不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

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◎  丹生都姫と記紀 

さて、丹生都姫あるいは丹生都比売という

神名は「記紀」の何処にも出てこない

丹生神社、丹生都比売神社、丹生川上神社などの

神社が存在し、祭神となっていながら、無視された

姫神なのである

記紀の不思議、「銅鐸」と「丹生都比売」

抹殺された古代史の代表かもしれない


一説によれば、丹生都比売と天照大神は姉妹だという

記紀に出てくる名前は、「稚日所尊(わかひるめのみこと)」

アマテラスの妹、丹生都比売の別名である

詳しくは もう一度アマテラス を参照してください

もし、アマテラスと 丹生都比売が姉妹だったとしたら

どうして「記紀」が抹殺してしまったのか?

神武天皇の同族のことなのである。


稚日所尊は日本書紀の一書(あるふみ)に

【スサノオが馬の皮を剥いで機殿に投げ込み

機織をしていた稚日所尊が驚いて、機から転げ落ち

梭(ひ)という横糸を通す道具で陰部を突いて死んでしまう】


この話も、箸墓古墳の倭迹迹姫命の話に似ているのである

倭迹迹姫命は「大物主神」の妻と言われている

大物主は大国主でもあり、出雲の最高神・大王だ

倭迹迹姫命=稚日所尊=丹生都姫 という仮説もできる


本題に戻る

丹生都姫を祭る神社は、ある特定の地域に祀られていない

東日本、大阪、愛媛、山陰地方、福岡、九州南部・・・

これは何を意味している?

じつに奇妙な事例であるが、とりあえず宿題としておこう


とにかく、現代の調査でも地下に「水銀の鉱脈」が確認できる

土地には必ずと言って良いほど、「丹生都姫」が祀られている

神社がある

丹と丹生都姫と丹生神社は、切り離せない関係であり

それを無視する「記紀」の企みが見えてこないのである。

もう少し、丹生都姫と丹を探ってみたい・・・。


               


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◎  神武東征における阿多・葛城との関わり 


私事で恐縮だが、ここ数日体調がおもわしくない

かるい風邪のような気もするが、調子は最悪である。


仕事が立て込んでおり、GWもこどもの日だけが休日

休む事も医者にかかることもできない状況

寝込むほどの状態でも無し、仕事に差し障るほどでもない

まぁ 人は病気では死なない、死んだ時が寿命 が信条である

何とかなるだろうと、C調気分で暮らしている爺だから

大事には受け止めていない(笑)


さて、阿多と丹の関係を、ちょっとだけ整理してみたい

神武東征で、河内国から侵入を試みたが、先住民の抵抗に遭い

紀伊・熊野に迂回して紀伊から大和に攻め入る事にしたと

「記紀」に記されている。

その中に、吉野を進軍する途中、吉野の三部族と出会ったとあり

阿陀の鵜養(うかい)の祖 【贄持(にえもつ)の子】

吉野の首(おびと)等の祖 【井氷鹿(いひか)】

吉野の国巣(くず)の祖 【石押分(いわおしわく)の子】

阿陀の鵜養とは文字通り、鵜を飼い慣らし、漁業をする海人

阿多隼人のことと推測できる。

井氷鹿について、古事記に詳細が残されている

【尾のある人が、井から出てきた。その井には光があった。

 その人は国つ神で、名は井氷鹿】

井氷鹿とは「井光(いひか)」のことであり、井が光るという

わからない記述だが、「井」と聞けば我々は「水の井戸」を

連想するが、本来「井」とは、丹をとるための「丹井」や

首や手足の枷(かせ)、器を作るための範型のことでもあった。

井戸の中から出てきた人が光っていたのは、光る物質が体に

附着していたからだと思われ、その物質とは・・・

「自然水銀」ではなかっただろうか?

