不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  感謝 

a1180_006976.jpg


今年一年は本当にお世話になりました

ときには傲慢な物言いで、ときには頑なな持論で武装して

皆さまに不愉快な思いをさせたこともあったと思います

と言っても、この齢で変われるわけも無く・・・

来年もこんな調子でブログを続けていこうと考えています


皆さまにとって 明くる年が佳き年でありますように・・・

有言・無言で応援してくださった訪問者の方々に心から感謝いたします




blackDevil0.jpg



来る年も変わらぬお付き合いのほどお願いいたします

長屋の爺 
スポンサーサイト

◎  一年の感謝をこめて・・・ 


今では当たり前すぎる言葉

「この一年の感謝をこめて」

企業や商店などが息をするように発する言葉だ


なぜこの言葉を使うのだろう?

心の底から「感謝」しているからというのは表向きに過ぎない

なんていうと、顰蹙を買いそうだが・・・


柔らかく言えば、「お客様は神様」を素直に表現しているから

神さまとは「感謝」するものだから、至極当然ともいえる(笑)


では、私たち日本人は神さまに対し、「一年の感謝」をこめて

参拝しているだろうか・・・

大多数の日本人は「願い事」のために神社に参拝するのであって

感謝を表すために参拝する人は稀(まれ)である


一年いろいろなことがあっても、生きていることに感謝しているだろうか

私はこのブログを始めてから毎朝、神棚に向かって無事に朝を迎えたことを

感謝している

優等生的な考えと思われるだろうが、私は少しばかり世間で言う「波乱万丈」の

人生を歩んできた

今、生きていることにしても多少なりとも不思議な気持ちでもある

ブログの中の長屋の爺は現実の10%か20%くらいだろうか・・・


不幸の安売り、不遇の押し売り、不幸自慢は嫌いである

順風満帆な人生を送っている人間など居るのかどうか・・・

差こそあれ喜怒哀楽は有って当然だし、悩みや不安など

無い方が気持ちが悪いではないか・・・


泣いても笑っても、怒っていても年は変わる

来る年が穏やかでありますように

一年を振り返り、過ぎし一年に感謝をこめて

明日は今年最後のお参りに行こうと思っています。

◎  マナーより、先に改めるべきことない? 

わがまま勝手な参拝で神社悲鳴…ご神木に抱きつき、川に投銭 マナー守って初詣を

【産経新聞】 より


「神域の木に抱きつくと御利益がある」「ひんやりした感触がパワーを感じる」。神話やパワースポットブームで、全国の神社のご神木などに抱きついたりする参拝者が増えている。インターネットなどで“勝手な”参拝方法が広まり、ヒールで根が踏まれるケースも。木の生育への影響が懸念され、神社も頭を悩ませる。もうすぐ新年。マナーと思いやりをもっての初詣を−。(佐々木詩)

まことしやかに流れる噂

 今年の三が日に約42万人が参拝した三重県伊勢市の伊勢神宮。平成25年に行われた20年に1度の式年遷宮を機に「パワーがアップした」と、ネットなどで特に話題となった。「○○前の巨木」などと、木を特定する話もまことしやかに広がり、樹皮が薄くなる杉も見られるようになった。

 神宮司庁広報課は「木に触ると落ち着くという方もいらっしゃるので禁止はしませんが、『御利益がある』というのは神宮にもともとあるお話ではないので」と困惑する。

ネットで広がったストーリーで、参拝者が数十倍に

 静岡県掛川市の事任(ことのまま)八幡宮は、「願うことのままかなう」とネット上で広まり、かつて数十人程度だった1日の参拝者が、多い日で千人近くに急増。願い事をかなえようと、鳥居脇の樹齢500〜600年のクスノキに触るようになり、ヒールで根を踏む参拝者もみられたため、木の周りに柵を設置した。

 木に触れるという何気ない行為。しかし、「最悪、倒木の可能性もある」と指摘するのは大阪府河南町の樹木医、古川元一さん(63)。「多くの人が木に近づくことで土が踏み固められ、十分に水や養分が吸収されなくなってしまう」とし、「枝の先に立って、葉が発した新しい空気を吸い込むだけで、木のエネルギーに触れることができる」とアドバイスする。

 参拝での迷惑行為といえば、「投銭」も。伊勢神宮では初詣になると、五十鈴川への賽銭(さいせん)の投げ入れが相次ぎ、川底が見えなくなるところもでるほど。もともと身を清める神聖な川で、投銭をやめるよう呼びかける立て札を設置したが、効果は薄いようだ。同神宮はビニール製の網を川底に敷き、一度に回収できるよう対策をとった。

日本人らしい思いやりもって

 伊勢神宮の案内ガイド養成などを行う「世界のきずな文化交流協会」(三重県志摩市)の塩本智幸副理事長(57)は「日本人らしい思いやりの心を持って、穏やかにお参りしてほしい」と話す。



申し訳ないが、私はこの「パワースポット」という言葉が大嫌いである

身の回りにある自然のパワーも感じ取れない人間が、何処へ行こうと

パワーなるモノには無縁だろうと苦笑している

霊威とかスピリチュアルとか、「流行の半纏 着なきゃ損」みたいな風潮

に嫌悪感すら覚えてくる

自分さえよければ・・・

その感覚はいつのころからなのだろう?

他人を思いやれない「オレ様」日本人が増殖し

権利ばかりを主張する

しかし・・・考えてみれば、各神社サイドにも問題の根っこはある

「ご利益」「願いが叶う」などと、善男善女を煽っておきながら

迷惑とは勝手な言い分に聞こえてしまう

誇大広告は厳しい目で観るくせに、根拠のない宣伝文句には

神社庁も知らん振りする姑息な対応である

此処にも「大人の事情」と「したたかな目論見」「商売根性」が

見え隠れする・・・

神社は願う場所ではなく、感謝する場所と思ってほしい

爺ごときがここで力説しても、世の中あいも変わらずと言う事で・・・

この一年も終わろうとしています


何かの手違いで、氏神様と皇大神宮の「お札」が来ていません

明朝、氏神様へ行ってお札をもらいに行かなければ・・・

神主さんは通いなので「逃がしたら」、くる年はお札無しの神棚になります

やれやれ・・な年の瀬ですわw

今日もかなり冷え込んでいます

お風邪などひかれませぬように・・・・。

◎  門松であり、門松でない 


門松ではなく「杉盛」で…松倒れ社殿壊れた伝承

新年を前に、神戸市中央区の生田神社で27日、地域繁栄や五穀豊穣ほうじょうを願う正月飾り「杉盛すぎもり」(高さ約3・5メートル)が据え付けられ、迎春準備を整えた。

 神職や巫女みこら約30人が午前8時半頃から、杉の枝約2000本を木の柱に巻いたわらに差し、縄で固定。上部にはサカキの枝、5束のススキの穂を飾り付け、楼門から伸びる13本のしめ縄を結んで約2時間で完成させた。

 同神社は、水害で松が倒れて社殿が壊れたとの伝承から門松は置かないという。六車勝昭宮司(67)は「来年は申年さるどしなので、今年に勝るまさ一年になればとの思いで参拝客を迎えたい」と話していた。

2015年12月28日 Copyright © The Yomiuri Shimbun


2015・1・5当ブログ 門松立てて祝う意味 でも取り上げた話題である

こちらのほうが詳しく書かれていて、あらためて納得してしまった


文字と言うのはその姿かたちまで想像させる力がある反面

名前とは別のモノを表すことがあり、思い込みや勘違いの基となる事がある


【寝所(しんじょ)】

この文字を見ると99%の人は「ベッドルーム」を連想します

しかし、【寝】とは祖霊を祀る祭壇の事で、聖なる場所の事です

その家の祖霊が祀られている一番大事な場所で、清きところでもあります

どういう経緯からか 寝所=寝間 という常識が固定化されました(笑)


