不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  久しぶりに 


精神的に回復しつつある中、今度は体が急降下・・・

連日のハードな現場で体のあちこちが悲鳴を上げている

心身共に満身創痍の長屋の爺です


今回は薬に頼らずに「鬱」も小康状態を保っていて

このまま治まるのを期待しているという状況ですが・・


私はすべてを失くしたと再三書いてきたが、可哀想オーラなど

出したくもないし、貧乏自慢もしたくないので

「全てを失くした」のが、どの程度なのかは想像に任せます


人間はどのくらい絶食に耐えられるか?

人によって違いがあるそうですが、私は一週間は無事でした・・・


鬱の状態が極限に達すると、死ぬことがとても心地よさそうに思えてきます

苦しくて死にたい思いが、ある瞬間から死に対する熱望のような感情が

湧いてきました

本当に死ぬ気の人間は、現世への執着も、心残りも、別れの挨拶も「無」となります

死ぬ前にメールや手紙などに意識があるうちは、本当の死への望みが薄いと

思っています


苦しさから逃れるための死は衝動的であり、覚悟のできた死は快楽にも思えます

あくまでも私の経験から導き出した考えですので、誰にでも当てはまる事でもなく

自死を考えること自体「ふつう」ではないかもしれませんが・・・


私は他人(ひと)が思っているような真面目な人間ではない

競馬は14歳の時から、競輪は17歳、オートレースは18歳

競艇は20歳の時から、タバコは15歳、酒は16歳、麻雀は13歳の

時に覚えました

既に時効でしょうけど、裏社会の人間を相手に「賭けマージャン」で生活を

していた時期もあります

体を壊すまで毎日、酒を浴びるほど呑んだ時期も・・・

金が無い時は屋台のコップ酒を一口呑んでは、電信柱の間を

全力疾走しました

少ない酒で思い切り酔っぱらう「秘策」です(笑)




仕事熱心で綺麗に遊ぶのが「オトコ」だと、先輩諸氏から薫陶を

受けてきましたから、私は「遊び人」が大嫌いである


目いっぱい仕事をして、好きな事を思う存分やる

それが願いでもあり、そのように人生の途中まで生きてきた


何かを手にすると、必ず何かを手放すように世の中はできている

人生を歩むのに持てる荷は決まっていて、背負う荷も限りがある

家族を手にした私は、酒とすべてのギャンブルを手放した

そして・・・家族も仕事も交友関係も手放した見返りに、手にしたのは

この世の「地獄のような現実」だった


その地獄の中で真の「友」を得て、現在わずかながらの生活の糧を

手にすることができることに「感謝」する毎日

私にとって神棚の「神」が誰であるのかなど、本当はどうでも良い

(こんなことを書くと不敬と言われそうだが・・)

私にとって「感謝」する対象が、目に見えない神であればいいのだ

特定の人格神では無く、目に見えない力の持ち主・・・

それがお天道様なのか、**神なのかは知るはずもないが

無事、朝を迎えたことに感謝するのが、毎日行う朝の行事なのである


私を必要としている企業があり、私がそれに応えられるならば

力尽きて倒れるまで、応え続けようとは思っている


器用貧乏な自分が、人生の生き方が「不器用」という皮肉・・・

世の中に不器用な生き方しかできない人間が居ても良いだろう




なしても不器用にしか生きられないのさ~・・・・ 

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◎  爺の本音 

今日は幾分なりと気分が良い気がしています

心配をされてる方も、そうでない方にも心から感謝しています


私自身、十数年前より自分が解らなくなる時が突然やって来ます

だからと言って刃物を振り回したり、大声で喚いたりすることも無く

深い泥沼に嵌まっていく自分をどうすることもできないような

言葉ではうまく説明できませんが・・・


常に「変わらなければ」という強迫観念が自分を支配していて

変わりたくない自分との葛藤が神経をおかしくしているかもしれません


家族との離別で反省もし、後悔もして、出した答えが「変わらなければ」

だったのだと思っています

もっと優しくならなければ・・・

もっとおおらかに物事を考えなければ・・・



どんどん自分を追い込んでいると言われたりもしますが

それが自分のできる唯一の贖罪だと思っているのは確かです




最近は成るようにしか成らないのが人生、どうにかなるさと思うように

心がけている長屋の爺

問題は対人関係で、「こう言えば相手はどう思うか」とか、こうすれば

相手はどう受け止めるか、どう考えるのか・・・

人と接するのがとてつもなく不器用で、最近はかなりマシになったのでは

と自分を評価してはいるが、不器用なのは生き方そのものかもしれない


昔、妻の友達が遊びに来ても、気の利いた話もできず、毎回呆れられていた

私は初対面の人と、どう接して良いのか解らなかったのです・・・


それもこの十年で少しは改善されたと自負しています

人見知りならだれにも負けない爺です

(今回の東京行きも自分なりに一大決心が必要でした・・)


ブログの中なら自分は普通に振舞えるのに、現実になるといろいろなことを

頭の中で考え、言葉に出せないもどかしさが、自信を無くして行く事になり

本来の「対人べた」でいるほうが居心地が良い自分と、其れではいけないという

もう一人の自分との葛藤が「鬱症状」を起こしているのかもしれません


仕事では顧客との対話も、友人たちとの会話も、何のストレスも無くできるのに

どうしてそれができないのか自分でも不思議なのです・・・


離婚に際して元妻が放った言葉が

 「何もしてくれなかった」 

私は離婚後何年も、この言葉の意味が解らないままでした


私の妻は9歳年下で、結婚したときは20歳という若さだったので

必要な生活費だけを預け、欲しいものが有った時に買い与える生活が

長かったのです

「**が欲しい」 「**を買って」

そう・・・私は「妻に買い与えていただけ」なのだ・・

プレゼントはおろか花一輪、自発的に贈ったことなど皆無だったのだから



「やさしくなければ 男じゃない」

こんな簡単な事に気付くまでに50年もかかってしまった大馬鹿野郎である


人一倍コンプレックスが強く、強くなければ男じゃない

強くなりたい、強くならなければ・・・

その結果、優しさの本質を知る事なく、くだらない「ただの男」に育ってしまった



私の今の生活は、前を向いたものではない

過去を振り返り、過去の隙間や溝、ぽっかりと空いた穴を埋めようと

優しさの何たるかも弁えず、ただ闇雲にもがいているだけかもしれないと

最近思うようになったのです


猫と戯れる数日を過ごしているうち、短い鳴き声しか出さないミコが、

まるで話しかけるように鳴き声を出し始めた

私を心配しているのか?

私に何か意見をしているのか?


男は過去を振り返って生き、女は明日を向いて生きる

若い頃世話になった大先輩の言葉である

この齢になってようやく、その通りなんだと頷いてしまった


人によっては、くだらない事かもしれない

聞く人によっては、情けない話かもしれない

だが、私はこの問題をスルーしてはいけないのだと思っている


教えられて理解できるものでもないだろうし

今日考えたからと言って、明日解るものでもないような

あくまでも経験を重ねて理解できる事なのかもしれない・・・

それが今日まで考えた答えの一部です


最近、昔の事を思い出すようになったのも、何か理由があると

思っている(思いたい)長屋の爺であります。


もう少し気持ちの整理をして、ブログを再開したいと思っています

体は相変わらず元気ですので・・・・


◎  東京ロス? 


連日の雨を身近で観ているせいでもないが

この時期に悪い虫が蠢き始めたようだ・・・・


とにかく下を向くことが多くなった

毎年、梅の季節に訪れる「鬱」の虫が、今年は時季外れの

梅雨時に出てきてしまった

カナダの親父様もその傾向にあるそうだが、私も付き合って

同じような症状になったわけでもないだろうけど・・・


仕事の時は緊張感をもって動いてはいるが、家に帰ったとたん

「何かをする」という気力が薄く、心の中の「鞭」で尻をたたかれ

「仕方なく」日常を過ごしている


私は独りが好きである

生来、人とつるんでいなければ生きていけない人間ではない

だから、人恋しくなったわけでもなく、寂しくなったわけでもない

人混みが苦手で、喧騒がきらいな爺である


東京行きが自分の人生の大きな壁だったからなのか

東京という魔物に毒されたからなのか

一つの願いが達成されたからなのか・・・


「東京ロス」

ふと、そんな言葉が頭を過る

それほどインパクトのあった大イベントだったのかもしれない


好きな本を読む気力が出ないのが悲しい

深刻な症状は出ていないので、気分が良い日だけ更新します


体調不良のためお休みします 2



くれぐれもご心配は無用に願います (長屋の爺)

◎  ヒトと神社、神の意思 


現代の神社、パワースポットとか言われ、老若男女に高い関心を

得ているのだが、意外と神社を知らない人が大部分である


「それでは お前はどれだけ知っている?」

そう問われると胸を張って自慢できるほどの事は解ってはいない

ただ・・・「おかしいこと」、「理に適わないこと」がある事だけは

長屋の爺は断言できるのである


前回書いた出雲大社の祭神の変更などもその一つであろう

祭神が神社に「留まっている」というなら、新しく祭神とされた

(勧請された)神は、沢山の神体を持っていることになる

それまでの祭神とされた神は何処を浮遊しているのか・・・・


Aという神社とBという神社の祭神が同じなら、同時に二か所で参拝したなら

そのどちらで参拝者を迎えるのだろう?

