不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  つまらない話ですみません 

いつだったか・・・風が強い日の事

春一番が吹いた日だったかもしれない

仕事帰りに車を走らせていると、バイパスに立つ電柱に

何やら長いものが巻き付いて風に靡(なび)いていた

近くまで来て、その正体が工場などで「梱包に使用するラップ」だと判明した

その光景はまるで「天女の羽衣」を連想するものだった


私は思わず

「ドラえもんが忘れてきたラップが羽衣の正体だったかもなぁ」

「バック・ザ・フィーチャーみたいなことも 有り だろうから・・・」

「あながち全否定はできないよな」

「2001年宇宙の旅だって、最初は夢物語だったから・・・」

こんな会話をして帰路についたのである


風邪による妄想が止まない長屋の爺です(笑)

本日は待ちに待った休日でしたが、あいにくの雨・・・

ミコと一緒に惰眠をむさぼりました

寝るのが一番の特効薬かもしれません


背中の痛みは風呂に入ると軽減します

どうやら腱に傷がついたようで、多分断裂はしていないと思い

温めてリハビリーをして乗り切ろうと勝手に決めました

痛みは長い付き合いの「友」ですから・・・大事にしないと (笑)


明日も休みで体調次第ですが、梅を観に行こうと計画しています

買い物にも行かなければいけないし、整体もずいぶんサボっているし

次の仕事の材料の手配もしなければいけないし・・・多忙ですw


ヤクルトスワローズから2軍の開幕試合の案内が来ました・・

とても戸田まで観にも行けず、この時期だけ埼玉県人若しくは

東京都民になりたい長屋の爺です


戸田と言えば・・・私が人生初の「自動車教習所」に通った場所です

たしか・・「戸田橋自動車学校」だったか?

卒業できませんでした 教官とトラブって自主退学しました(笑)

十代のころ血の気ばかり多くて、相手も考えず突っかかっていた時代です

前納のお金はもどってきませんでした・・・・

「払い戻しなんかいらねぇ」 と大見栄切ったかもw

軽自動車免許なんてのがあった時代ですから40年以上前ですわ

神宮球場にもずいぶん行ってませんし、きっと浦島太郎状態になると

思いますが命あるうちに、もう一度神宮の内野席で観戦したいものです

新幹線を使えば日帰りもできる東京ですが、浦島太郎にはいくつものハードルが

待ち構えています(地下鉄の乗り換えが心配w)

迷子になる確率100%ですから・・・・

(何せ35年以上東京に足を向けていませんからね)

今年は靖國にも行きたいし、神宮球場にも行きたい・・

夢を見ている間は毎日に張りが出る

達成感より期待感、現実より夢・願望

それもまた佳しと思いたい長屋の爺でした・・・

つまらない話ばかりで申し訳ありません
スポンサーサイト

◎  ストーンサークルから考える 


汗ばむような陽気の今日、風邪の方も何とか落ち着いた

仕事が休みになる前に体調不良で、休みになると回復するのは

もしかすると「気の持ちよう」なのか?

それともたんなる「人生の試練」なのか・・・・

M体質といわれる所以かもしれないが

友人たちに言わせるると、痛い・悪いが日常の長屋の爺にとって普通らしい


ストーンサークル (環状列石)

有名なのは秋田県に在る 大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)だ

直径46メートルという大きな人造物であり

一説ではストーンサークルは巨大な「日時計」であるという

これにも諸説あり、共同祭祀施設、集落、祭祀場を兼ねた複合的施設など

ハッキリ言うと、解っていないと言うのが正しいかもしれない


私は共同祭祀施設の可能性が高いと思っている

似たような遺跡から副葬品を伴う土抗が発見されたことから「墓」だ

という説があるが、私はこれには納得していない


これからは私の自論である

ある日、飼っていた犬が死んだ

母親は川に流してこいと言うが、子供は可哀想で決断できなかった

そんなとき、ふと数年前に死んだ祖母の事を思いだした

おばあちゃんが死んだとき土に埋めたのだから

母に内緒でこの犬もおばあちゃんの隣に埋めてあげよう・・・

おばあちゃんもきっと喜ぶ気がする


そして時を経て、未来の考古学者が土の中から遺骨を発掘する

そして出した結論が、この時代は人間とペットは同じ墓に埋葬された


お判りでしょうか・・・

当然と思う判断にも「絶対」「確実」は有りません

こどもが親に黙って埋めたペットの遺骨が専門家の判断を変えるほど

影響力が有る事を・・・


考古学にも歴史学にも、宗教学にも、絶対も無ければ確実も無いのです

ストーンサークルが墓であるか、宗教施設であるかは、タイムマシンでその場に

立ち会わなければ解明できない (長屋の爺のぶれない自論)


巨大遺跡とは【視点】から見つめなければいけないと思っていて

ナスカの地上絵でも今の科学では当たり前のように目にできますが

その当時、それを目にできる人間、科学技術があったかどうか・・・


私がタイムマシンで過去に降り立ち何かを忘れてきたとしたら

今の考古学に大きな影響を与えているかもしれません


ストーンサークルも若しかしたら、未来人が降りたち、時間つぶしの

【石遊び】をした遺構だったとしたら・・・・

これすら私は否定できないと思っています


出雲の人・野見宿禰(のみのすくね)が当麻蹶速(たいまのけはや)と

力比べ(すもう)をするために、その日のうちに出雲からヤマトまで

はせ参じたというのも、現代ならいざ知らず不可能な話である

本当に出雲~ヤマトを数時間で移動したなら、そういう手段が存在した

と言う事になり、未来の文明が持ち込まれたことになる


ストーンサークルも高い山から見下ろして初めて全容が理解できるはず

墓が巨大遺構になるのはさらに時を経なければならないかもしれない

そういう意味でも、環状列石とは神に「見せる」祭祀関係の人造物だと

私は考えている


頭を柔らかく、その時代に浸る事も容易くは無いですが

今の基準・常識で一方向から観ることだけは避けたい

私の歴史観とはひねくれた爺の非常識論から出発していて

妄想・戯言・暴言が隠し味になっています

あくまでも取り扱いには・・・ご用心を(笑)

【 ただ今充電中につき、中身の薄さはご容赦を 】

◎  梅の香に誘われて・・・ 

ぼろぼろの長屋の爺です

背中(肩甲骨内側)の痛みのために、すっかり予定が狂ってしまった

梅まつりに行くと計画していたが、来週までお預けだ・・・・


冬来たりなば 春遠からじ

そんな私の眼に細やかな贈り物が


DSC_0014-2.jpg




DSC_0006-3.jpg


         隣家の梅

DSC_0007-3.jpg


   まだこれからも楽しめそうな雰囲気だ


DSC_0007-2.jpg


♪ 梅は咲いたか  桜はまだかいな 柳ゃなよなよ風次第

  山吹ゃ浮気で  色ばっかり     しょんがいな



DSC_0011-2.jpg


DSC_0010-3.jpg


DSC_0011-3.jpg


♪ 梅にしようか  桜にしよかいな  色も緑の松ヶ枝に

  梅と桜を咲かせたい    しょんがいな




DSC_0012-3.jpg


DSC_0012-2.jpg



紅白梅が咲いたなら お次はサクラ花・・・


サクラ花を引き立てるために梅の花があるのか・・・

梅の花の名残を癒すために サクラ花があるのか・・・ 






♪ もうすぐ春ですね ちょっと 気取ってみませんか

  風が吹いて 暖かさを 運んで来ました (笑)



