不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

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◎  今年の総括に相応しい酒 

今日買い物に行き、正月用の足りないものを

購入した、何気なく酒コーナーを観ていたら

面白いものを発見、残り一本だったので

思わず衝動買いした(笑)

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その名も 【額田姫王】 ぬかたのおおきみ という酒

いやはや 世の中にはあるんですね~

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長屋の爺のためにあるような「酒」でしょう

味は呑んでからの楽しみという事で・・・・

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あかねさす 紫野(むらさきの)行き 標野(しめの)行き

    野守(のもり)は見づや 君が袖振る

こういうのを「出会い」と言うのかもしれません

この歌は万葉集巻一 20・21に載っている贈答歌で

【雑歌(ぞうか)】の部にはいっているものである

相聞歌ではないという事は、「恋」の歌ではないことになり

これを根拠に「額田王」が天智天皇の妃だったといわれて

いるが、信憑性がなくなってくる気がする

小林惠子氏によれば、天智天皇と額田王は血縁関係・

兄妹ではないかという・・・・

私もそう考えるほうが自然のような気がしている

万葉集を文学としてみるか、政治的資料と見るかの

違いによって、歌の意味も創作意図も自ずと変わってくる

私が積極的に触らない万葉集の怖さでも在る・・・・。

ひねた爺には恋の歌は似合わないのである(笑)


今年は東北の酒を購入する予定だったが、注文した先から

何日たっても連絡が来なくて、キャンセルしてしまった

年末いくら多忙と言っても、最低限のマナーを守れない

店では買うつもりは無い

という事で、選んだのは「新潟の酒」である

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その名も・・・ 縄文の響 である

名前に惹かれるなんてといわれそうだが(笑)

来年は「古代に浸る」ような年初めになりそうです


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今年一年 皆様には沢山の知識と励ましを戴き、よい年でした

来る年が変わらぬ良い一年であることを願い

また、皆様にとって幸多き一年でありますように

祈念いたしております

本当にありがとうございました 総ての方に感謝

・・・   長屋の爺  ・・・



                   
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◎  ミコの近況 12・30 

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風に立つライオンではない・・・

安静にするはずもないミコの姿である

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ようやく今日は「抜糸」の日

朝から病院へ、二度目といえど緊張気味の様子

お転婆ミコの復活の日である

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今までの首輪は、先代の物だったので、正月用に買い換えた

ピンクから赤に・・・ミコは気に入ったようで (笑)

古い首輪を親の敵のように・・・・

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傷口もしっかり塞がっているとのこと

一安心という事だ・・・

動物病院も朝から大繁盛で、駐車場が満車だった

おかげで時間がかかり、ミコの正月用の「ご馳走」を

買いにいけなかったので、明日一番で買い物ということに

慌しい年の暮れである

神社に古いお札を納めて、新しい注連縄に替え

鏡餅を飾り準備万端と思っているのだが・・

毎年忘れ物があり、反省する大晦日になっている

はたして今年はどうか?

それにしても、新年を迎えるような気がしないのは

どうしたものか・・・歳のせいなのだろうか(笑)

                   

◎  神になった男 

神として祭られた八百万の神々たち

祟りを回避する為に祀られて神になった者

祟りとは無縁で祀られた事によって神になった者

これが「神さま」の条件である


そして・・・

神になろうとした男が居た・・・

神になった男が居る




天皇になろうとしたのは【足利義満】といわれ

天皇のように振舞ったのは【織田信長】だといわれる

ルイス・フロイスの記述に寄れば、「予(信長)がいる処では、

汝等(イエズス会宣教師ら)は他人の寵を得る必要がない。

何故なら予が(天)皇であり、内裏である」と言ったという


さらに、「日本においては信長自身が生きた神仏であり、石や

木は神仏ではない」と言ったという

この言葉が真実かどうかは別にして、寺院が武力で政治に

介入したり、一般庶民に悪さをすることを疑問に感じていた

逆に考えれば、宗教の本来あるべき姿に戻そうとしていたの

かもしれない

自分が天皇だったら、神だったなら、そんな非道は許さない

そんな想いがあったのだろうか・・・。

桶狭間の合戦の途中で熱田神宮に立ち寄って必勝を祈願し、

大勝したので、その御礼として奉納した塀が【信長塀】として今でも残って

いるし、荒廃していた【石清水八幡宮】の修復に巨費を投じたり、120年間

途絶えていた伊勢神宮の【式年遷宮を復活】させるなど、神道復興への

功績もある


自分から望んで「神」になった男が二人いる

一人は【豊臣秀吉】である

秀吉は死に際して、方広寺の大仏の鎮守として新たな

八幡として自らを祀るよう遺言したが、希望はかなえられず、

「豊国大明神」という神号で「豊国社」に祀られた


もう一人は 【徳川家康】である

死の間際に「関東鎮護の神になりたいから、1年後

久能山から日光に改葬せよ」と命じている

そして・・・【東照大権現】と呼ばれ神になったのである


自ら神と称して神のように振舞ったのは「信長」だったが

神として祀って欲しいと願っていたのだろうか?


信長は神仏を否定したわけではなく、仏教界に絶望していた

のかもしれない、天下を統一し「平和な日本」を見据えていた

信長の目には、「衆生を幸福に導く」べき僧侶が武器を手にして

戦乱の火に「油を注ぐ」事への怒りだったと思っている


今の時代に信長が生きていれば、叡山や高野の現状に

どう対応するだろうか・・・

仏の教えに「蓄財」や「商売」はあるのだろうか

いくら「地獄の沙汰も金次第」とはいっても

カネで「僧階」を売ることがどうなのか・・・

葬式仏教は「戒名」で儲け、「利殖」で腹を膨らます

これで「仏を信じろ」では、納得がいかないのは

長屋の爺だけだろうな・・・・。

                    
                  

◎  不敬の1年を振り返って・・ 

今年も神さまや天皇家(皇室)に対する

不敬きわまりないことを書いてきた

私は謝罪など出来ない人間なので

不敬の「かきおさめ」をしてみたい・・・


万世一系というと神代の昔から連綿と

続いていると思っている人が多い

しかし、天皇家を遡って繋がりを確認できる

のは、第26代 継体天皇までである

継体帝からは血筋が繋がっている事が

即位の原則になっている

継体天皇は6世紀の天皇(大王)と考えられている

万世一系は厳密に言うと、1500年程度の歴史と

いうことになる

卑弥呼の話題でも出てきたが、それまでの大王(天皇)は

豪族達によって「擁立」された【王】だったのである

だから世襲の歴史はわりと短いともいえる

太古においては血のつながりは「有利」ではあったが

絶対条件ではなかったことになる

選ばれた人間は、日御子(ひのみこ)・日子(ひこ)と呼ばれ

太陽神の子として、その【魂】を受け継いできたのである

これを称して・・・【万世一系】という

太古において、王位継承は実力のある者が推挙され

たとえ王の息子であっても、劣るものは排除されていった

擁立とか共立、推挙という言葉の裏側に見える史実は

私にそう教えてくれている

この当時の「王」はお飾りではなかったと考える

霊的能力や武力など、何かしらの「チカラ」を備えていた

人々の上に君臨し導く大事な役目なのであるから

当然といえばそれまでだが、その最も重要な「ちから」が

【徳】であったのかもしれない

天人相関信仰というものがあり、天変地異や疫病、騒乱は

上に立つものの【徳】が足りないから起こるものとされた

そういう事態になれば、容赦なく「王の交替」があったと

わたしは思っている

ただ王位を外されたわけではなかろう

その命を持って「償った」と推測できる

あの【女王・卑弥呼(ひみこ)】のように・・・


現代と太古では事情が違うが、太古では優秀な人物が

血統に無関係で擁立(即位)した

平安以降は愚鈍でも血筋が優先され、なおかつ藤原の

血筋が最優先された

そして現代といえば・・・愚鈍でも血筋が優先され、天変地異

の「前ぶれ」を予感させる状況になっている


「皇室典範」の改正と、天皇定年制が急務なのかもしれない

来る年は、波乱万丈の1年でない事を願い

国民の期待する事柄が実現する事を祈りたい・・・。

                  



◎  神さまだから祀るのか? 

