不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  ニギハヤヒとスサノオ(序) 

パソコンの調子が悪く、あちこちいじっていたら

こんな時間になってしまった

原因はおそらく、windowsのアップデートかと

システムの復元で一週間前に戻したら解消した

そういえば、前回の不具合の時も、最終的に

復元をして解決した記憶がある

XPの次は7を操作する気なのかMSよ・・・

これも夏に出る windows10 への布石なのか?

これ以上素人を悩ませないで欲しい・・・



天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊

あまてるくにてるひこ あめのほあかり
 くしたまにぎはやひのみこと

怖ろしく長い名前だ

簡単に言うと【ニギハヤヒ】のことである

この名前の文字を観るだけでも、ニギハヤヒは

国中を照らす祭祀王とでも言っているようだ


物部神社の伝承では、ニギハヤヒが持ってヤマト

に降り立った「十種神宝(とつかのかんだから)」

は、スサノオから渡されたとされる

ということは、男性太陽神の間で受け継がれた

ものが「十種神宝」だったことになる

なぜスサノオが「太陽神」なのか?

「倭王は天を以って兄とし、日を以って弟とする」

兄は夜に政(まつりごと)を聴き、日が昇ると弟が

政を行う・・・

この兄を姉と置き換えれば、卑弥呼が兄(姉)で

弟を仮に「吉備津彦」とすれば、卑弥呼が夜に

太陽の再生を祈り、弟は日中の政務を行った

卑弥呼=アマテラス、吉備津彦=スサノオ

とすれば、アマテラスは夜、神事を行い

太陽が昇るとスサノオが代わりに神事を行った

アマテルとは【自ら光り輝く】存在であり

アマテラスとは【太陽神を照らす】存在である


藤原不比等がいかに歪曲しようとしても、この

事実は変えようが無いのである


アマテラスが夜に神事を行っていたなら

「天の岩屋戸」事件は解せなくなってしまう

太陽神だからこそ「隠れて」しまい暗黒の世界

になったのであり、最初から「闇の世界」に暮らす

アマテラスは「隠れた」ことにはならない

このことは次回に詳しく書いてみたい


明日は「朔日(ついたち)」でお休みです

                  
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◎  漢字の雑学 

久しぶりに漢字の話でもしましょうか

【名】 めい、な

上の部分は一見「夕」に見えますが

象形文字では「肉にく」なのです

下の部分は以前にも書きましたが

「口くち」ではなく「サイ」と呼ばれる器で

どんな形かは不明ですが、現代まで

伝わらなかった事から考えると「朽ちる」

ような素材だったかもしれません

函(箱)なのかどうかも定かではないですが

一様「箱」という事にしておきます

この「サイ」という箱は神さまに向かって

祈りの文を入れて使います

「名」は肉と共にサイに祈りの文を入れて

祭るものです

同じ様な文字に「告こく」というものがあります

下の部分は「サイ」で、上の部分は「木の枝」

木の枝にサイを繋げ、祈りの文を神にささげる


名(めい)は神に告げられ、承諾を得て

神に委ねられ、「名」は神の所有となる

それより後、一切その人は神以外の人に

名を告げることは禁じられ秘匿される


ここまで書くと・・・お分かりでしょう(笑)


清少納言、紫式部、菅原孝標女・・・

どれも「実名」が残されていない女性です

神以外に「名」を告げることはタブーだった

からこそ、歴史に名が残されなかった

そう考えると、思わず納得してしまう・・・


そもそも名というものは、どうして必要だった

のか不思議である

**村の△△家の次男坊とかで事足りる

大きいねぇちゃん、小さいねぇちゃんで十分だ

「名」は神さまに自分自身を認めてもらうために

創られた「標し」だったかもしれないのである


「言」 げん

上の部分は「針」の形で、下は「サイ」である

神への宣誓のことで、この宣誓が偽りであった

なら、針を突き刺されても仕方が無いという決意

だという・・・

ゆびきりげんまん うそついたら 針千本の~ます

まさに言葉は神さまに「筒抜け」であり、「神さまは

お見通し」の根拠なのである


「サイ」の上に(えつ)まさかりを置いたのが【吉】

上に盾(じゅん)たてを置いたのが【古】

上に戈(か)ほこを置いたのが【咸】

吉には閉じ込めると言う意味もあり

古には永続の意味があり

咸には完結の意味がある


古をさらに囲むと「固」と言う文字になり

サイの機能をさらに固くする意味になる


咸に糸偏をつけて緘という文字

封書の裏の合わせに観る事がある

これは封書を「固く閉じる」という意味で使う


サイは不思議な器だ

サイに入れたのは神に対する「許可」「承諾」

の願い文だったのだろうか・・

それが聴き届けられなければ、枝で打ち

脅迫紛いの行為に及んだか・・・それが【可】

それでも聴き届けられないときは、もう一つ

「サイ」を重ねて、大きな声で威嚇する

それが・・・【歌】

歌は人の心を癒す為ではなく、神への訴え

を意味していた

日本の古代歌も例外ではなく、政治的(祭祀的)

な訴えや悲嘆などを文字にしたのではないだろうか

                   


◎  ヤマトから消された神「雷神」 

古代では日常的に「恐れられた」もの

私は【カミナリ】だったと思っている

地震・カミナリ・火事・親父

頻繁に地震があったとは思えないし

火事と言っても竪穴住居や洞窟住まいだ

それほど脅威でもなかったろうし、親父より

オカミサンのほうが強かったと思える(笑)


強烈な音と光、立ち木を倒し、炎上させる

パワーに最大級の「恐れ」を感じたと思う

天上に住む「雷神」が大きな音を立て

強烈な光を発する光景は、平伏すだけの

「神威(しんい)」を感じたのだろう


カミナリを「神鳴り」というのは後世の解釈で

雷神が鳴らす大きな音が「雷鳴」であり

太鼓を打ち鳴らす情景を想像させる


強烈な「閃光(せんこう)」を【稲妻】と呼ぶが

「つま」とはペアの相手を指して言う言葉で

刺身の「つま」も両方揃ってこそ価値がある

だから「つま」は、「妻」であって、「夫」でもあり

稲のパートナーである存在が「イナズマ」なのである


稲光が起こると大気中の「窒素(ちっそ)」が分解され

大気中から吸収しやすくなる

その結果、植物の成長が促進され、豊作となる

植物に欠かせないのは、窒素・燐酸・カリウムだ

誠に「理に適った」話なのである


私の数メートル前に「雷」が落ちたことがある

その時は鼓膜が破れたかと思うほどの音と

強烈な光、地面の揺れを感じた

車に乗っていなかったらどうなっていたか・・


これほどのパワーで古代人を恐れさせた神

雷神である

生命の存在を左右する「太陽神」の次に

畏怖されていたはずだが、天神さん以外に

あまり耳にしない・・・

「雷神信仰」が無かったのではない

「雷神」は隠されてしまった

古事記の記述には、その様子が描かれていて

【伊邪那岐命は、体に蛆が集かり、頭に大雷神、

胸に火雷神、腹に黒雷神、女陰に咲(裂)雷神、

左手に若雷神、右手に土雷神、左足に鳴雷神、

右足に伏雷神の8柱の雷神(火雷大神)が

生じている伊邪那美命の姿を見たとされる】

この八雷神はイザナギを追いかけて行ったと

古事記が言うように

雷神とは「皇祖」にとっては「敵」である


八百万の神の中に、厳密に言う「雷神」は

見当たらない・・・・

タケミカヅチ神が雷神という説があるが

本来は「剣の神」であり、信憑性にかける

これは不思議な話であって

万物に神が宿る「アニミズム」の日本では

あるはずの無い事なのである

火、日、水、海、川、山、穀物、子宝、縁結び

学問、竃、機織、長寿、言霊、農業、医療など

多岐にわたり神が存在するのに、どうして

明確な「雷神」が居ないのか・・・・

居ないのではなく、消されたと考えるほうが

適切では無いだろうか

【神生る】ことはすべての誕生にかかわる事

カミ・生り とはヤマト誕生の創生話にも通じる

最初にヤマトに誕生した「カミ」こそ雷神であった

神武朝より先にこの国を治めていた「カミ」は

ニギハヤヒという「大王(おおきみ)」だった

出雲をニギハヤヒという視点から次回は

考えてみたい・・・。

                   

◎  出雲国造と皇室の関係 

出雲国造家(千家氏)と皇族の婚儀

去年はこの話題でにぎやかだった

祝福するべきなのだが、私は別の思い

を感じている

世に言うような「遠い親類」の縁なのか?

私はおおきな疑問を感じている

結論から言えば、水と油の結合であり

アマテラスの祭祀者だとする「皇室」と

スサノオ・大国主の祭祀者だという「国造家」

の「結び」という事なのだ・・・

皇室は「伊勢神道」の頂点であり

千家氏は「出雲神道」の頂点である

ハッキリとした「水と油」の関係である

戦後天皇は「人である」宣言をして、現人神

の立場を否定した

ところが千家氏は今尚、「現人神」として

君臨している現実がある

皇室の出雲への侵入なのか、出雲の

皇室取り込みなのかは断言できないが

世間で言うような単純な「婚儀話」ではないと

私は感じている

出雲国造神賀詞でも解るように、千家氏は

皇室には礼を尽くす立場、隷属する立場である

皇室から見ると「臣下」にも匹敵する

1300年にもわたり、服従を誓う立場なのである


出雲大社の本殿には今でも皇室は昇殿できない

世に言う「先祖が近しい」なら矛盾する話である

征服したものとされた者、水と油、敵対関係と

言えば言い過ぎだろうか・・・

出雲とはおそらく、「蘇我氏」の本拠地だと思う

蘇我という名も、藤原不比等の「嫌がらせ」の

文字であり、本来は「須賀」「曾賀」「祖賀」では

なかったろうか・・・

出雲・熊野神社が「杵築大社」の前身であり

熊野といえば「八咫烏」であり、賀茂氏である


蘇我氏は祖賀氏であり、賀茂氏の祖・祖賀氏

かもしれない

これを出雲系賀茂氏と呼んでもいいだろう

だが「千家氏」が賀茂氏系なのかは疑問が残る


賀茂氏には「葛城系賀茂氏」というものもあり

葛城地方に君臨した「大豪族」である

その頂点が「大神神社」であり、大物主神である

俗に言う「大物主」と「大国主」は同一というのは

鵜吞みにはできない


紙芝居(かみしばい)

この語源は【神芝居】か【神柴居】だろう

不都合な史実を「神話」の中に封じ込めた

創作劇である

天の岩戸も高天原も、国譲りも藤原不比等の

歴史創作劇である

その神芝居の中で「出雲国造」が演じたのは

どの部分であるかは不明だが

一役買っていることは間違いないだろう


誰でも知っている「神無月」

出雲では「神在月」というそうだが、これも

出雲大社の御師(おんし)が日本中に

広めたという

日本でもう一箇所、神在月と呼ぶ地方があり

諏訪大社のある諏訪地方なのだという

大国主とその子「タケミナカタ」の鎮座する地方

なのは興味深い

私は是も「騙り(かたり)」だと思っている

神無月と言うと「10月」だが、あくまでも旧暦での

話であり、今の季節とは違っていて冬である

旧暦の10月朔日は現代の11月中旬ころ

(今年の立冬は11月8日である)

