不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  気になる事  

赤い蝋燭(ろうそく)

カナダの親父様の記事を読んでからというもの気になってしまって

気になって 気になって どうでもいい事なのに気になって・・・

無駄に時間を割いて探してみました(笑)


なぜお仏壇では赤いろうそくを使うのでしょうか?

わかりやすく説明しますと「この世では一般的に私達は俗世間のいろんな欲に

まみれて生きているわけです(そうでない方にはスイマセン)」

「亡くなる、死去する」と云う事は、そんな垢にまみれた私達が仏様のご縁を頂き

【帰化(きか)】させて頂いたと云う事だそうです。

よくお寺様が「お浄土へお帰りになられました」と表現すのは「来た道を帰るのではなく

この【帰化】する」と云う事だそうです   《和ろうそく KOBE様 より引用》
 



やっぱり・・・帰化の意味で赤い蝋燭を立てていたのか・・・・(納得)

背のり=帰化 ではないのだが、当事者の心情は帰化したつもりなのか?


その他にも、こんなことが書かれたものが有りました

* 赤いろうそくの使い方は、宗派によって異なります。
浄土真宗では、七回忌からの年忌や、お彼岸、お盆、月命日、報恩講などで
使われる場合が多いです。
 それ以外、葬儀や中陰、一周忌、三回忌くらいまでの年忌法要や祥月命日、
月命日には、白いろうそくとなります。
 また、浄土真宗以外でも、お正月やお仏壇開き、仏前結婚のような、おめでたい時にも、
使うことがあります。
しかし、必ずしも、こうでなければいけないということでなく、ろうそくの明かりは、
「道を照らすあかり」「無明の闇を照らしてくれる真のあかり」なので、難しく
考えなくても、そこにいて今、手を合わせられるという気持ちが一番大切なことですね


私は赤い蝋燭を実際に見た記憶が有りません

かつて「石工」の修業をし、各宗派のお墓の建立・建て替えに立ち会いましたが

赤い蝋燭は観たことが無いのです

私が世の中のすべてを経験したなどと言うつもりはないですが、かなり限定的な

地域や宗旨宗派だけなのかと思ってしまいます

でもどこかで観た記憶も・・・・


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      《中国・上海の「清明節」の様子》


全ての事柄には 必ず理由(わけ)があります

私はその理由というものを知りたくてなりません

そんな私を友人たちは「知ったからと言って何も変わらない」

「無駄な事をするもんだ」 と褒めてくれます(笑)


例えば、葬儀の時に「清め塩」を使うことが有りますよね・・・

これは正確に言うと【神道】の作法なんです

神道では「死」を ケガレ(穢れ・汚れ)として考えます

だから、身に付いたケガレを清めるために塩を用いるとされます


ところが仏教にはその考え方が有りません

仏教では【生と死はひとつの世界】にあり、死を穢れたものとする考え方はしないので

仏式葬儀で「清め塩」を用いるのは、明らかに仏教の教義・死生観に反することです

これも 神仏習合 の置き土産かもしれません


この世で一番大切なモノは「気にする事」だと思ったりします

男が女を、女が男を、親が子を、子が親を、友が友を、国民が国民を・・・・



作日は玄関に【日の丸】を掲げました

祝祭日に掲揚するのは、今年で三年目です

町内で国旗掲揚している個人宅は我が家だけですが、誰も気にしてくれません

良くも悪くも話題にもしてくれないのです

誰か石でも投げつけてくれれば、張り合いが出るものを・・・・


熊本や大分に同情や関心を持つ人間が、国の国旗に関心を持たない現実

何処かが狂っていると感じるのは変でしょうか?




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私の家の家紋(丸に三つ柏)です

多くの神社の神紋にもなっていて、葉で餅を包む柏餅でも知られています

柏は秋になって枯れても、翌年に新芽が出るまで古い葉が落ちない特性から

「代が途切れない」縁起物と言われています





この紋を家紋にした著名人は多くて、本因坊算砂(囲碁)、八百屋お七、桂文楽(四代目)

山下亀三郎(商船三井創業者)、大谷米太郎(ホテルオータニ創業者)、土門拳 (写真家)

石川一郎(経団連初代総裁)、重光葵(ポツダム宣言に署名)、沢村栄治(野球選手)

コロムビア・トップ(漫才師・政治家)、青島幸男(東京都知事)、大鵬幸喜(48代横綱)

千代の富士貢 (58代横綱)、引田天功 (初代)・・・・

長屋の爺とは比較にならない有名人ばかりなので、家紋と人物に因果関係は

無いと言う事でしょう(笑)


最近は実家の家紋を知らない人が居るのだとか・・・

慶弔の場で和服を着ない人が多くなった事や、先祖の墓参りもなおざりにする風潮が原因とも

地域によっては嫁いだ先でも実家の紋を使用する習慣があります

母方の実家の家紋は【丸に隅立ち四ツ目】です

丸に隅立ち四ツ目



日本人なら「家紋を知らない」では済まないように思っているのは私だけ?

そんなものは関係ないと言う人もいるかもしれませんが、家紋と言うのは

日本特有の文化です

墓石は古代の【磐座(いわくら)】であり、卒塔婆(そとうば)は【神籬(ひもろぎ)】

を表しているとも言われています



繋ぐと言う事に関して、家紋一つをとっても、大切なことであり

国旗や家紋、名字や名前を軽視する現代に危機感を感じる方も多いのでは

ないでしょうか

瑞穂の国の人たちよ! 日本人であることを思いだしませんか ・・・・


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◎  見えないモノを考えてみる 

どうして人間は目に見えないモノを信じるのか?

神は居ると信じる者がいる

神など居ないと断言する者がいる

幽霊は存在すると言う者がいる

幽霊などこの世に存在しないと言う者がいる

わたしはそのどちらも観たことが無いので中立の立場である


ただ一度、亡き父が死んだとされる時間に、ふと異様な空気を感じて目を覚ました

そのときに、佇んでジッと私を見つめる白い人の姿らしきものを観たことがある

(後になってそれが実父が会いに来たか、知らせに来たかと思っている)

妹から、その時間に入院していた病院で数分間意識が無くなり危篤状態

であったらしく、「きっと 顔を観に行っていたんだね」と言われた

霊感の無い長屋の爺には、ただ一度の「見えないモノを観た経験」だった


神を観たことが無い長屋の爺には「神は居る」と断言できないが

神というものがヒトの心の中に存在していることだけは理解できる


私の場合、「生かされている」というほうが腑に落ちる人生であることは

何度か書いてきた

【九死に一生】と口で簡単に言うが、その「九死」と「一生」の差は何処から

生じたのだろうか?

古くからの読者の方はご存じだろうが、私は二度ほど「死」というものに直面した

それを他人は【奇跡的】と言うが、奇跡など観たことが無い私にはピンと来ない

私の持論に 【人は病気や事故では死なない】 というものがある

死んだ時が寿命であり、寿命が来たから病死・事故死するのだと思っている


そもそも寿命などというものも、自分で決めているわけでは無い

では、いったい誰が決めていると言うのだろうか?

そこで初めて目に見えない「モノ」の存在を意識する


それがある人にとっては「神」であったり、「仏」であったり、「御先祖さま」だったりする

そのどれをとっても「見えないモノ」に違いないのである



見えないくせに、見えないモノによって生かされている例と言うなら

私たちが生きるための絶対条件である「空気」などは分かりやすいもので

空気は通常では観ることもできないし、自分の体の周りに在ると言われても

私などは観たことが無い(笑)

しかし・・・間違いなく私たちは見えないモノによって生かされている




では見えないから信じられないのか? と言うと、屁理屈に聞こえるか・・・・


見えないモノを信じるくせに、見えないモノを否定する人間とはかなり

「めんどくさくて厄介」 な生き物なのである(私を含めであるが)
 




例えば、放射能も私は観たことも無く、有ると言われても、「そうなんだ」程度の

知識でしかない

放射能が癌の発生率を高めるというが、人間は生まれてから死ぬまで何らかの

放射線を浴び続けて生きる宿命であるともいう

原発と無縁の場所に暮らしていても、癌によって人生を終える方もいる

あくまでも統計と確立の世界の話にしか聞こえない気もするが、これこそ

見えないモノを信じるか信じないかの問題かもしれない


東日本大震災でも水道水に放射能が混入しているだとか世間を騒がした例がある

その不安や騒ぎの原因は「目に見えないモノに対する意識」ではないか

誰かが「入っている」と言えば、即座に否定できないのは当然であり

日本の水道水は世界一安全というのも、誰かの言葉を信じているからに

違いなく、目に見えないモノを信じていることになる

(科学的に証明できるのとは別次元の話であるが)


例えば学者・研究者、知識人と言われる方でも、正反対の自論を唱えることも有る

それはなぜなのか?

