不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

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◎  即位した天皇の陰に居た皇子たち  

現天皇家は125代続いてきたという

即位したか不明をも含めてであるが

125人の即位できた天皇が居たと言う事になる


さて・・・では、即位できなかった者は何人いたのか

歴史に名を遺した人物以外にも相当数の皇子が

存在していた可能性も否定できないだろう

その多くが「理不尽な死」を迎えている史実もある


有間皇子、長皇子、穂積皇子、志貴皇子、大津皇子など

状況証拠しかないので確かなことは言えないが

多くの皇子たちは、「一人の天皇」の犠牲になったと

言っても過言ではない

群臣や民衆に支持されていたとか、望まれて即位した

などと言うのは「勝者の論理」「生き残った者の凱歌」で

あって、事実かどうかは不明である


【大津皇子】

さてさて・・・皇子を語るとき、何を信じて判断するか

それによって、大きく様変わりしてしまう

私は世間のように「日本書紀」の記述は大部分で

信用していない、懐風藻なども悪意のある惰本だと

思っている

では通説による「謀反」とはどういうものか?

天武天皇は9月9日に崩御し、翌日に殯宮(もがりのみや)

が作られ、発哀(みね)〔死者を弔うために泣き声をあげる礼〕

が執り行われ、その時に草壁皇子に対する謀反が発覚し

天武天皇の誄(しのびごと)が終わった2日後に

捕えられたとされていて、その翌日には殺されています

ところが、この一連の葬儀の間に大津皇子は伊勢に行き

姉である斎王・大伯皇女に会ったとされている

日本書紀にはその時の様子が克明に記されているのだが

何かおかしい・・・・何時、大津皇子が伊勢に向かったのか

何時、帰京したのかは不明なのである

父・天武天皇の葬儀の最中に伊勢まで足を運ぶものだろうか?

謀反を企み事を起こそうと思っている人間の採るべき行動ではない

おそらく大津皇子が伊勢を訪れたのは、天武天皇が病床に伏した後

重篤な病と知れた後だったと思っている

つまりは崩御する前年の夏から秋にかけてではないかと思う


大津皇子の后は山辺皇女といい、皇子の死に直面して

「髪を乱し、走り出し殉死した」と日本書紀は記している

と言う事は、山辺皇女の留守中に襲って殺し、そこに戻った

山辺皇女も殺したという事だろう

次の日に処刑と言うのは「大本営発表」であり、殺した次の日に

正式に「絞首刑」にしたという事にしただけで、本当は逮捕するどころか

急襲して惨殺したと言う事だろう・・・・

捕えて真偽を詮議するつもりなら、こんな状況には至らない

次の日に殺すつもりの人間を「捕えろ」とは命令しない

必ず「命を絶て」という命令としか考えられないのである

だから、山辺皇女もその場で「口封じ」されたと言う事なのである

持統天皇にとって、天武天皇の皇子は我が子だけで十分だった

天武・天智天皇の皇子たちは「吉野の盟約」によって結束を固め

波風が立つ可能性は低かったとされるが、母親である持統天皇は

それを認めることができなかった

此処が私の一番不思議に感じるところなのである

草壁皇子・大津皇子が亡くなっても、高市皇子・忍壁皇子・志貴皇子

・川島皇子たち適齢期の皇子が大勢いたのに、《称制》と称する

即位しない(できない)年月を過ごしたことに、私は大きな嘘の気配を

感じている

高市皇子は壬申の乱で天武天皇の片腕として、天智天皇の子

大友皇子を自殺に追いやり、諸将を処分した功労者である

持統が快く思わないことも納得できる

しかし・・・高市皇子は天武天皇の長子である

草壁皇子を皇太子としたのが事実なら、それは持統天皇の

思いが天武を動かしたのか、はたまた後世の捏造でしかない


ももづたふ 磐余(いわれ)の池に 鳴く鴨を

  今日(けふ)のみ見てや 雲隠(くもがく)りなむ


  (大津皇子 辞世の歌)
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◎  長屋の爺の近況 

暑さが和らぐと雨が降る

人間と言うのは誠に勝手なもので、暑いと言ったり

寒いと言ったり

雨が多いと嘆き、水不足では困ると言う

日本ほど水に恵まれた国は無いと言うのに・・・

しかし考えてみれば水は天からの贈り物か?

と問えば、爺の心境は複雑ではある


日本人は雨水をそのまま飲んでいるわけでは無い

当然ながら「処理」して家庭に届けられる

日本の水道水は、世界でも有数の「安価な商品」であろう

ペットボトル入りの水の価格から換算しても、家庭の水道水

はかなり安い・・・

しかし、各自治体の水道事業者は相当な経費をかけ、市民に

安全で良質の水を届けている

けして水は「無料(ただ)」ではない


そして、当然のように「安全」も無料(ただ)ではない

ところが、日本人の多くが「紙切れに書いた」もので

安全が手に入ると信じているのである

憲法に明記 → 戦争を否定 → 戦争とは無縁

戦争をしないのだから、国民は安全だと言いきってしまう


イジメはダメと校則に明記し、いじめを無視していれば

イジメに遭わないと言うのだろうか・・・

と言ってみても、解る人には解り、解らない人には

無駄な話かもしれない


私はこのブログを始めるまでは、年に1~2か所の

神社・寺院の仕事に関わっていた

ところが、この2年ほど毎月1~2件の仕事に関わり

多い時は3件ほどの要請が来る

これも何かの「定め」なのか・・・・

単なる偶然なのか

・・・で、明日も神社の仕事である

神さまは観ていると思いたい長屋の爺です


体の調子も絶好調とは言えず、老体を騙しながらの

月末であり、来月になれば少しは余裕が出るかも

などと、淡い期待を持っています




ここ数日パソコンの具合が悪く、更新もできない状態で

コピペができなくなり、文字の大きさや太字・色などの指定も

不可能になったりして、かなり落ち込んでいる

今日はあれこれ操作して、ようやく更新できそうな状態に

なったので意味の無いような更新になりました

いつ又不具合が起きるかわからないので、明日からは

その日のPCのご機嫌次第と言う事で・・・(笑)


