不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  岩清水八幡宮でのMBレースの賛否 

京都・石清水八幡宮をマウンテンバイク疾走 高低差100メートル参道を一気に駆けおりる ダウンヒル大会開催

 京都府八幡市の石清水八幡宮で29日、約400段の石段をマウンテンバイクで駆け下りるダウンヒルレース「レッドブル・ホーリーライド」が行われ、選手らが神聖な境内を疾走した。

 同八幡宮での開催は、平成22年の第1回大会以来2回目。国内のトップライダーをはじめ113人が参加し、全長約800メートル、高低差約100メートルの参道の石段を一気に下るコースで競った。

 雨上がりの滑りやすいコンディションとなったが、選手たちは果敢に持ち前のテクニックを駆使。気迫あふれるレース運びで多くの観客を沸かせていた。


産経関西版の記事である

最初これを見た瞬間、こんな事が許される今の日本

大丈夫なのか?

正直な感想である

岩清水八幡宮は、伊勢神宮とともに二所宗廟の一社

と言われ、宮中の四方拝で遥拝される一社なのである


日本の神道が壊れてゆく・・・・

神の坐ます「神聖な社」での開催を決めたのは?だれ

宇佐八幡宮の宮司問題、皇室の祭祀簡略化問題・・・

そして岩清水八幡の自転車レース

神はどう思っているのだろうか

神聖という言葉を使いながら、神を冒涜していることには

言及しない現代の記者達・・・

この記事には問題提起の欠片すら感じないのが哀しい

神社が神社である理由は、侵し難い神聖な場所で

あるからで、神とは無関係な俗事を執り行うことには

大きな疑問を感じる

「世は変われども神は変わらず」-八幡大神御託宣-

実際は世の中も、神の尊厳も大きく変化し、神を神とも

思わぬ所業に胸が痛む・・・

不敬を承知で言うなら、カネの為なら神域も貸し出す

商売熱心と八幡大神も喜んでいる事だろう

これが伊勢神宮で開催すると言ったら、宮内庁は

どう対応するのか聞いてみたい気がする

            
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◎  皇室と譲位と禅譲 

【譲位】

この言葉は「古語辞典」には載っていない

意味としては、、世襲を原則とした地位の継承で、君主がその

地位を生きているうちに後継者へ譲り渡す行為である


では、君主が適任と思う人物に、譲り渡そうとするときはどう呼ぶ?


君主がその人物が有能で相応しいと思える人間に譲る場合には

【禅譲】という

そして、現日本国の皇室典範では、譲位は認められていないし

天皇が自ら皇位後継者を指名する事もできない

表面上の趣は変わっているが、中身は古(いにしえ)の臣下が

次期天皇を決めていたのと大差ないとも解釈できる

天皇は崩御するまで【退位】、【譲位】【禅譲】ができない理由は

明治政府がひねり出した、政府の防御策だったとも考えられる

政府と天皇が意見対立した場合、抗議の意味で退位する事を

畏れるあまり、批判が政府に及ばぬよう退位を禁じたとも思える

高齢化社会を迎え、君主も高齢化することは必定であり、何らかの

手を打たなければ、皇室祭祀そのものが形骸化してしまうことも

懸念される

【廃太子】

いまではネットを中心に、この言葉が注目されているが

現行の皇室典範では、皇太子の皇籍離脱は認められておらず、

皇位継承権の辞退もできないことになっている

しかし旧・皇室典範では、皇族に関する懲戒を定めており、

廃太子も法的に可能だった(旧典範 52条)

皇室典範を改正しようとすれば、文字通り命がけで阻止する

勢力が暗躍することが予想され、国会議員・有識者・皇族も

なかなか着手できない問題となっている

ネット上の見解を総じて考え観ると、最悪の場合「形式的な皇室」

となるか、皇室制度自体が消滅することも・・・

天皇だから「尊い」と考えたのは過去の話で、祭祀王たる元首に相応しい

次代の「日本国天皇」を渇望しているように思える

政治的にも絶対的権限を持たない「天皇」に、何を望むかと言う

話であり、祭祀を宗教活動と愚かな判断をする「宮内庁」の解体

こそ、「新しい皇室」を生み出す起爆剤になるかもしれない

日本の天皇(すめらみこと)は、大ヤマトの国の祭祀王である

祭祀に携わらない祭祀王が果たして必要なのかどうか

祭祀を忌避する皇后は日本国に必要なのかどうか

(皇室典範に「廃太子」の国民投票制度でも

明記すれば、別の展開も考えられるのだが・・・ )