【東(とう、ひがし)】

この文字は方角を表す文字として定着しています

ところがこの文字、本来は「上と下を紐で括りつけた袋」のことで

なぜか日の昇る空の方向を示す「方角」として決められたようです

漢字の「謎」と言う事でしょう


【西(さい、にし)】

これも方角を表す文字ですが、これも東と同様に方角とは

関係の無い文字でした

西という文字は「粗目(ざらめ)の籠(かご)」の事でしたが

どういう訳か日の沈む空を指す「西の方角」の意味になりました



「生(せい)には父(ふ)と云ひ、母(ぼ)と云ふ、死には考(こう)と云ひ

、妣(ひ)と云ふ」



子が男親を呼ぶときは生きているときは、父といい、母親を呼ぶときは

母という、しかし、老いて亡くなったときには、それぞれ考といい、妣という



「礼記(らいき)」という礼儀を著す古典に書かれている言葉である


私の私感であるが、孝行(こうこう)とは何も生きているうちにしなければ

ならないと言うのはちょっと違うかな・・・などと都合の良い解釈をしている(笑)

年老いて亡くなった親が【考】であるならば、供養してやることこそ「孝行」なのか

そんな自分勝手なことを考えている


「ひのくに」と、音で聞けばどういう文字が目に浮かぶだろう

日の国 火の国 というのが通常だろうが・・・


妣の国 と書けば、亡くなった母の国、母の故郷と言う事になる

私の母の故郷は「北の国の釧路市」である

霧が発生する事が多い港町だ

生きているうちに訪れることができるか疑問だが・・好い街である


御多分に漏れず長屋の爺も30年前、40年前のことを思い出すように

なってきた、あそこの町はどうだった、あの店のラーメンは美味しかった

などと・・・とりとめの無い事をボンヤリ思う事がある

これが「老い」なのだろうとは承知しているが(笑)


  門松は冥土の旅の一里塚 

           めでたくもあり めでたくもなし


                    (一休宗純 作)

◎  昨夜の家康公生誕400年祭 

家康公生誕400年祭 フィナーレ



家康しのぶ、地上の天の川…岡崎「四百年祭」

 徳川家康の没後400年を記念して1年間開催されてきた家康公四百年祭の最後を飾るイベントが、家康の誕生日にあたる26日、愛知県岡崎市の岡崎公園一帯で行われた。

 フィナーレでは、LED(発光ダイオード)で青く光る3万個の球「いのり星」が、集まった市民500人の手で岡崎城下の乙川に流されると、ゆったりと漂う光の帯が現れ、地上の天の川を演出した。

 この日、家康ゆかりの静岡、浜松市の関係者らを乗せた臨時急行「東海道トレイン家康号」がJR岡崎駅に到着。市内のホテルで行われたエンディングセレモニーで、川勝平太静岡県知事、田辺信宏静岡市長、鈴木康友浜松市長、内田康宏岡崎市長らが、「家康公顕彰の取り組みを一過性のものとすることなく、地域の魅力向上に取り組む」などとする「岡崎宣言」に署名した。

 中心街では夕方から市民約6000人がちょうちん行列を行った。15万球のLEDで飾られた岡崎公園では、岡崎城天守閣を舞台に、光と音で家康の生涯を表現するライティングショーが催された。

2015年12月27日 Copyright © The Yomiuri Shimbun



これほどの催しとは思わず昨日は出かけなかったのだが

後から観ると・・何とも残念であった

「家康公顕彰の取り組みを一過性のものとすることなく・・・」

というくらいだから、来年も開催すると有りがたい


不確かだが、当日先着で千円を支払うとLEDを流すエリアに

入ることができると聞いたが・・・

車で行っても駐車する場所も無いだろうし、寒さと人混みは

大の苦手だから、無理な話だったかもしれない(笑)


【納車】

取り敢えずの車(ポンコツ軽)が今日納車された

保険の切り替えも無事済んで明日から「ドレスアップ」に着手する

その合間を縫って「正月の買い出し」をする予定である


雪が降っている地域もあるようで、雪とあまり縁の無い土地に

暮らしていると、雪の苦労が無い事の有難味も感じなくなってしまう


空に太陽が有る事の「当たり前」に慣らされた現代人

古代に返って「日」の有りがたさを思い起こすべきなのだろう


現代の「異常気象」も自然に対する感謝を忘れた者への

天からの【警鐘】のような気がしてくる


月に行った人類でも、火星に行こうとしている人類でも

その恩恵を否定することなどできないはずだ

朝起きて東の空に太陽が有る事に感謝する気持ちは

これからも大切にしていかねばならないと、つくづく思う

今日この頃である。

◎  とりあえず 更新 

今日12月26日は徳川家康公の誕生日

家康公生誕400年と言う事になるのだが

意外とその事実を知らない人は多い事と思う

知らなくて何か不利益を被る事でもないし・・・

年末の忙しい時期なので、失念してしまう事になり

ちょうちん行列でも見物に行こうかと考えていた爺だったが・・・

そんな予定もどうなったやら・・・(笑)


とにかくなんやかやと気ぜわしい年の瀬である

未だに「しめ縄」や「正月用品」を買いに行けない爺である

来週はどんなに込み合おうとも行くつもりでいるが

とにかく「人込み」が苦手で、人間の頭の数を見ただけで

気分が悪くなってしまうのだから困ったものだ・・・

観光地や混雑する場所に行くのを敬遠するのはそれが理由である



田舎で一年間に観る人間の数より、東京で一日に見る人間の数の方が

多かったことに「肝をつぶした」人間である

よく東京で暮らしていられたと、今更ながら不思議でしょうがない爺なのだ

もう一度東京で生活を・・と言われたら即座に断るだろう(笑)


そんなわけで初詣も「七草」を過ぎてから行くのが通例だ

今年も、それまでは近くの神社で済ませようと決めている


どういう訳か今年は年末気分も全く感じず、どうなっているのか・・・

うかうかすると年を越してから気づくのでは・・などと、馬鹿なことを思ってみたり

ブログの更新も落ち着かなくて戯言しか書けそうにない

年内に何回の更新ができるかは未定ですが、できる限り更新するつもりで

おります

明日から寒さが厳しくなりそうとのこと、風邪などに用心してください

◎  伊勢神宮とスヌーピーのコラボ? 

 スヌーピー茶屋オープン 「伊勢文化との融合楽しんで」

 【伊勢】伊勢市の伊勢神宮内宮前のおはらい町に二十三日、人気キャラクターのスヌーピーをモチーフにした和カフェ「スヌーピー茶屋」がオープンした。初日のオープニングセレモニーには、スヌーピーが法被姿で登場し、大勢の来場者を喜ばせた。

 全国の観光地で土産物の販売などを手掛ける寺子屋(京都市)が、「スヌーピーを通じてくつろぎや癒やしの場を提供したい」と、大分県の由布院店に続いて出店した二号店。

 店舗の広さは百平方メートル。外観や内装に白木を使って伊勢の伝統的な町並みを表現し、窓の格子や欄間にスヌーピーのデザインを取り入れたほか、店内のクッションやパネルは伊勢木綿を使用。席数は六十席あり、ゆったりと和の空間を楽しめる。

 メニューはスヌーピーをかたどった和風オムライスやまんじゅう、伊勢うどん、抹茶あんみつパフェ、ほうじ茶ラテなど約五十品で、和菓子は自社工場で製造したこだわりの商品を提供。併設のショップでは、伊勢木綿のバッグやポーチなどの限定商品とスヌーピーグッズも販売している。

