不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

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◎  近況 5月31日 

ここのところ体調がすこぶる悪い・・・


病気の百貨店である長屋の爺、過労がピークになると

体中に「蕁麻疹」が出始める

掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)の状態も悪くなっている

毎年この時期になると、症状が重くなるのは過労も関係が有るのか?


この不景気になんで過労なのか?

早い話が5月の仕事に加え、来月(6月)の仕事を前倒しで入れ込まれて

過密スケジュールになっていることが原因である


朝5時起きで帰宅は日が暮れてから、途中の休憩もままならず

昼食もまともな時間に食べることができない状態の日もある

夜帰宅した時点で入浴・食事するだけで「いっぱい いっぱい」

成すべきことができない状況に「もどかしさ・歯がゆさ」だけがつのる

あと4日・・・楽しみのために(37年ぶりに東京へ行きます)


しばしの時、じっとしていれば睡魔に襲われ、気が付けば朝になっている

その繰り返しに、体調不良まで加わっては・・・・


体調を観ながら更新・コメントのご返事をしたいと思います

しばしの猶予を・・・お願いいたします。
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◎  トイレの神様 


日本には《清浄な空間》と、そうじゃない場の二通りが存在し

清浄な空間(場所)には必ずと言って良いほど【神さま】が居る


何の話か?と思われるでしょうが、日本人の「綺麗好き」と神さまは

何処かで繋がっているのかもしれないという話です


世界でも特出した風呂好きな民族である日本人

世界一清潔な民族 と言われることも有ります

世界一きれいな道路に驚く外国人観光客が多かったり

日本の施設の中のトイレを観てその清潔さに驚愕するとも言います


どうして日本人は風呂好き・綺麗好きなのか?

俗説の「高温多湿の気候」だからと言うのは当てはまりません

日本と同じように高温多湿の国は沢山ありますが、お風呂好きとは

思えないのです


私は【禊ぎ(みそぎ)】に関係しているのだと考えます

入浴=潔斎=禊ぎ 

水によって身を清めることが自然に行える日本人

清浄にすることが使命でもあるかのようにあらゆるものに

「清浄」を求めます

それを明確に言い表した言葉が存在します

 【きれいな場所には きれいな心が育つ】 


神さまを迎えるときに、水を使って「身を清める」ことをしますが

斎戒沐浴(さいかいもくよく)などと言いますね

「斎戒」とは、神をまつるときなどに、心身を清めること

「沐浴」とは、髪や体を洗い清めること

心身と言うからには体の「汚れ(よごれ)」と、心の「穢れ(けがれ)」を

洗い清めることになります


神さまが居る場所は常に「綺麗にしておく」事が大切なのでしょう

ではトイレを綺麗にするくらいだから、トイレにも神さまは居るのか?

答えは・・・います!

名前は 【弥都波能売神(みずはのめのかみ)】 そして・・

【埴安姫神(はにやすひめのかみ)】と言います

その正体は「水の神様」だとされていますが

弥都波能売神は【尿(ゆまり)】から生まれた神さまだとされ

埴安姫神は【屎(大便)】から生まれたと伝えられている

この二神は「美しい女神」だと言われています


トイレは「不浄の場所」と言われていました

不浄の俗世界に美しい女神・・・・

不浄な場所を清めることとは、「綺麗な女神」には「綺麗な空間」が

大切だと言う事なのでしょう


清潔な場所には綺麗な神さまが宿り

清潔な身体には綺麗な心が宿る



トイレから手を洗わないで出てくるのは日本人ではない?と言う人もいます

汚れているから洗う(禊ぎをする)のではない

汚れ・ケガレがあるものと仮定して、禊ぎ(手洗い)をするのが日本の神道的な

解釈で、伝統・文化・風習と言えるのかもしれません

無信教・無宗教と豪語する人だって、トイレから出る前にはきっと手を洗う

習慣があるのではないでしょうか・・・・(笑)


現代の日本人は「家内安全」「厄除け祈願」「受験合格」「商売繁盛」など

神社に足を運んで、個人的な願いをする人であふれています

つまりは「現世利益」が至上命題でもあるかのように・・・

その何処にも【感謝】の気持ちを観ることはできません

神さまとは「感謝」と「大きな祈り」をささげるものだと私は思っているのです


大きな祈りとは「国」や「地域」などの【公】に対して奉げる祈りの事で

感謝とは日々日常を大過なく過ごせることへの感謝の気持ちを奉げる

ことだと考えています。


神さまに向き合う思いは百人百様であって問題は無いでしょう

私にとっての神様とは、私個人の思いなど聞いてくれる存在と

は考えていません

無事朝を迎えられたことへの感謝であったり、今日を無事過ごせた感謝

であったり、一日生きながらえさせてくださったことへの感謝

何時も神棚に向かって、心の中で呟いています・・・。

◎  寺院と神社、神社と神道 

神社を知り、神社を考えると、日本の姿が見えてくる


神社と寺院、どちらが先だと思いますか?

これでは漠然としていて答えられないでしょう・・・

寺院の伽藍(お寺の建物)と神社の神殿はどちらが古くからあった?

きっと、神社の方が古くて、寺院が後から・・・

そう答える日本人が多いと思います

実際に長屋の爺も数年前まで、そう思い込んでいました

あまりにも古い話なので、事実など解りませんが、おそらくは

寺院の方が古くから建っていたと私は思っています


仏教が日本に伝来したのは6世紀ころ

蘇我氏が大きな力を持っていたころだと言われていて、古代神道と

異教である仏教は、数々の諍いの種になっていたと思われます


無形の神を崇拝するアニミズム信仰者にとって、人の姿をした「偶像」を

拝することに激しい抵抗があったと思われます


一説によると、舒明天皇によって日本で最初の官立寺院・百済大寺

が建立されたのが7世紀前半だと言います


ではそのころ神社はどうなっていたのでしょうか?


当時の神社には常設の神殿など無かったと思っています

神を招き祭事を執り行うのが当時の神道だったはずで、磐座、神籬

等に神が降臨する形態は残っていた事でしょう


7世紀末、壬申の乱の後には神社に常設の社殿(神殿・拝殿)が建てられ

るようになって、律令制が整えられるとともに、神社祭祀制度も確立していった

そのように思えます


太陽も月も、風も川の水も一所に止(とど)まることは無い・・・

古代日本人にとって神とは、「訪れる神」だったのですから、常設の社殿

など必要が無かったと考えます


私の考えですが、仏教推進派に対抗して、神道派は常設の神殿を建てることで

競い合ったのかもしれません

そういう意味からすれば、寺院建築が伝わったからこそ神社建築が発展した

そう解釈することができるかもしれません


伊勢や出雲は別にしても、神社なのにどこか「寺院のような姿」に思える

著名な神社が多くある事を以前から不思議に思っていました

神社建築の「お手本」が寺院建築であったならば、「なるほど」と頷ける

当然と言えば当然かもしれません・・・・


神道は宗教なのか?

これも人によって解釈は異なりますが、今の日本の基本的解釈では

伊勢神宮や出雲大社などは「宗教」と言う認識です

また、天理教など天皇崇拝とは異なる神道組織も「宗教」と言えます


では私たちの周りに在る神社は神道でしょうか?

答えとしては、「宗教ではありません」 となります

宗教には「教義(きょうぎ)」が存在すること、「布教活動」をすること

が前提となります

ですから、私たちの知っている「神道」は、宗教ではなく《神社神道》

として区別されています


伊勢の神宮教、出雲の出雲大社教、天理教などは、教義が有り

布教活動もしています、ですからこれらの神道は宗教に分類されるのです


では、日本の神社の総元締めと言われる伊勢神宮は宗教に属するのに

日本全国の神社が宗教でないと言う矛盾に出会います

伊勢神宮が皇祖を祀るのに宗教と言うのも不可解ですが、伊勢神宮が

全国の神社の頂点と言うのも摩訶不思議に感じますね・・・


かつて、神社神道は宗教でないのだから、国家が支援・保障できることが可能に

なり、結果として神社神道の事を【国家神道】という言い方がされました

しかし、戦後GHQの判断・解釈によって、国家の管理から離れた神道、

いわゆる「非国家神道」として「神社神道」と称されることになったのです


解るようでわからない「神社に対する認識」、難しいの一語につきます(笑)


皇室祭祀は宗教という認識は、皇室の祖神を祀る伊勢神宮に在るような気がします

八百万の神々に祈る天皇家が「伊勢大神」を祖とすると公言するから発生した

宗教判断・・・いまさら「違います」とは言えないのも事実で、永久に皇室神道は

宗教とみなされることでしょう

7世紀末から8世紀初頭に、アマテラスを皇祖として、伊勢に祭り上げた

代償が今の時代になって、大きな矛盾になってしまった

そんな気がしています・・・・。

◎  現状維持こそ願い 

長屋の爺は最近はつい興奮してしまう事が多くなった

齢のせいか、こらえることができにくくなったみたいである

本日も元請けさんと衝突して、無職になるところだった(笑)

自分の勘違いを棚に上げ、自分が完璧だと強情を張り

結果、自分の勘違いだったことが発覚すると

私の責任にすり替えようとした姑息さに腹が立ち

つい大きな声を出してしまった

私に非は全くなく、理路整然と説明しても納得しない馬鹿につい・・・・

「やってらんねぇな・・まったく」、「なんでも俺のせいにするな たわけが」

昼から現場にその姿は無かったので、バツが悪かったのだろう

近いうちに「ホームレス 長屋の爺」が誕生するかもしれない・・・

恵まれない爺に 愛の手を・・・・なんてね(笑)



「ウィンドウズ10」に勝手に更新…MSに苦情相次ぐ 無料入手期間の終了もからみ

 米マイクロソフト(MS)が提供する最新の基本ソフト(OS)「ウィンドウズ10」への更新を巡り、使用しているパソコンのOSが勝手に更新されたと、利用者からの問い合わせや苦情が相次いでいることが26日、分かった。

 日本マイクロソフトの担当者は「セキュリティー向上のために更新を推奨している」と話すが、使い勝手が悪い場合は元に戻せると説明している。

 マイクロソフトは昨年7月、「ウィンドウズ7 SP1」や「ウィンドウズ8・1 アップデート」の利用者を対象にウィンドウズ10の無料提供を始め、従来はOSを更新するには利用者が自ら予約する必要があった。

 だが無料提供の終了日が今年7月29日に迫り、マイクロソフトは今月13日から更新日を指定してネットで利用者に通知し、自動的に更新する方法に切り替えた。更新を望まない場合は拒否する手続きをする必要があるが、通知を放置し自動更新に至るケースが出ているようだ。





私は通知など観たことも無い・・・


私が咄嗟に感じたのは、日本のNHKの契約を観ているような

そんな錯覚を覚えたのである

テレビを購入したら、望む・望まないに限らず、自動的に契約したと

みなされる現行法?

