不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  史実と事実の違い? 

事実はひとつ

当たり前すぎる言葉だが

事実は動かしようの無い現実の結果で

ありながら、史実は一つではないという矛盾


何をわけのわからない話をしているの?


事実としては一つなのに、歴史的事実としては

複数存在するものを「史実」という



もう少し簡単に書くと・・・・

現在の皇室問題を例にすれば

この状況を書く者も一方向から書き

観る側の者も一方向の「情報」を事実と

して認識する

ところが真逆な立ち位置からこの状況を

ネットで書いておられる人が居て、それを

「事実」として認識する人も居る


現実の【事実】は一つなのに、時間の経過と共に

未来において、異なる二つ以上の見解の【史実】が

伝わる結果になる


 【事実】とはその時間、その場所、その状況に

立ち会う事でしか立証できない



宮内庁が発表する事が【事実】という思い込みは、

一方向から観た目盛りの物差しで測る事である


何が言いたいのか?

同じ様な事が、「日本書紀」「古事記」などの

史書と呼ばれる「文書」にも当てはまるのだ


誰もが疑わない**天皇が実在したかどうか

史書を頼らずに答える事はできない・・・


なぜなら、これだけ情報が自由に飛び交う

現代においても、東宮家の様々な問題ですら

何一つ「確たる事実」は見えない現実・・



千年以上昔の宮廷で、どんなことがあったのか

誰の都合で、どんな史実に、どうやって描かれたのか

どんな「憶測」をしても、笑う事はできないと思える

私の女性天皇(斉明・推古天皇)の捏造説を

専門家が見れば大笑いするだろうが・・・

その根拠となる「史書」というものは、「大本営発表」

とおっつかっつの代物なのである

なぜ書き残したのか? こそ、大事な鍵であり

書き残さねばならなかった状況を推理することが

古代史を楽しむ大事な要素だと考えている


不都合は書かなければ、後世には伝わらない

・・・にもかかわらず、書き残したのにはわけがある

天皇の系譜を書き残すのに、わざわざ不祥事を書き残す

意図とは何だろう?


日本の歴史において

聖徳太子が生きたとされる時代

天智天皇が生きたとされる時代

天武天皇とその系統の時代

長屋王が生きたとされる時代

が、歪められた古代史の時代だと

勝手に思い込んでいる長屋の爺

ボチボチと再開いたします・・・。

                    
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◎  完全復調ではないですが 

長いこと更新しなかったのは初めてか?

とにかく寝込んだのは20年ぶり・・・・

昨日は久々の休日

そして月曜(27日)の夜から昨日の夜まで

爆睡してしまった

風邪でダウンした、寝込んでしまった・・・とも言う

真冬のパジャマやフリースを着て、汗を出す事に

専念し、着替え時を除いてほぼ討ち死に状態

水分補給だけは怠らずに・・・

今朝起きたときの布団の冷たさが、総てを

語っている気がします

仕事に出る前に、布団乾燥機をセット

ミー(猫)は暑くて適わなかったかもしれません(笑)


風邪をひくのは構わないのだが、咳が出ることが

非情に危険なので、それだけが心配だった

軽い喘息症状が残っているが、大事には至らなかった

有機溶剤による急性アレルギー喘息の過去があり

風邪で咳き込んでいるときに、除光液やスプレー塗料

の溶剤(気体)を吸い込むと、発作を起こし死に至るという

厄介な宣告を主治医から受けている身である

おかげで一年中マスクを手放せない爺になった


咳が収まったわけではないが、微熱とだるさが

薄れてきたので、山は越えたかな?と考えている



やはり 健康が一番であるが、これも自分の

力でも無く、生かされている結果なのだと

独り合点する長屋の爺なのである


本当にお気遣いのコメントを下さった方

遠い空から無言の励ましを下さった方

心配をかけました読者の皆様に感謝いたします

以前のペースに早く戻れるよう、ほんの少し努力

しようと思っております

                 


◎  お詫びとお願い 

先週末からの風邪でダウン寸前の状態です

仕事がキャンセルできない最悪の状況で

仕事優先に生活しております

喉の痛み・関節のだるさと発熱、咳に苦しんでいます

葛根湯と滋養アンプル、甘酒で一週間を過ごしました

来週火曜日までの連勤、もう暫らく休みます

 (長屋の爺)

                  

◎  富士の高嶺に雪 (二) 

富士山

これは 音(言葉) が先にあって

後に漢字を当てはめたものか

あるいは、別の呼び名を「フジ」という言葉(名前)

に変えてしまったかのどちらかである


ところが、前回紹介したように、記紀編纂以前

の文字は異なっていても、呼び名は「フジ」なのである

そこから考えても、古代からあの山は【フジ】と

呼ばれた山だった

隠したり消そうとするには理由(わけ)があるはず

祭神なのか、山そのものなのか、呼び名なのか

山そのものを消そうとしたり、隠そうとしても

富士山の威風は隠しようも無い・・・・

では祭神なのか?

富士山は霊峰といわれるほどの【神の山】だ

それを古代では【神奈備(かんなび)】と呼ぶ

山そのものが「ご神体」である

通説の祭神・コノハナサクヤとは、後世に

充てられた祭神である


コノハナサクヤは古事記・日本書紀にも登場する

本名は【神阿多都比売(カムアタツヒメ)】

九州の阿多族の娘であり、阿多隼人の一族と

推察できる

コノハナサクヤを祭神とする富士山本宮浅間大社

の古伝には「竹取物語」に似た話が伝わっている

ということは、おそらく9世紀後半から10世紀ころに

定められた祭神ではないかと考えられる

(竹取物語は遅くとも平安初期に書かれたと思われる)

であれば、記紀編纂時に不比等が隠す事の整合性

は存在しない

残るのが「呼び名」を隠したかったということ・・・

中臣氏であるとされる出自に疑問も残る一族で

あり、「藤原」の氏の問題に関連するのではないか

自分達の「氏姓」は富士山のように気高い

しかるに「高きもの」は一つでなければならない

とでも言いたかったのか?

フジ=富士=藤=不死

富士という「文字」は713年に定められた

【好字令(こうじれい)】によって決められた

もので、「富士山」と言う文字が最初に文献に

登場したのは、797年に成立した【続日本紀】

なのである・・・・・その間はどうなっていた?


おそらく朝廷の内部では「富士」はタブーだった

富士=藤 だったからと思える

8世紀後半とは「藤」の権勢が翳りを見せた時代

タブーの意識が薄れたのかもしれない

藤原宮とは呼ばれても、「藤原京」とは呼ばれなかった

わたしはこのことが「喉に刺さった小骨」のように

引っかかっていた

藤原京というのは近世になってつけられた呼び名で

日本書紀には【新益京】といい、呼び名さえも確か

とは言えない(あらましきょう・しんやくきょうなど・・・)


藤原は持統天皇が命名した新しい宮だった

どうして「ふじわらのみや」だったのか?

ふじ・わ・ら とはどんな意味を持つのだろう?

ふじ=富士 という事だろう

わ・ら とは何?

単純に「原っぱ」などと言うはずも無い

ワ とはアイヌ語で ~から と言う意味

ラ は ラン ではないだろうか?

ラン とは 下りる と言う意味だ

富士・ワ・ラン とは 富士から下りた神

とでも言うのか?

フシとは「大きなもの」「本当のもの」

そして・・・「ほんもの」「偉大な者」といえる


持統天皇=アマテラス神 という論理に

厚みを加える意図で、【神の降臨】を

イメージして「ふしわら」と命名したのか


藤原が「富士原」であっては都合が悪い事

偉大なもの(富士)の下に「平伏す」氏族ではない

あくまでも「貴なる一族」であるとでも言うように


古代史の通説の裏に、「不比等皇子説」と

言うべきものがある

天智天皇の庶子だというのである

私は「騙り」と思っているが・・・

そこまでして「血」を高めたいという事は

それほどまでに「低い出自」だという事になる

天武天皇渡来人説の真相は、天智天皇帰化人説

と同様なのである

なぜ大化の改新の功労者が、即位できなかったか

その答と同様に、なぜ「藤原」だったのか・・・

なのである


藤原京(藤原宮)は694年に遷都された都だ

不比等の父・鎌足が没したというのは669年だ

実在の人物なら、鎌足が賜った「藤原姓」を

なぜ天智の娘・持統天皇が新京に「藤原宮」と

命名したのか?

臣下の氏姓を、神の子孫である天皇が新しく

造った都に命名したという謎

逆に考えれば、新京の名前を信頼する臣下に

下賜したというなら理解も出来る

そうなれば、鎌足が賜った「藤原姓」は「虚説」で

あり、鎌足架空説も信憑性を帯びてくる

自分の出自を高める為に、天智の側近を捏造した

そんな暴論も可能となる

ハッキリ言って、過去に実在した「中臣鎌子」という

名前で登場させ、途中で「中臣鎌足」と改名するなど

不可解すぎる

さらに追い討ちをかけるように、「藤原姓の下賜説」だ

何処まで事実で何処まで嘘か・・・・信じろというほうが

無理と言える

藤原不比等は「藤原姓」だけでなく、「霊峰・富士」まで

自分のものにしようとした

藤原を読み替えれば「桃源」と読める

この世の桃源郷でも作る夢を見たのかもしれない

                  

◎  こころ 

現代人は「こころ」をイメージすると

【ハート形】になるだろうと思います

これは欧米の感覚でしょう


では中国はと言うと、古代中国では

「こころ」を【方寸】と呼んでいました

方寸とは3cm四方の【サイコロ形】である


さて・・・日本ではどう言ったのか

こころは「ころころ」がつまったもので

丸いもの【球形】と考えていました


「こころ」は何処にあったのか?