その問題については人類はそれほど「自然」に関して全てを解明していないと言う事

ではないかと思っている


ガソリンにライターの炎を近づけると爆発・発火する確率はほぼ100%である

気象衛星で雨雲が目に見えるようになった「気象予報」も、確率100%ではない

放射線が人体に影響を及ぼす確率はいったい何%なのだろうか?

もし99%以下であるなら、その原因は「目に見えない」からではなかろうか


占いや予想はこれから起きるであろう「眼に見えない現象」について

ヒトが口にするから、当たる確率が低いのは当然なのかもしれない


では人はどうして「占い」に頼ったり、気にしたり、信じたりするのだろう?

信じる 信じないは、「人それぞれ」であって良いと思うが、自分の人生が見えないから

見えないモノに対して「怖れ」「不安」「気がかり」があって、その最大の関心事である

将来が見えないということに、何らかの【指針】とか、「道路標識」のようなものを

求めているのかもしれない

その結果、良い事なら「信じようと思い」、悪い結果ならば「所詮 占いだし」と開き直る

つまりは、見えない「占い」を信じているのではなく、信じても良いモノを求めているに

過ぎないのである

宗教も生活空間でも、人は見えないモノを信じるのではなく、信じるに値するものを

探して、信じようとしているだけかもしれない


余談になるが・・・

信じる者は救われる そんな世の中であってほしいと思うのだが・・・

私は根っからの他人を信じない「欠陥人間」である

だから、今まで詐欺の被害に遭わずに生きてこれたのである(笑)

自分の感情ではなく、相手の心理で考えてみる習慣にしようとした時期があった

自分ならそういう事をするだろうか、自分ならそういう事を口にするだろうか・・

理に適うこと以外は受け入れないで来たので、非情な人間と言われ人格欠損者

のようにも言われたことが有る

経験こそ人生の糧、目に見えないモノを信じようとはせず

論理的に解釈し生きることが、人生で大切な「物差し」と固く信じて生きてきた


ところが、その反動か? 

古代史や神、仏教、日本語、皇室など書籍を読み漁っていくうちに

見えないモノを信じる気になってきた(笑)


最近では思ったことを直ぐに口走るようになってしまった自分に驚いている

辛辣な物言いと傲慢な物言いは、若いころには無かった習慣である

人間、齢を経ると「頑固」になるというが、頑固とは違う「信念」のようなものが

形成されてくるのでは、などと思ってみたりしている(笑)



経験と言うのはそのまま時の彼方に置き去りにすれば、何の役にも立たないが

経験したことを自らの頭で「咀嚼」し「消化」してこそ、人生の年輪が生まれる

言葉足らずだが、私はそう思う事にしているのである。


とりとめの無い話になってしまったが、「誰かが観ている」という

その見えない「だれか」を知りたくなった長屋の爺である。

◎  近況 物語と鬼 


眼の調子は今一つというところか、家に居る間は「眼帯」の世話に

出かけるときは外してという状況・・・・

遊び人のようにフラフラと気まぐれな異物、十数年前にも鉄粉が刺さり

数回の手術をして、仕事を休んだ経験がある

その時は今と違って、無理も言える環境だったから手術したが・・・

今回は「鉄粉」では無く「鋸クズ」のようで、自然に出てくるのを薬だけで

辛抱強く待つことにした

厄介なのは涙が突然出て、軽い刺激と違和感が感じられることだ

病や怪我は、どう折り合いをつけるかが肝心というのが持論である


物語(ものがたり)

この言葉もいつのころからか、文学の形式のように考えられてきて

実際もそのような形で使われてきた

本来の意味は広く、おしゃべりや作り話、他人に向かって話すことや

昔の事を話し伝えることなども含まれた

さらには、「**物語」のように、物語という言葉単独で使われることは少なかった

ものがたり とは、単に抽象的な「物」と言う事では無く、「言うべきことを語る」という

意味にも解釈できる

さらに「もの」とは鬼神・怨霊・物の怪を指し、それらについて創作した話を

書き綴ったものが「モノ語り」だと私は思っている


語り という文字は 【言】 と 【吾】 の組み合わせである

【言】 は神に誓う言葉であり、【吾】 は祈りの効果を守ると言う意味だ

合わさった 【語】 とは、「祈りの言葉」のことなのである



ちなみに「言語」というのは、ことばの意味であるが

言と語という「ことば」を意味する文字を重ねている

【言】は攻撃的な「ことば」を意味し、【語】は攻撃的な意味の「ことば」から

護ると言う意味である

だから「言語」とは攻撃的にもなるが、防御もするアイテムなのである


ではだれに対して攻撃的になり、誰からの攻撃を防御するというのだろうか?

私は言語(ことば)とは、仲間同士の意思疎通のために作られたのではなく

神に誓い、神に対して自分の正しさを伝えるために、出来上がったものではないか

そんな事を考えている

そんな神の怒りを言葉を使って護ろうとしたのが「神への祝詞」かもしれない

神への感謝や忠誠、自分達の行いの正しさを神の前で唱えたのが「ことば」の

始まりではなかったか・・・・・


語るとは「真実や本当の事」を言葉にすることではない

本来は「口にはできない事」を「ことば」によって伝えること

鬼や神について、ときには攻撃的に、ときには大事なものを守るかのように


その特徴がよく出ているのが 【竹取物語】 だと私は思っている

*「竹取翁の物語」とか「かぐや姫の物語」とも呼ばれている

明らかな創作話のように装っているが、宮中に居る「鬼(もの)」について

時には攻撃的に、また何かを守るように綴られている気がする

紫式部が絶賛したと言う 【竹取翁の物語】 が日本で最初の物語かもしれない

というのは考え過ぎだろうか?

源氏物語というのも後世の誰かが「名付け」たものである可能性が高い


語るは騙る(だます・偽るの意)とも言われる

宮中には神が居られる (どのような神かは知らず・・・)

そして神は同時に鬼でもある (これは疑いようがない)

鬼を封じ込めるのに、祭祀王が私心を捨てひたすら祈り、神に己の正しさを

伝えるのが【宮中祭祀】である

この宮中祭祀が途絶えようとしている・・・・

しめ縄とは「邪悪」が入らないようにするためではない

そこから「鬼」を出さないように、「鬼」が境界線を越えられないようにするのが

本来の役目であると考えている

しめ縄だけでなく、開けてはいけないものがこの世にはある・・・


入れてはいけない者、出してはいけない物がこの国の皇室にはあった

それを開け放ち鬼たちを自由にしてしまったのが「開かれた皇室」だったかもしれない

今回の未曾有の災害を観て、天の怒りと言うより、鬼の仕業としか思えないことばかり

その鬼は何処からきて何処に潜んでいるのだろうか?

長屋の爺の妄想は留まるところを知らないと・・・・(笑)

◎  ちょっと休みます 

体調不良のためお休みします




眼の調子が悪く 大事を取って休みます

大したことないので ご心配なく 一休み 一休み (笑)


◎  自衛隊に「がんばり賞」 

自衛隊に「がんばり賞」=小5女児が感謝の手紙―熊本・西原村

 熊本地震で甚大な被害が出た熊本県西原村。体育館で避難生活を送る小学5年の武田智美さん(10)が友達と一緒に、活動を続ける自衛隊員に手紙を書いた。「夜おそくまではたらいているみなさんをわたしはそんけいしています」「ここにがんばり賞をしょうします」。家族に温かい食事や風呂を用意してくれた隊員に感謝の気持ちを伝えたかった。

 西原村では16日未明の震度7の地震で1400軒超の建物が全半壊し、5人が死亡した。両親がイチゴ農家を営む武田さんの家も半壊し、庭には大きな地割れができたという。「すごく揺れて怖かった。家の壁がはがれて1階と2階が分かれちゃって、階段を下りたらいきなり外だった」。家族と一緒に逃げ込んだ体育館で、初めての避難生活が始まった。

 武田さんは雨の日もおにぎりやみそ汁を作ってくれた自衛隊にお礼をしようと、一緒に避難した小学校の友達3人と、こっそり手紙を作る計画を立てた。準備中に隊員が見回りに来ると、「隠して、隠して」。消灯時間の後、周りの大人にも内緒にし、友達にもらった折り紙で手紙と表彰状を作って、隊員2人に渡したという。

 運動が得意で、カードゲームの「ウノ」が好き。小学校のスポーツテストを楽しみにしていたが、地震で中止になったのが残念という。「余震は怖くないけど、ここにいたら友達と遊べないし、学校にも行けない」。今やりたいことを聞くと、「遠い所に遊びに行ったりしたい」と笑顔を浮かべた。 