 セレモニーでは、寺子屋の海蔵講平社長ら関係者四人がくす玉を割り、スヌーピーと一緒にオープンを祝った。

 海蔵社長は「伊勢の伝統的な食文化や工芸品とスヌーピーとのコラボを進化させて、皆さんに楽しんでもらえる店づくりを頑張っていきたい」と話していた。
 


 営業時間は午前十時―午後四時半。年中無休。

th292US175.jpg


キリスト教徒ではない長屋の爺にはこちらの話題がシックリくるようだ

天皇家の祖神などと言う話みたいなものはどうでも良い・・・


今の日本人にとって神さまと向き合える貴重な空間であることのほうが

何よりも大事な気がしてくる

とくに今の日本人は「正月」だけが神社を思い起こす時期になっている

普段から神社に慣れ親しんでもらう方がどれだけ有意義な事か・・・



来年の正月三が日は皇室の事は思い出さないで過ごしたいと考えている

駅伝三昧が恒例の長屋の爺

例年、お笑いも歌もニュースも観ずに、駅伝だけを楽しんできた

朝遅く起きて 湯に入り 酒を呑んで 駅伝観戦 そして「うたた寝」する

朝寝 朝酒 朝湯 を楽しんだのは「小原庄助」だったか・・・

つぶす身上(しんしょう)もない貧乏爺だが

気分だけでも「庄助さん」になっても良いだろう


本年も残された日も少なくなってきた

個人的には、明後日に次のポンコツが納車される予定で

その後車に時間を取られそうなので、慌ただしい年の瀬になりそうだ


ポンコツ自動車をいじるのは、満身創痍のけが人を介抱・手当する

人間になった気分である

綺麗になったり、調子よくなったり、輝いて見える瞬間がたまらない

新車ばかりを乗っていた時代や、他人任せで修理していた時代には

感じられなかった感情である


門前の小僧は何処まで行っても「門前の小僧」であるが

素人でも「やる気」さえあれば、大概の事は何とかなる

人生も同じ「ケセラセラ」・・・

何とかなる気がしてくるのは、私が馬鹿なせいなのかもしれないが(笑)






miko-5.jpg


寒くなりそうです 暖冬と言って油断されませんように・・・

皆さま御慈愛ください  (長屋の爺) 





◎  今日は祝日 天皇誕生日 

今日は天皇誕生日

玄関先の日の丸も雨に打たれて悲しげであった




th_201512231756373fc.jpg


 「本当に痛ましい」声震わせ=天皇陛下、戦没船員思い

 82歳の誕生日に当たっての記者会見で、天皇陛下が太平洋戦争中に旧日本軍に徴用された民間船の船員が多数犠牲となったことについて、声を震わせながら話される場面があった。

 会見で陛下は、この1年の出来事について述べた後、戦後70年に当たり、戦争の話題を切り出した。戦争で民間人も含め多くの人命が失われたことを「非常に心が痛みます」と述べ、戦没船員の話題に及ぶと、声が震え始めた。

 陛下は幼い頃、船の絵はがきを見て楽しんでいたが、それらの船のほとんどが撃沈されたことを後に知ったと吐露。声を震わせながら「制空権がなく、輸送船を守るべき軍艦などもない状況下でも、輸送業務に携わらなければならなかった船員の気持ちを本当に痛ましく思います」と話し、感情が込み上げてきた様子だった。

 6月に神奈川県横須賀市で行われた第45回戦没・殉職船員追悼式の際には、亡き船員を思い、「戦没船員の碑」に供花したと述べた。
 (時事通信より転載)



この会見を聞いてどう感じたかは個人の判断である

私はこのような発言が出る予測はしていたが、大きく落胆することは

最近は無くなってしまった


一つだけ言わせてもらえば、輸送船、徴用船といえど戦時下である

好むと好まざるとにかかわらず、そういう事態も避けられなかった

そういう感想を持っている


そして、陛下がそこまで言及されるなら、どうして靖國に足を運ばれないのか

竹島不法占拠の際に犠牲になった日本人漁民の方々に思いがいかないのか

それが残念で仕方がないのである


戦争後であり普段の生活をされていた漁民にどんな非があったのか?

陛下は思ったことが有るのだろうか・・・





天皇と言う立場で特定の国民の死について発言されることの是非について

私ごときが口にすべきではないだろうが、どうも最近の陛下の言葉には

平らけき御心が損なわれてきているように感じてしまう

自らの意思なのか、誰かの思惑なのか・・・・


ふと、こんな言葉が頭をよぎった・・・


雌鶏(めんどり)勧めて雄鶏(おんどり)時を作る


これが高じれば皇室の存続にも関わる気がして・・・

雌鶏歌えば家滅ぶ にならぬことを危惧する長屋の爺である

◎  正月と神社としめ飾り 

もういくつ寝ると お正月~♪

お正月と言えば【しめ縄・しめ飾り】ですが、これを不思議に思わない人

けっこう身近にもいるんですよね

しめ縄の由来は天の岩戸にアマテラスが隠れた話が起源と言われています


素戔嗚の乱暴に怒り「天の岩戸」に隠れてしまったアマテラス

そのせいで世界は暗黒の世になったと言う、そこで八百万の神々は

岩戸の前で乱痴気騒ぎを始めたところ、アマテラスは何事が起きているのか

気になって岩戸を開け覗こうとしたとき、外に引っ張り出され、神々は

再びアマテラスが岩屋に逃げ込まないようにと、しめ縄で岩戸を縛って

しまったという話が元となっている


この話にはとても大事な事が含まれています

通説では「しめ縄」は不浄なものが入らないようにするためのは【結界】だと

言われています・・・

この話が本当ならアマテラスは「不浄な神」ということになる


俗説にはこういうものがあります

天の岩戸の神話になぞらえて、一度家の中に入った神様が外へ出て行かないように

するためのものだとも・
・・



出ていけないようにするため?

入れないようにするため?

私はどちらにしても「入れない」「出れない」というのは【封印】だと思っています

なぜ「大切な神さま」を外にださないのか・・・理解できますか?

私はまったく理解できません!


こう考えれば何かのヒントになるかもしれませんが

家の玄関から「魔」「邪神」が入らないようにするならば、玄関だけで良いの?

神さまを外に出さないようにするのに玄関だけで良いの?

陰陽師でも結界を張るために、家中の出入り口に「お札」を貼り付けます

「耳なし芳一」でも体中にお経を書きましたよね・・・

俗説は長屋の爺の疑問を解消してはくれませんでした


どうして神社の拝殿や鳥居にしめ縄が貼られているのか?

しめ縄1


しめ縄2


私は起源はやはり、封じ込めるための「結界」だと思います


祟る神を神社と言う空間に閉じ込めておくための「封印」のようなもの

古代では怨霊は「まっすぐ」にしか進めないものと信じられ

参道を曲げたり、鳥居にしめ縄を張ったり、拝殿にしめ縄を張ったり

したものと考えています

さらには神木と言われるものにしめ縄を巻くのは、怨霊神が神木に

戻り、さらには天界に戻れぬように封印しているのではないか

そんな妄想をしています(笑)



しめ縄出雲大社

出雲大社のしめ縄は尋常じゃない【太さ・大きさ】である理由は

それほど霊力の強い【祟り神】だからに違いありません

記紀にも「祟る出雲神」はいくつも出てきます

神社と神さま、祟る神と神社は出雲大社(杵築大社)を知ることで

理解できるような気がします

祭神とはどういう物なのか、祀るとはどういうことなのか・・・

長屋の爺はこれからも出雲を考えていこうと思います


私は日本人が玄関にしめ縄を張ったり、しめ飾りを飾るのは

我が家に【福の神】が落ち着いて、出て行かずに一年とどまってくれますように

来る年は招かれざる「邪神」が家に入り込みませんようにという願いの

ためだと思うようにしています


起源がどうであれ、姿かたちを変えて古代から続く日本の風習は

「日本人が豊かで幸せになるように」という願いの表れだと思っています


先人の知恵とは大部分で、そういうものではないか、無知な長屋の爺は

その程度の解釈で、来る一年を過ごそうとおもっています




◎  神社と祭り (二) 


今年も残すところ10日になった

若いころはこんなにも早く時間が経過するなど

感じたことが無かった


さて、今年も地方の秋の例祭・大祭は終わったと思う

地方の神社の例祭などで目にする【幟(のぼり)】がある

     幟 2

この【幟】は高木・巨木に神が降臨すると信じられた時代

の名残と思えるのだ・・・

このような高木(神木)を祭りに据えるのは神さまに

自分達の都合の良い場所に降りてきてもらうための

「目印」のようなものだと私は考えている

こういうものは他にも、家を建てるときに行う「地鎮祭」の

【御幣(ごへい)】にも受け継がれている気がする

    地鎮祭1

       地鎮祭御幣


これと同じようなものは伊勢神宮にも出雲大社にも

諏訪大社にも受け継がれているのではないか・・・


そう、【心の御柱】【御柱】と呼ばれるものだと私は考えている

御神体にしては外に立っていたり、見えないところに在ったり

しているのは解せないので、私は神の降り来る高木が変化

したものだと思っている

古代の神祀りは場所を変えたと同時に、形式も姿も変えながら

その名残を今に伝えているのではないだろうか・・・・


では、祭りとはいったい何のために行うものなのだろう?