村肝(むらぎも)の 情(こころ)くだけて

    かくばかり わが恋ふらくを

         知らずかあるらむ


万葉集の歌に残る「こころ」の所在を示すもので

「むらぎも」とは、たくさんの内臓という意味である

「こころ」は頭の中にあるのではなく、内蔵の中に

あると古代人は考えていたようだ


【願い】

これは願うこと

願う(ねがう)の古語は「ねが・ふ」であり

「ねが・ふ」とは、ねぐ+ふ が原型で

「ねぐ」とは、和らげるという意味

「ふ」とは継続を意味し、繰り返し

行う事だろう


何を和らげる?

それは神さまの「こころ」を和らげる事だ

神さまとは本来「怖いもの」だったから

神さまの心を安らげて、荒ぶる心が

鎮まるように願ったのだろう


この「ねぐ」と同じ意味の言葉が

「ねぎ」と言う言葉

「ねぎ」は神職の一つ、「禰宜(ねぎ)」の

語源だろう

その名残を今に残す言葉が、【ねぎらう】

である

「ねぎらう」とは、感謝して、いたわる事をいう

「ねぎ・ら・ふ」から「ねぎらう」→「労う」


【祝う】

「いは・ふ」であり、この語源は「いふ・ふ」

(いふ)+(ふ)で、「いふ」という行為を続ける

神さまに対する気持ちを繰り返し言葉に出す

というのが、本来の意味である

神さまに関係する言葉に「ふ」の付く言葉は

多いともいえる


神との約束 【誓ふ】 うけ・ふ

誓いを立て何度も繰り返し行う

ことが神さまに誓う事だった

呪う(のろう)

神の力を利用し他人を 【呪ふ】

「のる+ふ」であり、「のろ+ふ」にかわる

重大な事を告げることを「のる」といい

神さまに祈りを伝える 【祝詞(のり・と)】

名前を公表する 【名乗る(な・のる)】

といえば、解りやすいでしょう


魂を呼び続ける 【呼ばふ】

後に求婚を意味する 「よばう」 になった

「夜這い」の語源ももしかしたら、これかもしれない

恋人の魂を祈りを持って呼び続ける・・・なんて(笑)


祭り の語源はおそらく 「まつ・り」

祭りは名詞ですが、基は動詞 まつ・る

待つ・る だと思います

笛を吹き、太鼓を鳴らし、神の到来を待つ

元々は神さまの力が及ぶ範囲は限られていて

その範囲を旅しながら各地を訪れた

祭礼の時、【神輿(みこし)】が仮に鎮座する

場所を【御旅所】といいます

御旅所が示すのはテリトリー標識であり

神さまが立ち寄るところだと言います


舞い と 踊り の違い

舞いは「まふ・る」が語源で、【まふ】とは

旋回すること、円運動のこと

「る」は完了形の る です

踊る の語源は「をど・る」

「をど」とは上下運動の事

飛んだり刎ねたりすることが【をど】です

円運動の【舞い】 上下運動の【踊り】

本来はそういう区別がされていました

「驚く(おどろく)」も若しかすると心臓が

「バクバクと上下運動」しているような

感覚で、「をど・る・く」と言い表したのかも

しれません

                  

◎  大東亜戦争の私観 

私は今回のパラオ訪問で色々な事が

見えてしまいました

両陛下の事は多くのブロガーさんが

詳細に記述していますから、私の出番は

ありません


私は中学時代から、帝國陸海軍の史実に

興味を持った人間でした

愛読書は「丸」という軍事雑誌

皆から「軍国主義の尖兵」みたいな目で

観られていました

最近ネットの普及によって、僅かですが

戦争と言うモノに気づかれた方が多くなった

おかげで、私はようやく普通の日本人に

なれた気分です(笑)


「死んだ」のはかわりがないけれど

殺されたのは国内の市民であり

若き青年たちは「殺された」のでもなく

「死なされた」のでもない

彼らは「死んでいった」と思っている


平和の大切さ、平和は座していては

手にできないことを、無言の教訓として

私達子孫に、残してくれたのであり

彼らは死を通して「言った」のだと思う


流行のような雰囲気もある「大東亜戦争」

の回顧ではあるが、どんなきっかけであろうと

事実から眼をそらさず、事実を直視する大切さを

忘れてはいけないと思う


数十人の死を招いた「テロ事件」に憤怒する

そんな日本人が多いのに・・・

数十万人が虐殺された「広島・長崎」に

怒りの言葉を出さない日本人が哀れである

原爆が悪いという理論の陰に隠された

人間の非情さ、愚かさ、残忍性を見ようとは

せずに、無機質な「核兵器」の責任として

語る日本人が理解できない


それは現在の核兵器の数を観ても、日本以外に

使用されてこなかった歴史が物語る

核爆弾ではなく、それを使用した人間を非難すべきでは

ないのだろうか・・・・。

飲酒運転で「轢き殺した」犯人を不問にし

その自動車という道具の責任にする人はいない

つまりは、そういう事ではないだろうか?


私は戦前の帝國陸海軍を「盲目的」に賛辞

することには反対します

しかし・・・眼を向けるべきは「兵器」では

なく、「人間」なのではないだろうか


真剣に日本の明日を観ていた人も居た

流れの中で道を誤った人も居た

取捨選択の決断を迫られた人も居た

ただただ平和を祈った人も居た

知ろうとせず、知らされず、短い人生を

終えた人も居た


その人たちの総てを繕い・補い

「命」をかけて「明日」を開いた若者がいた


人は死して 名を残す のは戯言である

無名の人間によってのみ、世界は存続する


山が不動なのは、底辺(裾野)が支えているからである

一国の首相であっても、国家元首であっても

それを支えるものが「点」であっては存在できない


今の日本の繁栄は「エコノミック・アニマル」の

おかげなんかではない

この日本を支えて、無言の教訓を残した

御魂のおかげである


水と平和は無料(ただ)である

そんな感覚の日本人が多い

世界を見渡しても、水も平和も「高い」もので

あって、努力しなければ、平和も水も夢となる




平和憲法を後生大事にしたからといって

シナが尖閣から遠ざかることは無く

沖縄に触手を伸ばさなくなることも無い

今の尖閣問題を「護憲派」はどう説明する?

平和憲法(9条)は黄門様の印籠なんかじゃない

夢と寝言は「寝てから言うモノ」ではないか


何が真実だったかを知ることは大事なこと

結果を物差しにして、先人を否定することに

意識を傾ける前に、事実を事実として

良い悪いの判断は別の次元で考えるべき

だと考えている


私は知ることからしか、明日は見えない

そういう意識で50年近く「大東亜戦争」を

傍観してきた


戦争を否定するばかりではなく

戦争を史実として、冷静に何が起こったのか

政治家目線や軍事評論家の意識でもなく

底辺に生きる「日本人」として、史実を

知ってほしいと思っています。

                  

◎  富士の高嶺に雪・・・・ 

 田子の浦 

  ゆうち出でてみれば  真白にそ 

    富士の高嶺に  雪は降りける


これを編修したものが、百人一首に入っていて

教科書などに載っているので、日本人なら

知っていて当然という「山部赤人」の歌である

彼の没年は736年と言われている

田子の浦は静岡県にある海岸で、其処から観た

頂に雪を纏った霊峰・富士山を仰ぎ見た感想を

歌ったものである


この歌がどうかした?

この歌は古代史の大きな疑問を教えてくれている

わけが解らない話で恐縮です・・・


この富士山は一万年前には現在に近い姿で

人々の目に映っていたという

736年に没した歌人の生前には、日本中の

多くの人々の知るところだったはずである

おそらく大陸沿岸部、半島南部でも多くの人に

認知されていたと考えている


だが・・・・

日本書紀、古事記には一行の記載もされていない

一行もである・・・・

日本の国史である「史書・日本書紀」は720年に

完成しているのである

赤人の時代に多くの歌人が富士を読んでいたのに

史書はなぜ「無視」し、まるで富士山が存在して

いないように、扱ったのだろうか?

同時期に編纂された「常陸国風土記」にも

【福慈岳(ふじのたけ)】として記載されていて

どうしてヤマトの歴史を纏めたものに、霊峰である

富士山が消されたのかは謎である


書かなかった(載せなかった)のではない・・・

書けなかった(載せられなかった)のだろう

今まで考えてきた記紀の傾向からすれば

辻褄の合わないことや、矛盾する記述の

多さは当然なことである

何が 誰に 不都合だった?