◎  武士道は滅んでいない・・ 

台風が去ってみると、頬にあたる風が秋を連れてきたと

感じた長屋の爺です

それでも残暑は続くのだろうが・・・


夏の疲れが出る時期を迎えて体の手入れをする必要に迫られている

ポンコツ爺なのだから、やらないよりマシな程度だが・・


武士道

この言葉を聞いて何を連想するだろうか

武士道と言う言葉はたった三文字の漢字なのに

とても多くの意味を持っていると考えている

最近の外国人は「武士道」にあこがれを持っているらしい

どこまで「武士道の本質」を理解できているかは疑問だが


日本人が忘れている物の一番は「武士道精神」ではないか



イラク復興の「第一次イラク人道復興支援隊」としてイラクに

赴任した自衛隊の責任者だった番匠幸一郎一等陸佐は

隊員たちを前にこう言ったそうだ・・・

【 国家の再建と復興に懸命に取り組んでおられるイラク国民の

方々に、夢と希望をもって頂けるよう、各国と協力しながら、

日本人らしく誠実に心をこめて、また、武士道の国の自衛官

らしく規律正しく堂々と、与えられた任務の完遂に全力を尽くし

たいと考えております】



戦前の日本人はアジア諸国に対し「侵略戦争」を仕掛け

植民地支配を行った・・・というのが通説である

それは違うと言っても、現代の日本人は信じようとはしない


日本人の「武士道精神」とはどういう事を指すのかと言うと

こんな史実が残されているので紹介してみたい


日本が未だ戦況が悪化していないときに起こった「マレー沖海戦」

日本と英国が死力を尽くして戦った海戦である

当時の大英帝国の戦艦「プリンス・オブ・ウエールズ」は

世界一の不沈艦ともいわれた船だった

その不沈戦艦ともう一隻の「レパルス」を日本の爆撃機が

沈めたときのエピソードである

日本軍の猛攻を受け炎上した「レパルス」に向かって

英国駆逐艦「バンパイア」「エレクトラ」が生存者救助のため

急行したとき、日本機は2隻の艦船に向けて打電した

 「ワレノ任務ハ完了セリ。救助活動ヲ続行サレタシ!」 

そして・・・プリンス・オブ・ウエールズが炎上し、英国駆逐艦

「エクスプレス」が救助に近づいた時には、攻撃を止めて

同じようにエクスプレスの救助活動を妨げなかったという



戦争とは「殺るか」「殺られるか」の世界である

このような状況でアメリカ軍なら情け容赦なく攻撃し

一人でも多くの敵兵の命を奪い、救助など容易に許すことは

無かったのではないかと思う

日本軍がとった行動こそ「武士の情け」であり武士道の真髄だと

私は思っている

如何に相手を殺すのかではなく、いかに相手と戦うのか

結果ではなく「経過」を重んじる精神こそ武士道精神ではなかろうか


余談であるが、プリンス・オブ・ウエールズの最期のとき

全員退艦を確認した英東洋艦隊司令・フィリップ提督とリーチ艦長は

退艦を断り艦橋に残り同船と運命を共にしたのである

これもイギリス貴族の精神【騎士道】を貫いたのである


フィリピンから妻子やフィリピン大統領らと共に、兵士たちが攻防戦に

血を流しているときに、逃げ出してオーストラリアから命令だけを出していた

卑劣きわまる敵将「ダグラス・マッカーサー」とは大違いだった


武士道とは「死ぬ」ことではない

「如何に生きるか」であり、人として恥ずかしくないその時を

如何にして迎えるかを探し求める

それが「武士道」だと私は思っている



どんなに財産を残したとしても、人に言えない手段で残して

他人に「後ろ指」を刺されたまま、その時を迎えるか・・・

とても裕福とは言えない人生でも、他人にも自分にも誇れる人生を

生きた人との違い・・・

日本人は「かくあるべき」というものが、有るとすればそれは・・

情けのある人生を過ごしたかどうか

西洋的価値観で生きている人にとって、笑ってしまうような言葉だが

日本人の勤勉さ・誠実さ、礼儀作法について諸外国からの称賛の声

を聞くたびに、日本人で良かった・・心の底からそう感じるのである。

◎  皇室典範と欧州王家 

日本の天皇を決める基準になったモノは明治に

欧州の王家の規定を見本として定めた

皇室典範である



最初に当時の欧州君主国の元首(君主)を決める方法について

ふれておきたいと思います


決め方は選挙ではなく「世襲」が基本となっていたようで

その君主国によって3通りの王位継承権者の制限がありました


1 王族全体の男子のみ

2 王族全体の男子優先で女子許容

3 王族本系のみの男子優先で女子許容



どの国も「長幼の序に従う」とし、「必ず本系を先にして支系を後」

にすることになっていました


本系を先にとは、先君の長子が先君より先に亡くなった場合、

先君の次子(弟)ではなく長孫が後を継ぐことになるわけです


女子の王位継承を認めていた国でも、英国は姉より弟が優先され

ドイツでは男女に関係なく長幼の順が適用されたといいます


ただし・・・・

どの君主国も、男子であれ女子であれ、王位を継承しうる子には

二つの大事な前提条件がついていました

* 「嫡出の子」であること

* 「同等の婚媾(こんこう)より生まるる所の子」でなければならない


簡単に言うと、正妻の子でなければ認めない

さらに、王位継承権者は必ず実父・実母ともに【王族】でなければ

ならないと定められていたのです



【現に君位に在る所の氏族、或いは往時君位に在りし氏族の

男女、相婚する】 


これを「同等婚の原則」といいます


現王位の者の氏族か何代か前の王位在位者の氏族の

男女しか王位継承権を持つ子の「親」にはなれなかった


これが明治期の皇室典範の起草に大きな影響を与えたと

私は思っている

王位継承権を持つ男子の后になる資格は「王族」であることが条件

だと言っているのです

それゆえ、欧州の王家では女子の王位継承を当然のように

考えているのでしょう

父方・母方とも「王族」であれば、皇位継承に何ら不都合は無い

(王族出身の女王と王族の男子との子は血縁を繫ぐことになる)


平安時代に皇室典範が有れば藤原でも橘であっても、国母の資格は

無かったと言う事になる(笑)


平安の時代から「皇位継承問題」は日本国の一大事であり

そのために幾多の罪なき命が失われてきた

明治新政府はそのような歴史の過ちを繰り返さないよう

欧州王家を範として、明文化することを選択したのだろう


明治天皇は皇室典範の前文にも

【朕が後嗣および子孫をして遵守する所あらしむ】

と決意を示し、生涯その実行に努めている


「開かれた皇室」とはどのような経緯で成されたか

個人で学ばれるのが望ましいと私は思っている

日本の皇統は紆余曲折はあったが、今なお「元首」

として、「祭祀王」として尊ばれているのはどうしてか

なぜ欧州王家同様に続いていて、国民の多くの尊崇の

対象となっているのか、歴史をさかのぼってみると

いろいろなことが見えてくるのである


私の個人的な思いを言えば、欧州王家は守るべきものを守り

変えることの「安易」より、変えないことの「困難」を

自主的に選択・継承してきたからであり

情より規則、自分の思いより国民の思いが優先されるよう

強く固い意思で「守ってきた」結果ではないかと思う


王位継承に王の「心情」は不必要であり、国民が誰しも

納得できる「決まり」を守ることが王家の安泰に繋がってきたと

私は考えています

日本の皇室の未来は日本の国民一人ひとりが考えて判断する

事が大事なのかもしれません・・・。

◎  平成27年度 富士総合火力演習 予行体験記 2 

ガールズ&パンツァー 劇場版


TV版すら観たことが無い長屋の爺ですが・・・

これも「国防女子」が増えた証拠でしょうか(笑)


かつてはマニアックな雑誌だったものが、今では着実に販売を増やしているのではと

思えるようなものが多々あります

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私も時折購入しますが、表紙に若い女性を起用するなど

防衛関係の雑誌なのに、なかなか斬新な試みだと思っています


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AHー1S COBRA

通称名は「コブラ」

対戦車用ミサイルTOWを搭載し、低空を飛んで「獲物」に近づくことから

コブラの愛称で呼ばれる

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AH-64D (APACHE) 

アパッチとはアメリカ先住民・アパッチ族に由来する

通称「ロングボウ」 ローター上部にある風船のようなものは

「火器管制レーダー」でその名称が「ロングボウ」と呼ばれる

30ミリ機関砲、空対空ミサイル、空対地ミサイル70ミリロケット弾

(ヘルファイア)を搭載する

ターボエンジンを2基搭載していて、一基が故障しても

もう1基のエンジンで飛行が可能な主力ヘリである

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74式戦車

性能など度外視してマニアに人気の「ナナヨン」

戦車特有の無骨なシルエットとは違い華麗と言える姿に

多くのファンがいまだに多い理由でもある

実は私も74が大好きだ(笑) 

例えていうなら「深川芸者の立ち姿」のようで・・・

芯が強くて仇っぽいなんて言うと不謹慎かw

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90式戦車

国産3代目の戦車で、観たとおりの「戦車らしい戦車」である

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10式戦車

最新型の戦車で国産4代目

今までの経験を踏まえてハイテク化された戦車

評価は様々だが能力は目を見張るものがある

戦車同士のネットワークで情報を共有して作戦を遂行する

時速70キロの猛スピードと小回りの利く性能で、移動しながら

大砲を撃ったり、迅速な移動によって敵に捕捉されにくい特徴がある

運動性能重視と単価の圧縮により、軽量化を進めた結果

エアコンが装備されなかったと言うのが何とも・・・・

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戦車など無用の長物という人もいる

専守防衛に戦車は不要という事だろうが・・・

国中を海に囲まれている日本だ

何処から敵が上陸するか不確かである以上

防衛ラインの構築は地上兵器が占める割合は

低くは無いと思っている

海に陸に空にと、備えることに無駄など無い

現代の防人は「高性能な防衛装備」で国民だけでなく、

従事する自衛官の生命をも守らなければいけないと思う

◎  平成27年度 富士総合火力演習 予行体験記 


平成27年度 富士総合火力演習 予行(8.20) 




2015 総火演



小雨交じりの最高とも最悪とも判断できない天気

「暑くなくてよかった」

「せっかくの総火演が雨では・・・」

どちらの声も聞かれた微妙な状況での見学となった

総火演 入口2



開場前から雨がぱらつく状態でも、相変わらずの長蛇の列・・・

国会前のデモなど吹き飛ぶような熱気に満ちていた

何と言っても見学者の女性の比率が高い事である

「国防女子」という言葉の通り、【国母】が9条なら

私たち【国防撫子】よ!