◎  お休みです 






      体調不良のためお休みします


 体調不良のため

 本日は お休み いたします


たいしたことは・・・たぶん無いと思います ご心配なく

皆さまのブログ訪問は、明朝にする予定です ・・・

    長屋の爺

◎  男系に固執すると見えないもの 

ここ数日体の調子が悪い

健康で万全なことなど一日たりとも無かった長屋の爺だから

これが普通と言えば普通の部類なのだろうが(笑)

痛い・悪いで仕事を休んだことが無い大ばか者であり

痛いと言って家で寝ているくらいなら仕事に没頭しているほうが気楽な

異常者である

そんな爺も寄る年波には勝てないのか・・・

休みたいとは思わないが、少々「しんどくなった」・・・

これからは体調がすぐれない時は「休む(更新を)」事にしようと思う

次の休みには何としても「梅まつり」に出かけたいから必死である(汗)


さて人間は物事を見たり考えたりするときに、必ずと言っていいほど

先入観を持つようだ

例えば父が高貴であれば、母がどういう人でもその子は高貴な血を

受け継いでいると考えがちである

これは日本人特有なのかもしれないが、父方を優先して考える傾向にある

「父祖の・・・」と言う言葉があるように、父方を全ての基準にすることが多い



蘇我氏・・・唐突な話だが、蘇我氏ほど謎の多い氏族は無いと私は思っている

歴史から消されたわけでもなく、高評価されるでもなく、しかし歴史には歴然として

君臨している大豪族である

私は蘇我氏の力は「女性力」だと思っている

蘇我氏と言うと、稲目・馬子・蝦夷・入鹿・赤兄など男性ばかりに着目するが

本当に目を向けなければいけないのは女性ではないだろうか?

私はそんな事を考えている


では蘇我氏の女性とは誰の事なのか・・・すぐに思いつく「蘇我の女性」とは

いったい誰なのかは、個人差があるかもしれないが

ある人は【刀自古郎女】かもしれないし、【穴穂部間人王女】かも

あるいは【小姉君】、【堅塩媛】、【越智娘】【御名部皇女】かもしれない

蘇我の娘で天皇位に就いたとされるのは、判っているだけでも【推古天皇】

【持統天皇】【元明天皇】【元正天皇】である

天智天皇の血だとか天武天皇の血統という発想は「父方重視」の視点での考察

でしかないと言う事です



血は水より濃いとは到底思えない現実が多くあります

血がつながっているから、血が濃い故に・・・多くの血が流されてきた歴史があります


父方の血を優先させるのなら、厩戸王子が即位できなかったのは解せませんし

大津皇子が即位できなかったのも理解できなくなってしまいます


この歴史結果は母方が優先されたからに違いないのです

母方と言うと少し違う事になってしまいそうなので、母の血と言ったほうが適切かもしれません


大きな篩(ふるい)を連想してください

一番目にある篩の目は大きく【母方・母親】の出自と言う分類になります

次にある篩の目は少し小さくなって【父親・父方】の血統と言う分類です

次にある篩は【年齢】という分類で、成人しているかどうかが問われます

次にある篩は【群臣の目】というもので、客観的な周囲の目と言う分類です

そして・・最終的な篩の目は【母親の意思】というもの・・・・


父親がどう望もうともすでに身罷った身の天皇に言葉など有りません

ここの段階では父方の血とか母方の出自とかは【添え物】に過ぎません

あくまでも母親の執着心が群臣を動かすかどうか・・・


若し、歴史の定説のように推古天皇が厩戸王子を差し置いて即位した

のならば、皇位を誰にも渡したくなかった結果であり、たとえそれが

兄の子であろうとも、「権力」を保持したかった理由ではないか


前天皇の后などというものが、意味を持っていなかったからかもしれない

現代的な解釈では、前天皇の后は皇太后という名誉と処遇が約束されて

いると考えがちだが、歴史の先・前皇后(女性)たちはそれほど高い扱いを

受けていたとは思えないのである


処遇や生活が変わらないのであれば、無理な事をする必要も無い

しかし悪くなるとなれば、強い意思のある女性なら「動いた可能性」は否定できない

さらには周りに居並ぶ群臣たちが、どちらを選択するのが自分に都合が良いのかを

判断して決めたかもしれない


推古天皇も持統天皇も天皇の娘という見方だけでなく、蘇我の娘だったという

角度から考えてみるのも面白いと思う・・・


蘇我の娘でありながら、姉妹でありながら、天皇家の血を受け継ぎながら

身内・血縁でありながら、多くの血を流してきた皇家なのである


持統天皇、太田王女、元明天皇、御名部皇女は蘇我馬子の玄孫であり

彼女たちの子が、大津皇子であり草壁皇子、長屋王なのである

そして山背大兄王子、古人大兄王子は蘇我馬子の孫ということだ


蘇我氏はおそらく葛城地方を地盤としていた豪族で、ヤマト建国に

貢献した部族だったと思える

その祖はおそらく【葛城氏】と後世に呼ばれる集団から独立したものだろう

だから蘇我氏の出自が不明という理由にもなる

だいたいからして葛城氏などと言う区分は6世紀以降に定めた分類の「氏族名」

であって、それ以前は葛城周辺を勢力下にしていた一族の事ではないか

その勢力は葛城と飛鳥、飛鳥と石川を結ぶ三角形の土地に及んでいたのかもしれない


神さまの事を考えるのに古代豪族の支配地を探る事も必要なのかもしれない

蘇我氏については引き続き、神社・神さまと絡めながら考えていきたい。

◎  爺は「くたくた」 

くたくた

この言葉を調べると

疲れたり弱ったりして、力の抜けたさま

古くなって張りがなくなったさま  とある

では語源はというと・・これが何ともハッキリしない


古語辞典に依れば、くだーくだ (くたくた) として載っていて

意味は、ぐったりとして力の抜けたさま、ぐにゃぐにゃ へたへた

なんだかなぁ~である(笑)




何にせよ元は古語の「くたつ」だと言いきる人が居るが(笑)

くたつ

降つ(くたつ)  「くだつ」ともいう

盛りの状態が過ぎる  衰える  (夜が)ふけるという意味だが

どうも今一つ説得力に欠ける気がする長屋の爺である


じつはこの語源に有力なものを見つけた

クタ

これはアイヌ語で【全部出す】と言う意味の言葉である

力を全部出した状態で、さらに出し切った様子を

クタークタ と言ったのだろうか?

繰り返すことでさらにその状態を強調したのではないか・・


語源が曖昧な言葉が日本語に多いと感じている

先住民族の言葉は影響力が強い

これは私の私感なのだが・・・

各地に伝わる「方言」も語源や起源が不明なものが多い

これは遺産とも歴史、文化と考えられないだろうか

造語された言葉もあるだろうが、記憶の中に残る言葉が

生き続けていると思うと、心が温かくなる気がする


言葉は文字よりも長い朝を経てきている

音の文化は文字文化に浸食されたモノばかりではない

根拠は無いが、私はそう信じている・・・。

◎  古事記に触れ合う 

古事記、日本書紀について、いろいろ書いてきた長屋の爺だが

正直なところ原文を最後まで読んだことが無い

詠んだことが無いと言うのも正しくない・・・・

読める訳が無いと言うのが本音だろう

解説が無ければ到底読むことなど叶わないということだ

それでも解説書を何冊も読み続け、この爺でも理解できそうなものを

絶えず探しています

読み解き、解説する人が変われば中見も変わるのは世の常

古事記・日本書紀を現代人が読めば、如何様な解釈もできると言う事だと

考えています

大筋では大差がない解釈でも、微妙な部分で差異が出る

どう判断するかなどと問われても、爺にはハードルが高すぎます(笑)


「古事記なんて読んだことない」 と仰る方のための簡単に書いてみたい

まず、古事記に登場する「神々」について、おさらいをしてみたいと思います


天之御中主神 (あめのみなかぬし)

高御産巣日神 (たかみむすひ)

神産巣日神 (かみむすひ)

この神たちは初めて天と地が分かれたとき、高天原(たかあまはら)に

産まれた神たちである


宇摩志阿斯訶備比古遅神 (うましあしかびひこじ)

天之常立神 (あめのとこたち)

大地がまだ水に浮かぶ脂のようなとき、其処に浮かぶクラゲのような

ものから生まれた神という


此処まで読んで、なにか嫌気がさしてきませんか?