これは長屋の爺の宿題である

日本はアニミズムの国であった(過去形)

山を神体(神)として崇めてきた過去がある

その最高峰が富士山ではないか

日本アルプスの奥まった場所にあるわけではない

江戸時代でさえ、江戸から富士山が観れたという

尾張・三河からもその姿は見られたともいう


どうしてこんな「稚拙な事」をすることになったのか

隠せるような問題ではないのは明らかであり

「日本書紀」が人(日本人)の眼に触れないという

確証(自信)でもあったのか?

なにやら、お隣の国の歴史教科書を観るようで

気持ちがざらつくのを感じる


古事記にあるエピソードにも、ヤマトタケルは駿河の

地で火責めに遭い「草薙の剣」で難を逃れた

当然、ヤマトタケルの眼には「富士の峰」は映っていた

富士の裾野は書けても、峰は書けなかった・・・・

富士山の信仰は間違いなく在ったと思う

なぜ富士山信仰は「タブー」とされたのかを

次回から考えてみたい・・・・。

                  

◎  出雲と現人神 

出雲では「出雲大社」を参拝するとき

セットで回り手を合わせる場所がある

素鵞社(そがのやしろ)という

izumotaisya

拝殿で本殿後方の「素鵞社」を拝み、その後東十九社

の横を抜け、素鵞社でもう一度拝む・・・

出雲の参拝とは「そういう事」だと思う


出雲国造は「まさしく神」であり、単なる神道ではない

「日本の神道」は見えない神に対する尊崇・畏怖であり

ハッキリ言えば、「偶像」は神ではないという理念がある

当然ながら、人が神になるには「死滅」することが条件

過去のどのような偉人・賢人であろうと、神とあがめられ

祭られた者は、死後において「まつりあげられた」ものばかり


神話を見れば理解できるが、神こそ最高位であるという

認識から、頂点にある者を神と同一視、置き換えることに

よって、人心を纏め上げる効果を狙ったものだろう

その背景には、生まれたときから「神の赤子」という

ヤマト民族の意識が根底にあるからに違いない


なぜ出雲にだけ「現人神(あらひとがみ)」の風習が

残っているのか不思議であるが、天皇=神

というものは、明治維新以降に国民を一つに纏める

ために意図的に神の子「神民」を演出する方便に

利用したのは事実である


祭神が誰であろうと、伊勢の神は【太陽】である


古代から続くいわゆる「神道」は本来は山、川、

巨石、巨木、雷、風などの自然と現象を神と定めた

だからどんな人間であっても、神の言葉は聴けても

生身の者が人神と同体になることはできない

人神と一体になるという発想は、近代神道の思想だと

私は考えている

出雲大社がどんな言葉で説明しようとも、人間の霊魂

を認識し、人の霊魂を神と定めた後に「定着」した神事

を基本としているのが、出雲神道ではないだろうか


私が描く出雲国造家とは、「意宇」の地を治めていた部族

で、意宇(出雲東部)は鉄器の文化圏であり、杵築の

青銅器文化圏を侵略したという事なのだろう

その末裔こそ「出雲国造」であり、杵築の信仰神は古代神

「オオナムチ」であった可能性が高く、変じて「オオクニヌシ」

という祭神(祟り神)となった

意宇の「熊野神社」の祭神は「素戔嗚尊」であったから

本殿後方に「素鵞社」を建て、引き続き崇拝している

のであって、オオクニヌシを祀っているのではない

オオクニヌシを監視している(封じ込めている)のだろう


神と一体にならなければ、祀る事が出来ないほど

杵築大社の主祭神は「強烈な祟り神」という事なのだ


私はそういう事だと思っている

                   

◎  言霊体質を理解する 

長屋の爺は「へそ曲がり」であり

世間では「変わり者」である


面倒くさい爺なのである

「どうして そういう風に考えるかなぁ」

と旧友にほめられ(咎められ?)ます(笑)

これは性分であり、他人を傷つけるような

結果になっても、曲げられない性(さが)で

この歳では、もはや変えようが無い・・・


何かを決めるとき、なんとなく決めたものなど

この世には在りはしない

親を大事にという事は、大事にしない人間が

この世に少なくないからであり

人は皆、仲良くするべき、ということは仲良く出来ない

人間が多いという事なのである


規則や法律も、それに反するものがいるから

規則と言うものを設定するのではないだろうか


日本人は言葉を大事にする民族であり

大事にするあまり、その言葉に酔いしれて

しまう事がある

そして・・・言葉を大事にする結果、その言葉に「チカラ」

が存在するとかん違いをしてしまう


「お人好し」の根底に潜むものは、過剰なまでの

言葉のチカラへの信頼ではないだろうか

こういう現象を【言霊体質】と呼ぶのだろう


差別語 というものがある

差別語は言っても書いてもダメだと言う

差別語を言わないと「差別」はなくなるだろうか

この世から差別語をなくせば、差別がなくなるなら

私は今日から「差別語」を使わないことにする


これを「屁理屈」と思う人には、理解できない

かもしれないが、これが言霊に通じる問題なのである


差別語と同じ様な扱いを受けるのが「忌み言葉」である

結婚式で、「去る」「切る」「帰る」「戻る」「別れる」

などは使ってはいけないと言われる


だけど・・ケーキは切っているじゃないか

と言うと、「ケーキにニュウトウ(入刀)」ですと

反論される (私にとって同じことなのだが・・・)

これも「言霊」のなせることである

同じ「動作」であっても、言葉が違えば別物に

なるのが日本人なのである


縁起でもない言葉は口にしてはいけない

なぜなら実際に起こってしまうかもしれない

からだという・・・

起こらなくても問題ではないが、起こったら

口にした者の責任になってしまう

離婚したことは「本人たち」の問題であり

別れるという言葉を使った人間のせいではない

・・・と、長屋の爺は思いますが、どうでしょ?


私は時折言葉を「かな」にして考えます

稀ではあるが言葉の本質に(漠然としてではある

けれど)気づくことがある


「いたい」と聞くとどの文字を連想するか?

痛い なのか、居たい なのか

私は痛いという言葉を、【意・退】と感じた

気持ちが後ろ向きになる「呪文」である

いくら「痛い」と叫んでも、愚痴っても痛みも

消えず、気持ちが暗くなるばかり

痛いは自分も廻りの者も、気持ちを暗くする

【痛い】を言わずに、明るく【居たい】ものです


「かなしい」はどんな文字?

哀しい なのか、悲しい なのか・・・

「悲しい」は【可・無し・い】と書く

悲しいときにうつむく事は過去を引きずる事

そんな状況では良い事など起こりはしない

可なるものなど無し なのである

【不可い可無し身】は真っ平である


時折、景色を見ながら、車窓からみる街並み

を見つめながら、つまらない言葉遊びをする

暇な爺と言われてもしょうがないですね・・・。

【予告】

今日も此処まで来るのに3時間格闘しました

パソコンはいよいよ終局に近づいています

突然の休みがあれば、パソコンの不具合ということ

予備のPCの設定が済めば更新します

その日が来ないことを私自身は「切望」して

いるのですがねぇ・・・。

                  

◎  ホッとしたこと 

最近パソコンの調子が悪く

記事を一生懸命書いているのだが

いつのまにかパソコンが不調をきたし

自動的に保存されているはずの記事が

消えてしまっている事が頻発している

流石の爺も少し萎えている・・・・

こうやってキーボードを打っていても

保存されているかどうか・・・・


私は自分のブログの評価を知らない

知ったところで変えるつもりも毛頭ないが


私自身が私のブログの評判を知ることは

なかなか無いのだが

ひょんなことから私のブログの批判記事に

出会った・・・


正直 ホッとしている

私は仲良しごっこに、しみじみ浸りたい為に

ブログを更新しているわけではない

最近は露骨な批判コメントは少なくなった

逆に批判・否定記事がないことに不満があった

何が理由で否定されたのかは不明だが

その閲覧者の貴重な評価を眼にすることができた


「花はそっと 静かに散れ」の方だったので

政治・社会問題の私の見解・思想に気分を害した

そういう事だろうと思う

私の理想とする、自論・反論は自らのブログに書け

という視点からは50%の満足感だ

何が否定されたのか、一言で切り捨てられていたので

詳細は不明のままなのが少し不満だが(笑)


反論コメントが無くても、どこかで私を

批判している人が居てくれた

その事に「小さな安堵」を感じている



私は「狂信的信者」のような訪問者を望んで

いるわけではない

傷を舐めあう仲間を募集しているわけでもない

誰かを意図を持って洗脳する気も無いし

皇室や天皇制度を否定する心算もない

ただ、違っていると思ったことを・・・

可笑しいと疑問に感じたことを、自分の言葉で

投げかけているだけであり

私のブログ記事には「評価できる」記事もあれば

スルーしたい記事があって当然だと思っている

私が訪問するブログの中でも、ハッキリ言って

賛同する記事もあれば、スルーしてしまう記事もあり

これが「当たり前」なのだと思う


「狂信的信者の読者」の危うさは「疑わない」ことに

あり、ひたすらその方向へと誘導される懸念がある


他人と同じ考え、思想など気持ち悪いだけ

同じ方向性であっても、細微な部分で異なるのが

当然であり、コピーしたような考えの人間が

この世にもう一人居ると思うと「寒気」がする

私は「あばたもえくぼ」は大嫌いだし

心酔するのも気持ち悪い

歌手や俳優に「熱狂」する人間の心理が理解できず

贔屓のタレントの総てを受け入れて「熱」を上げる

人たちの心境がわからない

私は特定の歌手や俳優、タレント、芸人に心酔しない

歌・音楽は大好きで、民謡からクラシック、軍歌まで

好みのものは何でも聞く

しかし特定の歌手の全部を受け入れることは無い


Aという歌手がすきなのか?