それとも神さまは同時に百や千もの神体を持つというのか?

誰がそう決めたのか?

これを「屁理屈」と思う方には、永久に理解できない疑問なのである


私は神さまが居ます場所が神社などではないことは明白だと思う

理解しにくい話かもしれないが、神社に祭神が鎮座しているという観念

こそ、神を「もの」扱いしていることに、なりはしないだろうか・・・


この神社に**という神さまが鎮座している

そう断言しているのは神ではない

人間なのである

神はヒトに非ず 神は物に非ず

神社を統合したり、合祀したり、祭神を変更したりするのは

人間の勝手な都合であり、神を愚弄することにも等しいと思っている


神を人工の建物に封じ込め、人間の欲や都合でもてあそぶことが

神に対する接し方とは思えないのである


日本人にとっての神とは?

キリスト教徒などは、教会に足を運ばなくとも【神に祈る】事が可能だ

十字を切り神に願いをするだけで、神と向き合える

神は常に自分の胸の中に居る

私は笑われそうで稚拙な、そう云う解釈をしているが、違うだろうか?

日本人はと言うと、神さまに会うために「神社」という限定的な場所に

足を運ぶ必要がある

日本人にとって神さまとは、神社で向き合うものなのである

毎日朝から参拝する敬虔な信徒でも、いったん神社の鳥居を出てしまえば

神さまの事は意識の隅にも残らない人が殆どである

日本人にとって神社こそ神さまと向き合う場所であり、神さまはどのような時も

【神社に居る】という意識なのである


その原因を作ったのが、8世紀の策士・藤原不比等だったのではないか

神さまを神社と言う限定的な場所に祭った

そう聞くと好印象を抱いてしまうが、何のことは無い自分達の都合で

神さまを「封じ込めた」というのが真相のような気がしている


ヤマトの人々にとって、野に山につねに身近に居ると感じていた神たちを

ある日突然、社殿という建物の中に封じ込められ、気が付けば精霊では無く

人の姿をした「神」に祈れと言われたのに等しい・・・


神がほんとうに怒り、人間に警鐘を鳴らすのは、他人を殺めた時ではない

この地に生きる諸々の命に危険が迫った時に、時の為政者に向かって

警鐘を鳴らすのだと思っている



日本が日本で有り続けることに大きな障害が起こりそうなときに

息を整え足元を見よ、眼を大きく開き周りをよく見よ

私は神の怒り(神罰・天罰)とはそういうものだと思えてしまうのである


自然を破壊してまで、住宅地を広げなければダメなのか・・・

自国の民を後回しにしてまで、他国に阿る必要があるのか・・・

「足るを知る」努力を為政者は成しているのか・・・・

国民が皆、「感謝の心」を保持しているのか・・・・

神は今、日本人に対し、そう問いかけているのではないだろうか・・・。

◎  出雲の神の正体 

謎ばかりが際立つ出雲大社

諸説入り乱れて本当の処は謎のまま放置されている気がする


出雲大社

成立も定かではないが、現在のように【出雲大社】と呼ばれる

ようになったのは、1871年(明治4年)からである

ともすると、古代から「出雲大社」と呼んでいたと錯覚してしまうが

出雲大社の呼び名は、わずか百年余の歴史しかないのである

それまでは【杵築(きずき)大社】と呼ばれ、さらには島根県東部から

引っ越してきた可能性もあるという

引っ越しと言うと語弊があるが、意宇にある熊野大社の祭神を勧請し

創建されたとされる説、京都・出雲大神宮から祭神を勧請したという

説もあるが・・・


出雲一宮・熊野大社

祭神  伊邪那伎日真名子 (いざなぎのひまなこ)
     イザナギ・イザナミの御子という意味

     加夫呂伎熊野大神 (かぶろぎくまのおおかみ)
     神聖なる祖なる神

     櫛御気野命 (くしみけぬのみこと)
     素戔嗚尊(スサノオノミコト)の別神名

出雲大社の祭神は「オオクニヌシ」ではなかった? と思われるだろう

此処に8世紀の陰謀が隠されているような気配がするのである

出雲大社の祭神は変節をしている

中世頃から17世紀までは、杵築大社(出雲大社)の祭神は

間違いなく「素戔嗚尊」だった

17世紀に出雲国造家が【神仏分離】【廃仏毀釈】を幕府に求め

寺社奉行に認められ、祭神を「スサノオ」から、記紀神話に従い

「オオクニヌシ」に戻したという

(出雲国造家については別の機会に詳しく・・・)


素戔嗚を「天津神」と見るか、「地祇(くにつがみ)」とみるか・・・

この基準もどうかと思うが、現在の天皇家の主張する天孫という

観念から観た場合の仮の呼称とでも言っておきたい

私は素戔嗚尊は地祇(国津神)だったと思っている

(天皇家の祖がヤマトに来るまで、治めていた一族

の系譜を「地祇」と呼ぶならそういうことになる)

天孫降臨(真実かどうかは別にして)するまで、神宝を保持し

吉備から出雲を経て、近畿地方からヤマト(葛城)に勢力を拡大した

一族の祖が「素戔嗚尊」であり、その遺志を継いだのが「オオクニヌシ」

だったのではないだろうか・・・・

吉備を足掛かりに【朱砂(すさ)】や【砂鉄】を求め瀬戸内から河内、ヤマトに

到ったのだと思っている

スサノオウとは【朱砂の王】であるのかもしれない

出雲西部には【須佐(すさ)郷】があり、東部には【意宇(おう)郡】がある

其処を結ぶいくつかの地域に、「スサノオ神伝承」が残されている

出雲と素戔嗚尊は深い関係があるような気がしてしまう


次回は、素戔嗚尊は「悪神」ではなかった

三種の神器の信憑性について考えてみたいと思います。

◎  女帝・持統天皇 (一) 

日本を変えた天皇

おそらく何十年後かには、今上天皇も名を連ねるかもしれないが・・・


女性天皇の代名詞ともいえる「持統天皇」

通説で言われるような天皇だったのか疑問が残る

天武天皇とおしどり夫婦だったと言われる通説に首をかしげる爺だが

持統天皇のいくつかの疑問を考えてみたい


 日本書紀の記述は信用できない

全ての古代史の基準・物差しになっている日本書紀には大きな矛盾がある

天武天皇の指示によって編まれたと言われることはご存知の通り

天武天皇による「天武朝」の正当性、つまりは天武天皇を主役とする「国史」

を作るのが主眼であったはずだ・・・

ところが日本書紀を観る限り、天武天皇が主役とは思えない内容なのである

なぜか?

日本書紀は完成こそ720年だが、一年二年で作られたものではない

おそらく持統天皇が即位した後に編まれた可能性が高い

日本書紀には天武天皇紀は上下2巻に残されている

崩御して数年~十数年後に始まったとすれば、天武天皇の生年が不明であること

天武天皇の前半生が全く書かれていない事

乙巳の変のときに何処で何をしていたのか、まったく記されていない事

これは天武天皇の歴史とは程遠い内容なのである


ところが、研究者の一部や識者は天武系の人々によって編まれたもので

「吉野方(天武朝)」に有利に書かれているという(笑)


壬申の乱に焦点を当てられていて、肝心の天武の生い立ちが欠落している

一つの虚偽を書くためにいくつもの「ウソ」を書かねばならないのは想像できるが

その「ウソ」に矛盾・齟齬が見つかって、いっそ書かない方がよいとなったのか?

私は持統天皇は天武天皇の後継者でも、正当な皇位継承者でも無かったと思っている


【持統天皇】

名 鸕野讚良 (うののさらら) 

諡 高天原広野姫天皇(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)
  大倭根子天之広野日女 (やまとねこあまのひろのひめ)

父 天智天皇(中大兄皇子)
母 越智娘(おちのいらつめ) 蘇我倉山田石川麻呂の娘

紛れも無く古代豪族「蘇我氏」の血を引く女性である



かつてヤマトは古代豪族の合議によって治められ

その豪族によって「共立」されたものが【大王(おおきみ)】として存在した

その豪族とはおそらく「出雲」の部族たちだった可能性が高い


出雲と聞くと日本海に面した現在の島根県を想像してしまうが

此処で言う「出雲」とはヤマトを建国し、本州の主だった豪族・部族の

集合体で、吉備・出雲・越・東海、そして関東・東北南部にまで及ぶ

部族たちの総称だったと思っている


そこへ九州から来た新興部族がヤマトの仲間入りをした(神武東征)

当時の大王は共立された大きな権力を持たない「長(おさ)」ではなかったか・・・

その「チカラ」を持たなかった大王が、大きな力を持とうとすれば

当然のことながら古代から続く有力部族の力を削ぐことだろう


私の私観だが、古代部族により共立された大王(天皇)は

第32代 崇峻天皇で途切れたと思っている (あくまでも私感です)