この「神無月(かんなづき)」の語源は、カンナ

では無いかと考えている

カンナとは【雷】のことで、冬の日本海側

(秋田県から鳥取県の海岸線から内陸部)

で頻繁に見られるようだ

その雲の高さも夏の半分程度で、夏の雷が

空から地上に向かうのに対し、冬の雷は

地上から空へと向かう

冬の降雪を知らせる「雷」が多くなる季節

それを古代人は「カンナの月」と表現したの

ではないだろうか・・・。

カンナの音を「神無」と漢字に当てはめたからこそ

「神在」という都合の良い風習に行き着いた

ひねくれ爺はそう信じている

出雲大社でも最初は肯定していなかったのが

近代になって「神在り月」ということを広めている

日本中の神様が集まるというのも、なにか裏が

ありそうだが・・・


スガという地名はスサノオが発した言葉の

「すがすがしい場所」からだという

これも後出しじゃんけんの類だろう

「スガ」とは古代では砂鉄の事だ

「須佐(スサ)」も本来「朱砂」のことで

朱砂(しゅさ)とは丹(に)のこと

水銀の古語である

朱砂と砂鉄→朱砂の王→スサノオ

砂鉄→スガ→須賀→蘇我

古代の砂鉄の産地である「安来地方」

「ドジョウすくい」も魚の「泥鰌」ではなく

砂鉄交じりの砂をすくう【土壌すくい】が

本当の姿だと思える

(つづく)

                    

◎  サクラ三昧・・ 

冷たい風と共に、花粉と黄砂が舞い散り

今シーズン最悪の一日だった

ますます鬱になりそうな気配がしている

一年で一番うれしい時期と、一番嫌いな時期が

同じと言う矛盾・・・

ゆっくりと過ぎて欲しい自分が居て

早く終わって欲しいもう一人の自分が居る

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            (2015・3・23)






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桜ゼリー 見た目にもおいしそうな菓子

ほんのり甘いゼリーと塩漬けの桜花の

絶妙なバランス

カロリーも気にならない嗜好品である



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こちらはゼリーではなく”プリン”

だけどぜりーである????

下の部分は白色のゼリーで上が透明なゼリー

プリン部分はミルク味w

こちらは少し甘めで、長屋の爺には・・・ふっ



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(2015・3・24)

次々に咲き誇る桜・・・

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(2015・3・25)

満開です!


これから長屋の爺にとって

一年で一番楽しい時期であり

一年で一番憂鬱な季節でもある



流れる雲の如く、天なる風に翻弄される爺である

美しすぎ かっこつけすぎ

・・・という批判は受け付けません!(笑)

                  

◎  神社に向き合う 

パソコンの調子が悪い

とくに FC2 の具合が・・・

何かわけがあるのか?

体調がすぐれないのも憂鬱である

今日は例年桜を観に出かける場所を

通ってみたが、蕾が未だ固そうだった

河津桜が満開で見事な咲きっぷり

我が家の桜も満開になって、春はすでに

訪れているのだろう

しかし・・・寒いw

また冬物の出番である(笑)



神社には大きく分けて三種類


日ごろ足を運ぶ近くの神社

特徴は平坦な場所にあり、鳥居と

本殿・拝殿が近い事


ちょっと足を伸ばし旅の途中で訪れる

有名な神社

山裾などに建っていて、階段を上って

本殿・拝殿に向かうもので、鳥居から

真っ直ぐ先にそれらが在る神社


そして・・・

鳥居を潜り参道を進み、下った先に本殿や

拝殿がある神社

参道は折れ曲がり、鳥居の先にそれらの

建造物が見えない神社である


参道というのは参拝者のために在るのではない

参道とは「神様の通る道」である


私の自論で言うと「サン・トゥク」

【出たり入ったりする】・・と言う意味である

【行ったり来たり】でもいい

古代では神さまの霊魂は真っ直ぐにしか

進めないと思われてきた

だから神様の道【参道】は真っ直ぐなのが

本来あるべき形なのだ

とくに8世紀前後に建てられた神社で

参道が折れ曲がっていたら、神さまを

封じ込めている神社かもしれない

私達は尊敬する人を「見下す」ことは無い

尊敬するモノに対し崇めるときは見上げる

のが恒である

ご先祖の墓が足元より下にあることなど無い

家庭の神棚が腰より低いところにあるはずが無い

なぜなのか?

それは「敬うべき対象」「大切なモノ」は自分の

頭より上位に置く風習から来ている

奉る(たてまつる)とは、引き立て祭り上げること

【立て】とは真っ直ぐにすることでもある

この理屈から言えば、神社の祭神に接するには

真っ直ぐに上位におかれるのが正しい事になる


この発想はアニミズムの「山岳信仰」から

起こったのかもしれない

山そのものが「神体」である

山が足元(あしもと)にあるわけが無い

「あしもと」は葦原中つ国(地上)の本(もと)

「神」は自ずと「天上」にある

神と向き合うには見上げ、昇るのが本来の

姿だと思っている


その論理から言うと、出雲大社の姿は

奇妙としか思えないのである

おそらくは熊野神社の祭神は鎮まる場所を

遷され、足元に近い場所に置かれ、それを

隠すように目の前に大きな社を造られた

祟るから大きな社を造営したのではない

「木は森に隠せ」

大きな社が注目されればされるほど、本来の

祭神は忘れられ、隠された意味すら消えて

しまう

どうして十六丈(48M)の高さの社が必要

だったのか・・・・

私の暴論では、主祭神である大和朝廷に

とって不都合なモノを隠すためだったと

思っている

                   

◎  出雲のお浚い (四) 


アマテラスは実在したのか?

出雲大社や伊勢神宮は何時建てられたのか?

ほかにも沢山の解らない事がありながら

信じるか信じないかの二者択一

その状況を見て思うのは、権力者視線から

見下ろす研究ではないかと・・・・

ハッキリ言うと、不都合を排除した研究

行き着く答えは決まり事であり

ぶよぶよの身体をコルセットで締め付ける

西洋的価値感にも等しい


古代史はその殆んどを「記紀」に依存している

逆から観れば、「記紀」の検証研究であり

古代史の検証にはなっていない


 「考古学」は科学である

エジプト考古学の吉村作治・早大名誉教授はいう

仮説を立て、その一つ一つを科学という手法で

検証して証明する学問だというのである

私も「古代史」は、考古学と歴史学と宗教学を

合わせなければ成立しないものだと思う


古代の歴史を「記紀」という書いてある物だけを

基準にして居る現状で、私の言うような「整合性」を

持ち出せば、その多くは暴論・邪説の烙印を押されて

しまう事になる (ある意味暴論なのだが)


天照大神が実在したと断言できる人は

この日本にどれくらい居るだろうか?



この日本が「ある家系」によって、二千年以上

続いている事を証明できただろうか?



神代の天皇が架空であると言うが、その後の天皇が

実在した証明は為されていない・・・


「書いてあるから事実」 の基準で言えば

中国共産党の公式発表は総て事実になってしまう

私達が「日本の古代史」を考えるとき、とても参考

になるのが、お隣の国々の姿なのである


国家は嘘をつかない?

否である

国の文書には偽り・歪曲・偏向など無いのか?

否である

言い伝えは事実を伝えているのか?

否である



文字遺産は「勝者の遺物」である

敗者の文字遺産は伝える事が許されなかった

日本の古代史はおそらく永久に明かされることは

無いと思う

古代の遺産である「古墳」の科学的調査を

許さない問題は、国の成立をごまかす事に

なってしまう

何かと言えば、人だか神だか判らないモノを

持ち出して、宗教としての側面を無視して

しまうのが、歴史のプロ達である


論理的に不都合があれば、皇室や神様に

対する「不敬」という言葉を使い、「畏れ多い」

「控え居ろう」と印籠を持ち出してくる 
(笑)


なぜ日本書紀は現存しているのか

どうして古事記が残されていたのか

出雲国風土記だけが残されていたのか


ではなぜ他の文書・書物は現存しないのか?


それはその時々の権力者にとって甚だ不都合

だったので焚書にあった

、あるいは権力者の目から遠ざかっていて歴史の

流れの中で消失してしまったから


出雲国風土記が残されていた理由は・・・

大和朝廷を受け入れたからという説がある


侵略者を受け入れることでしか存続できなかった?

いつの頃に許したのか?


藤原不比等の時代である

持統天皇を正当化するためには、出雲の精神的服従

が必要だった


* 諸国の国造のうち出雲国造だけが残された事実

* なぜ出雲国造だけが神賀詞を奏上するのか

* 出雲の風土記だけが完本の姿で現存するのか


これをスッキリと納得させてくれる話を聞いた事が無い


少しだけ自論を書けば、出雲国造だけが残れたのは

妥協の産物か、出雲族ではない者が頂点に就いた

からかもしれないし

神賀詞を奏上するのは、「絶対服従」と「秘密」を

明かさない誓約を確認する為かもしれない

風土記が残ったのではなく、隠したから残った

言い換えれば意図的に「残された」ものだった


なぜなら、日本書紀の編纂(歴史捏造)の

参考資料として価値があったわけであり

用が済めば「焚書」になって当然である


写本の一番古いもので、1597年の細川本だ

それまでは何処にあったのか?

一部の人間達によって【秘されて】伝わった可能性も

否定できないのである

出雲国造家を「粗末に扱えば」暴露するよ!

・・は考えすぎ飛躍すぎだが、古代の史実を

隠蔽する「片棒」を担ぐことに由り、意宇の地で

権力を持ち、「現人神(あらひとがみ)」として

長きに渡り存続し続けたのかもしれない

(つづく)

                  

◎  我が家の桜が咲いた 

今年は枝垂れ梅を購入しなかったので

代わりに桜の盆栽を購入した

例年より寒く感じたので室内で育てた

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2015・3・15


ようやく蕾が膨らみ始めた






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2015・3・16


さらに膨らむ・・・



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2015・3・19


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2015・3・19


うっかりしていたら蕾が開き始めた



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2015・3・20


ついに 開花 しました


本当に小さい木から 眼一杯大きな花が



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同時に二つの花びらが開花・・・



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幹が小さくとも枝が細くとも

咲く花の大きさは変わらないことに

笑っちゃうほど感動した


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2015・3・21


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2015・3・21

三つ目の開花・・・

春は自分の足元にまで来ていたことを実感

サクラを見ているだけで幸せな心地がする・・・

                 

◎  出雲のお浚い (三) 

右ひじ~背中(肩甲骨下)-腰全体が

非情に不調で、同じ姿正を続けにくく

更新も何回にも分けて書いています

お見苦しい個所、誤字脱字はご理解ください



風土記

これは正式な名称ではない

出雲国風土記など奈良時代に編纂

されたものを《古風土記》と呼ぶ

713年、元明天皇の詔により国庁が

記録・編纂したことになっている

しかし、当時は「風土記」という名称など無かった

出雲国の風土記と呼ばれる記録が

完全な形で残ったのはなぜだろう・・・

これを【残った】と見るか、【残された】とみるか

多くの学者は「よくぞ残った」と評価するが

見方を変えれば、なぜ残されたのか?