自然水銀は常温で液体となる「唯一の鉱物」である。

産地として有名なのが、北海道の「イトムカ水銀鉱山」で

「イトムカ」とは、アイヌ語で、「光り輝く水」のことである

「尾のある人」とは、水銀採掘の人の命綱に自然水銀が附着し

人も綱も光っていたのを、「尾があり、光っていた」と見えた

私はそう想像しているのである。

吉野の葛と聞いて、クズのイメージは、どうしようもないもの

不必要なもの、いらないもの、というところか

裏を返せば、神武サイドからみて、厄介なもの、関わりたくない

気にそぐわないもの、という見方もできる。

それが「葛城」だったということなのである。

葛城と神武のかかわりは、別の機会にでも・・・


さらに重要なのは、阿多(あた)と水銀と葛(くず)の関わり

である

国巣(くず)は葛城氏、阿陀は八咫烏、井氷鹿とは「水銀採掘」

を生業とする部族名ではないのか?

八咫烏の足が三本なのは、このことに由来するのではないのか?

たんなる思いつきの範疇でしかないのだが・・・・


この三部族と「丹生神社」、「丹生都姫」の関係を次回考えてみたい


             

◎  阿陀比賣神社と阿多族 

頭の中がスッキリしない

暇さえあれば「阿多」の事をあれこれ考えている

思いつくパーツはいろいろ有るが、有効な接着剤が

見当たらない


阿多は隼人の一部族だという

大きな部族として、大住隼人(おおすみ)が著名である

奈良県五條市に、「阿陀郷」という場所があった

(宇智郡 亜陀郷 原村 現在は 五条市原町24)

古くは阿陀郷というのは広大な地域だったという

この地に「阿陀比売神社」がある

ちょうど吉野と宇智の境、大和と紀伊の間、畿内と

畿外の境に当たる場所である

祭神は「阿陀比賣神」「彦火火出見命」

「アダヒメ」といえば、「コノハナサクヤ」の別名

天孫ニニギの子を産んだ「姫神」である

その子が、海幸彦・山幸彦の兄弟といわれる

これが事実なら、皇祖の一人であり、阿多族は

皇家の正統な血筋という事にもなる・・・・。


整理してみる

「アダヒメ」と「ニニギ」の子が「山幸彦」

「山幸彦」と「トヨタマヒメ」の子が「ウガヤフキアエズ」

「ウガヤフキアエズ」と「タマヨリヒメ」の子が「神武天皇」

そして・・・ニニギの祖母が「アマテラス」なのである。

初代天皇の祖母が「アダヒメ」であり、阿多族の末裔なのである。

そんな高貴な一族の事が、詳しく書き残されなかった理由とは

いったいどういう事?


古事記の中に、アダヒメの長男・海幸彦は隼人阿多族

の祖であると記されている

同じときに生まれた三兄弟の長男だけが「阿多族」という

のも解せない話だ

海幸彦は阿多族の血筋で、山幸彦は違うと言っているのか?


宇智郡(五条市)には、「丹生神社」がある

近くに「丹原町」というところもあり、「丹」の産地だった

ことが窺える。


次回は「阿多」と「丹」について整理してみたい。

           

◎  古代宗教と神さまと神話 

途中まで書き上げた記事だが

花粉症の状態が悪く、キーボードに向かう

気力さえなくなって断念した

ようやく本日は休日という事で再挑戦した


唐突だが・・・

古代人(縄文人)はどのような定義で

神さまを祀ったのだろうか?


私が考えるには、最初はほんの少しだった神は

次第に増えて行き、一旦は定まったと思えるが

その後、他民族の宗教観の影響を受け増えて行き

現在の原型が定まった


その最初は何だっただろう・・・

宗教・信仰の基本は、第一に「生と死と再生」である

誕生と死滅、誕生しては滅し、また誕生する「太陽」

その事を基本に考えれば、「死なないもの」こそ神

太陽は昇り、沈んでもあくる日には、また昇る

太陽は死なないのである!