古事記の難解さはこの得体のしれない神々の名前に原因があります

ルビを振られないと読めない名前で、しかも長ったらしいと言うおまけ付き

この辺りで「古事記はいいや」と投げ出す人は相当いると思います

実際に私がそうでした(笑)

その結果・・・専門家だけの領域になってしまった

私はそう確信しています

どうして砕けた解説が無かったのか・・・それは天皇家が神の子孫だという

大前提に依り、「畏れ多くも・・・」と言ったかどうかは知らないが、軽々しく

神々を扱ってはならないという空気があったのかもしれないですね

子供向け・初心者向けにイラスト入りなどもありますが、簡単すぎて

疑問も突っ込みどころも無く、「そうなんだ~」で、記憶のはるか遠くに行ってしまいます


日本人が神々について知らないことが多すぎる理由も同じように感じています

神=天皇家=神聖で侵してはいけない領域

そこで突っ込みをいれたい大和男子や大和撫子は口を閉ざしてきた

疑問にも思ってはいけない神聖なる領域

それが古事記であり、神話なのではないでしょうか


さてと・・・続きを書いてみます

上に書いた五柱の神は 【別天神(ことあまつかみ)】 と呼びます



次に生まれた神は

国之常立神 (くにのとこたち)

豊雲野神 (とよくもの)

この神たちは単独で身を隠していたと言います

不思議な事になぜ身を隠していたかは触れられていません

どうして他の神々と交わらず、単独で隠れていたのかもわかりません

なぜそのような神を古事記は書き残したのか・・・

ある説によれば、この二神は夫婦神であるともいう

豊雲野神は別名・豊国主尊(とよくにぬし)という

祭神として祀る神社は少なく、相模の国・三ノ宮 比々多神社がある

(このような疑問が幾つも出てくるのが古事記なのです)


そして次に生まれたのが以下の神々です

この神たちは男女が対になっていて、二神で一柱とされ

国之常立神たちを含め、神世七代(かみよななよ)と呼ばれています

夫婦神が六組でも七代とはこれ如何に・・・・? (やはり夫婦神では無かったのか)


宇比地邇神 (ういじに)
須比地邇神 (すいじに)

角杙神 (つのぐい)
活杙神 (いくぐい)

意富斗能地神 (おおとのじ)
大斗乃弁神 (おおとのべ)

於母陀流神 (おもだる)
阿夜訶志古泥神 (あやかしこね)

伊耶那岐神 (いざなぎ)
伊耶那美神 (いざなみ)

イザナギ・イザナミは知っていても、こんなに夫婦神が居たことを

知らなかった日本人は多いと思います

夫婦神がこんなにも居たなら、ほかに神々が産まれていても

おかしくは無いのですが、そこは触れられていません

例えは悪いですが・・・通行人A・Bのような扱いです


宇比地邇神 を祭神として祀る神社

* 二荒山神社 境内 十二社   栃木県宇都宮市馬場通り1-1-1
* 稲村神社  茨城県常陸太田市天神林町3228
* 熊野速玉大社  和歌山県新宮市新宮1
* 熊野那智大社  和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山
* 宮浦宮  鹿児島県霧島市福山町福山2437
* 物部神社 境内 神代七代社   島根県大田市川合町川合1545
* 忌部神社  島根県松江市東忌部町957
* 沙田神社   長野県松本市島立区三ノ宮字式内3316

角杙神を祭神として祀る神社

* 物部神社 境内 神代七代社   島根県大田市川合町川合1545
* 宮浦宮  鹿児島県霧島市福山町福山2437


意富斗能地神を祭神として祀る神社

* 二荒山神社 境内 十二社  栃木県宇都宮市馬場通り1-1-1
* 稲村神社  茨城県常陸太田市天神林町3228
* 穂見諏訪十五所神社  山梨県北杜市長坂町長坂上条1461
* 熊野速玉大社  和歌山県新宮市新宮1
* 熊野那智大社  和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山
* 物部神社 境内 神代七代社  島根県大田市川合町川合1545
* 忌部神社  島根県松江市東忌部町957
* 宅宮神社  徳島県徳島市上八万町上中筋558
* 宮浦宮  鹿児島県霧島市福山町福山2437


於母陀流神を祭神として祀る神社

じつは・・於母陀流神を祀る神社が探し出せませんでした

日本のどこかに在るとは思うんですが、神社の統廃合や

廃仏希釈の影響で不明になっているのかもしれませんし

名前が変わっているのかもしれません

何処か地方の小さな社に祀られていると思いたいですが・・・


伊耶那岐神・伊耶那美神を祀る神社は数多くあります

有り過ぎてここで紹介するまでも無いと思います(笑)



最後に此処までの古事記のあらすじを現代文で紹介して終わります

興味のある方だけ読んでみてください

ただし、今まで書いてきたことと相違する部分がありますが

古事記は一つの解釈だけではなく、一書(あるふみ)によっても

様々な捉え方、解読法が有る事をご承知おきください。


《 昔、天地は分かれず、陰陽も分かれず、鶏の卵のように混沌として、

ほの暗いなかに芽を含んでいた。

やがて澄んだものが靡(たなび)いて天となり、重く濁ったものは沈んで

地となり、その後に神が生まれた。

天地が開いた初めのころ大地は水上に浮いた魚のようなものだった。

そのような時、天と地の間に一つのモノが生まれた。

それは葦(あし)の芽のような形で、やがて神となった。

名を国之常立尊 という。

次に国狭槌尊(くにのさつち)、豊斟渟尊(とよくむぬ)が現れた。

この三柱の神は陽気をうけて現れた男性神である。

次に出現したのは泥土煮命(ういじに)と沙土煮尊(すいじに)、

大戸之道尊(おおとのじ)と大苫辺尊(おおとのべ)、面足尊(おもだる)

と惶根尊(かしこね)、そして伊奘諾尊(いざなき)と伊奘冉尊(いざなみ)

この八柱の神々は陰陽の気によって男女対となっている。

国常立尊から伊奘諾尊・伊奘冉尊までを神世七代という。
 》

◎  貝塚を考える 

貝塚 っていったい何だろう?

この問題を書くには未だ頭の整理と言うか考えがまとまっていない

最期まで考えが到達できるのかさえ不明だ

なんたって長屋の爺の頭なのだから、専門家を超えるなど至難である

素人ならではの疑問から書いてみたい


*貝塚になぜ貝殻が沢山あるのか?

