

犯罪者とは見なされず、A級戦犯で絞首刑になった東条英機元首相ら7人も「刑死」ではなく

「公務死」の扱いにされ、彼らの名誉回復がなされている



それは日本の国の中で勝手に決めたことだろう・・・と思われるだろうが、そうではない!


昭和30年7月19日 衆参両院の本会議で「戦犯赦免に関する決議案」

を圧倒的多数で可決し、国際的にも、サンフランシスコ講和条約第11条にもとづき

関係11ヶ国の同意を得て、A級戦犯は昭和31年、BC級戦犯は昭和33年までに全て

赦免・釈放された



サンフランシスコ講和条約第11条には

裁判参加11ヶ国の過半数が同意すれば日本政府は受刑者の赦免・減刑ができると規定している

ところがこのサンフランシスコ講和条約が国際法に違反する内容だったことを政府も外務省も

国民の多くには知らせていない


講和成立と同時に、占領中のすべての指令などが効力を失うというのが国際法上の原則である

外務省が害務省と言われる所以はここにある

アメリカやシナ、韓国に都合の良い解釈をして、政治家を洗脳し誘導し続けてきた

講和条約の11条ですら、原文が judegments (判断、評価、審査)であるにも関わらず、

あたかも trial (裁判)であるかのような誤った解釈を外務省は故意にしている


A級戦犯が存在しない現実で、靖國合祀に異を唱える人間はこの事実を知らないか

意図的に隠蔽した解釈をしているかのどちらかである


靖國を参拝すると、多くの一般人はその人間に対し「右翼」とか「右傾」と口にするが

無恥なる人間に日本人の誇りを軽々しく批判してなど欲しくは無い

今の日本が諸国と比較して「安全な国」である理由は、この国を残してくれた先人たち

の命と引き換えである事を、努々忘れてはいけないと私は思っている。

◎  御柱祭の事故 

諏訪大社「御柱祭」:特別抗告該当せず 中止申し立て棄却

理屈と膏薬は何処にでもつくそうだが(笑)

祭りに参加して怪我や事故死するのは国家の責任でもなければ

人命を軽視しているからでもない

人命とか人権とか唱えていれば気が済む弁護士というのは

おもしろい生き物である


日本人が忘れかけている「命がけ」、「自己責任」という言葉の本質

御柱祭の犠牲者が6年ごと、若しくは8年ごとというのもあらためて気づいた

神が「生贄」を求めているのかどうかは不明であるが・・・






年年歳歳 花相似たり、歳歳年年 人同じからず。

言を寄す 全盛の紅顔の子、応に憐れむべし 半死の白頭翁。
 


ねんねんさいさい はなあいにたり
さいさいねんねん ひとおなじからず
げんをよす ぜんせいのこうがんのし
まさにあわれむべし はんしのはくとうおう

くる年くる年 花は相似(おなじ)くわかわかしいが、
めぐる歳めぐる歳 人は不同(さまかわ)りとしとっていく
寄言(きいてく)れ 全盛(いまをさかり)の紅顔子(わかいきみたち)
この半死(しにかけ)の白頭翁(しらがじじい)を応(ふさわ)しく憐れんでおくれ。

劉希夷 白頭を悲しむ翁に代わる より抜粋
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◎  お酒は温めの燗がいい 

“北の終着駅”廃止の前に旅愁しみじみと~留萌本線・増毛駅


私の子供時代、数少ない海の思い出が「浜益」、「増毛」であり「小樽」である

私が海を初めて観たのが「小樽」で、初めて塩水に体を浸したのが「増毛」なのだ

半世紀も前の事で記憶は断片だが、増毛には滝川から雨竜、北竜を通って留萌へ

留萌から南下して増毛に行った気がする

浜益の方が近かったが、おそらく大人の事情で(笑)

増毛の方に多く行ったのかもしれない

小樽の記憶は大きな岩が並ぶ海岸で岩に寄りかかって撮った写真が残っていて

当時4歳くらいだったろうか、人生初めて観た「日本海」の白波だったのだろう


北海道の夏は短い

年に一度行けるかどうかの海水浴、どうしても思い出は深くなる・・・

交通事情が悪いため、当時珍しかった自動車を持った人が近くに居るか

どうかで、海水浴ができる子供とできない子に分かれたような気がする

私の場合は恵まれた親類縁者の恩恵に浴した側である



海に行きたいか、山に行きたいかと問われれば、私は迷わず・・山と答える

海を見ると胸の中がざわついて微かな不安を感じてしまう

山の中に居れば、不思議と気持ちが落ち着いて、大きな「もの」に抱かれている

そういう気分になれるのだ


日本人は海の彼方からこの地に流れ着いた民族かもしれないし

人間そのものが海の中から生まれたからかもしれないが

海に囲まれているとはいえ、海の歌謡が多い事が当たり前になっている


海の景色を見ながら酒を呑むと言えば、その情景が浮かんでくるが

山の木々の間に身を置いて、熱燗の酒を呑むなんて想像できないではないか


深々と降る雪の夜、暖炉やストーブの前で呑む酒なら納得できる長屋の爺

故郷の酒のシーンとは、白く染まった冬の寒い夜に呑む酒なのである



『舟唄』 矢代亜紀

阿久 悠 作詞  浜 圭介 作曲

お酒はぬるめの 燗がいい 肴はあぶった イカでいい
女は無口な ひとがいい 灯りはぼんやり 灯りゃいい
しみじみ飲めば しみじみと 想い出だけが 行き過ぎる
涙がポロリと こぼれたら 歌い出すのさ 舟唄を


沖の鴎に 深酒させてヨ いとしあの娘とヨ 朝寝する 
ダンチョネ


店には飾りが ないがいい 窓から港が 見えりゃいい 
はやりの歌など なくていい 時々霧笛が 鳴ればいい
ほろほろ飲めば ほろほろと 心がすすり 泣いている
あの頃 あの娘を 思ったら 歌い出すのさ 舟唄を


ぽつぽつ飲めば ぽつぽつと 未練が胸に 舞い戻る
夜ふけてさびしく なったなら 歌い出すのさ 舟唄を



酒と恋と海は「三種の神器」なんでしょうか?(笑)

久々に「故郷」を思い出す記事でした・・・。

◎  このタイミングで秋篠宮ご夫妻? 

秋篠宮ご夫妻が来県 海関連施設を視察

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 秋篠宮ご夫妻は19日、東三河地域で開催中の「海フェスタ東三河」の記念式典出席のため来県し、豊橋市や豊川市、蒲郡市にある海や魚類などに関する施設を視察された。

 このうち蒲郡市の生命の海科学館では、南米のペルーで見つかった約800万年前のクジラの全身骨格の化石(全長約9メートル)などを見学。案内と説明を担当した同館の山中敦子館長(46)によると「ここは(クジラの)肩甲骨ですね」などと質問されたという。山中館長は「にこやかに説明を聞いてくれた。また、生き物のことにとても詳しいと思いました」と話していた。

 ご夫妻は20日、記念式典に出席される。
           2016年07月20日 Copyright © The Yomiuri Shimbun



"海フェスタ東三河" 秋篠宮ご夫妻出席

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海の恵みに感謝する祭典、 「海フェスタ東三河」の記念式典が20日、
秋篠宮ご夫妻らが出席し、豊橋市で開かれました。

記念式典では、秋篠宮さまが約700人の参加者を前に次のように
挨拶されました。

「海の環境問題を始め、港や河川の役割などへの関心を
より深めていくうえで誠に意義深いものがあると思われます」

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海フェスタは、海にゆかりのある各地の自治体で毎年この時期に
開かれていて、2016年は東三河地方にある8つの市町村で開催されています。

                (TV あいち 報道より)

           ◆ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◆

今日も・・・・ た い へ ん  暑いこの地方

仕事が長引いて昼食も食べずに次の顧客へ向かった

もうじき新幹線・三河安城駅というところまで来て、突然渋滞・・・

事故でも起こったかと話していたら、先頭の車両に近づく婦警さんが・・

よく観察したら南行き車両以外は全て警察官に停止させられていた 

何事が起ったのか判断できないで居たら、突然北の方向から白バイが

パトカーが続々と左折してくるではないか・・・・


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( 白バイ・パトカーの後から、黒い高級車が数台続いた)

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( おそらくこの車両に主賓が乗っていたと思われる)


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( 三河安城南交差点 時刻は12時57分頃か・・・・)

* 慌てて携帯で遠くから撮った画像ですので、ピントも甘く申し訳ないです


その物々しさは最近では観たことが無いくらい

安倍総理が来るとは聞いていないし、総理なら国道を猛スピードで通過する

ことは有っても、これほど交通規制はしないだろう


「こんな事するのは皇族が来た時だよなぁ~」

「でも旗振りの観客(エキストラ)も居ないしなぁ・・・・」


その時、朝タブレットで観たニュースを思い出した

「若しかして・・・秋篠宮夫妻が新幹線で来たのか?」


全ての側道には私服警察官、交差点には所轄の制服警察官

私服警官と思しき人の左腕には「愛知県警察」の黒い腕章が・・・

時折り「愛知県警機動隊」のバスが何台も通過する


その後の警備の様子から、安城市歴史博物館に寄られたのか?

博物館の周辺に多くの私服警官が配置されていて、その先の交差点は

緊張感が感じられたので「未通過」と勝手に判断した

私たちよりずいぶんと前に通過したのだから、規制解除されてても

不思議ではないのだが・・・未だ厳戒態勢と感じられたので、そう判断した


去年は一日違いで秋篠宮殿下のお姿を観れ無かった

あの車両の中に殿下・妃殿下が乗車されていたならニアミスか?