・・・と言わんばかりの熱い気炎を上げていた

国を想う老若男女が集合したと言いながら

むさい親父ばかりと思われそうだが、なんと若い女性も

相当な数が参加していた

こんなところにも、女性のパワーが発揮されている

愛することに関しては女性には勝てないと言う事か

これほど国を愛する女性がいるのだから日本は大丈夫!


明日の本番の競争倍率は29倍らしい、世間で言うところの

「プラチナチケット」である



総火演 会場 2


総火演 会場 1


実際の演習は明日・日曜日(23日)だが

8月18日、20日、22日の三日間、予行が行われる

当然ながら予行であっても、ほとんどの演目は「実弾使用」である

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【74式戦車】 轟音と共に凄まじい衝撃波を感じた

これが現実の防衛任務、「9条」では子・孫は守れない


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【10式戦車】 日本の最新型戦車、ハイテクと機動力は

中韓とのレベルの違いを実感する 


最後の演目・・・


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まるで「仕掛け花火」を観ているような・・・

その華やかさの後に訪れる静寂は例えていうなら

話すどころか、息をすることも憚られるような

ピーンと張りつめた静けさだった

声を上げることも、拍手することさえ遠慮してしまう

そういう厳粛ささえ感じてしまった


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主役である戦車群もただじっと停止したまま・・・

搭乗している若き戦士は何を思っているのか・・・

この時間は長かったのか短かったのか

時計では計ったわけでは無いが数分間の静寂だったろう


私は胸の中で思わず「ありがとう」と叫んでいた





今回の演習見学の目的は「若き日本の盾」を観る事だった

誰も彼も皆真剣に、誠実に磨き抜かれた技術を見せてくれた


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明日も写真を掲載しようと思います

◎  無事 帰ってきました 

不肖 長屋の爺は富士の裾野から帰還いたしました

今年の22時間の試練は、老体には激しいものでした

30分ほどの仮眠しか取れなかった爺

朝から降り続く雨に打たれながら

人生の厳しさを再確認させられた心地です


昨日の夕方から食べ物は胃に入っておらず

寝不足と会場までの行進で疲れ果て、最近購入した

一眼レフを雨に濡らさないようにのみ腐心するという

想定外の試練が待っていたのには、涙が出そうに

なりました

これが「日本を愛することなのか」

国を想うことは時として辛いものだと今更ながら

身に染みた長屋の爺です


結果としては500枚ほどの写真を撮り、納得のいく

写真が何枚か撮れたことは最大の喜びです



午前中に配給された「折詰弁当」は、今日一番の

「土砂降り」の中、ありがたく食しましたが

弁当を食べるのに、こんなに「テクニック」が必要とは

考えたことがありませんでした・・・なぜなら

早く、要領よく食べないと、せっかくの弁当が

雨の【お茶漬け弁当】になってしまうからです(笑)



今日は疲れているので、後日写真をアップしようと

思っておりますが、積もる話もありますが

まずは無事帰還の報告だけといたします。

◎  歴史とは 


 【一国を亡ぼすのに刃物はいらない その民族の

記憶(歴史)を消し、その上に新しい歴史を捏造、

発明して押し付ければ足りる】
 



素晴らしい言葉です

私は思わず唸ってしまいました


何処の国の事かわかりますか・・・

いろんな国に当てはまるような名言ですが

これは「侵略者」が使う狡猾な仕打ちなのです


この言葉を観て「米国」を連想することができます

これを今の「日本」としてとらえることが本当でしょう


私はもう一つ、日本の古代史にも通じる言葉だと

考えています

どうして出雲は滅んだのか

どうして古代豪族は滅んだのか


その答えがこの言葉に凝縮されているからです


ウソも百篇言えば「真実」になるとは、こういう事を言うのでしょうね

マスコミの言葉に騙されている花畑国民も例外ではないでしょう


今の日本を考えるとき、日本人が日本人たり得ない

現状を作っているものが、歪められ創られた歴史観

・国家観のせいではないかと思うからです


そして韓国の場合は、これとは逆に「自国の歴史」を

受け入れることを是とせず、自分たちの手で歴史を消し

新たな捏造歴史を作って、自ら国を滅ぼそうと騒いで

います、まるで「進んで暗闇の中に入り込む」ような状態です


近代日本について言えば、白人の世界であったものを、一人の

アメリカ人が混沌とした世界への入り口を開いてしまった

その名は「ペリー」と言います

黒船で日本に来て、「開港」「交易」を迫った人物です

大雑把に言うと、それまでは世界は白人が支配していて、

特にアジアにおいては鎖国をしていた日本以外は植民地と

して白人に搾取されていたのが偽らざる現実です


日本の維新とは、有色人種(アジア人)の夜明けだったともいえる

維新からわずか30余年で、巨大な清国や帝政ロシアに勝利し、

アジア人でも独立した国として生きていける希望のようなものを

漠然ながら感じたのではないだろうか・・・

その時、強い日本はアジアの光明としてとらえられていたかもしれない

日本憎しの感情は膨らんで、アングロサクソンたちを戦争へと誘っていった

大東亜戦争時のアジアで日本は植民地にしたのは「台湾」だけだろう

(この台湾にしても「植民地」という表現が正しいかは疑問であるが)


植民地とは・・・ある国からの植民によって形成された地域のことで

特定国の経済的・軍事的侵略によって,政治的・経済的に従属させられた地域

のことを言うとある

植民とは、国外の領土や未開地に自国民の移住・定住を促し,開発や支配を

進めることであり、国を乗っ取るつもりなど日本にはなかっただろう

というより、そんな余裕もなかったのではないだろうか


大東亜戦争での日本軍は確かにアジア各地に侵攻したが

その国の政権を従属させたのか、日本人を入植させたのか

という疑問がわいてくる

その国の植民地解放運動・独立運動に便乗しアジア各国に侵攻したと

言うべきであって、侵略を目的にした戦争拡大ではなかった


これが特に大事なことで、これによって「白人のプライド」を傷つけられ

「日本人憎し」の炎を燃え上がらせたのが「マッカーサー」である

フィリピンから命からがら逃げたマッカーサーにとって、日本を亡ぼすことが

人生目標となる

マッカーサー 1


ペリーが開けた歴史の箱、それによってその「つけ」を払わされたのが

マッカーサーという事になる

日本の国体である「天皇」の護持は動かしようの無い事だった

進駐軍(GHQ)のトップでは覆すことができない決定事項だ

その中で、彼は日本の歴史基盤である「神道」を形骸化、消し去る事

を模索したのではないか

国際法・国際軍事法にも、敗戦国の宗教に圧力をかけたり

介入することは禁じられている

靖国神社もその候補に入っていた

靖国神社は皇室とは一線を画す神社である

神社と言うより慰霊施設の趣がある場所だ

歴史も戊辰戦争からと古くは無い

アジアの夜明けの発端となった御霊に対し彼はどんな気持ち

を持っていたのか・・・

これ以上書くと、終わらないブログになりそうなので

彼については、またの機会に(笑)



人はなぜ「歴史」を守るのか・・・

歴史は誰の物なのか・・・


世界遺産と言う言葉に踊らされて、歴史遺産の本質を

考えない日本人を見るたびに、私は言いようのないいらだちを覚える

歴史はその国の人間が守り・伝え、けっして失ってはいけない

心の財産であり、生きていく原動力なのだと・・・

私はこの言葉に出会ってから、歴史を知る事の大切さを実感している

もう一度ここに書きたい・・


 【一国を亡ぼすのに刃物はいらない その民族の

記憶(歴史)を消し、その上に新しい歴史を捏造、

発明して押し付ければ足りる】 



心の隅に留めておいて欲しい言葉です

◎  日本人が記憶に留めてほしい名前 


言葉とは時には便利な道具として、人々を勇気づけ

また時として人々を悲しみに落とすこともある


「原爆投下によって、戦争を早く終わらせ、100万人のアメリカ兵の生命が救われた」 

これが地球上で唯一「原爆」を使用した国の当事者が放った言葉である


Henry Lewis Stimson (ヘンリー・ルイス・スティムソン)

米国の元陸軍長官であり、共和党の政治家であった

日本人は彼の名前を記憶してほしい

原爆の製造と使用を決断した当事者(責任者)であり

彼こそ広島に原爆を落とした張本人なのである

爆撃機の兵隊が独断で落としたものではない

当然ながら、原爆が勝手に空を飛んでいったのでもない


『我々にあまり危険を及ぼさずに、いかにして彼ら(=日本)を

先制攻撃する立場に操縦すべきか』



これは真珠湾攻撃の10日前のスティムソンの日記に書かれた言葉である


「私はこの件(日米交渉)から手を引いた。あとはあなたとノックス海軍長官の出番だ」

これはハルノートで知られるコーデル・ハル国務長官がスティムソンに

対し言った言葉である


ルーズベルトに信頼され、日本を戦争へと導き

マンハッタン計画の責任者レズリー・グローヴズ准将を監督し

原爆の製造と使用の決断をした

さらに、トルーマンに支持されて、東京裁判を断行した張本人


日本人は「恨み」とか「憎しみ」とは別に、この人物の名を記憶にとどめてほしい

ヒロシマにおける「過ち(あやまち)」とは、誰がどんな過ちを犯したのか

冷静に考える必要があると思います


【南京虐殺捏造】も【真珠湾奇襲】も【大東亜戦争】もすべて一本の糸

で結ばれている

1941年当時「侵略戦争」などと言うものは存在していない



「窮鼠かえって猫を噛む」


噛んだネズミと言う状況だけで、鼠の非ばかりを叫ぶ

噛みつくように仕向けた(追い詰めた)猫に罪は無いのか?