地道な啓蒙活動をすることで、新しい皇室が見られるかどうか

私にとっても、残された時間はそう多くはない気がするのである。

(一部政治的な表現があることはご容赦願いたい)

                  

◎  素戔嗚尊を祀る神社 

須我神社(すがじんじゃ)

島根県雲南市にある神社で、

通称 日本初宮(にほんはつのみや)という

祭神は【素戔嗚尊】 【奇稲田比賣命】

 【清之湯山主三名狭漏彦八島野命】

 【武御名方命】

清之湯山主三名狭漏彦八島野命は、素戔嗚尊

と奇稲田比賣命の間に生まれた御子だという

武御名方命(たけみなかた)は諏訪大社の祭神であり

天文年間に地頭職が赴任するとき、諏訪から勧請した

物だと言われている

出雲から諏訪に落ち延びたとされる「タケミナカタ」が

時を経て、出雲に里帰りしたことになるのか?

この神社の別称の【日本初宮】というのが興味深い

祟り神・素戔嗚尊を祀ったのが、日本最初の神社だった

とはとても重要な話に聞こえる

出雲風土記には、此処を【須我神社】として、この地を

須賀山、須賀小川などと表現している

須我は須賀であり、素我とも曾我・蘇我とも考えられる

古代ではa u o は入れ替わる慣習があった

サガ スガ ソガ は同音だった可能性がある

それを踏まえて考えると、「蘇我氏」はまさにこの地が

本地ではなかったのか・・・

蘇我氏が素戔嗚尊の子孫だとすれば、アマテラスを

祖とする天皇家と同族という事になる


須佐神社(すさじんじゃ)

島根県出雲市にある神社

祭神は、【素戔嗚尊】 【稲田比賣命】 【足摩槌命】

 【手摩槌命】

素戔嗚尊の本宮として須佐大宮、出雲大宮と言われてきた

宮司はこの地の国つ神の末裔である「須佐宮司家」が代々

担ってきている

現在78代目の宮司だといい、古くは「国造」を命ぜられた事も

あるという

出雲国造は北島家・千家家だけではなく、須佐家も襲名していた?

新たな発見かもしれない・・・・。


大神山神社(おおがみやまじんじゃ)

鳥取県米子市    (本社)
鳥取県西伯郡大山 (奥宮)

主祭神 【大己貴命(おおなむち)】

通称 大山さん

ご神体は「大山」という神体山であるが

なぜか主神として「オオナムチ」が鎮座している

大山は古来から「神おわす山」として、「大神岳」と称されていた

私が興味を持ったのは、ご神体が「山」であり、主神が

「大己貴命」ということである

三輪にある「大神神社(おおみわじんじゃ)」も

三輪山がご神体であり、大己貴命が主神である

なぜ大神と書いて、おおみわと呼ぶのか・・・

その原点は此処にあるのではないか

・・・と感じたのである

三輪で宮司を務めていた「大神氏」も本来はオオミワでは

なく、おおかみ・おおがみでは無かったか?

三輪にある大神神社が、何かの不都合から

大神と書いて大三輪の呼び名を使い、オオミワと

呼ぶようになった

大山(大神岳)の信仰形態が先なのか後なのか

判断できないが、何かの関係があると思えてくる


世間で言うように、スサノオとアマテラスが兄弟なら

扱いの差が極端であり、意図的に消されたようなスサノオ

最高の扱いを受けるアマテラスの違いを説明するものが

見当たらない

悪行三昧の半生と、善行の神としての半生

人生の最後が消されたようなスサノオの処遇

人は死ぬが、神は死なないという概念は意味を成さない

祭神として鎮座している事が、死を意味するのではないか

どうしても・・

古代の息遣いが聞こえてこないのである・・・・。

                   

◎  おとぎ話 「浦島太郎」 2 


玉手箱 

絵本で見た玉手箱は、おそらく漆塗りで

組み紐で結んであった気がする

どうして「玉手箱」と言うのだろう?

美しく飾られた手箱(手で抱えられるほどの木箱)のことを

玉手箱というらしいが・・・。

古代では何を入れる箱を「玉手箱」と呼んだのか


中に財宝や宝物を入れるのは「宝箱」だそうだ

とすれば、玉手箱には「宝」は入っていない気がする

たまてばこ

タマ はアイヌ語で 首飾りのことだ

首飾りは勾玉とも考えられる そんな時代に函が

存在したのだろうか?