民主主義が聞いてあきれる法治国家・日本である事を実感する

選択の自由を奪っておいて、何が民主主義だ、先進国だw



予約はあくまでも、「予定」であって、確定したものではない

それを強制的に書き換える行為はどんな理由でも許されないだろう

セキュリティー向上のために更新を推奨している・・・のは結構なことだが

小さな親切、大きな迷惑 と言う事もある


最近パソコンに不具合が出たと友人たちが嘆いている

そのどれもが、OSが「Win 7」のパソコンばかり・・・

意図的に「7」から「10」に更新させようという魂胆か?

そう思えてしまうほど、最近のウィンドウズは評判が悪い

若い方でパソコンに精通しているなら問題にならないだろうが

還暦を過ぎた人間が慣れ親しんだパソコンの扱いに変化など

誰も求めてはいないことを知るべきではないか・・・・


「簡単に設定を変えれますよ」

「嫌なら 元に戻せますよ」

誰を基準に話をしているのか・・・


面倒な事はできるだけ回避したいのが「高齢者の本音」

満足か不満かと問われれば、「現状維持こそ願い」である私には

今現在で十分満足していると答える

ブログを書いたり、コメントの返事を書くとき、ネット通販の決済を

する時だけ、パソコンが活躍する我が家

普段はタブレットでメールやニュース、ブログのチェックをする事が多い


あと何か月、何年ブログを続けられるのか定かではない

タブレットがあれば、十分な生活を送れる可能性すらあるのだから

ウィンドウズ10 何するものぞ! である(笑)

◎  イモに人生と歴史 

             「罰当たりな行為」…地蔵に放火か、前掛け焼く

 24日午前7時25分頃、大津市秋葉台の雲雀ヶ丘自治会館の敷地内にある地蔵5体の前掛けなどが焼けているのを住民が発見し、大津署に通報。

 付近に火の気はなく、同署は放火の疑いで捜査している。

 発表では、地蔵5体の前掛けや座布団のほか、安置されている木造のほこら(縦2メートル、横1メートル、高さ1・3メートル)の壁や柱の一部も焼けていた。前日夜に住民が通りがかった際は、異常がなかった。

 昨年11月と今年2月には、会館から約50メートル離れた空き家の壁が2度にわたって燃える不審火も発生しており、関連を調べる。

 地蔵は住民らが花を供えたり、周囲を清掃したりして大切にしてきただけに、同自治会の吉田八わかつ会長は「罰当たりな行為で悲しい。憤りを感じる」と話していた。

                 2016年05月25日 Copyright © The Yomiuri Shimbun


日本人なら絶対しない事

それは、墓石を足蹴にすることと、仏像などに悪戯をすることだ

凡そ日本人の仕業とも思えない・・・・

他国の国旗(日の丸)すら平気で燃やす民族がいる

信仰心も礼節も無い「猿」の犯行というのは考え過ぎだろうか・・・・


シナ人や朝鮮人は「日本の伝統」や「日本文化」を軽視する傾向がある

躾をされてこなかった人間は幾つになっても「ケモノ」のレベルといえる

衣食足りて礼節を知る

この意味すら理解できない民族になったシナ人

中華四千年が「聞いてあきれる」という根拠でもある


G7にシナが参加できないのは、人になり切っていない「猿」であり

分別、礼儀、常識、敬意、互助精神が未熟(本来持たない)だから

ヒトの代表者が集まる「G7」には招集されないのだと友人は言う(笑)

愚かなものの上に「天罰」が下りますように・・・・と願わずにいられない。


美味しいジャガイモ・・・ 

大人になって「ジャガイモ」を観るのも嫌だった時期がある


私は子供のころ、白いご飯が食べられず、イモと南瓜で暮したことがある

学校の行事があるときは、弁当の中身が「イモとカボチャ」なので

故意に弁当を忘れて(持って行かず)に登校した

そんな私を気遣って、担任が自分の弁当を半分にして届けてくれた

クラスの中に同じような子どもが数人いたと思うが・・

その子たちはどうしていたのか? 

今思えば、みんなから離れて食べていたのかもしれない

五十を過ぎたころから、ジャガイモが食べられるようになった私 (笑)

ところが、ジャガイモ=ホクホク という既成概念がある爺には、ベチャっとした

ジャガイモが苦手であり、イモ=男爵イモ という悲しい物差しで生きている


男爵イモ とは、「男爵さんのイモ」と言う事から、この名が付いた・・・

男爵イモの品種は「アイリッシュコブラー」といい、1908年に北海道で

川田龍吉(かわだりゅうきち)男爵が「北海道に適したイモ」として普及に

務め、「男爵様が育てたイモ」と呼ばれ、その後「男爵イモ」として現在まで

日本人が口にするジャガイモの代表になっているという


たかがイモ されどイモ

イモ一つにも爺の人生や、日本の歴史があると言う事かもしれません・・・。

◎  庶民と天皇 


熊本を訪れた天皇皇后両陛下を観て、涙した人も多かったという

感激した人もいただろうし、その反対の人もいたかもしれない

幸いなことに今の日本で「天人相関」を知っている一般人は少ない

さらには、皇室を心の支えにしてきた、本来の(近世の)日本人が

多いということも原因だろう


江戸時代の庶民は「天皇」が如何なる人なのか知らない者も

多かった

江戸において「一番上」は征夷大将軍・徳川将軍であり

「御上(おかみ)」とは将軍様のことだったのである

江戸庶民は天皇のことを「天子(てんし)様」と呼び、遠い異国の

貴人のような扱いだったようだ

「なんたって 京に居る天子さんは お金が無いからねぇ」

と経済的に苦しむ皇族・貴族たちを嘲笑していたふしがある


その天皇家を庶民に今のような「崇高」「威厳」などを刷り込んだのは

明治政府なのであり、江戸時代までの天皇像とは、御簾の中に居て

正体も知れず、何をする人かも知らずに済ませていたのである


宮中祭祀などと言うものも、近年になって庶民に浸透した内情であって

天皇=祈り というのは、天皇家の伝統儀式であって、庶民とは無縁の

行いだったとも言える

だから熊本で「天皇家の行いが悪いから、今回の惨事に繋がった」という

天皇の責任について糾弾するような言葉など皆無だったのである


天皇家の祖神が「アマテラス」ではないと私は再三書いてきた

皇祖神であるなら、宮中から外に出すことも解せないし、千年以上にわたって

参拝しなかったのも理解できないのだ・・・

天皇家(宮廷)に関係が深い神々の「祭り」を扱っている【延喜式】というもの

があり、その中にある祝詞では「アマテラス」という神についてはほとんど

触れられていない

延喜式は927年に完成した「律令制」にかんする細則であり、その9~10巻

の「神名帳」の中の最後の部分に追加されるような形で出てくるだけなのだ

それが皇祖神・アマテラスの扱いなのである



天皇の行動を観察すると、太陽神に仕える【祭祀者】とは思えない時がある

みずからコメ作をし、八百万の神に礼拝する姿からは、祭祀者であっても

太陽神に対する真摯な姿が想像できないのである・・・・


天皇とは農耕・生産の神に仕える祭祀者であるという説があり、天皇家の祖神

は【高御産巣日神(たかみむすびのかみ)】ではないかという

古事記では高御産巣日神、日本書紀では高皇産霊尊、天孫降臨の場面では

【高木神】として登場している

「産霊(むすひ)」とは、生産・生成を意味することばである


農耕民族の崇拝する神である高皇産霊尊を祖神とする天皇家が、太陽神が皇祖

であると言わねばならなかった裏の事情も興味深いものがある

持統天皇から200年余りを過ぎた時代に編纂された延喜式において、アマテラスを

前面に出せなかった本当の事情を考えると、伊勢神宮に天皇が参拝しなかった

あるいは、参拝できなかった理由(事情)に興味をそそられてしまう


伊勢神宮と賀茂神社には「未婚の女性」が神に仕えた歴史がる

神宮では

「斎宮(さいくう・いつきのみや)」「斎王(さいおう・いつきのみこ)」

賀茂神社では

「斎王」「斎院(さいいん)」「阿礼乎止女(あれおとめ)」と呼ばれた

彼女たちが仕えたのは、皇祖神ではないような気がしている

神宮において斎王は六月・十二月の【月次祭(つきなみさい)】と

九月に行われる【神嘗祭(かんなめさい)】の三度だけ、庭前で

大玉串をささげて拝礼するだけだった

最も重要な儀式「秘儀・大物忌(おおものいみ)」は童女が執り行っていた

まるで「神のご機嫌を取るだけ」のために存在したか、あるいは「天皇」に代わって

あいさつに出向くのが務めだったような状況である

賀茂神社(上賀茂神社)も伊勢と同じく「天皇家に祟っていた」という歴史がある

《欽明天皇の567年、国内は風雨がはげしく五穀が実らなかったので、当時賀茂の

大神の崇敬者であった伊吉の若日子に占わせたところ、賀茂の神々の祟りであると

いうので、若日子は勅命をおおせつかって、4月の吉日に祭礼を行い、馬には鈴をかけ、

人は猪頭(ししがしら)をかぶって駆競(かけくらべ)をしたところ、風雨はおさまり、

五穀は豊かに実って国民も安泰になったという》

祟るほど「神威」が強い神さまと言う事で、未婚の女性を派遣し

ご機嫌をとったというところか・・・・



お天道様が観ているという庶民感覚が、皇族関係にはないのだろうか?