Aという歌手が歌っていた「曲」がすきなのか?

Aが唄う**という曲がすきなのか?


私は**という曲が好きで、Aという歌手が歌うもの

が好みなのである

例えば・・・

「天城越え」という曲が好きだが、石川さゆりの

唄うもの以外はNOなのである

だからと言って、石川さゆりの曲が総て好み

というわけではない

「津軽海峡・冬景色」「ウィスキーがお好きでしょ」

だけしか持っていない(笑)

他の音楽も同様であり、基本的に歌手より先に

曲に曳かれ、その曲の最高の表現者の唄う

曲しか聴かない


ハッキリ言って「そうとう偏屈な爺」である


曲のメロディーより、歌詞を重視し

眼を瞑って、情景が思い描けないものは

敬遠してしまう

こういうブログ更新をして、批判・反論を

書かれているかと思うと・・・うれしくなる

「私はそうは思わない」

そういう意見が在って当たり前なのが

「世の中」だから


私は「発信者」であり、読者の「受信機」とチャンネルが

合わなければ、繋がらないのは当然であり

チャンネルを合わせるのは読者自身に委ねられる


これからもこの波長で発信して行こうと思っている。



記事が消えて・・・支離滅裂な長屋の爺である

明日から 仕切りなおし で更新します

                  
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◎  創作神話の基 

以前の記事の「春日大社」の言い伝え

最後に書いた「地下三尺記事」を観て

気づかれた人が居ただろうか?

この逸話は何かを模している気がします



「出雲の国譲り」神話とよく似ているのです

おそらく「出雲の国譲り」も似たような経緯

で行われた可能性もあります



私が常々言っていること

「創作するには必ず基になるものがある」

創造・創作は知らない事は「形」にできない

海の水が塩辛いというのも、体験か見聞で

知っていなくては解らない・・

大きなものの例えにする「象」ですら、観た事も

聞いた事もない人にはイメージすらできない

と私は思っています


詩や俳句、川柳さらに小説などを書く人は

知らない言葉で綴るわけには行かない

自分の家の周りしか見たことが無い人に

異国の町並みは思い描けないと思っている


何処かで見たから、想像を膨らませることが

可能なのであり、ヨーロッパの石畳は聞いた事

観たことがあるから、言葉に出来るのである


未開の地の人間に、高速道路を疾走する

赤いスポーツカーが連想できるだろうか

おそらく土ぼこりを巻き上げて走るトラック

しか思い浮かばないだろう・・・・・

言葉にするには、「骨格」となる「モノ」が

不可欠なのである


それを仮に「知識」とか「情報」と言っても良い

その知識・情報を「音」で伝えたものを「口伝

(くでん)」といい、「形」で伝えたものを「文書

(もんじょ)」と言うのだろう

文書の利点は原型をある程度正確に伝えられ

口伝は大きく形を変える要素があることだろう


和歌は様々な事象を短い言葉で表現する

日本独特の「文化」とも言われる

心情を読み込むものというように思われている

本当にそうだろうか?

少なくとも「古代の歌」に、心情を読み込むだけ

のための「道具」とは思えない気がする

何のために残すのか

残さなければならない「特別」な理由が無くては

ありえないのである

ただ、愛するもののことを、考えるだけで

歌に残す必要は見当たらない

結論から言えば、「暗号」のようなものだった

のではないかと思っている

その「暗号」の解読法が失われたとき、はじめて

心情を詠む「和歌」になったのではないか

書き残すのは「非日常」であり、「特別」なこと

だったからであり、当たり前の出来事など

書き残す必要は無かった


日誌においても、何も無ければ

「とりわけ変事無し 恒の如し」

で済むわけである

少なくとも平安時代以前は、歌は通信手段

だったような気がしている

アイヌ語でも イタ というのは言葉・話のことだ

aiueo の入れ替えで考えれば、イタ=ウタ とも

考えられる

歌とは神にささげる「申し言葉」が起源の可能性

もあるような気がするのである


オン・カムイ とは礼拝する事、祈ること

カムイとは神の事であり、オン・カミ(神) という事

御神(おんかみ)、大神(おおかみ)に通じる気もする


漢字から想像する言葉と、音から想像する言葉には

あきらかな差が生じる


漢字の歴史より言葉の歴史はずっと古い

理由を言うなら、そういう事ではないだろうか

私は「なぜ?」と感じる事から始めている・・・・

                   

◎  神話の嘘と万世一系の謎 

神話の嘘偽りを考えてみた

記紀神話の嘘はいたるところに散らばっている

「天孫降臨」というのも、藤原不比等が現実世界

の出来事を、神話に投影させた「でっち上げ」であり

国譲り神話も正反対の逸話を捏造したもの

スサノオの追放話も大嘘であり、アマテラスの流浪も

捏造である

国譲りが嘘だという事を、論理的に説明すると

本当に話し合いが行われて「譲渡」されたのなら

どうして皇孫・ニニギは高千穂などに降臨したのか

真実なら降臨すべき場所は【出雲】でなければ

おかしいのである

譲渡&禅譲で無いからこそ、遠い高千穂に降り立った

そういう事なのである

スサノオの追放も、追放された者が【十握の剣】を持って

いることも、その剣で八岐大蛇を退治することも出来ない

アマテラスから託された【十種神宝】を持っていたからこそ

数々の出来事を行うことができた


総ての【神話】は二つの柱から構成されている

一つは、アマテラス=持統天皇

二つめは、古代の天皇家を凌ぐ勢力(豪族)を

歴史の闇に葬ること

藤原不比等の狙いはその二点だった

アマテラスが注目されればされるほど

真の太陽神は闇に消える

国譲りが「話し合い」で行われたというのも

その陰で血の流れた侵略行為があって

天皇家の「徳」を強調する狙いがある

天孫降臨は持統天皇の孫(可瑠皇子)に

引き継ぐことの「正当性」を示す為に考案した


私は持統天皇まで、女性天皇は存在しなかった

そういう自論を持っている

記紀に書いてあることなど、どこまで真実か

どこから虚説なのかは不明なのである

そのためにも、記紀以前の古書・文書は焚書に

する必要があった

蘇我本宗家の滅亡の時、焼いたのは天智一派

だった可能性は大きい

栄華を極めたとするなら、その業績を残したい

と思うのは人情である

家が廃れ・滅んでも過去の栄光を後世に残す

これが常道だと思えるのだ

ではそこまでして「蘇我氏」「物部氏」「大伴氏」を

潰したのは何か別の訳でもあったというのか?

もし・・もしもである

天皇家がヤマトを治める以前に、古代豪族の誰か

例えば・・「蘇我氏」から「古代大王」が出ていたと

するなら、万世一系を画策する「藤原不比等」に

とって最大の【不都合】だったかもしれない

私は歴代天皇の中の「女帝」とは、本当は蘇我氏

の誰かが「大王(おおきみ)」として統治していた

そう考えている・・・

だから推古天皇の時代に訪れた「隋使」が女帝とは

報告しなかった・・・いや、する必要が無かった

男性天皇だったから、特別不思議ではない話だった

古代中国では皇帝は男性に限られたからである

(中国史上、女帝は則天武后だけである)

中国の政治・規律を見習っていた古代ヤマトで

治める「王」だけ独自色を出す必要性はない

それこそ「仏作って魂入れず」のようなものだ


推古天皇とは蘇我氏のだれか・・・

厩戸皇子(聖徳太子)か蘇我馬子という

可能性もある

皇極・斉明天皇の時代では、山背大兄王か

蘇我入鹿だった可能性もある

蘇我入鹿の暗殺は「天皇殺し」の謀略で

クーデターという事も考えられる

だから天皇殺しの張本人・中大兄皇子は

即位できないで長い年月を過ごしたのである


不都合なオオキミが治めた時代は女帝が

即位していたことにした、その時代は

親から子へ、兄から弟へという世襲ではなく

豪族の総意によって選ばれた時代だったかも

しれないし、豪族の力関係で決まったかもしれない


万世一系に不都合な支配者(祭祀王)は

不比等の手によって、歴史から消されてしまった

私はそう確信しているのである

                   

◎  弟の歴史 神話の不思議 

宇佐神宮の宮司は大神(おおが)氏

と、前回の記事で書いたが・・・

なぜ「大神」とかいて「おおが」と読む?

なぜ「大神」とかいて「おおみわ」と読む?

なぜ「大神」とかいて「おおかみ」と読まない?

漢字が浸透してからの読み方とは思えない

あきらかに「後から充てた」後付に感じる

「おお」を「おう」と読めば、「おう・が」であり

「おう・みわ」であり、「おう・かみ」である

意宇(おう)は杵築大社の座する地であり

熊野神社の故郷である

宇佐神宮の禰宜(ねぎ)は意宇売(おう・め)だった

意宇女(おうめ)であれば、古代では禰宜とは巫女

(女性)が務めていたのかもしれない・・・


意宇の巫女が宇佐の大神に奉仕していた

「比売大神」とはいったい誰の事だろう?