まさに、今のシナと日本の置かれている状況に似すぎている

考え過ぎと笑われても、私の歴史観が「危険」と言っている


人まね、パクリが得意なシナ共産党である

歴史から「余計なこと」を学んだかもしれない


謝罪とは自らの非を認め、相手に許しを請う行為である

日本が許しを請う対象に、朝鮮は含まれないだろう

日本人として戦争に参加しておきながら、被害者面も無いものだ

本来なら敗戦国の一員なのである

こんな事を理解できる知能は無いだろうが・・・

シナにいたっては、当時の政府は国民党政府(蒋介石政権)であり、

シナ(共産党政権)ではない、賠償など本来は不必要ともいえる

謝罪と言う言葉を使うなら、非人道兵器(原爆)を使用した

米国政府が日本人に対し【許しを請う】ことが必要ではないか


もう2度と核兵器を使う愚かな【過ち】は犯しませんと

ヒロシマで宣言すべきなのである



大東亜戦争に関することで、アメリカが日本に対し冷淡な

態度に出るのは、理由がある

弱味(不都合な真実)を蒸し返されたくないがために

あくまでも優位を保持していたい気持ちの現れなのだ

「日本が悪者」になっている間は、原爆使用の正当性が

保証されているようなもので、万が一シナや朝鮮が拳を下ろしたら

その拳の行き先が米国に向かう事を恐れている


戦争が良い事などと言うつもりはない

操縦を誤って墜落した旅客機のパイロットの家族に

謝罪を続けろという遺族は居ない・・・・


過去を清算し「繰り返さないこと」が大事なことであって

謝り続けることが大切なのではないと私は思う


今年の8月6日、9日、15日を振り返ってみて

日本人の考え方、米国の態度、シナ朝鮮の愚かさが

もう一度「戦争と日本」を考える良い材料になった気がする


(*京都市民はスティムソンには感謝すべきなのかどうか・・

京都に原爆投下するのを反対し断念させたのも彼だったからである)

◎  日本の伝統文化・風習を否定する似非日本人 

カエルの声がセミの声に代わり

何時しかキリギリスの合唱に代わって

ツクツクボーシの独り舞台になった

【恋に焦がれて 鳴くセミよりも

  鳴かぬ蛍が身を焦がす】


こんなこと知っていても・・・無駄のようなw


今聞こえるのは、家路を急ぐ帰省者の車の音

何やらホッとする時間が戻りつつある

夏と言えば「盆踊り」と「墓参り」

その盆踊りが大変なことになっている


「まるでカルト」…イヤホン耳に無音で盆踊り、「うるさい」苦情で



一言でいうと、日本人が「狂ってきた」

この話を聞いた【尾張徳川宗春公】はどう思う?

静か=正常  喧噪=害 ということなのか?


幼稚園の子供の声がうるさい

盆踊りの音楽がうるさい



権利ばかりを主張する お門違いの現代人

これじゃ「伝統」なんてあったものじゃない・・・


一人の国民として、市民として、町民として

伝統行事を容認することができない人間など

日本人を自称してほしくない


クレームばかりつける現代人は日本人ではない

そんな言葉も聞かれる


自分の意に沿わないから「行事を止める」

全ては自分中心の考え方、「自己中」という病が

蔓延しているせいなのだろう・・・

多くの日本人の中の一人である自己

地域社会のなかの一市民である自己


社会の中の構成員である個人は、社会生活を

円滑に進めることに助力する義務は有っても

妨害する権利は無い


平たく言えば、その店のBGMが耳障りだから

音楽を止めろと言っているようなもの

耳障りと言うなら「店を出れば」万事解決する

移り住んだと言う事は、自分の意思で店に入った

ということなのではないか?

誰かが強制的に「太田川」に連れてきたのか?



太田川から知多にかけて、最近では開発が進み

新しい人たちも増えてきたようだ

そこに移り住むと言う事は、その地域の文化を

受け入れることも条件である

文化・伝統を阻害するために移住したわけでは

ないだろうに・・・

また、異常に反応して「無音」という方策を選んだ人も

伝統文化や地域の風習を否定するような事だと認識

できていないのか・・・

本当に日本は無くなりつつある



西洋の価値観と権利ばかり主張する、似非日本人の

手によって、日本は遠くに行ってしまいそうである。
 


◎  天皇陛下おことば全文 

《全国戦没者追悼式 天皇陛下おことば全文》

 「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

 終戦以来既に70年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません。

 ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります



今日の天皇陛下の全国戦没者追悼式でのお言葉である

評価は個人にてお願いして、私は天皇は「政治」に無関係で居るべき

などという、堅苦しいことは思っていない

ただ「戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し心から追悼の意を・・・」

と言う言葉をこの場で発する事が可能なのに、どうして靖國へ足を運べ

ないのか・・・その一点だけが納得できないのである


靖國に眠る御霊はかつては天皇の「赤子(せきし)」であった人々だ

その人々の冥福を祈るとともに、ねぎらいの言葉をどうして靖國で

言えないのか・・・・日本の天皇ならばなぜ・・・足を向けない?


政治とは距離を置くと言いながら、政治的配慮とやらに心を砕くという

大いなる矛盾は「宮内庁」の亡者どもの画策か・・・・

日本の一番長い日が終われない、その理由を観た思いである

昭和天皇の思いは継承されていないような苦い思いだけが

残る、70年間続いたままの8月15日はあと何年続くのだろうか

◎  ありがたみ・貴いもの・拝する対象 

私の亡父は戦地に赴くまでは「フリーのカメラマン」だった

その父のアルバムの最初には、行幸で訪れた神社を闊歩

する昭和天皇の若きお姿が貼られていた


自分が撮った写真の中でも、新聞に掲載されたり

賞を取った写真ではなく、「天皇陛下」の写真が

最高の作品であったとでもいうように・・・・

それほどまでに、戦前の天皇陛下を直接見られることは

生涯の喜びであり、誉れでもあったのである


両陛下、二科展の100回記念展を鑑賞

数が少ないから貴重であり、何物にも代えられない

価値が生じ、観られたことに喜びを感じる

宝物展、特別観覧などは、限られた期間・場所で運よく

眼にできるから「ありがたみ」も「喜び」も増すのだと思う


「かぁちゃん」を連呼すると、「かぁちゃん」の安売りで

有難みが減るからそんなに呼ぶな! と言うそうだ・・・

至極名言である (笑)


天皇陛下って、こんなに巷にお出ましになるものだったか?