皇祖神が「太陽神」であるなら、日常的に「お天道様」を意識して生活するはずで

お天道様を蔑ろにする生活には、お天道様への尊崇も敬意も信仰もないとしか

思えないというのは言いすぎか・・・


お天道様が観ている意識があれば、ヤフオク問題も医師団一人問題もスキー静養

なども、正常な神経ではできる訳が無いだろう

何時かはお天道様の本音を聞くことになる気がしますが、どうでしょう?

◎  サミット ヒロシマ 

 
清正時代から伝来 「三面地蔵」盗難か 熊本市中央区新町

 熊本市中央区新町の地蔵堂に祭られ、地域の人たちに親しまれてきた「三面地蔵」が21日、なくなっていることが分かった。何者かに盗まれたとみられ、住民は「大切に守ってきた地域の宝。一体誰が何のために…」と憤っている。

 一新校区自治協議会の毛利秀士会長(73)によると、三面地蔵は高さ約50センチの石像。加藤清正の時代から伝わるとされ、三つの顔それぞれで子どもの疫病・火事・水害から守ってくれるといわれる。毎年7月には一帯で地蔵祭りも開かれ、子どもたちにもなじみの深いお地蔵さまだ。

 同日午前5時ごろ、お参りに来た近くの藤原謙吾さん(68)が、台座を残してなくなっているのを発見。熊本南署に盗難届を提出した。前夜までは変わりなかったそうで、「深夜から明け方にかけて盗まれたのではないか。罰当たりなことだ」と藤原さん。

 以前からさい銭泥棒はあったが、地蔵の被害は初めて。毛利会長は「いたずらならすぐに返してほしい」と訴えている。(石本智)


仏像や地蔵の窃盗、神社仏閣への放火の多くは、お隣の国の専売である

根拠は日本人の心の中の「宗教心」と「お天道様が観ている」という観念が無いからだ

悪戯にせよ、悪意にせよ、転売目的にせよ「神・仏を恐れぬ所業」であり

近いうちに「天罰が下る」事になるだろう・・・・


連日、この地方の空はヘリコプターの爆音で騒がしい

サミットが近い事を嫌が応にも感じさせてくれるが、仕事で高速を使う人間にとって

迷惑千万な話でもある

庶民の生活に無頓着と言うか、庶民の痛みが理解できない人間が舵を握ると

こういう事になるのは当然か・・・


韓国の若者は自分の名前を漢字で書けないという記事を観た

ハングルさえ読み書きできれば、不自由しないと言う事だろうが

結局は自分の国の歴史を知る機会を、国が奪っているという事だ

ハングルが浸透したのは、日韓併合の後である

埋もれていたハングルを隅々まで浸透させ、普及に尽力したのは日本なのだ

それまでの李氏朝鮮の歴史は「漢字」によって記録されている

大学教授の中にも漢字が読めない人が多いと聞く

オンナ酋長が「正しい歴史認識を・・」と日本に注文付ける前に

自国の漢字で書かれた歴史を読む努力を優先した方が賢明であろう

漢字が読めない韓国人 ハングルが読めない在日韓国人

世界の空気が読めない韓国人 日本人の怒りを読めない在日韓国人

読めないと言う事に「哀れさを感じる」のは私だけだろうが・・・


オバマ大統領が広島を訪問すると言う

謝罪しないなら来るな!

何処からかそんな声が出ているらしい・・・

オバマが原爆投下を指示したわけでもない・・・

オバマ大統領の謝罪が必要というなら、日本の首相や天皇は永遠に

他国に謝罪するべきという事と、同じになりはしないか?

安倍晋三氏が開戦を決断したわけでは無いし、今上天皇が国軍を統率して

いたわけでもない

オバマ大統領と言うヘタレの謝罪云々を言う前に、「過ちは二度と繰り返しませんから」

という言葉の不可解さを、なぜ見つめなおさないのか・・・

この言葉を「直さない」日本社会と被爆者たちに、米国大統領に対し「謝罪しろ」など

異常きわまる要求なのである

過ちの本質が何であれ、広島平和公園の言葉は、明らかに「日本人が悪い」という

世界に向けての反省・謝罪の言葉以外の何物でもないのは事実である

非戦闘員・無辜の市民を無差別に大量虐殺したのは「原爆使用の結果」と

しての事実であり、どんな言葉、理由をつけても許されることではない


核廃絶、核軍縮、核不拡散、私は大賛成である

しかし、現実に核兵器が無くなることはない

表現が適切でないかもしれないが、「不治の病」を治そうとするような

そんな話に思えてしまう

できる事はどう折り合いをつけて、共存するか・・・・

自動車事故の遺族が運転者では無く、自動車があるから愛する者の命が

失われた、だから自動車を根絶せよと絶叫している姿がダブってしまう・・・

それを重ね合わせれば、現実には運転者は核兵器使用命令者であり

自動車は核兵器と言う事になりはしないか・・・・


核兵器は地球上の歴史において、日本以外で使用されたことは無い

世界中に数千発有ると言われているが、現実に使用されたのは2発だけである

核兵器が悪いのであれば、もっと多くの地域で使用され、多くの人命が奪われて

いても良い事になる

しかし、現実には多くの日本人が犠牲になっただけなのである

その理由は、「核兵器使用」を許可・命令した人間が歴史上一人いた

その許可・命令した人間が悪いと言う事ではなかろうか?


この問題は個々の理念・思想によって、千差万別の意見があると思う

この問題で他人と議論する気は私には無い

よって、核問題でのコメントにはお答えしないこととします


どう思うか、どう感じるか、怒るのか、悲しむのか、絶望するのか、声を上げるのか

どういう形であっても、無辜の日本人(女性・子供・老人)が犠牲になったのは事実

であり、平和公園にこれからも「過ちは二度と繰り返しませんから」という碑が残り

国連では「敵対国」という仕打ちを受けたまま、近隣国の一部から「謝罪」と「反省」を

強要され異常な関係が続くのである


日本人が日本人としての自覚と覚悟を思い出さない限り、この状況が変わることは無い

日本人が変わらない限り、民進党や共産党などの政治家が日本をダメにする

その者たちを選ぶのは私たち日本人であることを自覚しなければ、民進党議員や舛添の

ような売国帰化人たちの巣窟になってしまうのである

だからと言って、自民党だから安心なのでもない事は分かり切ったことだが

自民党マンセーの有権者が多い事も、日本をダメにしている原因かもしれない

二階、古賀、河野など信用ならない獅子身中の虫も数多くいることを忘れてはいけない


どうして今、サミット開催なのか?

どうして今、東京五輪なのか?

どうして今、消費税10%なのか?

全ての鍵はここに在るような気がしている・・・・・。


◎  神社を知ると・・・ 


私が生まれた時には、天皇家という家が存在しました

では天皇家はいつのころからあるのでしょうか?

正直な話、私はわかりません・・・・

書いてあるから事実と言うなら、二千数百年前からかもしれませんし

千数百年前からかもしれません


さて、日本という国はいつのころから存在したのでしょうか?

私は「天武朝」「持統朝」と呼ばれた時代からだと思っています

「やまと」という呼び名から「日本」という呼び方が定まったのが

そのころだと思えるからです

へそ曲がりな解釈をすれば、日本誕生から千三百年~千四百年しか

経っていないという解釈もできます(笑)


「中国四千年」と言いますが、四千年前に中国と言う国は存在していません

四千年の歴史とはどこから導き出した話なのか・・・・

アメリカ(北米)大陸には8世紀から定住した文明があったと言われているが

アメリカ人は千数百年の歴史とは言わない

それはアメリカの歴史では無く、大陸の歴史に過ぎないからだろう


ましてや、「半万年の歴史」と豪語する半島人にいたっては・・・

論外としか言いようがない(笑)

彼等半島人は高句麗人でもなければ、韓人(からびと)ですらない

そもそも現在「朝鮮人」と言われている民族は、半島東北部の

太白山脈の東側に住んでいたワイ族の子孫である

(韓人とは半島南部に住む倭人系民族で、彼らは、当然倭語(日本語)を話した)

本来の朝鮮人とは、衛氏朝鮮国の住民である漢人(チャイニーズ)が

「朝鮮人」と呼ばれていたのである





では神社はいつごろから日本に登場したのでしょうか?

「神社(じんじゃ)」という呼び方は明治ころに定着しました

ところが「神社」は明治期以前には無かったかと言うと、そんなことは有りません

ただ呼び名が「神社」では無く、「宮」「やしろ」などと呼ばれていました

その「宮」でさえもいつごろから呼ばれたかは明確にはなっていません

(書いてあるからと言う根拠を無視した場合ですが)


日本人が「古くから」と思い込んでいることでも、意外と近世になってから

生まれた物も少なくありません


その一つが「ん」という言葉にまつわるものなのです

神社(じんじゃ)という呼び名がなぜ明治期に定まったのか?