幸いな事に東宮夫妻とは全く縁がない長屋の爺

どういう訳か「秋篠宮ご夫妻」とは縁があるようだ(笑)

このような厳戒態勢の警備を観る限り、宮家は安心か・・・


車両が通過した後は、警備の私服警察官は猛暑の中、駆け足で

集合場所まで移動していた

地方の警察は私が見た限り、緊張感を持って警備にあたっていて

愛知県警・所轄警察署の皆様の流した汗に敬意を表したい

炎天下の中の非日常の警備業務、本当にお疲れ様でした!



なぜか空腹も暑さも忘れ、爽快な気分の昼下がりでした。 

◎  昨日の出来事とこれからについて 

暑い暑いと言っていたが、暑さのせいでも無いだろうが

昨日の閲覧数(訪問者)が過去最高の数字だった・・・

と言っても、カナダの親父様とは比べようも無い数字だが(笑)

1300を軽く超えてしまった

(この記事を書いている今、すでに800を超えている状態です)


通常の3倍(シャアでもあるまいに)の数字には正直驚いている

過去にカナダの親父様やKUONさんがブログに書いてくれた結果で

飛躍的な数字になった過去がある・・・・

今回はどういう現象なのか、私自身まったくわからない・・


もしかすると、天皇の譲位に絡む記事に関心が高まったのかとも

考えたが、急に3倍になるほど中身のある内容でもないはずだから

多少増えたならわかるが、不思議と言えば不思議である


このブログは古代史を中心に書いてきたもので、神さま、神道が

中心になっている

(と言っても、素人の暴論を書きなぐっているだけなので、中身は薄い)

そういう関係から祭祀王・天皇家に言及することも多々ある

できるだけ個人的な感情を出さないようにしてきたが、人間ができていない

長屋の爺だから、ついつい感情的な表現が出てしまう結果になっている


振り返れば昨日まで955件の更新をしてきた

最近は古代史・歴史のカテゴリーから逸脱する更新も増えてきた


私は中世・近世の日本史は書きたくない

これは神さまが出てこないという理由と、かなりの史実が遺されていて

妄想や暴論を書く素材が少ないからである


ジャンルやカテゴリーの変更をすべきか、いったん閉じるべきか

最近は正直なところ迷っている

自分の満足のため、学ぶためのノート代わりに書いてきたブログ

閲覧数を上げるために、迎合するブログ内容にはしたくないのが本音

偏屈な爺の「屁理屈」かもしれないが、素人の限界なのかもしれない


最近政治・社会ブログ(花はそっと咲き・・・)にも力が入らないこともあり

同時に二つのブログを維持するには体力・気力が無さすぎなのだろう

「背伸びするのもほどほどに」 という天の声が聞こえてきそうだ(笑)


最近パソコンの調子が悪く、親しい方のブログを閲覧するのも厳しい

現実で、表示され無い事が多く、画像なども観れないことが多々ある

その度に再起動していると、深夜に及ぶこともある


Win10にしないからインターネットの不具合が出るのかと思ってみたり

友人たちも最近調子が悪いと嘆いているので自分のPCばかりではない

MSの戦略・陰謀とまでは断言できないが・・・・

Win10に更新することや、新しいPCに買い替えることは簡単だが

相手の思うつぼに嵌まる事が悔しい長屋の爺である




古代史は時事ネタや生活ネタとは違い、材料が枯渇するのは避けられない

冷凍庫にある素材は料理してしまえば減ることはあっても、増えることは無い

一度調理した過去記事をレンジで温めなおすのも男らしくないと・・(笑)


マンネリ化は自分も読者も望んではいないと思っているが

人に言われると、その反対を選択する「歪んだ」部分を持っていて

褒められたり、激励されると「放り出したくなる」こともある厄介な爺だ


「とりあえず」というごまかしは読者には敏感に伝わるもの

そういう意味で考えると、この辺りが限界かもしれない・・・


これからは区切りの良い【1000回更新】を目指すことを目標に

その先は、その時に考えたいと思っています。

◎  梅雨明けと皇室問題 

梅雨が明けたと聞いたら、途端に暑さが厳しく感じてしまった

結局、自分は言葉に流されやすい人間という事か・・・(笑)


突然降って涌いたような「生前退位」についてのニュース

文字通り、天から降ってきたのか、地から涌いてきたものか知らぬが

何とも生臭い気配を感じてしまう


根も葉もない事ならば、言葉で否定するだけでなく

事実無根として宮内庁なり政府が発信元に対し相応の対処を

するべきなのに、大きな動きが無い事がとても胡散臭く感じてしまう


いきなり皇室典範改正を言い出せば、世論の反応が怖いので

取り敢えず「一石」を投じて、改正に関心を持ってもらおうという

禁じ手を使ったのか?


それとも、千代田辺りから東宮批判・廃太子まで世間が言及していること

に、堪忍袋の緒が切れて強行突破の道もありますよ・・・とでも言いたかったのか

どちらにしても、今この時に俎上に載せるべき問題ではないはずだから

追い込まれていると感じているのか、焦りが表面化しているのか・・・


ただし、この問題は譲位が「本丸」で無い事は確かである

譲位など「当て馬」「ダミー」としか思えない

本丸は「女性天皇」と「女性宮家」に違いないと私は思っている



その為の皇室典範を改正する論議を起こす一石なのではないか


殿下・妃殿下が亡くなれば宮家は廃絶になる

嫁いでいない女王も多いうえに、嫁いでしまえば一般人だ

税金で生きてきた女王は、安楽な生活が途切れてしまう事になる

未婚で生涯税金でぬくぬくと暮らせるなら、こんな良い事などあるまい

未婚だからと言って「楽しい生活」を満喫できる方法は幾らでもある

何処かの女王を観れば納得できる話なのだ・・・・


女性が活躍する社会

このキャッチフレーズが何を意味するのかは定かではないが

女性天皇、女性宮家の創設を意識していたとしたら・・・・

綿密に計画された「日本改造計画」、「皇室乗っ取り計画」とも思える


このアイデアが公明党辺りから出てきたならば、可能性は非常に高くなる


生前退位について皇室典範の改正の発議をこの2~3年のうちに・・・

この言葉を聞いた瞬間、本意は「生前退位」に非ずと確信した

天皇の公務の問題から生前退位を目指すなら、緊急性のある問題である

それを2~3年の間にと悠長なことを言うのであれば、最終目的は別にあると

考えるのが自然ではないだろうか・・・


この数日、ぱたりとマスコミから退位の話題が消えてしまったようだ

議論を深める意図は無く、世論の動静を慎重に窺っている気がする

それほど日本にとって重大な問題であり、デリケートな部分を含んだ

忌々しきことなのではないだろうか・・・


つぎの一手はどう出てくるのか?

日本国民と千代田の住人との「心理戦」はまだ始まったばかりなのである。

◎  墓荒らし盗掘者は大学教授だった 

研究者が収集、アイヌ遺骨12体を返還…埋葬へ

 北海道大学の研究者が北海道浦河町の墓地から掘り出し、収集したアイヌ民族の遺骨12体が15日、日高地方のアイヌらでつくる「コタンの会」(清水裕二代表)に返還された。

 同会は17日、遺骨を同町の共同墓地に改めて埋葬する。

 返還された遺骨は、1931年9月以降に、当時の北大医学部解剖学第一講座の教授らが、研究目的で浦河町杵臼の共同墓地から掘り出した12体。いずれも成人(性別不明)のものとみられている。

 遺骨の返還を巡っては、同町出身の男女5人が北大を相手取り、返還と慰謝料計900万円を求めて2012年9月に提訴、今年3月に16体の返還で和解が成立した。

 このうち身元が判明した1体と身元不明の11体がこの日、返還され、残る4体は身元が特定できる可能性があるため、北大がホームページで情報を公開して親族からの申し出を受け付ける。


お帰り、エカシにフチ…遺骨85年ぶりコタンへ

お帰り、エカシ(おじいさん)、フチ(おばあさん)――。

 15日、約85年ぶりに北海道浦河町のコタン(集落)に帰ったアイヌ民族の遺骨12体は、木箱に詰められ、分類名のラベルが貼られていた。伝統的な儀式カムイノミが執り行われ、アイヌ民族の子孫たちは万感の思いで見つめた。

 15日午前11時頃、札幌市北区の北大医学部にあるアイヌ納骨堂。12体のうち唯一、身元が特定できた遺骨のおいに当たる小川隆吉さん(80)は、木箱の中を見てみた。頭骨には直接、故人の名前と発掘日が黒いペンで書かれていた。小川さんはふたを閉め、「帰ろう、みんなで帰ろうね」と木箱を軽くたたいた。

 遺骨は、大学側が用意したワゴン車で浦河町へ。約4時間後、遺骨返還場所の杵臼生活館に到着した。

 待ち受けたアイヌの人ら約50人の中に、遺骨返還請求訴訟の原告の一人で、昨年3月に亡くなった城野口ユリさん(享年82)の弟、山崎良雄さん(69)がいた。 「姉の願いが一つ実現した。あとは大学が頭を下げることだ。きっと姉は今もどこかで見ている」

 大小12箱の木箱に納められた遺骨を前に、受領書を受け取った北大の三上隆副学長は、「ご遺骨を直接お返しできて個人的には安心した」とする一方で、報道陣に謝罪の意思を問われ、「和解条項でも求められていませんし、ございません」と語った。

 遺骨を迎え入れるアイヌ伝統の儀式は粛々と執り行われた。大地や自然の神々にしてイナウ(木幣)を祭って行うカムイノミ。祈りの言葉は、火の神アペフチカムイによって神に届けられるという。

 現地では、16日に再び儀式が行われ、17日にはアイヌの長い歴史の中で初めてとなるという再埋葬の儀式が執り行われる。

                      2016年07月16日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

            ◆  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  ◆

・・のため、という理由で理不尽な行いをする知識人たち

人は死んだからといって「物」ではない・・・

ましては収集というのだから怒りすら覚える


科学・研究のために犠牲になってよい人間などこの世に居るのだろうか?