タマ は【魂】とも考えられる 仏教が浸透するまでは

肉体を離れた「魂」は海の底にある「黄泉の国」に行く

と考えられていた

竜宮城は「楽園」ではなく、あの世だったとすれば

魂の意味するものは何?


間違いなくヤマト民族は「海洋民族」である

海を渡ってヤマトの地に辿り着き、海の民の宗教観と

誇りを保持してきた

神話の殆んどが「海」の匂いがするのは、そのためだろうと

思っている

出雲の国譲り、神武東遷、神功皇后征西、どれをとっても

海が背景にある神話なのだ


北部九州を代表する神社・宗像神社には

とある伝承が残っている

九州に遠征し、朝鮮半島に攻め込もうとした

神功皇后は、竜宮城の海神(わたつみ)に

妹を差し向けて、 『その昔、海神と私(神功皇后)

が親子だったよしみで協力して欲しい』
と頼み、

呪術に用いる「玉」を貰い受けたという

神功皇后は海神の娘(姫)であったというのだ

そして海神が住む場所は海の底にある竜宮城で

その竜宮城から「玉」を貰い受けたと言うのである

浦島太郎が神功皇后と結びついてしまった・・・。


ここで気になるのは、「神功皇后」という女性

125代も続く天皇家、数多要る皇后の中で、即位も

していないのに、これほど活躍し歴史に残された女性とは

いったい何者なのだろうという疑問

日本書紀は邪馬台国が神功皇后の時代にあったように

記述している、これも不可解である

そして神功皇后に付き従った「竹内宿禰」が300年生きた

というのだから、浦島太郎を連想させる話である

神功皇后は卑弥呼のようで卑弥呼ではない

竹内宿禰は浦島太郎のようで浦島ではない

神功皇后が長らく滞在した宮は「豊浦宮(とゆらのみや)」

妹が「豊姫」であり、邪馬台国2代目女王・トヨを思い起こす

朝鮮出兵の前、山門県(やまとのあがた)で土蜘蛛(田油津媛)

を殺した、それを聞いた田油津媛(たぶらつひめ)の兄・夏羽が

逃げてしまったという

飛躍して考えると、殺された田油津媛とは「卑弥呼」であり、それを

助けていた兄弟が夏羽(なつは)だったのではないか

その結果、二代目卑弥呼(トヨ)がヤマト国を手中にした

卑弥呼を殺して「男王が立った」というのは、仲哀天皇のことで

その後乱れたので、「トヨ」が立って治まったという事なのか


明らかに8世紀の朝廷は、ヤマトの成り立ちを熟知していた

知っていたからこそ、肯定もせず否定もせずの曖昧な記述

によって日本書紀を編纂したと思える

3世紀から8世紀にかけての話を、清書したのが本当だろう


もう一つ、7世紀の女帝・推古天皇の宮が『豊浦宮』だった

偶然にしては出来すぎである

私は常々推古天皇は男性だったか、架空の天皇だったと

思っていて、その根拠の一つが豊浦宮なのである

神功皇后の話が「神話」や「創作話」であったなら、7世紀の

「豊浦宮」との関係が興味深くなるし、神功皇后の神話がある程度

史実を踏まえていたとすれば、推古天皇の即位に不可解さが

募るのである

内陸部である飛鳥の地に、どうして海を連想させる「豊浦宮」

だったのか、さらに当時の宰相は「蘇我馬子」である

馬子の別名は「嶋大臣(しまのおおおみ)」

豊浦宮の嶋大臣・・・・浦 嶋 が見えてくる

豊浦の嶋 浦の嶋子 何と浦島太郎の別名だ


神功皇后は仲哀天皇の最期を看取ったが、その時

傍に居たのは「竹内宿禰」である

ある説によれば、皇后と竹内宿禰が共謀して天皇を

殺したのではないかと言うモノまである



住吉大社・宗像大社の伝承を総合すると、仲哀天皇が

死んだ夜、神功皇后と竹内宿禰が【夫婦の秘め事】を

したといい、その子が応神天皇だと言うのである


浦島太郎の話は、蘇我氏を滅亡させた藤原氏の

苦肉の策だった、蘇我氏の業績、血統、歴史を

隠した後に、ポッカリ開いた歴史の空白を、埋めるための

壮大な神話だったのだろう

玉とは「ヒスイ」のことであり、ヒスイを守り続けてきた

のは蘇我氏であり

ヒスイは海の底から拾い上げてくるものである

ヒスイの玉は竜宮城の海神が持つ「神宝」であり

玉手箱の煙は、曽我氏の滅亡という運命を表した

藤原氏一世一代の創作話かもしれない


書き残すには必ず通常ではない何かが存在する

普通でない特異なことだから【書き残す】のである

少なくとも、伝承や古事が8世紀までは存在していた

その「雛形」を編修したのが「日本書紀」なのである

                  