どうも最近PCの調子が悪い

このブログを更新する時間帯になると

てきめんに症状が出る

移動がスムーズに行かなくなり

コマンドが滞ってしまい、ついにはフリーズする

このPCの限界かもしれない

(・・・というわけで、昨日の更新が現在の時間になった

という長屋の爺の「言い訳」なのである)


さて、古代日本では「神」に名前が無かった

「まさか?」と思うかもしれないが

神さまは「体を持たない魂」だけの存在で、

「カミ」「ミタマ」「ミコト」などと呼ばれていた

神さまに名前がつけられたのは、ずっと後に

なってからだと思っている

8世紀に書かれた「記紀」に書いてあるだけでは

総てを鵜吞みにはできない

例えば、日本の住宅の空間(部屋)には、いろんな呼び方がある

「和室」、「仏間」、「板間」、「洋間」、「居間」、「リビング」、「寝室」

「台所」、「キッチン」、「食堂」、「客間」、「応接間」、「納戸」etc・・・

だが一般家庭では、部屋に「個別の名前」をつけている話は聞かない

寝室を【鳳凰の間】、【紅葉の間】などと呼んではいないだろう(笑)

名づける必要が無いから「名前がついて無い」だけである

古代の集落においても、自分達が崇拝する【精霊】に敢えて

名前は必要なかった

森の神(精霊)や水の神で、十分に事足りたと思っている


どうして名前がつけられたのか?

名前をつけることが「都合の良い」人間達が居たからである

それは 「皇祖神」を頂点に、八百万の神を系統付ける

ためだと私は考えている

なぜ系統付ける必要があったのかは、「良く見せる」ためと

権威付け、そして・・・不都合な神を排除する為

名前をつけると同時に、神の統廃合という暴挙に出た

その結果、いろんな【神徳】の神さまが出来上がってしまった


日本では【祀れば神になる】ことができる

かなり飛躍した考えだが・・・

自分の家の庭に、小さな祠を建て、何かを祀れば

それは確かに神さまなのである

名前など大きな問題ではない

大勢の人間が認めるなど、関係ない話であり

きちんと「祀った」かどうかが大事なのである

大きな括り(くくり)で言うところの【崇敬神社】と

いえるだろう(実際は祠であるが)


例えば、何かの分野で卓越した「専門家」がいて

自分の心の中で「神のような存在」であり

その「**のカミさま」を自宅の敷地にキチンと祀れば

神様となる

経営の神様、金型作りの神さま、茶道の神さま、盆栽作りの神さま

ゴルフの神さま、柔道の神さま、和紙作りの神さまがいても

良いのである

きちんと祀られているかどうかが大事なのだと思う

存在する神を祀るのも、祀ったものが神になるのも

同じことかもしれない


例えば、【菅原道真】は神ではなく、政事家だった(右大臣)

ところが祀ることによって、道真は「神」になったのである

東京ではおなじみの【神田神社(神田明神)】の祭神は

平将門である

彼も天皇家に反抗した罪人といわれているが、今では

れっきとした神さまである

神だったから【祀られた】のではなく

【祀った】から、神になった・
・・そういうことである

私達の常識の中の「錯覚」といえるかもしれない


神は縋るものではなく感謝するもの、という私の論理の

基本にあるのが「心の中にある感謝(宗教心)」で

心の支え、真摯に物事に向き合う姿勢が、神祭りに

よって、培われると思っている。

だから、真摯に神を祭り、赤子のために祈る【祭祀王】に

対して、我々国民は 尊崇の念 を抱くのではないだろうか


見えるから在る 見えないから無い というのではなく

心の中に常に【在る】はずの、感謝の気持ちが諸々の

是非を判断してくれると信じているのである。

                  

◎  天皇の仕事 地方訪問 

よくニュースなどで観られる天皇・皇后両陛下の

地方訪問、今回はこれについて少し・・・


これは東京に住む両陛下が、地方に住む国民と交流

する数少ない機会なのである


天皇が外出する事を【行幸】と呼び、皇后・皇太后・

皇太子・皇太子妃が外出する事を【行啓】と呼ぶ

ちなみに、天皇皇后両陛下が外出する場合、特別に

行幸と行啓を合わせた形の、【行幸啓】という

両陛下の行幸敬は年に4回程度、そのうち3回は毎年

行われている「定例」になっている

* 全国植樹会

* 国民体育大会(国体)

* 全国豊かな海づくり大会

これらは毎年持ちまわりで開催場所が変わる

この定例になっているものを「三大行幸啓」という

もう一つの行幸啓は、学術会議に推薦された

国際会議の開会式に出席する事である

これらは象徴天皇としての「公的行為」になっている。


【行啓】という言葉は、一般のマスコミでは使われていない

ように感じるが、新聞もテレビも観ない私には、はっきりと

断言することはできない

地方訪問をしても「行啓」として報道されない宮家もあり

地方訪問をしないから「行啓」と報道されない東宮家もある


天皇の地方訪問は、原則として西は京都まで【新幹線】

大阪以西は【飛行機】となっている

東北は山形なら【新幹線】、秋田なら【飛行機】

新潟・長野は【新幹線】、北陸は【飛行機】の移動である

ちなみに、東宮家の場合は飛行機も新幹線も一般定期便

を利用する事になる

しかし、羽田空港ではVIP専用のスポットから乗降するため

一般客もバスで移動する事になる

機内では「スーパーシート」を使い、一般客との間に宮内庁職員

や護衛の警察官が、壁を作るように座るという

新幹線の場合は、グリーン車を使用し貸切りで前後の車輌も

貸切り状態で一般客を近づけない事になっている

その他の宮家は飛行機は「スーパーシート」で、「新幹線」も

グリーン車であるが、貸切にせず一般客と同乗になっている


天皇の外出を【行幸】というのはなぜか?