だって貝殻が沢山あったから「貝塚」って呼ぶんでしょ・・

そんな答えが返ってきそうである(笑)

愚問に名答なのは理解できるが、偏屈爺には通じない答えである

私たち現代日本人にとって、貝を食べた後の貝殻は一つ所に集め(埋め)たりして

処分すると言うのが常識であるだろうが

集めたり埋める・・・と言う行為は本当に当たり前だったのだろうか?

未開人などを見る限り私にはそれが当然な行為とは思えないのである


ある説によると、この貝塚は「交易品」を作った残骸だという

貝のむき身を干して内陸に運ぶ商品(交易品)として作ったあとに

残された貝殻を一か所に集め(埋め)たものらしいという


だから~~~

どうして一か所に集めたのかは何処にも触れていないのはどうして

って、思うのはおかしいですか?

その辺にポイ捨てしたって不都合など無いと思うのよね・・・


おそらく人口に比する面積は膨大だったはず

まして定住していたかも定かではない環境で、どうして現代のような

モラルが浸透していたような解釈をするのか疑問なのです



またある説では

祭祀場の跡地ではないかというものもある

祭祀場の跡地だから貝殻が沢山あってもおかしくは無い?

何でも祭祀に結び付ければよいと言うものでもないような・・・

間違いとかそういう意味ではなく、今一つ説得力に欠ける気がします


アイヌ語を観て行くといろいろなことが見えてきます

私がアイヌ語を全部知っているわけではありませんが

貝の名称は知る限り四個くらいで、ほとんどは【ピクシ】という名で総称しています

おそらく「貝捨て場」という概念も無かったように思います

(捨て場は「タウシ」と呼ばれ、名詞の後につけ一つの熟語になっています)

アイヌ文化が縄文を継承しているかどうかは不明ですが

日本の先住民であることは疑いがありません

そういう意味からすると、アイヌ文化には少なからず縄文の名残が継承されていると

私は考えています


規則があったように思える貝塚という遺構も何も語ってはくれませんし

あくまでも現代人の想像と妄想以外には術がないのが現実です

このような宿題の断片をまとめ、一つの仮説ストーリーができたらと

不遜にも考えていますが、素養も才能も無い、ナイナイ尽くしでは・・・・


そして…宿題はたまる一方です(笑)

◎  輪廻と霊魂と神道 

先週の記事で生まれ変われるのなら・・・

そんな事を書いたが、生まれ変わるとは【転生】のことで

【輪廻(りんね)】と組み合わせて使われたりもするが

これは仏教やヒンドゥー教などにみられるもの

その多くは人間として生まれ変わる事を基本とする「転生」といい

動物などに転生することを「輪廻」として使われているようだ


今では輪廻転生で全てを表すようである


ところが・・・私が知っている仏教というのは人間は輪廻転生を繰り返し

留まるような霊魂を認めていないことに気づいた・・・

それなのに、【ご先祖様の供養】と言う言葉を使う・・・

輪廻転生にはご先祖様と言う【霊魂】は存在するはずがない

つまりは死んだ者が生まれ変わるのだから、留まる霊魂など存在しない

のではないだろうか


しかし・・・世界人口は増えているのは不思議であるが・・・


屁理屈に聞こえるかもしれないが、魂を認めず死んだ者は生まれ変わると言うなら

死んだ者は先祖でもなんでもない脱皮した【抜け殻】のようなものだ

自分たちの先祖の供養とか、盂蘭盆会のお迎えとか・・・いったい何なのか?
 



墓にはいったい何が有るのか?

そんな疑問を感じる人はいないかもしれないが・・・


墓地に行けば「**家先祖代々の墓」と墓石が建っている

そこに霊魂は存在しないというのが本来の仏教だと思っている

(日本の葬式仏教では霊魂は其処に居ると説くかもしれないが)

千の風のように「そこにはいない」というのが本来の仏教的考えかもしれない


そこで苦肉の策で考えられたのが、三代遡ればみんな「ご先祖様」という

言い方は悪いが【十把一絡げ(じゅっぱひとからげ)】のような扱いだ


寺(墓)には【魄(はく)】、神社には【魂(こん)】


魄とは「白骨」のことで、魂とは霊のことであり、墓地に霊魂は居なくて

神社に霊魂が存在するという理屈になる

しかし・・・墓地に恐怖を感じる人は居ても、神社を恐れる人は居ないのではないか

この解るようでわからない疑問も、日本の神道の歴史と深い関係がありそうだ

便宜上「神道」と区分しているだけで、その変遷の過程で様変わりしたと

考えれば、視界が開けてきそうである


神社関係者や神道関係者、歴史学者の方々は認めたくないだろうが

やはり神祀りの原型は人ではなく精霊を祀り崇めることから始まったもの

私はそう思っている

争いの無い状態で、上下の差が無かった時代に歴史は存在しない

歴史とは「争いと勝者・敗者」が不可欠だからである

歴史とは言い換えれば、勝者の言い訳であり、正当性を主張することだ

勝者と言う言葉が不適切なら、生き残った者の足跡でもいいだろう


私の妄想だが、太古の時代には諍いや戦争など無かったと思っている

土地を所有すると言う概念が無かったのではないだろうか

海に出れば境界線などどこにも引かれていないし

野や山や川には住民が生きて行くに余りある資源が存在した

別の部族と顔を合わせれば、物々交換や情報交換をし

自然に対する崇敬さえ忘れなければ、争いを起こす必要も無かった


日々の暮らしは豊かとは違い、人口もそれほど増えたりもしなかった

生きて行くだけの知恵があれば、資源はどうにかなったように思っている

感謝の気持ちが精霊信仰(アニミズム)の儀式を支えていたのかもしれない


以前にも書いたが、神社と呼ぶ施設(建造物)はそれほど古い時代のモノではない

それより何倍もの長い時間、精霊信仰は続いていたと思っている

神社に祀られているのは「人格神」であり

本来の日本の信仰思想には無い形だと思える

その思想が徐々に変化し、死者を弔う儀式が発生した

墓にあるのは「白骨」となった先人であり、霊は祀りに集まって来る

墓に埋まっているのは「霊の抜けた殻」であり、魂は自由に浮遊していて

その魂を楽しませるために「祭り」が始まったと考えている

自分達が楽しいと感じることは神さまや精霊や霊魂も楽しかろう

勇者をたたえる歌や踊り、精霊に感謝する歌や舞

先人と過ごした日々の思い出を語り、料理でもてなし酒を酌み交わす

地方に残る記憶が少しずつ形を変え、今に伝わるものもあるだろう

人格神を祀るようになったのは、恐れ・ケガレが起因だろう

おそらく当初の人格神は「祟り神」だと思えるのである。


* キーボードの調子が思わしくなく、此処まで書くのに2時間半

 そういう訳で今日はこの辺で・・・

◎  下鴨神社にマンション 

    下鴨神社マンション、本格着工 世界遺産の緩衝地帯内

 世界遺産・下鴨神社(京都市左京区)のマンション建設計画で、事業者のJR西日本不動産開発(兵庫県尼崎市)は15日、本格工事に着手した。建設現場でクレーン車が音を立てて動き、作業員が出入りを繰り返している。

 計画は、下鴨神社が昨年3月に発表した。21年に1度、境内の社殿を改修する根幹神事「式年遷宮」の費用捻出が目的という。 50年の期限付きで、世界遺産登録された「糺の森」地域から、御蔭通を挟んだ南側の神社所有地約9600平方メートルを貸す。敷地の中央を通る表参道の両側に、3階建て8棟、99戸の和風高級分譲マンションを建設する計画。17年6月末の完成を予定している。