私は神祀りの最初は「ケガレ」「怨霊」対策だったと思っている

八百万の神に感謝するのは「日常の務め」であり、個人または

家族単位で日々行われていたと考えている

ところが争いの末に「亡くなった」人の霊は穢れていて

自分達に「災い」を齎(もたら)す【怨霊(おんりょう)】になると

信じられ、その御霊を丁寧にもてなし慰める行為が「祀り」の

起源であり、神社(小さな祠)が作られる要因だったのではないかと

考えている

神社に自然神としてではなく、人格を持った神が祀られている事こそ

怨霊対策であり、「祟る神」を鎮(しず)めるために神社と祭神が

誕生したのだと思えるのである


山の神、水の神と言いながら個別の祭神を祀る意味を突き詰めて

考えてみたら、当初は「祟り神」になったと思える人々を、祀り・閉じ込め

るために、神社が生まれたと思えてくるのである


神社を訪れた時、手水舎を使い手や口を清めることが常識だ

その理由は「身のケガレ」を洗い落とす・清めることだとされる

私は昔からこの「理由」に不可解さを感じているのだが・・・


神社の外はケガレているから「洗い落としなさい」ということなのか?


私は別の事を考えているのだが・・・

上手く表現できないが、私は逆の事を感じているのである


手水舎で手と口を清めるのは、一種の「バリアー」で身を護る行為

のような気がしている

怨霊・祟り神が憑りつかないように自分の身を清めるのではないか

相手が怨霊と呼ばれたり、祟り神と言われる神さまなのだから


そのヒントになるのが、祭りの前夜の呼び方にあると思っている

柳田国男の著書に依れば、宵宮(よいみや)は夜宮とも言い、

実際は忌み屋であり忌みを守る場所だという、八丈島では宵宮

の事を【コモリ】と呼び、昔は新潟の村々、福島県相馬地方、宮城県

石巻地方では【オヨゴモリ】と呼んだらしい・・・

「こもる」と聞いて連想するのは、城などの中に入って敵の攻撃を防ぎ守ること

神社の神さまが「清浄」ならば、籠って防ぎ守ることが理解できない


とすれば、防ぐとか守るというより「身を潔斎する」とか「精進する」という

ほうが適切かもしれない・・・

とにかく、「禁足地」や「しめ縄」、「祓い」や「禊ぎ」など正常な神さまとは

結びつかないことが多々ある

その多くが私に指し示すのが「祟る神」なのである


祭りと神社、神さまは切り離しては考えられない事柄であり

長屋の爺の大きな宿題のような気がしている

さらに年末年始にもう少し深く考えてみたいと思っています。

◎  神社と祭り (一) 

神社に参拝して「気づいたこと」ありませんか?

祭神の居ない神社ってあるのだろうか・・・


古代の日本人は太陽に向かい手を合わせたり

柏手を打ったりして、日々拝んでいた(崇拝)ように思える

そこには【人格】はなく、自然に対する崇敬だけがあったと

私は思っている


ところが現在の神社と言うものは「人格」というものが

根底にあって、神さまの名前と神威が融合した「**神」

として祀られていて、そこに自然と言うものが見当たらない

のが現実なのである


太陽神であったり、水の神、山の神として【呼び方】は

様々であっても、各々の自然神としては一つではなかったか・・・

神社のHPを観ても「**の御利益」「**の願いを叶える神さま」

などと露骨に謳(うた)っているのが現実なのだ


いつから神さまは願いを聞き届けるようになったのか?

こんなことを書くと「不敬な奴」と言われるだろうが

どうしようもない「こじつけ」のような理由で【ご利益】を

謳う神社に私は興ざめしてしまうのである・・・

中には「ご利益の百貨店」のごとき神社もある(笑)

私の大嫌いな人種である病気や悩みを抱える人に善人面して

近づく似非宗教信者やスピリチュアルカウンセラーなどと大差ない事に

思えてしまう

こういう輩は「火事場泥棒」と根性は同じであると私は思っている

占いや八卦、予言などは千に三つも当たれば「上出来」なのである


例えば、私が家を出るとき左手でドアを閉めた時、たまたま転んだとする

次の日に右手で閉めることを意識した時点で、自分自身の中に

善悪の決まり(ジンクス・ゲン)が誕生する

助言者の言う通りに行動して、たまたま好結果だった時に、人間は

その助言に支配されるようになるから「性質が悪い」話となる

運勢や占いを信じる人は、当たる事だけを見ようとする傾向にあり

当たらないことは「意識のゴミ箱」に放り込んで忘れようとする

冷静に本当に当たったものと外した事を箇条書きにすれば

普通は判断できる話なのである


千に三つ、百に三つでよいなら、ほんの少しの情報さえもらえれば、

長屋の爺でも占い・予想はできると言う事なのである(笑)


似非宗教で言えば助言通りに従っても好結果が出ないと言えば

それは「あなたの信心が足りない」と反論される始末だ(笑)


占いと似非宗教と人生相談は長屋の爺の嫌いな分野である


では神社は何と言うのだろうか・・・

祈願して成就しないときは、願い方が弱かった?

初穂料・玉串料が少なかったから?

一度聞いてみたい気がする・・・・


お祭りと聞くと大きな山車(だし)や神輿を連想する

お祭りとは文字通り【神さまをお祀り】する行事であり

神さまを接待するのが基本だったと思っている


そのためにお迎え接待する施設が作られるようになった

それが神社の原型ではないだろうか

はるか昔は神さまの座所を作って「祭り」が終われば

解体して撤去するものだった

神さまのための施設は神さまがお戻りになれば不要だった

日本に仏教建築が浸透するまでは、私はこういう形で「神祭り」

が行われていたと思っている

古代祭祀においては、自然の高木、巨石に人間が歩み寄り

大きな祭祀を執り行った、ところが村々の人口が増えて

全員が神の降り来る場所まで「出かける」事が不可能になって

神を人間の都合の良い場所まで「来てもらう」必要から

神さまの「機嫌を取る」意味もあって、接待饗応したのが

お祀りの起源ではないだろうか・・・


そもそも「祭り」とは夜間に密かに行うのが基本であった

古くから残る伝統的な神社の「祭り」の多くは夜が本番なのである

荘厳とか厳粛というものは「夜」がとても似合うものなのかもしれない

だから大きな祭りのメインは【宵宮(よいみや)】であって、山車巡行

でも神輿行列でもないと思っている




宮中での重要な祭事の多くは「夜から朝」に行われることからも

古代祭祀は夜間に執り行われていたと想像するのである




◎  予定外 & 日本の神 


予定は未定とは言いながら・・・

この数日、いろいろなことが有って更新ができなかった

ひとつは愛車のポンコツ軽自動車が調子が悪く、急きょ別の

軽自動車(ポンコツ)を探すことになり、猶予が無いため慌ただしい

ドタバタ劇を演じてしまったw

今では私にとって「自動車」とは下駄、サンダルと同じで「履ければ」OK

という代物で、機嫌よく俊敏に動いてくれることが絶対条件であり

燃費より維持費、購入代金、取得費用が大事なのである


後から自分で改造なり補修なりするのも「楽しみ」で、ピッカピカの新車

は全く望んでいない

とにかく仕事に行くのに公共の乗り物は選択肢に無い

地方は足である自動車を欠いては生活もままならない


仕事以外の車は「稼がない」もので、趣味・贅沢と割り切っている

それゆえ若いころは新車に乗るのは当たり前で、早く快適に走る

ものこそ「自動車」という認識だったが、この十年くらいは走れば

見かけ・年式など気にしなくなった

家族もいないし爺一人が日常移動するのに、高級車は不要である

遠くに行くなら新幹線や飛行機もある

車で行くにも今の時代「レンタカー」があって常時保有する必要も無い


さらに休日であったが、友人からSOSが入り、友人宅の手伝いに

はせ参じたのは良いが、何年かぶりに梯子の上で作業したもの

だから、ふくらはぎや太ももの裏が筋肉痛になってしまった(笑)