私にはそんな疑問がわくのだ


残されるべくして残された出雲国風土記


これは遠大なる「藤原不比等」の国史改竄

であり、そのための「日本書紀」であり

「出雲国風土記」の役割なのである

通説のように各地で風土記のようなものは

編纂されたかもしれない

なぜ残っていないのか?

そうではない・・残されなかったのである

あくまでも持統天皇の血脈が正統であると

するための、古代王権の足跡を隠すために

二重三重に隠された日本の古代史の

【取扱説明書】にも相当するようなもの

それが「日本書紀」であり「風土記」である


私が出雲国風土記に疑問を持ったのは

書かれている文体にある

四六駢儷体 (しろくべんれいたい)と呼ばれる

漢文の文体で、四字と六字から成る対句を多用

する華麗な文体であり、誇大で華美な文辞を用い

朗誦に適するとされる


ヤマト朝廷が言うように、たんなる地方の国であった

としたら、このような文体で書くだろうか?

隷属する地方の「地史」を提出せよという勅に

書式を華やかにする必然性は無い

あくまでも、風土記を書いて提出するのには

適さない文体だと感じている

そこに、《出雲国造》の不自然さを感じる

(出雲国風土記の編纂は出雲国造自身である)

それにもまして、このような異国の文体で公式文書

を書くことが出来る人間が治めていたという事

出雲国とはいったいどんな国だったのか?


出雲国造を考えるとき、その地方の豪族を

基本にしなければいけないだろう


神魂神社(かもすじんじゃ)

主祭神は伊弉冊大神(イザナミ)というが

本来の主祭神は不明

出雲国風土記にこの名が出てくる

神魂命(かみむすびのみこと)といい

神皇産霊尊(かみむすびのみこと)ともいう

造化の三神のひとりである

高天原に出現した神、天御中主神と

高皇産霊神の次に洗われた神の事だ

造化の三神では唯一の女神という事に

なっているが定かではない

(古事記ではカミムスビの子が【少彦名神】

とされている)

その神魂命の孫が【賀茂建角身命】であり

神武東征のときにアマテラスの命により

葛城山で八咫烏として現れた神なのである

ということは、神魂命は賀茂氏の祖神である


神魂神→賀茂建角身命(八咫烏)の関係は

賀茂氏を加えてどんどん繋がって行く

出雲ー京都ー大和ー紀州 という線で結ばれる


もしかすると神魂神社の祭神は八咫烏の祖神

かもしれないのである

その神魂神社に新国造を引き継ぐときに

神火を受け取りに行く大事な神社なのである

なぜ「出雲大社」が【縁結び】なのか疑問だった

元々は出雲・熊野神社と神魂神社が原点であり

その祭神を引き継いでいるなら文字通り

カミムスビ(神結び)の神社なのである

(つづく)

                  


◎  出雲のお浚い (二) 

現代では家を作ると早いものでは

3ヶ月ほどで完成する

では「出雲大社」を創るとすれば

どのくらいの時間が必要なのか

出雲大社の大きさは十六丈(48M)

の高さだったと言うことから

凡そ10年の歳月を要したと推測される


出雲国造神賀詞
(いずものくにのみやつこのかんよごと)

新任の出雲国造が天皇に対して奏上する寿詞

最も古い出雲国造神賀詞は716年である

この時期と相前後して、出雲国風土記が完成され

たと言うのだが、これらはどう関わっていたのか


神賀詞(かんよごと)

これは 神 誉 言 であろうか

神さまを気持ちよくさせる「言葉」で語られる


祝詞(のりと)

神職が神に奉じる言葉であるが、どうして

この文字を「のりと」と読むのか・・・

古代の出雲は「神魂神社」を政治の中心地

「熊野神社」を宗教の中心地として栄えた

意宇川に沿って伸びる参道の先に、あるのが

【能利刀神社(のりとじんじゃ)】である

此処から先は、特別な者(言代主神)以外は

立ち入る事ができなかった

大神(素戔嗚尊)の言葉を聞く儀式がこの

能利刀神社で執り行われていたのではないか

その儀式に使われていた「特殊な言葉」こそ

現在の「祝詞」の原型だろうと私は考えている


出雲大社を考えるとき、出雲の神話を検証

しないことには、前に進まないので必然的に

神話を織り込みながらの記述になる・・・


出雲大社は近代までは「杵築大社」と呼ばれ

「杵築(きつき)」はおそらく【木次(きつぎ)】から

変化したものだと思っている

どうしてそう思うのかは、風土記に答がある


畿内、七道の諸国は、郡、郷の名には好字

(漢字二文字の嘉き字)を著(つ)けよ

  《 続日本紀より 》

漢字が普及していなかった時代から、このころ

ようやく地方にも漢字が浸透するようになり

よき漢字をつけることで、さらに普及するように

なった・・・ということは、言霊信仰が地方まで

普及したという事になる


私が注目するのは、漢字の読み方である

8世紀初頭において、訓読みなど完成して

いたのか? と言う疑問がわいてくる

12世紀においても、一文字に二桁の訓読み

が存在したという

さらに地名なども二文字で表現できない音も

多々あっただろうし、短く変えたものも多かった

のではないかと思っている

読める人には読めたのが、訓読み漢字

だったと考えられる


しかしその基はそれまで使っていた音である

どんな意味かより、どんな良い意味の字であるか

それが優先されたのだと思う


例えば 出雲 と言う地名

イズモ は イ・ズム→イ・スム であるなら

イ 私、我々の と言う意味

スム 西の~と言う意味だ

ヤマトから見て「私達の西の地」という事になる

まさしくヤマト王権の西に位置する土地なのである


楯縫(たてぬい)という地名

通説では、祭礼に使う楯を創っていたからという

これも音から言えば、タ・テ・ヌイだとしたら

タ・テ・ヌイナ 採取する場所を隠す あるいは

この地を掘ることを秘密にする と言う意味だ


母里(もり)はかつては「文里」である

モン・リ 流れをのぼる→川をのぼった地

では無いかと思う

出雲という文字が「嘉き文字」かどうか・・

そのことだけでもヤマトの出雲に対する

思いが解る気がするのである


 はたけ はた

これは「漢字」ではない・・

日本で造られた「国字(こくじ)」である

国字についてはまたの機会に・・・

                  

◎  出雲のお浚い (一) 

出雲大社はいつ建てられたのか

日本書紀によれば、659年に

「出雲国造家に銘じて神の宮を造らせる」

とある・・・

それが杵築大社であるとは断言できない

創建は不明である


私はこの数日、出雲大社を参拝した

天皇の足跡を探している・・・

しかし一つだけ・・・しか見つからなかった

平成15年10月、今上天皇・皇后両陛下が

参拝したのが初見である

伊勢神宮は明治天皇が初の参拝であり

どうにも理解できない状況である

熊野神社に44回も参拝した天皇も居た

と言うのに・・・である


国譲り 祀られましし 大神の

奇しき御業(みわざ)を 偲びてやまず


(  平成15年 美智子皇后 )

「奇しき」を【くしき】と読むか、【くすしき】と

読むかによって、意味は大きく変わる・・

くし と読めば、不思議だ、霊妙だ、の意味だが

くすし と読めば、近づきがたい、親しみが湧かない

窮屈だ、という意味にもなる

残念ながら、歌に全く造詣の無い長屋の爺だ

ギブアップですわ・・


それにしても、どうして歴代の天皇は参拝を

をしなかったのか?

どうして今上天皇は参拝することが出来たのか

(参拝する気になったという意味ではない)

参拝しないのも「先例」であり、伝統でもある


天皇家の先祖は、アマテラスの長男であり

出雲国造家の先祖はアマテラスの次男である

という事になっている(笑)

アマテラスに命じられて、国造家の先祖は

大国主神に対し国譲りの交渉に赴き、寝返って

大国主の仲間になったと言う、言ってみれば

天皇家に謀反をした家系である

国造家と天皇家は敵同士であることになる

と、同時に国造家は大国主の子孫ではない

それなのに、大国主を祀っているという

現代の感覚から言うと問題ないが、古代では

タブーである

怨霊になる可能性の神は、その子孫が祀る事に

なっていて、そうしないと祟りが起きるといわれる

出雲国造は論理的に整合性の無い家系と言える

神在り月も不可解であり、伊勢で無く出雲に国中の

神が集合するのも不可解である

出雲の不思議と虚説を妄想で説いてみたい

時間をかけながら、過去の記事のお浚いも

して行こうと思っています。

                  

◎  知盛の最期 

パソコンだけでなく私自身が

ちょっと体調を崩していて

本調子ではないので、もしかすると

更新を休む事になるかもしれません

出来るだけ続けるように致しますけど

この季節は・・・いやになる



平安末期の1185年

場所は関門海峡の壇ノ浦

誰でも知っている源平の戦い

壇ノ浦の戦いという

平家の総大将は平知盛(とももり)

御歳33歳である

知盛は逃げる事もできない状況に

身を置いたとき、家来全員を招集して

言った言葉・・・

「掃除をしよう」

と言ったとか言わなかったとか(笑)


もう少し詳しく書くと・・

勝敗はすでに決していて、すぐにも源氏の武士たちが

船に乗り込んで来ることを予想し、敵に見られてまずい

物は捨てさせたという事だろう

また、敵に見苦しいところを見せないためにも

率先して掃除をしたというのが事実かもしれない


自分が最期を悟ったときに、何をしますか?

と問いかけられ、「掃除」と答える人は稀である


どれだけ日本人は「綺麗好き」なのか

というより、これもケガレ思想からきている

考えなのかもしれない

身の回りを掃除することは、清潔に保つこと

ケガレの無い状態で人生を終わりたい

掃除することが「身を清める」ことに置き換えて

掃き清めた のではないかと思っている

知盛は率先して掃除したらしい

病弱でありながら一門の栄華の総てを

見てきた知盛の評価に

「美しく死にたいと思っていたのでは」

そんな意見もある

知盛が「美しく死ぬ」ことを望んだかどうかは

解らないが、後を濁さず清き状態を望んで

いたのかもしれないとは思っている


取り乱すことは「汚い」さまであり

女房達に冗談まで言える落ちつきは

「もののふ」に相応しい武将だった


鵯越の奇襲から何とか落ち延びた知盛は

ようやく船にのるが、馬を乗せる余地がなく

阿波民部が「あの馬はおそらく敵の馬になるの

だから、殺してしまおう」と言うのを取り合わず

逃がしてやったという

こんな知盛なら、掃除しよう と言ったかもしれない

などと思えてしまう・・・。

                   