月に対してもまた同じことを感じるのである

川は澱み無く上流から下流へと流れ去るが、その流れは

尽きることは無い

山は泰然自若としていつも眼の前に在り続け

海は穏やかに、荒々しくその水が枯れることは無い

木々、草花は春になれば芽吹き、新たな実を結び

風は気まぐれに吹いては静まり、何時の日も人と共に在り

空は青く、赤く、毎日表情を変えながら、頭上に存在し

白い雲は時には早く、時にはじっとしながら天空に遊ぶ

営む人間が替わろうと、これらのものは変わらない

見方によれば、永久不変 な存在なのである。


死なないもの、変わらないものこそ「神さま」なのであり

原始宗教、古代神道、縄文多神教の「神」は死なないもの

神は死んではならないものであり

死ぬものは「神」ではないという事になる


私の私観であるが、死ぬものが神になったのは

仏教がこの国に浸透してから後のことだと思っている

人は死んで、朽ちて土に返り、自然の一部分になる

だから墓も形ある祭祀も不要だった

死に朽ちる人間は神にはなれない

不老不死と再生こそが「神の条件」だと考える


人が神になれないから、神に似た「仏」に身を寄せた

それが「神仏習合」だったのか・・・




神話といわれる物の中にも、自然と史実を巧みに

絡めて封印したものも多数ある

神話の中にこそ、消えた古代史が潜んでいる

無念の思いを抱いて散った、敗者の声が聞こえて来る

荒唐無稽と言われようとも・・・

私は最近では「確信」とも言える思いを深めている。


          

◎  コラム「都会に残るプチ神社に息づく伝統の美学」 

ニューズウィーク・ジャパンの中に

マイケル・ブロンコ氏(明治学院大教授)の

興味あるコラムが掲載されている

詳細はネットでnewsweek japan の tokyoeye

というコラム記事を観て欲しい



その記事の中で、ブロンコ氏は東京都内にある

小さな神社(というより小さな社)に注目し

日本人(都会人)が忘れているであろう

日本人と神さまのかかわりについて自論を

述べている。

その一部を引用すれば・・・

【東京の大半は金儲けと人間の移動、現世的な目的の

実現に特化している。 だが小さな神社は、精神的な

目的のための空間を維持することの価値を訴える。

社が取り壊されずに残っているのは、東京には精神的

な空間を守る暗黙のルールがあるからだろう。】


アメリカ人の感覚からすると、暗黙のルールと感じ

るらしい、本当に暗黙のルールかどうかはわからないが

少なくとも私には、無意識の意識という言葉に思い当たる

理屈や言葉ではない潜在的体質、遺伝子に組み込まれた

神さまとの共存、この無意識の意識こそ、日本人らしさ

理屈抜きに「神様を拝む」文化なのだと思っている。


コラムの最後の部分に、氏はこう述べている

【小さな神社の前で足を止め、眺めるたび、私は隠された

 東京の魂を観たような気分になる】

氏は「東京の魂」と呼ぶそれこそが、日本人の忘れかけている

日本人としての存在感、日本人の心ではないだろうか・・・

日本人は「天皇」というシンボルの遥か彼方に見える

神さまと共に今も生き続けているのだと私は思うのである。


人種や国籍に関係なく、他人から教わり、気づかされる

人とは一生、学んでゆく宿命の生き物なのかもしれない

老いて子に教わり

外国人に祖国を教わることも「普通に有り」なのだと

長屋の爺は考えている。


           


◎  阿多を考える 

阿多から連想する言葉

あたご どうしても気になって仕方が無い


愛宕神社

京都・愛宕神社を中心に、全国900社の神社がある

愛宕は、あたご、おたぎ、などと読むという

この愛宕神社の旧称は、「阿多古神社」である

阿多族との関係も想像できる名前だ

この愛宕という名称は、愛宕山から来ているというのだが

愛宕山は・・全国に少なくとも125ヶ所 存在する

東北 32、関東 27、中部 11、近畿 24

中国四国 13、九州 18 その合計125

同じ名前の山はあちこちに存在するが、この多さは

いったいなんだろう?