人間をモルモット扱いする「抗がん剤治療」の一部にもみられることだが

神をも恐れぬ行為とアイヌの人々は感じているだろう


埋葬された自分とは無縁の先人の墓を掘り返すことが如何に罪深い事か

理解する能力が欠如していたのだろう

その先人たちには血縁者が居ることすら無視したのか?


何かの工事や災害で偶然発見されたのとは意味が違うことで

れっきとした共同墓地から盗掘したのである


謝罪する意思は無いと断言した大学関係者

私は当事者ではないからという事なのだろうが・・・

三上隆副学長という人物が日本人でない事を願っている

日本人なら・・・・とまでは言わないでおこう

現代人や日本人の意識で物事を量るから、こう云う言葉が出てくるのだろう


【祈りの言葉は、火の神アペフチカムイによって神に届けられるという】

*アぺ・フチ・カムイ とは、火の老婆のカムイ(神)のこと

届けられる先に居る神とは・・・アマテラスでもなければ八幡様でもない

八百万の神という発想は先住民の信仰から続いているのである

山に居る神(キムン・カムイ)とは・・・・・ヒグマ であり

集落を護る神(コタン・コロ・カムイ)とは・・・・・・シマフクロウ であり

沖にいる神(レプン・カムイ)とは・・・・・シャチ の事である

家の守護霊はチセコロカムイ、アぺ・フチ・カムイは火の神だから

当然のように「囲炉裏の中」に居る

家の中にも、集落の中にも、森にも川にも山にも・・・・神は居る

そして、「きっと 観ている」 のだから。

◎  アマテルとツクヨミ 


古代ヤマトはツクヨミが支配していた

そんな事言うと「頭大丈夫か?」と言われそうだが

古代日本の祭祀は「真夜中に執り行われていた」とする説がある

今でも古くから伝わる日本の「祭り」は夜が本番ではないか・・・

出雲の身逃げ神事も夜であり、日の神が地上から隠れた時間に

誰が祭祀を執り行ったかと考えれば、夜を支配する神に違いない

その神こそ【ツキヨミ(月読神)】だと私は考えている

神祭りの祭祀者(祭神)は【日の神】である訳が無いと思う根拠である


アマテルからアマテラスに日の神(太陽神)をすり替えた時、矛盾する

いくつかの問題をクリアするために、闇に葬られたのがツクヨミだった

可能性は否定できないのではないか・・・


生命の誕生にも深くかかわっている月の神

人間の体は月の影響を強く受けているのは知られた話

それほど重要な神の事を「封印」せねばならなかった事情とは

相当なものであることは感じるが、いったい何が不都合だったのかは

不比等に聞いて見なければ永遠にわからないかもしれない


魏志倭人伝にある

 「倭王は天を以て兄となし、日を以て弟となす。天未だ明けざる時、

出でて政を聴き跏跌(かふ)して坐し、日出れば便(すなわ)ち理務

を停め、いう我が弟に委ねんと」
 



つまりは兄である倭王は夜の間に政(まつりごと)を行ったといい

夜が明けて日が昇るころに、弟である日王に委ねたとされるのだ



つまり、古代日本では太陽神信仰というより、月神信仰だったという

可能性もあるのではないか

太陽は恵みをもたらすというのは「農耕民族」の価値観であり

古代人にとって生命の誕生こそ大事な摂理だったのではないだろうか


月神(ツクヨミ)が兄であり、日神(アマテル)が弟だった・・・・

そこには女神などの介在する余地は無かった

太陽神は間違いなく【アマテルという男神】だったと解釈できるのである


アマテラスとは太陽神アマテルに仕えた【日ノ巫女】 ヒルメノムチだった

その巫女を持統天皇は自らを合体させ、皇祖神アマテラスとして創作した


アマテラス信仰とは持統天皇を祖とする、新しいヤマトの建設の重要な

基盤になるものであった

そのためには太陽神を取り換えたばかりでは無く、古代神道の主祭神

である月神・ツクヨミまで抹殺してしまったのではないだろうか


歴史は夜創られた?

いや、神祭りの歴史は夜だから創られたのかもしれない。


◎  生前退位とは 

生前退位

今回いきなり社会に出てきたような言葉だが

言い換えると【譲位】のことである

では譲位はどのくらいあって、どのようなケースが最も

多かったのかは割と知られていない


歴史上、通説・定説を含み、最古の譲位は645年だと言われている

第35代・皇極天皇が弟・孝徳天皇に天皇位を譲ったのが嚆矢(こうし)とされ

以来1817年に第120代・仁孝天皇が譲位を受けるまで59例が存在する

* そのうち9例が女性天皇が絡む譲位である


譲位の理由も様々で、病気が理由だったり、公卿・大臣の強制であったり

武士とりわけ幕府の要請による強制的な譲位も行われた

特に藤原摂関政治において、藤原氏の気に染まぬ天皇は半ば強制的に

譲位若しくは退位させられた歴史が事実としてある

そのような歴史的経験則から、譲位を認めない皇室典範が存在するのかもしれない


おそらくは天皇位を軽々しく右から左に群臣が図る事への懸念を、排除する目的で

群臣とは、今ならさしづめ宮内庁や害務省の魑魅魍魎、狐狸・狢たちに相当するだろう


今回の生前退位に庶民は賛同する意見が多いと思っている

今上天皇の高齢を考えれば当然かもしれない・・・・


しかし、皇室典範を改正する際に絶対認めてはならないのが女性天皇容認である

生前退位を明文化してしまえば、理由など後から幾らでも付けられるという事実

我々の目の届かない伏魔殿で何が起きても、不思議でない世界がそこに在る


生前退位が認められ、皇位継承者が不慮の死を遂げれば、譲位は皇統男子

という垣根さえ取り払ってしまうことにもなる

**内親王の即位もやり方によっては可能となるのだ・・・

選択肢を狭める「諸刃の剣」が生前退位、すなわち譲位なのだと私は思っている

現在の皇位継承順位は、今上天皇~東宮~秋篠宮~悠仁親王となっている

現在秋篠宮家以外の宮家の男子は高齢者ばかりである

言い換えれば数年後、十数年後には天皇家と秋篠宮家だけが皇位継承者

を抱えることになるのだ

これ以上は不敬の極みと思えるので控えるが・・・・


皇位継承候補者が少なくなれば、幼少の天皇の可能性が高くなり

皇位継承が権力の争いになる事も考えられる


公務を減らすのを何処まで許せるのかは別にして、祭祀王たる宮中祭祀の

簡素化を図るなら、内定費などの見直しをきちんとするべきであり、内定費は

何に使用しても良いなどという事は廃止して、明確にするべきだと思っている

皇室の内定費は庶民の「生活保護」とは全く違うものであり、しっかりと公務・祭祀

を実行するのが当然だと、国民一人一人の意識改革も必要なのかもしれない


参考

*645年   皇極天皇 → 孝徳天皇   *697年   持統天皇 → 文武天皇
*715年   元明天皇 → 元正天皇   *724年   元正天皇 → 聖武天皇
*749年   聖武天皇 → 孝謙天皇   *758年   孝謙天皇 → 淳仁天皇
*781年   光仁天皇 → 桓武天皇   *809年   平城天皇 → 嵯峨天皇
*823年   嵯峨天皇 → 淳和天皇   *833年   淳和天皇 → 仁明天皇
*876年   清和天皇 → 陽成天皇   *930年   醍醐天皇 → 朱雀天皇
*946年   朱雀天皇 → 村上天皇   *969年   冷泉天皇 → 円融天皇
*984年   円融天皇 → 花山天皇   *1016年  三条天皇 → 後一条天皇
*1072年  後三条天皇 → 白河天皇  *1086年 白河天皇 → 堀河天皇
*1123年  鳥羽天皇 → 崇徳天皇   *1141年  崇徳天皇 → 近衛天皇
*1158年  後白河天皇 → 二条天皇  *1165年 二条天皇 → 六条天皇
*1168年  六条天皇 → 高倉天皇   *1180年  高倉天皇 → 安徳天皇
*1198年  後鳥羽天皇 → 土御門天皇 *1210年 土御門天皇 → 順徳天皇
*1232年  後堀河天皇 → 四条天皇  *1259年  後深草天皇 → 亀山天皇
*1274年  亀山天皇 → 後宇多天皇  *1287年  後宇多天皇 → 伏見天皇
*1298年  伏見天皇 → 後伏見天皇  *1301年  後伏見天皇 → 後二条天皇
*1318年  花園天皇 → 後醍醐天皇  *1339年  後醍醐天皇 → 後村上天皇
*1383年  長慶天皇 → 後亀山天皇  *1392年  後亀山天皇 → 後小松天皇 
*1412年  後小松天皇 → 称光天皇  *1464年  後花園天皇 → 後土御門天皇
*1586年  正親町天皇 → 後陽成天皇 *1611年  後陽成天皇 → 後水尾天皇
*1629年  後水尾天皇 → 明正天皇  *1643年  明正天皇 → 後光明天皇
*1687年  霊元天皇 → 東山天皇   *1709年  東山天皇 → 中御門天皇
*1735年  中御門天皇 → 桜町天皇  *1770年  後桜町天皇 → 後桃園天皇
*1817年  光格天皇 → 仁孝天皇

赤字表記は女性天皇)

◎  投げられたのは石であって賽ではない 


私たちは慌ててはいけない

投げられたのは一石であって、賽(さい)ではないのだから・・・




宮内庁の常套手段・十八番である「リーク」

今回の問題も強行突破を図ろうとしたか、それに不満を持つ

内部の人間の仕業か・・・・


宮内庁の山本信一郎次長は同日夜、「(陛下が生前退位の意向を示されたとする)報道が

あったことは承知しているが、そのような事実は一切ない」と記者団に対して完全否定した



意図的であったなら、多少はその事実をにおわす程度の否定に留めるだろう

完全否定した真意は何処にある?