◎  近況 そして伝統 

ここ数日パソコンの具合が悪い

一つのブログを訪れて、移動しようとすると

IEが停止してしまう

再起動するにも、かなりの手間がかかり

時間だけが過ぎてしまう

書いたブログもどこかに消えて、下書きを

こまめに保存して凌いでいる状態

予備のノートPCとタブレットがあるので、

何とかなっては居るが、非情にストレスがたまる

見苦しいところがあればご容赦を・・・


さて・・

形を残しながら続く事が伝統である

私はそう思っている

どうやら人というのは、自慢できるものが

伝統と考えているようだ

伝統の本質を決めるのは、内なる者では

なく,それぞれの時代の人々が判断するべき

わたしはそのように考えている


伊勢神宮と共に「伝統と歴史」を語るのは

「出雲大社」である

とにかく大社は自慢する・・・

可哀想なくらい自慢している

史実など見向きもせずに賞賛するという

有識者・神道関係者が多い

不都合な話はタブーなのである

私は日本の神道を解りにくくしたのは

「持統天皇」だと考えてきた・・・

しかし、どうにも説明のできない事柄も

多々観られてきては、考え直すしかなくなって

きてしまった


様々な書籍をつき合わせてみると、本当は

持統天皇の時代より、少し後に定まったものが

多いような雰囲気である

おそらくは元正天皇のときと思える

平城京への遷都にも消極的だったのは

元明天皇のようだ

藤原不比等にとっては、100%の価値が

ある天皇が必要だった

自らの意思で「譲位」したことになっているが

不比等の意向に抗うことが出来なくなってきて

皇位継承権の外に居た娘・元正天皇に譲位した

という事だろう


私は女性天皇説の否定論者である

史書に書いてあるから事実とは言えない部分が

多々あって、後世の捏造も大いにあると思っている

史実を見ても、皇后が権力を振る事実が見えてこない

持統朝までは、殆んどが「男子」の継承で「皇統」

を繋いできている

これは中国を「手本」として国造りを進めてきた

ヤマトの基本である

中国自体「女帝」はゼロに等しいのだ・・・

律も令も都の建設も、大筋では見習っているのに

最上位である「天皇」の継承権を無視するなど

不可解である

「皇統男子をもって、これを継承する」

易姓革命が起こり難い日本では「血統」を

重んじるからこそ、男系男子の天皇即位が

基本だったはずなのである


なぜ「持統天皇」だったのか・・・

 皇統を保持した天皇

ここでいう皇統は天智系か天武系か?

それとも他にあったのか・・・・

通説では天智系である

ところが天智系の天皇には元明天皇

もいる(天智の娘)

泉涌寺にはなぜか、天智天皇と光仁天皇

から位牌が納められているが、娘の持統や

元明の位牌は無い

私は藤原氏は天智天皇の系譜など、たいして

尊んでいなかったと観ている

持統天皇が崩御してからの、不比等の行動は

古代豪族の足跡を「なぞっている」ような雰囲気

さえある

自分(藤原氏)が「のし上がる」為に必要なのは

意に沿う「天皇」だった

藤原京

中臣鎌足が通説のように、天智天皇から「藤原姓」

を賜っていたなら、臣下の名前を京につけたという

前代未聞の「珍事」であり

藤原京にあやかって、天皇から賜ったのであれば、

鎌足伝説は後付の創作話という事になる


1.和を以って貴しとなす

2.篤く三宝を敬え

3.詔を承りては必ず謹め


17.それ事は独り断むべからず
   必ず衆と論うべし

十七か条の憲法といわれるもの

天皇に従う事より、仏を敬う事より

何よりも優先されるのが、話し合いだと 

聖徳太子が決めたというが、当たり前なら

書く必要も決める必要も無い・・・

其の当時、話し合いではなく、武力で物事

を決める風習だったから

神だ仏だという、宗教観からの諍いが

絶えなかったから

天皇の言いつけを守らない人間が多かった

だから憲法に明文化したのではないか

それも天皇や仏教よりも、「話し合い」が最も大事

といい、1条だけではなく最後の17条にも同じ様な

記述をしている

話し合って決めたことは道理に適い、どんな事も

成し遂げられるとまで言っているのだ(17条)


では十七か条の憲法が定められたあとは

憲法に沿った国政が実現したか?

答えは「否」である


「相談して決めなさいよ」の精神は、現代でも

会議好きの社会に残されている伝統だ


私が注目したのは「三宝を敬え」である

神の子孫と公言する天皇家を中心とする王権が

皇祖神でもなく八百万の神でもない

「仏」を敬えと憲法に明記する飛鳥の心

神話も社も何もかも、716年を境にして

湧いて出たかのように・・・


昔から「神を中心に」国は歩んできた・・・

というのは、国史に書いてあるからに過ぎない

十七か条の憲法が「捏造」なのか

それとも、国史に書いてある古代史が「虚説」

なのか・・・どちらかでなければ整合性が無くなる

(さすがひねくれ爺だw)


これは明治新政府が出した、「五箇条の御誓文」

にも踏襲されていて

広(ひろ)ク会議(かいぎ)ヲ興(おこ)シ万機公論

(ばんきこうろん)ニ決(けっ)スヘシ

「天下の政治は世論の向かう所に従って決定せよ」

という意味である (知ってますか政治家さん・・・)


716年は重大な意味を持つ年である

元正天皇という皇后でも男性天皇の皇女でも

ない皇族が天皇になった「歴史の珍事」である

母親が天皇だからと言って、其の娘の父は

天皇ではない

これについては万世一系擁護派は触れたがらない

伝統という名の欺瞞である (批判お断りですw)


皇后の即位

男系男子から女史では、皇后は天皇を補佐して

きたので政務にも明るいからと理由付けした

政務にも就いていない、皇后でもない女性皇族

を天皇にすることは、万世一系には抵触しない

「特別措置」そういう理論だろう(笑)


これを世間では「断絶」「中断」という

繋がるには「筋」が不可欠である

その「筋論」を外したときに「伝統」は途絶える

女性皇太子も筋から言えば、男系であっても

つなぐ事は出来ないのであって、「皇統」とは

男性天皇の血筋を「筋」とし、男子から男子へ

つなぐ事が最低条件なのである

本題を逸れてしまったが、伝統に関して

「出雲大社」と「国造家」について次回から

「おさらい」してみたいと思います。

                  

◎  伝統 伝える事の大切さ 

伝統

いい言葉ですね~

日本は伝統を重んじると言いますが

具体的にどうなんだろう・・・


日本の企業(店)で、創業100年以上と

いう企業は50,000社あるといいます

さらに、200年以上続いている企業は

3000社もあるといいます

世界を見ると、アメリカでは14社、中国は9社

世界全体では、5,586社だそうです

日本には世界の半分以上の200年を越える

伝統企業が在るという事です


世界で一番古い「老舗」は日本に在ります

大阪にある「金剛組」です

国宝建築などの修繕などを手がける「宮大工」と

言ったほうが解りやすいですね

創業は578年と言いますから、1400年以上の歴史

がある老舗の中の老舗と言えます


我々が知っている和菓子の老舗「虎屋」などは

500年の歴史があります

「変えるものと変えてはいけないものを

はっきりさせてきた」

と言う、17代目当主・黒川光博氏

変えるものは・・・味であり

変えないものは・・・「お客様への感謝の心」
 


だそうです

参りました・・・脱帽です!



成功は英語では success ですが

引き継ぐ は英語で succeed です

語源はきっと同じだろうと思います

引き継ぐ事が成功への道だったという事

を日本の先人たちは、実践していたという

事でしょう


余談ですが、日本の国土の70%は森林です

国土の70%が森林の国って少ないのではない

でしょうか

伐れば植えることの大切さ、つなぐ事の大切さ

先人は100年後の子孫の事を考えていたのです

最近の自然災害は言い換えれば

家を建てるための土地を確保する為に、木を伐り

伐ったままにすることに警鐘を鳴らしている

自然の神さまが残すことの「大切さ」を示している

のだろうかと思ってみたり・・・


ある国のヒトに言わせると、100年も同じ

商売をして「この程度」なのか?

と、老舗を観てつぶやくそうです・・・。

永久に伝統がわからない人たちでしょうね


変わらないことの大切さ

変わらなければいけない大切さ

その「匙加減」が日本の伝統の妙なのだ

そんなふうに感じています

「引き継ぐ」って本当に「大事」なんですね・・・。

                   

◎  我が家のレシピ 【芋団子】 

飽食の時代である

三度の食事が出来ない日本人は

どのくらい居るのだろう

私が育った時代でも、それほど多くは無かったと

記憶している

食べるものがあれば「食事」と言うなら・・・

という次元の話ですが


私は「白米」を食べられなかった時期がある

主食が「芋・カボチャ」の時代を経験している

おかげで、所帯を持つまで野菜が嫌いだった

芋やカボチャなど「顔を見るのもいや」だった


今となっては懐かしい思い出である(笑)

其の当時の「ジャガイモ」の料理など単純で

茹でる、煮る、焼くくらいである

茹でる

水と一緒に鍋で「グツグツ」煮るだけ

塩を少々入れる

茹で上がったら、お湯を捨てて火にかける

余分な水分を飛ばして完成

お好みでバターや醤油で食べる

(これは「こふきいも」とは別物である)


煮る

これは少し上等な料理

他に野菜があれば一緒に鍋で煮る

人参やインゲン、余裕があれば、鶏肉なども

味付けは醤油で行う

これは残念ながら、「主食」にはならなかった


焼く

焼くと聞くと「石焼いも」を連想するが

我が家では、ジャガイモをスライスして

フライパンに並べ、金属製のボウルで蓋をする

蒸し焼き状態にするわけだ

油も一切使用しない

素焼きである

これは空腹時には絶品である(笑)

少々こげているくらいがちょうど良い

芋本来の甘みを感じる事が出来る

ところが、この調理法では「弁当」には

向いていないという現実にぶち当たる


ポテトチップスとは別物である

ストーブの上で焼くこともあったが、多くの

点でスライス焼きのほうがお勧めである

しかし・・現代では食べたくない調理法だが


そこで・・・考えられたのが

【芋団子】 というもの

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(今回は「インカのめざめ」が残っていたので使う)

適当な容器の中で、ざっくりと潰す

形が程よく残るようにする

少しだけ芋の「荒熱」をとるため放置


次に「片栗粉」を用意して、潰した芋に加え

手で混ぜ合わせ、捏ねてゆく

小さなボウルに取り分けて、何回かに分けて

捏ねると楽に作業できる

片栗粉の分量はてきと~

少なすぎるとポロポロするし、多すぎると弾力

が増し「芋の風味」や食感が乏しくなる

少しづつ加えながらの作業をお勧めする

(ほんのり暖かい手触りが理想)

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纏まったら、次に小さく小分けをする

あまり厚くすると、火のとおりが悪くなり

薄すぎると食感が悪く団子とは呼べない

代物になる(私は1.5センチ厚にしている)

今回は軽量カップで「型抜き」をした

写り栄えするように大きさを統一した

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これをラップで包んで冷蔵庫へ

茹でた芋なので日持ちはそこそこです

冷凍したことが無いので・・・自己責任で

【調理法】


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フライパンに油(又はバター)を入れ過熱

適当に芋団子を並べ焼く?(揚げる?)

キツネ色の焼き目がついたら、ひっくり返す

そっと丁寧に・・・形を崩さないように

私はトングを使って裏返している

爪楊枝が「スッと」刺されば、概ね良好だ

焼きすぎに注意!