古代史を書きたくとも頭の中で許さないもう一人の自分がいる

もうしばらく震災の事で時間が過ぎるのは当然かもしれない

普通の日常をすべきと思えばそれも良いだろう

謹んで日々を過ごすべきと思えばそれも良い

非日常を過ごされている人たちの事を忘れなければ良いとも思う

この時期に笑いは必要か否か・・・そんな話題を目にした

本当に悲しい時であったり、一時も緊張が解けない時間を過ごす時に

テレビから流れる笑いが本当に必要なのか私にはわからない


これから復興をするぞ 復興をしなくては・・・

そういうときの笑顔はチカラになるだろう


しかし、僅かな揺れにも神経がピリピリしているときに、本当に笑いが必要かは

当人たちにしか判らないかもしれないと長屋の爺は思っている

被災者にも程度の差があり、不安の種の違いもあるだろう

歌(音楽)や笑いが必要になるときはきっとくるはずだ

それまで被災者を慮る気持ちを忘れないことこそ大事なのかもしれない


子供たちは自衛隊員に感謝し、大人・老人たちは自衛隊を露骨に拒否・批判する

そのどちらにも自衛隊員は差別・区別しないで接している

どちらが 「おとな」 で、どちらが 「幼い」のか、日本人なら言うまでも無い話だが


本日、久々の休みで「床屋」へ行ってきた

主人との会話の中で、「こんな時に原発を止めないなんて正気なのか?」

そういう言葉を投げかけられた

原発は人間が作った物であり、原発が勝手に暴走したり、停止したりすることは無い

つまりはどんな状況になっても、それを管理するのは人間だと言う動かしようの無い

事実を忘れて判断していることに疑問を感じる


もし電源が止まったら、非常電源は大丈夫なのか、その非常電源が止まったら

更なる非常電源は確保してあるのか、さらにその非常用電源が止まったら

非常電源は準備できているのか・・・これが最悪を想定し 最善の策を講じる事だ

これで良いとする準備には、さらなる想定が必要と言う事だ

事故が起こった後に生じる「弁償金」「見舞金」を考えれば、三重・四重の備えに

経費を使っても「おつり」がくる計算になる (保険に入っている人なら理解できる話)


それをやらなかった東京電力の怠慢が福島の悲劇であり、原発問題の根っこである


川内原発の非常用電源がどのようになっているか知らないが、もし一つ二つの電源を

確保してあるだけなら、即刻停止したほうが良いかもしれない

人間の想定など、神(自然)の力の前では劣っていることを自覚すべきである

一つ目の電源が消失しても、次に安全な場所に在る電源に切り替え、それが消失

しても、さらに安全な場所に在る電源に切り替わり、それが消失するような状況に

なっても、さらに安全な場所に在る非常用電源が起動する仕組みを作るべきである


原発に安易な想定など作ってはならないし、日本人の最高の英知を傾注できないのなら

作るべきでも稼働させるべきでもないと私は思う


原発が止まっていた時も電力は「足りていた」という人もいる

その想定には原油・天然ガスが必ず日本に届くという前提の話でしかない

もし原発を止め、燃料が入ってこない状況になったら、東日本や熊本の状況に

近いものが日本全国にあふれることを意味する

電気がない生活を甘んじて受け入れると言うのか?

テレビ・ラジオ・スマホ・PCも、冷蔵庫・電子レンジ・炊飯器・エアコンも動かない状況

その最悪を想定して「モノを言っている」のか甚だ疑問なのだが・・・・


日本の工場の生産が止まり、サラリーマンは職を失い、食べるものさえ不自由になる

それが原発停止=電力消失が我々に与える負の恩恵なのである

原発反対を声高に叫ぶ人間ほど、テレビに依存し最新家電に囲まれた生活を営んで

居るような気がする

原発廃止・停止を訴える人間は、化石燃料の輸入停止によって、電力不足になれば

政府の責任を叫びはじめるに違いない(笑)

どちらを選択しようが悪いのは政府であり、自分達の反対運動が招いた結果とは

理解できない身勝手な連中と言えるかもしれない

私は反原発でなく、原発推進でもないが、現実を無視した「世迷言」に賛同する気にはならない

双方に同意することも有れば、ナンセンスと一蹴したり、注文を付けたいことも多々ある

選択肢は二つであれば、無条件で片方を選択するのではなく、きちんと考えて前向きな

結論を目指し、正すべきところは正し、妥協すべき事は受け入れるべきと思っているだけである


きちんとした安全策を講じなければ原発は安定した電力源にはなり得ない

火力発電は安定した化石燃料の供給が無ければ安定した電力とは言えない

太陽光も地震・津波によって破壊されれば、第三の電力にはなり得ない

原発反対派も原発推進派も、そこの処の裏付けを議論しないまま、賛成反対を

叫ぶばかりと見えるのは私だけだろうか?


こういう状況だからこそ一人一人が考えなければいけない事

沢山あるように思いますが・・・・

余計な心配、不必要な**と笑われるかもしれませんけどね



◎  雨に打たれて 


昨日は雨中での仕事、頭から足元までずぶぬれ、おまけに残業

帰宅後、即入浴、本日初めての食事も記憶にない・・・

気が付けば猫と共に「打ち上げられた流木」のような有様だった

時計を見ればすでに日付が変わり、閲覧をしようとパソコンを

立ち上げたが、途中でフリーズ・・・・

お決まりの不貞寝となった(笑)


震災の不安が無い私の場合でも、激しい雨の中での作業は苦痛にも

感じるほどだ、余震の不安がある被災地での雨中の作業は危険だらけ

あらためて自衛隊員のご苦労を痛感した


今なお余震に対する恐怖と、不自由な生活・避難生活を余儀なくされている

被災者の心労はいかばかりだろうか・・・・


数日前、13階建てマンションの屋上での仕事があり、こんな時に地震が起これば

どう行動すればよいのか、もし屋上に上るステップが崩落したら、どうやって降りるのか

屋上塔屋が崩れたら、水槽や配電盤の間に挟まって圧死するのか?

短い時間の作業だったが、様々な事が頭をよぎったのである

私は仕事柄、床下や天井裏、屋上・ベランダ・バルコニーの上で作業したりする

特に「床下」での作業中、地震が起こったら最新の住宅以外では間違いなく

圧死、良くても「閉じ込め・生き埋め」になるだろう・・・

しかし、一度たりとも屋上が怖いとか、床下が怖いなど思ったことが無い

生かされているのだから、どう考えても、どう抗っても、なるようにしかならない

目の前に在る仕事に集中することだけしか頭には無い

いまさら惜しむ命でもなく、何度も絶体絶命を越えてきた身である


私の住む地域も【活断層】のすぐ近くで、災害が起きるのは避けられない

想定されるマグニチュード7,6、最大震度 7

私が住む地区は震度6強~6弱に該当している

想定される避難者数100万人という試算も出ている

【未曾有の災害】は日本のいたる所で起きうるという事だろう


さらには南海地震、東南海地震、東海地震の影響下にもあり

連動すれば地震と津波の被害も確実で、どんな準備をしても

「これで良し」と言う事にはならないのが現実だ

それもいつ起こっても不思議ではない状態だと言うのだから

東日本大震災も熊本・大分地震も「他人事」ではないのである


来月には耐震調査をすることになっているが、活断層の直下型では

一度目は凌げても、二度三度の揺れは持ちこたえられない

その程度の耐震基準である

今から身の回りの整理でもしておかないと、間に合わないかもしれない(笑)



人類文明が栄えることは、人間と自然の「戦争」である

どんなに科学が発達しようとも、自然のパワーに太刀打ちなどできない

もし地球を丸ごと制御できれば人類の勝利になるかもしれないが

太陽や月の影響を受けたまま、人類が自然と対等に戦えるわけもなく

どれだけ進歩したとしても、自然と言う【掌】の上で踊る孫悟空でしかない

それが我々人類なのだと思う・・・


一日も早い終息・復興を願うしかないのが現実である。


◎  報道とネットを冷静に見る 


今回の震災報道を観て、テレビというものの存在意義と価値について

考えた方は居られるだろうか?