そこに「ん」という文字が大きな役割を担っているのではと思っています

以前にも書きましたが、神社は「かみのやしろ」「やしろ」、神宮は「かみのみや」

「かむみや」と記紀には記されています

神社と呼びたくても、「ん」という文字表現が確立していなかった時代が

長く続いていた、そんな気がしています


神社と言うものを知れば知るほど、解らなくなるのはなぜなのでしょう


ご存知の通り、神社は基本的に、拝殿と本殿から成り立って居ます

拝殿とは神さまに対面し拝礼する場所のはずですが、私たちは

その前に在る「賽銭箱」のまえで拝礼します・・・

拝殿に入りたければ、「初穂料」という別のお金を支払うシステムです

これって・・・不思議ではないですか?

特別にお金を払った人だけ入ることが許される「拝殿」とはいかに?

神さまって「お金を欲しがる」習性でもあるのだろうか?


伊勢神宮は古い時代(江戸時代)は、遷宮したのちも「古い社殿」は

そのままに残され、誰でも自由に立ち入る事ができたという

(その古殿が解体されるのは、遷宮の39年後だという)

その神宮の社殿等の配置は平安期とは違い、明治期から始まった配置

であり、我々が古の神宮と思っているのは、わずか150年前からの

新しい伊勢神宮の姿なのである (・・と言っても、中など観ることは適わないが)

古代、古さを強調すればするほど、見えてくる「新しさ」は「神社」全般に

言える事なのかもしれない


【悠久の時を経て・・・】 と聞けば、何とも厳かな貴い気分になるが

知った時の失望感は半端ではないものとなる(笑)

ではまた・・・。

◎  今日この頃の爺  


今月の仕事も佳境に入り、老体が悲鳴を上げている

とにかく「翌日まで疲れを引きずる」から、「当日に疲れ果てる」

となっては、翌朝までに成すべき優先順位は明らかになって来る


「出来ない」 と言わない私の性分を見越しての「無理難題」

そんな自分の愚かで不器用な生き方を変えることすらできない

仕事には及第点など無い

100%が当たり前で、それ以外はゼロに等しい

無理難題に押しつぶされるか、乗り越えるかなどと言うには

少々齢を食いすぎたようだが(笑)


仕事のピークもあと10日を残すだけ、此処さえ乗り切れば

後は自分の体を騙しながら、仕事と向き合えばよい・・・

こんな生活を後どれくらいできるのか?

仕事を辞めたら「ぽっくり」と・・・理想なのだが、どうなる事やら


最近、若い子たちに「あとは自分らがやりますから、休んでいてください」

そう言って、老体を労わってくれるようになった

若い子(弟子)たちに技術・知識だけ教えてきたのではないと

いまになって思うようになったのは、神さまからのご褒美か?


そんなわけで、古代史を考える時間も気持ちの余裕も無く

更新は今しばらく不定期と言う事で・・・


せっかくなので、日本語について少々雑学・薀蓄を・・・


 【間髪を入れず】 

これをパソコンで入力しようとすると、出てこないのです

なぜなのか?

これをどう読むかと言う事が問題なのかもしれません

これを「かんぱつをいれず」、と入力すると上記の言葉が出てきます

しかし・・・これは間違いと言うべき読み方なのです

正しくは、「かん、はつをいれず」と読まなければいけません

《間に髪の毛一本を入れる隙も無い》という意味の故事成語で

元々「間髪」という一つの言葉では無く、間と髪を続けて読むのは誤りです

パソコンの変換も大きな間違いを拡散していることになりますね


 【今はお店の「カキイレドキダ」】 

かきいれどき と書くとき、お金を掻き集めるイメージから

「掻き入れどき」と書いてしまいそうですが

正しくは「書き入れ時」が正しい

書き入れ とは帳簿付けの事で、商売繁盛のときは帳簿の記入が忙しい事から

こう言われるようになったといいます


 【十戒】 

これは「じゅっかい」読んでしまいそうですが、正しくは「じっかい」です


 【一段落つく】 

これも間違いやすい言葉ですね

「ひとだんらくつく」と読んでしまいそうですが、正しくは「いちだんらくつく」

と読みます


 【画竜点睛を欠く】 

ご存知 ガリョウテンセイ という四字熟語ですが

睛 とは「ひとみ」のことで、晴 と間違う事が多い文字です

また、「欠く」を「書く」とするのも間違いです


 【なしのつぶて】 

これを漢字で書くと、「梨のつぶて」となります

意外にも「無し」と書かれる方が多いとも言います


 【弱冠】 

じゃっかん という言葉だが、弱冠とは「二十歳」のこと

転じて若さを表す言葉として使われるようになった

だから、二十歳を過ぎてオジサンになった人が使うと失笑ものです


 【胸三寸におさめる】 

胸三寸とは「胸の中」のこと

心の中におさめておいて他言しないことである

ところが最近「胸先三寸」という使い方を見かけるが

胸先 とは「みぞおち」の事だから意味が通じなくなってしまう

誤用にはご用心・・・・


最近耳にする言葉 【出処進退】 しゅっしょしんたい

政治家などが「身の処し方」について語るときに使われます

「出」とは、役人になる事

「処」とは、役人にならずに家にいること

そこから、役職・地位に留まるか、職を辞するか判断するときに使う


それにしても、政治家と教員は日本語の常識から逸脱した

世界に住んでいるようで・・・

自分達の世界(組織)の人間のことを、他者に話すときに

「**先生」という言い方をする


民間企業なら、「**部長さんは居られますか?」と言われれば

「**はただ今席を外しております」と、敬称は使わない



「○組の担任の**先生はいらっしゃいますか?」と聞けば

「**先生は今、会議中です」 と言う返答が還って来る


国会中継で、答弁に立った閣僚が野党議員に対して

**議員とは言わないで、**先生と言う事がある

有権者の見えないところで、儀礼的に**先生と言うなら未だしも

国民が観ている前で、「先生」呼ばわりは非常識ではないだろうか?


日本がおかしくなったのは、国会議員と教員の責任とは

言い過ぎだろうか?

ではまた・・・・。

◎  日本語の頽廃 「さようなら」が消える 

「さようなら」という言葉が使われなくなっている。
代わりに別れる際に話される言葉は「じゃあ」「またね」「おつかれさま」「バイバイ」などいろいろな言い方に変わってきた。
日本語のあいさつのうち、「おはよう」「こんばんは」「こんにちは」は昔から使われているが、「さようなら」だけが使用頻度が減っている。
なぜか−。
大阪ミナミの街頭で人々に聞くと、「さようなら」には「永遠の別れ」のイメージがあるという答えが返ってきた。
専門家は「『さようなら』は死語になりつつある」と分析している。(張英壽)

「またね」「おつかれさま」など多様化

 大阪・ミナミの南海難波駅前。ここで、20〜70代の男女30人に、「さようなら」、もしくは関西弁の「さいなら」を使うかと質問してみると、ちょうど7割の21人が「使わない」「ふだん使わない」と答えた。


産経新聞 05月15日からの引用だが・・・・

以前にも書いた記憶があるが「さようなら」とはいったい何だろう?

さようならが永遠の別れをイメージすると言うのだから気になってしまう


まずその前に、人が「生きる」と言う事に触れてみたい

 【生きる】 

生きるとは「いき」+「る」だという説がある

「いき」とは即ち「息」のことで、「る」とは継続するさまを表す接尾辞

だといいます

産まれてから今日まで、息をし続けてきたから「生きる」事ができた

そういうことになりますね

息をする役目を担っているのが「肺」という臓器なのは承知の通り

それを動かしているのが「心臓」という臓器なのもご存知でしょう

では心臓は何によって動かされているのか?

私は無学な人間で、医者でもないので判りません(笑)


稚拙な爺の考えでは、おそらく「太陽」だと思っているのです

太陽電池に相当する物質が体内に在って、それが心臓を

絶え間なく動かし、呼吸するような仕組みなのではないでしょうか

その太陽電池が機能しにくくなると、医者が手術をして胸の中に

「太陽電池」に代わる器械を入れて補う事になり

これを世間では「ペースメーカー」とか呼ぶのだと思います


 【おかげさま】 

太陽が日本人にとって「神」だった時代・・・

人は生きていることに感謝し、こう言ったのです

【おかげさま】 

おかげさまとは、どういう意味でしょうか?

お蔭さま と書かれる言葉ですが、「影」とも「陰」とも同じ意味でしょう

【影】 とは、光をさえぎってできる形の事とされますが

本来は「日の光」のことを指して「影」と呼びました

かげ=太陽 と言っても良いと思います

「おかげさま」とは【太陽さん】という意味だったわけで

古代の日本人は知識が無くとも、本能として「太陽に生かされている」

事を理解していたことになりますね

おかげさま(太陽のチカラ)で今日も生きられたし、又明日も太陽の力を

受けて、元気に過ごしたいものだ・・・・

日本人とは他の国の人々とは違って、「命の元が太陽だと知っていて

太陽に感謝して生きている国民」と言っても良いと思います


それを言葉に表すと おかげさま となるのでしょう


現代人は年に一度、一月元旦に太陽を拝みますが

昔の日本人は毎日のように、太陽に手を合わせていたと言います

日本人が日本人らしく無くなったのも、こういう事が原因かもしれません


 【こんにちは】 

では次に「こんにちは」ですが、先日「こんにちわ」ではなく「こんにちは」が

正しいと書きました

理由を書くのを省いてしまったので、理解できない人もいたと思います

こんにちはを文字で書くと、「今日は」となります

「今日」を きょう と読むことが有りますが、本来は「こんにち」と読みます

こんにち とは「太陽」のことで、今日=太陽 なのです

日本の各地でも古くから「こんにちさん」、「こんにっつぁん」とか呼んでいました

「太陽は」という意味で使うのですから、「今日は」「こんにちは」と書くのが

正しいと言ったわけであります

「今日(太陽)は本日も輝いていて、私たちを照らしてくれていますね」

「全くその通り、今日さんは輝いて照らしてくれてます」

それを簡略的に表現したのが、「こんにちは」の挨拶なのではないでしょうか


 【さようなら】 

次に、ではなぜ「さようなら」と言うのか・・・ですが

これも「こんにちは」と結びついている気がします

「今日は」の挨拶の意味の中に、「今日さんに感謝していますか?」

という隠れた意味があるように思います

それに応えるように、感謝していますと言う意味で「今日は」と返し

別れるときに、「さようならば けっこうですよ」 と言う意味で

相手が太陽に感謝して今日も元気で生きていることに満足して

「さようならば」と返したのではないでしょうか・・・

こんにちは・・・
(あなたは今日さん(太陽)に感謝して生きていますか?)