そもそも愛宕神社は、山城と丹波の国境にある、愛宕山(924M)

の山頂にあるが、この神社は京都・亀岡市にある「愛宕神社」を

分祀したものだという。

亀岡市にある「愛宕神社」は、元愛宕と呼ばれている

この近くに、「出雲大神宮」がある

通称「元出雲」、幕末までは出雲神社といえば、この神社を

指していたという。

「元愛宕」に「元出雲」・・・

元愛宕のある亀岡市には、出雲という地名が存在する

そこが「元出雲」が鎮座する場所である

阿多族と阿多古神社、そして出雲との関係は?

九州の一部族・阿多族、出雲を経て丹波に留まる

とても興味深い展開であるが・・


もう一つ、愛宕神社の祭神に「天熊人命」がいる

アメノクマヒトノミコトは、ツクヨミがウケモチ神

を斬り殺した後に、天からの使いとして登場する

「但馬故事記」にも、ニギハヤヒの田作りを手伝った

天熊人命として登場する。

くま人・・・球磨人・・九州に関わる言葉にも思える

たんなる偶然なのか?

「あたご」が阿多古でも、阿多子でも阿多族に関係がある

言葉だと思えて仕方が無いのだ

九州~中・四国~近畿の関連・共通性は見過ごしには

できないと再認識した。

大胆にもう一度、推理をしなおそうと思っている。


      

◎  「あた」 と邪馬台国 

隼人族の一部族、「阿多族」の祖はホデリノミコト

「あた」族である

阿多という文字は、後世に当てたもの・・・・

音は「 あ た 」なのである。

私は古代史の重要な手がかりが、この「あた」だと思っている


この「あた」という音が入っている言葉に着目する

やはた (八幡)

やたのかがみ (八咫鏡)

やたがらす (八咫烏)

あたご (愛宕)

あだち (足立)

わだつみ (海神)

あたみ (熱海)


八咫(やた)は「やあた」とも読み、八幡は「やわた」

ともよみ、「やあた」の変化した言葉かもしれない

愛宕はどうしてこれを「あたご」と読むのか不思議であり

古代では「あたぎ」と呼んだそうである。

海神をどうひっくり返しても、わだつみ とは読めず

あた・つ・み あた津見 あたっ身 の変化だろうか

足立も「あた・ち」 あた・地、あた・治、の変化か


阿多という部族が、古代史に大きな影響力を持っていた

ことは想像できる

九州・薩摩半島を治めた部族(国)が、狗奴国か投馬国か

その王は、卑彌弓呼だったのかスサノオだったのか・・・。

とにかく、「あた」と「倭国」は時空を越えて、何らかの

かかわりがあったと思っている。

ヤマト王権に「卑弥呼(ひみこ)」の匂いがしないこと

神武東征に数々の疑問があること

邪馬台国が「やまとこく」であるならば、ヤマトに卑弥呼の匂い

がしないのは、解せない話なのである。


次回さらに、「あた」を考えてみたい。


        