◎  憂鬱な日々 その原因は・・・・ 


数日前からgooブログ(花はそっと咲き静かに散れ)の

更新が思うようにならない

いわゆるフリーズした状態でどうにもならない

一本の政治題材を書くにも数時間を要する

だが、このブログは全然問題なく更新できている

PCが原因なら、こちらもフリーズしなければ

辻褄が合わない


  もしかすると「虎の尾」を踏んだのか?

(GooやFC2に引っ越した理由は↑が原因)



それとも単なるgooサイトの不具合なのか?

有料にしてから、レイアウトの崩れや、メールの

不調が多くなった


おかげでストレスばかりがたまり、古代史を考える

時間も意欲もなくなってしまった

これを機にPCを購入する計画を立てようと思う

ニュースを見たり、メールを確認するのはタブレットで

写真や音楽の管理、ネット通販は現在のPCで

ブログに関するものは新しく購入するPCでという

使い分けをしようと考えている

そもそもこのノートPCはデスクトップに問題が起きたときの

ための「予備機」として購入した廉価版で、性能も高くは無い

ブログの更新に、これほど時間と気力を浪費しては、何のため

にPCの前に座っているのか疑問を感じてしまう


ご多分にもれず、私の仕事もパッとしない状態で

先行きに不安はあるのだが、何時まで生きていられるか

わからないとなれば、今を大事に自分の思うとおりに

生きてみるのも有りなのか・・・。


いまどき 「欲しがりません 勝つまでは・・・」

とは時代錯誤であろう

ブログが生活の一部になった今

重要な生活必需品のパソコンなのである。

                 

◎  おとぎ話 「浦島太郎」 1 

童話 一寸法師 の「本当の話」をご存知だろうか?

我々が知っている(聞かされてきた)おとぎ話は、

大人たちの「教育的配慮」から、子供向けに改竄された

お伽話なのである


一寸法師は子供が出来ない老夫婦が、住吉大社に

願掛けして生まれた・・・

ところが、何年経っても背が伸びなかったので、不気味に思い

「こいつはバケモノか何か、そういう類に違いない」と捨てられ

てしまったのである

都に出た一寸法師は、罪の無いを「コメ泥棒の下手人」に

仕立て、呆れた親に姫は放逐されてしまった

身寄りの無くなった姫は、しかたなく一寸法師と運命を共に

することになっってしまった。


これが、童話・一寸法師の真実である


むかし~ むかし~ うらしまは~・・・・

さて、本題の「浦島太郎」だが

どうして「太郎」なのか?

私にもわからない(笑)

太郎という名前から考えてみれば、鎌倉時代前後

武士などが台頭し始めた頃に、「太郎」が定着した?

そんなことを思っている。

このお伽話・浦島太郎だが、他のおとぎ話とは大きな

違いがある

それは「日本書紀」「古事記」「風土記」など、古代史の

古文書が、浦島太郎を記録しているのである

8世紀の宮廷人たちに、浦島太郎は認知されていた

証明だと思えるのである

ヤマトの一地方の伝承ではなく、日本古代史の根幹に

関わる話だった可能性もある


ではその古文書の記述を簡単に・・・

【日本書紀】

雄略天皇(5世紀後半の天皇)の時代の人で、竜宮城

に3年居て、帰ってきたら300年後だった。

逆算すると、2~3世紀の人で、帰ってきたのが5世紀後半か

5世紀の人で、戻ってきたのが8世紀後半(玉手箱を開けた)

だった事になる。

【古事記】

神武天皇がヤマト建国をもくろんで、瀬戸内海を進んでいたとき

《釣り竿をかかえ、亀に乗ってきた男が水先案内人を買って出た》

と記録している

釣り竿を抱え、亀に乗る男・・・といえば、浦島太郎のことだ

浦島太郎が、神武天皇の水先案内を買って出たことで

ヤマト建国の「手助け」をしたと言うのである

【丹後風土記】

浦島太郎は、日本海側の丹後半島の人であったと記している


竜宮城は「海の底」にあるという

そこへ行くには【亀】に乗って行かねばならない

亀に乗って海の底に入り、玉(玉手箱)を取って来る

開けてはいけない「玉手箱」は何を意味するのか?