お好みで醤油をたらして出来上がりです

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家庭に余っている「ジャガイモ」なら何でもOK

シットリが好みなら「メイクイーン系」

ホクホクが好みなら「男爵系」

セオリーなどありません

あくまでも「我が家のレシピ」ですから

自由な発想で工夫するといいです


私の弁当には「芋団子」の隣に・・・

カボチャ煮が鎮座していた

白と黄色の弁当は思い出したくない(笑)


やっとこの年になって、子供時代を思い出し

記憶を頼りに作ってみましたが

味は半世紀前とは「違って」いましたね・・・

何で「嫌い」だったのかわかりません

美味しいと私は思っています(笑)

良かったら お試しあれ・・・

                   

◎  多神教と政教分離 

【戦没者への敬意は宗教儀礼ではなく、

国民儀礼とみなされてきた。日本政府は

明確に言明してきたし、この数世紀間に

儀式の意味は変化した。 だから靖国参拝

は許可され、教皇特使ドハーティ枢機卿は

参拝したのだ。】


(カトリック教会の戦争責任 西山俊彦著より)


日本は多神教の国である

Aという神もBという神も同時に受け入れる

宗旨宗派が違っても、宗教儀式に参列する


葬儀や慰霊祭であっても、宗旨・宗派は関係

しないのが日本の儀礼である


ところが「政教分離」を唱える人間の多くは

一神教の観念でとらえ、それによって判断を

下す、狭すぎる視野と言えるような傾向が

あると思っている

一神教の教えでは

 【あなたには、私をおいて他に神があっては

 ならない】 (モーセの十戒 より)


【主なる神は土のチリで人をつくり、命の息を

その鼻に吹き入れられた。 そこで人は生きた

ものとなった。】

(旧約聖書 創世記第二章第七部より
) 



人間は神がチリを集めて創ったにすぎない

神と人の関係は、「創った者」と「創られた者」

その理屈から言うと、先祖が神と言えど「人」

である「**尊」「**姫命」を神とは認めない

のが「一神教的判断」であり、地球上の人を

創造した「絶対神」の前では、釈迦もアマテラスも

モハメッドも創られた者でしかない

神道が宗教であるかどうかより、アマテラスそのもの

の存在を認めたくないのである。


神はこの世には一人しか居ないのであり

ましてや複数の神の存在も認めない

ということは、複数の神を崇拝するわが国の

多神教、ひいては「日本神道」など理解しがたい

存在でしかない


その物差しでいうと

私などは「曹洞宗」の信徒であるから、浄土真宗の

葬儀に参列し、焼香することもいけない事になる

当然、異教である「キリスト教」の祭りに参加したり

祝う事など「もってのほか」ということになってしまう

神は「イエス」だけであり、

神社に居るとされる「日本の神」は【土のチリ】

でしかないという事だろう



では現実はどうなのか・・・・

日本人で「私はクリスチャンだから」と言う理由で

友人知人の葬儀に参列しない人がいるのか?

クリスチャンは京都の神社で参拝はしないのか?


その説明をしようとしても

一神教の世界に生きる人に、日本人の宗教観を

理解しろと言うのは所詮無理がある


神道があったから「戦争」をしたなどという誤解

が「政教分離」を推し進めたともいえる

日本人は「宗教観」で争いをすることはしない

神道において「論争」はあっても、戦争はなかった

ここでいう「日本人」とは「お天道様の民」であり

仏教徒とはまた別である

戦地に赴いた若者は、アマテラスの加護を

信じていたのだろうか・・・

多神教の「日本男児」は最期に誰を思い浮かべ

たのだろうか・・・

おそらく天皇でも、八百万の神でも弘法大師でも

無かったと考えている

私の考えでは、父や母、妻や子、兄弟・祖父母の

顔を思い出していたのだろう

其処には「天皇家」も「神道」も入り込む余地など

全くないのである


簡単に言えば、日本人は「宗教に支配」されない

そういう民族なのである


仏教も一つボタンを掛け違えば

他宗教を非難し、宗教を政治に結び付けようと

した例もある

(仏教に詳しい方なら察しがつくと思うが・・

その思想の一部分を御旗に、現在の政治に

大きな影響を及ぼしている現実もある)



他宗教を否定したり、政治に利用するのは

多神教の日本人らしからぬ「教え」でもあり

宗教は「人生の諭し」であり、神道は日本人の

「存在理由」であるという事なのだ


(あくまでも私の自論である)


宗教とは個人が「安らかに人生を全う」するため

の指針であり、方便でもある

その宗教を背景に、他宗教を非難したり、排除

することはいかがな物か・・・

まさしく、GHQや似非日本人が叫ぶ「政教分離」は

一神教的な解釈であり、日本の風土にそぐわない

考え方で妄想と誤解による論拠でしかない


皇室神道の祭祀者である天皇家が「仏教徒」

だったり、仏教徒が神社の総代であったりするのが

日本らしさなのであり、多神教ゆえの「おおらかさ」

なのだと私は思っている。

                    

◎  貴族のケガレとそれに纏わる話 

日本で最初の【征夷大将軍】とは

誰でしょう?

坂上田村麻呂

いいえ 田村麻呂ではありません

正式に「征夷大将軍」に任ぜられたのは

大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)が最初

その時の副将軍が田村麻呂でした


この坂上田村麻呂の「蝦夷征伐」は

日本ならではという出来事だったのである

蝦夷のリーダーは アテルイ(阿弖流爲)といい

【大墓公阿弖利爲(たものきみあてりい)】の事

かれは朝廷から見て「異民族」である

一方、朝廷軍のリーダーは田村麻呂である

彼も渡来人(帰化人)であり、異民族と言える

日本の古来から伝わる言葉

「鬼を退治するには鬼の力で・・・」

穢れた行い(戦争)はヒトデナシである鬼に

任せるという「宮廷人(貴族)」の思想が

背景にあり、侵略者である朝廷軍の不正

を美化して、後世に伝えているのである


阿弖流爲はただ自衛の戦いをしただけである

それでも現代では「田村麻呂」は英雄であり

アテルイは「悪路王」として伝わっている

(自衛の為の戦争でも、負ければ悪人になる

其の典型ともいえる)


神風が吹いた

元寇のとき、神国・日本は神風によって

元の軍勢を壊滅した

是を不思議に思わないのが日本人らしい

といえる

たまたま吹いた風で「敵を殲滅」できたと

本気で考えていたらお笑いである

なぜ海が荒れ始めているのに、安全な

港に寄港しなかったのか?

と、だれも考えようとはしないのである


武士たちが獅子奮迅の戦いで元の軍勢を

舟に退却させたから、悉く人もろ共 船が沈んだ


そういう事なのである


「鎌倉武士」たちの、素晴らしい蔭の

働きがあったことを、素直に認めたくない

人間達が居た

都の「公卿達」である


争いや血を好む「野蛮」なサムライの力で

元軍を殲滅したとは、口が裂けても言えない

認めたくなかったからであろう

神の国の「風神」が守ってくれたと思いたい

平安から続く貴族の「軍事嫌い」は連綿と

続いていたのである


北畠親房(きたばたけちかふさ)

鎌倉後期から南北朝時代の貴族(公卿)

であり、古き貴族を象徴する人物である

彼は公家や僧侶を「人(ひと)」

武士を「者(もの)」と明確に区別していた

者=モノ=鬼 であり、人でない=ヒトデナシ

という論理が見えてくる


親房の息子・顕家(あきいえ)が足利尊氏・

新田義貞・楠正成などと共に、鎌倉幕府を

倒した事にも、著書「神皇正統記」の中で

【鎌倉幕府の命運はすでに定まっていた

武士達は歴代の朝敵であり、恩賞を望むのは

おかしい。なぜならば、あれは天の功績であって

彼らの功績ではないからだ。それを彼らは

思い違いをしている】


そう言い放っているのである・・・

実際に戦いがあって、殺し合いを経て鎌倉幕府

という「武士政権」から、「後醍醐天皇政権」に

なったのである

穢れた事実には耳目をふさぎ、あくまでも天の意向に

よって事が成就したことにしたかった



このような思想は日本的なものを生み出した

安倍晴明の逸話にも遺されている

式神(しきがみ)という得体の知れないあやかし

にその思想を観ることができる

人も居ないのに、門が開いたり閉まったりした

超能力者か念力か?

いいえ、これは人間が門を開け閉めしていたのです

どうして「見えない」と言ったのか?

それは目の前に居るのは「ヒト」ではなかったから

彼等としては嘘をついてはいないのです

人は居なかったが・・・ヒトデナシという鬼はいた

が、鬼のことなど口にするのも汚らわしい・・

だから何も見えないのに、門が開閉されたのである


【ヒトデナシ】は人間であっても【ヒト】ではないのです

眼にすることも「汚らわしい」生き物

それが「貴族」たちの偽らざる思想だったのです

それが「ヒト」の仕業だと認める事は即ち、下賤の者

を「ヒトとして扱う」、穢れたものの存在を容認する事

になってしまうのです

だから門が開いたのに、誰も「ヒト」はいなかった

不思議な事が起こっても、「式神」という陰陽師が

使役する【鬼】の仕業であると言った

逸話に残されている【式神(しきがみ)】とは

紙でできた鬼でも妖怪でもアヤカシでもない

血の通った人間だったのです


ではなぜ安倍晴明は「ヒトデナシ」を使役して

いたのかという疑問が湧く

安倍晴明

彼は狐の子だったという

出自も定かではないが、日本人で知らない人が

居ないくらい有名である

出自が定かでないのもおかしな話である

文字も文書も多数残されている時代に、どうして

従四位下の陰陽寮の高官の出自が曖昧なのか

そこに大きな謎が隠されている


恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる

  信太の森のうらみ葛の葉


晴明の母は【葛の葉】というキツネだったとされる

キツネは「来つ寝」ともいわれ、身を売って生きる

女性のことだとも言う

私は狐とは、権力に虐げられ「理不尽な扱い」を

受けていた一部の「鬼」の蔑称だと考えている

【葛】とは古語で「恨み」のことである

「うらみ」は(裏見)であり(裏身)でもある

アンダーグラウンドに生きるもの

世の中の「陰」の部分を担う者たち

【影の軍団】【陰の地下組織】

だったのだろうと思う


そのリーダーの娘が「葛の葉」と言う女性

だから晴明は都中の陰の組織に属する

鬼たちを手足のように使えた

情報も探索もお手の物、さらに穢れ仕事は

得意のことだったと思っている

それを公卿達は知っているから、理由も無く

晴明に「カエル」を殺させるような仕打ちができた

そして、晴明自身も「拒否」することの愚を知っていて

鬼たちに命じたのだと考えている


【仁和寺の寛朝僧正のところで、同席した公卿達に

陰陽道の技でカエルを殺してみせるようにせがまれ、

術を用いて手を触れずにカエルを真平らに潰した】


まるで念力でも使ったような記述である

だが「手を触れず」かえるを「圧殺」したのは、安倍晴明

が使役していた「鬼」の仕業だった

貴族たちには「ヒトデナシ」など眼に映らない

「かえる」とは”カワズ”のことで、「川衆(かわず)」の

ことである

そこにたまたま居た「川衆」を面白半分で殺させた

それが穢れた「殺人」ではなく、蛙を一匹「潰した」

という事で自分自身をごまかしていたのである


殺したのも「ヒトデナシ」であり、殺されたのも「川衆」

というヒトデナシだったから、鬼で鬼を始末した

これが「安倍晴明伝説」の真実だろう



帝紀の中に、こんな逸話が残されている

【花山天皇が帝位を捨てて出家しようとした時、

晴明は天文を見てそれを察知し、式神(十二天将)