こんにちは・・・
(もちろん 感謝して生きていますよ)

さようなら・・・
(左様ならば、安心ですね)

さようなら・・・
(あなたも 安心してください)

つまりは

世間で言う「永遠の別れ」のあいさつでは無いと私は考えています

見知った人、親しい人が太陽によって生かされ、太陽に感謝し

元気な姿を観た後に、「それならば安心しました」

「また明日も太陽の力をもらって、元気に暮らしましょう」

そういう意味で交わした「あいさつ」だと私は思っています


「そのよう(様子)なら」、「そういう事ならば」「左様ならば」

それが「さようなら」の本来の意味ではないでしょうか・・・。


英語や中国語、フランス語、ハングルも結構ですが、日本人が日本語を

知らないまま過ごしていることを容認する現代の教育に疑問を感じます

それがひいては「日本」を嫌う風潮が蔓延する原因かもしれません

日本語を知らない日本人に、日本が判らなくて当然かもしれません

きちんとした挨拶も知らず、「コンス」を奨励する摩訶不思議な国・・・

それが私たちが暮らす日本と言う国なのではないでしょうか

日本語を知ることは日本を知ること、日本を知ることは自分を知ること

私はそのように思っています

老い先短い爺の戯言と受け止めてください・・・。

◎  和と書かねばならなかった時代 


和を以て貴しとなす

どうしてこのような言葉が書き残されたのか?

なんとなく編者が気に入っていたからでも無いだろうし

私は聖徳太子と呼ばれた人物は居なかったと思っている


それでも 和を以て貴しとなす と書かねばならなかった事情

というものに私は非常に興味をかきたてられるのである


なぜ 和 が大事なのか?

和 が無ければどうなると言うのだろうか?

これこそ私たちが無意識に抱えている 《祟り》 に起因した

古代人の「教訓」なのではないだろうか・・・


和が無ければ、和が崩れれば、争いが起こり犠牲が生じ

犠牲が生じれば、恨みが湧き起ることになる

つまり、結果として「祟り」の誕生である

祟りを極力回避する方便が 【 和を重視する 】 ことになる


しかし世の中、そうは問屋が卸してはくれない

権力欲 金銭欲 物欲 色欲 それを欲する限り摩擦が生じ

和は簡単に崩れてしまう事に・・・・ 

その現実を「良い方向」に変えるために、敢えて「貴し」と言い

言霊に縋ったのではないだろうか・・・


書きのこすには、書き残さなければならなかった事情(理由)が

存在するはずだ

文字を書くことができた人は、ごく限られた人たちだったはず

文字を書く「紙」も貴重で、入手するのは難しかったはず

そんな背景で「書き残す」ことの意味を考えれば、何を残すかは

きわめて大事な選択だったと感じる


例えば、現代の刑法を考えても、犯す者がいるから罰則を設け

違反者が居るから「禁止項目」が書かれているのではないだろうか


十七ヶ条の憲法が誰によって考えられ、書かれたかは知らず

第一条  人と争わずに和を大切にしなさい
第二条  三宝を深く尊敬し、尊び、礼をつくしなさい
第三条  天皇の命令は反発せずにかしこまって聞きなさい
第四条  役人達はつねに礼儀ただしくありなさい
第五条  道にはずれた心を捨てて、公平な態度で裁きを行いなさい
第六条  悪い事はこらしめ、良いことはどんどんしなさい
第七条  仕事はその役目に合った人にさせなさい
第八条  役人はサボることなく早朝から夜遅くまで一生懸命働きなさい
第九条  お互いを疑うことなく信じ合いなさい
第十条  他人と意見が異なっても腹を立てないようにしなさい
第十一条 優れた働きや成果、または過ちを明確にして、必ず賞罰を与えなさい
第十二条 役人は勝手に民衆から税をとってはいけない
第十三条 役人は自分だけではなく、他の役人の仕事も知っておきなさい
第十四条 役人は嫉妬の心をお互いにもってはいけない
第十五条 国のことを大事に思い、私利私欲に走ってはいけない
第十六条 民衆を使うときは、その時期を見計らって使いなさい
第十七条 大事なことは一人で決めずに、必ず皆と相談しなさい


「天皇の命令は反発せずにかしこまって聞きなさい」ということは

当時の群臣は天皇を敬っていなかったことになり、相手が天皇であっても

平気で反発していて、私たちが思っているような天皇の権力・権威など

確立していなかった、つまりは「お飾り」「神輿」のような存在に近かった気がする


「公平な態度で裁きを行いなさい」というからには、裁断は個人の裁量で

行われていたことになり、国家としての基盤が固まっていなかった


「役人はサボることなく早朝から夜遅くまで一生懸命働きなさい」とは

真面目に務める役人が少なかったのかもしれない(現代も同じと言う声が聞こえそうだが)


「役人は勝手に民衆から税をとってはいけない 」

「国のことを大事に思い、私利私欲に走ってはいけない」とは、臣民に対し

金品を強要し私腹を肥やす役人が多かったことになる


「大事なことは一人で決めずに、必ず皆と相談しなさい」

最後に第一条と同じ内容の言葉で締めくくっている

話し合って(相談して)決めるようにと言う事は、独断専行する人間が

大きな問題(頭痛の種)だったのか?


私が十七ヶ条の憲法が創作された時代を想像するとき、お隣の国・シナ

や南朝鮮を連想してしまう

役人は賄賂や金品を強要し、真面目に勤務せず私腹を肥やすことに没頭する

自分の都合や気分で裁断を下し、他人と意見が異なれば、暴力で自我を通そうと

する

おそらく大陸や半島を手本にしたとすれば、当然の結果として表れていたの

かもしれないし、混沌としたその時代に、現実に対し理想とされた人物像が

「聖徳太子」というスーパーマンではなかったか・・

インドや中国から伝わってきた「逸話」の断片を繫ぎ合わせて創作された

スーパーヒーローが「聖徳太子」という人物だと私は思っている


この時代に権力の頂点に在った人たちの対局が「聖徳太子」であるなら

国史が編纂された時代までは、国家として纏まりの無い状況が続き

権力争いの絶えない時を重ねていたのかもしれない・・・

◎  陽成天皇と皇室の流れ 

不可解な事が起きるのが皇室の常識であり、世間の

非常識である

こんな事を書くとツイッターやフェイスブックなら

間違いなく炎上するか?(笑)


疲れがピークの長屋の爺ですから

思考がまとまらず中途半端な更新になる事を心配しています


「狂人」とか、「犯罪者」のような扱いを受けた皇族・天皇は多い

第57代 陽成天皇(ようぜい)

9歳で即位し、17歳で廃位された不思議な天皇である

「神皇正統記」によれば、性格が荒々しく帝王の器に相応しくなかった

とあり、粗暴な行状が目に余ったからと言われている

「愚管抄」によると、「もののけによる禍がひどく、狂気の振る舞いは

言葉にできないほどだった」とされる


陽成天皇は宮中で殺人を犯したと言う説が唱えられている

冤罪で人の命を奪う事など日常茶飯事の宮中において、天皇が

何らかの理由で「殺人」を犯したとしても、隠蔽するくらいは朝飯前

ではなかろうか・・・

あくまでも形式上では、「病悩」によって退位したことになっている

しかし、退位の前後にはそのような史料も無く、82歳まで存命した

ことから考えても、何らかの力によって「廃位」させられたと考える

ほうが普通だと感じる

じつはこの廃位問題には藤原氏の権力争い、いや兄妹抗争が関係

している気配がある

陽成天皇の母親は藤原高子、陽成天皇の後見人である摂政・藤原基経

の妹だ、その高子は56代清和天皇の妃でもある

その清和天皇は藤原基経の養父・藤原良房によって「女色」に溺れさせられた

過去があり、母として陽成天皇を守ろうと「親政」を目指した気配がある

つまり、兄である基経には好ましからざる状況になる懸念があった

陽成帝の廃位は同時に皇太后の「追い落とし」にもつながって来る

現実に高子は過去の「密通事件」を理由に皇太后を廃位させられていて

実の兄妹であっても、権力の前には「血縁」など何の価値も無いと言う事である


骨肉の争いの根拠は、陽成天皇の後継をみれば理解できる

陽成天皇には同母弟・貞保親王、異母弟・貞辰親王、が居たにも関わらず

天皇になったのは、なぜか2世代前に相当する55歳の光孝天皇であった

同じ仁明天皇系と言っても流れが変わったのは事実である

本来なら、先細りして消えてしまっても不思議ではない傍流である

光孝天皇の流れは、宇多・醍醐・朱雀・村上へと繋がっていくことになる

藤原の権力争いによって、皇統は大きく流れを変え、新たなページに

書き換えられたという見方もできるのである




不都合な人間を排除する傾向は皇室の常識、藤原の常套でもあり

身内の不都合を「ひた隠す」というのは、我々庶民の思い過ごしだろう

(現代の皇室も、不都合は隠し、真実を捻じ曲げる傾向にあるようだが・・)


余談だが、皇太子妃と弟殿下妃の様々な怪情報が飛び交っているが

私は実際の両者を知らないので、どの情報もスルーする立場である

しかし、客観的に考えれば、どちら側の情報が「信憑性」があり、論理的に

納得できるかを言えば、幾重にも重ねられた「ウソ」を纏った

皇太子妃側の言い分に信憑性も整合性も感じられないのである


才ある者は遠ざけられた歴史が皇統には存在するのも事実であり

皇室にまとわりつく魑魅魍魎にとって、好ましいのは「愚鈍な帝」で

頭脳明晰、鋭敏な者は疎まれる歴史が存在する

そして、悲しいかな恵まれない一生を終える親王も数多くいた

いや・・・悲しい運命の親王が殆どだったともいえる


今の日本が「先人たち」の犠牲の上で成り立っていると言うなら

今の皇室は「悲運の親王」の犠牲の上で続いてきたと言っても

過言ではない、批判を覚悟で言うなら、血塗られた歴史と悲哀の

歴史の上に天皇家は君臨していると思えなくも無いのである。

◎  捻じ曲げられた皇統史 


「日本書紀」は信用が置けないと書いた

ではその後の「続日本紀」、「日本後紀」はどうなのか?