「玉」といえば、勾玉を連想し、「ヒスイ」も見え隠れしてくる

日本海側の丹後半島の人であれば、越のヒスイとも

縁がありそうな話だ・・・

どうして玉手箱を開けたら「おじいさん」になったのか

違う生き物になるとか、死んでしまったとか、竜宮城に

舞い戻ってしまうとか、いくらでも「落ち」は考えられる


ということは・・・「おじいさん」にならなければ、話の筋が

変わってしまうからという事になる

おじい 翁 老人 ・・・

古代史・神話にも老人は出てくる シオツチノオジ

日本書紀には、塩土老翁・塩筒老翁で出てくる

古事記には、塩椎神(しおつちのかみ)として

先代旧事本紀では、塩土老翁と記されている

日本神話に登場する神であり塩竈明神といい

別名 事勝因勝長狭神(ことかつくにかつなぎさ)という

「日本書紀」の神武東征の記述では、塩筒老翁が

東に良い土地があると言ったことから神武天皇は東征を

決意したという

また、天孫ニニギに、事勝因勝長狭神が自分の国を

譲ったといい、一書では事勝因勝長狭神は別名・塩土老翁

でイザナギの子であるとされる。

シオツチとは「航海の神」で、塩土老翁は情報提供し、とるべき

行動を指し示す役割になっている

これこそ、神武天皇の水先案内を買って出た「亀に乗った男」を

表しているのだろう。


次回に続く・・・

                  

◎  呼び名が多い人物  

呼び名が多い人物

葛城皇子、中大兄、中大兄皇子、天命開別尊、開別皇子

近江天皇、淡海帝・・・

天智天皇と呼ぶほうが判りやすい

私はどうもこの天皇が即位していたとは思えないのである

史書にも書いてあるから間違いない?

そこが難しいところで、書いてあるから事実、書いてないから嘘

というのはもはや意味を成さないところである

私はこの天智帝は「即位の資格が無かった」皇子だった気がしている

乙巳の変の誅殺が真実ならば、世間で言われるような出自で

あるならば、もっと早くに即位していて当然なのである

即位しなかったのではなく、即位できない身の上だった・・・

父親が舒明天皇というのも本当かどうか・・

母親が斉明天皇というのも確かかどうか・・・

私は天智天皇も天武天皇も、即位する資格が無かったか

あるいは皇位継承候補の末席に位置していた人物だった

そんな事も考えている

皇太子でありながら、父親が崩御して即位しないというのは

即位できないと見るべきであり、何らかの欠格事由があった

そう考えるのが普通である

常識的は推理をするならば、母親の身分が相当低かった

あるいは母親が入内する前に生んだ子だった

そういう事も考えられる

この時代は天皇の子であっても、母方の身分が著しく低いと

酷い扱いを受けたこともあっただろう

正史は藤原の子「不比等」が編纂を指揮した

藤原と中大兄皇子は一蓮托生の間柄であり

藤原を権威付ける最大のブランドが「天智天皇」である

少しでもおかしな事は残すわけには行かない

そんな事情が透けて見えるのである


多くの名前・呼び名・通称をもつ人物は、大概の場合は

架空の人物か、複数の人物の集合像かである

いろいろな呼び方をされた=実在感を強調する目的

異名が多い=人臣に広く慕われていたと強調

呼び名が多数=本当は民衆から疎んじられていた

私にはそう思えるのである。



中臣鎌足は蘇我入鹿を殺し、蘇我本宗家を滅ぼした

その息子・不比等は蘇我倉山田麻呂・物部麻呂を殺め

物部・蘇我両豪族を没落させた、そこには

「和をもって尊しとなす」の国是は何処にも見当たらない

ヤマト民族であるなら、此処まで非情な仕打ちは出来ないはず

どこかの国の「一党独裁政権」を目論んだようにも感じて

「嫌われ者 世に憚る」の象徴を観るようである。


次回は「浦島太郎」を考えてみたい

                  

◎  蘇我の悪と藤原の正義 


風邪を引いているので、できるだけ本を

読み返そうとしている

気づいた事は、どの神さま神話を推理して

行っても、出雲と伊勢に帰着すること

どうして出雲大社が立派な建造物なのか

どうして伊勢神宮が両宮であるのか

浦島太郎の話が単なる民間伝説の範疇を

超えている事などを好き勝手に妄想してみた

答えは・・・藤原の都合で創られた歴史

総ては藤原の正当性を誇示するためのもの


蘇我入鹿の別称が沢山あること

聖徳太子の別称が沢山あること

どちらも「蘇我系」の人物である事


蘇我は「宗我」であり、「スガ」でもある

出雲大社の裏手にある素戔嗚尊を祀る社が「須賀の社」であり

須賀=宗我=蘇我 と思える


なぜ入鹿や太子に沢山の名前が存在するのか?