比売大神=卑弥呼  

あるいは、比売大神=アマテラス ともいえる

宇佐の地と意宇の地とは、何らかの因縁がある

私は手探りながら、もう少し考えて行きたい

そう思っている・・・。


なぜ「神話」において、弟が「主役」なのか

歴代の天皇を振り返ると、意外なことが解った


第11代垂仁天皇 (すいにん)

この天皇は兄が居たにもかかわらず、即位した

天皇であり、出雲大社の神殿を造り、伊勢神宮を

創建したと言われている


第13代成務天皇 (せいむ)

この天皇も弟でありながら即位した天皇

兄は誰もが知っている【ヤマトタケル】である


第16代仁徳天皇 (にんとく)

かれも上にに二人の兄を持つ弟だったが

皇太子である兄が自殺した結果、即位できた

天皇である


第20代安康天皇 (あんこう)

この天皇も兄が居たが即位できた天皇

仁徳天皇の孫(眉輪王)に暗殺された


第21代雄略天皇 (ゆうりゃく)

この天皇も兄達を殺して即位した天皇

兄ばかりではなく、皇位継承の可能性がある者

総てを殺した稀有な天皇である


第23代顕宋天皇 (けんぞう)

この天皇も兄が居ながら即位した天皇

兄は後の「24代・仁賢天皇」である


こうやって観ると、弟が即位した例は

神武天皇など神話も含めると大勢居る

神話から「記紀」の時代まで、【弟】の意味

するところは何なのだろう・・・・

偶然と言うには些か不可解であり

総ては「ひとつところ」に向かっている


第38代天智天皇 (てんじ)

この天皇こそ日本を代表する【弟】である

兄には「古人大兄皇子」が居て、通説では

天武天皇も異母兄だったとされる

この不自然な即位こそ、神話から歴代の

天皇即位に弟を登場させた狙いではなかったか

日本史上最大の勝者「天智系」の歴史において

弟が兄を差し置いて即位する「正当性」を演出した

それが本当ではなかったか?

その辻褄を合わせる意味で、弟の「賢明さ」を

強調し、兄の「凡愚」、「非道」を歴史に書き加えた

捏造「女帝」と双璧を為す、歴史の改竄だと

私は感じているのである


創造神・イザナギの人間臭い行状に疑問


普通に考えれば、創造神は「慈悲深い」「おおらか」

「偉大」「人間離れ」が特徴である気がする

しかし、イザナギはイザナミが出産するときに

我が子がイザナミに火傷を負わせて死なせた事に

怒り、首を刎ねるという残虐性を見せる

黄泉の国にいったイザナミを忘れられずに

黄泉の国まで出かけていく凡庸さ・・・・

人間並み・・いや、人間以下の扱いに疑問がわく

皇祖神の産みの親をここまで貶めるのは

どういう意味があるのだろう?

神話と言う「モノ騙り」を書き残すなら、もう少し

「ましな」ストーリーが思い浮かばなかったのか?

此処で見えてくるのは、辻褄合わせの重大な

部分以外は、古い口伝、地方の口書きなどを

繋ぎ貼り合せただけのものだった

そう見えないことも無いのである

皇祖神・アマテラスの親を讃えない事は

アマテラスが「女性」であり、「天津神」で

あることが重要なだけで、イザナギの子で

あることは重要ではなかった事になる

記紀神話とはそういう二面性を持っていて

辻褄(論理的整合性)の合うものと、合わないもの

は製作者(藤原不比等)にとって、都合の良い

素材にだけ配慮した結果といえる

記紀に見える「古伝」と「創作」を長屋の爺の

「粗末なふるい」にかけて、選別したいと思っている。

                  

◎  宗教は殺し合いの方便ではない 

宗教とはいったいなんだろう・・・

ご存知の方も居るだろうが、長屋の爺は

宗教など「ちんぷんかんぷん」の素人である

これから書くことは「間違い」だらけかもしれない

読む価値がないと思われたら直ぐにでも

スルーしていただきたい


イスラムの混沌とした情勢を見るにつけ

宗教が果たす役割が私の考えているものと

おおきな乖離をし始めている


神は自分と違う「神」を駆逐せよ

と言い残したのか・・・

神は自分を信じる者たちが殺しあう事を

望んだのか・・・

人を憎む為にどのような教えを

現代に伝えたのか・・・



バチカンの法王がどんな言葉を使おうとも

キリストの子等は「戦争」を止めない

キリストは是をどう解釈するのだろうか


マホメッドは「未だ足りない もっと殺せ」

そう予言するのだろうか・・



釈迦は民衆が安寧になるには、異端者は

抹殺せよと教えただろうか・・・


宗教を理由に「殺し合い」をすることを

各宗教の信者はどう説明するのか



私は本来の各宗教は、そういう事を認めては

居ないと思っていて

宗教を騙り【狂人】が民族内で粛清を繰り返し

不幸の種をばら撒いているだけの気がする


師たる「教祖」、「神」の教えを自分勝手に

解釈し、それを他者に「押し付けている」のが

現代の宗教だと思っている



人を殺すために存在する宗教とは・・・

いったいなんだろう?




人間が作ったとしか思えない「教義・真理」

それに振り回され、奴隷のように従う事が

宗教を信じることなのか?



私の目には「利害」が争いの種であっても、それを

宗教紛争として偽っているだけの気がする


人は宗教の教えによって、他者の命を奪う事はない

(そういう観点から言うと、オウム真理教も宗教ではない)

自分を利するための【口実】として宗教を騙るだけ

私にとって、宗教問題だといって、殺し合いをする

一神教の信者達は「利己主義」であり、自分勝手な

解釈しか出来ない【似非信者】だと考えている


日本の仏教では・・・

各宗教の「開祖」なる先人たちは、死後の世界

について教えを残した

本当に「釈迦」は死後の世界に言及したのか?

私の知るかぎり「否」である

この世(現世)で心安らかに生きるための

ヒントを残してくれたにすぎない・・・

と私は考えている

その教えを細かく整えた弟子達の考え方が

それぞれの「仏教」として形作られた

釈迦が生きていれば 「こう言うだろう」

「そうであって欲しい」 それが本質かもしれない

人間の「エゴ」が形になったのが「宗教」と

いう言い方は言い過ぎか・・・


こんな事言うと、お叱りを受けるかもしれないが

爺の「おつむ」ではこれが限界である




宗教対立という「重宝な言葉」を使う現実の

その陰で「搾取する者」「富める勝者」の笑顔と

「搾取される者「」「飢える敗者」の地獄絵図があり

その現実のどこにも「宗教」の匂いがしない

チベットやウィグルの惨状と、中東での惨劇に

大きな違いなどない・・・

有るのは「強者」と「弱者」、「搾取する者」と

「搾取される者」、「殺す者」と「殺される者」の二通り

しか存在しない・・・


一神教が広まれば広まるほど、世界の各地は

【住みにくく】【悲しみが溢れる】世界になるだろう

宗教が悪いというほどの「確たる見識」など持っていない

その稚拙な爺の目には、一神教の「狭義的思考」が

起因することも多いと映っている


おおらかに・・・とにかく受け入れる「多神教の信徒」

からすれば、争うほどの問題など、世の中には

そんなに有りはしないと感じている


有るのは「自己顕示欲」「利己主義」「拝金主義」の

亡者達が醜い争いを繰り返している

そういう事だと思っている。

                   

◎  皇族とは? 

皇族とは何か?

皇統に属する天皇の一族のことで

天皇自身は含めない

皇后・皇太子・皇太子妃・とその独立していない子女

を内延皇族と言う

皇族の務めとは何か?

最も大事な事は、天皇自らがお祀りする【大祭】に

参列することである


成年以上の皇族が参列する事が【原則】となっていて

たとえ「嫁した」者であっても、皇族となったからには

皇族としての務めを果たす義務がある


それを根拠に「皇室費(宮廷費・内延費・皇族費」が

国民の血税から支出されている


その支出が適正であるかどうかは個人の見解で

国民の「想い」に負託し得ない状況があれば

様々な意見が飛び交う事になる

私観であるが、物事の代価(価値)は主観に

委ねられる事が普通であり、受け止める側(国民)が

適正な価値を認めれば適価であり、見合わないと

感じれば不満が生じる

たとえば・・・

一本の大根を購入して、自身が「美味しい」「満足」

すれば、それは「適正価格」なのであり、後悔・失敗を

感じたなら「不適正な価格」・・・つまり【高い】という

評価を下す事になる


だから、皇室費が高い低いの判断をすること事態

大きな意味を持たないという事になる


皇族はどうして「特権」を持ち続けているのか?