私は行政や政府への不満や言動を論う事に躍起になっていて

報道機関として旧態依然のままの自分達の姿に気付いていないお粗末さ

を感じている


同じ場所に全社の報道関係者が雁首揃えて、同じ画像・動画を繰り返し流すだけ

非常事態に際し各社が一致団結し、日本の報道機関としての「気概」を見せることも

できずに、被災地や被災者の「危害」になっているだけのようだ・・・


例えば、A社は熊本市内を担当し、B社は南阿蘇村を、C社は益城町を、D社は宇城市

その他八代市、氷川町、西原村、大分県などを民放各社が分担して取材報道すれば

きめ細かな支援の目安になるかもしれないだろう

どこそこの避難所に物資が来てないなどと言う事をなくすためにも、報道機関が

かかわれることは有るはずではないか・・


他人の失態を論うようなネガティブな姿勢ではなく、市民に寄り添う「泥臭い」姿勢が

こういう状況では望まれているように感じている



その一方で、ネットの功罪も顕著に見えてくる

報道機関で言えば・・

 【熊本地震】MBS山中アナ、取材用弁当写真をツイッターに上げ批判続出

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自分が何をしに現地に足を踏み入れているか自覚できない阿呆である


震災TBS弁当


さらには他人の不幸に乗じて、「原発問題」をこの時とばかり発信する反原発主義者たち

停電で暗い夜を過ごす市民の事などお構いなしの自分勝手な言動に終始し

電気に「原子力」も「火力」、「水力」、「太陽光」などと記されているわけでは無い

なぜ今・・・この時に叫ぶのか?

不安な夜を過ごしている市民にとって、原発の電力も太陽光の電力も意味など無い

単に電気のある生活を望んでいるに過ぎないのではないか


いったい誰に発信しているのか・・・

他人の不幸に付け入る姑息な手法に腹立たしさが湧き上がってくる

火事場泥棒とおっつかっつの所業に感じるのは考え過ぎか?


川内原発で作られた電力だから、こういう状況でも「要らない」と言うのだろうか?

こういう状況でもオスプレイは危険だから熊本の空を飛ぶなと言うのだろうか?

自衛隊は軍隊で戦争をする人間たちだから、支援に来てほしくないと言うのだろうか?
 



電力会社はどんなにバッシングをうけても、熊本や九州のの被災地に電力を送るだろうし

どんなに批判されても米軍はオスプレイで人や物資を絶えず搬送し続けるだろう

自衛隊も後になって、自衛隊解体、戦争反対と罵声を浴びることになろうとも

救援活動の手を止めることは無いし、黙々と自分達の使命を全うするだろう



誇りと恥は一心同体である

誇りの無い人間は恥を知らず

恥を感じない者は誇りの一欠けらも持たず

我が身を顧みず他人を論う事に終始する


どうせ良い事は言われないのだからやるだけ無駄と考える事は恥であり

人としての誇りを持たない人間なのである

どんな時も精一杯努力することが日本人の誇りであり、それをしない事は

恥であると真の日本人は思っていて、それが 大和魂 なのだと

長屋の爺は思っています

◎  震災と自衛隊 



「自衛隊頼りになる!2日ぶりの温かいご飯」 給水に炊き出し、医療チームの支援も始まる
   《詳細はクリックしてください》

自衛隊について難癖付ける政党、政治家は多い

そういう連中はこういう報道をどう思うのか聞きたいものである








共産党にいたっては

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熊本震災のための募金の一部(ほとんど?)を党運営・選挙費用に使うと公言している

火事場泥棒とおっつかっつの所業である

朝日新聞は文字通り被災地で火事場泥棒が横行していると「日本人を貶める」アシスト

報道をしている

これは報道各局が深夜に被災地で「だれもいません」などと叫ぶものだから

似非日本人たちが、ここぞとばかり漁りに来るのである

その証拠に甚大な被害が起きているところには火事場泥棒は入っていない

何のための、誰のための報道なのか?

先日の南米エクアドルの地震では略奪が起きていると報道された

日本人ならけっして犯すことが無いはずの「火事場泥棒」だ

お天道様は観ていることを知らない似非日本人か在日外国人の仕業だろう


今回の地震、一神教の神がいるなら、この仕打ちをどう説明するのだろうか?

聞いてみたい気もする・・・仏教や神道を否定する日本人もいるだろうから・・・


日本の本来の神とは「人格神」ではない

全ての物に神が宿るとする「アニミズム」、精霊信仰が基本であり

神は「豊穣・富」を与えてくれるが、反面「破壊・試練」を与える鬼でもある

だから日本人はどんなに辛い自然災害が起きても、受け入れるのだろう


秩序を保ち、整然と並び、支援の手に感謝すらするのは

神によって生かされていることを、本能的に理解しているからだと私は考えている


日本に暮らしていようと、外国に暮らしていようと、100%安全な場所など皆無である

どんなに周到な準備をしていても、自然の力に抗う事などできはしない

歩道を歩いていても自動車が飛び込んできたり、頭上からいろいろなものが落ちて

きたり、大雨により川の水が突然あふれてきたり、突風で家ごと押しつぶされたり

空から飛行機が落ちてきたり、安心安全な場所など無いと思っている


人間の想定や願望など自然(神)の前には無力に等しい事を多くの自然災害で

日本人は思い知らされてきたのである

ひたすら神に祈ることしかできない我が身を情けなく思いつつ

生かされていることを実感するのである。

◎  台湾からの真心 


台湾の市長ら支援表明 「給与1か月分義援金に」

【台北=向井ゆう子】台北市の柯文哲市長は16日、自身のフェイスブックで、「日本人は真面目で優しい。台湾の過去の災害でも最大の協力をしてくれた。私たちも協力したい」と表明した。

 南部の高雄市の陳菊市長もフェイスブックで、市に窓口を設けて市民から義援金を募ることを発表。自身も給与の1か月分を義援金に充てると表明した。


  2016年04月16日 Copyright © The Yomiuri Shimbun


 義援金の多少が問題なのではない

タイミングと気持ちがどうであるかが肝心なのである

日本人にとって【同胞】と呼んで差し支えない台湾人たちである

気持ちの上で、支え支えられる姿は、この二国間以外には見られないものかもしれない

こころから感謝したいと思います(合掌)

◎  熊本地震に思う 

誰が予想できたと言うのか・・・・

阿蘇山の噴火の想定はできても、まさかの熊本地震である

普段テレビを観ない長屋の爺だが、災害などがあればできるだけ観るように

心がけている

意外とネットの情報は交錯して、起きた当初は正確な情報が入りにくいものだ

屋上に設置されたカメラに映った熊本城から白煙が上がった時は、正直に言えば

「あぁ壊れたな・・・」と感じた、ニュースでは石垣が崩れたことしか伝えていなかったが

あの白煙は屋根が崩壊したときに上がった白煙だと私は感じた

石垣が崩れたくらいで天守閣の上まで白煙が昇ることは無いだろう・・・

30数年前におとずれた熊本城の威容は今でも記憶に在る

天守好きの私にとって、心が痛む瞬間だった

これから書くことを不謹慎と思われるかもしれないが

私にはどうしても自分自身で整理したい気持ちもあり、歴史と社会のかかわり

因縁をいつものように書き散らしてみたいと思います


今回の地震で亡くなられた方々の冥福を心からお祈りいたします


それにしても今回の地震は、天が何に対して怒っているのかが解らない

后妃檀国 白虹貫日

「宋書」(志十七)による、皇后などが政治を専断したときにおこる異変とされる

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* 日暈(にちうん・ひがさ)

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* 白虹 (はっこう・しろにじ) 暈(うん)の別名


暈が太陽のまわりに出れば「日暈」、月のまわりなら「月暈」

白虹貫日 とあるときは、太陽にかかる暈のことで、日暈=白虹貫日


721年 元正天皇の時代、1月24日から25日にかけて地震が起こった

さらに2月7日、2月15日にも地震があった記録があり

このときも、日暈が現れたと記述が遺されているのである


そのとき元正天皇が下した詔 (現代文での解説)

 「去年からの天変地異は今年にもおよび、常態ではないので、私は懼れ(おそれ

・心配すること)で日夜、休めない。 古典に依れば王者の政治が良くないと、天は

天変地異を起こして、王者を咎めだてするという」
 



阪神淡路大震災の時の政権は村山政権だったか?

地下鉄サリン事件もあった

青島東京都知事、ノック大阪府知事とともに無党派の知事が誕生した年だ

その村山政権が誕生した前年(1994年)10月、M8.1の北海道東方沖地震が発生

続いて12月にはM7.5の三陸はるか沖地震が発生した

そして・・・翌1995年1月、阪神・淡路大震災が発生したのである

私はこれは【天人相関】と思っている


ついで東日本大震災のときはご存知「悪夢の民主党政権」のときだった

鳩山政権から管政権へ変わり、猛暑に暮れた一年でもあった

宮崎県で起こった家畜伝染病口蹄疫問題もこの年である

父島近海を震源地とした地震が発生し、年末には山陰地方の記録的豪雪で

帰省客が足止めを食らった

そして明けた2011・3月11日、悪夢のような災害が起きたのは記すまでも無いだろう

これも私は【天人相関】だと確信している(笑)


それでは今回の熊本の地震はどういう事になるのか・・・・

(これからじっくりと精査してみたいと思っている)

◎  10年 ひと昔? 