開かれた皇室は時を経て、直すこともできない締まりの無い

開きっぱなしの皇室になってしまったのか・・・


公務がストレスになるという話には、公務が「重荷」だとする

事を、宮内庁が遠まわしに国民に告げているのだろうか

その真意がどのあたりにあるのか、はっきりとは断言できないが

以前から続く、宮内庁による「皇室祭祀の形骸化」と「東宮一家」

の公務の「おさぼり」「軽視」「頻繁なる外出」を正当化するために

宮内庁が援護射撃・煙幕を張っているのでは・・・

とは、長屋の爺の考え過ぎだろうか・・・


日本の伝統、日本の存在価値を否定・非難しているように

思えても、相手は皇室であり、宮内庁と言う伏魔殿である

大きな声で批判することもできないのだが・・・


原発・米軍基地・皇室は日本の三大懸案である

どれも国民の税金が大きく関わる問題だ

原発が停止して、無くなれば補助金と言う「税金」は

支給されない

米軍基地が無くなれば、当然の事として補助金は消える

税金(補助金)とはそういう性質のものである


公務を減らしたり、公務を行わない天皇家に血税を従来

通り支出することに疑義を感じる国民は一定数出てくるだろう


昨今の東宮家の言動は、だれの目から見ても「異常」であり

彼ら(東宮家)に血税を使われることに、大きな不満を感じている

国民は少なくないはずである

天皇の陰に隠れ、税金を浪費する東宮家の行状が世間に

出るたびに、誰かのストレスになり、更なる公務に対する

負担の大きさを強調する

そもそもは掛け違ったボタンから始まっていて、その結果として

際限の無い「負のスパイラル」に陥ってしまった


全ては1945年8月15日に始まっているのかもしれない


日本の一番長い日とは、今この時も「8月15日」のまま

時間が止まっていて、70年間続いている「一日」であり

【あの日】ではなく、「今このとき」が日本にとっての

長い一日であり、時間が進んでいる錯覚で「あの日」と

感じているが、本当は何も進んでいなくて、長い一日は

今も日没を迎えていないような気がする


日本人が日本を取り戻すとは、日本の西洋化でも

開かれた皇室でも、世界屈指の経済大国でもなく

悠久の時間を経てきた伝統の護持であり、国民に

尊崇・敬愛される【天皇】が居る国を思い出すこと

そして、その天皇がいる日本に対して国民が誇りを

持つことであり、その為にはそのような天皇が即位

することが必須だと、長屋の爺は思っています。

◎  お米は日本人の主食 高い?安い? 

よく耳にする言葉に

「毎日食べる物だからできるだけ安いものを」

この言葉を、考えなしで使っている人は少なくない

たとえば、主食である「お米」などは特に「安いもの」

に指定される代表だろう

だが・・・ちょっと考えてみてはどうだろうか

それほど日本のお米は高いのだろうか?

基準にするものによって差異はあるだろうけど

我が家のコメは、㎏/500円程度

5キロ単位で購入するので、2500円程度になる

これで私は一人身なので、一か月は楽に暮らせる


なぜ私がコメが安いと感じるのか・・・

それは外食と比較しての自論である

「安いお米」を常食にしている知人は、昼食にかける

金額はあまり気にしていない様子

さらに、奥様も友人とおしゃれな店で、「ランチ」を週2回の

ペースで利用すると言う

一回の外食に千円~千五百円を支払うのはOKという人が

茶碗一杯100円足らずにしかならない「お米」に不思議な

こだわりを持って接している

日本人の主食が一食100円以下でありながら、それすら高いと言う

日本人の価値観はどういうものなのか・・・


外食一回の金額から計算しても、一人2回の外食を我慢すれば

一人分のお米(特A米)が購入できる理屈になる(あくまでも理屈だが)

外食の回数を減らせば、最高のお米が食べられるとは言い過ぎだろうけど


私の思う「高い」は、コメが高いのではなく、お米に対する

意識が低いだけのような気がする


お米に「価値観」を持たないから、安いものでかまわない

そういう心理が働いてはいないだろうか?


本当に経済的な理由で「安いコメ」を選んでいる人ばかりだろうか

何かの経済的目標があって、節約するためと言うなら納得できるが

お米は安いもので良いから、高い「嗜好品」を買いたいために

食費を削っている人は居ないのだろうか?

他人が見ていない食事はどんなものでも良いが、他人と同席

する、他人に見られる食事は「見栄」を張るという人は居ないのか


家ではスーパーの安価なコメを買い、家族そろって外食する

なんか違うような気がするのだが・・・・


昔は家計にほんのわずか余裕が出た時、一大イベントで

家族揃って外食することがあった

基本にあるのが「家庭」であり、「食べる=生きる」だった

(こんなこと言っても、「時代が違う」でスルーされてしまうのだろう)


ところが今では贅沢・外食の余りで「主食」を賄うのが当たり前

になっている

私は出前など取らないから詳しくはないが、ピザ一枚を頼むと

幾らになる? 千円や二千円は払うのではないか…

一回の食事に千円を払ってOKな日本人というのは

ひと月の主食であるお米の千円を惜しむ日本人ということか?



私は16年前のポンコツ軽自動車を使用している

私は食べる物に「安いから」「「高いので」は考えない

自分は食べるため(生きるため)に、働いている

高級車を購入するために働いているのではない

だから身分不相応にも、すし屋(クルクルではない)に

も行くし、うなぎ屋にも行くし、毎週「刺身」を食べ、

豆腐屋の昔ながらの豆腐を食べている

食べる物で後悔したくないし、明日があると言えるほど

私の人生は「保証」されてなどいないからだ


どんな高いお米を買っても、㎏/千円することなどない

我が家は「ゆめぴりか」を月に5キロ買うが、それでも

日中は外で仕事をしているので、余る月が多くなる

おいしいお米を食べると、惣菜が一品少なくて済む

お米が美味しいということは、幸せな気分になれる


私は子供のころ、家庭の事情で「米の飯」が食べられない

時期があった

まわりの子たちが弁当に白米を持ってくるのに

私の弁当は「芋と南瓜」、白と黄色の弁当に苦い思い出がある

当然のように「真っ白な飯」を腹いっぱい食べるのが夢になった

以来、私は大好物は「銀シャリ」と言う事にしている


北海道で生まれ育った同世代の方は理解できるだろうが

戦後復興は北海道の場合、おそらく十年近く遅れていたと思う

本州で生まれ育った友人と話をしても、どこかかみ合わない

そんな幼少期の思い出ばかりである


私は「山羊」の乳で育ったと聞かされている

母乳の出が悪かった母親を気遣って、近所の方が「山羊の乳」

を毎日届けてくれたそうだ

その時代はそれが「ふつう」であり、貧乏という言葉は当てはまらない


西洋的価値観と創作された「流行」に踊らされ、日本人が守るべき

物の「価値」を下げてきているように感じてしまう


私は正真正銘の【貧乏人】であり

由緒正しい貧乏人の家系であることが自慢である(笑)


大手スーパーの陳列棚の前で、客の迷惑も顧みずに立ち話

頭の先からつま先まで相応の物を身に纏い、手にするものは

中国産食材や廉価なお米・・・・

「だって国産は高いから・・・」

そういう人に限って、欧州製のブランド物に身を包み

最新の「スマホ」を片手にするw


私の偏見であって、大きなお世話かもしれない(笑)


だけど・・・

何か違うのでは? と思ってしまう長屋の爺です

◎  桜と人生 

今年の夏はどうも「古代史」を書く気がわかない

社会情勢なども関係があるのか、本を読んでいても

なかなか頭に残らない・・・・

この時期は、先人たちや70年前の日本に思いを

馳せても良いではないか・・と言い訳してみる(笑)


私は桜が大好きだ、「今更何を?」 と言われるかも

日本人は桜が好きな民族だと思う・・

日本には気象予報、台風情報、花粉情報という

全国に向けて知らせるシステムがある

そして・・・もう一つ

【サクラの開花予報】 と言うものも存在している

おそらく、世界でも類を見ない「珍現象」の部類に

入るかもしれない

日本中のメディアが10日ほど咲いて終わる「花」の

開花予報やら開花具合・見ごろの日にちまでを

公共の電波や各新聞紙が報じる

1年のたった10日間の「花の開花」のために、ここまで

する国民が地球上にいるだろうか?




以前にも書いたが、これほどまでに国民に愛されている「サクラ」

だが、国花には指定されていない

というか、日本には【国花】というものは存在しないのである

(時々、ネット上で日本の国花は桜と菊と書かれている方が

いらっしゃるが、正式には決められていないのが現実です)




私はきっと「天皇家の紋」が【菊】なので、天皇家に配慮して

菊にしたいのだが、国民が納得しないという予想から、双方ともに

国花の指定を見送っているものと「自分勝手」に思っている


サクラと言えば、予科練なんて言うのは時代錯誤で

桜田門と言えば、警視庁のこと・・・しかし、警察手帳の

紀章は「旭日章」なのに、隣国は何も言わない・・・・・・


県花として「サクラ」を定めているところは幾つかあって

東京都は「ソメイヨシノ」、山梨県は「富士桜」

京都府は「しだれ桜」、奈良県は「奈良八重桜」だという

日本人はどれだけ桜が好きなのか(笑)


サクラの花が散る情景は日本人の感性を刺激する

桜の花の寿命が短いと思っている人もいるようだが

花としての寿命は長くもなく短くもなくちょうど良い

今より短ければ「物足りなさ」を感じ、長ければ

「わずらわしさ」が生じるのではないか・・・


サクラは咲く前には「期待」と「想像」を

咲いたときには「あでやかさ」「はなやかさ」を

散るときは「はかなさ」「いさぎよさ」を

観る日本人全ての心に訴えかける



理屈ではない感情は、何処からくるのだろう

やはり、「禅」の精神性からくるものなのか・・・

それとも・・

日本人特有の感性の「琴線」に触れるからなのか


日本人は桜の一生の一部分に自分の人生を投影して

感傷に浸ることが得意である

という長屋の爺も、サクラこそ日本人の生き様だ、みたいに

考えることがある

桜は日本人に愛されてきた

誰もが信じて疑わないこの言葉・・・果たして本当だろうか?