◎  海幸彦 山幸彦  

海幸彦・山幸彦の神話を考える

海幸彦とはホデリノミコト

弟の山幸彦(彦火火出見尊)に,貸した釣針をなくされ,

命はその返却を強要。

すると海神の力添えで探索に成功した山幸彦から呪いを

込めた釣針を返され,また潮の干満を自在に操られて

溺れさせられ,遂に弟に臣従する。

天孫ニニギとコノハナサクヤビメの長子

だったが、後を継ぐことができなかった。


山幸彦とはヒコホホデノミコト

ニニギとコノハナサクヤの末子

神武天皇の祖父に当たる

妻はタマヨリヒメ、子供はウガヤフキアエズ

タマヨリヒメは「海神の娘」である


神話は有名なので、今さら書くのもどうかと思い

簡単にあらすじを「端折って」記すと・・・


山幸彦、海幸彦の兄弟が、ある日各々の道具を交換し

海幸彦は「弓」をもって山に行き

山幸彦は「釣り針」をもって海に行った

ところが山幸彦は兄の大事な釣り針を失くしてしまう

誤っても兄は許さず、仕方なく弟は剣を砕き五百本の

釣り針を造ったが、兄は許さず弟はさらに五百本の針

を造ったが、それでも許されず失くした針を返すように

言われる。

途方にくれていると、塩椎神(シオツチノカミ)という

老人に出会い、海神の宮殿に行く方法を教えられる

そこで3年の月日を過ごし、タマヨリヒメと夫婦になり

ようやく海神の手で失くした「針」を探し出して帰参する

その後、海神から教わった呪術で兄・海幸彦を翻弄し

兄を家来にしてしまう

海幸彦は、隼人族の部族「阿多(あた)」族の祖という


そして山幸彦が初代天皇の祖父になるわけである。


この話、浦島太郎の童話に似ている

浦島太郎は「開けてはいけない」玉手箱を開けて

「お爺さん」になった

山幸彦は「覗いてはいけない」産屋を除き見て

「タマヨリヒメ」を失った

いけないといわれて、その禁を犯す人間臭さ


本来は長子があとを継ぐべきところを、末子が

相続する話は「神武東征」に被ってくる


神武天皇(山幸彦の孫)も4人兄弟の末子であり

兄達を差し置いて、初代天皇になったといわれる


ようするに、末子があとを継ぐ「正当性」を神話にした

それが海幸彦・山幸彦の神話の真実だと思われる。

神話が先にあったのではなく、史実に沿うように

あとから神話が作られたとも、神話に準(なぞら)えて

後から記紀が編まれたとも考えられる



阿多隼人(薩摩隼人)

薩摩半島一帯に居住していた隼人族

熊襲と違い天皇や皇子の近習だったと いわれる

海幸彦が祖というのが由来しているかもしれない

以前書いた話に、神武天皇の兄が「スサノオ」であり

九州・高千穂に帰りそこを治めた

この記述とも、海幸彦の話は重なってくる

山幸彦=神武天皇=浦島太郎

海幸彦=すさのおのみこと

神武天皇の謎はまだまだ奥が深いかもしれない。


次回は 「あた」について考えてみたい。


       

◎  出雲という国ありき・・・(2) 

中部地方~北陸地方~関東・東北地方

大雑把な区切りで言えば、東国である

奈良・京都から見れば、確かに東の方角

だが、それだけの理由で、「東国」という区別を

したのかどうか・・・疑問である。


私達は東国にどんな印象(イメージ)を抱いているか

「野蛮な地域」だろうか?

「文化・経済の遅れた地域」か?



埼玉県に「氷川神社」という神社がある

古い言い方では「武蔵」の国だが・・・

主祭神は

須佐之男命 (すさのおのみこと)

稲田姫命 (いなだひめのみこと)

大己貴命 (おおなむちのみこと)