34代 舒明天皇から後の天皇は、九州から流れてきた別部族という認識だ

崇峻天皇が暗殺された辺りから、日本では幾つもの問題が生じていた可能性がある

日本の内政だけを観ていたのではわからない部分が多いが

外交という目線で観れば、半島と大陸の情勢に影響を受けていた時代だった


それを象徴するのが、天武天皇と天智天皇だったように思う

ある説によれば、天武天皇と天智天皇は異父兄弟だと言われている

母は同じ【宝皇女】、後の皇極・斉明天皇だが、天武天皇の父親は

用明天皇の孫(子とも)とされる【高向王(たかむこおう)】の可能性が高い

高向王の后だった宝皇女が「多武峰の一族(一派)」に略奪されたという

多武峰の一族(一派)とは、反蘇我勢力と言っても良いだろう

高向王は蘇我氏の血を引く皇族である

高向王と舒明天皇は言い換えれば、蘇我系勢力と反蘇我勢力であり

大陸の唐や新羅勢力の動向に一喜一憂する状態だっただろう

天智天皇は【親百済派】であり、反蘇我系だった

天武天皇は【親新羅派】だったとされ、蘇我系の本流だった


乙巳の変の後、蘇我系と反蘇我系は反目し合っていた事だろう

その和解策が天智天皇の娘を天武天皇の妃に、天武天皇の娘を天智天皇の

妃に差し出すことでは無かったか・・・

いわば「人質」としての婚姻だったと私は思っている

天武天皇の妃に天智の娘が多いのは、その時の反蘇我系の後ろめたさと

何が何でも和解にこぎつけ、天智天皇が即位することが最優先だったからだろう

天智天皇の【称制】とは、即位できない膠着状態だったという事だということなのだ

天武天皇と持統天皇は、仲睦まじい夫婦などでは無かった・・・

数多いる一夫多妻の時代の一人の女性でしかなく、人質にも等しい存在だった

私にはそうとしか思えないのである・・・。

(つづく)

◎  堅苦しい礼儀と面倒な儀礼 

堅苦しい事はやめにする

開放的で近代的な思考のように感じる言葉だが・・・

本当にそうだろうか?

堅苦しい事を止めにすると、大きな問題が起きてしまう


例えば、お隣と大変仲の良いAさん、お隣のBさんとは竹馬の友

ある時、家を建て替えた時に境界線に沿ってブロック塀を建てようと

Bさんに一声かけた

Bさん曰く、「そんな堅苦しい事など止めようよ」

「風も通らなくなるし、日陰も多くなる」

「生まれた時からの友達だし、ここは固いことは無しで・・・」

結果、ブロック塀は建てない事になり、親密な関係が長く続いた・・・

ところが、世代が変わりAさんの息子さんと、Bさんの娘婿さんが

境界線の事でもめてしまったというから世の中わからない・・・


固いことは無しとは、大きな問題を生む原因かもしれない


 【親しき仲にも 礼儀あり】

 【親しき中に垣(かき)をせよ】 


先人はちゃんと言い残しているのですから頭が下がります


礼儀とは社会の決まりに合った動作のこと

儀礼とは一定の規則に従って行う行事のこと


堅苦しい儀礼は廃しても、礼儀は守らなければいけないと

先人は教えてくれているのだと思います



礼 の元の字は【禮】で、音は【豊(れい)】

醴(れい、らい)は甘酒の事で、醴酒を用いて行う儀礼を「醴」といい

「れいぎ」の」意味に用いる

では また・・・

◎  これからの不必要な善意の目標 


中国では香港の書店主などを監禁し、禁書等に対し

強硬な政策を持って臨んでいる

権力者にとっての不都合な書籍は断じて許さない!


私たちは日本人で良かった、日本に住んでてよかった・・・

そう思っているのではないだろうか



ところがそうでもない事実がある

708年(和銅元年)元明天皇(女帝)は次のような大赦を出した

山沢に亡命して禁書を隠し持っている者は百日以内に自首せよ。

さもなくば恩赦しない。
 


この文言の意味するところは、日本書紀編纂に際して

各部族が伝え続けてきた古史古伝が権力者にとって

不都合だったからではあるまいか


名目としては「国史編纂のため」であったが、国史と異なる

不都合な日本中の古史は、抹殺する必要が生じたのである


因みにここで言う「禁書」とは、古代豪族や部族が受け継いできた

伝承や系譜の事である


命令を出したのは即位して間もない元明天皇

それを背後から指示したのは「藤原不比等」だと確信している


国史編纂とは国のためというより、天智系王家の正当性を

後世に残すための「クーデターの美化」に他ならないのである


私は持統天皇と天武天皇が【おしどり夫婦】などではなかったと

考えている

むしろそういう形に見せかけたことによって、反天武の首謀者だと

思ってもいる

何処まで行っても「天智天皇の娘」であり続け、天武の血統を悉く

抹殺した「鬼の女帝」だという認識である


天照大神や伊勢、出雲大社や千家氏を考えるときに、持統天皇という人物は

避けては通れぬ重要な「キーマン」であることは間違いないと思っている


次回からは息抜きをはさみながら、持統天皇を中心に天照大神や大国主神

さらには藤原不比等、古代豪族諸家を絡めながら、考察・推理してみたい

と思っています

長屋の爺らしい考察推理ができるかどうか、自信は無いですが・・・

ではまた。

◎  思いでの○○ 

梅雨と言っても雨の降り方が公平でないから

水不足の地方もあるという

雨にうんざりしている地方の人は「お願いだから 向こうで降って」

と言いたくなるのではないだろうか


私は芸能人や歌手に「特別な感情」を持たない

いわゆる、ファンになるという事が無い人間

熱狂的にその人物のすべてを知りたいとか、何でも受け入れる

という感情が希薄なのである

古い友人は「感情が破たんしている」と褒めてくれる


そんな爺でも、中学生の時一人の女優に惹かれたことがある



【太地喜和子】

その頃の私には恋愛も女性も興味など無く、友人が持ってきた雑誌に

載っていた写真に、衝撃を受けた・・・

舞台の一シーンだったような気がするが、私はその時初めてボンヤリと

ではあるが、「大人の女性」とは、こういう人のことなのか? 

と感じた覚えがある

一人の女性 大人の女性を意識した最初が、太地喜和子さんだった

どうしてなのか、何がそう思えたのかは定かではない・・・

いま彼女の写真を観ると、やっぱり・・・いいオンナである(笑)


長屋の爺が最初に大人の女性歌手を意識したのは・・・

【前野曜子】

ペドロ&カプリシャスの初代ボーカルといえば解ってもらえるか?

別れの朝、この胸のときめきを、蘇える金狼のテーマ、汚れた英雄、COBRA・・・・

私が好きだった曲は「さようならの紅いバラ」

当時は意味など理解できなかったが、今なら・・・・・

♪ 最後の夜だから
  白い ワインに
  紅いバラの 花を浮かべて

  テーブルはさんで
  向かい 合って
  二人は別れの グラスを重ねた

  紅いバラが 枯れるまでは
  さようならを 言わないでね

  白い夜明けの
  ひかりの 中で
  あなたにもらった 指輪をはずして

  わたしはあなたを
  送りも せずに
  扉の音を 背中で聞いてた

  赤いバラが 枯れるまでは
  わたしのもの あなたは

  紅いバラが 枯れるまでは
  さようならを 言わないでね



どういうわけか最近、昔の事を不意に思い出すことが多くなった

脈絡なく突然なので、脳がフラッシュバックでもしているのだろうか

人生の走馬燈を観るには、いささか早すぎると自分は思うのだが・・・



私は知人に借りている畑があるのだが、ここ数年放置状態で草刈りだけ

近所の人にお願いしている

台風で崩壊した物置小屋の代わりを建てないことには、道具なども

買い替えられない状態だ

今年中にスチール製の物置を建てて、小さい耕運機を買おうと

計画している

あくまでも計画・予定であって、どうなる事やら(笑)

畑で野菜を作っていた時に使っていたのが「万田酵素31号」である

現在は名前が変わって「万田アミノアルファ」というものだ

これを使うと使わないとでは、収穫に大きな差が出てくる

けっして、万田酵素の宣伝マンではありませんので(笑)


凝り性な長屋の爺、やるとなったら「手抜き」は無用となる

それが「悪い癖」と友人の弁・・・・

極端すぎるらしいw

性格が過激すぎて・・・本日も元請けに大きな声で叱責してしまった

「そういう事は最初に言えよ!」

弱い立場の相方の「心の言葉」を代弁してやった

仕事はきっちりやるが、筋の通らない事には、ぜったい従わない

損な性分なのか、性格が異常なのか、神経が破たんしているのか・・・・

最近、神経が・・・・おかしい(本からだという説もあるが)


何も可も忘れて 踊ろじゃないか~

気晴らしに・・・何しよう?

爺のキャパが小さいことを、あらためて実感する今日この頃です。


◎  コンスは日本のお辞儀に非ず 

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日本中のいたる所 【コンス】 で迎えられる日本

此処はいったいどこの国だ?


神棚の榊が萎れてきたので、某スーパーへ出かけてみた

店員の誰も彼もがしとやかな笑顔と、最悪の「コンス」で迎えてくれる

本人たちはその「お辞儀」が、顧客である日本人の神経を逆なでしている

ことに気付いていないのが悲しい・・・




そういえば、日本の神道の宗家の奥様も「コンス」がお気に入りのようだが

日本のお辞儀に腹に手を当てる作法など無いことを知っておられるのか?


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男性のお辞儀、15°は【会釈(えしゃく)】、30°は【敬礼】、45°は【最敬礼】という



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どこぞの「マナー教室」で、最低のマナー(お辞儀)を教わる悲劇w

講師の方は日本の辞儀をご存知なのか?