藤原氏は「蘇我」を倒して、権力の頂点に立った

通説のように蘇我氏が「とんでもない悪」であるなら、

ここまで執拗に糾弾する必要は無いだろう

藤原にとって、あくまでも蘇我は「稀代の悪者」でなくては

困る事情が有ったという事だろう

蘇我の悪行の第一は、太子の血脈を絶えさせたこと

これが通説である

その太子が素晴らしい人物であればあるほど、蘇我の

悪行は罪深いことになり、太子礼賛の裏事情でもある


ここまでは多くの歴史家が指摘してきたことである

私はこれに付け加えて、もう一つの推理をしてみた

たしかに藤原氏にとって、不都合な蘇我氏であったろうが

事件の犯人は「最も益を被る者」であり、最初から

藤原氏が利を受けたかというと、ちょっと疑問が残るのだ

持統天皇時代になって、ようやく陽の目を見たというのが

本当ではないだろうか

世間で言う「藤原鎌足」などは、後世の創作説話の部分もある

なにせ基準になるのが藤原が編んだ「正史」なのだから・・・

思わぬ展開で、漁夫の利を得た藤原不比等が考えた

藤原一族の正当性に陰を落とす問題は、ヤマト建国の

功労者である名門・蘇我氏を滅ぼした所業である

天皇家と深いかかわりを持ち続けてきた蘇我氏を

いかに悪者に仕立て、貶めるかが重要だったわけである

その名脇役に選ばれたのが「聖徳太子」という偶像

血筋・能力・政策・功績など褒めすぎるくらい褒めまくり

そんな聖者の一族を滅ぼした蘇我氏はこの世で最も邪悪

な一族であったという筋書きだろう

だからこそ、この世で最大の悪を滅ばした藤原は権力の

頂点にいる事が相応しいという論理である

おそらく聖徳太子と言う人物は架空の人物だろう

(戦国時代の武士でさえ、一族が滅んだといっても

後になって傍流が残って続いていたなどという話も

現存する)

山背大兄王の一族と言われる中でも、自死した中に

含まれて居ない名前もある(藤原出自の女)のに・・・

おそらく山背大兄王も架空の人物である可能性が高い

人間には本来「種の保存」という宿命を持っている

身代わりを立ててでも、血筋は残すものではなかろうか

それがゼロと言うのは、いくら飛鳥の時代でも、不可能に

思えてならないのである

藤原にとって好都合と不都合の歴史が、日本の歴史の抹殺と

日本の歴史の改竄をして、神話の中に投げ入れてしまった

私にはそう思えてならないのである

神話の不思議と蘇我、出雲・伊勢、ヤマトと卑弥呼・・・

織り交ぜながら、通説のお浚いとその裏を推理して行きたい

次回は、もう一人の名前の多い代表について考えたい

                  

◎  海外の神社  

あいかわらず鼻水と格闘中の長屋の爺です

今日は軽い咳も出てきて、病人みたいで

これではいけないと、腹筋マシンで体を動かしてみた

軽い運動なので問題も無く、少し楽になった気がする

病は気から・・・なのか?


さて、日本と言えば神社、神社と言えば日本である

はるか南の島に神社が在ると言ったら、信じますか?