天皇の命に依り編纂されたからと言って、信憑性が高いとは

言えないと思っている

なぜか?

それはどの時代の正史・国史も時の権力者の思惑が色濃く

反映されているからに違いないのである


古代史や天皇史において、「**天皇系」という考え方をする

例えば、天智系や天武系、といわれるものだが・・・

それは大きな系統の流れであって、天皇の血統のほんの一部に過ぎない

親が同じ天皇なら、子供たちも同じ系統と言うのは考えものである

桓武天皇の親王で即位できたのは二人

第51代 平城天皇(へいぜい)、第52代 嵯峨天皇

平城天皇は「薬子の変」という謀反の罪で後世まで「愚帝」という烙印を

押されたままである

この天皇も天皇史に悪し様に書き残された天皇の一人である

なぜ、このような書き方をされたのかは知られていない

私の知る限りでは、朝廷の仕組みを根底から変えようとして

宮中に跋扈する「魑魅魍魎」の逆鱗に触れてしまったからである

それまで、揺るぎない仕組みであった、貴族の階級制度の変革(改革)

を成そうとした

地方の実情を把握しようと【六道観察使(ろくどうかんさつし)】を設置し

桓武天皇が置いた【勘解由使(かげゆし)】を廃止し、さらには

朝堂を牛耳る公卿たち上級貴族にとって許しがたい「参議」という職階を

失くしてしまったことも大きな要因であろう

つまりは、私たちが知る「愚かな天皇」というのは虚像であって、政治改革を

断行しようとした「賢帝」だった可能性が高いのである


では「薬子の変」とは何だったのか?

おそらくこれも貴族の派閥抗争の結果だろうと推測するが、一番の要因は

桓武天皇が「祟り」を恐れるあまり、【続日本紀】から削除していた項目

早良親王の記事と、藤原種継の記事を、仲成・薬子兄妹が元通りに挿入

したことが大きな原因だと感じている

長年にわたり兄妹にとって、父親である藤原種継の名誉回復を切望していて

その行為を許せない勢力が居て、同じように兄妹の不名誉な記述を創作し

後世に伝えた可能性が高いと思っている

今風に言えば、国史もアップデートを繰り返して現代に伝わっている可能性

が高いと言う事になる(笑)


さて、桓武天皇の血統からいえば、嵯峨天皇によって繋がっている

しかし、平城天皇系は途絶えたことになる・・・

*高岳親王(平城天皇の第三皇子)、薬子の変により廃太子、後に出家
 弘法大師・空海の弟子であり十哲の一人、真如上人となる

*阿保親王(平城天皇の第一皇子)、薬子の変により大宰権帥に左遷される
 在原業平の父親でもある

思えば、問題のある天皇として古代史に残る天皇とは、本当に「不適格者」

だったのだろうか?

平城天皇は平城宮に遷都しようと画策したように伝わるが、この当時には

首都と副都が併存するのが仕来りであった

平安京と平城京が同時期に「都」であっても、何ら差し支えない事になる

さらには、伊予親王、早良親王などの鎮撫(ちんぶ)を嵯峨天皇が指示した

ことからも、嵯峨天皇が「祟り」におびえていたと言う説もあり

786年嵯峨天皇の病脳は治まらず、7月19日には先帝・平城に神璽(しんじ)

を返して、退位しようとしたことがあり、それを真に受けた平城帝がそれに沿って

行動したとも考えられるのである


兄弟だから「仲が良い」というのは思い込みの部分が大きく

それが「権力」を伴い、利害が絡んでくると、他人より始末が悪い

現代のロッテ跡目争い、大塚家具の後継問題など、骨肉の争いに

なっていることを観ても、むべなるかな・・・・

次回は陽成天皇について・・・

◎  仕事について 


今日から6連勤、一日休んで5連勤というこれからの予定に

肩を落としている長屋の爺です(笑)

サラリーマンなら普通でも、肉体労働者の爺には「過酷」な

連勤といえます

正直なところ、年寄りが担うような業務内容ではない・・・

頭を使えないなら、体を使って生きろと言う事でしょう


世間で言う 【職業に貴賎なし】 というのは理想でしかありません

その証拠に、自分の子供が大学にも行かず、風俗嬢になると言われ

「応援するよ」という親など居る訳が無い・・・・

高校に行くのを止めて、【炭焼き職人】になりたいと言われて、大賛成する

親が居るでしょうか・・・・・

なぜ、世間の親は子供を高校・大学に入れようとするのでしょう?

高校を出ていなくても、就ける職業は有ります

大学を出ていなくても、一流企業に就職することは可能です

貴い職業とそうでない職業が有る事を知っていて、区別(差別)しているから

ではないでしょうか?


過去の記事にも書いてありますが、長屋の爺は形式的には高卒ですが、

実際のところ中卒です (長屋の爺の嘘と秘密



一流企業にも在籍しましたし、同い年の人間の倍も給料をもらったことも有ります

多少なりとも、人が敬遠する職業がどういう物かは知っているつもりです


綺麗な服(スーツに身を包み)を着て、時間から時間までデスクに座り

最新のIT機器に囲まれ、他人より少しでも高い給料をもらうことが「目標」

なのかもしれません

人に「チヤホヤ」されることが夢になり、その結果が「一億総タレント時代」に

なってしまった

結果、何処を切っても同じような服を着て、同じような髪形で、同じような

似非日本語を使い、他人を欺き・貶めることが「生きる術」になって行く・・・

皆がいくから大学へ行く、行かせたい・・・

皆が持っているから自分も持ちたい、持たせてしまう・・・


他人の痛みがわからない人間は、自分の痛みにも鈍感で、致命的になるまで

気づかない事が多い・・・・

そうして職を失った人間を多く見てきたのである


私は覚悟と自覚のない人間は「プロの仕事師(職人)」にはなれないと

常々思っている

手を抜くことから覚えようとする人間は「碌な人間」にはならないし

汗をかくことを厭う人間に、まともな人間は居ない・・・



遅くて汚い仕事は、素人でもできる

早いけれど汚い仕事は、馬鹿でもできる

遅いが綺麗な仕事は、いつかはできる

早くて綺麗な仕事は、プロの仕事師にしかできない・・・



「あら・・もう終わったの?」

「ごくろうさま 大変でしたね・・」

 「ありがとございました」 


冷静になって考えれば、解る事なのだが

お金を払う側の依頼主が、仕事をもらって報酬を得る私に対し

「有り難う」という言葉は、当然ではない・・・

(立場的にも、依頼主・施主が絶対的上位に位置し、媚びたり諂ったり

相手を気遣う必要は全くないのが現実である)

だからこそ、お金と共に添えられた「有り難う」の言葉が、私の勲章なのである


相手の喜ぶ顔を想像できない人間に、「良い仕事」などできないし

人の見ていないところで、汗をかける人間だけが「プロの仕事師」になれる


そう確信している長屋の爺は「変わり者」であることは間違いなさそうである





◎  皇統の虚実を考える 


この話を書くといろいろと物議を醸す事になるかもしれないと

控えていたのだが・・・


私の個人的な認識では、皇紀2600年など「眉唾」だと思っていて

皇位継承も「血の継承」などは途中からであり、幾度かの易姓革命

が起こって、「血脈」もそれほど重要視する話ではないと感じている


皇室愛を強く感じている方には申し訳ないが、私の本心である


「我が家の先祖は関ヶ原の戦以来の武士で・・云々」

そんな話を聞いたことが有る

その根拠は「先祖が書き残した文書(もんじょ)」に拠るものだと言う

書いてあるから事実なら、朝日新聞を非難・否定することはできない(笑)


我々日本人が「皇室」と認識しているのは、日本書紀から後の「史書」に

書かれていることから導き出されている「史実と言われるもの」によって

であり、観てきたわけでもない話なのである

では、お前さんは何を知っているのだ? と言われそうだが、正直なところ

全く分かってなど居ない(笑)

「日本書紀」というものを【信じるに足る灯り】とは思えない事は間違いない

と私は確信しているだけである


たとえ話になりますが・・・

文科省から百年後の日本人に宛てて、「先祖の事」を書いてください

それをタイムカプセルにしますから・・という依頼が来たとします

貴女・貴男ならどう書きますか?


私の曽祖父は、女を見たら強姦して歩き、大酒呑みで仕事もせず

母親の収入で遊んで暮らしていました・・・


そんな事を書く人は稀(まれ)だと思います

書き残すには理由(わけ)が有り、たとえ先祖であっても「誇りたい」と

考えるのは人情です


もう一つ、人間国宝にもなった「紙漉きの匠」が手作りした数量限定の【和紙】を

頂戴して、何か書いてくださいと言われたら、何を書きますか?