考えられるのは、天皇のごく近い人間が、火を起こそうと企んだ可能性は

有り得る話で、逡巡する天皇の背中を押したい人間が居るという事ではないか

その人間から子飼いの宮内庁職員を通して、今回のリークがなされ

慌てた宮内庁幹部が完全否定する事態になった可能性も残る


本来なら「摂政」を置いて補佐するのが常識だ

それを回避したい理由があるという事なのだろう・・・


最近の巷間の情報の多さによって、皇太子夫妻に対する逆風は強い

慌てて最近は露出を多くしている皇太子妃だが、隠せないほどボロが

出てきているのも事実である

これ以上悪い噂(事実だが)が広まる前に、皇后にしてしまえば「不敬」と

いう【印籠】を持つ事になり、伏魔殿の奥に隠れることを許すことになるだろう


譲位だろうが即位だろうが国民は一向にかまわない話だ

ただし・・・皇太子・妃に纏わる疑惑は多い

とにかく身体検査をして、どんな病気でこれから先、公務に耐えられるのか否かを

全国民に示すべきだと思う


皇室典範を改正するまでも無く、天皇・皇后の公務が激務とされるなら

尚の事、健康な後継者でなくてはならないのではないか



余談だが・・・

養蚕はクワガタとは異なるもの(笑)

その継承もでき得る資質をお持ちなのか・・・・

養蚕が嫌で「適応障害が悪化」したなどと言いかねない人物らしいので


とにかく、意図したことは国民に【生前譲位】の復活を意識させること

そして各界の人間に、議論をさせることが目的だと思えてしまう


時間がかかるのは百も承知だからこそ、今この時に投げ込まれた

一石ではないかと私は感じている。

◎  天皇の譲位 

天皇陛下 「生前退位」の意向示される

 天皇陛下が、天皇の位を生前に皇太子さまに譲る「生前退位」の意向を宮内庁の関係者に示されていることが分かりました。数年内の譲位を望まれているということで、天皇陛下自身が広く内外にお気持ちを表わす方向で調整が進められています。

 天皇陛下は、82歳と高齢となった今も、憲法に規定された国事行為をはじめ数多くの公務を続けられています。そうしたなか、天皇の位を生前に皇太子さまに譲る「生前退位」の意向を宮内庁の関係者に示されていることが分かりました。

 天皇陛下は、「憲法に定められた象徴としての務めを十分に果たせる者が天皇の位にあるべきだ」と考え、今後、年を重ねていくなかで、大きく公務を減らしたり代役を立てたりして天皇の位にとどまることは望まれていないということです。
こうした意向は、皇后さまをはじめ皇太子さまや秋篠宮さまも受け入れられているということです。

 天皇陛下は、数年内の譲位を望まれているということで、天皇陛下自身が広く内外にお気持ちを表わす方向で調整が進められています。
 これについて関係者の1人は、「天皇陛下は、象徴としての立場から直接的な表現は避けられるかもしれないが、ご自身のお気持ちがにじみ出たものになるだろう」と話しています。
 外では、3年前、皇室とも親交の深いオランダの女王やローマ法王などが相次いで退位を表明して注目を集めました。
日本でも、昭和天皇まで124代の天皇のうち、半数近くが生前に皇位を譲っていますが、明治時代以降、天皇の譲位はなくされ、江戸時代後期の光格天皇を最後におよそ200年間、譲位は行われていません。
皇室制度を定めた「皇室典範」に天皇の退位の規定はなく、天皇陛下の意向は、皇室典範の改正なども含めた国民的な議論につながっていくものとみられます。

【天皇陛下 象徴としての歩み】天皇陛下は、今の憲法のもとで初めて即位し、以来、象徴として望ましい天皇の在り方を求め続けられてきました。

平成元年の即位にあたっての記者会見では、「憲法に定められた天皇の在り方を念頭に置き、天皇の務めを果たしていきたい」としたうえで、「現代にふさわしい皇室の在り方を求めていきたい」と述べられました。

平成3年、長崎の雲仙・普賢岳の噴火災害では、そうした天皇陛下の考えが目に見える形で示されました。皇后さまとともに被災地を訪れ、避難所の板張りの床に膝をついて、被災者一人一人に同じ目の高さで話しかけられたのです。その後も、阪神・淡路大震災や東日本大震災など、大規模な災害が起きるたびに被災地を訪れ、被災した人たちに心を寄せられてきました。また、障害者や高齢者の施設を訪れるなど、社会で弱い立場にある人たちに寄り添われてきました。

 こうした活動について天皇陛下は、平成11年、即位10年に際しての記者会見で、「障害者や高齢者、災害を受けた人々、あるいは社会や人々のために尽くしている人々に心を寄せていくことは、私どもの大切な務めである」と述べられました。そして、のちに、「天皇の務めには日本国憲法によって定められた国事行為のほかに、天皇の象徴という立場から見て、公的に関わることがふさわしいと考えられる象徴的な行為という務めがあると考えられます」と話されました。

 こうした務めについて、天皇陛下は、「戦後に始められたものが多く、平成になってから始められたものも少なくありません。社会が変化している今日、新たな社会の要請に応えていくことは大切なことと考えています」と述べられていました。
天皇陛下は、「昔に比べ、公務の量が非常に増加していることは事実です」としながらも、「国と国民のために尽くすことが天皇の務めである」として、数多くの公務を一つ一つ大切に務められてきました。

【天皇陛下の負担軽減が課題に】天皇陛下が、一つ一つの公務に精力的に取り組まれるなかで、年齢に応じた負担の軽減が大きな課題となってきました。

平成21年1月、宮内庁は、前の月に75歳になられた天皇陛下の負担軽減策を発表しました。心身のストレスによる胃や十二指腸の炎症が見られたためで、天皇陛下は、式典での「おことば」の多くを取り止め、宮中祭祀も減らされるなどしました。さらに、3年後には「狭心症」と診断されて、心臓の冠動脈のバイパス手術を受けられます。宮内庁は、天皇陛下が高齢であることや、前立腺がんの手術後、注射を続けている治療薬の副作用など、不安材料を挙げたうえで、さらなる負担軽減の必要性を強調しました。

一方で、天皇陛下は、退院から僅か1週間後に東日本大震災の犠牲者の追悼式に出席されました。その年、79歳の誕生日を前にした記者会見では、負担の軽減について尋ねられ、「公的行事の場合、公平の原則を踏まえてしなければならないので、十分に考えてしなくてはいけません。今のところしばらくはこのままでいきたい」と述べられました。天皇陛下は、天皇の公務について、公平に行われることが大切だとして、大きく変えられようとはせず、宮内庁による見直しも行事の内容や日程を工夫するにとどまり、負担軽減は思うように進んでいません。

そうしたなか、82歳の誕生日を前にした去年暮れの記者会見で、天皇陛下は、「年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもありました」と率直に老いや間違いを認め、「少しでもそのようなことのないようにしていくつもりです」と述べられました。
宮内庁は、ことし5月には、天皇皇后両陛下の年齢にふさわしい公務の在り方を考え、両陛下の公務の一部を取りやめると発表しました。公務の全体的な見直しが行われたのは7年ぶりでしたが、関係者によりますと、当初、宮内庁が示した大幅な削減案に天皇陛下が難色を示され、見直しはごく小規模なものにとどまったということです

◆   ・・・・・・・・・・・・・・   ◆

譲位に関し皇室典範を改正するときに、大きく公務の削減を図りたい宮内庁

何としても「皇太子」に継がせたい思惑が露骨になってきている

公務について意思の明確な今上に比べ、ただのマリオネットにも見える現皇太子は

宮内庁・外務省の魑魅魍魎にとって、御しやすい木偶人形に過ぎない・・・

これが現実化すれば、日本の皇室は有名無実に近い存在になるだろう

ただ無駄に体裁だけを取り繕う「無駄飯」をくらう天皇家の誕生とも言える


不敬と言われようと現実に皇室祭祀を疎かにし、愚弄する人間たちに

蹂躙されるという事は避けられないのである

天皇家は絵画の鑑賞会やコンサートに行くのが務めではない

皇室祭祀を滞りなく勤め上げるのが最大の務めではなかろうか

嘘をついてまで皇后の代役を果たしたと喧伝する皇太子妃に

何を求めるというのか・・・・


公務を正しく勤められない人間に我々の税金は使うべきではない

そう思う日本人は数多くいるはずだ・・・


自分達の目の黒いうちに皇太子に即位させたいと「思うのは勝手」だが

内廷費は大きく削減してほしいものだ、贅沢をする元首などいらない

皇后や皇太子妃の贅沢に浪費される税金でどのくらい国民が救われるのか

物事の基準とはそういう物ではないだろうか・・・・・


天皇だから貴いのでもなく、皇太子だから偉いのでもない

国民に尊敬され敬われる存在であるから 尊いのではないのか


国民を思い 国民のために祈り 国民に信頼される

それが日本国の天皇陛下だと、私は思い続けてきたのである



◎  天孫降臨の不可解さ 

天孫降臨神話

天孫は大国主からこの地を譲ってもらったのにどうして

高千穂に降臨したのか考えたことが有りますか?