平安京ができたころ、宮中に植えられていたのは

桜ではなく「梅」だった

いつのころからか梅に代わって桜になったようだが

詳細は不明と言われる


「武士」と「桜」は切っても切れない縁のように感じるが

その武士とて、サクラを歓迎していたわけでは無いようだ


椿は花が咲いたまま「首が落ちる」ように落花することから

忌み嫌われていたというし、サクラもパッと咲いてすぐに

散ってしまう事から「家門が続かない」「短命」ということで

避けられていた気配がする

(時代時代によって解釈の違いから、サクラの花一つでも

評価が違うのは納得できる)


武士の潔さと桜の散りざまを重ね合わせる風潮もあれば

あでやかに咲き誇る情景は武士の好むものでもあった


縁起の良い悪いも自分に都合の良い解釈をするか

ネガティブな解釈をするかで、どちらにでも解釈できた

と言う事かもしれない


桜の木は曲がっていて「建築材」などには不向きで

折れやすく、又病気にかかりやすかったから、樹木

としての評価は利用価値と言う事で考えれば

それほど高くは無かったといえるだろう


それでも、日本人は「サクラ花」が大好きである

樹に価値が有ろうと無かろうと、あっという間に散ろうとも

桜には桜にしかない魅力があり、日本人にしか解り得ない

神秘的な魅力がある


私は桜の花に「神の意思」を感じてしまうときがある

なんていうと、少々大げさな表現だが・・・・・・・・


人間、何処で生きても、どんな人生を送ろうとも

咲いて散る、つまりは生をうけて死ぬのは人の定め

どんなに社会的地位が有ろうと、財産家になろうと

生まれた時は「花」の一つ、散るときも単なる「花」の

一つでしかない

どう評価されようと、花は花であり、人は人である

咲いたことに意味があり

観られることに意味は無い

散ることに意味があり

散った後に意味は無い

桜の人生も、雨や風、不心得者に手折られたりと

いろいろなことが起きるが、それも一生の出来事

人間も様々な試練があっても、それが人生であり

「精一杯」生きるのが「是」と神さまが「サクラ」を通して

自分に伝えている・・・そんな気がします

◎  夏休みの予定と一番長い日に向けて 

暑い日が続く・・・というより、暑さが止まらない


長屋の爺の夏休みが始まりました

約2週間、引きこもりの生活が始まります(笑)


読みたい本、読まなければいけない本

整理しなければいけないメモの数々

物置を設置する場所のコンクリートの施工

ウッドデッキの補修

玄関ポーチのバリアフリー工事

「紺屋の白袴」で、ついつい後回しになっている


そして、休みの後半は、富士に行く予定だ

登山ではない、昨年も参加した「富士総合火力演習」

の見学である

戦車や大砲、ヘリコプターなど、観るべきものは多いが

私が楽しみにしているのは、会場内で保安に従事する

MPの若い子たちの姿を観る事なのである

私の子供より若い自衛官が炎天下の中で、真剣に来場者に

目配りする姿は、私にとって「日本の安全を託す」に十分な

存在だと再認識できるからだ

私は自衛隊に理解がある人は「戦争反対」を基本に考えている

と思っている

あの若者たちを「見殺しにしてはいけない」という強い思い

だから、両手を上げて「ギブアップ」するのではなく

防衛装備を充実させ、抑止を高め「戦端」を切らせないように

することが、彼ら若い自衛官の命を守る事だと考えている


自衛隊容認は「戦争容認」ではない、此処が理解できない著名人

は驚くほど存在する


この時期になると、あの著名人も「自虐」の言葉を発信してる

あの有名人も「日本が悪い国」だったと公言してる

そんなことを見聞きするのは日常になる・・・


日本が「中立国」を選択し、自衛隊を解体したとすれば

全国民は「完全徴兵」の戦士になる事に気付けないのも

グローバルとか国際化とか口で言うほど、世界を知らない

からいえるのだろう


嘘だと思うなら「スイス」の国状を調べることをお勧めする

現実には各家庭に小銃が配備され、有事の時の用意として

村のいたる所に「侵入を防ぐ」ための設備が隠されている

彼らは中立と引き換えに、全国民が兵士になる事を受け入れていて

戦争は仕掛けないが、攻めて来たり、不法に国境侵犯をすれば

命がけで阻止するという【強い意思】を持っているのである

だから、周辺国は「スイス」に対し、不用意な行動は起こさない


日本がどんなに憲法で「不戦」を誓おうとも、国外に宣言しようとも

それは日本の論理でしかない

それが証拠に「憲法9条」がある現在、中国はどういう事を

日本に対し行っているかを考えれば簡単である


憲法で「戦わない」「反撃しない」と宣言することは

相手が自粛する効果があるとでも思っているようだ


中国や北朝鮮にすれば、勿怪の幸いで「やりたい放題」が

許可されたように振舞うだろう・・・

例えていうなら、向かってこない、手を出さない【サンドバッグ】

のようなものだ、好きなだけパンチを繰り出せる

サンドバッグなら「痛い」「苦しい」は言わないだろうし、問題には

ならないが、これが日本人となればどんな手法で「甚振る」のか

最終的には「凌辱」「惨殺」「略奪」が日本全土を覆うことだろう


こんな事を書くと「右寄りの人間」「右翼化」とか言われそうだが

私は普通の日本人であり、しょうもない爺なだけで、戦争には反対であり

核使用には断固反対し、反中共・嫌韓・脱米国が信条なだけだ


私の現実生活の周りにも、あの国だって悪い人ばかりではない

と言うものもいる

当然だが、日本人にも「悪い人間」は山ほどいる

問題は政治を観れば「国民」が見えるのである

おそらく海外の人から観れば、夢の世界で戯言を言う能天気な国民

として見えるだろう

自衛隊がありながら、軍備は持たないと言い、平和憲法があるから

戦争をしなかった、巻き込まれなかったという「陳腐」な理論を臆面もなく

世界に公言する日本とはいったい「正常な知能」をもっているのか?


「一番長い日」と言われる日を前に、もう一度考えてみるべきだと思う


◎  昔話 桃太郎を考える 桃の正体 

桃太郎(ももたろう)は、どうして桃だったのか?

通説では、中国原産の果樹の名前で、【邪気】を

はらう霊木だからだという

邪気(鬼)を払う(祓う)力があるから桃だった?

とても説得力のある説に感じてしまうが・・・


では桃太郎の説話はいつの時代に書かれたのか

*太郎という表現(ネーミング)は古代の物ではない

太郎と言う名が歴史に出た最初は【嵯峨天皇】の時代

嵯峨天皇の第一皇子の幼名が「太郎」だったとされる

以降、武士階級の間で長子などに付けられるようになった

ようである

室町時代に書かれ、江戸時代に広まったとする説が有力

とされる

そういう歴史を踏まえて考えると、桃太郎は武士の時代に

纏められたか創られた説話と言う事になる


私はヤマトの始まりが、話し合い(説得)からという説が

ヤマト思想ならば、ヤマト風に考えたら桃太郎は鬼たちを

説得しようとしたはずなのだが、、それも無くいきなり奇襲をかけて

一網打尽に退治してしまった

話し合いなど微塵も感じない【勧善懲悪劇】になっている

武士の時代に書かれていたとするなら、名乗りを上げて

「正々堂々」と勝負するのが常識だろう

室町時代とする説に、今一つ納得ができない爺である

これだけを観ると、武士の時代ではないような気もする

ことから、話のモデルになったのは「古代ヤマト」の時代

と考えるべきかもしれない


桃でなければならない理由を考えてみた・・・

どうして・・・桃の中から だったのか

「桃が邪気を払うから」では説得力がない


桃そのものが女性であったという説がある事を知った

【おばあさんが拾ってきたのは、大きな桃ではなく、若い娘であった。

桃は若い娘のお尻の象徴であった。

子供が出来ず悩んでいたおばあさんは、拾ってきた娘におじいさんの

子供を孕ませた。

おばあさんはその娘から、子供を取り上げた。

それが、桃を割るということであった】 (Wiki より)