一説によれば、この地域は出雲族が開拓した

といわれ、出雲から祭神を勧請したものという

創建時、水神を祭った社だったという説や

現在、摂社に祭られている「荒脛巾(あらはばき)」

が先住の神といわれ、「地主神」とされている。


氷川の由来は、出雲を流れる「斐川(ひかわ)」から

名づけられたという説もあり、出雲との深い関わりを

感じるのである。


ではなぜ、遠く離れた武蔵の国に「出雲の神」が

勧請され、信仰をつなげてきたか・・・である。


出雲という王権は、「呉」や「魏」とも交流が

あったと考えられる国だったとすれば

海上交通を使い、直接「越の国」を経由して

中部や関東に「人と物」を送り込んだ

その中には「古墳造り」や「神祀り」も含まれ

高度な技術・文化も共有した可能性がある

東国が野蛮なのではなく、朝廷とその王権にとって

脅威となる部族の末裔が、住み暮らす地域であり

出雲を抹殺した王権ならば、その「力」を十分に

理解していたものと考える。


まつろわぬ民の最大勢力が「東国の出雲族」で

東の蜘蛛(雲)、東の蝦夷(えみし)だった

大海人皇子が尾張に向かっただけで、朝廷軍が

浮き足立ち、逃げ出したことの理由もここにある。

東国とは朝廷にとって、好ましからざる地域

侮れない力を保持する地方勢力だった。


出雲という国、出雲の民を歴史から消そうとしても

神という名の歴史の目撃者は、遥か東国の地に居て

何かを訴えかけているように感じてしまうのである。





◎  恵方巻きと年徳神 

節分に食べる「恵方巻き」

「恵方(えほう)」とは、陰陽道(おんみょうどう)で

その年の干支(えと)によって定められた最も良いと

される方角のこと

その方角には「歳徳神(としとくじん)」がいるといわれる

恵方巻きは、目を閉じて願いを思い浮かべながら、恵方に向かい

無言で一本丸齧りする、それは「縁を切らない」という意味を

こめており、七福神にちなんで七種類の具材を巻き込み

「福を巻き込む」という願いもこめられていると言う。

これを知ったのは、つい最近の話・・・

日本の東地域では聞かない風習である

「縁を切らない」、七福神、「福を巻き込む」など

仏教色の強い風習であり、関西が発祥とも言われる


その仏教色の強い風習に、「歳徳神」が絡んで

神さまと陰陽道と七福神のコラボになっている。

さて、「歳徳神」とはいったいどんな神さま?

じつはこの神さま、農業神・穀物神である

正確には、「大年神」とその子・「御年神」のことだ

いろいろな呼び名があるが、「年神(としがみ)」

と一般には呼ばれている。

オオトシ神、年徳神、お正月様、恵方神(えほうがみ)

などとも呼ばれる。


新年の飾り(松飾り)や供え餅、正月行事などは元々

年神祀りから始まったという

家を訪れる「めでたい神」の寄り代(よりしろ)が松飾り

(待つ飾り)であり年の変わり目にやってくるから

「年神」なのである。


日本各地に伝わる「民族神」、「穀霊」であり

死と再生のエネルギーを得るために、年神をお迎えする


主食である穀物は、人間が生命を維持する大切なものだ

穀物が豊かに実ることは、家庭の平安、家の繁栄になる

家を守る「祖霊」、穀物が実る田の神「豊穣の神」

その両方の特色を併せ持つのが「年神」という民族信仰

の神さまなのである。



◎  羽衣伝説と豊受大神 

ここ数日、寝落ちならぬ「花粉症落ち」で

更新が滞ってしまった

現在も「ティッシュ」を膝に抱えて書いている。

今年は例年より症状がきつい気がする

昨年と同じ薬を処方されているにもかかわらず

症状が重くなっているのは解せない話だ・・・。


羽衣伝説は諸説ある・・・・

昔、丹波の郡 比治の真奈井に天下った天女が

和奈佐の老夫婦に懇願されて比治の里にとどまり

万病に効くという酒を醸して、老夫婦は莫大な富を得た。

しかし、悪念を抱いた老夫婦はやがて天女に、 汝は吾が子

ではないと追い出してしまった。

  天の原ふりさけみれば霞立ち 

      家路まどいて行方しらずも


と詠い、比治の里を退き村々を遍歴の果てに、舟木の里の

奈具の村にやってきた。

そして「此処にして我が心なぐしく成りぬ」

(わたしの心は安らかになりました)と云って、この村を

安住の地とした。

此処で終焉を迎えた天女は村人たちによって

豊宇賀能売命(とようかのめのみこと)として祀られた。

これが竹野郡の奈具の社です。


丹波

比治の里 

莫大な富

追放

私は、この羽衣伝説は「騙り」だと感じた

丹波と言えば「丹」水銀の産地であり

鉄と共に莫大な富を得ることができ

その富を奪われ追放された話・・・

どこかで聞いた話である。

桃太郎や酒呑童子の筋書きに似ている

そして、「ひじの里」・・・・

桃太郎のサル・キジ・イヌのうち

曖昧だった「キジ」の正体は「きじ」ではなく

「ひじの人」ではなかったか?

比治の里の村人の手引きが有って、桃太郎は鬼退治

(莫大な富の簒奪)を成功させた

丹後国風土記の逸文には、8人の天女が水浴びをして

そのうちの一人の羽衣を老夫婦が隠したことになっている

天女に寿命があったのかどうか?