矛盾だらけのヤマト神話ですが、考えてみれば正直に書けない話や

書こうとしても知らない話がないまぜになって、この国の神話が成立した

私はそう思えるようになってきたのである


オオクニヌシから禅譲されたのなら、わざわざはるか遠くの高千穂に

降り立つ必要も無い話ではないか

どうして天孫は出雲の地に降りなかったのか?


その疑問の答えなどだれにも分かるまいが、天孫と呼ばれる一族が

自ら選んでその場所に着いたのではないという推理ができる

おそらくは南九州のいずれかに漂着したのではないだろうか

後に「熊襲(くまそ)」と呼ばれる一族かもしれない

ところが北九州には別の部族が基盤を整えていた可能性が高い

(「筑紫族」と仮に呼ぶことにする)


世間で言うような、出雲の国譲りの後に天孫降臨があったとされることが

私にとって不可解なのである

単純に考えれば、天孫降臨→九州全土の平穏→ヤマトへの侵攻という

のが一番納得できる推理ではないか

わざわざ譲ってもらった土地を無視して、はるか遠くの山頂に降りる

意味が解らないのである


その後、熊襲族と筑紫族が和平を結んだ後、ヤマトへと向かったとすれば

その中心であった「出雲族」との間に武力抗争があったものと考えられ

出雲の国譲りとは天っ神の威光で、出雲の地を譲られたとしたい何者かの

意を汲んで創作されたものだと思える


とにかく話し合いなどで解決する問題ではない

農耕民族間の争いは、土地を奪うか奪われるかだ

「はいどうぞ 差し上げます」

などと言うのは幼稚園児向けの子供だましに過ぎない


此処で疑問なのは、アマテラスとスサノオだけが出てくる神話

どうしてツクヨミが出てこないのだろうか?

三貴神の中でどうしてツクヨミだけ無視されて、男女の区別も不明なのか

それはツクヨミが筑紫族の先祖(祖神)だったからではないだろうか・・・

この神話を編纂する時代には「忘れられた存在」になっていた可能性もある

悉く滅ぼして土地を増やしていった天孫一族によって、口述しかなかった時代

の歴史・記憶は途切れてしまった可能性はないだろうか?

伝承は一族の頭の中に在って、口々で伝えられていた

その人々を抹殺すれば、口伝も歴史も消えてしまう

ツクヨミを隠したのではなく、知る術を失くしてしまっていたとしたら・・・


もし意図的に隠したとしたら、筑紫平定のさいの不都合な史実を隠したり

アマテルからアマテラスに差し替える際に不都合な問題が生じたからでは

ないかと思えてしまう


つまりは出雲族の生き残りの伝承と、天孫一族の伝承の断片を都合よく

繋ぎ合わせたものが記紀神話かもしれないのである・・・・


アマテルを始祖とする天孫一族がスサノオを始祖とする出雲族を

侵略した征服譚が出雲神話かもしれない


その時に天孫側に寝返った者の末裔が「出雲国造」だったと考えれば

代が替わるたびに朝廷に神賀詞(かんよごと)を奏上するのは

数多いた国造の中で「出雲国造」だけなのも頷ける話になる


出雲国造が天孫一族であったならば、何故スサノオやオオクニヌシを

祀る役目を担っているのか甚だ疑問に感じてしまう

祟り神を祀れるのは祟り神の子孫だけなのである

寝返った「報奨」が天孫一族に加えてもらうことだったとしたら

いろいろな謎が解けてくる


身逃げ神事において国造が身を隠し、裏口から逃れるように出て行ったり

神事の行列を観てはならないなど、不可解なものが多い

裏切ったもの(神々)に合わせる顔が無いとも考えられ、罪の大きさに加え

神事を直接執り行えない後ろめたさがあるのかもしれない


これは暴論であるが、神武東征の時「長脛彦」を殺し寝返ったとされる

人物こそが出雲国造の祖先かもしれないと思っている


それまで劣勢だった神武勢が突然逆転できたのは腑に落ちない

内部で寝返った者がいて、混乱に乗じて制圧したとしか思えないのである

しかし、その後厚遇されたとは思えないので、時を経て出雲国造の要職に

ありついたとも考えられる



天皇家と親戚という言葉に昔から違和感を覚えてきた長屋の爺のいう事

あくまでも暴論と言う事で承知おきください


神武東征だけを観ても、様々な解釈・憶測・推理、そして暴論が言える

何を基準に、何を信じ、何を否定するかで、どんな仮説も成立するのが

日本の神話(記紀神話)なのである

数十年前の事も正しく書かなかった史書・日本書紀である

神話なら尚更、如何様にも書ける状態だったのは言うまでもない


どこまでが史実で、何処から創作なのか

どこまでが「神」のことで、どこから「ヒト」の話なのか

それとも全体を通して、ヒトを神に置き換えた創作話なのか・・・

十回考えれば十回違うストーリーが描けるのが記紀神話かもしれない(笑)

◎  東京へ行ってきました (二) 

靖国参拝を終えて、いざ神宮へ

靖國を出てどうしたものかと歩いていたら

下校の小学生を誘導するシルバーさんに会ったので

「ここから神宮球場へは歩いていけますか?」

と聞いてみたw

「そりゃ無理だ すごい時間がかかるよ」

「そうですか・・・じゃタクシーでも拾うかな」

といったら、「何を言ってるの・・・地下鉄で行きなさい」

と窘められてしまった(笑)


そんなわけで、地下鉄九段下まで戻り、半蔵門線で青山一丁目

そこで銀座線に乗り換え外苑前まで地下鉄に乗った

ところが、地下鉄に揺られていると軽いめまいを感じた

外苑前で地上に出て私は気づいたのです・・・・ハッキリと

朝から何も食べていない事に(笑)


時刻は15時を過ぎたあたりで、外苑前を行ったり来たりうろうろしたが

食べたいものも見つからず、外苑前駅に戻り近くの蕎麦店に入り

「とろろせいろ」を注文した

ざるそばの汁の容器に「とろろ」が入っている蕎麦だった

料金950円は東京では普通なのか?

私には高いとも安いとも、どちらとも判断できないのだが・・・・

空腹の絶頂だったこともあり、美味でございました!


さて腹ごしらえを済ませたので神宮球場を目指す

道中ヤクルトファンの長蛇の列と共に・・・・すでに路上で熱さを感じる

チラホラとドラゴンズファンの乙女たちも見える

ビジターでもファンは有り難いものだ、ドラゴンズの地元からスワローズの

応援に行く私も「変わり者」かもしれないと心中複雑なり


前売りなど手配しなかった「行き当たりばったり」の爺であることは断るまでも無く

窓口ではすでに内・外野席は完売しておりました!

残っているのはバックネット裏のS席のみ・・・・

応援するのに席など関係ないので、取り敢えず購入した(会員割引¥4200)




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        (ドラゴンズの打撃練習風景)

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 (ヤクルトのウオーミングアップ 熱心なファンは金網にへばりつく)


試合開始は18時、開場は16時30分、当然私も開場と同時に席へつく

初めての景色にちょっと感激w

昔は一塁側内野席が当然だったので、違う景色も良いもんだ

この日はイベントデーで、選手と同じデザインのユニフォームがもらえる

2016燕パワーユニフォームと言います

テレビの映像で球場が一色のように感じるのはこのユニフォームの効果

だと実感しました


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ビールが半額の日もあれば、ピンバッジがもらえる日もあるそうだ


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  応援のメガホン?をもらった



37年ぶりの神宮観戦で、少し興奮気味の爺・・・

少々フライング気味だが、着席と同時にビールを購入w

試合開始までの1時間半をビールと共に・・・・

爽やかな風が吹き申し分ない野球観戦日和に満足な爺でした


私は最下位が定位置の「アトムズ」のころからの贔屓である

50年間静かに見守ってきたので、勝った負けたで一喜一憂はしない

勝てば嬉しいのは本音だが、負けたからと言って選手も精一杯闘った

のだから、選手や監督スタッフを悪く言うことは無い


勝つ者がいるから負ける者がいる

負けたくて負けるものなど居ない、いるとすれば八百長である

暖かく見守るのが長屋の爺流の応援である


ぼろくそに言うファンもたまに見かけるが、「それならお前がやってみろ」

それが私の正直な気持ちである(笑)



ファンは【希望を持って応援すべき】で、【過剰な期待を選手にしてはならない】

希望が叶えられなくても心に痛みは感じないが、期待を寄せて適わないと

裏切られた感情が湧き、それが心の痛みとなって「だれか」を批判・罵倒する


いまのヤクルトファンは勝つことが普通になってからのファンが多いと思うが

負け続けた時代のファンとは、懸命にプレーするだけでも満足なのである

(こんな事を言っているから、変わり者・偏屈と言われるのだろうけど)