を使って朝廷に急報しようとしたが、ちょうどその時

天皇は寺に向かっているところだった】



天文を見たと言うのは「眉唾もの」だ、おそらく

市中に散らばる鬼の知らせで、事態を知り朝廷に

使いを走らせたと言うのが本音だろう

当時の京の都の夜は、無法地帯である

庶民や貴族が大手を振って歩ける環境ではない

その総てを晴明は把握していたのかもしれない

陰陽道の【陰】の部分を担ったのが安倍晴明と

いう人物だったのだと思う

(続く)

                   

◎  梅の香に包まれて (三) 

写真の編集をすっかり忘れていた

*はとりたくない・・・

物忘れなのか? ボケなのか(笑)


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同じ品種が纏まって植えられていないので

重複したり、写し損ねたりで・・・

あるいは品種名の写し忘れなど

吾ながら情けないと反省

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たまたま写真を写そうとしている方が

寄って来たので、ちょっと遠慮しているうちに

他の梅に向かってしまった爺・・・・あ~ぁ


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全体的には「紅白」は道を隔てて分けられ

あっちへ行ったり、こっちに来たり

人間が写り込まないように、苦心して

いるうちに、写したのかどうかすら不明と

いう体たらくです(笑)

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品種が同じでも、木が違えば違うのかと

思ってみたが・・・・ご覧の通り判らないw


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人間が写り込むと編修が大変

そんな「ものぐさ爺」のやる事だから

いつも人気(ひとけ)の無い梅だけが

被写体になるというお粗末さ・・・・

もっと枝振りの良い、花盛りの梅も

他にあったのだが・・・



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風が強く 天気の割には肌寒かった

池にも漣が立ち噴水の水が冷たげに写る

手足は冷たく 身体はホッコリ・・・


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このときは少し早かったのか

蕾が目立つ摩耶紅梅




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こちらもちょっと早めの蕾だけの淋子梅





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園内には「タンポポ」も咲き春の趣




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全景を写すと人だらけになってしまう

来年の春の楽しみが増えた

あっ・・・鬼が笑うか


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帰路は人の居ない道を・・・

遠回りしてかえろ・・

余韻を楽しみながらゆったりと

久々の散策でした


                  

◎  誤って覚えた言葉 (二) 

二つの言葉をならべると判るけど

単独で書いてあると見過ごしてしまう

そんな言葉が世間には溢れている


【御教授(ごきょうじゅ)下さい】

これもうっかりすると見過ごしてしまいそう

正しくは【御教示(ごきょうじ)下さい】である

「教示」とは教え示すことである


【白黒(しろくろ)をつける】

これも何処かで聞いたような言葉・・・

正しくは【黒白(こくびゃく)をつける】 である

ところが現代では、慣用表現として市民権を

得ている言葉になってしまった


【固定概念(がいねん)】

使うことより見ることの多い言葉だが

正しくは 【固定観念(かんねん)】である

正しいと一度思いこんでしまって、変えること

の出来ない考えのことだ


【こんがらがる】

わりと間違いやすい言葉の一つ

正しくは 【こんがらかる】 という

濁りの無い言葉は言い難い (笑)


【碁を指(さ)す】

眼にしても気づかない言葉かも

将棋は指すというのだが

 【碁を打つ】  という

ただし、持ち駒を盤面に配置することは

将棋でも「打つ」という

将棋の駒は前へ進むイメージで「指す」

碁は「碁石」を盤上に「打ち」付ける印象

私はそういうふうに「覚えていた」


【采配を振るう】

正しくは 【采配を振る】 である

「采配を揮う」もよく見かけるがこれも

厳密に言えば「慣用語句」であり

正しくない



【酒を飲み交わす】

正しくは 【酒を酌み交わす】 である

飲むのではなく「くみかわす」が正しい



【覚め止まぬ】

「興奮――」という使い方をする言葉

正しくは 【醒め遣らぬ】 という

完全に覚めきっていない状態を言う


【山茶花(さざんか)】

これは間違いと言うより、この読みが常識と

なったもの

本来は 【山茶花(さんさか)】という

「さざんか」は現代読みである


【至上命題】

これは正しくは 【至上命令】 である

至上とは「この上もないこと」である


【季節柄】

意外と使っていそうな言葉だが

正しくは 【時節柄】 である

「このような時節だから」という意味で

「―御自愛ください」などと使う


【舌包(づつ)み】

これは 【舌鼓(つづみ)】 が正しい

同じ漢字でも、」現代では「したづつみ」

でも「鼓」に変換されるようだ


【だらしない】

これは本来 【しだらない】である

おそらく「し垂(だ)る」 の変か?(爺論)

(し垂る)とは垂れ下がる、垂れ落ちる

と言う意味である

どういう経緯でこうなったのか不思議だ


【出血死】

これも間違いやすい言葉

正しくは 【失血死】 である


【初心忘るるべからず】

これも間違って使うことが多い言葉

正しくは 【初心忘(わす)るべからず】

世阿弥の「花鏡」にある言葉で、学び始めた

当時の気持を忘れてはならないという意

(つづく)

                    

◎  長屋の爺の神社とは参拝とは(一) 

私は「神社の神さま」はお願いするの

ではなくて、感謝するものである

そう言ってきた

本来の神さまとは「怖ろしいモノ」だった

とても「気軽にお願い」するような対象で

はなかったと言っても良い


神さまに向き合うことを「参る」という

私はこれは「まつる」の変化だと思っている

「まつる」とは何だろうか?

祀る・祭る・奉る とも言うが、簡単に言うと

神さまを喜ばす、気持ちよくなってもらうこと

「参る」は「舞いる」に通じる

舞いは神様を喜ばす表現である「踊り」である

沢山の食べ物や舞を奉げて、気分よくなってもらう

のが「まつり」である

神輿、笛・太鼓、お囃子で楽しくすることが

神さまを楽しませる事になる


なぜか?

機嫌を損ねると、とても「怖ろしい神(鬼)」だからである



ただし、神様といっても大きく分けて幾つか

に分類できる


皇室が行う「皇室神道」

鎌倉時代に興った「伊勢神道」

出雲大社を中心とする「出雲神道」

八百万の神を奉る「地方神道」

(道祖神や地主神など)

無念の死を遂げた人の「御霊神道」

(菅原道真、平将門など・・)

そしてそのどちらにも分類できない「近代神道」

英雄=神 が典型的

(あくまでも長屋の爺の暴論ですけど・・・)


何でわけるの?

と言われれば、多神教だからと答えます

唯一無二の「一神教」でないと言っても

神さまにもいろんな神様がいて、同じ扱い

をすることに不都合が生じます

神話の神さまと豊臣秀吉を「神」と一括りに

しては都合が悪いからです


極端な言い方ですが、「まつり」の規模は

神さまの力の大きさともいえます

もっと簡単に言うと、脅威とか神威と言った

ほうが解りやすいでしょうか


太陽が無くなったら「我々」は死に絶えます

その太陽の力を此処で書くまでもありませんね

だから「太陽神」には最上級の敬意と尊崇を

表す必要があります


ところが「人間」が神になった「人物神」には

好き嫌いや親近感、尊敬度が反映され、全国区

にはなりえません

秀吉や家康、乃木将軍に毎日拝礼する

という人は、私の身近には居ません


願いをかなえるという説は何処からきたのか

私は知りません

が・・・おそらくアニミズムから人が主役になった

ころに、大きな変化があったのだと思います

太陽や月、海、川、山、木々、動物たちの霊を

「カミ」として、敬いつつ畏れていた古代人

己が「諸神」によって【生かされている】ことに

感謝していた時代から

己を【支配】するのが「カミ」であるとされた時代へ

大きく変化した


だから支配者である「カミ」にお願いするという

本来から外れた参り方に変わった

私はそう考えている


だからと言って、日本人は「アニミズム」の民で

唯一の神だけを受け入れる事はありません

苦肉の策が「天神地祇」といわれるもの

天つ神と国つ神に区別したのである

だから国つ神の大本は「精霊」であり

天つ神の大本は「皇祖神」と言っても良い

と私は考えています



天皇はカミの子孫であり、神話の時代から

綿々と続く「家系」であるというのが現代の

皇室である

これを否定したり論破することは、何も生み

出さないといえる


ただ、最近の神道に対するいろいろな「活字」を

みると、神道という大雑把な括りで語るものばかり

天皇が行う「まつり」と、私達が日々行う「まつり」

が同じとはいえないと思って欲しいのです


私が天皇に敬意と尊敬をどうして持ち続けている

のかは、この日々の「まつり」にあります

もしも、天皇が日々の「まつり」を疎かにしたとき

私にとって「天皇」も「皇室」も無用になります

つまり尊崇の対象で無くなるという事です




私は神社の境内に足を踏み入れると

どういうわけか「張り詰めた緊張」を感じます

人によっては、「厳か」「ひんやり感」「ピリピリ」

だったりします

これこそが日本人が無意識に持ち続けている

「霊に対する感受性」だと思っています

此処で言う「霊」とは、物質霊であり、死者の「霊魂」

とは少し違うものです


お寺に足を踏み入れて、心が「ホッコリ」する

と言う人も居るでしょう

それは「ご先祖様」や「近親者」の霊魂が其処に

あるという意識が引き起こす感覚かもしれません

ところが縁も所縁も無い「他人」が踏み入ると

得体の知れない恐怖感が湧きます

是の原因は「先祖様」の霊魂が守ってくれるという

感覚が有るか無いかの違いではないでしょうか

話を戻します・・・


神社には私達の祖先が祭られているわけ

でもないのに、どうして「安心感」がわくのでしょう?