おかげで昨日は「寝落ち」する羽目になって更新どころかメールも

チェックできなかった・・・



日本人はテロとか聖戦と言うものに「免疫」が無い

どうしてかと言うと、日本人は【絶対神】を持たない民族であり

神さまの名前で人を殺しても「正当性」を主張する事ができ、

神さまが絶対であるから、何をやっても許されるとされる

一神教というものに「なじまない」からだと考えている


神さまが許す戦い(殺し合い)とは「確信」して行う争い

つまりは【怨霊】や【祟り】などは存在しないからだろう

人と人の争いには「恨み」がつきものだが、神と人の争いには

恨みは発生しないという理屈なのだろう


日本人的な発想では、理不尽な【殺生】をすれば怨霊に

祟られるという潜在意識が心のどこかに住み着いている


テロや聖戦と言われる宗教的争いには神の「意思」によって

自分が代わって行っていると言う「口実」があり

確信犯と言うべき都合の良い理屈で自分を正当化している

そんな人間に「説得」も「譲歩」も何の効果も無いことになる


日本には神が居ても、神の教え(教義)があるわけではない

「何をしなさい」とも言わないし、「何をしてはいけない」とも言わない

神の名において「何かを成す」ことは正当化できないことになる

神さまが賽銭を要求することもないし、貢物(供物)を指定することも無い

日本の神は「救う」こともしないし、「罰する」こともしない・・・

何が有ってもそこに在って、私たちを見つめ続けている


私だけではなく世の中で苦しんだことがある人は、一度はこう思ったはずだ

 【この世に神も仏もあったものか・・・】 


ところが最近、私はこう思うようになった・・・

神も仏も居るから「人生」なんだ

生かされているから「苦しみ」「悩み」「笑い」「泣く」のであって

神さまが何かの試練を与えているのではない、そもそも人生

とは喜怒哀楽・困難・苦難が混在するもので、其処をどう生きるかは

神さまではなく、自分の気持ち次第なのだと言う事ではないか・・

そんな事を思っている


神さまに願っても神さまはジッと観ているだけではないか・・・

やはり、私にとって「神さま」とは【感謝】する対象であり、何かを願う

相手ではないと強く思うようになった

日本の神様は「支配」も「束縛」もしないで、見守ってくれる存在である

そんなふうに感じたりもしている

支配しないのだから生かすことも奪う事もしない・・・という理屈だが


明治以降、日本は神さまの意思・意向で諍いを選んできた

そもそも明治になって西欧文化受け入れと共に、神に対する意識を

曲げたことによって多くの命が失われたのかもしれない

天皇は神ではないし、神の意思で戦争するなど言語道断であり

神の名を利用した明治の反乱軍(クーデターを起こした官軍)は

其処で大きな過ちを犯したものと考えている

日本においては「神」は絶対ではない

神の名において「命をささげた」と思っている人には理解できないだろうが

御霊と呼ばれる人々は「愛する国を守る」ために「命をかけた」のであり

神を守ったのでも、天皇を守ったのでもない

愛する家族と家族が暮らす「日本」を護ったのだろうと私は思っている


靖國に皇族が参拝しないなら、それもしかたが無い事だろう

皇室が存続するも途絶えるも、誰にも止めることはできない

この日本に「神罰」は存在しないが、【天罰】は存在するかもしれない

ただし・・・天が何物であるかは長屋の爺は知らず・・・・




この国を守った英霊はどんなことが有っても、靖国に居る

戦場にとどまる御霊は居ない・・・【靖國で会おう】、【靖國で待っている】とは

靖國が「御霊の終の棲家」である証明なのだから・・・・。
 


◎  元禄15年12月14日 

12月14日と言えば・・・・

日本人なら誰でも知っている「赤穂浪士討ち入り」である

それは別の視点から観れば「吉良上野介義央」の命日である

三百年前のことでありながら真実は明らかにされていない

吉良上野介は稀代の悪者であり、浅野内匠頭は悲劇の大名

そういう通説が常識化している

本当にそうなのか?

これも元禄14年3月14日の昼前に江戸城・松の廊下に行き

事件に立ち会わなければ真実など誰にも分からない・・・・


徳川将軍・綱吉が絶対君主だったからなのか、真実を目撃した

大名が身の安全を考えたからなのか、歴史に残すことを断念

したのかもしれない

江戸城・松の廊下とは

私には蘇我本宗家と同じ匂いがしてしまう

そのようなものが書き残されていると知られれば、自分の命だけではなく

親類縁者、子や孫にいたるまで「危険」に曝すことになる

反服従の証拠と言えるのかもしれない

歴史とは強者の論理で書かれ、残され、伝えられてきたものである


遺恨とされるものが何だったのかは不明のままだ

この討ち入りには面白い図式がある

通常なら、遺恨(浅野)→刃傷事件(吉良被害)→吉良方遺恨→浅野へ討ち入り

という遺恨の応酬(負のスパイラル)が普通なのに、加害者である浅野方が

被害者である吉良方を攻撃している

すべて遺恨と言う言葉で正当化しているが、どうにも腑に落ちない

討ち入りの前に吉良邸が屋敷替えされて本所松坂町に変わっている

ことも謎の一つである

(私はこの時代の史実には詳しくないので、間違いが有ればご容赦を)


謎だらけというのもどうかと思うが・・・

刃傷(にんじょう)は計画的ではなかった事は想像できる

事件で使用されたのは【小さ刀】と呼ばれる刀で

刃渡りは長めの包丁くらいだろうか・・・

本当に命を奪う気なら切り付けるのではなく「刺す」べきであり

「腹立たしい気持ち」から咄嗟に行動してしまったと云う事だろう


この時の装束はおそらく大紋(だいもん)だったので、小さ刀を

腰に帯びていたと思われる


大紋


若しかすると通常の継ぎ裃装束なら、脇差を帯びていたのではないかと

私は勝手に思っている(笑)

小さ刀はいわゆる【短刀】のようなもの、本差しや脇差ならば切り殺すことも

可能だったのではなどと、素人ながら不埒な想像している

金梨子地桐紋蒔絵鞘小さ刀拵



なぜ、松の大廊下における刃傷事件が不可解なのか・・・

通説に依れば、上意討ち・無礼打ちの際、討たれる理不尽を感じた者は、

脇差ならば刃向かうことが許されたという

むしろ討たれる者が何も抵抗せずにただ無礼打ちされた場合は

国家鎮護守・外敵制征圧を担う軍事警察力である武家としての

『不心得者である』として生き延びた場合でもお家の士分の剥奪、

家財屋敷の没収など厳しい処分が待っていたため無礼打ちする方

受ける方双方命懸けで望まねばならなかったとされる


だが、刃傷事件がこの「無礼打ち」に該当するか否かは疑問である・・・

というのも、無礼打ちは【無礼】と【斬り捨て】は連続して行われることが条件で

以前行われた無礼を蒸し返しての切捨御免は処罰の対象となったのである

これからすると、やはり浅野内匠頭の刃傷は正当化できないと言う事になる


明日、体調が良ければ遠出をして吉良家菩提寺にお参りに行こうと思っている

何でも地元では「名君」の誉れが高い義央公なので

一日遅れでも「大目に見てくれる」かもしれないですから・・・(笑)

あくまでも体調次第と言う事ですけどね。

◎  皇位継承と女帝の時代 

日本の天皇史には書かれていない「闇」が存在する

これは私の私論であるが・・・


どこまで事実でどこから虚説なのかは誰にもわからないけれど

天皇史が大きく曲げられた背景には「女帝」が浮かんでくる

気がするのだ・・



ときには「皇后」であり、「女性天皇」という呼び名であるが




皇室典範なるものには「天皇の男系男子」と定められている

なぜ男系男子なのかの裏を考えれば、歴史の反省に起因している

と私は思っている


血の濃さなど「後付」の言い訳・理由でしかない

日本の天皇史に大きな禍根を残したのが「女性天皇」という

存在だったことが男系男子に限定した本当の理由だったのでは

ないだろうか・・・



ある書物には「天皇は男でも女でも良いという考え方があったから

男性の皇位継承者がいても女性が天皇に即位した」と書かれてある

これも観てきたような・・・の類である



私は女性蔑視の視点から言うつもりはない

つまりは一夫多妻の天皇家に、男女平等や男女同権が存在したのか

を考えるとき、私は甚だ疑問に感じてしまうのである


全ての根拠は8世紀に成立した「日本書紀」の記述に頼っている

これこそが日本の天皇史を神話と虚説の世界に置き去りにする原因ではないか




天皇は男性でも女性でも良かったと言うならどうして

第25代・武烈天皇が崩御したときに、わざわざ応神天皇の五世の

孫である継体天皇を探して即位させたのか、どうして女性皇后を

立てなかったのか?