読者の方はご存知のように、かなり前に「お地蔵さま」を彫ってみた

どんなに甘い評価をしようと、所詮「素人の趣味」であったが自分としては納得している

次をどうするかいろいろ考えてみたが、適当な材料が見つからず、正直な話としては

すっかり忘れてしまいそうになっていた(笑)


最近どうにか彫れそうな材料を見つけたので、何か彫ってみようと思っている

いつも通り「宣言」すると、自分にプレッシャーをかけるので、作品は時期を観て

公開しようと思っています

題材もいろいろ候補は浮かんでいるが、何せ技術がおぼつかないのだから

背伸びしてもしょうがないので、それは観てからのお楽しみと言う事で・・・


とは言っても、前回より多少でも向上させたいという願望だけは強いのだから

自分でもあきれてしまう話ですわ(笑)

私が晴耕雨読の生活をしているなら、もう少し技術も上がり、恥ずかしくない作品も

作れるのかもしれないが、休みの日の時間つぶし程度では何とも・・・


最近老眼が進んでパソコンも読書も負担に思えるときがある

そんな状態で「木彫」はかなりハードルが高い作業と言える


現在読んでいない本が40冊ほど溜まっており、そちらも何とかしなければ

いけないし、時間がもっとほしいというのは切実な願いでもある

ところが、今月から夏(盆)までは一年で一番の繁忙期で、時間など工夫して作るしかない

逆に考えれば、だら~としているときより、緊張感も集中力も高いのかもしれないが・・・


 今日は久しぶりの休みだったが、朝になって床から起き上がれず、午前中は寝ていた

日々の疲労が抜けなくなっているのは確実で、休みになると緊張感もなく貪るようにひたすら

寝て過ごしてしまう

これこそ「老い」の証なのだろうと諦めている


そんな浅い眠りの中、昔の事を思い出すことが多くなった気がする



いまから10年前になるだろうか?

友人と参加した「つま恋 2006」、吉田拓郎とかぐや姫の野外ライブである

参加者のほとんどが50代というオジサンおばさんのためのコンサートだった(笑)

そのとき参加された方が居るかどうか判らないが、35、000人の中年男女が歓声を

上げる姿を想像してほしい・・・ ほんとにすごかった!

AKBとやらの比ではない凄まじいオヤジパワーが延々と続いていたのは今でも忘れていない

人は過去に縋っては生きていけないと言うものの、過去の思い出は人を生き生きとさせる

そんな効果が有る事を実感したものだ

さきほど、当時のパンフレットやグッズを探してみたが、何処に入り込んだのか見つからない

そんなわけで、当時の様子をYOUTUBEで見つけたので貼っておきます

興味がある方はご覧ください













◎  争そわない縄文人 

縄文期は平穏? 暴力死亡率1%台

 縄文人の社会は争いが少なく平穏だった—。
岡山大大学院社会文化科学研究科の松本直子教授(認知考古学)、山口大国際総合科学部の中尾央助教(科学哲学)らの研究グループが、全国の縄文遺跡で出土した人骨を調べ、暴力による死亡率を分析。欧米などのデータと比べ5分の1以下の「1%台」と算出し、英国の科学雑誌に30日発表した。

 発掘調査報告書で、出土人骨の状態が確認できる国内242の遺跡から、成人の人骨1275体のデータを収集。
13遺跡の23体に何らかの武器で攻撃を受けた痕跡があり、割合は1・8%だった。
子どもも含めると0・9%まで下がる。
岡山県内では津雲貝塚(笠岡市、国史跡)など5遺跡の113体のうち、船元貝塚(倉敷市)の1体だけ、胸部に石鏃(せきぞく)が刺さっていた。

 欧米やアフリカでは、縄文期と同じ狩猟採集時代の遺跡から大量虐殺を示す人骨が発掘されるなど、暴力での死亡率が十数%を占める研究データがある。
テロや紛争が頻発する世相と絡めて、人類学や哲学の分野で「戦争は人間の本能」との考えが広がりつつあるという。

 今回の結果を、松本教授は「縄文期の日本列島は、狩猟採集できる食糧がまんべんなく分布し、人口密度も低いことから集団間の摩擦が少なかった」と分析。
さらに「人類が必ずしも暴力的な本能を持ってはいないことも示す。
戦争の原因を人の本能に求める風潮に再考を迫る一歩になる」としている。

当時を考える上で重要な研究

 山田康弘・国立歴史民俗博物館教授(先史学)の話
 今回の成果だけで縄文期が平和だったと解釈するのは性急だが、当時の社会を考える上で重要な研究だ。
気候が安定し、人口密度が低い土地では争いが起こりにくかったと想像し得る。
地域間の比較など今後の研究の深まりを期待したい。


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私が以前から書いていたことが、専門家の研究に近かったことに

ホッとした記事である

縄文人は支配地を広げる習慣が無く、他部族と共存共栄していたと考え

弥生人は耕作地を広げる必要があって、他部族の支配地を侵すことに繋がり

諍いが絶えなかったのではないか・・・・


私は弥生人と呼ばれる人たちはアニミズムの意識が希薄だったように感じている

権力や支配という縦社会には「精霊信仰」は馴染まなかったのだろうか

縄文人たちにとっては神の力によって生かされている意識が基本であり

神の元では自分の力など微々たるものでしかなかった


侵さず 奪わず 相応しくない力を欲せず、神の意思を受け入れる

私の抱く「縄文人」とはそういう姿なのである



起きて半畳  寝て一畳  天下取っても二合半



余分に採らず 貯めこまず 今日の糧に感謝する

そんな人々が争そわなければならない材料は、けっして多くは無かったと思っているのである。


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◎  思えば遠くへ来たもんだ 


私が故郷を離れてから40年が経とうとしている

すでに両親も亡く兄弟も老いて、甥・姪やその子の時代になっている

私などすでに忘れ去られた親類でしかない(笑)


私は親や兄弟に迷惑や心配をかけ続けて生きてきた

「フーテン**」と呼ばれていたのも事実である

ブログでは偉そうなことを書いていても、鼻白むもう一人の自分がいて

そのもう一人の自分が哀れみとも侮蔑ともつかないため息を漏らすのである


私は若いころ「経験こそ人生の糧」と何でも挑戦した

アルバイトを含めると両手で数えきれないくらいの職業経験がある


事務職(総合職)、施設職員(身障施設)、保険営業、女性下着メーカー

バーテンダー、喫茶店、木工所、土建会社(現場監督)、石材業、クリーニング業

ビル管理会社、リフォーム業、パチンコ店、食堂調理員・・・・

一年の事もあれば数年の時もあり十数年のモノまで色々だが・・・・

私は上からの圧力に阿(おもね)ることが苦手で、どうしても理不尽な事に妥協できない

悪い癖がある

人生を生きることが下手なのである (俗に言うところの不器用かもしれない)

相手が社長だろうと上司だろうと、893だろうと・・・・

納得できない事は受け入れられない、嫌な仕事を続けられない馬鹿な男である


20代前半のころ、30代の人間が務める中間管理職に登用され

給料も一回り以上年齢が上の人と同じだけもらっていたけれど、

仕事はその人たちの倍の時間勤務して二人分の仕事を消化していた

中途半端や手抜き・手加減ができない性分なので、敵も多かった気がするが

「仕事がほんとうに好きなんだな・・」

「そんなきつい仕事よく笑ってできるよなぁ 感心するわ」

などと、皮肉とも激励ともつかない言葉を頂戴した(笑)


20代のころ、ある広域暴力団の組長から誘いを受けたが、自分の性格を

熟知しているので、丁寧にお断りした(笑)

その世界に入っていたら、今頃戒名が付いているか、ドラム缶に詰められ

海の底かもしれない・・・・


20代中頃からは、何を思ったか体を壊すまで毎日、浴びるように酒を呑んだ

スコッチウィスキーを二日に一本空けていた、おかげで給料はほとんど

残らなかったが・・・

( おかげで今は舐める程度しか呑めなくなってしまった 笑 )



そんな私だが女性のいる店が苦手で、マスターが一人でやってる店を探して常連に

なる事が常だった


その癖は今でも変わらず、喫茶店も友人が一人でやっている店に行くし

すし屋も友人がやっている店だけしか行かない

床屋も決めた店以外には行かないし、銀行も遠くに在る決まった支店にしか行かない

早い話・・・不器用なのである

お気に入りになるまでは右往左往するが、気に入ればそこから変化を求めない


「田舎に帰ってみたいか?」 と問われれば、「帰りたくない」と私は答えるだろう

なぜか? 