その判断は「伝統ある皇室祭祀」の継承一族

であるからだと私自身は思っている


どうして今日のような、東宮家批判が起こったのか

その答えこそ「国民の負託」に答え得る状況に無い

現状にあるのかもしれない


私の周りでも、東宮家に批判的な「確たる意見」を持つ

人間は僅かである

それは別世界の出来事であり、考えようとはしない

【戦後型日本人】と【戦前型日本人】の極端な特徴が

作り出した文化のようなもの

戦後型日本人は、思考をすることが苦手で、与えられた【糧】

をたよりに息をする人間たちであり、マスゴミの垂れ流す都合

の良い報道だけを受け止めて、一切の個人的感想を持たない

お花畑国民が主流である

戦前型日本人は、天皇を神の如く崇拝し、その一族は雲の上の

住人の如く感じていて、疑問や不満を聞けば、【不敬】という

観念が発動し、口にする者を「非国民」という眼で観てしまう



とにもかくにも、こういう状況を容認する背景には

皇室祭祀を「天皇家の私的祭祀」という境遇に

落としている政府の責任であり、これが国事行為

の一つであれば、「大祭」の欠席は、怠慢であり

その務めを果たせない要因があれば、【皇族不適格】

という判断が下されるはずなのである

こうして考えてみると、税金(公費)が充てられている

皇室の総ては「公的な行い」であって然るべきであり

事の発端は「政教分離」と「皇室祭祀」の切捨てで

政府の「きちんとした論議」をなおざりにした責任が

大きいと言うべきかも知れない

東宮が即位した後に起こる、皇室論議によって

国民が二分される事を心配している

それまでに新たな展開が開ける事を祈るしかない

正直なところ、現段階では天に祈ることしか・・・

私には出来そうも無いのである

                 

◎  出雲と宇佐の不思議な関係 

素戔嗚尊はどこからやって来たのか

まさか空から降ってきたわけではない



出雲大社の参拝作法、二拝四拍手一拝と

同じ参拝作法の神社がある

「宇佐神宮」である

社伝等によれば、欽明天皇32年(571年?)、

宇佐郡厩峯と菱形池の間に鍛冶翁(かじおう)

降り立ち、大神比義(おおがのひき)が祈ると

三才童児となり、「我は、譽田天皇廣幡八幡麻呂

(応神天皇のこと)、護国霊験の大菩薩」と託宣が

あったとある


おそらく後世の書き換えだろう

元々は豪族・宇佐氏の磐座信仰から始まり

後に辛嶋(からしま)氏が「ヒメ神」信仰を導入

した後、応神天皇説を上書きしたものだろうか

しかし無視できないのは、こういう言い伝えの中に

本質が隠れている事がある

【鍛冶翁(かじおう) 降り立ち】  の部分だ

宇佐(うさ)は本来「ウサッ」ではないか?

ウサッとは、【おき】のことで、火のついた炭

のことなのだ

鍛冶とは炭の火力を使い金属を鍛錬する事

鉄・銅などの鉱山師

金属精錬の「踏鞴(たたら)集団」

金属加工の「鍛冶集団」

これらが別々であったとは言えないし

無関係とは思えない

スサノオが山陰地方の産鉄部族を治め

一大国家を作り上げた可能性もある

宇佐神宮の祭神には不可解な点が多い

譽田天皇廣幡八幡麻呂 などと言うのは

明らかに「後付」「捏造」だと私は考えている

神功皇后もそのついでに祭られた気がする

問題は「比売大神 (ひめのおおかみ)」である

辛嶋氏という豪族にヒントがあるかも知れない

和銅5年(712年)には官幣社となり、辛嶋勝乙目

が祝(はふり)、意布売(おふめ)が禰宜(ねぎ)と

なって栄えたとされる

意宇売おうめ・・・意宇とは出雲の地名だ

此処にも共通点が存在した

私がこの宇佐神宮の祭神が不可解に

感じたのは、出雲との共通点があまりにも

多く、古代から現代にまで繋がっている点

に着目しているからだ

宇佐神宮の大宮司は当初、大神氏が務めた

平安時代中ごろに宇佐氏に代わり、鎌倉時代

宇佐氏の兄弟が宮成家・到津家として分裂し

戦後宮成氏は宮司職を返上し「宇佐氏」に戻った

その到津家の世襲を妨害したのが神社庁だ

神社庁や宮内庁はいわば「伊勢神道」のトップである

これを出雲系への介入と見ることもできる

裁判所も加担した伝統への冒涜・否定と呼ぶべき

かもしれない

話を戻そう・・・

宇佐神宮の本殿は丘陵・小椋山の頂上にあり

上宮と称する

一之御殿は万延元年(1860年)

二之御殿は安政6年(1859年)

三之御殿は文久元年(1861年)の建立で

国宝となっている

この建立の時期がすごい・・・

1860年とは、幕末・安政の大獄から

桜田門外の変が起きたころだ

150年前に過ぎない・・・・

それでも国宝?に指定されている

別に異論を言う心算は無いが

妙に引っかかる思いなのだ

この宇佐神宮にも上宮・下宮という二宮がある

下宮は御炊宮(みやけみや)という

文字を観ても「食事の神」を連想させる

伊勢の外宮の「言い訳」に似通っている

祭神は上宮と同じと言いながら、この名称

はどういう事なのか?

疑問は尽きない・・・・・。

この本殿の並びにも謎がある

usa-kami_thumb.jpg

向かって左、第一御殿は八幡大神

右側第三御殿が神功皇后

そして中央第二御殿が「比売大神」である

一般家庭の神棚、三社造りであれば

中央に天照大御神、左右に氏神・信仰神

という配置になる

つまり、中央に鎮座する神が、一・ニ・三に

関わらず上位神なのである

八幡社という名称でありながら、主祭神が

比売大神という事実を何と説明するのか?

この神社も8世紀初頭に、何らかの思惑で

祭神を隠され、政権に組したものと思える

だからこそ、「道鏡事件」のご神託においても

他の神社を差し置いて、託宣を委ねられた

私にはそう思えて仕方が無い・・・


時を同じくして、出雲大社と皇族の婚儀と

宇佐八幡宮司家・到津氏の罷免が行われた

出雲は取り込んで、宇佐は切捨てた

宇佐の比売大神と、出雲のスサノオ

この関係もいつかは形にしてみたいと思う

                   

◎  言い訳と薬剤師 

昨日はパソコンの機嫌が悪く

いろいろ試し、再起動を繰り返し

回復したのが日付が変わるころ・・・

今日は朝から「花粉症」が酷く、それでも

何とか更新出来そうなので・・・

後ほどアップしたいと思います


しかし・・・

世の中に「薬剤師」は居なくなったのか

ア*グラという第一種医薬品を購入しようと

数軒のチェーン系薬局に寄ったのだが

どこも薬剤師が常駐していないので

当該薬は置いていないという

これも薬事法の改正で、病院の薬局が

無くなり、民間の処方箋薬局の乱立に

殆んどの薬剤師が刈り出された結果なのか

駐車場の広い大型ドラッグショップの利便性

がなくなりつつある

最近では化粧品と日用雑貨、簡単な薬、そして

飲料・菓子類の販売がドラッグストアの存在理由

になってきている

規制緩和といい、薬事法といい、庶民の為にならない

国民に有害な法規制が目立つ、このままでは

本当に日本が壊れそうである

だいじょうぶか? 日本

任せて大丈夫か? 自民党!

                   

◎  外国訪問とご静養 

ご静養

言葉だけを聞くと、ぼんやりとしか見えない

天皇の行事である

なぜ「静養」が必要なのか?

皇室祭祀は曜日には関係しない

各種行事に参列されるのは「土・日」が多い

平日の二日間は「執務」があり、殆んど毎日

何らかの公務と祭祀が控えている

その激務によって、天皇の健康が損なわれ

ては、日本が国家として機能しなくなる

そういう意味の配慮から「静養」をする


静養とは激務の「肉体的・精神的疲労」を

癒す意味でも大切とされる

だから・・・激務(公務)に携わらない宮家では

「静養」という言葉は殆んど使われない

だからと言って、秋篠宮殿下が何もしていない

わけではないが・・・・


最近多く聞かれる「東宮一家」のご静養問題

この「ご静養」は疲労を癒す為のものではない

名目としては「妃殿下」の病気静養というところか

スキー場の人ごみに出て「病状」が良くなる類の

病気なのかは疑問だが・・・

「西洋」に行くのがお好きらしい

西洋も「静養」という同じ音だからなのか?

千代田の雀たちの間では、「年度予算を消化」する

ために、一家団欒と静養を行っているなどとさえずる


静養するほど「公務」「祭祀」に勤しんでいるとは

見えないのだが、別世界の話であり、何を言っても

「ごまめの歯軋り」というところか(笑)


錦の御旗 というものがある

豪華絢爛な旗印という解釈だろうが、私の解釈は

日本の皇室制度の「魂」の尊称であると・・・

錦の御旗=天皇 という位置づけであり、かつての

日本人はこの御旗を背にまい進してきた経緯がある

神道があったからでも、現人神だったからでもない


錦の御旗は【日本人の魂の象徴】なのであり

天皇は代を重ねて人代わりしても、心の中の

御旗は不変なのである

その御旗に背を向ける「天皇」が現れたとき

ヤマトの国は滅ぶときである

国が存続するしないという次元の話ではない

精神的な「国家」としての柱を失う事であり

神の不在・・神を否定する国家の誕生なのである


この国は「多神教」の国家として悠久の時を刻んできた

その総てが「皇室祭祀」の中に凝縮されている

廃れては復活し、軽んじられれば道を正し現在の

形式が伝わっている

その形式を形骸化・簡素化することこそ「否定」であり

それに於いては香淳皇后が最期の抵抗者だった

一歩ずつ、一つずつ変わる事が「改革」であり

その速度が極端に遅いものを「伝統」といい

逆にその変化を急ぐ事を「破壊」という

千数百年の積み重ねを、数十年で変える事が

どういう事なのか・・・

私達日本人は、一人の神に支配される事は無い

それが通説の「皇祖神・アマテラス」であってもだ・・・

皇祖は皇室の祖神であって、私達の祖神とはいえない

伊勢の祖神は国民すべての「祖」とは断言できないのだ

なぜ 天皇が敬われるのか?