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日体大



日本のお辞儀


この国の心をうつす、日本人になろう。

 長い年月を積み重ね、培われてきたこの国の思想や文化。

 私たちの心の奥に根ざしているもの。

 カタチには表しにくいものですが、例えば正座の仕方にも、

 箸の使い方にも、私たちの日常の仕草や振る舞いの中に、

 その美しさを観ることができます。

 この思想や文化を礎に、これからの社会で世界に向けて

 活躍する人を育てる。

 それが國學院大學の役割です。



思想や文化を伝えるのも、教育機関である大学の責務という自覚

確かに國學院大學出身の後輩たちは、礼儀正しさならだれにも負けなかった

いい顔していたことを思いだしました


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男性は腰を曲げたときに手は体の横にそのまま添わせ、女性は

臍の下あたりで両手の指先を重ねるように、ビジネス・スクールや

マナー教室で教えているが、本来の礼法ではない

このお辞儀の仕方では、男性はかかとを付ける姿勢を求められるので、

体を倒す時にバランスをとろうとして自然に両手が尻を抑えることになり、

女性は腹痛時と同じ姿勢となると同時に両ひじが張って大変見苦しく、

ひじを張るまいとすると両手の位置は丹田よりさらに下がって

陰部を上から押さえる格好となり、このお辞儀はそうした意味で、

相手に対して大変失礼な形になる


無印良品


伝統的な立礼に男女の差はなく、足を平行にして立ち、

手先をまっすぐ伸ばしてそろえ、自然に手が定まる位置

を出発点として、静かに腿の上を膝がしらに向けて

滑らせるのが伝統的な本来のお辞儀である



日本式 礼



日本侵略は「伝統」の破壊から始まっているのかもしれない

雑誌やマスゴミもその間違いに気づかないのか、意図的に

無視して虚偽の作法を垂れ流しているのか・・・


以前、このブログで「江戸しぐさ」のデタラメに触れたことが有ったが

日本人は「疑う事を善しとしない民族」なため、いとも簡単に洗脳されてしまう

長屋の爺がここで、「疑う事から始めませんか」と説いたところで

何も変わらないのだろうとは思っているが・・・・



「早乙女愛よ。岩清水弘は君のために死ねる」 なんて日本男児は絶滅した

覚悟と心意気を失くした日本人は、伝統や思想まで思いのままに操られるように

なってしまったというところか・・・


◎  「社伝」の不可解さに一言 

このブログの訪問者(読者)の方は気づいているだろう

私は神社の「神殿(本殿)」は7世紀に意図的に建造されたと

常々言ってきた

その時から【神社】というものが始まった

それまでは「神の社」などというものは存在していなかったのではないか

神が降臨する【磐座】、【神籬】がある場所を「神社」などと呼んでいた

とは考えられない


大きな力・・・中央集権に近い組織が興ってから、その意向に沿って

「神の社」という、彼等にとっての都合の良い【神】を選び、彼等の都合の良い

【神の居場所】を築いたように私は解釈している


神社の創建が神武**年と言われることに、強烈な違和感を持っていて

紀元前600年ころに「神社」があってたまるか・・・・の爺である(笑)


【建御雷神】たけみかずち

これは古事記に記されている神名であり、日本書紀には【武甕槌神】とある

私は学校でまともに授業を受けていないので、この「建】という漢字を

【たて】とは読んでも、【たけ】とは読めないのであるが・・・


確かに古事記には【建御雷之男神】という記述があり、常陸国風土記には

*「天之大神社」と「坂戸社(さかど)」、「沼尾(ぬまお)社」の三社

を合わせて、「香島天之大神」と総称した
 ・・・とある


しかし、その建御雷神が鹿島の社の祭神であるとは一切触れられていない

さらに「常陸国風土記」にも、鹿島の神が「建御雷神」とは書かれていない

のである

ところが807年成立の「古語拾遺(こごしゅうい)」には、鹿島の神は

武御雷神であると明記されている

712年に編纂された古事記には明記されていない神が、807年には

ハッキリと明記されているには理由があるはずだ・・・

鹿島の神=タケミカズチ と両者を結びつけたのは誰だったのか?


私たちは日本列島がすべて「ヤマト」の支配地だったという錯覚に

陥っている気がするが、8世紀ころのヤマトの支配地など近畿を中心に

九州中北部、中国四国~東海、関東地方まででは無かったか・・・

坂上 田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)が東北において

大墓公阿弖利爲(たものきみあてりい)を降伏させたのが803年である

9世紀初めに鹿島神宮の祭神が「建御雷神」に定められた理由が

透けて見えてくる

何故なら、鹿島神宮は朝廷から蝦夷の平定神として崇敬されたいたこと

さらに、【藤原氏】から氏神として崇敬された・・・

この辺りに真相が隠されていそうである(笑)


鹿島の神はそもそも【雷神】であるという説がある(井上辰夫氏)

しかし、雷神説も天孫降臨神話が作られる過程において造作

されたもので、本来は海洋民族的性格を持った「氏族」が奉斎する

神だったのではないかという説もある(大和岩雄氏)


世の中には新しければいいというものばかりでは無い

しかし、古ければ良いというものばかりでもないのが事実なのである


爺の自虐でも自己弁護でもないですが・・・

創建**年という「社伝」に、難癖付けるのは長屋の爺の十八番(おはこ)

でありますので、悪しからず・・・。

◎  神は「もの」にあらず・・ 

把握できぬ「ご神体」…所在不明でも被害届出ず

宇都宮二荒山神社(宇都宮市馬場通り)でまつられる「ご神体」が所在不明になっていることが2日、栃木県警などへの取材で分かった。

 盗まれた可能性があるが、ご神体が何か神社は把握しておらず、被害届も出ていないという。

 県警によると、ご神体は唐櫃からひつと呼ばれる容器に入れられて境内の末社でまつられていたが、先月2日、その末社が荒らされ、唐櫃の中身が空になっているのを同神社が発見した。同神社はお祓はらいに使う神具を唐櫃に入れ、末社にまつり直したという。

 15日夜には境内で絵馬を物色している男がいるとの通報を受け、宇都宮中央署員が駆けつけ、宇都宮市内の無職男(43)を窃盗容疑で緊急逮捕した。

 男の車内から、唐櫃と神具が見つかり、同署は今月1日、これらを盗んだ容疑で再逮捕した。男は「落ちていたから拾った」と容疑を否認している。

 これまでのところ、なくなったご神体は見つかっていない。捜査関係者によると、同神社は「ご神体は神聖なものなので、容器を開けて中を確認することはない」と説明しており、仮にご神体が見つかっても誰も把握できないという。

             2016年06月03日 Copyright © The Yomiuri Shimbun より


御神体は神聖なもの?

何時から「神」は「もの」になったのだろう・・・

唯物論者でもあるまいに、神を物質のように扱う神道関係者に

大きな疑問を感じてしまう


神が「物質」にすり替えられた時から、世の中が変わったのか

世の中が変わったから、神が物質のように扱われ始めたのか・・・


神は見えないから「神」なのである

そもそも神を「唐櫃(からびつ)」や容器に入れるという心理が理解できない

神に対する畏敬の念が、神を「もの」に変えたとは思えない

神を軽んじ、人間の欲のために、神を「モノ扱い」にしたのではないか


神とは自然なり

自然に対する畏怖の念を保持していたら、「御神体」などという観念は

生じないと私は思っている


神聖なものだから、内を確認しなかった?

神聖な神を「器」に入れてしまう事自体、神聖な神にたいする遇し方では

無いと私は思うのだが・・・


鬼はかつて「モノ」と呼ばれていた

「物の怪(もののけ)」の「モノ」である

鬼は神より上位に位置する

それ故、「神鬼」とは言わず、「鬼神(きしん)」というのである


神聖なものとは・・・「鬼」であったのか?

鬼を唐櫃に封じ込めていたから、内を確認できなかった

解き放たれた鬼は、今いずこに・・・・。

◎  人生と自分、そして出会い 

今ではすっかり還暦を過ぎた爺だが、私は若い頃「異端児」扱いされ

触れ合う者すべてに「トゲ」を振り回していた

はみ出し者といわれ、落ちこぼれといわれ、傷つき傷つけられてきた

出来そこないの「金太郎飴」には世間は非情である


人と毛色(思考・言動)が違っていると、浮き上がるのがこの世の倣い

何処を観るかで人生は変わって見える

人は変わるのではない、変わる事ができるのだと確信している


自分自身が好きで好きでしょうがない人には、理解できない事がある

常に金太郎飴のように他人と同じでないと不安になる人もいる

だが、この世に生をうけたからには、自分は自分にしかなれない


私は他人と同じことが如何につまらない事なのか気づいた人間である

自分が他人のようになろうとしても、上辺だけの「模倣」にすぎない

人間は他人と同じにはなれないように創られている

人がどう思うかなど些末(さまつ)な事であって、自分がどうであるかが

とても大事な事だと思っている


私ごとき人間より、何倍も苦難を経験している人もいるだろう

私の呑んだ泥水より、もっと多くの泥水を呑んできた人もいるはずだ


私は夫婦げんかの仲裁と、人生相談が苦手である

言葉が如何に重いかという事、選択する言葉によっては言葉の軽さが相手を

傷つけてしまう事、相談は相談者の決断の再確認でしかないという事を人生で

学ばせてもらった結果である


相談すると言う行為は誰かに道筋を立ててほしいのではなく

自分の選択に自信を持ちたいため、背中を押してほしいという

願いから相談するのだと思っている

こういう事を言うから「変わり者」と言われるのかもしれないが・・・・


私とある人の出会い

このブログを始めたきっかけは色々あるのだが

過激な投稿ばかりして締め付けが強くなった某サイトから、別のブログを

書くサイトを探していた時に、最初にGooそしてFC2にたどり着いた

しかし当初FC2は何も書かず半年以上放置状態だった

そんな時、「ひとりごと」というブログに出会い、そのブログ主の事を

ネット上で検索しているときに知ったのが「わがまま親父様」のブログ

だったのだ

通常は閲覧ブログのリンクから訪問するケースが多いが、この時は

引き寄せられるように、訪問するようになった

その頃のこの当ブログ「しょうもないこと」ばかり書いていて、一日2~3人の

訪問者しか来ないさびれたブログだった

いまでも、見方によれば「しょうもない戯言」が大部分ですが(笑)