私はおそらく田舎に足を踏み入れれば、其処から出ることができない

ような気がするのだ・・・・

若いころなら帰省しても本州に戻るだけの意思も理由もあった

では今はどうか・・・・

田舎にも私の居場所は無く、本州にも居場所が見つけられないのが本音だ




ふるさとは遠きにありて思ふもの

そして悲しくうたふもの

よしや

うらぶれて異土の乞食となるとても

帰るところにあるまじや

ひとり都のゆふぐれに

ふるさとおもひ涙ぐむ

そのこころもて

遠きみやこにかへらばや

遠きみやこにかへらばや



◎  お天道様は観ている 



     ビル隙間5センチ、子ネコが…パイプ外し救出

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小さな声は「生きたい」と願う声だったのか・・・

母を呼ぶ声だったのか・・・

放置されていたら続かない命だったかもしれない

119番通報した店員さんに感謝



昨日の記事で 「楽しくないと続かない」 と書いたが

これはスポーツにだけ限る事ではないと思っている

仕事が楽しい人ばかりではないのは百も承知だが

「嫌だ 辛い 苦しい」 と思って続ける仕事に良い仕事など存在しない

これが私の自論である


私はご存知のように身勝手な人間だから、あとの事など深く考えない

「自分が居なけりゃ仕事がどうにかなってしまう」

本心からそう思っているなら、羨ましいくらいおめでたい人、幸せな人と申し上げたい・・・・

一人親方ならいざ知らず、勤め人は幾らでも替わりが居るのが現実である


私は嫌になった仕事はすぐに辞める習慣がある(あったと言うべきか?)

嫌な仕事にしがみついていても、他人に喜ばれるような「良い仕事」など

できないと割り切っているからなのだが・・・


好きこそものの上手なれ

嫌いな仕事、辛い仕事は「頑張る」しかないが

好きな仕事、楽しい仕事では熱心にもなれ、努力も人一倍できると思っている


努力した仕事には必ず「おまけ」が付いてくると信じている

頑張った仕事には達成感があると言う

頑張った仕事は「終わった」という結果が全てであると思っていて

達成感は其処で足が止まってしまい、また一から始まるのではないだろうか


私は、努力した仕事には「向上・成長」がもれなく付いてくると考えている

昨日より今日がわずかでも向上していることが私にとって喜びである

だから私は頑張らない・・・・努力はしても頑張らないと言う訳のわからない

長屋の爺の自論の根拠である(笑)


次回は長屋の爺の人生について書いてみようかな・・・・(予定は未定ですw)


◎  人の心と欲の歴史 (結) 

私は近代史は得意ではない

というより、幕末の日本が嫌いだと言う理由が原因でもある


官軍と呼ばれる者たちに「大義」など無いというのが持論であり

尊王攘夷 と 勤皇討幕 が混同されているから尚の事始末が悪い


専門ではないので多くは語れないが・・・・

徳川幕府が外国と条約を結んだことが許せないとして起こったのが

攘夷運動であり、尊王と攘夷は本来は別のモノである

* 攘夷論とは西洋諸国に対応した海防論の一環で排外思想のこと

* 尊王論とは天皇を国家最高の権威として尊崇する思想

神国日本が外国に諂う事を善しとしない攘夷論と勤皇思想(尊王論)が結びついて

尊王攘夷という運動が始まったと記憶している

そもそも尊王攘夷とは本来,幕府を否定するものではなかったのである


当初は朝廷も攘夷で纏まっていたのではないかと思う


ところが薩摩・長州は英国並びに連合軍に敗れると、あっという間に

開国に舵を切ってしまい、弱腰の幕府を非難できないようになったと言うべきだ

彼等の言う「大義」などその場しのぎの「口実」でしかない

開国やむなしとしても、討幕はまったくその意義を感じられない

攘夷論も開国も、尊王にしても単なる詭弁であって、クーデターが最終目標だったか

どんな思想であっても、天皇に政(まつりごと)が戻った時点(大政奉還)で成就した

はずではなかったか?

薩長や土佐などの官軍とは、クーデターを起こした反乱軍でしかない・・・

錦の御旗も「眉唾」ものかもしれない可能性すらある


その薩長連合と幕府の挟間で苦悩したのが孝明天皇だったかもしれない


明治維新は改革でもなんでもない・・・単なるクーデターだった

私の幕末騒動、明治維新嫌いはこういう欺瞞に満ちた歴史を

容認できない事から起こっている(笑)


暗殺された可能性がある天皇

第121代 孝明天皇

仁孝天皇の第四子 母親は正親町雅子(おおぎまち なおこ)

幼名 煕宮(ひろのみや) 諱 統仁(おさひと)

終生攘夷論を頑なに護った天皇であり、公武合体により外国を排除し鎖国を

続けるために苦心したが、頼みとした薩長が攘夷派から開国派へと立場を変え

たため、頑なに譲位を唱える孝明天皇を邪魔に思う者たちが現れた・・・・


此処からは長屋の爺の妄想であり、暴論である (批判・指摘は遠慮します)


おそらく天皇の近くで孝明天皇を亡き者にしたい勢力は、隠密裏に事を成就

する必要があった

その結果、暗殺では無く都合よく病死することが重要だったのではないか

いわゆる「一服盛った」のである

当然ながら、孝明天皇の子が次期天皇に即位した

第122代 明治天皇である

父 孝明天皇 母 中山慶子(よしこ)

幼名 祐宮(さちのみや) 諱 睦仁(むつひと)

母の父は権大納言・中山忠能(ただやす)といい、明治天皇は

五歳になるまでは忠能のもとで暮らしたという・・・

生来、体が弱く気質も穏やかだったようで、蛤御門の変(はまぐりごもんのへん)

の際には、衝撃を受け失神してしまったという

それほど武力や騒動には似合わない気質の親王だった


ところが即位して間もなく、武力や闘争に相応しくないはずの天皇が豹変し

倒幕に突き進んだのである

いったい明治天皇に何があったのか?



世間ではある説がささやかれている・・・

明治天皇替え玉説である

    すり替えられた天皇

日本の天皇で「すり替えられた」とされる天皇は何人か居ると思える

その内、最も怪しいのが聖武天皇と明治天皇である (爺の暴論だが)


今我々が明治天皇だと思っている人は、後醍醐天皇の子孫である

【大室寅之祐】という人物とされる

長州の田布施という所に住んでいたとも、南朝の末裔だとも言われている


◆ 明治天皇の幼少期の顔と明治天皇の顔は似ても似つかないのはなぜ?

◆ なぜ都を京都から江戸に遷都したのだろうか?

◆ 明治天皇は母親である中山慶子の墓に参ったことが無いのはなぜだろう?

◆ 明治天皇は「左利き」だといわれるが、当時は矯正されて「右利き」になっていたのでは?

◆ 虚弱体質で神経が繊細な子供だった睦仁親王が、180センチ90キロの堂々たる

 体躯であったのはどうしてか?

◆ 睦仁親王は乗馬を嫌い、いつも輿に乗っていたのに、鳥羽伏見の戦いで馬上から

 閲兵したと記録されているのは?

◆ 天皇の前では誰もが起立するのに、守役だった伊藤博文は椅子に座ったままで、

 剣も腰に下げたままだったのはなぜ?

◆ 過去に一度たりとも伊勢神宮に足を踏み入れなかった天皇が、どうして明治天皇は

禁を破って参拝したのか?

◆ 明治44年、南朝・北朝のどちらが正統か、帝国議会で議論され、南朝が正統と決定され

 、明治天皇もそれを承認したのはなぜ?(現在の天皇家は北朝系の皇室である)


明治天皇の意向で創建された【吉野神宮(吉野宮)】 の御由緒に

「近代日本の繁栄の基は明治維新にあり、明治維新の根源は

後醍醐天皇の建武の中興と吉野朝の歴史にありといわれます」
 と書かれている

後小松天皇から続く北朝の皇統を絶ち、後醍醐天皇の血筋による南朝の皇統に

すり替えたのは幕末の薩長という討幕派であり「明治新政府」なのかもしれない


明治天皇はどうして「楠木正成」「新田義貞」らを称賛し手厚く遇したのか?