【南洋神社(なんようじんじゃ)】

パラオ共和国 コロール島にある 

かつては9万6千坪もの広大な敷地だったという

主祭神は「天照大神」 

終戦の後、廃社になったが1997年跡地に再建された

現在はパラオの祖先神と大東亜戦争の戦死者を合祀している

埼玉県越谷市の久伊豆神社(ひさいずじんじゃ)には

南洋神社をしのび、戦没者の慰霊の為平成16年に

「旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遥拝殿」が建てられた


【ペリリュー神社】

パラオ共和国 ペリリュー島に現存する神社

主祭神 「天照大神」、

     「ペリリュー島で戦死した日本兵・軍属」

この神社も1982年に再建された神社である


この神社には、ある石碑が建てられている

「諸国から訪れる旅人たちよ この島を守るために

日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い、

そして玉砕したかを伝えられよ

 米太平洋艦隊司令長官 C・W ニミッツ」

米国公刊戦史には・・・

「この島を訪ねる、諸々の国の旅人たちよ、あなたが

日本を通過することあらば伝えて欲しい。此の島を死んで守った

日本軍守備隊の勇気と祖国を憶う その心根を・・・」とある。

この石碑は英文と日本文で彫られ、英文が正面、日本文が

裏面に彫られている。

このペリリュー島には、「ペリリュー島の桜を讃える歌」という

ものが存在する

この桜は、桜花であり、日本兵のことでもあり

玉砕の最期の打電 【サクラ サクラ】 でもある

靖国神社だけでなく、異国の地の神社に英霊として

今も眠っている先人がいる

靖国は先人の心のふるさとであり、墓所ではない

それを理解できる事例がパラオの神社なのである。


「ペリリュー島の桜を讃える歌」

1、激しく弾丸が 降り注ぎ

 オレンジ浜を 地で染めた

 強兵たちは みな散って

 ペ島は総て 墓地となる

2、小さな異国の この島を

 死んでも守ると 誓ひつつ

 山なす敵を 迎へ撃ち

 弾撃ち尽くし 食料(しょく)もない

3、将兵(へいし)は”桜”を 叫びつつ

 これが最期の 伝へごと

 父母よ祖国よ 妻や子よ

 別れの”桜”に 意味深し

4、日本の”桜”は 春いちど

 見事に咲いて 明日は散る

 ぺ島の”桜”は 散り散りに

 玉砕(ち)れども勲功(いさお)は 永久(とこしへ)に 


5~8番は省略・・・。

ちなみに、パラオではデンワ・デンキ・アブラ・センキョ

ベントー・サルマタが日常使われていて、口癖は・・・

ダイジョウブだそうである(笑)

パラオ共和国は台湾と並ぶ世界有数の「親日国」である。

                  

◎  どうやら風邪のようで 

どうやら風邪をひいたようで・・・

数日前から鼻水と喉の痛みが酷い

鬼の霍乱と言われて、反論できないでいる

もう少し症状が改善するまで、更新は未定ということに

心配するほどの風邪ではないので、すぐに復帰できると

考えています

ご理解のほど、どうぞ宜しく・・・

                  

◎  ミーの近況 11・05 

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季節はゆっくりと移ろうものと思っていたが

なにやら足早に季節が動いている

初秋から一足飛びに「冬」のような気候である

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わがままミーちゃんは、相変わらず悪戯ばかり

フスマもジュータンも、酷い状態である

本当に メス猫 なの?

と皆に言われている(笑)

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部屋が改装中なので、自由に遊べないので

少々不満かもしれないが

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仕事から帰って、部屋の戸を開けるのが怖い

どんな惨状になっているのかドキドキものだ

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大人しく写真さえ写させてはくれない

寝込みを襲うしか手が無い・・・

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起こしてしまったら、遊びに付き合わされてしまう

はらはらドキドキの瞬間である

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今月後半には、病院に連れて行かなくては

忙しいなんて言っていられない現実が待っている。

                   


◎  三種の神器と三貴子 6 


日本列島を東西に分ける基準

古代ではどのように認識していたのだろう


fossa magna (フォッサ マグナ)

「大きい裂け目」の意味である

通常は【糸魚川静岡構造線】と呼ばれる

日本列島の真ん中辺りを南北にむすぶライン

太古の昔はこの裂け目が、人や動植物の往来を

阻んでいたらしい

これは古代でもその影響は残されていたと考える

その中心にあるのが「諏訪湖」である

それだけを考えても、信仰の対象にならないというのは

信じられない話であり

古代諏訪湖信仰がなぜ残されていないのか

どうしても理解できないのである

大きな山や大きな川は古代信仰の対象であった

湖とて例外ではないだろう


糸魚川(いといがわ)