武烈天皇の后は雄略天皇の皇女であるのだから血統的には問題などない

これこそ歴史家や研究者の論理の矛盾ではないか



記紀を物差しに「書いてあるから事実」という歴史判断には

承服しかねることが多すぎると思うのは私だけだろうか・・・


推古天皇の即位も疑わしいが、皇極天皇など「うさん臭さ」いっぱいである

史書に依れば皇極天皇(宝皇女)が産んだ皇子は二人

葛城皇子(天智天皇)と大海人皇子(天武天皇)

さらには前帝の息子・古人大兄皇子、聖徳太子の息・山背大兄王と

皇位継承候補は何人も居たが、その誰もが即位できず

中国大陸では考えられない女性天皇となって即位している

中国ではただ一人【則天武后】だけが女帝である

中国を「模範」として国造りをしてきたこの時代になぜ女帝だったのか

私にはこの謎を説明する有力な説が見つけられない


さらには、皇位継承の説明には「大海人皇子」の名は登場しない

天智天皇の時代になって、突然出てくる皇子なのである

中大兄皇子と古人大兄皇子、そして山背大兄王の三人が

有力な候補と言う説明が多い

どうして宝皇女が即位したのかと言う説明には、皇位継承争いを

避けるために即位したと言う事になっている(笑)


歴代天皇史を何度読み返しても、皇位継承争いを当たり前の

ように繰り返してきた歴史がほとんどである

何をいまさら・・・というのが正直な感想だ


【皇位継承と女帝】

持統天皇(女帝)の愛息・草壁皇子は生来の病弱だったとされる

どんな病かもしれないのは「医師団」が公式見解を出さなかったか

記述するには不都合だったかである(笑)


病弱であったにもかかわらず「立太子」を天武天皇に迫ったのなら

人の上に立つ天皇の資質は無かったとも考えられる

皇統を維持するには「健康」で「聡明」な若者が適しているのは明白だ

敢えて「病を持つ皇子」を聡明な候補者たちを差し置いて立太子した

ことだけでも、皇統を危うくする判断と言うしかないのである

滅私が原則の「すめらみこと」は一人の親である前に、国の国父(母)で

なければならない

情に流された時点で「国父(国母)」として尊崇の対象にはなり得ない

古代中国には【雌鶏歌えば 家滅ぶ】という言葉があるが、女性の母性

は政(まつりごと)に於いては弊害を伴う事を、古代から認知されていたのだろう


私の中では持統系の天皇は天皇史から抹殺されたと思っている

万世一系には差しさわりがある故、歴代天皇には入っているが

皇室の中では「認めたくない」心理が残っているのかもしれない

(それゆえ「御寺」に位牌が置かれていない理由なのではないか)


男系天皇の血筋と言いながら、内実は女性天皇の血統にすり替え

ようとしたのが持統天皇だと思っている

持統天皇(女帝)~文武天皇~聖武天皇~孝謙天皇(女帝)

なぜ持統系が絶えたのかは、正当な男系を蔑ろにしてまでも

持統の血筋を伝えようとした事への「神罰」だったかもしれない


目的の為なら手段を択ばないやり方に、後世の人々が学んだ

不文律が「皇室典範」に反映されたと言う事か・・・・



歴代天皇の中にも、無能であっても次代の若者に「繋ぐ」ために

即位した天皇もいるが・・・

今を天武~持統の時代に置き換えてみると、病がちな皇太子の

歴史は、公務(公の場)に次第に出てこなくなり、ついには即位寸前

で身罷るという可能性も無くは無い (あくまでも草壁皇子のこと・・)

この世に神が存在し、何を選択するかは計り知れないが

全ての事柄には「因」があり「果」が存在する

どんなに隠そうともすべての事柄には理由(わけ)がある・・・


目を掩うて雀を捕らう (めをおおうてすずめをとらう)

とくに今の時代はこんなことは通用しないのだ

ネットと言う新たな「民の眼」が明らかにする時代なのかもしれない

◎  反省ができない爺と皇室問題 

台風並みの強風と季節外れの暖かさで師走を感じない

一日だった

じつは昨日、PCを立ち上げようと座った時に、先にお茶を入れて

きましょうと台所へ・・・席に戻って茶碗を置こうとしたとき・・・

誤って茶碗ごと落してしまった

結果、キーボードがずぶぬれになり、コタツの回りやら

カーペットを拭いたり、そうこうするうちに気分が萎えてしまった


落した理由は昨日の仕事中、右ひじをしこたまぶつけて

腫れていて、手首までしびれた状態なのを忘れていたという

お粗末なものでした(笑)

痛みに鈍感と言うか、痛みと言う感覚に麻痺した日々をおくる

長屋の爺ならではの大失態でした

腰も相変わらず「湿布」と「コルセット」のお世話になり

満身創痍が日常とはいえ、少し気落ちしているのが本音です

乾かないうちにキーボードの電源を入れるとまずいので

タブレットで閲覧しようとしたが、仕事用の車に置き忘れてきたw

そんなこんなで、不貞寝した昨日でした

反省も人生における学びもできない爺です

余計な心配をかけたようで申し訳なく思っています(汗)



【皇室問題 東宮妃】

さて、皇室問題などは、ネットの情報とは逆が正しい事で事実だと

仮定して、その基準をもとに一つ一つ検証してみるとおもしろい事が

判ったりすることが有る

私は世間のみなさんのように「純真」でも「善人」でもないので

一方的に称賛も美化もしないことが常なのである


では、皇太子妃がほんとうに病気(適応障害)だと信じることにする


* 病気なのだから、頻繁に公に顔を出すことはできないのは当然である

* 東宮医師団という専門家が診断しているのだから仮病などではない



これを大前提に考えて、一つ一つ不可解な点が無いかを考えてみた


* 適応障害の理由は「皇室の環境」なのか? 東宮本人? 宮内庁?

 そのことについて、確かな診断が出たのだろうか・・・

東宮医師団が居るのだから、当然のこととして診断は明確になっているはず

(ところが・・その事実がどこにも無い 医師団とは何?)


 次期天皇になるであろう東宮の妃の病名と症状・原因が確かな

 責任ある人間の口から発表されないのは「なぜ」なのか?

 宮内庁病院は責任ある医療機関ではないということなのか?

東宮医師団と言う「名前」だけは国民に周知されているが、その実態も

診療経過や適宜対応の所見など、どうして出されないのか?



適応障害であるのだから、環境を変えなければ回復することなど

有るわけがないのに、医師団はどんな治療を施しているのかすら

公にされないのはどうしてなのか?

適応障害の人間だから千代田の外では、「元気はつらつ」なのだろうか?

それならば、病気の根源は「皇居」にあるという事になる



私は医者でもないし病気など素人だが、適応障害をいくら調べても

そのおかれる環境から離れることが第一とどんなものにも書かれている

それなのに、公務に関われないのなら「皇居を離れて」入院するなり、

療養するべきなのではないか  どうしてそれを主治医なり医師団、

宮内庁病院が判断しないのか?


そういう事実の照合(検証)をすると、やはり適応障害と言うのは

事実を疑いたくなる病名になってしまう




結論としては、適応障害と診断した医師の名前と所見、原因等を

公にする義務が政府にはある 皇室が宮内庁がと言っても、所詮は

税金で動く家(機関)なのであるから、プライバシーなどと言うものでは

回避できない筋の問題なのではないだろうか・・・




この問題を「タブー化」してしまっては大きな禍根を残すのではないか

と危惧している

天皇・皇后とは何なのか?