神社が怖いと言う人は居ませんよね(笑)

人は其処に何が「祀られ」ているかは、大きな

問題ではないからでしょう

私は、何かをお願いに行く人は解りませんが

神社を参拝する人は、お願い事が無くても

それなりに拝礼してほしいのです

何も考えなくてもよいと思います

お願いも感謝もしなくて結構ですから

ただ ただ 手を合わせてください

それが「参る」という事だと思います

(つづく)

                    

◎  春日大社 式年造替 

 世界遺産・春日大社(奈良市)でこの春、通常は立ち入れない本殿(国宝)のエリアが特別公開される。傷んだ社殿や調度品を20年に1度新しくする第60次「式年造替(しきねんぞうたい)」が今年本格化するのを記念したもので、春日大社が5日、概要を発表した。

 本殿は四つの社殿が横一列に並び、鹿島(かしま)神宮(茨城県)から白鹿に乗って飛来したとされる武甕槌命(たけみかづちのみこと)などをまつる。周囲は通常、神職と皇族しか入れないが、27日にご神体を仮殿(かりでん)に遷(うつ)した後、修理開始前の4月1日~5月31日に公開する。

 本殿そばにある磐座(いわくら、縦約80センチ、横約100センチ、高さ約50センチ)は神の宿る石で初公開。花山院弘匡(かさんのいんひろただ)宮司は「正倉院に残る絵図には春日大社の地に磐座が描かれている。ご神体である御蓋山(みかさやま)のお力の窓口として磐座があり、その地に神社を建てたのだろう」という。



さて・・・この春日大社も謎の多い神社である

私は「春日神社」は元々は別の神社であったと

考えている

それも「古代祭祀」を伝えていた祭祀場

磐座信仰であり、ご神体は「ミカサ山」

ミカは「甕(みか)」であり、蛇の古語でもある

あの「三輪山」と非常によく似かよっている

この春日大社は「拝殿」が存在しない

衆生が参拝することを拒絶しているかのよう

そんな拝殿が無い神社は二つ

伊勢神宮と春日大社だけというのも奇妙

というしかない

伊勢神宮・春日大社は「藤原不比等」が

関わっている大社であり、何とも言えぬ

魂胆がありそうである



逆に拝殿だけで本殿が無い神社もある

大神神社・金鑚神社などである

ご神体が「山」であるために本殿に

鎮座するものなど無いといえるが


春日大社の本来の「祭神」は藤原氏の

氏神などではない


祓戸神社 の祭神・瀬織津姫

あるいは榎本神社 の祭神・猿田彦神

では無いかと思う

とくに瀬織津姫を祀る祓戸神社で

身を清めてから参拝するという「言い伝え」

が残る

神社を訪れて最初に参拝するのは

当該神社の主祭神か地主神である



地主神は猿田彦神(春日神とも)と伝えられていて

この榎本神社 にはさらに面白い言い伝えが

残っている



 「つんぼ春日に土地三尺借りる」 


武甕槌命は春日野一帯に広大な神地を構えようと

一計を案じ、地主である榎本の神に

「この土地を地下三尺だけ譲ってほしい」と言った。

榎本の神は耳が遠かったために「地下」という言葉が

聞き取れず、「三尺くらいなら」と承諾してしまった。

武甕槌命はすぐさま、榎本の神が所有する広大な土地

に囲いをした。

榎本の神が「話が違う」と抗議すると、武甕槌命は

「私は地下三尺と言ったのに、あなたが聞き取れなかった

だけでしょう。約束通り、境内の樹木は地下三尺より

下へは延ばしません。あなたは住む所がなくては困る

でしょうから、私の近くに住んで下さい」と言ったので、

榎本の神は春日大社本殿のすぐそばに住むようになった。

これが今日の榎本神社であるという。


榎本神社の祭神がこの土地の元々の神と考えられていた

ということであり、明治時代までは、春日大社の参詣者は、

まず榎本神社に参拝し、柱を握り拳で何度も叩きながら

(榎本の神は耳が遠いので)

「春日さん、お参りました」などと言い、榎本神社の祠の

周りを廻った後に本殿に参るという慣習があったそうだ

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  (南回廊の西隅に押し込められた榎本神社)

とても祠の周りを廻ることなどできない構造で

説話の当時とは違っているのかもしれない



この言い伝えは、春日氏の氏神(信仰神)の坐す土地

を新参者(藤原氏)に騙し取られたことを、住人が

後世にその悔しさを忘れないように「語り継いだ」説話

ではないだろうか・・・

                   

◎  誤って覚えた言葉 (一) 

普段何気なく使う言葉も

意外と間違って使っている言葉が

多い事に私は気付いたのだが

どうして「覚えた」のかを考えると

読書やブログ、ネット上に存在するコラム

などを未消化のまま、頭にコピーしているから

そういう誤解や記憶違いを起こすのではないか


【味あわせる】

これが間違いであるのをご存知だろうか

元は「味わう」であり

ワ行の活用(学校で習った?)

「味わわ(ない)」「味わい(ます)」「味わう」

「味わう(時)」「 味わえ(ば)」「味わえ」

という事で、 【味わわせる】 が正解


【荒げる】  あらげる

これも間違いです

正確には 【荒らげる】 、あららげる である


【怒り心頭に達(たっ)する】

これは正しくは  【怒り心頭に発する】  という

意味は「心底から激しく怒ること」である


【いざ知らず】

これも多くの人が誤解している言葉

正式には 【いさ知らず】 である

「いさ」は副詞で、(さあ)(どうだか)という

意味の言葉で、「知らず」が付いて

「知らない」という意味になる

「いざ」 は感動詞であり別物である


【一生一代】 いっせいいちだい

これも間違いやすい言葉

正しくは 【一世一代】 



【家宅捜査】 

よく聞く言葉のようだが間違いだ

正しくは 【家宅捜索】 である



【片腹痛い】 かたはらいたい

これは私も間違って覚えていた・・・

正しくは  【傍ら痛し】  (かたわらいたし)

かたわら→かたはら→片腹 と誤ってできた

言葉のようである



【敵を知り己を知れば百戦殆からず】

これは孫子の兵法にある

「知彼知己、百戦不殆」 による言葉で

正しくは

【彼(かれ)を知り己(おのれ)を知れば

百戦(ひゃくせん)殆(あやう)からず】
 



【絆が深い】

これも正しくは 【絆が強い】 という

「絆」とは、動物をつなぎとめる綱のことである


【極め付け】

これも間違いなのである

正しくは 【極め付き】 という


【口は禍(わざわい)のもと】

これも・・・間違いである

正しくは 【口は禍の門】 である

舌詩「口是禍之門、舌是斬身刀」より

本来は「門」である

(つづく)

                   

◎  梨木神社問題 

感謝する事を忘れた日本人

都合の良い「神社」との関わり方

梨木神社問題 も同じ事が言えるの

かもしれない

梨木神社(なしのきじんじゃ)
        (梨木神社)

変わらぬことが良いとは断言できない

変わることを望む気も無いが・・・

私の意識の中の「京都」は変わらぬ情景に

言いようの無い「あこがれ」を感じている


国内外から訪れる観光客は何を目当てに

京都に足を向けるのか・・・

私の考えで言うなら、伝統美と和の調和

近代化の波の中で、ギリギリ伝統を保持

している姿ではないだろうか


これは私の「わがまま」であることは間違いない

私にできる事は、地元の神社を維持する手伝い

程度しか出来ない、本当に非力な爺である

おそらくブログで何を書こうとも、流れが変わる

ことなど無いだろう

神社を訪れて記念写真を撮ったら、そこに写る

景色に「マンション」では、興ざめだと私は感じる

現代の日本では「神社」は必要とされていないのか


少なくとも地方の神社は「住民」の傍に

寄り添って成り立っている

ご利益など無縁の「村社」「郷社」の話だが

神様は「何かを求める」ために存在していない

あくまでも「感謝」の対象である

これが必然なのかもしれないが・・・

寂しい気持ちが拭えない長屋の爺である

                   

◎  外宮先拝の事実 

佳子さまが伊勢神宮を参拝し、成年を報告

 秋篠宮ご夫妻の次女佳子さまは6日、伊勢神宮(三重県伊勢市)を参拝し、昨年12月29日に成年(20歳)になった報告をされた。

 白いコート姿の佳子さまは、外宮、内宮の順に参拝。皇室の祖神とされる天照大神(あまてらすおおみかみ)がまつられる内宮では、緊張した面持ちでゆっくりと神前まで歩み、玉串をささげて、拝礼された。


秋篠宮 佳子


この【外宮先拝(げぐうせんぱい)】

【外宮先祭(げぐうせんさい)】について

明確な答を言える人は少ない

神道に精通した重鎮といわれる方でも

解らない説明をして逃げる


ある方の説によると

 「昔からの仕来りでそうなっている」 

天照大御神が内宮に祀られ、外宮には

豊受神が祀られている

 「豊受神はアマテラスの食事係だから

先に挨拶をする」
 
のだと仰る

なんとも支離滅裂である (笑)

例えとして、 「天皇陛下より先に、料理人

の方に挨拶をするといった感じになる」
 


此処まで来ると・・・呆れてしまう

この方の説明は説明にもなっていない


「どっちだっていいじゃないか・・・」

そう思う方は、この先は読まないほうがよい

読むべき価値は無いと思いますから






私達が他所様(よそさま)の家を訪ねて

一番先に「家政婦さん」に挨拶をするだろうか

私ならそういう疑問を感じてしまう


隣家の前にお隣の奥さんが居たから

まずは「お隣に挨拶」して、次に目的の

家のご主人に挨拶をする

こんな話聞いた事が無い

例え隣家の奥さんがこの家の親類で

あろうと、姉妹であろうともどちらに先に

挨拶するかは大事な事である

一番先に挨拶しなければいけないのは

其の家の「家長」である御主人様ではないのか


神社に参拝に出かけ、其の神社の主祭神

を後回しにして、摂社や境内社の祭神に

先に参拝する人を私は知らない・・・



両宮というのは「伊勢」だけのもの

当然由緒どおりだと考えても、この問題を

キチンと「論理的」に説明できなければ

不可解と思われても当然なのであり

食事係の神さまに「最初に挨拶」とは

だれが考えても”おかしい”のである


外宮の祭神は「豊受大神」という女神

ところが、何度遷宮を繰り返しても、本殿

は男千木の男神を祀る形式になっている

過去の私の伊勢の記事を読まれた方は

お分かりと思う・・・

この外宮が男神(アマテル)を祀っていると

すれば、先拝する「外宮」の祭神が主祭神

であり、内宮の祭神より外宮の祭神の方が

上という事になる

いくら昨今「同性婚」が流行りであっても

女神の世話をするなら、内宮の境内社に

祀れば済む話ではないか

私は外宮こそ伊勢の「大社」だったと考えている

あのときまでは・・・・

持統天皇が伊勢に「アマテラス」を祀るまで

持統朝まで伊勢に両宮があったとは思えない



 『延喜式(九二七)』によると

伊勢神宮の祭事(元旦・祈年・神衣祭・月次祭・新嘗祭)

について、「先づ度会宮(外宮)を拝し、次に

大神宮(内宮)、次に諸宮(別宮)」と規定されている



これを根拠に外宮の祭神の方が「上位」ではないか

という疑問に、、「上位の神は後から参拝」という意見

を述べる方が居る

それでは摂社・境内社の祭神の方が「上位」になって

しまうではないか(笑)


天皇家の人間が「先祖」に挨拶をするために

赴いたのに、皇祖より先に拝礼しなければ

いけない「祭神」こそ、日本の太陽神である

証拠になる気がする

                   

◎  あるブログを観て・・思った 

とある方のブログのコメントに

激昂した言葉を残された人が居た

「人の口に戸は立てられない」

とはよくいったもの・・・とは思わない

何処が「お気に召さなかった」のか?

自分だけが「辛い」「苦しい」「不幸」

そんな気持ちがどこかにあったのか・・・


私も北海道の山奥、雪深い田舎の生まれ

雪に関する苦労は人並みに体験している

「心に余裕が無い」「周りが見えない」

それを「心を亡くす」、忙しいと言うそうだが

生きるのに必死と思っているうちは、余裕がある

本当に必死、生き延びるを経験すれば・・・・

ヒトサマの言葉を批判する余裕など

湧いてこない、私の経験上での見解だが


ヒトサマのブログで「悪口雑言」は・・・

無理やり聞かせた話でもない

自分が自分の意思で「覗いた場所」で

唾を吐くに等しい

そんな結果に苦いものを感じた


ブログを閲覧するという事の無理解が

そういう結果を招くというのが解っているのか・・


ブログは気を使って「仲良しごっこ」を繕うような

場所ではない

自分の気持ちや考えを吐き出す場所

お友達、いい格好しい集まれ!