語源として通説では、中国の皇帝が地方を訪れると

その地方の民は食料や絹布をもらえたり、税が免除されたり

幸せを得たことから・・行幸と言うそうである。(つづく)

                 


◎  神道日本の他宗教の祭り クリスマス 

おそらく外国人から観ると、日本人の宗教観が

理解できないだろうと思うのが今日という日だろう

巷では「クリスマス・イヴ」という西洋のお祭り

(キリストの誕生祭25日は前日から始まっている)

日本人のキリスト教徒がどれくらい居るのか・・・

日本神道の信徒で、葬式仏教の信徒でもあり、さらに

欧米の異教のお祭りを国民こぞって祝う民族とは・・・


これが「多神教のヤマト民族」の民族性なのである


現代の日本では、一部の新興宗教や似非宗教で無い限り

他宗教を露骨に否定したり、排除する習慣が無い

宗教は生きるための知恵であり、糧でもあり、指針でも

有るという事だろう

物事には陽もあれば、陰もあり、日向もあれば日陰も存在する

宗教とて「完全無欠」など望むべくもない

自分にとって必要な部分が「信仰の対象」として価値があり

他宗教から学び得ることも少なくないはずだ

山に登る 滝に打たれる 座禅を組む ひたすら念仏を唱える

そのどれも実行できないからといって、信仰できなくなる

わけではない

宗教心は心の中に存在する

意識・無意識に関わらず、血肉の中に宗教心は存在する

人に言われたからといって、意に沿わない「拝礼」は

心に違和感を覚える

しかし、私達日本人は父母・祖父母の後姿を見て育ち

違和感無く「神社で拝礼」できるのである

これは理屈ではなく心の求めるままに・・・ではないだろうか

(私はマリア像の前に跪く事はできないが・・)

だが日本人は「クリスマス」を宗教の祭事だという認識は薄い

あくまでも「イベント」として、楽しむだけになっているのが現実

正月は初詣 人生初のお宮参り (神道)

盂蘭盆会 身近な人の葬祭はお寺で (仏教)

秋にはハロウィン 年末はクリスマス (キリスト教系)


グローバルとでも言うのか・・・(笑)


日本人が日本人である事を、一番実感するのは

やはり【初詣】ではないだろうか・・・

伝統と民族の血流を感じるのは、八百万の神々の

聖域に足を踏み入れたときなのである


最近良く耳にする【パワースポット】という言葉

その多くが神社・森林などの場所である

「パワー」がいかなる物を言うのか私には理解できないが

総ての物に「神(精霊)」が宿る事は、先人が教えてくれている

神々が座す「神の社」なのだから、神々の霊力を感じても

些かも不思議ではない

そんな身が引き締まる思いを常に感じているのが本来の

日本人であり、神の社と無縁で過ごす日本人は、神の霊力

を一層強く感じるのかもしれない

神域に一歩足を踏み入れると、外界とは違う空気の冷たさを

感じる事がある

真夏でも神域の中は、ひんやりとした別の空気で、満たされ

ていると感じた、そんな経験を持つ人も居るだろう


日本の神は「恵み」と「痛み」を両方与える

それゆえ、神であり、鬼でもあるのだ

甘えを許さない、厳しい顔を持っている

それが日本の【八百万の神々】なのである

何かを得るためには、何かを捨てる

持つ手は決まっていて、背負う限度も決まっている

捨ててばかりいると感じる人生も、本当は気づかない

何かを得ているのかもしれない

傍で見ていても気づけない何か・・・・

人それぞれに持つ手も、背負う背中の大きさも違う

世間の他人を見て、比較しても詮無いことなのである


私は多くのものを捨てて(失って)きた

おそらく他人には見えない【何か】を得たからだと

思うことにしている

標準はあくまでも「中間」であり、上もあれば下もある

人間が「人それぞれ」であるように、同じ人生の人間

は居ないだろう


神は縋(すが)るものではなく、感謝するもの

それ以上でもそれ以下でもないと、私は思っている

 【生かされている】 それが私の人生の【今】なのである

                  

◎  ミーの近況 12・23 

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新しくなったキャリーバッグに興味津々のミコ


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このバッグが自分を未知の世界に連れて行くとは・・・


そして・・・その夜
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ご機嫌斜めのミコ

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アメリカ映画の「囚人」を思い出して爆笑

このまま終わらないのが我が家のミコ・・・

今朝 囚人服を脱ぎ捨て 部屋をウロウロする

あわてて着せなおし 説教してみたが・・・

「暖簾に腕押し」ということだ(笑)

頼むから「抜糸」まで、お利口さんにしてくれ~

                  


◎  来年は「未年」 羊の名前の神社 

来年は「未年」である

日本全国に神社は多くあるが、干支の「羊」の

名前の神社があることは意外と知られていない

その名は「羊神社」

読み方も「ひつじじんじゃ」である

名古屋市 北区 辻町に、現存する神社で

祭神は「天照大神」「火乃迦具土神」

延喜式神名帳に尾張の国山田郡「羊神社」と

記される古社であり、少なくとも1000年の歴史が

あるという事である

羊神社の由来によると

奈良時代、多胡郡(現在の群馬県内にあった郡)の領主、

羊太夫が、奈良の都に上洛する折には必ず立ち寄ったと

される当地に火の神「火乃迦具土神」を祀った。

その社が「羊神社」と呼ばれるようになったと伝わる。


また、神社の鎮座地である「辻村」(現辻町)は、昔、

羊神社の羊に因んで火辻(ひつじ)村と呼ばれていたが、

後に、火(ひ)の字を嫌ってこれを除き、「辻村」とされたという。

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「今、村の名を辻といえるは羊の省かりたるやとそ」

火辻~火を取り払い~辻 という事らしい(笑)


この「羊神社」の他に「羊」の名が使われている神社は

群馬県吉井町にある「羊神社」だけという

火の神を祀る神社としては、一般的に「秋葉神社」が

知られているが、「羊」と「火の神」の関係になんとなく

「厳か」というより「微笑ましさ」を覚えてしまう

語呂合わせとか、**繋がりという言い方でなく

言葉は生き物、言葉に宿る魂が古代では尊重

されていた「言霊(ことだま)」の世界のようなもの

が私には感じられた

最初から「羊」ではなく、「ヒツジ」と呼ばれていて

漢字が浸透して「羊」が当てられたと思いたい

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例年通り「初詣」に行くにも、ちょっとした由緒や

神社名に惹かれて、何時もと違う神社に足を運ぶ

のも良いかもしれない

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もし・・この神社を訪れたいとお考えなら、公共交通機関

の利用をお勧めする(駐車施設が無い)

地下鉄・上飯田からバスで辻町かな?