この読みも「いとい」であり、古代の音は多少違っていただろう

イトゥイトゥイエ

アイヌ語で「篩(ふる)って糠を飛ばす」「篩(ふる)うこと」だ


この地方では「翡翠(ヒスイ)」で有名な土地である

糸魚川一帯は世界最古のヒスイの産地で、糸魚川以外では

ミャンマーから算出される貴重な天然石なのだ

ヒスイは勾玉の材料となる

河の河口付近で、砂を篩いにかけてヒスイを採った

そのことから、イトゥイトゥイエの川(イトイガワ)と

呼ばれたのではないだろうか

発掘で出土するヒスイ(勾玉)は全て糸魚川産である

古墳時代から弥生時代に勾玉は作られていたが

ある時期を境に、忽然と消えてしまう・・・

理由は諸説有って、定かではないが

出雲の衰退と関係があるという説を、私は支持している


勾玉の製作が途絶え、ツクヨミが闇に消えて

宮中に「勾玉」が残された・・・

天皇は勾玉を護持し、鏡と剣は外へ出した

勾玉だけが天皇家に祟らなかった理由が知りたいと

思っている

鏡 アマテラス 伊勢神宮内宮

剣 スサノオ  熱田神宮

玉 ツクヨミ   宮中

これは、あくまでも天武天皇以降のものであり

当初は違っていたと考えている

私は・・・鏡はもっと昔には、別の神社にあったもの

で、天武天皇の時代に、伊勢に遷された考える

剣もその昔、出雲・杵築大社にあった「宝」を

出雲から取り上げ、最終的に熱田神宮に遷った

最後の「玉」は天武天皇が、自身の権威の象徴として

勾玉=天武天皇という意味で、三種の神器に加えた

故に鏡と剣は奪ったもので、祟りの要因は理不尽な手法

で手に入れた「罪の意識」による自覚現象だった

だから「勾玉」は祟ることも無く、今もって天皇家に保管

されているのだろう

勾玉=ツクヨミ は、勾玉=天武天皇 でもある

伊勢大神としてアマテラスと並んで坐する神は

ツクヨミ神でもある天武天皇ではないか

外宮の祭神は天武天皇(ツクヨミ神)であり

後に天皇が神になった事実が無い事から

外宮の祭神を「トヨウケ大神」に摩り替えた

だから男千木である外宮の祭神が女神という

不思議な現象になってしまった


あくまでも長屋の爺の仮説・空想でしかないが

しばらく時間をかけてまとめを考えてみたい

                  


◎  三種の神器と三貴子 5 

三種の神器の記述は「古事記」にも出てくる

古事記では八尺の勾璁、鏡、また草薙剣という

記述がある

日本書紀では書かれていないが、第一の一書に

八尺瓊の曲玉及び八咫鏡・草薙剣として記されている


そう・・・順番が決まっているのである

勾玉~鏡~剣 の順番は同じなのだ

本来ならアマテラスの分身である「鏡」が最初で当然

の気がするが、なぜか勾玉が最初という謎

私は「十種の神宝(とくさのかんだから)」がどういう

経緯で「三種の神器」に変わったのか興味深く感じて

いるが、この順番も一つの手がかりになるやもしれない


神話と言う言葉がある

神話と聞けば何千年の時間を連想するが、日本の神話は

確かめられるのが古事記の時代からである

あると思えば有ったかもしれないし

ないと思えば無かったかもしれない

その起源を確認できるのは『天武天皇』の時代から

すべてはこの時代から後に起こっている


並坐五十鈴川上、謂伊勢斎大神

これは「先代旧事本紀」に書かれている三貴子の記述

部分である

語訳すると、【五十鈴川の河上に並んで坐す、

        伊勢に斎き祀る大神という】

これだけを読んでも、何のことか理解できない

その前の部分から書くと・・・

左の眼を洗ったときに生まれた神は天照太御神

と名乗り

右の眼を洗ったときに生まれた神は月読命と名乗り

五十鈴川の河上に並んで坐す、伊勢に斎き祀る大神という

鼻を洗ったときに生まれた神は建速素戔嗚尊と名乗り

出雲国の熊野の杵築神宮に坐す。

書いてあるから事実で、書いてないから虚偽というつもりはない

伊勢にアマテラスとツクヨミが並んで坐しているという

それも・・・大神としてである

伊勢の内宮は「女千木」、外宮は「男千木」である

通説による祭神は共に「女神」という事になっている

今までも不思議・謎である事は述べてきた

この「先代旧事本紀」の記述を信じるならば

まさに外宮に祀られている祭神は「ツクヨミ」だと

いう事になる

伊勢神宮に祭られているのは、内宮に「皇祖神」

アマテラス、外宮には「ツクヨミ」が祀られ、杵築大社

には「スサノオ」が祀られている事になる

ではなぜ、外宮先拝なのだろう?

本来は高位の神からお参りするのが常識である

天つ神・皇祖神であるアマテラスより高位の神?

ツクヨミ神はそういう立場だという事になる・・・

もう一つ、どういう理由で「トヨウケ神」などという

別の神を祭神と称しているのか

さらに考えてみたい・・・

                  


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