これなど、江戸時代の「黄表紙」にでも書かれていそうな

説話だが・・・(笑)

とにかく諸説紛々である


私が思うに、勝ち残った者は「善」であり、敗れ去った者は

「悪」であるという理論から導き出された思想のようなものを

「童子」という姿に仮託し、「勧善懲悪(かんぜんちょうあく)」の

英雄譚に作り上げた物のような気がする


桃に「邪気を払うチカラ」があったと考えていたのかもしれないが

何かの姿かたちに託したとするなら、「桃」=「女性」とする

説のほうが納得できる

もも は「腿」、「百」、「股」、とも書く

百 は数が多い事を表し、股・腿は尻を連想する




モノとは「鬼」のことであり、モノ語りとは・・・モノ騙り

鬼が主人公の「騙り話」だったかもしれない



そもそも「語る」とは、自分の都合の良い話として「騙る(かたる)」

ことが起源だろうと思う、弁解・言い訳、さらには「たぶらかす」

意図で、話したものを書き留めたのが「モノ騙り」=物語として

現代に伝わったのかもしれない

敗れ去った者、虐げられた者、騙され命を奪われた者

自分達の土地を追い出された者

その総称を 【鬼(モノ)】 とこの国では呼んでいる


どうして奪われたかは「正直に書き残されなかった」

つまりは・・・騙(かた)られた=語られた のである



以前、かぐや姫にも触れたが、どうして「かぐや姫」

という名前だったのか?

もう一度考えてみたいと思っています・・・(近いうちにUpします)

                    

◎  ヤマトの国で名前を呼ぶこと 

ある方のブログを読んでいて、感じたことを少し・・・


日本人は名前を呼ぶことに、他所の国にはない

特別な思いや慣習があることをご存じだろうか

一年前の記事

古代日本では、名前を呼ぶと言う事は、相手を所有する

つまり、自分の物 にすることでもあった

つまり、名前を呼ぶもののほうが「上位」であり

支配的立場にあると言える


なぜヤマト女子の名前が残っていないかを知るヒントが

「所有」という問題なのです

公式な記録に残されている女性の名前は「天皇の后」が

ほとんどであり、そのほかは一部例外はあっても「通名」

が常識だった

「紫式部」「和泉式部」「清少納言」「源**の女」など・・・

通称であり、実名が残されている者は稀有である


女性は誰かれなく、複数の男の所有にはならない

という「決意・固い意思」を実践するために「名」を秘した


歌のやり取りで「顔も見せず」「名も告げず」とは

女性(やまとなでしこ)の品性だったのかもしれない


名前を呼び合う習慣が無かったことの「名残」が

「うちの亭主」「「うちのかかぁ」「おい」「あんた」などで

どの家庭も通じてしまうことになる(笑)

これも「言霊」からきているのだろう


日本人の意識の中の「名前」とは、神が個人を識別できるように

神に対して「捧げる」ものだった



命名(めいめい)

名 の字源は、子供が生まれて一定期間が過ぎると

神さまに、タ【祭肉】を供えて、口(サイ)【祝詞】を奏上し

本名を付けたことからきている


命 の字源は、儀礼用の帽子をかぶった人が、神の

お告げを受ける形からきている

令と命は元々は同じ字だった

令 とは神のお告げであり「命令」として使われ

命 とは「生命」は天から与えられたものということから

「命(いのち)」として使われるようになった

名は「命」であり、この世で神によって生かされている

証(あかし)が命(いのち)を得ること

神のモノであるという「名」=「命」ということになる

だから名を神にささげることを「命名」すると言い

神以外に「名」を呼ぶことが許されなかった時代が

古代では有ったと私は思っている

(あくまでも長屋の爺の妄想であるが)



ちなみに、字 とは宀(ベン)と子の組み合わせ

宀(ベン)とは祖霊を祀る廟(びょう)のことで

子供が生まれると、祖廟に参って子供を見せ

仮の名(幼名)をつける

これを称して「字(あざな)」という


后(きさき)

この字は、人と口(サイ)の組み合わせで

女性が天からお告げ(いのち)を与えられる形だろうか

つまりは、王の「きさき」の意味であり

元々は【王子を産む女性の姿の象形文字】である


名前は記号でも符丁でもない

神さまに判別してもらうために付ける目印で

誰かの為ではなく、神さまに奉げる物だと私は

思っている

                      

◎  8月6日に思う事 

私が昔から言い続けてきたことを

どこぞの国がいいだしたという記事を観て

複雑な心境の長屋の爺です

今日から「夏の甲子園」が始まりました

私は生まれは北海道

育ちは千葉県

父方の故郷は秋田県

母方の故郷は鳥取県

今は中部地方に暮らしています

何処を応援するのかとても悩みます(笑)


今日は少々落ち込んでいます

暑さのせいとは思いたくないですが、車を移動しようと

前進するか後退して移動するか、40年以上運転している

自分としては珍しいことに判断に迷ってしまい挙句に・・・

カーブミラーの支柱に接触しました(泣)

後部ドアの取り換えであります(大泣)

明日から味噌汁と漬物の生活です(嘘)


人生でバックで接触事故は2度目・・・

20年間ゴールド免許でも、こういう事があるのです(笑)


思い起こせば若いころ、違反切符を切られたのは4回

駐車違反2回 速度超過1回 信号無視 1回

けっして模範ドライバーではありませんでした

仲間に言わせると「悪運が強い」らしいです


現在のように「身障者」優遇の措置が無かった時代

施設職員だった時代に、入所者を病院まで送って行ったとき

たまたま病院が交差点の角にあり、足の不自由な方で

玄関前に横付けして診察室まで送り届けて戻ったら・・・

警察官に切符を切られてました(笑)

若かったので必死に事情説明しても取り合ってもらえず

おまわりさんに殴り掛かりそうになったのを覚えています

(本当に、殴らなくてよかったと思っています)


事故や違反をした時は明らかに「通常」では無かった

特に自分自身の気持ちの有りようが「常」でなかったと

今思えば納得できます

平常心 は本当に大切であり、保つのが難しいものですね


あの時・・・

人生には振り返ると、そういう場面がいくつも存在します

あの時偶然に・・・は本当に偶然だったのでしょうか?

たまたま、偶然は、自分だけの認識であり、冷静になれば

起こるべくして起こったこと、必然の結果かもしれません

何でも他人の責任にしたがる人は、その必然が理解できない人

なのかもしれません


私は「運勢」とか「占い」というものを信じません

そのくせ、神さまは信じてます(笑)

道具や無機質な物に責任を押し付けることも嫌いです

だから「原爆」に責任があるようなメッセージを聞くと

無性にいらだちを覚えます

そうです・・・今日の広島の式典でのことです

大人の事情と言ってしまえばそれ迄です

世界が注目する式典で、当時のアメリカ大統領を

名指しで非難することはできないことも理解できます

しかし・・・原爆は勝手に空を飛び、広島の市街地に

落ちたのではありません


そこの処を「うやむや」にしたまま、後世に伝える

事の是非を言いたいのです



自動車事故で家族を亡くした人が、自動車の責任を

大きな声で叫びますか?

運転者を非難することは有っても、無機質な鉄の塊に

責任など無い事を知っているからですよね


原爆とて同じではないですか?

この世から核兵器がなくなる事を願うのは日本人として

当然のことです

しかし・・核兵器を無くす努力とともに、核兵器を使う事に

対しての「責任」と「糾弾」は明確にしなければいけない

そんなふうに私は思っています


元妻は「被爆2世」でした

誰よりも原爆の恐怖を感じた「義母」が居ました


私は広島市民が「原爆」ではなく、「原爆使用者」に

対して非難を表明しない限り広島には行けません

「奇妙なこだわり」かもしれませんが、私の気持ちの

中の「広島原爆被災」とは、人道的犯罪、非道な惨殺

という認識です

悲しみや怒りを「正常な方向」に向けた時、手を合わせに

行きたいと願っています


つまらない話を書きましたが、これも熱中症の成せること

そう解釈してくだされば幸いです


                     

◎  昔話 桃太郎を考える 鬼の正体 

昔話 桃太郎の内容に大きく欠けている物がある


それは・・・鬼の罪状


桃太郎が征伐(鬼退治)に出かける動機は

いったい何だったか? ご存知ですか?