未年の正月の参拝者は例年の10倍とも・・・

神様に触れる貴重な経験は、きっかけが何であれ

大事な事だと思います

来年のお正月は、日本人であることを再認識する

機会になると良いのですが・・・。

                  

◎  天皇の仕事 外国訪問 

天皇が外国を訪問する事は、相手国に対する

最高の敬意である

ところがこの「外国訪問」は天皇の国事行為では

なく、あくまでも象徴天皇の「公的行為」だという

だが、天皇が望んで必ず実現するとは限らない

宮内庁や政府が「難色を示せば」行けないこともある

責任は政府にあって、その段取りは宮内庁が取り仕切る

それに絡んで「害務省」「警察庁」も出てきて、検討を

すると言うのだが・・・

本来なら「公的行為」は内閣の助言や承認は必要ない

それなのに、閣議決定をするのは、GHQ憲法に毒され

た腰抜け官僚とへたれ政治家が「拡大解釈」と「気遣い」

をする結果なのである

世間で言う「順法」とは、ほど遠い皇室の処遇という事になる

その検討なるものの詳細は

*相手国からの招請があること

*相手国からの国公賓の来日状況

*相手国との交流の現状

*相手国の情勢(政情・治安など)

*地域的なバランス

*天皇の国内行事日程

などを総合的に検討して、閣議決定されるという

天皇は政治的なことに関わらない(巻き込まれない)

のが大原則と言いながら、日本の政府は大きなミスを

犯した過去がある

平成4年の天皇皇后の中国訪問は、「天安門事件」による

各国の経済制裁を解除する為に招請されたという

(銭基琛・元副首相の回顧録【外交十記】に書かれている)

↑の検討がいかに「いい加減な基準」かの結果なのである

本音と建て前、皇室を政治的に利用するのは、何も今に始まった

事ではない事になる


GHQ憲法では、天皇が元首なのか、首相が元首

なのかは「曖昧」だというが、こんな馬鹿なことを言う

人間は頭がどうかしている・・・


国際法上,外部に向かって国家を代表する資格をもち、

君主国では君主,共和国では大統領であり

日本国憲法には規定されてないが、国際慣行上は,

天皇が元首として扱われているのである

単に政治家が数の論理で「担ぎ上げた」人間が元首

などであって良いわけが無い

首相はあくまで天皇に信任された存在なのである


尚、海外訪問の経費は「宮廷費」から捻出される

(つづく)

                  
                 

◎  生まれて初の手術に臨むミコ 

今現在朝の10時、我が家のミコは病院に居る

避妊手術のためと、ICチップの埋め込み

朝病院に送り届け、夜に迎えに行く予定

夕べから「絶食」「絶水」で、明日の朝まで続く

今回の通院のために、新しいキャリーを購入

食いしん坊のミコが絶食とは・・・笑える


午前9時、車で病院へ

およそ昼間なら15~20分程度の距離だが

意外と大人しくしていた

もっと泣き叫ぶかと思っていたが、病院内でも

大人しくてびっくり、内弁慶ということか(笑)

初めて観る「レトリバー犬」に目がまん丸になって

思わず笑ってしまった。

私の住む町では、去勢と同時にICチップの埋め込み

が義務付けられている

むやみに放棄したり、迷子になっても直ぐに分かると言う

便利な世の中になったが・・・猫はどう思っているか

夜に迎えに行くまでは、久しぶりに「独身」である

羽を伸ばす事も必要ない身であったと苦笑い・・・


そして・・・・現在午後8時

先ほど迎えに行ってきた

激しい雨が降る中を30分かけて到着した

長いこと待たされ、ようやく帰宅できる事に

予想外に「安かった」のでニンマリ・・・

新調したキャリー代を差し引いてもおつりが来る計算

正月のミコのご馳走代にまわそうと思う

そのミコはというと・・・

家に帰るなり部屋中をウロウロして落ち着かない

服のような包帯?が邪魔をして歩きにくそうだ

10日後の「抜糸」までは我慢させる事になる

それで・・・

ふと後ろを見ると・・・何とぐっすりと眠っている

初めての経験で疲れがピークに・・・

明日の朝は仕事に出る前にすることが多いが

うれしい悲鳴 という事だろう

写真はいずれUPすることで・・・

                  

◎  今年を振り返り・・・感謝 

今年も残すところ10日あまり

いろんなことがあったような、たいしたことが

無かったような・・・・そんな1年だった

気づけば着実に老いて行く自分が居て

気持ちばかり空回りする自分が居る


私の正月休みは長い・・・

半月ほどの長期休日である

クリスマスから七日正月まで・・・

その期間、何をするかと問われれば、何も・・

と答えるしかない

1年でこの時季だけ「酒を呑む」こと

1年で一番長い時間TVの前に座っている事

好きな本を朝から晩まで気ままに読むこと

ただそれだけの楽しみである


私には「年始」という習慣が無い(離婚し転居した)

それを機会に、お歳暮も年賀状も取りやめた・・・

だからと言って「孤独」などではない

携帯メールで年始の挨拶はするし、友人達との

交流もする

単に、他の友人知人は「家庭」と「家族」があって

私には居ないというだけのこと、私のように自由な

(気ままな)時間が無いから、接点が少ないだけの事である

そういう解釈で「交際」を続けている

だから友人も居るし、知人も居るので孤独とは思っていない

ただし・・・私のいう友人とは「信頼できる」という制限の中の

人間達である

よい時は周りに集まって、悪くなると遠ざかる人間

事業の失敗や離婚など多くの波乱を経験するたびに

淘汰されてきた「交友関係」

友とは「変わらぬ価値感」を有する同志である

利害も体裁も関係なく、気持ちで繋がる「親友」が

一人以上いる事が大事なのだと、気づいた長屋の爺

おかげでそういう友人が多くいる事が自慢である


今年も晦日から三が日、酒を呑む予定である

私は「禁酒」も「断酒」もしたつもりは無いが

1年で正月だけ酒を呑むようになった

若いころは「浴びる」「浸かる」ほど飲んだのだから

今さら・・・という事ではない、単に体を悪くしてから

控えてきたと言うのが本当のところで

今ではほんの少々「嗜む」程度の飲酒である

(若いころは、バーボンのボトル半分を一晩で呑んで
給料の殆んどを呑み代に消費したばか者である)


ここ数年、友人達との飲み会にも出かけなくなった

帰りのことを考えると、車がないと仕事にならないので

よほどのことが無いと呑みには出かけないし、出かけ

たとしても、タクシーによる往復である


今年は何を呑もうか思案中で、量より質で検討している

私はビールが苦手で、最近は日本酒の冷酒か、焼酎の

お湯割りが殆んど、ワインも最近は飲まなくなった

今年は東北の酒(大吟醸)でも呑もうかと考えている

それと焼酎なども(去年は熊本の焼酎だった)

銀座の高級クラブで呑むより、家酒なら大概の酒が

存分に呑める

物も考えようである(笑)

正月、朝風呂に入り、コタツの中で「箱根駅伝」を

観ながら、チビチビと酒を呑む、ゴールするころには

睡魔が襲ってきて、しばしの夢心地・・・

恒例になっている、正月の風景である(笑)

観るのは「箱根駅伝」の往路と復路だけ・・・

1年で一番長くTVの前に座る理由である

そして、我が家にTVが存在し、不本意ながらNHKの

受信料を払う理由が「箱根駅伝観戦」のためなのである。


今年も色々な方が、コメントを寄せてくださった

感謝の一言に尽きる

このブログに関しては、最近はおかしなコメントは

皆無なのだが、政治色の強い「花はそっと・・」の

ほうは、相変わらず「かん違いコメント」が来る

特に、HNが「匿名」「名無し」「通りすがり」という

明らかに「かん違い野朗」の自己主張コメが多い

言いたい事があるなら、私のコメ欄で長文など

書かずに、自分のブログに書いて「招待状」を下されば

私が訪問しますと言っているのに・・・

さらに、私のブログに共通する「条件」でもある

【挨拶の出来ない人間 お断り】が理解できない

閲覧者が多い事が気になっている

人の家を訪れるとき、「チャイム」や声をかけるのは

常識である

それをやらないで、いきなり要件を話し出す人間が

この世には居るのだろうか?