やる側の身になって考えれば、誰でも理解できるはずなんだが・・・

これが正しいかどうかは分からないが、50年間アトムズ・スワローズを観てきた

私の応援哲学である




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6回のドラゴンズの攻撃前のスタジアム風景

開始前はレフトからライトに強い風が吹いていましたが

この時点では無風状態・・・・とにかく熱気がすごすぎるw


向かって右(ライトスタンド)が緑色に染まっています

もちろん一塁側、バックネット裏、3塁内野席も緑一色です

辛うじてレフト外野席だけがドラゴンズカラーで染まっていました



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神宮球場では「ジェット風船」は禁止、そのため7回開始前には

東京音頭の大合唱で傘が乱舞します


ココ(バレンティン選手)へのデッドボールで「あわや乱闘」という

シーンもありましたが、あきらかに投手の故意の死球と思え

さらに帽子をとってココに向かっていった態度には反省など無かった

故にココの退場処分には納得できない爺でした~

もうすこし打席を観たかったというのが本音ですけどね


試合終了

6-3 でスワローズ勝利、虚脱感と満足感で球場を後に・・・

スタジアム通りのお店から美味しそうな匂いが流れてきて

誘惑に負けそうな爺でしたが(笑)


地下鉄がヤクルトファンに占拠されたかと思うような光景に

一般客が唖然としていたのには笑えましたが、連日となれば

一つの社会現象かなと・・・・

この地域・空間にはジャイアンツの欠片すら見えません

それが私にとってサイコーの環境と言えます


東京は好きじゃないけど、神宮球場の近くになら住みたいと思う

これ・・・本音ですよ(笑)



そして・・・地下鉄で九段下へと戻り、ホテルを目指すが

なんか変?

どうやら出口を間違えたようで、見覚えのない景色に呆然となり

酔っぱらった頭でしばし考えてみる

高速道路の位置からすると、目白通りに出なくてはいけないのに

白山通りに向かっていたことに気付いた爺・・・

回れ右!

一路 高速道路に向かって歩き出した爺だったが、ここで思った・・

夕飯食ってない!

でも、一日中歩いてきた爺にはもうエネルギーなど残っていない

通りがかりのコンビニで食料&飲み物を確保!

いざ ホテルへ!

部屋へ入るなり、シャワーを浴びて一段落する

疲れ果てて食欲も無いが、明日のために流し込むことに

すでに11時をまわり、体力の限界を感じそのままベッドへ・・・


目が覚めたのは夜中(時間は不明)

左足が攣っていて、その痛みで目が覚めた

またしても左足~~

どうやっても治りそうも無く、数十分の時間「のたうち回る」

その日一日のいろいろな出来事を思い返しているうちに

波が引くように痛みも消えてしまった

あれは何だったのだろう?


朝起きてみれば、あいにくの雨模様

コンパクトな折り畳み傘だけは持参していたので問題は無いが

朝から腹の調子が悪い(泣)

疲れ果てて腹を出して、というか裸で寝ていて「寝冷え」をした?

(世の中の善男・善女のみなさん、くれぐれも裸で寝ないように

お気をつけてください、おなかを壊しますよ・・・・)


チェックアウトして外に出るも相変わらず腹の調子が・・・

本来なら靖國をもう一度参拝し、千鳥ヶ淵に行きたかったが

この調子では自信が無い!

地下鉄を乗り換えるにも、少々不安があるが立ち止まっているわけ

にもいかず、参拝は断念して帰路につく・・・


行き当たりばったりの今回の東京行、収穫は多く満足した旅でした


来月は2016富士総合火力演習に行く予定で

今年もたくさんの写真を撮ってきたいと思っている


秋にもう一度、神宮観戦に出かけようと計画中です

神宮のビールはサイコーですから・・・・

今度はチケット予約して、ホテル予約して(笑)



人は明日 どうなるかなど解りはしません

世の中で一番意味の無いのが、「たら」「れば」です

そのためには「一歩」足を前に動かす決断と勇気が必要かもしれません


欲しいものが有って、迷ったなら「買わない」のが長屋の爺流

買って後悔するより、買わないで後悔したくないという気持ちもありますが

決断できない時は「潔く撤退」するのが爺流です


常に人生は決断が求められ

旅をするにも様々な移動手段があり、費用も様々ですが

私の自論は「我慢してまでする旅は求めない」なのです


隣の人に気を使いながらの旅に意味を感じない変人ですから

対価を払うのに妥協は不要だと思っています

だから私の鉄道移動は「グリーン車」と昔から決めていて

立ったまま旅することなど想定してはいません

贅沢かもしれませんけど・・・・

でも、日常より苦痛を感じるために旅する人はいないでしょう?

自分の寝室より劣悪な環境に「宿泊代金」を払えますか?


私にとって旅とは、「移動」でもなければ、変化でもなく

満足・納得できる生活の息抜き、休息なのです

来るのかどうか解らない 「明日」のために・・・・

今できる事、今しなくてはならない事、その一つに「旅」があると

長屋の爺は考えています。

◎  東京へ行ってきました (その一) 


先ほど東京より帰って参りました

人生は常に試練という言葉が脳裏をかすめました(笑)


いつものように新幹線で品川に到着(東京駅は迷子になるので回避)

京浜東北線から中央線に乗り換え【御茶ノ水駅】へ

そこから徒歩で【神田明神】に向かう、日ごろ歩かない自分には

結構な距離に感じたw

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平日の昼間だというのに、そこそこの参拝者が居たのは

さすが神田明神というところか・・・

外国人(西洋人)の姿もチラホラ、真剣に写真撮影をしていたが

日本人の若い女性が特に多かったのは、そういう時代なのか?

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私が隨神門の前で一礼して潜ったとたん・・・異変が起きた

それまで何事も無かった左足の親指の付け根に激痛が・・・

痛みをこらえ拝殿へと向かう

そのまま帰るわけにはいかないと思ったが、朱印帳も持参せず

咄嗟に社務所で朱印帳を購入し、御朱印を頂くことにしました

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ところが・・・その朱印帳が↓

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《 朱印帳 》

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お金を払おうとして、なんともカワ(・∀・)イイ!! デザインに大汗w


ただ・・・朱印をもらう「やり取り」が、みょうに事務的というか

上から目線というか、高圧的というか・・・

古い人間からすると、温かみの無い応対に感じたのは考え過ぎか?

あくまでも長屋の爺の私感で、批判ではありませんから・・・


私が隨神門のまえで一礼をして神田明神に背を向けた途端

左足の痛みが消えた・・・・・

どういう事なのか解りませんが、不思議な現象だったことは間違いないですね


汗ばむ陽気(妖気ではない)の中、今度は御茶ノ水駅から中央線で水道橋へ

そこから、よせばよいのに徒歩で九段下へ向かう

消えかけた記憶を頼りに、モクモクと汗をふきふき歩き続けた爺だった


電話でホテルの予約をしなかったので、直接ホテルへ向かうことにした

幸いにも空き室があり、無事予約を完了した

九段下が良いのか赤坂見附が良いのか迷った挙句電話しないで

直接交渉・予約を選択・・・九段がだめなら見附があるさw

考えてみれば、何と無謀な爺なのかw

長屋の爺に失うことの恐怖など有りませんから・・・・


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《アパホテル 九段下》

寝具の上に「折り鶴」が添えられてあった(Good Job)

予約はシングル禁煙室 食事なしだったが、夜部屋に行くと

枕が二つ、なぜか「セミダブル?」・・・・シングル料金でなんだか嬉しいw

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とても清潔なホテルで、細かな気配りがなされていて大満足

けっこう高級感のある部屋でした

次回があれば、このホテルに泊まろうと思いました


予約完了後、そのまま徒歩で靖國へ

私はすっかり忘れていました・・・・・

九段下から靖國への道はすごい上り坂だったことを


靖国通りを西に向かい、田安門側から大村益次郎の銅像へ

靖國ではイベントを行うようで、業者の方が大勢で作業中だった

職人の仕事中を写真に撮る事は遠慮して写真は無しです

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参拝はしましたが、英霊の眠る拝殿は写真を撮る事に躊躇いがあり

写真はありません

なぜなら、此処でも第一の鳥居を一礼して潜ったとたん

左足首に激痛が・・・・

またしても痛みをこらえ、緩い坂を上って行きました


歩き慣れていないから、こうして足が痛くなるのだろう

そういうとらえ方をしていた長屋の爺も二度目となると

真剣に考えねばならなくなります

どうして左足ばかりなのか? 解るわけなかったw


その後、遊就館へと進み展示(90分コース)を拝観した

意外だったのは西洋人の数が驚くほど多く、それも真剣に

英文表記を食い入るように観ていたのには、ちょっと複雑な・・・


私と同じような年代はあまり居なく、若い年代の方がグループや

カップルで拝観していたのには驚いてしまった

ネットの時代、自虐史観や押しつけ歴史観では若者は納得しないのか

また、そうであってくれれば良いのだが・・・・

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神田明神の朱印帳・・・ここで出すのは躊躇われたが(笑)

応対してくれた巫女さんが丁寧で、笑われずに安心した爺でした

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       《友人たちの「お守り」》

是のために行ったというのは不敬の極みかもしれない・・・・


そして、靖國の鳥居を出て振り返り、一礼して背を向けた途端

左足首の痛みが嘘のように消えていた

もっと早くに来い! と言うのか?

もう一度来い ! とでも言いたいのだろうか?