羽衣はいったいどうしたのか書かれていないのである。

少なくとも、比治の里の羽衣伝説に登場する神様の

豊宇賀能売命とは伊勢神宮・外宮の祭神「豊受大神」のこと

天孫降臨の後、外宮の度相(わたらい)に鎮座したという

その豊受大神が丹後に天女として降り立つのは不可解だ


さて、酒呑童子の鬼退治伝説に登場する「大江山」

この山は「大雪山」と同様に単独の峰ではなく

複数の峰が連なる「連峰」の形になっている

その大江山の近くにある「元伊勢豊受大神社」

豊受大神と酒呑童子の話は、因縁があるのか?


穀物の神であり、地方の農民が信奉する神が

どうして「天照大神」の要請で、伊勢の外宮に

招かれたのか・・・

ここのほかにも、比沼麻奈為神社(京都府京丹後市)

籠神社・奥宮・真奈井神社(京都府宮津市)

でも主祭神として祭られている。

丹後と豊受大神、そして羽衣と鬼伝説は

何かしらの繋がりがあるのかもしれない・・・。




◎  比定(ひてい)という非論理的な決定に一言 

私は事あるごとに、古代史を壊したのは

持統天皇と藤原氏、そして明治新政府と

主張してきた。

その古代史を解明する「邪魔」をしているのが

現在の「宮内庁」である。


宮内庁という役所の御馬鹿ぶりは眼を覆うばかり

現在の天皇陵・古墳と言われるものは

「比定(ひてい)」されたものが殆どだ

90%以上の確率で、テキトーに決めている。

考古学・科学・歴史学・宗教学、それらを無視し

「たぶん そう思う」

「そのように考えられる」

裏づけも検証も何一つなされていない

非論理的な歴史の捏造を、国の省庁が行い

政府はそれについて、何一つ改善しようとはしない

これが天皇家を頂点とする、神国「日本」の実情だ

本当の日本の歴史は、終生「取り戻す」ことは適わない


これを観て、「河野談話」の見直しができない理由が

得心できたのである。

根底にある心理が瓜二つではないか・・・

人は多くの「*違い」を犯す

それを改めるのは後世の人間の務めでもある

古墳の比定も、談話の見直しも、「迷信」と同じ

根拠を検証しない、思い込み以外の何物でもない


天皇陵と言われる古墳を実際に発掘調査して

事実が違っても、現在の天皇家に些かも支障は

来さないだろう

逆に天皇家の先祖の陵と思っていたものが、事実は

違っていて、別の皇族の陵だったとすれば、喜んで

も悲しむ話ではない。


例えば、遠い先祖の墓と聞かされ、長い間詣でて来て

調べたらじつは、縁(えん)も縁(ゆかり)も無い

他家の墓だったとしたらどうなるか?


天皇家の先祖の陵だから、畏れ多くて発掘調査など

許可できない・・・という事らしい(笑)