「今日は二日酔いです」とは書かないでしょうし、「金が欲しい」と書くのでしょうか?

貴重な和紙に何を書くか、書かねばならないこと、書き残すに値するものを書くのが

常識というやつだと思っています


日本書紀に「不思議」「非常識」が散見することからも、「信じるに足る」史書とは

思いたくないと言うのが本音でしょうか(笑)


日本書紀は大和政権(日本国家)が公的に作らせた「国史」です

そのような国史に、「先祖の非道」を書き残した意図に強い興味を感じています


第二十五代 武烈天皇

小泊瀬稚鷦鷯尊(おはつせのわかさざきのみこと)

生没年不詳 在位不詳 

日本書紀の即位前の記述には・・・

《 成人されると刑罰の理非の判定を好まれ、法令に通じ、日が暮れるまで

政務を行い、隠れた冤罪も必ず明らかにし、訴えを断じても道理に適って

いた 》 とある

同じ日本書紀に、妊婦の腹を裂いたり、生爪を剥がしたり、頭髪を抜いたり

矢で射殺したり、昼夜を問わず酒色におぼれていたとされる記述が残る


では「古事記」はというと

《 小長谷若雀命(おはつせのわかさざきのみこと)は、長谷の列木の宮に

いらっしゃって、天下を治めること八年であった。この天皇は太子がなかった。》

という記述で、残虐行為には何も触れていない・・・


どうしてこの武烈天皇を残虐非道な天皇に仕立て上げなければいけなかったのか

それが一番の関心事なのである



簡単に考えれば、日本書紀を編纂した時代の天皇と、武烈天皇は血統が違う

から、いくらでも「悪し様」にいう事ができた

いや、違うからこそ、最大級の貶めをする必要があったのではないだろうか?

古事記や日本書紀の記述の凡その部分を信じるなら、武烈天皇は仁徳天皇系

である

その仁徳天皇ですら、謎の多い天皇である

何と言っても、仁徳天皇の父親は「応神天皇」、つまり【誉田別尊(ほむたわけ)】

という、八幡神と言ったほうが判りやすいかもしれないが・・・

その応神天皇の母親は「神功皇后」なのだから、実在を疑われても仕方あるまい


その仁徳系の天皇に第21代 雄略天皇という人がいたが、この雄略天皇も

「有徳の天皇」という評価と、残虐非道な天皇という二つの評価が残る


武烈天皇は「太子が居なかった」という記述からも、皇統(血脈による)が

途絶えたと考えるべきで、同じような記述が残る雄略天皇の時、若しくは

第22代 清寧天皇の時にも仁徳系(応神天皇系)が途絶えたと考えられる

つまりは、日本の古代天皇は血統で繋がって(即位して)きたわけでは無かったとも

考えられないだろうか?


万世一系と言う耳障りの良い言葉は嫌いではないし、自分の祖国が世界に誇れる

長い歴史のある家の元に繋がってきたと思うのも決して嫌ではない

しかし・・願望だけで自分の気持ちを誤魔化したくはないのが本音である



誇りとは相手(他者)に「ひけらかす」べきものだとは思わない

たとえ、皇統が100代であろうと、80代であろうと、長さではなく続いてきた

結果が大事なのだと思っている


捻じ曲げられた皇統の歴史について、しばらくの間自分なりに時間をかけて

書いてみたいと思っています。

◎  近況 「夫婦」 

世間では「黄金週間」が今日で終わるという

しかし、私の場合は全く関係なく、明日までの9連勤

疲労もピークを迎えている

一日休んで5連勤、一日休んで4連勤とこれからも続く長屋の爺であります


こんな生活に自身、慣れていると思っていたが、そうでもなさそうだ

去年までできたことができないのではない

去年まで感じなかった心神の疲労が癒えなくなってきた

つまりは「回復力」の衰えこそ【老い】なのかもしれない

五月に入ってから気温も上がり、汗をかくことが多くなり

仕事に忙殺されていると、気づけば体が冷えていることが

しばしばである

仕事の大半はオーバーオール(つなぎ)を着用する業務であり

簡単に汗を拭いたりできる環境にはない

体温調節の機能も衰えているのか、体調が思わしくない・・・

簡単に言えば「満身創痍」の状態である(笑)


読者の方は長屋の爺が記事の更新もせず、ブログの訪問閲覧をしない時は

皆さんが想像しているより、かなり「くたびれている」というのが事実であり

疲労により早寝(ダウン)していると思ってほしい・・・(汗)


さて 【陰陽】 前回これは「メヲ」と読んでいたことを書いた


夫婦 (ふうふ)という文字がある

誰でも承知の「男と女」が共に生きる形の事である

私はこの文字を「メオト」と読むことが理解できなかった

どうして「めおと」と読むのだろうか?

答えはすぐ傍に在った・・・・

陰とは女性、陽とは男性の事である

その「男と女」が同じ道を歩む姿を「陰陽途」というのではないだろうか

陰陽 (メヲ) + 途 (ト) 

途 とは、祓い清められた道のことである

神の前で男と女が誓いあい、これから同じ道をともに歩むことを

宣言し神に祝福を受けた(許可を得た)ことに由来するのでは・・・

夫婦という文字が入ってくる前は、男と女が共に生きる形を「陰陽途」と

呼んだのかもしれない

「めをと」という音だけが残って、同じ意味の「夫婦」をそれにあてがった

と思いたい長屋の爺である


そうそう・・・日本語が難しい理由の一つに、「主語が無い」「主語が曖昧」

というものが有るそうだ

日本人が英語が苦手なのは、それも関係しているのか?

そんなことは無いだろうけど・・・

なぜ曖昧なのかは別の機会にでも考えるとして、一つだけ言えることは

言霊の世界に生きる日本人には、「明確さ」より「曖昧さ」のほうが大事だと

考えていそうである

その結果が「沈黙は金」という考え方にいたったのではないか・・・

主語の無い言葉の「世界」こそ、「自分が一番」ではなく、天によって生かされて

いる己の「分(ぶん)」を弁えていると言う事が関係しているのかも・・・

「口は禍の元」とも言います

口に出せば「言葉が独り歩き」する世界が、控えめで慎ましい国・日本の

本質なのかもしれません

◎  不思議  

カラスの不思議

♪ カラスなぜ泣くのぉ~  カラスはやまに~

 かわいい 七つの子があるからよ~

はて? 七つの子とはどういう事だろうか・・・

カラスの子が七歳であるわけがないし、カラスの生む卵は3~5個であり、

七個の卵を生むとも思えないのだが・・・

可愛い子が待って居ると言っても、七歳ではカラスの成鳥というべきだ

やはり、野口雨情の個人的な感情から生まれたのかもしれない



カラス と言っても、日本書紀に出てくる「八咫烏」のようなカラスもいる

カラスは「かぁーかぁー」と啼くのは誰でも知っているが

八咫烏(やたがらす)はどんな声で鳴いていたのだろう?

じつは、きちんと残されていて、「怡奘過 怡奘過」 と啼いたとされる

怡奘過は「イザワ」と振り仮名が付いている

「いざわ」と言えば、志摩国一之宮 伊雑宮(いざわのみや)を思い出す

本当の伊勢神宮はここだという説もあるくらいの古社である


この怡奘過の 怡 という文字は、「イ」という音であり

雜 は「ザツ・ザッ」という音である

「過」という文字、「わ」と読むのに些か抵抗がある

過 という文字の音は 【 カ (クァ)】 である

カ と クァ のどちらか、あるいはその中間の ク ではないだろうか

古代人の発音など現代人ができるはずが無く、微妙な発声は不可能だ

適当なところで折り合いをつければ、「イザク」ということになる


旧約聖書の『創世記』に登場する イサク を連想した人は居るだろうか

イサクといえば、イサクの燔祭の物語でも知られている

* アブラハムの一人息子のイサクを生贄として捧げよと神が直々に命じ

モリヤの山を上る途中でイサクはすでに、自分が燔祭の子羊として捧げられることを

知るが、彼は無抵抗のまま父に縛られ、祭壇の上に載せられ、アブラハムが

イサクの上に刃物を振り上げた瞬間、天から神の御使いが現れてその行為を止めた



この話が「諏訪大社」の御頭祭に類似していると言われていて

日本とユダヤのかかわりを説くものも多い




どうして日本語は難しいのか?

という疑問をよく聞くが、その答えさえ解明できていない

ただ日本語は衰退していると思って間違いない

言葉が悪いと言うなら、日本語は簡素化・簡略化されてきたから

理解できない事が多くなったと言うべきか・・・

日本語は「漢字」「ひらかな」「カタカナ」で表される

日本で最初に日本語の母音がアイウエオであるとし、【五十音図】を

創ったのは、明覚という僧だという (これも諸説ありますが・・・)


我が国の漢字の読み(音)は大まかに言って「三種類」あり

奈良時代に使われた【呉音】、桓武天皇の時代以降の【漢音】

そして、唐から宋の時代以降の近代音【唐宋音】である

同じ漢字でも読み方が幾つもあるのはそれが原因なのである


最近の日本語で「あれ?」と思うものがある

《 こんにちは 》 ということば、音であれば、問題ないのだが

文字にすると、こんにちわ と書かれる方が多いが

本来は「こんにちは」が正しい・・・


しかし、私を含めて今の日本人に、「は Wa」「わ Wa」の音を区別して

発音できる人は居ないので、ともに「Wa」として使っている

おそらく「は」というのは、古代では「Fwa ふぁ」と発音していて

Fwa がいつか Fa~Ha に変わってしまったのではないだろうか

Fwa という発音も F の音など音にできないのだから Wa として残された

あくまでも私の妄想であるが・・・

(ちなみにフランス人はFの音を発音できないと言う)