のスペースではないのである


どうも最近、「傷を舐めあうのが」ブログ仲間

という風潮が見える

閲覧の自由は閲覧者に委ねられている

嫌なら観なければよい

気に食わないならスルーすればよい

自分の言葉は、ブログ主以外にも他の閲覧者

の眼に留まる

そんなもの観たいがために、ブログを訪ねるわけで

はない

自分の憤懣を晴らしたければ、自分のブログで

大長編記事を投稿すればよい

どういうわけか、他人様のコメント欄を

2Chの板とかん違いする人間が居る

かん違いはどこまで行っても「勘違い」

コメント欄は「批判板」「反論板」ではない


私のような人間は、まったく気にしないが

気にする人には「いささかムタイな仕打ち」に

感じるコメントも多々見受けられる


ブログにも、【閲覧上手】とか【閲覧下手】

コメント上手やコメントベタなんてぇのが有るのかも


判る人に解ってもらうのが「ブログ」

報道記事に「批判メール」するのとは

そもそも別次元の「文字世界」なのである


ご自身が笑われたと感じたとしたら

被害妄想か考えすぎと思うのだが・・・

ブログを読む限り、怒る要素が感じられない

そんなことから、余計な事であったかも

しれないが

とあるブログを観て感じた長屋の爺の自論

であり、お気に召さなかったら、ご容赦を・・

おっと・・寝なくちゃ今日も仕事だw

                   

◎  梅の香に包まれて (二) 

今年は山で梅を見られなかった

そのかわりドライブがてら梅見に

行く事ができた

雨の合間の好転に恵まれ

普段の行いがよいのか

心がけがよいのか(笑)





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とにかく「梅の香」で辺りが染まっている

そんな表現が当てはまるような・・・





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ヤバイくらい枝一杯に咲き誇っていました








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梅の香を表現するだけの素養が無い

長屋の爺だが

私が感じる「梅の香」とは・・

【適香】 【淡香】とでも言うのか

その姿かたちに相応しい「香り」であり

その薫る状況はまるで、シャボン玉が

鼻先を通り抜け、その度に弾けて匂い

思わず頬が緩むよう

乳飲み子の寝顔を見たときのように・・・

園内一杯の「梅の香」

お届けできないのは残念です。




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◎  梅の香に包まれて (一)  

重い腰を上げて梅見に行って来た

天気にも恵まれて、絶好の梅見日和?


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風が強く枝が大きく揺れ

ピントが甘いのはご容赦願いたい


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とにかく数も種類も多く

一度に掲載する事が難しいので

二回に分けてアップします(笑)

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できるだけ「名前」の看板も写してきました

とにかく「違いが判らぬ爺」ですからw






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【見驚】とは美しさに驚くからでしょうか?

あまりのピンボケに愕然としてしまう爺

それにしても酷い・・



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ご年配のご夫婦やベビーカーを推しながらの

ママさんグループ

ウオーキング途中の紳士淑女等々・・・・



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あたり一面「梅の香」で満ち溢れて

手足は冷たいのに、胸の辺りがホッコリする

そんなひと時でした
(続く)




                   




◎  須佐之男神社 

先日仕事に向かう途中の山村で

神社を見つけ、写真だけ写してきた

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人も車も殆んど通らない坂道の途中

静寂とはこういう状態を言うのか・・・

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須佐之男神社

「村社」らしい・・・

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由緒書きなどは見つけられなかった

この山間の集落に「素戔嗚尊」とは・・

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灯篭などもあり、なかなか立派である

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手水舎

よく観ると絶え間なく「綺麗な水」が出ている

おそらく山からの湧き水を引いているのだろう

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狛犬も立派である

背面には「大正の日付」が刻まれていた

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赤い小橋を渡ると社殿の石階段

そこかしこに石灯篭が立つ

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境内社?

書いたものが存在しないので不明

仕事仲間を待たせたままでの参拝

写真を撮るのが精一杯だった

例年なら「梅」も咲いているのだが

今年は見かけることがなかった

山は例年より寒いのかもしれない

明日は「梅」を観に出かけようか・・・

足を伸ばして豊川稲荷にしようか・・・

迷っている

あくまでも予定なのだが(笑)

                  

◎  長屋の爺の言霊体質 

相変わらず日本は「言霊体質」「言霊教」で

にぎやかなようだ

今話題の「献金問題」もよく考えれば

「言霊」の世界に生きる日本人らしい

といえる単純な事である

この規則を作った人は、言霊の呪縛に

かかっている事を認識できなかったのだろう


△△の企業からは献金を受けてはいけない

「受けてはいけない」のだから、受け取るはずが無い

受け取る担当者も、献金してはいけないのだから

相手が献金するはずが無いと思い込む

これは「9条があるから戦争が起こらない」と

全く同じ論理・発想なのである


規定しておけば「問題が起こらない」という論理

通常であれば「規定する事」など必要ない

違反する可能性があるから「規定する」

しかし、規定したから起こらないという安心感が

頭の中で膨張してゆく


日本人の99%は「言霊体質」である

「私は違う」と言う方は、冷静に考えてほしい

友人・知人が飛行機に乗るのをを見送る時に

「落ちないように気をつけて」

とは、けっして言わないだろう

「縁起でもない事言わないで」

と叱責されてしまうことになる

飛行機が落ちるのは「機械的問題」か

「操作する人間」の責任であり、冗談を

言った人間の責任ではない


自分の子供が旅行に行く前に

「飛行機落ちないといいね」

「船が沈まないだろうね」

などと言う親はいないだろう

友人たちは「飛行機落ちないかな」とは

冗談でも言わないのが日本人である


それらの基本にあるのが、言葉として

口から出せば「魂」を持って独り歩きする

「言挙げ」したから「起こる」という論理

これが「言霊体質」「言霊教」の原理である


私は「占い師」というのが大嫌いである

「当たるも八卦 当たらぬも八卦」

これほど他人を馬鹿にした言葉は無い

ウソやいい加減な事を言って「金を取る」

鑑定してもらう方は、言霊教の信者だから

100%信じないまでも、気にするようになる

言いかえれば人の生活に影響を与えている

のに、当たるかどうか断言しないという

これは詐欺にも匹敵する行為かもしれない


なぜ日本人は「占い」を信じるのかと問われれば

言霊体質だから、と私は答えるだろう

「言挙げ」された事は、「起こること」だから

人は安易に信じようとしてしまう

その場で「否定」したとしても、何かの拍子に

その「言挙げ(占い)」を思い出す事がある

この「思いだす言葉」こそ、言霊なのである


ネガティブな言葉は使わないで、ポジティブ

な言葉だけを使う・・・

近代的な考え方と思っているアナタ・・・

それこそが「言霊」ということを、気付いてください

どんな言葉を使ったとしても、変わったのか

変わらなかったのか、誰にも判らないのです

答えの出ない問題を、一生懸命解こうとする

そういう事かもしれません


私は言霊体質で溢れている人間ですから

ポジティブな言葉を日常では多く使います

自虐体質でもありますから、「痛い」とは口に

出しませんし、殆んど我慢をします

なぜなら「他人の痛みは100年でも我慢できる」

のが人間だから、「痛い」と言っても他人に対し

何の効果も「望めない」からです

「少し和らいだ」なら自分を前向きにできます

「だいぶ楽になった」なら、もっと明るくなれます

「痛い痛い」では暗くなるばかり・・・

なんたって「言霊体質」の長屋の爺ですから(笑)


それにしても、花粉症が・・・

とは言っても「年々軽くなった」ことは間違いない

ありとあらゆる「買い薬」を試し、病院薬も験して

行き着いた先は「身体をケアすること」

体質改善とでも言うのか・・・

私は病気のデパートと自負する人間です

現在飲んでいる薬とサプリだけで10種類

これに「鬱」が加わり、「花粉症」が加わり

鎮痛剤が加わると・・・大変な数に(笑)


現在は「甘酒」と「黒酢にんにく錠」「ヤクルト」

で経過を見ている状態だ

とにかく「疲れにくくなった」「朝がすっきり」

「食欲が出た」というのが実感である

どれが効果的なのかは知る由もないが・・・

続けてみようと思っている

                  


◎  神宮の建築の変遷 (一) 

さて、神宮の景観が古代と現在では違うと

前回書いたが、神宮の建物も例外ではない

そこには「失われた」過去だけではなく

思惑によって変えられた物も含まれる

神宮は20年ごとに建て替えられる

式年遷宮といわれるものだ

なぜ建て替えるのかは諸説あるが、どれを観ても

後付の空論でしかない

事実があるとすれば、古代の様式を頑なに

続けている事である

「掘立て柱工法」と「茅葺き」である

法隆寺などを見ても、礎石の上に柱が乗る

「礎石工法」が伝わっているのに、あえて

掘立て柱に拘るには理由がある

【皇祖がはるか昔から存在していたことを

後世に示す狙いがあり、そのためには皇祖

の住まい(社殿)は古来の工法(掘立て柱・茅葺き)

でなければならなかった】

言い換えれば

皇祖を祀る神宮は久遠の昔からずっと

続いてきたことを具体的な形で示す事

なのである

万が一、法隆寺のような「礎石工法」で建てたなら

それ以前の皇祖の住まいは無かった事に

等しく、古さ=皇統の長さを示す事が適わない

さらに、式年遷宮とは常に「新しい住まい」である

ために、その古さを推測するしかできない

意図的に「旧来の工法」で建て替えるのは

古さを曖昧にする為でしかないと思える


建て替えの要らない「礎石工法」で神宮を

造営したならば、持統天皇の時代からという

眼に見える「時代の始まり」を後世に残す

ことに繋がってしまう

皇祖ははるか昔から・・・

これが総ての起点であり、総ての「決まり」に

なっているのである


現在の伊勢神宮の内宮の配置は

明治22年の遷宮に際して復興された

それまでは天正13年(1585年)に

遷宮が再開されたときに書き残された

図面を基に、明治まで300年間続いて

いた配置だった

それは・・・

正殿と東宝殿・西宝殿の三棟が横一線に

並ぶ形式だった

現在は正殿を中央に、両宝殿を後方に配する

配置になっている

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            現在の配置

外宮は平安末期までは正殿の前の

広場に向き合う形で左右に両宝殿が

配置されていたが、明治の遷宮から

現在では北面し正殿の方を向く配置に

変更された

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            現在の配置

古(いにしえ)を偲ぶといっても、これでは明治から

の正殿を偲ぶ事になる

そうは言っても、正殿やら宝殿を直接見る

機会も無いのだが・・・

外宮は当初から、内宮とは別の祭祀形式を

とっていた可能性もあるのだが

そういう「外宮の独自性」を嫌った政府の

意向が働いたという事だろう


外宮先拝についても、関係者は地形的な

問題を口にするが、南面する拝殿に対し

「駅から近い外宮」などと言うのは「こじつけ」

でしかなく、外宮先拝は古来から民衆に認知

されていた当然の慣習だったと思えるのだ


明治になって皇祖をまつる内宮は、外宮に対し

優位に立つべきと強調された

【皇太神宮と豊受太神宮とは「差等」があるべき

なのに、中古以来同一になっている

両神宮の「御体裁ノ別」を定めよ】



言い換えれば、この明治の遷宮によって

新たな【古代】が創られたのである

(つづく)

                    


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