やはり私にとって、靖國は神社では無かった

行ってみて再確認できた長屋の爺である


一応、儀礼・作法である「二礼 二拍手 一拝」は行ったが

ここは神社とは違う場所である


気づかれている方もいるだろうが、神社の拝殿はそのほとんどが

南に向いている



地域の社でも、大神社であっても・・・・神社の神様は南を向いているのである

私は西に向かって進み、その先に在る拝殿で参拝した

つまり・・・・東を向いているのが靖國なのである


皆さんの周りに在る神社は、南または南南東・南南西を向いて

建てられているはず、一度確かめてみると納得できます


おそらく靖國では、理由を考えてあるのだろうが、私の中の神社とは

ちょっと違う、だから以前から私は靖國神社とは呼ばず【靖國】と呼ぶように

している
 のである


この後・・・は、明日にでもつづきを書きます 乞うご期待?

◎  予定の報告 

脳みそが煮えるような暑さとは今日のような状態か?

うだるような暑さというより焼けつくような感じだった


先日、連休なら靖國に行こうかな・・・と仲間に云ったのは事実だが

今日昼食どきに「行くならお守り買ってきて」とリクエストが幾つか

さらに「神宮に行くなら山田選手のサイン入りグッズを買ってきて」と

とんでもないリクエストが・・・・・

追い打ちをかけるように「東京バナナ買ってきて」には恐れ入った爺

言い訳のできない状況に追い込まれてしまった


本来は前回の東京行きで買ってこれなかった友人の依頼にこたえるべく

靖國に行く心算が、とんでもない事になってしまった(笑)


取り敢えず明日は靖國に参拝して、神宮で野球観戦をすることに決定

朝一でホテルの予約を済ませなければならない

野球観戦してその日のうちに帰宅することができる新幹線が無い

それだけ遠いという事なのだろう・・・


取り敢えずどういう予定になってもいいように、九段下のホテルを予約する

つもりだ

これなら、明日でも明後日でも靖國に参拝できるし、できれば千鳥ヶ淵まで

足を延ばすことも可能になるという計画?だ

とにかく身軽で行かない事には、浦島爺は乗り換えが苦手だから・・・・

満員電車に我慢ができず、途中下車ばかりしたのでは目的地に着けなくなる


お土産買い出しツアーのようで、なんとも気乗りしない上京だが、これも必然

ということなのか、いやそうであると思いたい


今、天気予報を見たら東京地方は明日夕方から雷雨とか・・・・

 雨具は荷物になるから持って行かない事にしたのに

やっぱり東京は・・・・私には厳しいままなのかw


そういう理由から、明日の更新は休みます 

◎  思い込みと歴史認識 

人間とは思い込みの強い生き物である

自分の事を言っているのではないですが(笑)


日本書紀・古事記は誰のために書かれたのか

その扱いはどうだったのか・・・・


古事記の現存する写本というのは1372年に写された真福寺本が

最古である

誰しも、8世紀に書かれた物の「写し」であることを疑わない

本当にそうなのか?

どこに「古事記」が創られたと書き残されているのかご存じだろうか?

誰かが原本を書き足したり削除したのかもしれない可能性は?


古事記には「序文」と呼ばれるものが有り、この序文には古代の日本語の

使用状況を知らない人間が書いた痕跡がある

つまりは・・・意図的に「内容」と「成立過程」を捏造したものかもしれない

研究者から言わせると「馬鹿なことを・・・」と言われそうだが、爺の自論を

否定すべき確たる証拠も無いのが現実である

天武天皇が命じて作らせたにしては、どうして原本も無く、写本ですら

14世紀のモノだけなのか・・・答えられる人は居ないだろう


8世紀に天武天皇の意を受けて成立した歴史書という思い込み

これが日本の歴史の一つの「物差し」になっていることに気付いてほしい


日本書紀とて大差ないものと私は思っている

すべて「偽書きの国史」とまでは言わないが、以前にも書いた通り

年代(歴)の矛盾する記述があり、差し替えたか書き加えた可能性がある

それ以上に「日本書紀」とは、誰のために書かれたのか?

この書物を読める人がどれほど存在したのか?

日本書紀の完成は「続日本紀」に書かれているので確かなのだろう

720年に「日本紀」が完成したとある (日本書紀ではなく日本紀なのだ)

* 王の治世を編年体にしたものを「紀」、紀伝体の史書を「書」と中国では呼ぶ

その意味からすれば、日本紀でなければならないはず・・・

そんな事も分からずに書き変えたなど考えられない

とすれば、日本紀と日本書紀という2種類の史書が存在した可能性もある


 日本書紀は他人に読まれたくなかったのかもしれない・・・

藤原不比等の日本乗っ取り計画の集大成が「史書編纂」であったなら

だれにでもわかる、誰にでも読めるものは残したくなかった

考えすぎかもしれないが・・・・江戸時代まで、その内容について

一般人(学者)が分析することがなかったことを考えても

誰でも目にすることができなかったか、内容に言及することが

タブーだったのかもしれないのだ

全ての史実は暗号にされて書き残された可能性すらある


日本人は【疑う事を善しとしない民族】である

天照大神 を「アマテラス」と読むことに違和感を感じない日本人

小学生なら「アマテル」「テンテル」と読みそうな漢字である

シンプルに単純に漢字だけを観て読むなら【アマテル】ではないだろうか?

アマテラスという読み方に、古代の史実を暗号化した意図が見えてくる


出雲国造家は天皇と祖が同じという定説にも、なんら疑いを持たない日本人

なぜ出雲国造家は天皇が変わるたびに、忠誠を誓うのだろう?

「身逃げ神事」のとき、どうして国造は身を隠してしまうのだろうか?

祟り神である出雲の祭神を「祀る」ことができるのは、祭神の末裔だけである

素戔嗚やオオクニヌシを祀る出雲国造はその末裔でなければならない



思い込みと刷り込みによって、日本人は歴史から遠ざけられている

私の好奇心の源泉は、こういう事から始まっているのである。

◎  そして・・・戯言 

相変わらず暑い日が続いているこの地方

そして・・・今日も呑んでいる長屋の爺です(あははは)


暑いなどと贅沢を言えない状況になりそうである


世間で言うほど「景気など良くない」と言い続けてきたが

その通りになりそうである

少し・・ずいぶん早い夏休みがやってきそうな気配が・・・

営業が仕事をとってこない(とる気が無い・取れない)ようなのだ


ま、どうしたって「なるようにしかならない」のが世の中である

ケセラセラ と意に介していないもう一人の自分が居る


さて、早すぎる夏休みの予定を考えるのも楽しいものだ

姫路城にも行きたいし、松本城にも行きたい、伊勢神宮にも行きたいし

靖國にも行きたい、神宮球場にも行かねばならないし・・・・

考えている間に休みが終わってしまうかもしれないが(笑)


たぶん私の事だから、朝起きて急に思い立って電車に乗るかもしれない

まぁそんな旅も「あり」かもしれないですね・・・


話は変わりますが・・・

私は「時給」は高い方である

だからと言って時給で働いているわけでは無い

時給に換算すると、と言う話なのだが

その日によって差が大きいけれど、3000円から5000円というところか

実際には毎日仕事があるわけでもなく、それほど長い時間仕事など

していないのが現実だから、ある意味「ぼったくり」みたいな仕事かもw

実際の収入は「そこそこ」と言っておきます


性格がサラリーマン向きでない事もあり、体を使って汗をかく仕事が好き

職人・技術者、肉体労働者が大好きだ


仕事を完工して「クレーム」をつけられるのが大嫌いで

手直しするくらいなら、最初から「やらない」事を選択する


【+1】 の仕事を目指し

人の行う仕事に「一つ足す」仕事を目標にしてきたつもり

(あくまでも自己満足の世界ですが・・・)


要領の良い人間は、かく汗の量も使うエネルギーも節約する

どう考えてもそういう人間にはなれそうもない(笑)


要領のいい仕事は早い仕事と考えがちだが、きめ細かな仕事に比べれば

ロスも大きく、手直しのリスクを負う事になる

早くきれいな仕事は「要領」ではなく、習熟(経験と判断)に左右される


私の口癖は、完成形をイメージできない職人に「良い仕事」はできない


完成形とは我々の言葉で「おさまり」と呼ぶ

きちんとおさまるには、一から順番にこなしていたのでは無理が生じる

なぜここに「そのパーツ」「その作業」が必要なのか?

完成形が見えない人間はその先が見えていない・・・・ということになる


今までの若者(弟子)たちには、プラモデルを作れ! と教えてきた

その基本は設計図(組み立て図)の最期から順番に眼を通し

完成形から最初まで、分解できるまでイメージを膨らませろと教える

そうすることによって、一つ一つのパーツの組み込む場所、順番が理解でき

なぜその向きに「はめ込む」のか、「接着するしないの判断」が理解できる


たかが「プラモ」・・・・されど「プラモ」である

家もマンションも橋も、所詮は組み立てる大きな「模型」の延長なのだから


こういう事を言うから変人扱いされてしまうのだが

馬鹿と長屋の爺は「死ななきゃ治らない」という事です


P.S

世の中には自分中心で生きている人が大勢います

人の好意に対し後足で砂をかけるような人もいるようですが

おせっかい 不必要な善意 は理解されないことが多い

人の痛みが解るからこその「善意」

「私って可哀想」で生きている方には永久に理解できない事なのかもしれません


他人の行い(善意)に、お人好し、甘いと言うのは簡単ですが

それは本人の自己責任で行っていること、他人が分析することでもないと

私は思っています

善意とは自分が「善かれ」と思う心の表れです

結果など些末なことでしかありません

どうなったかではなく、どう行動したか・・・

私の考える【善意】とは・・・そういうものだと断言します。

◎  謎の尾張氏、熱田社 

道路脇にあるデジタル温度計の数字を観て「めまい」がした

午前中にもかかわらず【34度】、それも涼しい風が吹き抜ける

橋の袂だったので余計に衝撃だった

街の中ならいったいどのくらいの温度なのか

まだ7月に入ったばかり・・・この先どうなる?