明治になってから建武中興にかかわった人物を祀る神社が作られた

* 吉野神宮 (後醍醐天皇)

* 鎌倉宮  (護良親王)

* 井伊谷宮  (宗良親王)

* 八代宮  ( 懐良親王 )

* 金崎宮  (尊良親王・恒良親王)

* 小御門神社  (藤原師賢)

* 菊池神社  (菊池武時・菊池武重・菊池武光)

* 湊川神社  ( 楠木正成 )

* 名和神社  (名和長年)

* 阿部野神社  (北畠親房・北畠顕家)

* 藤島神社  (新田義貞)

* 結城神社  (結城宗広)

* 霊山神社 (北畠親房・北畠顕家・北畠顕信・北畠守親)

* 四條畷神社  ( 楠木正行 )

* 北畠神社  (北畠顕能・北畠親房・北畠顯家)


皇居内には楠木正成公の大きな像が建っているのも不可解なのである

(明治29年 寄付により建立された)

まことしやかに囁かれる風聞かもしれないが、私は皇統が明治になって

北朝から南朝の血筋に変わった可能性が高いと思っている

私が近代史に不信感を持っているからこそ、この時代には触らないように

心がけてきたのである・・・・


* 雅子 ? ひろのみや ? 孝明天皇との因縁が今の皇室に在るのかは

疑問ですが、事実は小説より奇なりとも言います どう考えるか感じるかは

読者に委ねます(笑)

◎  長屋の爺の思い込み 

私の勝手な思い込みかもしれない話である

私は現役スポーツ選手が勝てなくなる予感がする時がある

「この選手はもう勝てないかもな」

私がそう言った選手の多くは「必死にもがき苦しみ」

本当に勝てなくなってしまう・・・・・


では予感の基準とは何か? であるが・・

多くのアスリートは競技を楽しんでいて、そして輝いているのである

期待や重圧、目標など数多くのプレッシャーと日々戦っている

そう・・・戦う相手は人間だけではなく、プレッシャーとも戦わなければならない

アスリートたちは自分と相手と重圧や期待とも戦っているのである

けれどプレッシャーも楽しみに思えるほど円熟期の人間は輝いて見え

さらにはそのプレッシャーを楽しむかのように素直な笑顔を絶やさない

だからと言って「ヘラヘラ」笑っていればよいと言うのではないけれど・・・

ところがある日、勝利や一位に固執した時点で「楽しむ」事ができなくなるようだ


楽しくなければスポーツじゃない

楽しくなければどんな人間も続けることなどできやしない


世の中、頂点に立てば後は下るだけというのが鉄則である

何処に価値を見出すかにもよるが、現役を続けることに価値を

見出す者が居ても良いだろう

引き際をしっかりと見つめ、潔く身を引くアスリートが居ても良いのだ


ただし・・・人の恩を忘れては、論外である

ヒトは一人で歩むわけではない、アスリートが頂点に立てたのも

様々な人の助力・サポートの結果でもある



一つの例を書いてみたい、石川遼というプロゴルファーが居る

若くして日本のゴルフ界を背負って立つだろうといわれた逸材である

かれが米国ツアーに挑戦するときに、ジュニア時代から支えてきた

ゴルフクラブ(道具)をヨネックスからキャロウエイに契約を切り変えた

ゴルフメーカーとしては弱小メーカーであるヨネックス社、かたや世界的

ゴルフメーカーであり、契約料も話にならないほど差があったと聞く


その話を聞いたとき、私は友人たちに直感でこう言った

、「彼はアメリカでは成功しないかもしれない」

「人の恩を忘れ、感謝の気持ちを忘れた人間に、神さまは微笑まない」

「きっと彼は挫折を味わう事になる気がする」



本当の理由は知る由も無いし、技術やメンタルな問題かもしれないが・・・



奇しくも石川選手はアメリカで苦戦を強いられ、最近では怪我でプレーもできないそうだ

人の不幸を喜ぶ気持ちなど無いが、つまりは一人で生きているのではない

自分は過去に多くの人々に支えられてきたから現在の自分の姿がある

そういう事が若かったために理解できなかったのか・・・それとも父親の責任なのか


その反対に松山英樹選手は、アメリカにわたり米国でプレーを始めた

(現在は世界ランキング16位ぐらいか・・・・)

その時も彼の元には多くのゴルフメーカーが契約のオファーをよこしたと言う

しかし・・彼は「アマチュア時代から支えてくれたダンロップ社製を使い続けます」

そう言って、数倍の高額の契約ができるチャンスを蹴ったと言う


(何十億円もの高額契約を蹴る根拠は「恩返し」なのだろうと思っている)


恩を忘れなかった松山英樹、恩を忘れた石川遼・・・

酷な言い方かもしれないが、私には現在の彼等の立つポジションが

神の意思であると思いたいのである



浅田選手もスケーティングの前は悲壮な顔をしていることが多かった記憶がある

彼女には「楽しんで滑ってほしいと願っている」

彼女の笑顔は日本人を元気にしてくれる・・・・


宮里藍選手もあるとき顔を見たら、悲壮感漂う顔をしていた

ゴルフをするのが「辛そう」にも感じた

世界ランク一位まで上り詰めたベテランゴルファーだ、もっとゴルフを楽しんで

貰いたいと願っている

明るい藍ちゃんの復活を願っている長屋の爺である



人は手にするモノも、背負うモノも、限りがある

余分なモノを手にしたり、背負ってしまっては歩くこともままならない

これが世の中の道理だと私は思っている


そして、人の恩はけっして忘れてはいけないとつくづく思うのである。

◎  昨日の言い訳&近所の催し 

昨日は久しぶりの残業仕事、難工事でもあり帰宅後は入浴・夕食を

済ませたところで「エネルギーゼロ」になり、何をするのでもなく9時前には就寝した

同じ仕事を履行しても疲れ度合いも違い、疲労も想像以上であることを実感した

桜まつりが行われているが、今年は見物に行けるかどうか・・・

来る日曜日は岡崎で家康行列が執り行われる

例年は市民から選ばれた人が家康公に扮するようだが、今年は市制100年で

家康公に扮するのは俳優 【里見浩太朗】 だという・・・・

これも残念ながら、仕事が入っているため見物に行けそうにない(笑)


岡崎の話が出たついでに、こんな記事を見つけた・・


◆ 環境省「名水選抜総選挙」、岡崎の湧水群が1位

 環境省が行った「名水百選選抜総選挙」で、「秘境地として素晴らしい名水部門」にエントリーされた愛知県岡崎市の「鳥川とっかわホタルの里湧水群」が第1位を獲得した。

 名水百選30周年を記念して初めて行われた今回の選抜総選挙は、昭和の名水百選と平成の名水百選の計200の名水から選抜された55の名水が「秘境地として素晴らしい名水(5か所)」「観光地として素晴らしい名水(20か所)」「景観が素晴らしい名水(20か所)」「おいしさが素晴らしい名水(10か所)」の4部門にエントリーされて実施。
2月15日~3月13日の約1か月間、全国でインターネットによる人気投票が行われ、鳥川ホタルの里湧水群は4470票を獲得し、2位以下を大きく引き離して1位となった。

 鳥川ホタルの里は多くのゲンジボタルが生息する鳥川流域の山間集落。
ホタルとその生息環境を守るために組織された鳥川ホタル保存会のメンバーと地元の子どもたちが長年にわたり川の清掃や草刈り、周辺の山林整備などを行っており、こうした活動が認められて2008年に平成の名水百選に認定された。

 至る所から水が湧き出す同地区には名前の付いている湧水が4か所あり、中でも「延命水」は1年を通じて水量、水温が安定し、まろやかでおいしいと、大勢の人がくみに訪れる。
同市環境保全課では「これを機にホタルが育まれる地区の自然の素晴らしさをPRしていきたい」としている。

            2016年04月06日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

私はこの地区を毎年のように仕事で訪れている

たしかにこの地域とその周辺には有名・無名の【湧水】が多く点在している

朝早くから車で訪れ、ポリタンクに湧水を入れている方を見かける

車の様子からして「飲食業」の店主だろうと思える男性が、黙々と水を汲む

様子に、「それほど美味いのか?」と友人に聞けば、「美味しいよ」とのこと

しかし私には時間をかけて、ガソリンを使い、遠路はるばる「水」を汲みに

来る気にはならない・・・・

さらに良いモノを、良い仕事を心がけている自分だが、見方を変えれば

飲食店主も良い料理を提供するために、時間と労力を惜しまないという事

なのだろう、つまりは価値観の違いなのかもしれない


おそらく夏までの間に、この近辺で仕事がありそうだ・・・・

時間と事情が許せば、ペットボトルにでも汲んでみようかと思っている

友人の話から察するに、蛍の生息地が多く残る土地でもあり、良い水が

豊富に湧き出るのだろう

この近くを「新東名高速道路」が開通したようだが

蛍の生息に影響が出ない事を祈らずにはいられない

手つかずの自然を残すことも、人間に与えられた義務ではなかろうか・・・


◎  宋書に曰く・・・ 


     后妃檀国 白虹貫日

* 皇后などが国政を専断したときに生じる異変の事

これは言い換えれば 天人相関 の一つとも受け取れる言葉である


冒頭に記した言葉は「宋書(志17)」に残されている言葉だが

この言葉は 元正天皇(元正朝) に対する不信感から出た言葉だと言う

つまり、女性天皇を認めないという大陸の偽らざる意思なのである

この頃、長屋王に10人の身辺護衛の者が付いたとされる

この10人の護衛は長屋王が私的に雇ったものではなく、朝廷が任命した

身辺警護の者たちだったことが特に重要なのである


手を下すもの(暗殺者)が誰だったのか、その暗殺の指示は何処から出たものか

推理するより仕方がないが、権力争いの核心の焦点を意図的に暈(ぼか)した

ような通説に違和感を感じている


私論であり暴論である・・・

私は長屋王の父・高市皇子は立太子さらには即位していたと思っている

その期間は短かかった可能性がある

故に長屋王は【長屋親王】だったと考えている (出土した木簡からも推測できる)