挨拶とは・・・【敵意】の無い事を宣言するものであり

挨拶から交友・理解が始まるのではないだろうか

私の地域の小中学生でも、会えば「挨拶」は欠かさない

れっきとした「大人」が出来ない理由は何処にも無いはずだ

・・・と、長屋の爺は憂いてみるが、どうでも良い事かも(笑)

ブログに書けるほど、善人でもないし人格者でもないが

理屈に合わないことが嫌いな性分、宮仕えなどできるはずが無い

そんな欠陥人間の1年も、何事も無かったように過ぎてゆく

そして・・・また来る年も同じ様な事を「ほざいている」爺だろう

少々早いですが、今年はどうもありがとうございました

皆様の1年が良き1年であったと思いつつ、来年も何かを

感じてもらえる、ブログにしたいと思っています

長屋の爺の来年はどうなる事やら・・・(汗)

                  

◎  天皇が祭祀王である理由 


ももしきや 古き軒端(のきば)の しのぶにも

 なほ余りある 昔なりけり 


第84代 順徳天皇の和歌である

百人一首の百首目に記されている・・・

この順徳天皇が書き残したものに、【禁秘抄(きんぴしょう)】

と言う解説書があり、すべて漢文で書かれているもので

いわゆる「皇室のしきたり」を後世のために書き残したもの

と言われている

実際は鎌倉幕府によって神祭りが衰退することを

憂いて万が一の場合を想定して遺したとも思える

帝王の道である祭祀の重要性を、子孫に書き残した

天皇の帝王学のバイブルとでも言うのか・・・・


書き出しにはこう書かれている(少し長文だが)

【 およそ禁中の作法は、神事を先にし、他事を

 後にす。朝夕に敬神の叡慮(えいりょ)、懈怠(けたい)

 なし。あからさまにも神宮ならびに内侍所(ないしどころ)

 の方をもって御跡(みあと)となしたまわず。】

叡慮=天子の考え、天子の気持ち
懈怠=怠ける事、怠惰( たいだ)、怠慢、なおざり


簡単に言うと、何よりも神事を優先させなければいけない

、皇祖神に対して不敬が有ってはならないと書かれている

治世でもなく権力でもなく、マツリゴトを優先するところに

日本の天皇の【立ち居地】が示されていると私は思っている

「天皇にとって最も大事な事とは神祭りである」、と断言している

ことは現代にも伝わっているのである

世界中を見渡しても、自ら土に触れ農業(コメ作り)を実践して

国民の為に日々祈る元首・君主など存在しない


天皇も神社の宮司と同様に、神を奉る祭り主であり、祝詞を

奏上する、これを【申詞(もうしことば)】という

天皇が即位後、最初に行う「大嘗祭」においても申詞が唱え

られる

これは秘儀であり、天皇から次期天皇に伝えられる直伝で

一般には知られていない

【伊勢の五十鈴の河上にます天照大神、また天神地祇、

諸神明にもうさく。朕(ちん)、皇神の広き護りによりて、

国中平らかに安らけく、年穀豊かに稔(みの)り、上下を

覆寿(おお)いて、諸民を救済(すく)わん。 以下略 】



天皇は最初に自分でもなく、自分の家族でもなく、総ての

国民を、赤子(せきし)と考えて、ひたすら「国中平かに

安らけく」と祈るのである


天皇の祭祀は大きな祭りとして年間20以上、さらに

昔は「恒例毎日の次第」という早朝の遥拝があったのだが

明治以後は「毎朝御代拝(まいちょうごだいはい)」に変わった

どんなに情報社会になろうとも、天皇の祈りは国民の眼に

触れることは無いが、日々祭祀王としてのお勤めは続いている

のである。(続く)

                  

◎  天皇の仕事 皇室外交 

皇室外交

じつはこのような言葉は通称でしかない

天皇は国政に関する権限を有しない

だから、皇室外交とは言わず、「国際親善」という

あくまでも政治的な部分には介入・言及しないのが

原則である

天皇は如何なるときも「公平」「公正」で無ければならない


さて国際親善と言っても漠然としていて、何のことやら・・・

一言で言うと、外国との交際である

象徴天皇の役目と言っても良いのだろうが

天皇の「国事行為」の中に

* 外国の大使および公使を接受すること

* 批准書および法律の定めるその他の外交文書

 を認証すること

* 全権委任状および大使および公使の信任状を

 認証すること

というのがあって、これも「外国交際」に含まれるという


ではもっと具体的に、天皇の国際親善に触れてみたい

*外国を訪問する事

*国賓を含む、来日した外国賓客に会い、これをもてなす

*駐日外国大使へのさまざまな接待

*諸外国への災害見舞い、各国の建国記念日の祝意、

 各国の元首との電報や手紙のやり取り

*海外赴任の予定の大使、任期を終えて帰国した日本の

 大使らに会って労う

これらが天皇の国際親善に伴う「公務」ということになる


それぞれにおいて区分けが成されて、呼び名が決まっている

【会見】

外国の元首(国王・大統領)や王族と会うことを「会見」という

よく「国賓」という呼び方を聞くことがあるが、これは国家が

招待した「天皇陛下のお客様」と考えればよいと思う

国家元首であっても「国賓」として来日すると、必ず決まって

いるわけではないのである

【引見】

外国賓客(各国首相、国会議長、各国大使を含む)に会うこと


会見や引見の際、賓客からプレゼントされた品物は基本的に

「皇室の私物」として処理される

【親書・親電】

天皇は直接会うばかりでなく、時として手紙や電報の

やり取りをして、親善を行っている

外国王室とのやり取りは主に「親書」で行うという



外国からのお客様は、大きく分けて「公式訪問」と

「非公式訪問」とに分けられ、さらには「国賓」、「公賓」と

「公式実務訪問(賓客)」に分かれている

「公式訪問」は、日本が招待し滞在中の経費を日本が

負担することになっている

「非公式訪問」はあくまでも「自費」で来日するお客様だ


「国賓」と「公賓」は原則として、【迎賓館】が宿泊場所と

して提供される

【国賓】 国王(夫妻)や大統領(夫妻)などの「元首」が

対象になり

* 皇居で天皇・皇后と会見する

*宮中晩餐に出席

*東京を離れるときに天皇・皇后が迎賓館を訪れ

 お別れをされる

【公賓】 皇太子(夫妻)や王族、首相、副大統領など

が対象で

*天皇(場合に由り天皇・皇后)との会見

*王族のみ宮中での昼食会

という事になる

天皇の仕事はさらに続く・・・・

                  