 建設地は世界遺産ではないが、世界遺産周辺の環境を保護するためのバッファゾーン(緩衝地帯)内にあり、市民グループが建設に反対している。

 この日、現場は高さ約3メートルの白いフェンスで覆われ、作業が進められた。宮崎県から来月、左京区に家族で移住する予定の自営業森下純人さん(52)は、クレーンの動きを撮影しながら、「自然と一体となっていた神社の一部が失われるのはたまらない。市民ももう少し関心を持ってもいいのでは」と、残念そうに話した。





これも政教分離とかいうGHQの【負の遺産】かもしれない

伝統・文化遺産を守りたいために、文化遺産を破壊する結果を招いた


景観は所有者よりも、それを目にする者にとって非常に意味がある

どんなに素晴らしい庭園でも、借景の中に無機質なビルがあれば

その価値は消滅してしまう


神社管理者にとって苦渋の決断だったかもしれない

しかし・・・そうまでして残した伝統文化に失望する国民は少なくないはず


神社が日本人の心身の清浄を司るのは、建造物によるものではない

杜の空間と伝統建造物と清浄な空気によるものだと思う

日本人が時間を越えて古(いにしえ)に原点復帰する場所

だからこそ神社に足を踏み入れれば、穏やかに厳かになれる


下賀茂神社が日本の文化遺産と政府が考えるなら

この辺りで「政教分離と神社を区別する策」を考えねばならないだろう


とは言っても、国家神道の大元である宮殿が近代建築では何をかいわんや

宮殿が生活空間と思う時点で伝統も何もあったものではない

日本の皇統とか伝統とか文化とか口では言っても、守るべきものを

護っていない現実がそれらを否定することになってしまっている


宮中三殿に近代的機械(エアコン)など必要ない

其処に居るものが清浄な空気を感じられないから暑く感じるだけ

何処の神社でも本殿はひんやりとした清浄な空気で満たされている

宮殿が伏魔殿に変わったことの証ではなかろうか・・・・


この次に身売りする神社は何処だろう・・・

国が神の寄る辺を軽んじている限り、第二第三の下賀茂神社は出てくる

日本はどんどん荒廃して行く気がする

経済とかグローバルと言う名の悪魔によって・・・・。

◎  食べた話 呑んだ話 

私はグルメや料理、食べ物中心のブログは閲覧を避けている

どうも食べ物・飲み物の話題はしっくりこない・・・


私の家では昔、こういう家訓のようなものが有った

 【食べた話、呑んだ話は、よそ様でするな】 

意味が解らず子供のころに親に問うたところ

「どんなに美味いものでも、食べた本人以外に伝わりはしない」

「食べた呑んだは 自慢 にも聞こえ、相手様に失礼だ」

「同じものを食べた人間にしか伝わらない話題を口にするな」



その時は納得できない説明だったが、この齢になると痛感してしまう(笑)

今の時代、こんな事を言うと「変わり者」「偏屈者」と言われそうだが

美味しい 不味い はあくまでも主観であり、嗜好の違いでしかない


私は元妻に一つだけ止めてもらったことがあって、それは「セロリを食うな」である

セロリが苦手で傍で食べられると、思わず殴ってしまいそうな衝動に駆られた

それほどまでにセロリが苦手なのである

スーパーの野菜売り場でも、セロリの陳列棚は避けて通る

当然ながら市販の「野菜ジュース」はNGである

友人たちは100%「あんな美味しいモノを・・・」とブーイングの嵐

誰が何と言おうと、ダメなものはダメなのである


元妻は今頃、セロリを食べる生活を満喫しているかもしれない(笑)

ちなみに私と元妻が離婚したのは憎みあってではない(念のために一言)

私は結婚してから、ギャンブルも浮気も暴力も一切しなかった

世間で言う「サザエさん家のマスオさん」状態だったw

酒は妻は毎晩、私は盆・正月だけで、諍いの種を撒きたくなくて

必要のない事は口にせず、食後は自室に引きこもらざる得ない環境だった


世の中、当人同士がしっかりしていれば他は関係ないみたいな事を言う

あれは・・・全く「でたらめ」である

詳細は書けないが、日本の結婚とは家と家の結びつきである

好むと好まざるとにかかわらず、なるようにしかならないのである


愛想をつかされた・・・は、ある意味外れてはいないかもしれない

(誰に愛想をつかされたかは?だが)

妻や子に憎まれたり、嫌われた果ての離婚では無かった

妻の作る料理に文句を言ったことも無く、良い亭主・父親では無かったけれど

極悪・最悪の亭主・父親でもなかったと自負している

離婚してからも「トイレの水が止まらない」と電話が来て

一時間かけて妻の住むマンションまで修理にも行った

お茶の一杯も出てこなかったけれど (無私の行いは誰も観てない?)


もし、生まれ変わる事ができると言うなら、元妻と別の環境で「夫婦ごっこ」を

やってみたい・・・・老いた爺のどうしようもない戯言である(笑)

◎  回覧板と老化 

日本の地方では当たり前の「回覧板」

町内会を細分化して「組制度」が残っているところは多いと思う


昔住んだところでは、集合住宅(アパート)の住人は町内会に加入できず

地域情報も知らされず、地域活動にも参加させなかった

ほとんど部落かと思うような閉鎖性を持つ地域だったのである


現在の地域では古き日本の地域環境が残っており、組制度も残っていて

組長は小さな集団のまとめ役であり、回覧板は地域の情報伝達の手段である


私の組の回覧板はお隣Aさんから私に、私からお隣Bさん宅へと受け渡している

ところがお隣Bさん夫婦が二人とも同時に入院してしまったようだ

今日、親類の方が見えて、本人からの伝言だと言われ

「回覧板はBさん宅を飛ばして届けて欲しい」

とのこと、丁寧にも菓子持参で・・・・


そういえば、ここ数日隣家の車が動かないことはなんとなく察していたが

余計なお節介は「古い地域ではご法度」とされ、余計なことには介入しないのが

暗黙のルールになっている


ご近所の中では一番親しくしている御夫婦で、日曜大工で電気器具の取り換えや

台所シンクの取り換え、廊下の照明器具の増設、水道蛇口の場所変更、キッチンの

床の張替えなどを材料費だけて施工したこともある (昔はリフォーム業だったおかげで・・・)


だが、【親しき中にも礼儀あり】で、余計な事をすれば、誤解を招くのが世の倣い・・・

先月、奥様が老齢ゆえの「ボケ症状」が見られ、私と些細なトラブルが起きた


私のいう事はご主人はわかっておられ、奥様にいくら説明しても受け付けなかった

結果として私が言ったような結果で、奥様の「物忘れ」と「思い違い」が原因だった


さらに泥棒が侵入した形跡がないのに、お金が無くなったと言ったり

誰かが窓をたたいて不在を確かめている・・・などと理解不能な出来事を聞かされ

心配はしていたのだが・・・・・

お金はご主人がどうしても買いたいものが有って、奥様自身から受け取っていたもので

「泥棒が窓をたたいた」は窓の外に立てかけてあった棒切れが、窓にあたって倒れたようだ

「老い」とはそういう物なんだろう


他人事ではなく、手や足や体を動かすことが「面倒」になった時がサインだという

寒くて断るつもりだった定例ゴルフだが、やはり参加することにした(笑)