天皇・皇后が責務(公務)を果たせないなら、その存在理由が消滅する

明らかに公務ができない(やらない?やれない?)のなら、その地位に

留まるべきではないというのも頷ける話になる


東宮妃の務めを果たせない人間に「皇后」の大任は務まるはずがない

ほんとうに「適応障害」であるなら、公式に複数の専門家に診断を仰ぎ

日本国政府の公式見解として国民に報せるべきではないかと思う




それができない理由があるとすれば、今話題の「軽減税率」で政府が

譲歩しまくりの現実から窺い知ることができるかもしれない



私は「皇室問題」と「政府自・公党」には少なからず関係があると

思っている

どうして公明党を政府内に入れ込んでいるのかという理由が

皇室に時限爆弾を設置されているからというのは飛躍しすぎだろうが

人質(筆頭宮家)を取られている弱味でもあるのか? なんていうのも

下衆の勘繰りや妄想の類だろうけど・・・



情報弱者にも分かるように、簡単な言葉で引用して、不可解さや

非論理的な事実検証を拡散することが大事なのかもしれない


罵倒や擁護の応酬では耳も目も閉じてしまう「日本人」が増えるだけ

時間が無い事で焦ったり、短絡的にならず一つ一つを拡散することが

出来たらばと・・・今は思っている。


(未だに 右ひじが痺れていてます 誤字脱字が有ればご容赦を)

◎  状況説明と言う言い訳 


今回の腰痛(魔女の一撃)は前回以上に酷いようだ

仕事中は目いっぱい集中しているので痛みも感じないが

終わると途端に「激痛を感じる」

いっそのこと、一日中仕事をしていようか?

なんて馬鹿なことを考えたりしている


そんなわけで(どんな訳?)、更新はできても短いものに

なることは避けられないので、コメント欄と間違われてしまわないか

今から心配をする長屋の爺です(笑)


さて、今ではネットにあふれる皇室醜聞問題ですが

冷静に考えてみて、このような問題は過去にもあったのか

今一度探してみようと思っています

歴史書に書かれていないだけで、巷間の「嫁姑問題」より

ふか~い問題なのだから、その残骸・欠片・逸聞くらいは

何処かに残っているかもしれない・・・


訪問者様へ

更新はできなくても、タブレットでメールチェック・訪問だけは可能です

数分間座っているのも困難な状態で、ご迷惑をおかけいたしますが

体調が戻り次第更新をいたします

今しばらくご容赦のほどを・・・・(長屋の爺)

◎  痛いと言わない爺の本音 


先月は今までになく仕事が無かった

それには理由があって、相方と二人で仕事をしていて

元請け企業から仕事を請け負っている

その相方が怪我をして検査することになった

MRIの予約をして肩、首、腰と三度検査することになり

元請けに「休み」を願い出た、願い出たと言っても検査の

結果によっては手術・入院も考えられたので、強制的に

休みを取ったというのが正直なところだ


その結果、世間で言う「仕事を干されて」しまった(笑)


何十年と仕事を請け負っていても、目先の仕事に支障が出れば

代わりの業者などいくらでもいるということだ

三週間、一件の仕事も回ってこなかった

「いやがらせ」「見せしめ」と言う事だろう


そして・・・今度は私が腰を痛めてしまった

もう二度と「休みたい」とは言い出せない状況になったのは

当然のことに思う・・・


私は痛い、辛いといった理由で仕事を休んだことなどない

熱が有ろうと、どんな状態でも「請けた仕事」は完遂するのが

プロの矜持である

酷い時は二日前に依頼が来たりとか、当日に追加工事の連絡

が入る事もある

それを快諾することなく「断り」を言えば、他業者に仕事がまわり

当方の仕事量が激減する結果になる



どれだけの量の仕事を依頼するかなどと言う取り決めは無い

そんな厳しい状況を何年ものあいだ観てきている


しかし、病院の検査とやらは当方の事情などは配慮してくれない

予定された日に行けないと、次はいつできるか不明になる

予約は絶対なのが医療機関の決まり事

何時休みになるか不明のままでは「予約検査」など不可能である



そんな事情も仕事を出す企業にとっては「どうでも良い事」なのだ

つまりは、自分(営業担当)の仕事を遅滞なく処理する事だけが

重要なのであって、それ以外はどうでも良い事にすぎない


仕事の結果に不満が無いと言うか、他業者より質の高い工事をするから

仕事は依頼するけど、勝手に休むことは罷りならんと言う事だろう


私は仕事の結果に「ダメ出し」されることが嫌いで、手を抜くなら

やらないほうが良いという信念がある

手抜き工事はやらなかったことと同じであり

手抜き工事を治すと言う事は二度同じことをすることである

そんなことをするくらいなら、一度で終わらせるべくきちんと

仕事をするべき・・・というこだわりを持っている

一所懸命やった仕事にクレームを付けられることほど

腹立たしいものは無い

クレームがつくような仕事ならやらないほうがましと思っていて

「てきとーにやればいいのに」と言う言葉が嫌いである

こんな事を云うから「頭が固い」と言われるのかもしれない(笑)


そんな爺は「やれなくなった」ときは、身を引くときと考えている

まだやれてるので、もう少し我慢してみようと思っている(笑)


友人から腰痛を防ぐストレッチを教わったので、もう少し状態が

回復したら始めてみようと思っている

右ひじも痛いし、左肩も痛い、腰も痛いが弱音は吐かない

人前では健康で元気な爺の姿しか見せないのである。


仕事量が減るくらいが爺にはちょうど良いのかもしれない

何せ、正真正銘の爺なのだから (笑)

◎  名前の多さ 古代と現代 

DSC_0133-11.jpg


歴史は繰り返す

少し大げさな表現だが、最近の身の回りを観て

そんな言葉が頭に浮かんだ


今の時代、人は多くの呼び名(名前)を使用している

ブログのHNだったり、SNSの名前だったり、各サイトでの

ニックネームだったりする

多い人で本名以外にいくつ持っているのか?


かく言う私も多くの名前に相当するものを使用していて

【長屋の爺】と言うのは「ブログネーム」であり、その他のサイトでは

別のニックネームやHNを使っている


どうして?統一しないのか・・・

私にとっての理由は「特定されたくない」という思いがあるからと

いう私なりのこだわりを持っている

なぜ特定されたくないのか?

それは、世間の人間が皆【善人】ではないから・・・

悪意を持った人間も多いのがこの世の中である

かっこいい言い方なら「身を守るため」であり

正直なところ、常に逃げ道を用意しておきたい

それが本音かもしれない


さて、「歴史は繰り返す」と「名前」が関係するというのは

どういう事なのか?

古代ヤマトでは名前を知られることを嫌ったようなのだ

名前を聞くとは「自分の支配下に入れ」と言う事であり

男が男に名前を聞く(問う)のは、服従せよと言う意味もあった

男が女に名前を聞くのは、「自分のモノになれ」という意味であり

それが「求婚」であったり、「命令」であったりもした

名前を知られることは「屈する」事でもあった

名前は神が人間を区別するために、人から神に奉じるもので

神だけに知らせる特別なもの、これが【本名】である


神だけが知る名前を、他人に知られることは、その相手が

神と同様の存在であることを認めることになり、その相手に

膝を屈することになってしまう

だから古代人はたくさんの名前を使い、本名を特定されないように

努めたと私は考えている


その代表が【大国主命】ではないだろうか

大名持神(おおなもち)という別名の通り、多くの名前で呼ばれている

大国主神・大國主大神・大穴牟遅神(おおなむぢ)・大穴持命(おおあなもち)

大己貴命(おほなむち)・大汝命(おほなむち)・大名持神(おおなもち)

国作大己貴命(くにつくりおほなむち)・八千矛神(やちほこ)

大物主神(おおものぬし)・宇都志国玉神(うつしくにたま)

葦原色許男神(あしはらしこを)・大國魂大神(おほくにたま)

所造天下大神(あめのしたつくらししおほかみ)・杵築大神(きづきのおおかみ)

伊和大神(いわおほかみ)等々・・・・

これは特殊な例だと言う人もいるだろうけど・・


DSC_0142-22.jpg




また別の例を挙げれば、清少納言であり、紫式部、和泉式部など

本名では残されていません

なぜ残されていないのか?