◎  皇室祭祀 1 

皇室祭祀というのは、我々国民にとって

縁の無い別世界の催しである


天皇が関わる祭祀はおよそ30以上といわれ

その中でも最も重要なのが「新嘗祭(にいなめさい)」である

潔斎(身を清めること)した天皇は、「祭服(さいふく)」と

呼ばれる新嘗祭のような特別な時にだけ用いられる

衣装に身を包み、新米の御飯、粟の御飯、酒、

魚(タイ・アワビ・サケの刺身)、野菜、果実、塩、水

などを供える

これは天皇自ら一品ずつ盛り付けてゆく

暖房も無い灯火だけの、薄暗い神嘉殿の中で

一時間半をかけて用意するのは大変な作業である

次に宣命体(せんみょうたい)という独特の文体で

書かれた「お告文(おつげぶみ)」(祝詞)を読み上げる

(・・・かしこみ かしこみ~・・・というあれです)

内容は収穫に対する感謝と豊作の祈願だという

その後、天皇も食物・酒を召し上がるそうです


これが 【夕の儀(よいのぎ)】と呼ばれる夕方六時

から執り行われる二時間を要する儀式である


さらに同じ祭儀を、午後十一時から執り行う

これを 【暁の儀(あかつきのぎ)】 と呼ぶ

意外なのは、この祭儀には皇太子もお出ましに

なるという、同じ様に古式衣装をつけて・・・

これが「帝王学」なのかは定かではない


余談だが、宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)の

うち【賢所】は、天皇、皇后、皇太子夫妻だけが

立ち入る事ができるといい、そのほかの皇族は

立ち入る事ができないことになっている。


祭儀には【大祭】と【小祭】があり、天皇自ら祭儀を

取り行い、お告文を読み上げるものを 大祭 と呼ぶ

小祭は掌典長が行って、天皇がそこに出席し拝礼

だけをすることになる (つづく)

                   

◎  天皇の仕事とは 

天皇陛下の毎日は多忙である

その基本は「執務」と呼ばれ、決済・認可の事務である

事務決済には大きく分けて四種類がある

* 天皇が自ら目を通し、天皇が署名した後、宮内庁職員が

《印》 を押す 【御名御璽(ぎょめいぎょじ)】 

* 天皇が自ら 《可》 の印を押す【裁可】

* 天皇が自ら 《認》 の印を押す 【認証】

* 天皇が 《覧》 の印を押すものである

この 《覧》 の印は、天皇が「確かに見た」という

意味で押されるものである

総ての書類に丁寧に眼を通すのが日常だと言う

この印を押す職務は、天皇の海外訪問、病気入院

などで困難な場合、「国事行為の臨時代行に関する

法律」の規定に基づき、国事行為の一部や全部を

皇太子などに代行させることもある

代行をさせることは、天皇の国事行為でもある


ここまでは天皇の国事行為としての執務であり

この後は国事行為以外の執務をする

皇室関係書類とでも言うべき書類の決裁である

その数、およそ年間1000件とも言われる

この皇室関係書類の決裁は、原則として火曜日と

金曜日の午後の執務時間に行われる

ちなみに執務する場所は、表御座所の《菊の間》が

執務室になっているという

とにかく多忙な毎日を送る天皇陛下であるという事

けっして「朝寝」などできる環境ではない事がわかる


大雑把な天皇の1年の行事として

1月1日  新年祝賀の儀

1月2日  新年一般参賀

1月10日ころ 講書始の儀

1月15日ころ 歌会始の儀

4月・10月下旬 園遊会

5月・11月 勲章親授式(叙勲)

12月23日 天皇誕生日祝賀

そのほかにも、首相・最高裁長官の「親任式」

大臣や大使などの「認証式」

各国駐日大使の「信任状棒呈式」等々・・・

他にも、各国の貴賓との会見や歓迎行事

晩餐会など超多忙な公務をこなしている。

これは「国事行為」と言われる物がほとんどであり

これ以外にも大事な「宮中祭祀」を毎日のように

こなされているのだから、頭が下がる思いである

次回は「宮中祭祀」について書いてみたい・・・。

                  


◎  天皇の仕事を知る 

古代史から天皇位の継承問題に触れた

そのついでというと語弊があるが、天皇陛下の

務めというか仕事について考えてみたい。


大きく分けて天皇の仕事は三つに分かれている

*国事行為

*公的行為

*それ以外の行為

国事行為とは・・

* 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
 
* 国会を召集すること。
 
* 衆議院を解散すること。
 
* 国会議員の総選挙の施行を公示すること。

* 内閣総理大臣・最高裁長官を任命する事
 
* 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに

 全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
 
* 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
 
* 栄典を授与すること。
 
* 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
 
* 外国の大使及び公使を接受すること。
 
* 儀式を行うこと

この中で、私達が眼にするものとして、国会の召集や大臣の任免、

紫綬褒章など勲章の授与、外国の貴賓を接待するなど、よくニュース

でも見ることが出来る

最期の儀式を行うというのは、即位の礼や、大喪の礼などの行事など

天皇が主宰する行事を言います

ざっと見ても、天皇の意思が働くものは殆んど無く、象徴としての仕事

と考えれば納得です


次に【公的行為】ですが・・・

基本的な考え方は、国事行為以外の象徴天皇として

天皇が行う行事とでも考えればよいのではないでしょうか

具体的には、一般参賀や歌会始、園遊会や宮中晩餐、

外国訪問などです

ここで注目すべきは、原則として公的行為の意思決定は

天皇に委ねられている事です (あくまでも原則ですが)

ただし・・・この公的行為には法的な規定の明文化はされてない


なぜ公的行為の意思決定が、原則としてだけのものなのかは

この公的行為の責任は内閣が負うことになっていて、宮内庁や

内閣が「配慮」と言う名目で、深く介入しているのが事実だからです

言い換えれば、天皇に「私」もなければ、「公」も無いという現実です

内閣云々を問う前に、宮内庁が天皇の下僕である立場を省みず

不敬な介入をすることこそ、皇室軽視の元凶ではないかと思えます

天皇の補佐やお世話をする立場でありながら、「配慮」という名前の

免罪符を多用することに、疑問を感じる国民が多いのではないだろうか


さて、【そのほかの行為】としては、宮中祭祀が代表的である

これは意見の分かれるところだが、天皇制存立の根幹でもある

宮中祭祀を【天皇の私的行為】とする法律が有る事に違和感を

感じるのは私だけだろうか・・・・

日本神道の何たるかを知らぬGHQの、押し付け憲法理念によって

祭祀王たる【日本国元首】の祭祀を私的行為とした過ちは、当然ながら

現代の日本人が糺さねばならないことだと考える

なぜ天皇が日本国の元首であるのかは、綿々と続いてきた日本の

祭祀王としての存在価値が大きな要因である

政(まつりごと)という言葉が示すように、本来は祭る事(祭祀)、

領土を統治すること、豊作を祈願する事はすべてマツリゴト

だった、即ち統治することは祭りを主宰し、賞罰を行うことであり、

人民の上に立つことが「マツリゴト」だった

政治というのは、祭りを主宰し、国を統治し、豊作を計る務めがある

だから「祭る事」を政治の外に置く現在の「政」には、整合性が無いとも言える

次回は仕事の中身に触れてみたい・・・

                  