さらに、え:ゑ い:ゐ お:を は本来、音で区別されていたというし

他にもその痕跡が残っているものが有るという


古代の日本語(和語)の「は行」は半濁音のパピプぺポで発音

されていたという説もあり、さらには「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」は

ハッキリと使い分け(発音され)られていたという

藤原(ふぢはら)が プディパラ、不比等は プピト となり

プディパラ プピト という滑稽な名前になってしまう(笑)



さらにもう一つ・・・

日本書紀や古事記などに「ん」という言葉が一つも使われていない

《陰陽》 これは「インヨウ」と読むのだが、古事記では「メヲ」と読む

《天地》 これは「テンチ」と読むが、日本書紀では「アメツチ」と読む

明らかに「ん」という文字が無かったようだ


五十音図の枠の外に「ん」が添えられている

確かに漢字に「ん」という文字は無い

しかし、「*ん」という音の漢字は存在するのだから、日本語の「かな」で

表そうとすれば、何かの文字が必要になったとは思うが・・・

カタカナの「ン」が使われた最初は1100年ごろと言われている(平安末期)

「ん」という文字が作られたのは、おそらく室町時代ころではなかろうか・・・・

カタカナの「ン」は、当初は「レ」で表されていたが、「カタカナの「レ」と区別するため

「ン」が創られたという


梅 (うめ)という文字が「古今和歌集」には んめ と記されていたり

埋もれ木と言う文字を んもれぎ と記されていたりする

とても興味深い仮名文字「ん」をさらに知りたくなってしまった(笑)

◎  言葉の雑学・不思議 

 《 ざます 》

 他所様のブログは沢山の考える「題材」を提供してくれる

皇室関係のブログなどで、揶揄しているのだろうと思うが

「・・・ざます」ということばで表現されているものが有る(笑)


「・・・ざます」というのは、山の手の「奥様ことば」だそうだが

この言葉・・・本来は江戸の吉原の花魁(おいらん)言葉なのである

「ありんす」「ざます」は花魁が使う「廓(くるわ)の言葉」だと

私は認識している

それが何故か、明治になって「山の手」の奥様達の言葉になったそうだ

明治の上流階級の奥様達は、そういう事情を知って使っていたのだろうか?


「わっち」、「あちき」、「ありいせん」、「ありいす」、「・・なんすか」、「・・・なんし」

そんな「廓ことば」の中で、どうして「・・・ざます」だけが生き残ったのか?

本当に言葉というのは不思議であり興味深いですね・・・・


江戸・吉原の遊女は全国各地から集まってきたようだし

出自も農民の娘だったり、商人の娘や武士の娘も居たと思える

その前歴を隠すためだったのか、あるいは出自による差別や負い目を

失くすためだったかもしれない

特に遊女三千人の最上層に居る【花魁(おいらん)】、【太夫(たゆう)】は

別世界の人間でなければいけなかったのかもしれない

そんな最上層に上り詰めた一握りの花魁に「あやかって」、明治の動乱で

財力・権力を手にした一部の「成り上がりもの」が、好んで使ったのかも

しれない (吉原遊女=山の手夫人) などと言えば、何処からかクレームが

付きそうだが・・・


 《 四角卵と晦日の月 》

四角卵(しかくたまご)と晦日の月(みそかのつき)

江戸時代、有ったら観てみたい代表と言われた二つである

というより、有りえない代表かもしれない・・・

卵は種類を問わず100%「丸い」のが常識であり、四角い卵など

有るわけがない、だから有ったら「観てみたいものだ」と言う事になる

「晦日の月など有るわけがない」

ピンと来ないかもしれないが、江戸時代は旧暦で暮していたのだから

当然月の出方は決まっていた

月は十五日を頂点に「満ち欠け」を繰り返し、晦日に月は見えないのが常識

江戸時代の映画やドラマの設定で、晦日に雲の間から月が顔を出すシーンが

あれば、お粗末な時代考証と思って良い

女(女郎)の真(まこと)と晦日の月は観たことが無い

江戸時代の有るわけがない代表だが・・・現代は如何に?


《 夕立(ゆうだち) 》

*WIKによれば、夏の午後から夕方にかけてよく見られる天気。

激しいにわか雨を伴う と書かれている

つまり夏の夕方に降る「激しいにわか雨」のことである

では、どうして「夕雨」といわないのだろう・・・・

「立つ」とはどういう意味なのか? と調べてみたら

立つというのは、「風や波、雲などが起こり立つこと」だという

だから、本来の夕立とは「雨が降る」事では無く、モクモクと雲が

沸き立つ様子を指していたようなのだ

雲が沸き立った結果、激しいにわか雨がふる事から、雨が降る事が

「夕立ち」の事とされたようである


◎  母親は予言者だった 

みなさんは 【祟り】 を信じていますか?

日本人が最初に神社(祠・宮)を創った動機は、目に見えない「祟り(たたり)」を

回避するためだと私は考えている

理不尽な死に直面したなら、自分なら相手を許さないという「怒り」「恨み」など

が、死後であっても続くのではないか・・・

そう考えた古代人は、その憎しみ、恨み、怒りの意識を和らげるため、神として

祀る事を生み出した

それ故、幼くして命を閉じた人には【長寿の神格】を、命を奪われ愛しい人と別れなければ

ならなかった人は【縁結びの神格】に、学問の志半ばで絶たれた人には【学問の神格】を

与えて、祭り上げ(機嫌を取った)たものだと思っている


祟りが起こるには、「きっと起こるだろう」「起こって当然」、と言う意識がなければならない

つまり、原因がある程度分かっている場合が多い (後で気づくことも有るが)

非道な扱いによって命を落とすとか、無残な殺され方をしたとか、理不尽な死を迎えた

という場合に、加害者、首謀者、その事実を知る者などは【祟り】を意識したようだ


日本人を形成しているのは、祟り と 言霊 であり

見えないモノに意思や感情、チカラや行動力が有る事を無意識のうちに

感じるDNAを体の内に持っているのが「日本人」だと言える

* 声に出した言葉が、現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を

発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こると言うのが言霊である




不謹慎な言葉に異常なまでの反応を見せるのも日本人らしいのである

「この次は**に地震が起こるかもしれない」

そんな事を言おうものなら、少なからず批判にさらされることにもなる


べつに日本人が「占い師」や「予言者」ではないのだから、そんなに感情的に

ならなくても良いと思うかもしれない・・・


ハッキリ言って、日本人は皆が予言者であり、呪詛者なのである

そう考えなければ理解できない行動が日本人に多くみられるのだ



母 「何時までもテレビを観ていて夜更かしすると、寝坊するわよ」

当然の結果として、子供は寝坊をして朝になって大変な目に遭う事になる

母親はきっと「予言者」なのである(笑)


さらに、寝坊した子供は慌てて玄関を飛び出すことになり、その後ろから

母親がこう言うのである・・・

母 「そんなに急いだら 転ぶわよ」

結果、玄関前の段差に躓いて子供が転ぶ・・

娘 「お母さんが変なこと言うから、転んだじゃないの・・・」

このように母親とは、恐ろしいまでの「言霊使い」なのである(笑)



母親が予言者かどうかは別にしても、この話には日本人らしさが

如実に表れているから興味深い・・・

つまり 言霊 である

口から出た言葉は「見えない力」を持ってしまう

言葉に魂が宿る現象の事とされるが、科学的に解明されるわけも無く

目に見えるようなものでもない

しかし、言霊とは意識しないまでも、多くの日本人は言霊に左右されている

結婚式でのスピーチの禁句や、伊勢神宮での忌み言葉にも表れている


日本に限らず、おめでたい席では「佳い言葉」を発するように周りが気遣い

その場に相応しい「言葉」を選んで使うのが常識とされる

結婚式での別れる、切れる、離れるなどは「もってのほか」なのだ

結婚式の余興で「別離」の唄など、”ご法度”であることもよく知られている

こういう場合、周りの大人たちから「不謹慎」とか「縁起でもない」と非難を浴びる

しかし、このようなケースで「言論の自由」など持ち出す人間は見当たらないのは

不思議に思える

「私が何を言おうが、私の自由でしょ」

とは、誰も言わない・・・・

周りの人間が「言霊体質」であっても、自分が違うのであれば、「自由」を

振りかざしてもおかしくは無いが、決まって日本人は禁句に神経を使うようだ


外国人から観ると、「民度が高い」と表現される日本人

本当に民度が高いのだろうか?

私は周りの人間に神経を使う、あるいは「気遣いをする」のは、民度では無く

「誰かが観ている」という潜在意識が、そういう行動をさせるのだと思っている


電車の中ではしゃぎすぎる我が子に対し・・・

「ほら、おじさんに叱られるから ヤメナサイ」

こんな躾をされた子供が、歩きスマホや、飲酒運転、スマホを操作しながら運転

盗撮常習犯、万引き常習犯 etc・・・

周りの人間を巻き込む犯罪に手を染めるのである


親というもの、どうして「それをやってはいけないのか」を教えず

「**が居る場所では、**に叱られるから」ヤメナサイでは、子供は

次第に観られていなければ、やっても良いという判断をするようになる


私たちの子供のころは・・・

父親が叱るときは、「恥を知れ」、「恥ずかしくは無いのか」「恥さらし」

きまってそういう言葉で叱られた記憶がある

恥を知れば日本人としての誇りが養われる

そう言う理由で、父親は子供たちを「躾けた」と思っている


「お天道様が観ているんだから、そんな事をすると天罰が下るよ」

これは母親の叱り方である

馬鹿にしていても、案外後になって「思い当たる結果」に凹むことになる

因果関係が有ろうと無かろうと、「それ見たことか」と母親に言われれば

やっぱり「誰か(お天道様)が観ていて、罰を与えるんだな」と感じたものだ

若い時は母親の言葉を思い出し、齢を重ねるごとに父親の言葉を思い出す

来た道であり 行く道なのである (笑)


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