私達国民の安寧・繁栄を毎日祈念してくれる

大切な人【祭祀王】だからである

国民のために祈らない祭祀者は「無用の長物」

自分の為に祈る者に、尊崇の念など湧くはずもない

天皇の天皇たる所以がそこにある

今回のパラオ訪問を「税金の無駄」という意見も

聞かれる

私は申し訳ないが、そうは思っていない・・・

しかし、残念でならないのは、パラオに行くだけの

お気持ちがあるのなら、一度でもよいから・・・

靖国に足を運んで欲しかった

現在の日本の礎を築いた「戦没者」たちに

向き合って欲しかったと私は思っている

日本の国に「戦犯」は存在しない

これは国会でも承認された事実である

なぜ?

靖国には行けなくて、パラオなら行けるのか

その答えは永久に返ってこないかもしれない

                   

◎  ひらがなで考える日本の言葉 

【想い】 と 【重い】 は繋がっている

想いとは「心に抱いた重み」のことであり

「晴れやかでない気持ち」を言うそうである


恋ふ(こふ) 恋(こひ)

想い・思いと似たような言葉であるが

【恋ふ】は「乞う」とも通じる言葉



【恋】することは相手の【気持ち】を欲しがる状態

【乞う】とは相手の持つ【食べ物】を欲しがる状態

「こふ」「こう」「こひ」とは、相手のものを「欲しがる」

という共通点があるという

ある学者は「恋」は【魂乞い】だと言ったそうだ


古代では・・・

魂は浮遊するものであり、魂の結合が「恋の成就」

であって、なかなか実現しないから辛いものだった

その証拠に「万葉集」には恋の歓びを歌った歌は

一首も無いそうである

日本語の「恋」は  I love you  ではなく

I miss you  が相応しいとも言う

ラヴは拘束しあうほどの愛着であるのに対し

ミスは目の前に居ない相手を慕うことだから

と言うのだが・・・・

「愛」は無私の感情で、見返りを求めないが

「恋」は相手との魂の結びつきを求めるともいう


という事は・・・

愛は希望であって、恋は期待なのかもしれない

恋が成就しなかったとき、計り知れない「喪失感」

に襲われるのも、「魂(心)をちょうだい」という欲求

が満たされなかった結果なのだろう


う~~ん 長屋の爺らしからぬ出だしで居心地が

悪いかもしれませんね(笑)


「あそぶ」 これは、「あそ+ぶ」から成り立っています

「あそ」とは、「ぼんやりした状態」のことです

この「あそ」と同じ様な意味なのは「うそ」です

「うそ」とは本来は中身が無い話のこと

間違った事は「いつわり」と言います

中身が無く間違った話は「うそいつわり」である

ここでも a i u e o の互換性を感じます


ついでなので互換性の話を・・・

手(て) これは te ということば

手のつく言葉は多いですね

ところが「手」と書いても te と読まない

場合があります

手向ける (たむける)と読みます

手綱 (たづな)といいます

同じ手でも、te ではなく、ta と読む

これが古代から引き継がれている

互換性の読み方・言い方なのです


話を戻します

平安時代では「あそぶ」とは、音楽の演奏

を指していました

なぜ「あそ」が音楽の演奏と関係するのか?

おそらくは「神祭り」に由来するのだと考えます

神さまがやってくるのを待つから「待つ・り」

という説もあります

神様を呼ぶさまざまな取り組み(作法)の一つが

演奏だった

音楽演奏とは「神事」に他ならなかったということ

神さまを呼ぶ演奏中に演奏者も聴衆も音楽に酔い

恍惚状態になった

そういうときに、トランス状態の人に神がかり(憑依)

が起きるということだろうと想います

古代の歌などで、「あそび」という表現があれば

それは「音楽を演奏する」ことかもしれません

現代の「あそび」もたいして中身が無いから

「遊び」と言うのかもしれません


ちなみに自動車のハンドルの「あそび」

レーシングカー以外は殆んどの車にあります

これもたいして重要でない余裕の部分のことで

必要不可欠で無い状態の事なのです


ひらがなで読むと、いろんなものが見えてくる

漢字脳から離れて、「かな」で遊んでみてはいかが? 


                  

◎  「なぜ」の視点を変えてみた 

昨日は花吹雪のトンネルを走り

今日は花びらの絨毯の上を走った

あいにくの雨だったが、連日の仕事で

花見どころではなかったから、感慨は

それほどでもない・・・・

体調の悪さも手伝って、今年は花見には

行かなかった(家の中で花見はしたが 笑)


両陛下がパラオに行かれる

何事も無ければよいのだが・・・・


伊勢神宮を最初に参拝したのは

明治天皇である

出雲大社を最初に参拝したのは

今上天皇である


私は今までブログの中で、どうして

歴代の天皇は参拝しなかったのか?

そう言い続けてきた

何という偏った考え方をしていたのか

自分でも呆れている


「なぜ参拝してこなかった」

ではなく、「どうして参拝したのか?」

そう問うべきだった・・


明治天皇の伊勢参拝は「否定」だった

今上天皇の出雲参拝も「否定」だった


つながりの否定と言うと語弊があるか?

日本の天皇は伊勢は「遥拝」するもので

足を踏み入れる場所ではない

いや・・・足を踏み入れてはいけない場所

そういう伝統・風習、暗黙の決め事があった

それを「否定」したのが明治天皇だった

そう考えると納得できるものがある


なぜ「否定」できたのか?

不敬を覚悟で言うと、「皇統」ではないから

あるいは、伊勢の祭神が「皇祖神」ではないから

爺の暴論なので・・・・


では、どうして

今上天皇は出雲に足を踏み入れたのか?

出雲の祭神など「畏れるに足らず」だったのか

過去の通説など「意に介していない」からか

神道そのものが「心中に在らず」なのか・・・・

日本の歴史、通説・神話を否定する思想から

なのか・・


宮内庁の扇動でなければ、自発的という事になる

伝統を護持するはずの祭祀王の行動とは

思えない諸々の出来事

見えない何かを「頑なに否定」する後姿が感じられる


万世一系とは、太陽神の子としての【魂】を世代を

越えて引き継いできた形で

血脈(血統)など瑣末な事なのである

祭祀王としての魂を引き継いだ結果が

【万世一系】だと私は思っている



なぜやらなかったのか?

ではなく

なぜおやりになるのか?

そう問うのが本筋だと気づいた長屋の爺

皇室の様々な出来事も、視線を変える事で

見えてくるものも有るように思えるのである。

                  

◎  大神とスサノオ 

今日もパソコンの調子が悪く

セーフモード~システム復元でやっと回復

突然の未更新に生ったときは、パソコンの

不調ということでご理解願いたい・・・

つなぎに予備のノートを使う予定だが

パスワード設定など未処理なため

時間が必要と考えている


さて、そんなパソコンと格闘している合間に

ふと気づいたことがある

**大神 **大王 という呼び名

これは当たり前のように受け止めているが

漢字が入ってくる前は何と呼んでいたのか?

古代においても、そう呼んでいたと言うなら

大きなかん違いをしていた事になる


大神 おおかみ 

偉大な神という概念は、「漢字脳」が判断している

音(言葉)で言うなら、オオカミ以外の何物でもない

私の中では「狼(おおかみ)」と読むこと事態

疑問でしかないのである

狼は「ろう」と読むべきで、おおかみというのは

ヤマト読みでしかない

私は「山岳信仰」と言うより、ご神体としての山に

住む「おおかみ」に対する畏怖の念から発生した

尊称の類だったと漠然乍考えている

山(神の住まい)に共に住まう「神」

それがオオカミではなかったか・・・

その語源をさらに追求すれば、王神(おうかみ)

意宇神(おうかみ)という可能性もある

意宇とは古代出雲国にあった郡であり

そこに建っている神社が【熊野大社】である


熊野大社の祭神は「熊野大神櫛御気野命 」

つまりは【素戔嗚尊】のことなのである


櫛御気野命 とは「三毛入野命」のこと

神武天皇の兄とされる・・・

熊野大神=素戔嗚尊=意宇神=オオカミ

かなり強引かもしれないが


海幸彦・山幸彦の逸話でも兄より弟が・・・

そんな神話や逸話は山ほど存在する

大国主の「イナバノシロウサギ」でも

ウサギをいじめたとされるのは「兄神」で

それを助けたのは弟神・大国主なのである

オオカミは「朱砂の王」であった「ミケクシ」

そういう仮説も成り立つのである

                  

◎  神社の狛犬と伏瘞 


狛犬 を観て何に見えるか?