ブログ投稿を始めてから一か月がたったころ、初めて読者のコメントが

ある女性読者からあり、少し驚いたり、ちょっぴり喜んだり・・・

その一週間後、「カナダの親父様」から初コメントを頂いた

(当ブログ 2人目のコメントを頂いたのです)

運命の遭遇である

2013年4月の事・・・・忘れられない出会いの瞬間だったわけで

その3週間後、今度はKUONさんから初コメントを頂いた


どうして、このお二方が強烈な印象なのか・・・

カナダの親父様がブログで紹介してくれた翌日の訪問者数が

異常な数字だったから

一日数名のブログが600とか800の訪問者数になったのだから、

青天の霹靂というところだろうか


そしてKUONさんが当ブログのことを書いてくださった翌日は、さらに増えて

1000を超えるアクセスがあったのである

このブログ現在は400~600のアクセスがあって、「不必要な善意」は

わがまま親父様、KUON様の善意で出来ていることになります

一本の糸が五百本の糸になったのは「縁(えにし)」としか思えない


引き寄せられるように・・・・これこそ必然であったと思う

ネット空間で一本の糸を手繰り、行き着いた先が「カナダで生きてます」だったのなら

カナダの親父様に会う事も必然なのである


私は今回の東京訪問は職を辞する覚悟で決めたもの

2日間の休みを許されないような仕事はしてこなかった自負がある

6月5日・6日の休みが無理なら、5月で仕事を辞めると宣言したら、即答で

休みが決まった(笑)

人間の明日など誰にも分かりはしない、後悔だけはしたくなかったというところか


直前まで誕生会(オフ会)に私も参加できるとは思ってもいなかった

夕方オフ会が開催されるまでの短い時間でも、親父様と会ってみたい

会わなければならないという思いで東京へ足を踏み入れたのだ

オフ会は想定外で、翌日も休んだのは靖國に行く予定だったから

(友人にお守りを頼まれていたため)

結果、オフ会に参加できたのは必然だったのか・・・必然だったと思いたい

靖國には、あらためて参拝すればよいだけだ

英霊の方々も、今回は来なくてよいと許してくれた結果だろう(笑)


私は毎日他の方のブログを訪問している

その数は20~30ほどになる

毎日更新する方も、不定期更新の方のブログも含めて・・・

私のリンクには入っていなくても、お気に入りに入っているブログは

その倍近くはある

しかし・・・途中から突然更新されなくなったブログがものすごく多い

何事も無い事を祈りながら、時折覗いてみたりしている

世の中にはその人の事情というものがある

強制も強要もするわけにはいかないが、其処で途絶えたとしたら

それも縁であり、必然だったのだと思いたい・・・・


そんな事を言っている長屋の爺のブログ

ある日突然「放置」になり、その後途絶えることが有るかもしれない

ちょっとだけ、覚悟をしてください(笑)


明日が判らないから不安になるのではなく、解らないから

ワクワク感を持って、何かに向かっていきたい・・・

その何かは人それぞれで良いと思っています。


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◎  古代と現代のつながり 

古代ヤマト人から観れば、私たちは間違いなく文明人という事になる

昔、戦国自衛隊という映画があったが、何かのプロが時空を超えて

古代に舞い降りたとしたらどうなるだろう?


お天気お姉さん、占い師、自衛隊幹部、農業のプロ、建築家・・・・

ひとかどの人間が時間を越えて古代に降り立ったとしたら

古代人はどういう反応をするか、とても興味深いと思いませんか


占い師の女性が舞い降りたら、卑弥呼と呼ばれたかもしれないし

自衛隊幹部が降り立ったなら、最強の軍師として名を残したかもしれない

農業の達人が降り立ったなら、農耕部族の長(おさ)になったかもしれない


卑弥呼が現代の占い師だったなんて、ロマンがある妄想といえる

可能性は限りなくゼロに近いかもしれないが、古代の事はタイムマシン

でその場に立ち会わなければ、真実など何もわかりはしない・・・

研究家、専門家は、歴史を観てきたわけでは無い

推理を巧妙に組み立てているだけかもしれないのである


卑弥呼は何人? 齢は? 身長は? 髪の色は? 肌の色は?

何もわかっていないのが現実なのである


そこへ素人が口を出すと、非論理的だ、不見識だ、素人の妄想だと否定する


角(つの)がどうして鬼の頭に生えていると伝えられたのか

もしかすると無線式のヘッドフォンのアンテナだったかもしれないのである(笑)


書かれてあったから事実という既成概念を取り払わないことには何も進まない

書いてある事が事実なら日本人の先祖は空から舞い降りてきたことになる

地上を創る力を持つ天神の末裔が、海に漕ぎ出しヤマトを目指すだろうか?

都合の悪い事は「創作神話」にして、都合のよいものだけ「史実」という・・・

これってどうなんだろう?


邪馬台国といわれる国はどんな国だったのだろうか?

邪馬台という「文字」すら諸説あるのが現実なのである


日本人に街頭で「白地図」をかざして、都道府県の場所を訊ねて全問正解する人は

どれくらいいる?

邪馬台国論争とはそういう事なんじゃないだろうか・・・


大陸にたどり着いたのが、日本列島の片隅に暮らす小国家だったとしたら

その正確な位置を当時の人間がどれくらい把握していたのだろう

日本の地形をどうやって把握していたというのか


日本の国図は平安初期(弘仁5年)には存在したという説もある

一方、僧・行基が全国を回って書き記したものだという説もあるが

位置関係が把握できる程度のモノだったようだ

今のような地図は江戸時代、長久保赤水や伊能忠敬などの手によって

作られたのが最初かもしれない


私たちは日本人であるが故、「疑う事」を善しとしない

そういう教育を受け続けてきた慣習・癖が身に沁みついている

(現在の皇室問題の病巣は、そういう事から起きている気がする)


検証できる事とできない事があるはずで、遺構などは発見・発掘されて

古代の状況の一部を垣間見ることはできるが、物差しが違うと大きく

違ってくるものは幾つもある気がするのだ


古代では年齢という観念があったかどうか・・・

有ったとすれば、卑弥呼の年齢はどうして不明のままなのだろうか?

季節が巡り新たな一年がが来たという観念が、即「歳を取った」という

認識がされていたのかどうか疑問に感じてしまうのである


卑弥呼は「茶髪」だったのか、「黒髪」だったのか、「金髪」「ブロンド」だったのかは

だれにも分からない事なのである


現代のプロフェッショナルが古代に降り立てば、古代人は神が降臨したと

考えても不思議ではないだろう

宇宙(天文)の事も、建築(土木)の事も、気象の事も、漁業の事も

現代人の意見は「神のお告げ」にも匹敵するかもしれない(笑)


古代史を面白く無いモノにしたのは「プロの研究者」かもしれない

古代に思いを馳せ、自分の古代史観を持っても良いと私は思っている

本当に蘇我入鹿は悪者だったのか?

天智天皇は実在したのか? 本当に病死だったのか?

中臣鎌足は何者だったのか?

聖徳太子は実在したのか?

数多いる怨霊の中で、どうして菅原道真だけが「神」になったのか?