◎  伝統の中の皇位継承 一系の危機 

これを書くと不敬といわれるかも・・・

この一系とは広い意味での一系であり、広義の万世一系と

いえるものなのだ

万世一系と言われているが、皇室の歴史において

断絶の危機は何度も訪れていた

万世一系と聞くと、親から子、あるいは兄から弟というような

直系の相続継承が成されてきたと思いがちである

ところが今の皇室典範からは想像もできない皇位継承が

行われてきたのである

分かりやすい例で言うと、【世襲宮家】という制度があり

万が一天皇に継嗣が居ない場合に、皇統の危機を救う

役目を担ったのである


現在では【親王】とは、天皇の嫡出皇子と,

嫡男系嫡出の皇子系の男子とをいう

天皇から見て男の子とその子供(男子)を親王という

親王とは天皇の子や孫であるから、それ以外の四世

までの皇親は「王」「女王」と呼ぶ


だが、かつては天皇の兄弟・姉妹と皇子・皇女のみを

親王と呼んでいた時代があり

孫は「王」「女王」と呼ばれていたわけで、その孫が即位すると

当然のようにその兄弟や子が「親王」「内親王」と格上げされて

呼ばれることになったのである

その後、後胤ならば「宣下(せんげ)」を受ければ代々「親王」

を世襲する事が可能になっていった

これを【世襲宮家】と呼ぶ

代表的なのが、四親王家と呼ばれる四家で

伏見宮・桂宮・有栖川宮・閑院宮である


世襲宮家から即位した天皇といえば・・代表的な例で

101代 称光天皇には継嗣が居なくて皇統の危機

だったが、三代伏見宮・彦仁王が即位して第102代 

後花園天皇として即位し危機を乗り切ったのである

世襲宮家の存在が皇統の万世一系をかろうじて繋いできた

という事実は評価できるのかもしれない


明治になって新たに七つの宮家が創設され

その後、更に増えて十家となる(伏見宮から分立)

山階宮(やましな)・中川宮(なかがわ)・久邇宮(くに)

賀陽宮(かや)・朝香宮(あさか)・東久邇宮(ひがしくに)

小松宮(こまつ)・北白川宮(きたしらかわ)・竹田宮

華頂宮(かちょう)・東伏見宮(ひがしふしみ)・梨本宮

そして・・昭和22年、GHQの強制によって、11宮家

51皇族すべて皇籍離脱したのである


これが良かったか悪かったかの判断は私には出来ないが

いらざる継承争いの火種が無くなったとも言えるかもしれない

                  

◎  伝統の中の皇位継承と廃太子 

現在は【皇位継承権】が明確に知らされているが

古の時代では皇位継承権の具体的な順位は

東宮(皇太子)のみが筆頭と考えられ、その他の親王

は限りなくゼロに近い継承権でしかなかった

天皇の意向が優先された時代なら、天皇の意に適った

東宮が次期天皇に就いたのであるが、側近・忠臣と言われる

者たちの推挙が優先され、役人が決める皇位継承になり

その後は、藤原一族の冠位の独占によって、藤原の血脈の

親王が専ら天皇位を継ぐ形となったのである


明文化されていなかった時代、「皇太子」は単なる尊称で、

皇位継承を保証するものではなかったのである


皇太子でありながら、天皇位を継ぐ事ができなかった皇太子もいる

第46代孝謙天皇の皇太子・【道祖王(ふなどおう)】

第49代光仁天皇の皇太子【他戸親王(おさべしんのう)】

第50代桓武天皇の皇太子【早良親王(さわらしんのう)】

第52代嵯峨天皇の皇太子【高丘親王(たかおかしんのう)】

第54代仁明天皇の皇太子【恒貞親王(つねさだしんのう)】

第68代後一条天皇の皇太子【敦良親王(あつあきらしんのう)】

第99代後亀山天皇の皇太子【泰成親王(やすなりしんのう)】

皇太子という制度が明確になった天武朝以降で7人の皇太子が

廃されている


現行皇室典範の骨格を成す考え方に、「皇位継承は国の基本に

関わる重要事項である」事とし、現行憲法に定められた

皇位継承は【世襲制】を大前提とすることであり、「国民意識」と

「歴史・伝統」を尊重する事なのである


あくまでも皇位は「皇統男子」をもって継ぐのが歴史であり伝統である

そこで問題になるのが、なにをもって歴史なのか

何処までを伝統と解釈するのか、という二つの問題が立ちふさがる

【廃太子】という明らかな歴史事実を「歴史外」とするのか

【皇統男子】ではない、皇后の即位を伝統の外と見るのか

あきらかに矛盾する問題をお座成りにして、皇室祭祀を軽視

することと、天皇位継承にかかる不安でもある【帝王学】の問題

を関連させないことは重大な事ともいえる

天皇になる為の帝王学を、国家元首たる儀礼とするのか、祭祀王たる

宮中祭祀儀礼なのかの判断を、蔑ろにしては齟齬を生じる可能性がある


皇室制度の問題は、あくまでも国民の理解を得られるものという基本に

立ち、伝統を踏まえたものでなくてはならないと思う。

ただし・・・此処で言う【伝統】とは、千数百年の皇室の伝統で

あり、明治以後の歪曲された似非伝統のことではない


なぜ「皇統男子」でなければいけないのか?

とても簡単な理由なのである

日本の天皇は権力者ではなく、神代の御世からの「祭祀王」だから

なのです

天皇の一番の務めは、赤子(せきし)のため、国のために祈り続ける

宮中祭祀の継承者である、当然とも思えるこのことを、理解していないと

女系天皇でも良いではないか・・・などという発想になってしまう

天皇が国民の為、国家のためにひたすら祈り続けるには

国民の理解と傍らに寄り添う【皇后】の助力に帰する部分が大きい

ということに尽きる

日本の皇室と欧州の王家との大きな違いは、国と民のために

祈る「祭祀者」であることではないだろうか

言葉で「祈る」などというと簡単に聞こえるが、宮中祭祀の

肉体的・精神的負担はかなりのものである

俄かで勤まることではない

帝王学が意味するものに、宮中祭祀の数々が含まれるかは

知る由もないが、代が変わるたびに、伝統的な祭祀が簡略化

・簡素化、形骸化して行きはしないか不安は尽きない


伝統工芸・伝統技能といわれるものも、一朝一夕で習得できる

わけがないことを考えてみて、実際の帝王学なるものが順調に

進んでいるとは信じられないのも事実だろう

「お手振り」や「晩餐会」、「諸外国訪問」だけで良いなら

万世一系も家系も論外でよい事になる

なぜ万世一系なのか、なぜ皇統男子なのかは、宮中祭祀

にあるのではないか、だから赤子にも敬われ、慕われる

それが日本国の天皇という存在なのでは無いだろうか・・・。


にごりゆく 世を思ふにも 五十鈴川

      すまばと神を なほたのむかな

        (後土御門天皇)


(濁り行く世を思うにつけても、五十鈴川が澄めばきっと

世の中もよくなると、やはり神頼みにすることよ)


いつの時代も・・・困ったときの神頼みなのかもしれない。

                  