何か指先や体を使う趣味を持たないと「老化」「ボケ」が早いと聞いた

さしづめブログ更新はボケ防止に役に立っているかもしれない

「それじゃあ ブログは止められないな・・・」

支離滅裂、理解不能な記事更新が続いたら・・長屋の爺が「ぼけた」とお察しください

ついでに、更新が3日途絶えたら入院したか孤独死した可能性が高いですから(笑)

死ぬことに躊躇いはありませんが、残された猫(ミコ)だけが心残りです。




DSC_0029-0.jpg



DSC_0036-0.jpg


◎  建国記念の日を迎え 

今日は建国記念の日である

戦前は「紀元節」と呼ばれ、神武天皇が即位したとされる日である

紀元前660年一月一日(旧暦)

新暦の二月十一日にあたる

神武天皇は実在したかどうか疑問視されているが

凡そ記念日や「**の日」と言うものの根拠は曖昧なものが多い

この紀元節はGHQによって、一度廃止されていたものだ

(昭和23年、GHQの命令によって廃止された)

ところが昭和41年(1966年)に日本の祝日として復活した

(つまりは、GHQの命令・決定・強要など覆そうとすればできるのである)

ところがGHQ憲法は一度も変えられていないのだから驚いてしまう

何度も改正したから良いとか悪いという次元の話ではないが

憲法を一度も改正しなかった我が日本は世界でも稀有な国家であることは間違いない

《 この間、アメリカは6回、イタリアは15回、カナダは18回、フランスは27回

そしてドイツにいたっては58回憲法改正が行われている 》


日本が植民地である理由は「GHQ憲法」によって統治されていることだと私は考えている

アメリカが日本の牙を抜く意図で考案されたのが「日本国憲法」であり

帝国思想、民族性を抑え込む意図で拡散助長された社会主義思想・共産主義思想が

アメリカの予想以上に浸透した結果であると思っている



国家の基本的権利が曖昧で、国家存続の危機を回避する手段まで抑えられている

「アメリカが守る」という大前提が揺らいできている今、変わらなければいけないのは

憲法条文と言うより国民の危機意識ではないだろうか

その意識が高まれば、自ずと憲法改正の必要性を国民は熱望するはずだ

政府自民党は姑息な策を弄せず、丁寧な説明・説得を続けるべきである


それにしても・・・日の丸は何処へ行ったやら

ご近所で日の丸が掲揚されているのは我が家だけ・・・・


そんな家庭ではおそらく日本代表に黄色い声援を送る日々を過ごしているのだろう

サッカーやラグビー、テニスにゴルフ、ジャンプにフィギュア、野球など

日の丸を胸に輝く若者たちを観て応援していて日本や日本人の栄誉を望んでいるのに

日の丸や君が代は敬遠する日本人の不思議・・・


思想のバランスが著しく壊れたのが現代人だと私は思っている

祖国を愛することは罪でもあるかのように・・・国旗・国歌を疎んじる光景に

心が痛む思いである


外国の災害には寄付を惜しまない日本人を称賛する諸外国のマスコミ

たしかに日本人らしい心遣いであるが、足元を見れば日本人で救いの手を待つ

子供たちは数多くいるのに、外国にばかり目を向けているように映る

ユニセフのCMを観たことがあるが、脅迫めいた文言に怒りを覚えたことがある

似非慈善家に激しい怒りを感じるのは私が異常なのかもしれないが・・・

これが壊れた国家観に起因するとは誰しも考え無いようである


一に自分、二にお金、三・四が無くて、五に外国人

私たちにとって、三と四に入る言葉は何だろう?

移民問題、外国人労働力、海外現地生産、自虐史観・・・

日本人と日本国は何処へ行った?



それを問いかけているのが【建国記念の日】ではないだろうか・・・・。




* 来る2月22日は「竹島の日」である

(どんな扱い方をするのか千代田に注目したい)

◎  日本の文化・技術は東京に集まる? 

「縄文の女神」県産有機ELで特別公開 展示ケース製作、東博で3月使用

 県は8日、東京国立博物館(東博)の協力の下、県内企業が有機EL照明を活用した展示ケースを製作し、東博で行われる国宝土偶「縄文の女神」の特別公開(3月23日~4月17日)の際に使用されると発表した。製作主体は県産業技術振興機構でケースは東博に寄贈する。国内を代表する博物館で継続的に使用してもらい、紫外線を出さないなどの特徴を持つ次世代照明の認知度向上を図る。

 昨年4月に東博の木下史青デザイン室長らと開発検討委員会を組織し、設計などの検討を進めてきた。ケースは3月10日に完成予定で、高さ220センチ、奥行きと幅がそれぞれ110センチ。ケースの上部と下部に有機ELパネルを設置し、展示品を上下から照らす。パネルは展示品に応じて色や明るさを変更可能。展示台の外装は木製とし、温かみのある雰囲気を演出する。製作費は約1千万円。

 設計・組み立ては岡村製作所(横浜市)の高畠事業所(高畠町)、パネルはルミオテック(米沢市)とパイオニアOLEDライティングデバイス(同)、木製外装は天童木工(天童市)、金属筐体(きょうたい)は不二工業(村山市)、照明器具は後藤電子(寒河江市)、免震装置は東根市に山形工場があるTHK(東京)が担当。今回の「東博モデル」の技術を生かし、岡村製作所が汎用(はんよう)モデルの商品化も検討しているという。

 このほか、既存の展示ケースに後付けする照明ユニットも2台製作し、寄贈する。この照明は特別公開時、縄文の女神と同様に舟形町の西ノ前遺跡から出土した土偶のかけら41点の展示ケースに使用する。

 吉村美栄子知事は定例会見で「東京国立博物館の年間来場者は約190万人で高い発信力を持つ」と説明。県工業戦略技術振興課は「紫外線を出さない、自然光に近いなど、有機EL照明の特徴を生かせる分野で普及を図っていきたい」としている。3月22日には特別公開のオープニングセレモニーを行う。
(山形新聞 より転載)

土偶

タイムリーな記事を見つけた

科学が文化を支える典型かもしれない


それにしても、東京に住んでいれば簡単に実物を観ることが

可能だと言う事を、今更ながら思い知らされる


東京に何もかもが集まる流れはどうすることもできない

地方に住んでいる分、チャンスを逸しているのは現実である


いくら新幹線が整備され、空港が増えても、其処へ足を運ぶには

金銭的・時間的余裕がなければ不可能なのである



かと言って、いまさら東京に移り住むことなど考えられない・・・

と言う事は、これも「天の定め」と割り切るしかない

その時、その場所に居て、足を運ぶ時間と余裕と「気持ち」があった人間は

目にする定めだったと言う事だろう


どんなに長く生きてきても、北海道の土を踏むことが無い人もいる

行く機会を逃し九州に行けなかった人もいるだろう

どんなに信心深くても、四国八十八か所の遍路旅に行けない人もいる



定めと言う言葉で、何処かに着地点を見つけ無い事には、心が騒いだままである

これが人生なのか・・・とは、少々大げさな話だが(笑)

◎  土偶って何? 


1587_2_present.jpg


土偶 と聞くと凡その日本人は「土人形」を連想する

しかし、何のために作られ、何に使われたのかは定かではない

世間で言われていることなど「学者」の理論である


批判を覚悟で言えば、学者の考えと長屋の爺の考えは基本的に同じ

「机上の空論」でしかないのである・・・

【その時、その場所に立ち会わなければ「真実」は解明できない】

書いてあるから事実、書いてないから荒唐無稽ではない

長屋の爺の自論である




今、私の前に「土偶」の写真が載った書籍が幾つかある

それを長い時間眺めていて気が付いたことが幾つかある

土偶は関東から東北にかけて出土していて、西日本では

極めて少ないという

なぜ東日本だったのか?