受け身の歴史より、なぜ?どうして?の古代史のほうが断然面白い

長屋の爺の「古代史」とは、へそ曲がりの解釈で成り立っています。

◎  ミコの近況 2016・6・10 


昨日、突然に顧客の都合で工事が延期になり

本日は休みとなった

我が家の冷蔵庫は広々とした空間を保っている

つまりは、食うものが枯渇しかかっているという訳だ(笑)

ずいぶんスーパーに行ってないのに気付き、後で、買い出しに

行く予定にした

予想外の休日は調子が出ないが、ボーとしているのが無駄に思えて

いろいろと動き回るから、休みなのに疲れがたまる悪循環に陥る

貧乏体質は何とも情けない・・・・



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おひさしぶりでしゅ

この家に来て2年が経ちました

ということは2歳になったという事です(汗)

女盛りなのに「喰う寝る」生活には嵌まっています

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体も大きくなって、爺からは「お前は ♂ か?」

といつも言われています・・・(失礼な)


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写真を撮られるのが苦手で・・・逃げ回っています

昨日も爺の大切なNIKONのレンズに「猫パンチ」して怒られまちた・・・


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カメラが一眼レフになってから、逃げても無駄だと知りましたw

大人しく撮影すれば、ご褒美が待っています(喜)

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だから、ときにはこんなポーズもしちゃいます


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でも、あまりしつこいと気分が落ち込んでしまうのよね・・・




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この「ドーナツ座布団」、低反発でお気に入りなの

爺が返せといつも言うけど、意地でもどいたりしないのよ



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自分だけ 東京に遊びに行ったらしいけど・・・

いい気なもんね・・・



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パソコンの画面に映るものが、何なのかわかんないけど

おもしろいのかしら、人間て不思議だわ・・・


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パソコンを操作しているときや、本を読んでいるときに

ちょっかいを出すと、いつも怒られるけど、止めらんない(笑)


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ではまた お目にかかりましょう (長屋のミコ)


◎  梅雨 



梅雨はなんとなく暗い気持ちになりそうで

深呼吸して 意味なく笑ってみる



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梅雨(ばいう)

日本にはそもそも「梅」はなかった

中国大陸から梅が伝わってきたことから、「梅雨」という呼び名も

大陸の呼び名である

しかし、我々は「ばいう」などと口にすることは無い

多くの日本人は「つゆ」と表現する

これは江戸時代頃から使われるようになった「和語」である


大陸では【黴ー雨】で「ばいう」と呼んでいたと言い、黴(かび)が

生えるくらいジメジメした日が続くからだろう

この時期大陸では梅の実が成長することから【梅ー雨】となったと

いう説もあるが、ほんとうの処は分かっていないようだ


私たちが使っている「つゆ」も【露】という語からの変化という説もあるが

正直なところ、確かな事は分かっていない

誰かが決めたから定説・通説になったにすぎず、言葉の奥深さは

仮説の上に仮説を重ねる作業かもしれない

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古語において「つゆ」の語意は数多くあり

* 水滴 露
* 涙を暗示するもの 涙
* はかないこと もろいこと
* わずかであること 少しであること
* 好意や恩恵を暗示するもの
* 少しも まったく いささかも 全然

大和言葉の奥深さ、難解さは驚くばかりである


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英語なら To You と聞こえるのか?

そんなことは有るまい・・・・

梅雨のくらいイメージは「はかなさ」、「もろさ」から連想されたのではないか

などと、窓の外を観て思ってみたり・・・・

梅雨空を見上げて「よし、今日も頑張ろう」などと、思う人間など居るのだろうか?

お天道さんを観る時間が全然ない日が続くから、憂鬱な気分になったのだろうか・・・



【無 愛 雨】  ぶ あい う

雨が続き 待ち人が来ない日々が続き そんな雨を表現した言葉が

あったとしたら・・・・長屋の爺なら、こう表現したかもしれない(笑)



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日本の言葉は「短く詰まる」事が多くあり、その結果「単語」がモノだけでなく

情景や心情など多くの事を表現するものも多い


昔の歌詞や詩が心に響くのは、そういう事なのではないかと思っている



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丹精無二 (たんせいむに) 

くらべものの無いほどに丹精をこめて、ただただ一途に事にあたる

「丹(たん)」とは「赤」と同じ意味の言葉で、丹頂鶴といえばイメージしやすい

丹頂鶴の頭の頂上に赤い模様があるから「丹頂」なのである


丹精 古くには【丹誠】と書かれていた言葉で、「真心」のことである

傍目には不器用に映っても、嘲笑されようとも、心を込めて愚直に事を成す

私はこの言葉を、そういう意味として理解している


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玉響(たまゆら) 

わずかな時間、しばしの間を意味する古語である

珠の触れ合うかすかな音から、時間を表す言葉になったという

私は「たまゆら」という言葉を聞いて・・・

物思いにふけりわずかな時間、心(魂)がゆらゆらと体を離れてしまう

そのような解釈をしている

北原白秋は「邪宗門」の中で、「たまゆら」という言葉を【瞬時】という文字で表現している

今では使われることの無い古語となってしまった・・・残念


紅(くれない)の、 戦慄(わななき)の、その極(はて)の瞬時(たまゆら)の

叫喚燬(さけびや)き、ヰ゛オロンぞ盲(めし)ひたる 



◎  不必要な善意というブログ 

私が書くこのブログ、毎日の出来事を綴っているわけでもなく

と言って、計画的に歴史について書いているわけでもない

仕事を終えて帰宅後、するべきことを終えてからPCの前に座り

パソコンが起動するまでの時間、本棚に向かいその日のテーマを

決めるのが通常である

決まらなかったらどうするの?

そういう時は日本語(やまとことば)だったり、漢字の話でも・・・

と姑息な手段に切り替える訳で(笑)


今月はあまり本が読めていないのが悩みである

本を読む時間が無くても、本は買い続けているので

結果として未読の書籍が増えていき、本棚に収まらなくなり

最後の手段として、本棚に飾った【ガンダム フィギュア】が段ボールに

放り込まれることになる

今年の夏にはガンダムが全て段ボール箱入りすることは明白である(笑)

今年になって400冊ほど時代小説をもらっていただけたので、何とか

本棚に収まっているのが現実です

未読の時代小説だけでも現在60冊余り、政治・社会が20冊ほど

今は空き時間の間に「カエルの楽園」(百田尚樹著)を読んでいるが

一日数ページという状態でいつ読み終えることができるのか・・・・

もっと時間が欲しいと言うのは、年寄りのわがまま?


本が欲しい方は遠慮なくコメントください

歴史(古代史)、神道、社会、政治、日本語、漢字、時代小説、 その他いろいろ・・・


ガンダムはファーストが主で、アムロとシャアが出ていないのはガンダムと思っていない

ので、数は少ないですが、欲しい方がいらっしゃれば、連絡してください

以前知人に相当数、無償譲渡したので数は減っていますが、それでも何とか・・・


自称「棄て魔」であり、何でも捨ててしまい、仕事も家族まで捨てた愚かな爺ですが

(本当は妻に捨てられたのですが・・・)

ガンダムと本と、日本男児の誇りだけは捨てずに来ました (自慢にならないか・・)


この世の中で知らなくても生きていけるというものが数多くあります

要らぬ節介、小さな親切、大きな迷惑、そんな事でも書いた者勝ちの世界

それがネットであり、「当ブログ・不必要な善意」かもしれません

昨日より一つでも多くの物事を知り、明日に眼を向けられる

そんな「肥やし」にでもなればという思いと共に、自ら学びながらノートのように

書き散らかしています

皆さんが思うほど「博識」でも、「聡明」でもなく、学歴も無く齢を重ねてから

学んでいる爺ですので、間違いや勘違い、思い違いなど多々ありますので

引用されたりする場合には「自己責任」でお願いいたします。


私は人間が「きらい」である

今でこそ「知らない人」と当たり前のように話ができるが、若いころは

表面上は当たり障りなく過ごしていても、心の中で「一人になりたい」

と常に感じていた

原因は「自分で生きている」という驕り(おごり)からである

今は他人によって、見えないモノによって「生かされて」いることを

実感しているので、人は大好きである


昨日まで見ず知らずの人が隣に居て、会話をしていることが偶然と

思う人には理解してもらえないかもしれないが・・・


もし、日常の生活(仕事・近所付き合い)だけをしていれば、この後

どのくらいの人と触れ合い、会話できるのだろうか?

そう考えた時、私はあと数人くらいのような気がしてくるのである

それほど、地方の片隅で生きながらえている爺には、大きな変化など無い

退屈な時間に支配されている


私の中に「変わりたい自分」と、「変わりたくない自分」が同居している

それが仲たがいを始めると、「鬱(うつ)」の症状が出てきてしまう

おかげさまで今年は酷い症状が出なかった

これもブログの効果かな?

そんな話をカナダの親父様にした記憶がある


私が他人になれないのと同じに、他人も私になれないのである


すぐに自虐的になる人もいるが・・

きっと見しらぬ他人と自分を比較する傾向が強いのかもしれない


他人の正体を知れば自分と比較することが、いかに意味の無い事かと

気づくことができるような気がしている


他人と比較するのは「対等」な関係を望んでいるからで、他人によって

生かされている、支えられていると思えば、比較して落ち込むことが

如何に無意味であるかが理解できるかもしれない


私は数えきれない人たちに支えられている

これは大げさな意味でも、冗談でもない・・・

私は十数年前、すべてを失くした人間である

今、PCの前で「お気楽な事」を書いていられるのも、他人のお蔭で

あることを常に意識している

どんな時も長屋の爺のわがままを、軽く受け止めて当たり前のように

支え続けてくれた親友たちが居る

経験からいえば、死ぬには途方もない気力と労力が必要である

しかし、本当の意味で「生きる」には、死ぬ以上の「覚悟」と「エネルギー」が

必要なのである

そのエネルギーの源を与えてくれたが「他人さま」だったのである

他人に裏切られ、身内に捨てられて、気が付けば「他人」に拾われた爺

私にとって他人とは・・・やさしいヒトであり、非情なヒトなのである


私にとって他人さまとは、親しくしたい存在でありながら、どこかで距離を

置きたい存在でもある

大人の間合い・・・人と人の【間(ま)】がどれくらいなのか、長屋の爺は探し

求めているのかもしれない


人が好きで、人が嫌いな爺

解るようでわからない話をしてしまいました


この世が偶然で成り立っていると思っている人

予測できない人生、不安ではありませんか?