通説では「女房名」という通名で過ごした人だったからと言うものが有る

笑ってはいけないが、これは頭が固すぎる気がする

それが事実だとしても、通名であろうと何処かに「本名」が記されて

居るものが残っているはずではないか・・・

まして、妃・后と言われる人の名でさえ「正しい読み方」さえ

残されていないのは、どう説明する気なのだろう・・・

一条天皇の中宮・定子・・・これは「ていし」と呼ぶことが多いが

本当に「ていし」だったのかは不明である

「さだこ」「ていこ」「さだし」・・・その時代にどう呼んだかさえ

残されていない理由を、明確にできる人は居ないようだ

これは誰にも知らされなかったから「残しようがなかった」

天皇も自分以外には名前を呼ばせるつもりは無かった

名前を呼ぶ人間の「所有」になるということが平安期にも

残っていた証拠ではないだろうか


天皇の皇子や皇女の名前が残っていないこともある

名前とは人が個人を特定するものではないのが基本で

「神のみぞ知る」で通った時代だったからかもしれない


DSC_0156-11.jpg


なぜ天皇家には「名字」が無いのか・・・

これにも必ず理由があり、神の子孫だからなどと言う

子供だましの説では無いと私は思っている

別にどんな名字であっても、何の不都合も感じないと言うのは

現代人的発想で、大きな不都合があったから「名字」を捨てた

それが【万世一系】と関連が有るのか無いのか・・・は知らず


名字が無い事で臣民と区別化したなどという戯言には同意できない

私は特定の天皇の名字に不都合が有って、その血統だけ削除

するわけにはいかず、すべての名字を消し去った

そんな妄想をしている(笑)


不特定多数に名前を知られると言うのは、ある意味「恐怖」であり

生活に支障をきたすほどではないにしろ、気持ちの良いものではない

自分の知らない処で、本名を言われていると思うと、嬉しくは無い

というのが本当の処である (笑)


例えば初めての飲食店で食事をしているとき、店員から「お客様」

ではなく、「**さま」と呼ばれたら私なら「ぞっとする」だろうし

「何で名前を知っている?」と店員に詰め寄るかもしれない

さらにはその返答次第では・・・・するかもしれないw(想像に任せます)


行きつけの店では「**さん」であり、友人たちの間では「おっさん」で

近所では「○○さん」であって、親戚・親友からは「**ちゃん」と呼ばれ

、ブログの世界では「長屋の爺」であるのは【安心】なのである

0004.jpg


何でこんな事を書いている?

主権者である国民を商品のバーコードのように番号で区別する

そんな制度にちょっとだけ納得できないのが本音かもしれないw


名前を気軽に知られない代わりに、番号とは・・・囚人ではないぞ!

と言うのは、遠くに霞んでしまう爺の遠吠えかもしれないですが

さてさて・・・。

◎  参考文献 6 

ずいぶんと長い事参考文献の追加をしていなかった

本を読むペースが鈍くなってきて、あまり買ってない

と思い込んでいたが、それなりに購入し読んでいたことに気づいた

今年一年、お世話になった書籍に感謝し、著者の方には

本当に感謝とお礼を言いたいと思います


* 天皇の仏教信仰  (藤巻一保 著)

* 初期万葉論 (白川 静 著)

* 後期万葉論 (白川 静 著)

* ニギハヤヒ (戸矢 学 著)

* 神道と日本人 (葉室頼昭 著)

* 古代史おさらい帖 (森 浩一 著)

* 神道感謝のこころ (葉室頼昭 著)

* 敗者の古代史 (森 浩一 著)

* 上宮聖徳法王帝説 (東野治之 著)

* 新訂魏志倭人伝、後漢書倭伝、宋書倭国伝
  隋書倭国伝     (石原道博 著)

* 古代人の伝言 (森 浩一 著)

* 死者の書 口ぶえ (折口信夫 著)

* 日本の祭 (柳田国男 著)

* 古代研究(1) 祭りの発生 (折口信夫 著)

* 古代史の謎は海路で解ける (長野正孝 著)

* 暦で読み解く古代天皇の謎 (大平 裕 著)

* 持統天皇 (吉野裕子 著)

* 飛鳥の地上絵 呪いの巨人象 (山上 智 著)

* 月と蛇と縄文人 (大島直行 著)

* 神社の古代史 (「歴史読本」編集部 著)

* 神社に秘められた日本史の謎 (新谷尚紀 著)

* 神道と日本人 (山村明義 著)

* 神道はなぜ教えがないのか (島田裕巳 著)

* 島根県立古代出雲史博物館展示ガイド

* はじめての土偶 (武藤康弘 著)

* 縄文の神話 (吉田敦彦 著)

* 富士山2200年の秘密 (戸矢 学 著)

* アイヌ神話集 (知里幸恵 著)

* 出雲大社と千家氏の秘密 (中見利男 著)

* 平城京と木簡の世紀 (渡辺晃宏 著)

* 飛鳥の木簡 (市 大樹 著)

* 平城京 長屋王邸宅と木簡 (奈良国立文化財研究所)

* 奈良貴族の時代史 (森 公章 著)

* 山川詳説日本史図録 (詳説日本史図録編集委員会)

* 神さまがくれた漢字たち (山本史也 著)

* 日本のこころの教育 (境野勝吾 著)

* 日本人が大切にしてきた季節の言葉 (笹本一郎 著)

* 漢字百話 (白川 静 著)

* ひらがなで読めばわかる日本語 (中西 進 著)

* 漢字生い立ちとその背景 (白川 静 著)

* 日本人が忘れてはいけない美しい日本の言葉 (倉島長正 著)

* 成り立ちで知る漢字のおもしろ世界 武器・言葉・祭祀 (伊東信夫 著)

* 成り立ちで知る漢字のおもしろ世界 自然物 (伊東信夫 著)

* これを大和言葉で言えますか? (知的生活研究所)

* 訓読みのはなし (笹原宏之 著)

* 幻の日本原住民史 (田中勝也 著)

* 「知らなかった」では恥をかく (一校舎口語研究会)

* 失礼な敬語 誤用例から学ぶ正しい使い方 (野口恵子 著)

* 梅原猛の授業 道徳 (梅原 猛 著)




 (著者の方の敬称は略させていただきました) 



二度読みした書籍、途中を飛ばし読みしたものなど

優良読者では無い事に心が痛みます 

この書籍も本棚の住人になるものが大半を占め

このブログが古代史から離れるとますます再読しない

無用の長物になりはしないかと危惧しています


これがすべて「身に付く」なら、どんな高級料理よりも

滋養があり、どんなアクセサリーより値打ちがある

思うだけでは、置いてあるだけでは、読んだだけでは

自分の血肉にはならないことを実感します


沢山の本の中から、何かを学ぶと言うのは・・・

砂の中から「一粒の砂金」を見つけることと同じかもしれない



なぜ? どうして? が長屋の爺に無くなった時、この世に

生きている意味が無くなった、という事だと思っています。

◎  お地蔵さま 


昨日は朔日で更新は休みでした

一昨日は11月の定例ゴルフで全身筋肉痛という

情けない状態です

できる限りカートには乗らない様に心がけたのが

仇になったようです(笑)

やっぱりポンコツ爺ということを証明したようなもの

とは・・・友人の弁w

結局今年一年で練習場へ行ったのは一度だけになった

練習嫌いのうえに、疲れるのが我慢できず、行きつけの練習場が

遠くにあるため、余計に行かなくなってしまったと言うのが

本音なんだが・・・

練習場に行っても行かなくても、スコアに大きな差は無いのが

ど素人の証拠だろう・・・


さて、練習として彫り進めてきた「お地蔵さま」が一応完成した

これを完成と呼んでいいのか疑問はあるが・・

DSC_7470-00.jpg


DSC_7473-00.jpg


DSC_7479.jpg

DSC_7480-00.jpg

DSC_7476.jpg


本来なら「完成」には程遠いが、今の私の技術・経験では、

これ以上触ると酷い状態になる気がします

ひとまず完成として、技術が向上したときにでも手直し

出来たらと思っています


人生初めて「木彫」に挑戦し、さらに「お地蔵さま」という

難易度の高い題材を選んだことが後の自分にどんな

影響があるのか、怖くもあり楽しみでもあります

来週には次の題材を決めようと思っています

あと数点失敗作を作ってから、先の事は考えようと・・・

どうなることやら・・・・(笑)


back to TOP