長屋王は高市皇子が亡くなったときは幼少のため、皇位継承権は低かった

それゆえ皇親政治の中心になって行ったと思っている


*私は元正天皇(女性天皇)の時代、政治の実権は長屋王が持っていたと

思っている(皇親政治)


その流れを善しとしない勢力が居たのも事実であり、権力争いのように

見せているが、本来は「皇位継承」が根底にあると感じているのだ


聖武天皇には夭逝した皇子(基王)以外に、非藤原の母が産んだ【安積親王】

しかいなかったため、皇位継承の最有力候補として、天武天皇の孫という血統を

もつ長屋王の存在が目障りだった人間が居たことは想像できる


持統天皇の血筋からすると、天武系と言っても「高市皇子」の血統は

天武天皇の直系男子の血筋である

もし、私の想像する「高市皇子即位説」が事実であれば、非即位の

草壁皇子の血筋(持統系)にとっては、何よりも目障りで立ちはだかる障壁

ではなかったか・・・

百歩譲って非即位でも、長屋王の父親は天武天皇の第一皇子・高市皇子であり

母親は天智天皇の皇女の御名部皇女(元明天皇の同母姉)である

言わば天武系の嫡流と言っても過言ではないのだ、藤原四兄弟が実権を

握りたいとは言え、不比等の娘を娶っていて、藤原氏に近い立場だっただろう

長屋王だ、四兄弟にとっても義兄にあたるその彼を藤原の意思だけで葬るとは

とても思えない・・・

聖武天皇の意思がその引き鉄を引かせたのかもしれないと感じるのは

当然だと私は思っている

その聖武天皇にも、多くの謎と疑問が遺されている

近いうちに聖武天皇を掘り下げて暴論を組み立ててみようと思います




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◎  歴史の謎と推理に必要なスパイス 

私は古代史の中で、山背皇子と長屋王の真実が解明できれば

とても魅力的な歴史が見えてくると思っている


暴論であり妄想である

私は山背皇子は大王(天皇)だったと思っている

そして、長屋王は外国の意を受けて暗殺(粛清)されたと思っている


古代史を傍観する人は、日本は独自の発展をしてきたと考える人が多い

しかし私はそれほど日本の集権国家は成熟していたとは思っていない

日本の北は【渤海(ぼっかい)】、南は【唐】の影響を強く受けていた

属国ではないが、それぞれの国の意向に左右される政治体制では

なかったかと考えている

その時々でどの国の意に添う行動をしたかで、その後の運命・歴史が

変わった人々が多くいる


私は推古天皇(初の女性天皇)は捏造だと思っていて、その時代は

後継争いのため空位の後、男性天皇が在位していたと思っている


(もしかすると、厩戸皇子が即位していたかもしれない)


そして、第34代 舒明天皇という天皇は捏造であると思っている

という事は皇極天皇(舒明天皇皇后)も捏造であり、山背皇子は

即位して大王となっていた
ことになる

その山背大王を攻め滅ぼして王位を簒奪したのが、蘇我氏を抱き込んだ

唐・半島勢力ではなかろうか・・・・・


舒明天皇の息子といわれる葛城皇子(天智天皇)が42歳まで即位できなかった

のは、年齢でも母親の出自でもなく、単に皇位継承権がない余所者だったからで

乙巳の変もクーデター(易性革命)だったことになる


なぜ天智天皇の名前が【葛城皇子】だったのか?

葛城とは古代ヤマト成立に尽力した古代豪族・葛城氏のことで

蘇我氏はその葛城氏の傍流と言われている

その「葛城」を名乗っていることに不可解さを感じている


なぜ葛城皇子だったのかは不明だが、古代の名豪族の名を名乗る事に

出自を隠す意図があったのかもしれない

蘇我氏を抱き込んだのは、他の豪族を粛清し権力の一本化を画策した

結果なのかもしれない

葛城氏が没落した後、蘇我氏が代わって台頭し、その蘇我氏を後ろ盾に

していた山背王朝を亡ぼし、蘇我氏まで滅亡に導いたのは半島人だった

可能性がある

なぜ「白村江の戦い」を選んだのか?

それは彼の出自が色濃く影響しているからだと思っている


現代の「舛添都知事」の言動を観ても、【半島人魂・根性】は帰化したことなどでは

変えられないほど根強いと言う事だろう・・・・ 



なぜ山背皇子の一族が幼子まで自害したことになっているのか?

それは易姓革命だからこそ、根絶やしにする必要が存在したからである

全ての事には 理由(わけ) がある・・・・そういう事ではなかろうか。


◎  女性天皇の虚実 

昨日31日を朔日と勘違いし、ブログ更新しなかった(笑)

風呂上がりに一杯ひっかけて寝てしまったのである・・・・


勘違いなのか・・・耄碌(もうろく)したのかw


このブログを読んでくださっている読者はご存知だとおもうが

私は女性天皇を否定する立場である

特に持統天皇以前の女性天皇は捏造だと考えている

どうしてか?

日本の政(まつりごと)の仕組みの「お手本」は大陸であり、様々な仕組みも

貪欲なまでにそれを取り入れ、大陸を模倣して作られてきたと言ってもいい

その大陸(中国)には女帝(女性の皇帝)はあり得ないのである

ただ一人、武 則天(日本では則天武后)だけが女帝と言われているのである

その武 則天(ぶ そくてん)の在位は690年 - 705年

そして持統天皇の統治は690-697年、称制を含めると686年ー697年

なぜ4年間即位できなかったのに、突然即位したのか?

それは半島から伝わってきた情報に【則天武后即位】があったからではないか

範とする中国が禁を破って【女帝】を認めた・・・・

自分の愛する皇子・草壁が亡くなり失意の皇后は、何としても孫に皇位を

継がせたかったがあまりにも幼かった

そんな時に大陸で皇后が即位し女帝となったことを知ると、孫が即位できるまで

自らがその繋ぎ役となって、孫のために基盤を整えようとしたのではないか

「この手があった」と思ったかどうかは知る由も無いが・・・


それには、ヤマトには昔から女性天皇が存在し、自分が天皇になっても何ら

不都合はないという理由づけが必要だった

日本書紀はその意を汲んで捏造された部分が多々あると思っている


なぜ 【称制】 などという不可解な制度を設けたのか?

* 称制という制度を用いたのは、通説では天智天皇と持統天皇の父子

だけである


即位するだけの確たる制度が無く、人臣を納得させる根拠が見つからなかった

其処に天から降ってきた武 則天(ぶ そくてん)の即位だった

中国で認められたのなら、ヤマトでも認められない訳が無い・・・・

則天武后は即位前から政治の実権を掌握し、数々の逸話を残している

日本がかかわった【白村江の戦い】でも、唐軍は皇后軍(武 則天の軍)と

言ってもいいほど、唐の政治を私物化していた

天武朝以前から皇后・武 則天の政治介入は知られていたのであり

その武 則天が即位したことは持統天皇にとって何よりの知らせだった

と私は思っている

そんな状況から、私は持統天皇が日本で最初の女性天皇だと思っているのである


持統天皇と則天武后の「似通った部分」が多々ある事も見逃せない

則天武后は自らを聖神皇帝と称し、さらに自らを弥勒菩薩の生まれ変わりと

宣言し、仏教を奨励し全国各地に「大雲経寺」を建立した

一方持統天皇は「神道」を奨励し各地の神社を整備し神道の改変を行った、

天皇は神の血統であると唱え、自らを皇祖神・アマテラスと同化させてしまった

それが「伊勢神宮・内宮」であり、記紀神話なのではないか・・・

(伊勢の神は「アマテラス」ではなかった・・・という私の自論である)


持統天皇以前の女性天皇の時代は、天皇不在だったか若しくは

歴史に残されなかった男性天皇の時代だったと考えている

その時代はまだまだ大陸の影響を受けている時代であり

大陸の皇帝(王)が認めない者を、天皇(倭王)とは認められなかったと

私は考えている

そんな時代に女性天皇が存在できるはずがない・・・

独り立ちできていないヤマトに、独自の支配制度を確立するチカラは

未だ無かったと思うのである

詳しくは別の機会にするが、推古天皇は女性では無く男性だった

皇極天皇(斉明天皇)も女性天皇では無かったと思っている


書いてあるから事実ではない 

書かれなかった事実の上に無かった事を書いてあっても「正史」なのである



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