この世が必然で成り立っていると思っている人

決まっているなんて「つまらない」と思いませんか?

人生・・・どう思うかどう判断するかで、楽しくもあり、不安でもあるのです


このブログ「不必要な善意」は、一本の縁と言う糸を手繰り寄せるための

バス停と思っています

この場所に立ち寄ってくださった人たちとの「縁(えにし)」というものが

必然であることを信じております


一つでも多くの「必然との出会い」が私を勇気づけてくれています

性格がねじ曲がっていても、わけのわからない事を言っても

そっと見守ってくれるだけの出会いで有ってもいい・・・・

それが必然であるならば


それがこの十数年間で出した答えかもしれません。

◎  歴史は巡り繰り返す 


神道は幾つかに分けることができる

* 神社神道
* 教団神道
* 民俗神道
* 皇室神道

神社神道は説明するまでも無く、神社に足を運び参拝祈願する

神社に参拝さえしていれば「神社神道」といえる

教団神道とは、天理教や金光教に代表される独自の教義によって

興された「新興宗教」のこと

民俗神道とはあまり聞きなれない言葉だが、道祖信仰や山神信仰など

その地域やその土地の人々によって受け継がれてきた古い形の神道

の事である

私流の解釈ですが、道祖神とは【同祖神】でもある

そんな突拍子もない事を考えています(笑)

地域に根差した神とは、やんごとなき人々の「皇祖神」のように

名も無き「ヒトデナシ」たちの祖神である「同祖神」ではないか?

道端の小さな石に思いをこめて祈り願ったのが最初だったかも

自分達の祖が神などとという認識は古代には無かったと思う

身の回りのあらゆるものに神(精霊)が宿り、常に見つめていてくれる

神が人格を持った時代から、ヒトデナシたちにも「祖神」への思いが

膨らんだのかもしれない



そして、私たちとは隔絶され皇室内で天皇家だけで受け継がれてきた

特殊な神道である「皇室神道」というものである

もちろん皇室神道に新興宗教のような教義などないし、布教活動なども

行わないから教団神道にも入らない

皇室内に神社があるわけでもないので神社神道とは別であり

道祖神などとは無縁であるから、民俗神道などでもない


皇室神道などと言ってはいるが、その内実などわずかな部分を除いて

知らないのが日本人なのである

皇祖神が「天照大御神」というわりに、天皇が直接参拝したのは

明治になってからという不可解さを、宮内庁はどう説明するのか?

日本書紀などに記されている「アマテラスが祟った」事をどう説明するのか?


自分達の先祖が子孫に祟るなど「あるわけがない」と思うのだが・・・

よほど先祖を蔑ろにしていたとか、先祖を辱めていたとか、異常な行いを

していない限りあり得ない話なのである

アマテラスが他人なら祟る事はあり得る話になるが・・・


私たちは皇室の歴史・伝統とは別の、神道と言う世界の中で

誰かに何処かで違うものを「刷り込まれて」いる可能性がないだろうか?

「細かい事はいいじゃないか」 と言われれば、それも良いかもしれない

「自分達や日本のために祈ってくれている」 そう思えば納得もできる


「本当に祈っている」と断言できる日本人はどれくらいいるだろうか・・・

性根がねじ曲がっている長屋の爺は、角度を変え色眼鏡で見つめて

「おかしい」を探してしまう・・・・


平安の皇室と平成の皇室は何が違うのだろう?

私は古代史を学べば学ぶほど、あまりに似通っている「皇室」に

驚いてしまうのである

最近よく聞く言葉に「民間出身」というものがある

民間の定義をどこまでにするかによって変わるだろうが、皇族の血統以外は

民間だとも言える

大雑把に言えば、平安以前の皇室は血縁の濃い婚姻関係で営まれていた

当然有力な群臣の女子が入内したことも有るわけで、その群臣の出自は?

と考えれば、どこかの「馬の骨」かもしれないのである

そこで、登場するのが「藤原」である

先祖は天神だったとか、中臣氏の血筋だとか、後出しじゃんけんばかりで

装っているが、私に言わせれば「どこの馬の骨」なのである

その藤原氏の子女が入内した歴史を知っても「民間出身」とは誰も唱えない


長屋の爺は何が言いたのか?

民間出自の妃(后)など平安以前から現実としてあった

そういう話なのである

平安の皇室と平成の皇室の大きな相違は、伝統を護ったか否か・・・

皇室のあらゆる伝統文化を継承する役目が宮廷貴族、皇族には

課せられているのである


政(まつりごと)からか隔離された現代の皇室には、守らなければならない

大きなものは「皇位継承」と、「皇室祭祀の護持」ではなかろうか


現代の皇室を観る限り、皇室祭祀の形骸化と、政に介入する禁じ手ばかり

が目についてしまう・・・


歴史をたどれば、皇室に入り込み不埒にも「牛耳った」民間人たちが居て

抵抗した天皇・皇族も多数いたが、ヒトデナシには窺い知れない伏魔殿

であるから、無念の最期を迎えた人もまた数知れずというところか・・・


【開かれた皇室】がどんなものであるかは個人の物差しで判断が違うだろう


私の考える「開かれた皇室」とは・・・・

庶民の見つめる眼差しに対してではなく、皇室に寄生し蔓延る狙いがある

者たちにむかって「開いた」のが、真実の「開かれた皇室」ではないだろうか

開いたのは我々に対し門戸を開けたのでもなく、深窓を開け放ち真実をみせた

のでもない、自らの手で「パンドラの箱」を開き、悪魔を解きはなち暗黒世界へ

向かうための序章だったかもしれない

悪魔の手先や僕は想像以上に居るだろう・・・・


日本国皇室が穏やかになる日を、願うしかないヒトデナシのため息が聞こえる。

◎  37年ぶりの東京でした 

東京へ行ってきた

東京に足を踏み入れるのは37年ぶり

結論から言うと、37年前の東京は長屋の爺には冷たかったが

今回の東京はじつに温かく迎えてくれた

こんな事ならもっと前に東京へ行くべきだったと思ってみたり・・・


カナダの親父様にお会いできる機会など無いと諦めていたが

一念発起して出かけてみて大正解だった

思った通りの「親父様」であり、今まで会ったことが無い事が不思議に思える

人との出会いは私の中では常に必然であり、「会うべくして会った」

失礼な言い方かもしれないが、見えない糸でつながった「ともがら」だと

再確認できた


初めて会う人間たちの同窓会

その窓が如何なる窓であるかは一人一人の思いがあるだろうけど

人間10人寄れば10種類の人生があり

人それぞれ価値観も人生観も違うけれど

心の波長が合う人だから必然的に会って、共感したり自分に無い経験談を

聞くことができるのだと・・・そんな事を帰りの新幹線でぼんやり考えていた


私はかなり昔に、ネットで知り合った人たちと「オフ会」を何度か開催した

ところがその当時の私が主催するオフ会は「男(漢)ばかり」であり

「やんちゃ坊主」を取りまとめるのが私の役目だった


今回の集まりでは男性は「添え物」だったかもしれない (笑)

カナダの親父様が常々仰っている「これからは女性の時代」と言う言葉が

実感できた気がする

懐の深さは私たちが逆さになっても「適わない」

男というのは幾つになっても女性の「掌(てのひら)」の上で転げ

まわっている生き物なんだ・・・・と


 

オフ会

東京到着は5日昼を少し過ぎたころ

U氏がわざわざ出迎えてくれた

右も左も分からない「浦島爺」のために・・・・・感謝 感謝

昼時と言う事もありオフ会には時間がたっぷりあると言う事で

駅近くの寿司店で「ご挨拶」、兼「乾杯の儀式」 二人だけのオフ会

気が付けば「焼酎瓶」がほぼ空にw

景気づけにはちと量が?


武士は「酌をしない」という決まり事がある

己の限度を弁(わきま)え、いかなる時も酒でしくじる事が

あってはならないという

つまりは、昔の侍は酒に酔っていて不覚を取り命を落すことを

最大の恥辱としていたと言う事である

だからどのペースでどのくらいの量を呑むかは、武士の器を知る

物差しだったことになる

何でこんなことを書く?

じつは私は相手の方に「お酌をする」ことが苦手なのである

自分がお酌をされるのを好まないという理由からなのだが・・・・

昔は先輩諸氏から「気の利かない奴」と褒められていた

その意味からいえば、今回はとても気楽な会だったことになる

ママさんは大変だったでしょうが・・・


じつは この文章がちょうど半分で、残りの半分はPCがフリーズして

消えてしまいました(泣)

かなり萎えていますが、思い出しながら続けようと思います・・




宿泊


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《宿泊した シーサイド イン 大森 のシングル部屋の内部》

昨夜は10時には就寝、朝4時起床

ところがまだ体に酒が残っている状態、それほど呑んだ記憶が無いが

朝早く起きてもすることが無いので、目覚めのお茶を・・・

ところがティファールの湯沸かしポットはあるのだが、水が入っていない

お茶のティーバッグはあるが水がどこにも無い・・・

あるのは「トイレの水」、「洗面所の水」、「風呂のシャワーの水」・・・

勘弁してくれよ~ さすがにその水だけは無理!

フロアーに自販機が有ったので、そこでミネラルウオーターを買えとでも?