悪い鬼を退治するといっても、どんな悪いことを

したのか、歴史は口を閉ざしています

なぜ歴史は「鬼の罪」を明らかにしなかったのでしょう


あまりにも酷い内容だったので憚(はばか)った?

とりたてて言うほどの罪は犯していなかった?

すっかり忘れていて抜け落ちてしまった?



私は鬼が罪など犯していなかった、悪い鬼など

ではなかっただろうと考えています


鬼と呼ばれる者たちは「吉備」の踏鞴(たたら)製鉄

に従事する者たちであり、宝物とは製鉄技術だった

と思っている


なぜ古代出雲は滅んでしまったのか・・・

古代出雲は青銅器文化を主体としていたが

ヤマトが吉備の鉄文化を手にしてから、急激に

衰退していったのだと想像しています


その大和による吉備の製鐵技術の略奪譚が

「昔話 桃太郎」であり、鉄製武器を手にして出雲の

侵略を行ったのが、出雲の国譲りではないかと

考えています



出雲の国譲りが伝承の通りだと信じている人は

そのまま信じていてほしい・・・




可笑しな話だと少し疑問に感じている人は一度

冷静に思い出してほしい・・・




今の日本人が出雲神話を信じているからこそ、現在の

社会風潮に出雲の亡霊が見え隠れしていることに

気付けないのかもしれない


なぜ「憲法9条」を守る事を是認するのか?

それは「出雲の国譲り症候群」に罹患しているからに

相違ないのである



そこそこの会社を経営しているAという人物が

居たとします

ある日、Aさんの前にBという人物が現れ、会社をよこせと

言いました

Aさんはどういう行動をとったでしょうか?

(1) 言う通りに会社をB氏に譲った

(2) 理不尽な申し出に怒って、喧嘩(けんか)になった


憲法9条を守ることが日本人の努めと思っている人は

迷わず(1)を選択するでしょう

いかなる理由があっても、争いはダメであり「よこせ」

と言われたら「どうぞ」と言って国を丸ごと進呈する

これと本質的に同じものが憲法9条なのですから


これはおかしいと感じている人は、よこせと言われて

「はいどうぞ」と言うわけがない、当然はねのけて

しかるべき対抗策を練って、争う構えをとるはずで

これが「防衛」「護り」というものではないでしょうか


国譲りという伝承が如何に「非常識」「非論理的」

「非現実的」な話なのか理解するかどうかで、日本人の

「争いの本質」「守る意味」の意識の差が生じます


私はこれこそ、十七か条の憲法にも日本国憲法9条にも

共通する「非現実的な思考の封印」だと考えています


争わずに「話し合い」で解決する・・・

どうして十七か条の憲法にも、明治憲法にも「話し合い」

というキーワードが入っているのか・・・


それは出雲の国譲りが話し合いによって行われた

という本質は「天皇家の祖」が、それほど貴く・気高く

日本を統治するに相応しい家系だとする根拠になるから

だと思えてしまうのです


出雲の国譲りが「力ずく」だったとすれば、天皇家の祖は

「略奪者」と言う事になってしまい

それを回避するには長い年月、時代を経ても「話し合い」

こそ最善の策だという「思考の封印呪文」として利用し、

長きに渡って統治していたのでしょう




なぜ話し合いこそ最善の策と言わなければいけなかったのか

それは・・・日本書紀を書き残したものが、話し合いとは違う

方法でヤマトの統治権(王権)を手に入れたからに

違いないからである

自分の罪を隠すには、国の最初から争いではない「禅譲」

「移譲」という手段で、統治権が移ったことにしたのであり

話し合いで「移譲」しなかった「天武天皇」の罪を遠まわしに

糾弾しているようにも思えてしまうのです


ヤマトの起源が「話しあい」で始まったと主張してはいるが

その後のヤマト(日本)は、けっして話し合いで繋がってきた

わけでは無いことは歴史が雄弁に語っています


身内の命を奪ってでも「皇位」に就こうとした歴史があり

冤罪と謀略によって「権力の僕(しもべ)」となり、また

ある時は魂を魔物に売ってしまうような蛮行にも手を染めた


それでも「話し合い」が絶対なのは現代も同じで

話し合いのための「会議」を好むのも日本人らしさで

話し合った内容より、話し合ったという事実が最も大事な

事なのである


その顕著な事例が、国会で審議を尽くした後の採決

を、「強行採決」という意味不明の言葉で大騒ぎする

幾ら長い時間話し合っても、結論が出ることなど期待

できないにも関わらず、話し合う行為に酔いしれてしまう

それが大和民族(日本人)の際立った特徴なのである


その原点が「封印呪文」である、【話し合いこそ最善の策】

であり、話し合って出た結論は最も良い結果になるとする

十七か条の憲法の「本質」として今も生き続けている


ではどうして桃太郎は出雲神話のように「話し合い」で

解決しなかったのか?

それは次回にでも考えてみたいと思います


                     

◎  温故知新 

故きを温ねて新しきを知る

以て師たるべし


私が古代史に興味を持って様々な文献を

読んできて、歴史から多くのことを気付かされた


学んだなどと言うのは「烏滸がましい」話であり

今の日本の社会にも相通じる事柄が点在している


人はなぜ争うのか・・・

人はどう行動したとき、どういう結末を迎えたのか

人が他人を「敬い」「尊び」「信頼する」のはどうしてなのか

おぼろげながら気づいてきたように思える


人は理不尽に命を奪われるために、この世に「生」を

受けたのではない

私は今の時点で、そう確信している


殺すくらいなら殺されたほうがまし・・・

これほど自虐的で神を冒涜するものは無いと

長屋の爺は感じている

その言葉は、私はこの世になんか産まれたくはなかった

そう宣言していることと大差ない言葉である


生きると言う事は、多くの犠牲の上にのみ成立する

自分が某有名高校や某有名大学に入学したと言う事は

誰かが「不合格」になったと言う事

自分が「メダル」を取れば誰かが「取り損なった」のである

人の犠牲の上に成り立つ人生が嫌なら、生きている意味すら

否定することになる


動物の肉を喰らい、植物の命を絶ち、人は生きている

一般人もベジタリアンも関係なく、命の犠牲の上で生きている

これは動かしようの無い事実である

それ故、それらに感謝するのが日本人本来の「敬う」気持ち、

神に対する感謝なのだと思っている


それを別の視点から見れば、人間とは「残酷」な生き物かもしれない

動物を殺して肉を食う事は「是」でありながら、向かってくる相手に

対しては無抵抗を「是」とし、立ち向かい自己防衛することは「否」

というのである


守る事を拒否することは簡単であるが

自分が無抵抗で死ねば、守るべき人間も死ぬことになる

幼い子を持つ親が、殺されたほうがましというのは

守るべき「我が子」を殺すことに等しい

これは詭弁でも屁理屈でもない


明日から自分の家に、私たち家族は「争いません」

「無抵抗主義者です」「殺されても構いません」

そういう貼り紙を掲げておくというのはどうだろうか?


きっと**人や在日**人が喜んで侵入してくるだろう

自分だけでなく幼子まで「惨殺」されて満足だろうか?


渋谷でシュプレヒコールをあげていた親たちに問いたい

どうして【誰の子供も殺させない】と言うのか?

無抵抗は「子供を殺す手助け」をすることになる


生きるのではない、生かされている人生という認識

生かされている者が、殺されても良いというのは

神や先人に対する冒涜である


もし・・・私が明日突然死すれば、我が家の飼い猫・ミコは

数日で命が尽きるだろう(猫を引き合いにして申し訳ないが)

守るには生きなければならない

守る事を放棄することは、無責任な大人のすることではないか


なぜ70年前、私たちの先人たちが「死ななければいけなかったか」

その過去を知る事こそ、今の時代を生きる指標になり

これから我が子・孫が生きてゆける最善の方策を見つける

ヒントになる気がするのである


自分の力で生きていると思うから、命に対し不感症になる

生かされている人生に、「捨てる」ことは許されない

寿命をまっとうすることは、真剣に生きることである

生きると言う事は何かを守る事・・・・

我が子の命を軽視するのは「人としての人生」では

無いと私は思うのである。



連日の暑さの中の業務で、軽い熱中症の症状があり

ダウン寸前です 更新を休むかもしれませんが

早めの対応と言う事で大事ではありませんので・・・ 



                    


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