西日本には縄文人は存在していなかったのだろうか?

縄文時代とは専門家によれば、一万年ほどの期間の時代で

出土している土偶の数は18,000個だそうだ

単純計算すれば一年で20個弱の土偶が作られていたことになる

出土していない者を考えても、その2倍程度作られたかもしれないから

関東から東北にかけて、一年で作られた40個の土偶ということになる

土偶とはいったい何だったのだろうか


私は【土偶】と【土器】と【加工物(珠)】は別に考えるべきだと思っている

神話で有名な「出雲」では土偶は数少ない出土品なのだ

それも東北で作られたものがいくつか出ているらしい

珠(まがたま)は数多く出土し、銅剣類も特出して多い

神話の時代から続く「出雲」では土偶は特別なものでは無かった

そういう解釈ができる

では東北~関東では特別なものだったのだろうか・・・

だれでも簡単に作って飾っておくようなものでは無かったような


その土偶を観ていて気づいたことがある

土偶にも種類というか傾向があって、正面の姿がわりと平面的なものと

立体的で顔が正面を向いている物に分けられそうだ

その中には・・・顔が上を向いている物が多くある

その視線の先には何が見えていたのだろうか・・・


そしてもう一つ、土偶の腕の形である

人形でも絵画でも、人間の腕は体から離れているとは限らない

ぴったりと体に張り付いているように見えたり、体に沿って同体化

していてもおかしくは無い気がする

ところが、土偶は必ずと言って良いほど【腕が体から離れている】

もっと言えば、脇が開いているとでもいうのか体に触れていないのである




土偶 20150514-OYT1I50034-L_20160208233641815.jpg

thTR4N3OVP.jpg 土偶2

middle_1350257652.jpg


理由はわからないが、視線と腕の形には何か意味がある気がしている

制作された数の少なさと土偶の形の意味するものは重大な鍵なのではないか

そんな事を考えている

完全な形で出土することが少ない「縄文土器」に比べてかなりの数が原型を

留めて出土されている

th4VRCSVQ7.jpg


th8WANLP0O.jpg th24WRAK6C.jpg


私が思うに、飾り物や人形では無かったのではないか

当然ながら芸術作品でもなかっただろう

全てが仏像のような崇拝の対象とも考えられない

謎ばかりでちっとも先に進まない爺の思考・・・

もう少し勉強する必要がありそうだ・・・


ボールを使う競技だから【球技】と区分されているが

それぞれスポーツ・競技には明確な違いがあり、決まり事がある

我々が「土偶」と言っている物にも、違いがあって用途も起源も異なっていた

そうは考えられないだろうか・・・・

私たちが傲慢にも古代を「未開」「未発達」「未成熟」と決めつけて

居るだけかもしれないし

今以上に「思想」「社会性」に評価すべきものが有るかもしれない

長屋の爺の妄想・空想は際限なく膨らむのである。

◎  神話は歴史・文化 


三つ子の魂百まで… 奈良の保育園児が「古事記」テーマに演劇、日本の歴史と文化に親しむ 

 奈良県河合町の西大和保育園の園児が「古事記」をテーマにした演劇などを披露するお遊戯会が6日、王寺町の白鳳短期大学体育館で開かれた。日頃の練習の成果を見せる園児たちの姿に、集まった約400人の保護者らは大きな拍手を送っていた。

 お遊戯会は平成23年の開園以来、毎年開催し、今年で5回目。同園では子供たちに日本文化への理解を深めてもらおうと書道、茶道、剣道などの伝統文化を教えている。日本の成り立ちについての歴史にも親しみ、お遊戯会のために約1カ月間、神話の朗読も行ったという。

 この日は4歳児の年中クラスの園児30人が大国主命(おおくにぬしのみこと)が根堅州国(ねのかたすくに)で須佐之男命(すさのおのみこと)による試練に耐え、須勢理毘売(すせりびめ)と結ばれるまでのストーリーを、古代風の衣装を身にまとい、元気いっぱい演技した。

thKE0046C9.jpg

感心したり驚いたり・・・

大国主命を題材にするとは「あっぱれ!」である

まだまだ、この日本も捨てたもんではないと思える話題だが

それにしても、大国主命を扱うのに、因幡の白兎ではなく根の国が

舞台とは・・・・ 恐れ入ったw

(因幡の白兎はすでに上演したのか?)

thKQ81AMEZ.jpg


真実とか根拠とか堅苦しい基準では神話は語れないもの

何処の国にも、どの民族にも「神話」というものがあり

どう伝えていくかが大切になる

神話を誇張しすぎれば荒唐無稽な夢語りになり

神話をスパイスとして大事にすれば、心の滋養になる

半万年の歴史とか、数千年の歴史という時間ばかり強調すれば

卑しくも聞こえ、中身の伴わない軽薄さが際立ち、不憫にも思える

「こういう神話がありますと伝える大切さ」

「神話が育む日本という国」

何を題材に、何を伝え、何を育むのか・・・

これからも大事に守ってほしいと願う長屋の爺である




そんな神話による情緒教育があればこそ、更なる育みの場が必要になる

 【関西の議論】
「神話が息づく学び舎」神社神道の浪速高・中学…「古事記の世界」を表現した校舎 校内にはシンボルの神社




神話から【神道】へ・・・ 


日本人にとって神道とは信仰ではない

日本人の身に備わった【体質】ではないだろうか・・・


神はけっして遠くにはいない

自身の身の内、気持ちの中に居ますモノ


「気づき」ができるように、神を身近に感じることが

神話を知ることかもしれない

神を信じるとか信じないとかではない

日本人にとって、神とは如何なるものかを気付くこと

それが神話であり、神であり、祀りであって、祭りなのではないか



稚拙で優等生的な表現であるが、私はそう考えている。

◎  縄文の大地と母 


私はこのところ暇さえあれば縄文に思いをはせている

平安も平城も飛鳥さえ超えて、古代縄文時代を考えている

おそらくこの先どんなに優秀な考古学者でも縄文の謎を

解くことは無いだろうと思っている

現代人の思考や理論では解明できない事が多すぎるからである


なぜ人間は死んだ者を土に埋めたのか?

土偶とはいったい何だったのか?

貝塚はゴミ捨て場だったのか?

ストーンサークルとはいったい何?



数少ない文献を読んでいても、納得できるものが無い

当然ながら無学の爺にはハードルが高いわけである



最初は、人間はどうして穴を掘って死者を埋葬したのか・・・

土葬とは何だったのだろう

「土に還る」とよく言われる言葉だが、人間は土から生まれて

来たわけでは無い


それなのに「土に還る」と信じる発想は何処から来るのか?