合理的なんだか、不親切なんだか・・・まったく



ダンディで気さくな親父様

カナダの親父さん


第一印象は「想像した通り」

ダンディで笑顔が素敵な「オジサマ」のイメージそのまま・・・

ちょっぴり茶目っ気もあって、人を飽きさせない微妙な間を持った

魅力的な紳士で、女性のファンが多いのが納得できる親父様でした

女性が「放っておけないタイプ」とは親父様のような人なのだろうか?



優しさの源

人間は悲しみを経験すると、それに応じて他人に優しくなれる

今回お会いした人は皆それぞれ「優しさの種」をお持ちのようだった

優しさが自分を傷つけ、相手を傷つけることも有る

敢えて言わない優しさもある

聞かなかったことにする優しさもある

観てみぬふりの優しもあるだろう

話を聞いてもらえるだけで優しさを感じることも有るはずだ

話を聞くと言う事は、とても難しい事なのである

他人の話をきちんと最後まで聞かずに、持論でねじ伏せる人に

優しさは感じられないと思う

聞き上手は話し上手とも言います

参加者それぞれに、私には「聞き上手」に見え、話し上手にも見えました


今回の東京オフ会に参加するに際しての目標は、「話を聞く」でした

ところが、4か月ぶりの酒でそれが達成できたかどうか自信がない

長屋の爺 いまだ未熟者と言う事ですわ


私には やさしさ=愛情 という論理は存在しない

愛情など無くても「人にやさしくできる」のが人間という生き物なんだと

極道やナンパ野郎を観てい居れば簡単にわかることだ

逆に考えると、優しくなくても愛情は存在する

この論理は、元妻に「三下り半」を突き付けられて瓦解した(笑)


それ以来、女性にはできるだけやさしく接するように心がけているが

まだまだ修行が足りないというところか、元妻が聞けば「その優しさ」

私に頂戴と言うかもしれない、本当に申し訳なく思っている

(覆水盆に返らず・・・後の祭りなんですが トホホ・・)

でも、私は優しくは無かったかもしれないが、暴力を振るったり、

酒を呑んで問題を起こしたことも無く、浮気やギャンブルで苦しめたことも無い

ただ・・・優しさの表現ができなかっただけかもしれないと、自己弁護してみる(笑)


帰宅



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《帰りの新幹線「ひかり700系」グリーン車座席》

初めて700系新幹線に乗車、広々として快適な旅でした


朝起きて、今日の行動を聞かれても、とにかく荷物が多い

来た時よりも大荷物になっているではないか

朝8時、靖國に行こうかどうか迷ったが、通勤ラッシュの山手線や

地下鉄に、この状態で乗る勇気は長屋の爺にはありませ~ん

天気も怪しげだし、何処にもよらずに帰宅を選択した

朝、品川駅前のお店でモーニング珈琲をU氏に御馳走になって

駅前にて握手で別れの挨拶、本当にありがとうございました


つぎに東京へ行くのは「神宮球場」へ行く時と決めている

私は「スワローズ ゴールド会員」ですからw

スワローズ一筋50年でして、勝った負けたで一喜一憂はしませんが

そっと静かに応援しています

神宮の内野席で呑むビールは格別ですから・・・・

PS
早めの帰宅で、本日の「可燃ごみ」の収集に間に合いました

気にはなっていたものの、半ばあきらめていただけにラッキーでした

何と言っても「主夫」ですからね (笑)


◎  「かな」で考える大和言葉 

神(かみ)の語源を訪ねてみると、アイヌ語の「カムイ」に

行き着くと言う説もあります

Kamui 母音が連続するので、ui の i だけ発音され Kami になった

私はこの説が一番しっくりします


では仏(ほとけ)はどうでしょう

この言葉は「ほと」+「け」だと言う説があります

そもそも「ほとけ」と言う言葉は「やまとことば」にはありません

仏 Butu が変化した形だと言う説があり、日本には本来「濁音」が

清音で発音されることが有り、Bu が Fu(Hu) に変化し、Tu の 

母音が置き換わり To になり、Futo(Huto) 「ふと」 の Fu(Hu) 

の母音が置き換わり Fo(Ho) となり、Hoto(ほと)になったというのです

6世紀の人にはこの方が発音しやすかったのかもしれません


ではなぜ 「ほと・け」 なのでしょう?

「け」とは 「けはい」「もののけ」の【け】だといいます

見えないモノ 「在る」のだが目に見えないモノのことです

仏教は「像」の形で日本に伝わりましたが、「仏」というもの自体が

日本人には見えない存在として受け止められたのかもしれません


【願う】

日常私たちが使っている言葉、「願う」 ですが・・・

この語源は、「ねぐ」+「ふ」 です

「ねぐ」とは、和(やわ)らげると言う意味で、「ふ」は継続の意味です

神は怖い存在(鬼でもある)だから、怒りを鎮める、和らげる努力、

神の加護を願ったのかもしれません

この「ねぐ」は願いだけでなく、現代の言葉に残されています

神職の位のひとつ【禰宜(ねぎ)】であったり、労わると言う意味の

【ねぎらう】などとして今でも使っています


【を】 と 【お】

お と を の違い、これは分かりにくい問題ですが

なるほど・・・と言う説があります

「を」は上向き、「お」は下向きに使う・・・

わ行の「を」は発音としては「ぅお」に近いと言う説があり

ひらがなにすると、面白い関係が見えてきます


おじいさんは「翁(おきな)」、おばあさんは「媼(おうな)」といい

年を取る事を「老いる(おいる)」といいます

反対に若い人には「乙女(をとめ)」、「男(をとこ)」「女(をんな)」

「幼い(をさない)」とひらがなで表現します

上向きには「を」、下向きには「お」を使うことがわかります

「置く」は下に置くのだから「おく」、「落ちる」は下に向かってだから

「おちる」と表します



ちなみに「踊る」は【をどる】と書きます

踊るとは「上下に躍動すること」で、「舞う」は回転運動の事です



【言葉】

何気なく使うこの文字、「ことば」といいます

「こと」の「は」という説は聞いたことが有るかもしれませんが

「こと」とは何かわかりますか?

「こと」と「もの」は密接な関係があります

「梅」と聞いたら誰でも「梅」という【もの】を思い浮かべます

しかし、「梅が咲いた」と聞けば、梅が咲く情景(こと)を連想します

これが「事(こと)」の正体です

言(こと)によって事(こと)が造られるという事になります

漢字で書くと「言」と「事」は別に感じますが、本来はその区別は

無かったと言います

では「ことのは(言葉)」はどうなっているのか?

「こと」に「は」が付いたと言いましたが、「は」とは「端」「片」のことで

言の断片(かけら)ですから、本来は「ことば」は「モノ」しか表しません


私流の解釈では、言葉は「もの」を表すだけで「こと」を表すのは条件が

必要です

上の例のように、「**が○○した」という説明が不可欠なのです

これによって言葉が「事」を造る事になるのです

「息子が熱を出した」

息子は「もの」であり、「熱を出した」という説明によって、病気という

「事」が造られる(表現される)という意味です


日本には「こと」のつく言葉が多く存在します

言挙げ 言霊 ことわざ などについては、いずれまた・・・・

◎  前略 道の上より 

消費税を増税しないと日本が滅ぶという報道が有りました

取るより使うな・・・盗るより我慢しろ

日常的に偏向報道と扇動情報が氾濫しています

馬鹿でもわかる税率アップで買い控え、減収になる可能性が高いこと

タンスのお金は社会を潤わしません

国民がお金を使いたくなるように知恵を絞り

血税を節約して国家運営をするのが政府の仕事ではなかろうか・・・



 【片(へん)】 

木の板を左右に立て、その間に入れた土を突き固めて築く城壁

などの建築法を【版築(はんちく)】といいます

その「木の板」の事を【片】といい、「一方、かたがわ、かた」の意味に

なり、そこから 「少し、薄く小さいモノ、切れ端、ひら」などの意味で用います

花弁(はなびら)のことを【花片】と書くのはそういう理由からです


♪ 咲きほこる花は 散るからこそ美しい

  散った花片は 後は土へと還るだけ

  それならば一層 斜めを見ずに

  おてんとうさんを 仰いでみようか



 【海(うみ)】 

音は「毎(まい)」、毎の意味は「髪を結い髪飾りを付けた婦人」である

そこから、多くの髪飾りを付けた婦人の頭が「うっとおしい」と言う意味になり

頭上が鬱陶しい状態の事、変じて「うみ」の意味に用いる

海の中から頭上をみれば、煩わしい事が多いと古代人は感じたのか?

それほど海の中は晴れやかで、清々しいと言う事なのか・・・


♪ 海を潜るには 息を止めなきゃ潜れない

  いやなら海には入れない

  海には海の世界があるし

  そうして再び 潜らずにいられない



 【匂う】 

「に・ほ・ふ」 ともいい古来から、好いにおいは「かをる」と表現し

嫌なにおいは「臭う」と表現し、その両方の意味を持つ言葉として

「匂う」という文字が使われる

「山の匂い」とは自然の草木の息吹、山肌の土のにおいだろうか

山好きならば「良い香り」に感じ、そうでないなら「土臭さ」「泥臭さ」などに

感じるのだろうか・・・


♪ 山をまた登る 登り疲れてふと休む

  辺りの景色が 心支えとまた登る

  微かに山の 匂いを嗅いだ

  それだけで人は 優しくなれる









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