私は深く考えたことが無かった

通説のとおり「高麗狗(こまいぬ)」という名

の石像だと軽く考えてきた

しかしどう見てもあれを「犬」とは思えないと

最近になって疑問が湧いてきた

古代中国では「犬」とは何だったのか・・・

そこから調べることにしたが、そん所そこらに

答が転がっているわけが無い

古代中国の「殷(いん)」の時代の埋葬に

是はと思うものがあった

殷王の陵墓の発掘現場から、犬が出てきた

それも正装した武人と犬が「王の棺」のさらに

下に埋葬されていたという

小さな墓では犬だけが埋められている事が多い

とも言われている

【伏】 は通説では犬がふして人をうかがう形だと

されているが白川静博士によれば、伏はもともとは

伏瘞(ふくえい)を示す文字だと言う

瘞(えい)とは理牲、犠牲を埋めることである

中国秦朝ではその祀る場所を【伏祠】といい

その村の四門に犬を磔(はりつけ)にして

蠱(こ)を防いだとされ、蠱というのは

まじないに使う虫、人を害する呪いや毒薬のこと

で簡単に言うと、犬を埋めるのは呪禁(じゅきん)の

ためであり、地中から忍び寄る蠱を防いだものだった

 「狗を以って蠱を禦(ふせ)ぐ」 

犬による【結界】だったのである

これは何も墓だけではなく、宮殿や門などでも

用いられた手法だった


おそらく神社の結界として生きた犬(犬牲)ではなく

創られた物を代用したのが始まりだろうか

最初は石像ではなく、木彫などだったかもしれない

秦朝といえば「秦氏」が思い浮かぶ



ではなぜ【犬】が【獅子】のような姿なのか

古代インドではライオンだったが、高麗を通って

日本に伝わったので「高麗狗」というとある(笑)


獅子はどこまで行こうと「獅子」であり、「狗」に

なる事は無い

日本に伝わったころは、天皇の左に獅子

右に高麗狗だったという説もある

私は「なるほど~」とは思えない・・・・

私にすれば、あの姿は「唐獅子」にしか見えない



私の暴論で言うと、高麗狗とは「稲荷神」の前に

鎮座しているものこそ、「狛犬」だったのではと

頑なに思いこんでいる



稲荷神にどうして「きつね」なのか?

ネズミを捕るなら鷹や猫のほうが適任である

あれは最初は犬の木像だった、

稲荷神の前に蠱を防ぐ「細身の犬」が置かれていた

神社に高麗狗が置かれたのは「平安末期」からだ

犬の心算で作ったものが、どういうわけか「きつね」

にされてしまった

蠱を防いでもらっては不都合でもあったのか?

これは長屋の爺の妄想でしかない・・・

しかし、通説は疑ってみても良いではないか

とにかく権力者の言い分が「正しい」などというのは

近視眼な解釈でしかない

稲荷の鳥居が朱いのも(赤いのではない)

稲荷の前のキツネも、鉄生産集団(豪族)の

信仰ではなかったか

鉄や朱(水銀)を豊富に保持する事は、「チカラ」

の証明であった

その「チカラ」を略奪したものの思惑で、「犬」が

キツネになり、その「犬」の代わりに「獅子」が犬と

して認知されるようになった

私の中では「こまいぬ」とは、そういう位置づけに

なっているのである。

                   

◎  ニギハヤヒとスサノオ (二) 

天の岩戸神話

多くの人が一度は聞いた事がある話だ


この「創作話」はどうして作られたか?

歴史事実を基に藤原不比等が構築したのか

それとも、不都合を隠すために大層な物語りを

考えついたか・・・そのどちらかである

前回はアマテラスが「夜」「月」を支配していた

そう書いたが、なぜ私がそう感じたのかは

ツクヨミ神というもう一人の神の存在が根拠

になっている

ツクヨミとはアマテラス、スサノオと共に

三貴神と呼ばれるイザナギ・イザナミの子である

アマテラスのもう一人の弟神と言われているが

その詳細は不明のままであることも不可解なのだ

アマテラスの逸話、スサノオの逸話とも

神話とはいえ「華々しい物語り」に書かれている

ところが「月の神」であるツクヨミは影が薄い・・

【太陽神】と【海神】だけが大きく取り上げられる反面

【月神】は無視されているのである

見方を変えれば、触れたくない事情が有るから

ではないだろうか

本来は【太陽神】と【月神】の神話であるべきものを

「月神」をあやふやにする意図から新たな神を

創作し、その神に「夜」「月」「陰」のイメージを

押し付けて隠してしまった

その意図こそ、アマテラスが月神であり、夜を支配する

女神であり、太陽の再生を祈る「日の巫女」であったから

に違いないと私は思っている


どうして不比等はそんなことを考えついたのか?

それは・・・持統天皇=アマテラス である必要があり

夜・月・陰のイメージでは不都合だったからで

天の岩戸神話や伊勢神宮造営も複雑に絡んで

くる話だと思える

藤原不比等も持統天皇も「天武朝」などたいした

問題ではなかった

あくまでも「持統天皇」を基とする天皇家を確立する

ことが主命であり、持統系の天皇を輩出するためなら

歴史をも変える大事業(歴史クーデター)を完成させた

我が子「草壁皇子」が急逝したことから、不比等が歴史

を捏造しなければならない必要に迫られた

持統天皇ー草壁皇子ー文武天皇という構図は

アマテラスーアメノオシホミミーニニギ

と全く同じ構図に「なっている

本来はアメノオシホミミを降臨させる神話の

予定が、草壁皇子が急逝したために変更され

孫である「軽皇子」にバトンをつなぐ形になった

「天子の降臨」ではなく、苦肉の策の「天孫降臨」

という辻褄の合わぬ神話にせざる得ない状況に

なったと言うのが本当ではないだろうか

太陽神の生まれ変わりと言う姿をめざしていた

持統朝と不比等にとって、夜や月、死の再生を

司るアマテラスでは都合が悪かった

そこで本来の太陽神「スサノオ」に代わって

アマテラスを「太陽神」に祭り上げた


本来は男性神が太陽神という常識すら無視し

ツクヨミという男女の不明な神を創作し、陰の

部分を押し付け、月神であるはずのアマテラス

を太陽神に仕立てた

そのかげで本来の太陽神・スサノオは悪行の

かぎりを尽くし追放された「悪」の烙印を押され

ることになった


それでは出雲の主祭神であるスサノオと大国主

はどんな関係なのだろう・・・

これは国譲り神話に隠された部分が重要なのだろう

国譲り神話とは、ヤマト朝廷が出雲から日本を譲って

もらった話に聞こえる

本当にそうだろうか?

和を以って貴しとなす・・・・

この言葉の創作も、実は出雲にある

話し合いが一番と言うからには、争いは

凄惨な殺し合いだったからであり、話し合って

譲られたというのは【騙り(かたり)】なのである


出雲族というのは出雲だけに住んでいたわけでは

ないと考えている

出雲地方を拠点としていたろうが、出雲の狭い

範囲だけに暮らす部族ではなかった

もしかすると古代の日本列島の半分以上を統治

していた大王家だった可能性もある

「朱砂の王」と呼ばれる支配者を武力を使って

責め滅ぼしたのが北部九州から来た部族で

そこには「寝返り」や「裏切り」が頻発した

神武東征の後、「四道将軍」を派遣して各地

を平定したと言うからには、出雲の残党刈り

であり、四道(日本各地)に出雲統治が根付いて

いた証明かもしれない


そこで出雲国造家の存在である

太陽神が「吉備津彦」若しくは「饒速日尊」であり

それを隠すために一役買ったとすれば、吉備の

部族の末裔かその同族ではないかと思う

寝返ったか若しくは従属したか・・・・

縁もゆかりも無い者が祀ることはできない

たたる可能性のある神は、その子孫が祀るのが

正常なのである

非業の死や冤罪などで無念の思いを残したものは

「祟り神」になる

そのたたりを鎮めるには、その子孫が丁寧に

祀らなければならない「法則」がある

世間で言うような、アマテラスの子孫などと言うのは

不比等の片棒を担いだ者の末裔だと告白している

私はそう思っている

古事記や日本書紀に書かれているように、国造家の

始祖は大国主に寝返ったと言うのは、本来なら

不都合な歴史である

藤原不比等が創作した「モノ騙り」であるなら

その時点では国造家は大和朝廷にとって

芳しからざる存在か、隷属させるだけの存在

という見方も出来る


716年に出雲国造による「出雲国造神賀詞」

の奏上が行われた

この時点で何らかの「密約」が取り交わされた

のではないかと私は考えている

それが杵築大社の造営と、出雲国造就任話

さらに出雲の地を治める権限を取得した

アマテラスが8世紀初頭に創作されたのなら

その子孫と公言する「出雲国造家」も創作で

あるはずなのである

その約定を破りませんと言うのが「神賀詞」の

奏上に他ならない・・・・

秘密を守ることが己を守ることであり

天皇家と藤原氏、出雲国造家の利害が一致した

ウィンウィンの関係が両家がアマテラスの子孫だ

という言葉に現れているのかもしれない

                  


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