言葉や文字は自分の都合の良い解釈をすることができる

「書いてあるから事実」というのも、その一端なのだろう

なぜ書いてあるのか、なぜ書いてないものが有るのか

そんな事は自分の解釈にプラスかどうかの基準でしかない


三種の神器を護持するのは宮中・伊勢神宮・熱田神宮である

神器が本物かどうかなど、だれにも分からないだろうが

皇祖を祀るといわれる「神宮」、天皇が住まう「宮中」は別にして

なぜ、熱田神宮に神器の一つが納められているのか?


この問題に注目すべき論説は非常に少ない印象がある

なぜかといえば、熱田神宮、尾張氏に関する記述の少なさが

原因と思える

熱田神宮の創建は不明である

古事記にも日本書紀にも、創建についての記述は無い

三種の神器を納めた重要な神社の歴史に触れていないのは

強烈な違和感を感じてしまう

これは書き漏らしたのでも、書くべき程重要では無かったわけでもない

意図的に歴史から「抹殺」したかったからだろう・・・・と私は思う

熱田神宮の社伝によれば、創建は113年(景行天皇43年)である

景行天皇の生没年は不詳であり、通説に依れば3世紀末~4世紀前半

の天皇だという

すでにこの説をもってしても「あり得ない」「矛盾」の創建時期なのである

この景行天皇の息子が誰でも知っている【日本武尊(やまとたけるのみこと)】

であり、伊吹山の神の「たたり」によって亡くなったとされる

伊吹山の神の祟りとは面白い話であるが、なぜ「祟られた」のかは不明である


ヤマトに大きな異変があった時は、三関を閉じることになっている

古代の三関とは、不破(ふわ)関(美濃国、現在の岐阜県不破郡関ケ原町)

鈴鹿(すずか)関(伊勢国、現在の三重県亀山市)

愛発(あらち)関(越前国、現在の福井県敦賀市内)である


関があるという事は、関の先は他国という観念としか思えない

美濃・伊勢・越前とは東海信越地方であり、歴史で言う【東国】に相当する

あの天武天皇が近江朝に勝利できたのも、東国勢の助力の結果だという

その東国勢力とは「尾張」であり「越」であり、「伊勢」の部族だったのではあるまいか

壬申の乱までのヤマトは関の内側に限定され、東国と呼ばれる地域は服従など

していなかった

東国を味方につけることができるかどうかが、皇位の安泰を意味していた

可能性すら考えられる

なぜ「草薙の剣」が熱田神宮(尾張氏の地元)にあるのか?

その答えは壬申の乱に隠されている気がしている


熱田神宮の創建は不明だが、日本書紀編纂の時代には存在していたらしい

草薙の剣に関する記述に、「草薙の剣は熱田の祝部(はふり)の掌り奉る神」

「草薙横刀は、是今、尾張国の年魚市郡の熱田社に在り」とあるからだが

この説にも少なからず疑問は残る・・・


天武天皇686年6月の記述に、「天皇の病をト(うらな)ふに、草薙剣に祟れリ。

即日に、尾張国の熱田社に送り置く」 
という記述が残る

これも後に書き記した可能性も残るが、尾張氏の盛衰が遺されていない現在

どういう状況で、草薙剣が熱田社に納められたのか、知ることは適わず

その点に関しては疑問のままである・・・

この熱田社(熱田神宮)は平安末期に藤原氏に替わるまで尾張氏が奉斎していた

そんな尾張氏の実像が見えてこないのには、日本書記編纂時の権力者の思惑が

色濃く出ているのかもしれない

天皇家と縁戚、祖神が同じと言う記述には大きな「?」が付いて回る事が多い

同じ身内という「免罪符」によって、囲い込んだ部族は多かったのではないか

その代表が・・・「出雲国造家」だと私は思っている


観る角度を変えれば、天皇家に「寝返った」「裏切った」可能性すらある

出雲国造家に関しては、もう少し頭の中を整理してから書きたいと

思っております


何時になる事やら?  それは言わないでください(笑)

◎  花と酔っぱらいの戯言 

連日の猛暑にめげそうになっている

今日も仕事から帰るとキッチンの温度が33度、部屋が32度

ミコも玄関まで来て何やら必死に訴えてきた

相当暑かったのかもしれないw

真夏になればエアコンをかけて仕事に出るのだが・・・

まだ7月になったばかり、去年の7月は問題なく暮らしていただろう

そんな言葉はネコには通じないだろうけど(笑)


我が家のエアコン冷房は設定温度27度、エアコン暖房は22度と

決めている (数字が逆ではないです念のため)

27度の省エネ冷房でも、寒くて何度も電源を切ることが多い

冷やし過ぎ暖め過ぎには気を付けている


この2~3日、パソコンの調子が悪い

他の方のブログを閲覧しようとしても、正常に表示されなく

表示されても「レイアウト」が崩れていたり、すごく時間がかかったり

フリーズしてしまったり・・・

一人の方のブログを観るたびに再起動するのには恐れ入ってしまう

訪問の足跡が残っていても、私には読めていないブログもありそうだ

おまけに自分のブログも表示されなかったのにはあきれ果てて

お約束の不貞寝をしてしまった(笑)


本日も暑さをしのぐために「呑んで」います

という訳で、古代史についての更新はできそうもないみたいなので

この先は、我が家の花と酔っぱらいの戯言で誤魔化すことにします

お許しください・・・


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  山形産 さくらんぼ

私は50年間朝食を食べない人間だった

離婚後、友人知人から「朝は食べないと体によくない」と言われ

朝食を食べるようになったが・・・・・

その結果、体重がどんどん増え、ウエスト周りが異常なくらいの

数字になって、履けるジーンズやスラックスが無くなってしまう結果に

さらには体調も悪くなり、健康を害するようにもなった

他人には正しいとされるものでも、人それぞれなのかもしれない


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  《 我が家の グラジオラス 》


私は基本的に「間食」はしない

「おやつ」というものは子供時代には食べることなどできなかったし

大人になってからも、菓子や果物などはあまり食べない習慣に

なっている


果物は秋の「柿」、冬の「ミカン」くらいなもの、それも一日二日の間

口にすれば「もういらない」という状態で、嗜好品代(おやつ代)がかからない

経済的な爺なのである


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    《 雨に打たれる 四つ葉のクローバー 》



現在は朝は食べない事が殆どで、昼は仕事の契約相手持ちの外食(ただ)で

夕食だけが自分の負担というお気楽な食生活だ

酒も原則として正月に呑むくらいで、連休で家に籠る予定の時は焼酎を呑む

毎日のように車を運転する関係上、深酒をすることなど無い


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  《 フローディア 》


車が無いと何処へも行けない地方都市で、バスに乗るにも大変な苦労を強いられる

バスに乗るのは毎年八月の富士総合火力演習の時だけ、それも貸し切りだ

電車など10年に一度乗るかどうか・・・

新幹線も15年ぶりに乗ったくらいだから・・・浦島太郎にもなるわけだ(笑)


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  《 日日草 フェアリースター ミルキーピンク 》


そもそも出不精(でぶしょう)な性質で、他人に背中を押されなければ出かけない

人混みの中に一時間いるくらいなら、30分独りで本を読むことを選択する


仕事で困るのが「茶菓子の接待」されること

菓子は自分から進んで食べないし、果物も特に好きという訳でもなく

お客様は善意であれもこれも出してくれるが、「私は食べないです」とは言い難く、

お茶だけ飲んで誤魔化すようにしているのが辛い

そのお茶も、茶碗やマグカップに「茶渋」が付いているのが全くダメで

喉を通らないのが悩みの種だ・・・

子供のころに、お客に出した茶碗を洗わずに次の客に出す習慣の

親類のおばあさんの家で短い期間暮らした時の記憶が蘇ってきてしまうのだ



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  《 サンパチェンス パッションオレンジ 》


私の家の茶碗やマグカップ、神棚の榊立てにいたるまで、月に2回漂白をする

(これは離婚後に始めたことで、家族と暮らしていた時は観ないようにしていた)

原則ペットボトルのお茶なら何でも「美味しい」と言って呑むようにしていて

コップ・茶碗の中は観ないように努力している

友人たちから「生活不適合者」と言われるのも当然かもしれない(笑)




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  《 軒先で咲く サンパラソル レッド 》


こだわりが強く食べ物も飲み物も年々限定するようになってきた

一つ決めたらそれ以外は買わないし、口にしない極端な性格である


飲食店に足を踏み入れた途端、ゴキの匂いが解るため

積極的に知らない店への立ち入り・飲食はしない

一番短かったのは自動ドアが開いてそのまま後ずさりして店の中に

入らなかったことが二度ほどある

飲食店の二軒に一軒はゴキが生息していると思っている(経験から)


知らない事が幸せな事もあるのが、この世の中・・・




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  《 ガーデン ブーゲンビレア 》


心身共に少し疲れているのか・・・・いや、単に酔っているだけだなw


◎  雨の日のミコ 




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       《 雨の日の磨きをかけるミコ その一 》



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《 雨の日の磨きをかけるミコ その二 》



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 おまけ  《 S字になってる後姿 》 


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今日は朔日で更新は休みですが、ミコの画像を貼っておきます








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