長屋の爺の頭の中は、その事で数日いっぱいである(笑)


俗説と言われるものを全否定しなければ先には進めない

本当にゼロからの始まりである


自分が文明とは無縁の山中に暮らしていて、誰かが死ねばどうするか

まったく考えが浮かばないのである

埋葬すると言うのは既成概念であり 知識が「そうせよ」と導いているが

愛する者の命が尽きたとき、人は何をしようとするだろうか・・・
 



埋葬の概念がない時代、どう考え、どう行動したのだろうか

いくら考えても思い浮かばないが、ひょっとして神祭り、自然崇拝を基準に

するとしたらどんな行動になるのか

人間以外全てのモノに神(精霊)が宿るなら、その神に託すのではないか

そんなことを漠然と考えてみた


天が父なら、大地は母・・・これとて既成の概念だろうが (笑)

樹木が倒れ、その上に新しい芽吹きが出る

生きとし生けるものは最期には朽ちて新しいものの元になる



滅んだ肉体は神に返し、新しい生命を願ったのかもしれない

草木や樹木が芽生え成長する「土壌」こそ生命を産む母として

観ていたのだろうか・・・

その母の元に役目を終えた死者の肉体を返したことが【埋葬】の起源

かもしれない


古代の埋葬跡(墓穴)は「円形」「楕円形」に掘られていると言う

どうして丸かったのかも謎である・・・

土に穴を掘ったことがあると理解できるが、大きく丸い穴を掘る事は

結構大変で、むしろ四角い形に掘るほうが楽なのである(私だけか?)

無意識に掘ったら結果的に丸くなったとは思えないのだ・・・

太陽が「男性」「父」を象徴するならば、月は「女性」「母」を象徴する

命の誕生と消滅は月に委ねられている

月が母であり、大地(土壌)が母であるなら、母なる大地を丸く掘ることは

当然の事だったのか

埋葬とは単に死者を埋めることでは無かった、母に見立てた母体に還すこと

そう考えれば、多少なりとも納得できる気がする


おそらくこの過程でも、現代の概念が影響した論理になっていそうだが

長屋の爺ごときが考えつくことには限界がある

取り敢えずはこういう中間結果で次に行こうと思っている

つぎは「土偶」である・・・どうなることやら(笑)

         つづく

◎  節分 

節分の豆まき

季節を感じる日本の風物詩・伝統行事ですね

本来は節分は「季節を分ける」という意味で、立春、立夏、立秋、立冬の

前日の事
を言った、つまり年に4回あったのが、旧暦では春が一年の始まりと

考えられていたため、節分といえば春の節分を指すようになったそうだ


ではなぜ?  豆をを撒くのだろうか

一説によれば、季節の変わり目には鬼(邪気)が出るとされ

豆を投げて追い払う風習が各地にあった

また、鬼が入り込まないように「柊(ひいらぎ)イワシ」を玄関先に飾ったり、

神様がいる方向に向かっ願い事をしながら恵方巻き(太巻き)をかじるという

習わしも一般的になってきた

柊イワシの意味は、柊の棘(トゲ)が鬼の眼を刺し、イワシの頭の匂いで

鬼を祓うという事らしい・・・

まるでドラキュラの「ニンニク」「銀の楔」のようである(笑)


最近ではコンビニの商業戦略に乗せられて、恵方巻が注目されてきた

七福神に因んで七種類の具材を巻くのが良いと言う・・・

特別悪い事でもなし・・・批判することは避けようと思います(笑)


私の子供のころの豆まきでは、子供たちが全員、蓋付きの「空き缶」を

手に持ち、父親が撒く豆やキャラメルなどを好きなだけ拾い集める物だった

その後、豆や飴は子供たちの貴重な「おやつ」になったのである

物が少ない時代、貧しい家庭だったが、どんな時も父親は年中行事を

疎かにはしなかった

今の時代「炒り大豆」を床に撒くことも、大豆そのものを食べることなど無いだろう

自分が子供の時代には、大豆と共に殻付き落花生も混じっていた

明治のミルクキャラメル、オブラートに包まれた菓子類もあったと記憶する

「年の数プラス一個」などという制限も無く、その後数か月の貴重な「おやつ」だった

当然上の兄姉たちは早々に無くなってしまい、弟妹から「騙し取る」攻防が繰り広げ

られたのである(笑)


◎  ブログ閲覧とコメントの難しさ 

節分過ぎれば日が昇る

毎日 毎日 お さ む ぅ ございます(笑)


私は毎日のように「よそ様」のブログを閲覧する

FC2 Goo 他いろいろ 30を遥かに超える数だ

閲覧するだけで凡そ一時間はかかることもしばしばだ

基本的にコメントすることは稀である

一か月でコメントするのは片手で足りるほど・・・


私の場合、あとで後悔したくないので、言いたいことは

自分のブログで「やんわり」とその話題に沿った記事を書く

ところが、その枠にはまらない話題ではストレートなコメントを

残すことがあり、思わぬ誤解、齟齬をきたすことがある


何気なく私はこういう「漢字」が好きですと書くと、その文字を

強要しているかのように受け取られ、驚いたことがある

ある方が「雅号」がまだ決まっていないとおっしゃるので、

止めておけばよいモノを、爺は「こういう字がありますよ」と

余計なお節介コメントをしてしまった

ところがその方は既に意中の雅号があって、ほぼ決まっていたようだった

私としては「そうなんだ・・・余計な事かいたな」と反省しきりだったが

相手の方は平身低頭みたいな謝罪を返してきたのである

そんな大げさな話になるとは思っていなかった長屋の爺

軽い気持ちで「何かの参考になれば」というコメントだったのだが・・・


口は禍の元・・・という経験だった

それ以降、気まずさばかりが先に立ち、訪問も足遠くなり、疎遠になってしまった

自分よがりのお節介コメントであって、謝罪されることなど何一つないのだが

あまりにも丁寧すぎる謝罪に、こちらの「非」を問われているようで・・・

本当に残念な結果になってしまった

元々、「鬱」の体質でそういう事が起きるとかなり「落ち込んでしまう」

コメントしようとすると、その時の感情がフラッシュバックしてきて

閲覧が苦痛になる事もある

できるだけ傍観者になろうとするのだが、どうしても感情移入するケースも出てくる

とにかく閲覧もコメントも「難しさ」を痛感してしまう



私は挨拶さえ忘れずに書いてあり、当たり障りのない(他の閲覧者に不快でない)

HNが記載されたコメントは大歓迎である

以前は悪意のあるコメントや頓珍漢な不快なコメントも数多くあったが

最近は非常に少なくなっている(当然、即削除するが)


コメント欄を開放していないブログなどよく見かけるが、それも一つの姿であり

部外者がどうこういう事でもない

コメントが多いブログ主さんはどれだけ「労力」を使っているのか・・・

尊敬に値するといつも感心している (私には処理できないだろう)


最近多くなったコメントは、「名無し」「挨拶なし」で、まるでツイッターのような

言いたいことだけか書いてあるコメントだ・・・

人の家に来て、チャイムも押さず(挨拶無し)、名乗りもせずに(名無し)いきなり

本題を自分の都合で云い放ち、さっさと引き上げる不審者のような振る舞い

これだけはいただけない・・と切実に感じている


そういうコメントが多いブログには、できる限り私はコメントを残さないようにしている

(私が入れない世界のような気分とでもいうのか?)

閲覧はしてもコメントはしないブログでも、興味があり得るものが有るから再訪する

観るブログ 入り込むブログ 状況によって一概には選別できないが

ブログを閲覧するのも、閲覧してもらうのも、エネルギーが必要ということだろう

書きたいときに書きたいことを書いて、観たい人が観たいときに訪れる

そんなブログが続けられたらそれで良い


このブログを始めてからもう少しで3年になる

ブログとは、特別有意義な事を書か無ければいけないわけでもない

自分が自分の体の外に向かって出す「音の無い声」である

どう思われるか、どう感じられるのかなんてのは、論外だと思っている

価値観、興味、嗜好は千差万別、十人十色である


このままの形で、あるいはちょっぴり変えながら、歩いて行こうとふと思った・・・

そんな寒い夜である。


back to TOP