◎  聞きなれないヤマトの「家の守り神」 

稀に見る大雪で犠牲者が出る

大きな地震で甚大な被害や人命が失われる

火山が噴火して多くの命が奪われる

猛烈な風邪や雨によって多くの家や人命が

失われる

古来日本ではこれらを 【天変地異】と呼ぶ

上に立つものの【徳】が足りないときに起きる

天の総意なのである


師走も急ぎ足でやって来た

また「年神(歳神)」さまを迎える準備である

注連縄・門松、鏡餅・・・

そんな風物詩も年々観る数が少なくなってきた

クリスマスの飾は年々派手になってきているが

神の国・日本では異国の神が幅を利かせている(笑)


日本には馴染みの少ない神様も多数存在する

【石土毘古神(イワヅチビコ)】

家宅の守り神

家を守り、侵入してくる災厄を防ぐ神様である

日本住宅は木造であるが、床下の支えになる

束石や、壁に用いられる壁土を司る神さまで

「石」や「土」の精霊と考えられる

そのことから家の支えを司る神という観念で

「家の守り神」と言われている

本来は愛媛県にある「石鎚神社(いしづちじんじゃ)」

の祭神で、この神社のご神体が「石鎚山」であり

山の神(地主神)だったということだろう

そもそもの性格が地主神であり、広く一般に浸透していない

神さまの一つでもある

山の神さまは古代宗教の「ご神体」から発展したもので

多くの神さまが存在するが、由緒などが曖昧になり

神徳が変わってしまった神様も多い気がする。

ちなみに石土毘古神を祀る神社は、石鎚神社が

代表であり、私達が眼にすることが少ない神様である

建築業界でも多くの人が知らないで済ませてしまう

貴重な神さまである。

                  

◎  天皇家の継続と武士政権 

日本では天皇家による統治が途絶えた期間がある

いわゆる「武士政権の時代」だ

ここで不思議なのは、諸外国で政権が変われば

必ずと言って良いほど「前政権」は滅ぼされている

ところが日本では天皇家は綿々と繋がってきたのである

なぜ武士は天皇家や貴族勢力を滅ぼさなかったのか


倒した者は 倒される事を畏れる心理

神の末裔を滅ぼすことへの抵抗感


あくまでも私の個人的な思いであるが・・・

そして・・・【藤原氏】を手本とし、天皇家を意のままに

操り、実質的に優位な立場で権勢を振るう道を選んだ

そんなことを考えている



徳川政権が採用した【朱子学】は、「正当な君主」を追求

する思想である

朱子学では、【徳】によって国を治める【王者】と、【力】で

天下を取った【覇者】という二種類の君主に分け

【王者】こそが正しい君主だと説いている。


あくまでも武士政権というのは、武力で治めた政権である

秀吉も家康も【覇者】であって、【王者】ではないのだ

清和源氏の新田氏の支流であった得川氏の末裔だった

松平氏が【得川】ではなく【徳川】を名乗ったのもその事に

関係しているのかもしれない


現代とは違い「怨霊」や「神仏」を重視した時代において

神の末裔を滅ぼすことによる【祟り(たたり)】を回避する

思惑もあったのか・・・・


皮肉にも家康の後、15代の世に徳川の覇者は

王者の末裔によって武士政権の幕を閉じられてしまった

君主とは・・・

徳を持って治世を治める【王者】でなくてはならない

神の国・日の本の君主は、徳が高く赤子を大切に思う

祭祀王でなくてはならない

君主たるものは・・・・名前だけ「徳」ではいけないのである。

                  

◎  ミーの近況 12・04 

最近大人しくなってきたミー


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表情にも幼さが薄れてきた

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とは言っても、お転婆は顕在だ


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大小のネズミとその他お気に入りの数々

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大のお気に入りがネズミの玩具

今まで破壊した数14匹・・・

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ついに私のデジカメのストラップを所望され

彼女の玩具コレクションに入ってしまった(泣)


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キャットフードの空き箱がコレクション入れに・・・



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彼女の首輪は先代の猫の予備だったもの

最近の主流の「引っかかったら外れる」ものではない

試しに最近のものを購入したが、一瞬で後足で外し

「カジカジ」と噛み続け破壊してしまったw

昔のものは引っかかると「伸びる」タイプで

最近は観念して気にもしなくなったようだ

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コタツを出したら遊ぶスペースが無くなり

どうしようか思案中である。


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◎  天皇家の継続と城の関係 

天皇家が長く続いたわけは

日本が島国で、周りに異民族が居なかったから

この「異民族」「侵略者」が居ないことが

現代の日本人の治安や国土防衛の意識に

刷り込まれている

そういう見方もできるのだ

日本には「城」がなかったという説がある


現代でも多くの城が遺されているじゃないか?

城と言うのは本来「首都」を指し、城塞都市を

「城」と呼んだと思われる

天守閣を持った立派な城が出来たのは

戦国時代以降であり、日本人同士でありながら

侵略と言う切羽詰った事情があったから

必然的に「城」が作られたのだろう


古代ではどうだろう・・・

「城」と言うモノの基本的な構造は、城郭で

囲われた城郭都市のことである

中国大陸の城、欧州の城を見れば一目瞭然

南に大きな門があり、北側に支配者の住む宮殿

が造られ、その四方を城壁で囲む

侵略者はたった一つの門からしか攻め入ることが出来ず

戦場から一番遠い北側に支配者がいる形になる

じつに理に適った「城」と言える

ところが日本では、城と言う概念が無かった

南に「南大門」が造られて、北側に皇居が造られたが

城壁と言う「囲い」は造られていない

古代中国や古代ヨーロッパの国々の首都は

間違いなく壮大な城壁に囲まれた「城塞都市」で

周りには多くの異民族や侵略者が存在した

幸いにも日本は「単一民族」と言われるように

異民族が直接首都に攻め込む懸念が無かった

せめてくる「敵・異民族」が居ないから必要ない

そういう事だろう


井沢元彦氏の説によれば、その侵略者とは

騎馬民族、遊牧民族だという

日本には騎馬民族が存在しなかったから

高い城壁は必要なかった

それが何百年と続いてくると、都に侵略者など

来ることがない・・・ならば、軍隊も必要ない

そういう理屈になる

それに付随して「ケガレ」の信仰が大きくなり

警察組織すら必要ではないという、大きな間違いを

犯してしまった

王統や皇統が途絶える原因は、殆んどが異民族に

よる支配者の交代であり、前支配者は悉く命を絶たれた

政権交代は「絶滅」を意味するのである

古代ヤマト民族は「騎馬民族」でも「遊牧民族」でもない

紛れも無く「海洋民族」であり、「農耕民族」なのである

日本の天皇家は「異民族」に侵略されなかったから

現在まで続いている

万が一として、大陸や半島の侵略者が日本を襲えば

間違いなく「天皇家」も日本の上層部も絶滅に追いやられ

死を免れて遺されたものは、「奴隷」という事になるだろう

皇統を守るという事は、国を守ることであり、国土を守り

国の民を守ることなのである

天皇家が続くということは、国土が守られること、国民が

守られること、天皇家が安泰なのは即ち、国が安泰という事

なのである

城壁の無い首都を虎視眈々と狙う「異民族」に、どう対処するのか

日本人はなかなか理解できないのも、古代ヤマト民族のDNAの

仕業かもしれないのである。

                  


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