その天皇陵だと決め付ける「根拠」が不明と言う

矛盾した現実を「宮内庁」の役人は無視するのである。

象徴天皇

開かれた皇室

それならば、日本の天皇家を頂点とする歴史の

真実をキチンと解明し、後世に歴史事実として

伝える責務が宮内庁と政府にはあるのだと思う。


嘘で固めた歴史は、お隣の国に任せ、天皇陵の

歴史事実を素直に開示することが天皇家を中心とした

「日いずる国」のあるべき姿だと思うのである。

明治期の歴史解釈は、学術的な解釈ではなく、政府の

力(権力)関係に左右されたものである

高千穂が宮崎か鹿児島かという論争を決めたのも

薩摩出身が多かった政府の意思が大きく働いた結果で

学術も歴史学もあったものではない。

政治が主導して捻じ曲げた歴史、元に戻す、再検証する

責任も、今の時代の政府の役割だという事である。


◎  手を合わせ 祈るその目の先にあるもの 

神社の前で手をあわせ、拝むのは「神の威光」に

よるものなのか? それとも・・・

神の前で手を合わせるのは、自発的に行う所作なのか



神社の神さまに手を合わせるのは能動的な行いであり

神さまに「つくす」、意を表す行いだと思う

その神さまがどんな「ご利益」を齎(もたら)すかなどは

望外で神さまゆえ「おがむ」のである


私は神さまに「ご利益(ごりやく)」を願って拝む行為は

仏教的な色彩を強く感じる

縋る(すがる)、願い見返りを望む行為は、神道に似合わない

感謝し、怒りの矛先が自身や身内に及ばないように訴える

それが「日本的神道」だと思っている。


古代日本では、自然界の様々な神(精霊)に対し、別々に

拝んでいたのかもしれない

自然(精霊)の数だけ、神様が居て自分の身の回りの神に

感謝し頭を垂れ、自分の出来得る「感謝の意」を捧げた

手を合わせる行為 合掌 は仏教が入ってから定まった儀礼

私はそう思っている

首を垂れる行為こそ神に対する「儀礼」だったと思う


古代神道と日本神道は微妙に異なっている

長屋の爺論でしかないが・・・


その大きな違いが出たのが、「怖れの風習」と「亡者の慰霊」に

よる「神」その物の解釈ではなかったか・・

人が死んで「神」になるという発想

人が死んで「鬼」になるという発想

感謝し許しを請う神道から、恐れを回避し償う神道へ

精霊の化身であったはずの「神」がいつしか

歴史の渦に消えていった亡者(鬼)を祭り上げ

鎮魂と慰霊の意味を持ってしまった。


今の「日本神道」を否定するつもりは無い

祖先が観ていた縄文の原風景を思うとき

はたして、そこに鎮魂・慰霊が存在したのか・・

言葉では同じ「神」であっても、縄文の時代の

神と現在の神、大きく様変わりしてはいないか?

そんな疑問が頭を過(よ)ぎるのである。

結論から言うと、古代神道は「全てを敬う」精神から

起こったものである

そこにあるのが、鎮魂であろうと慰霊であろうと

必然的に「首(こうべ)を垂れる」のである。

全てのモノに感謝し、良かれと思う・・・その心が

日本の古代から綿々と続く・・・神道の真髄だと思う

無宗教、異教徒、無知無学、善人悪人、老若男女・・・

神社の杜(もり)に「身が引き締まる心地」を感じるのはなぜか

そこにすべての日本が存在するから・・・・

理屈や知恵など及ばない「何か」が神の杜には存在している

その「何か」に対し、我々は「仮の名」を付けて、参拝している

正式な参拝方法など知らなくても良い

心の中で感じるもの、それが神であって神社なのだと

私は考えているのである。

◎  祟る蘇我 祟られる藤原 


祀られる「鬼」 モノと呼ばれ

その後 神 となった者・・・


最初は理不尽な扱いをされ

後に心を残して「憤死」「虐殺」「粛清」

され、全てのモノを奪われた 鬼 であった

その当事者(簒奪者)は、自らの罪を意識し

心の内に「恐れ」を抱き続ける

怖い怖いと思っているから

観るものが怖く感じ、祟りを信じるからこそ

世の中の異常に「罪の意識」を当てはめる

贖罪(しょくざい)の意識が、神祀りに向かい

手厚く祀る内容こそ、罪の意識と罪の重さを

物語る

手厚く祀られているという事は、それだけ酷い

仕打ちをされた鬼だったという証でもある

これが祟り(たたり)と鬼と神祀りの関係である。


日本で祟るといえば・・・

蘇我入鹿、菅原道真だろう

この祟りは藤原を無視しては理解できない


今回は「蘇我本宗家」の滅亡を考えてみたい

定説では、蘇我=悪者という事になっている

はたしてそうだろうか?

蘇我は祟ったと正史にも書かれている

祟ったということは、無念のうちに亡くなった

理不尽な扱いを受け、大事なものを奪われた事になる

蘇我入鹿は何を奪われたのだろう?

蘇我氏の全てと言っても良いかもしれない

とにかく日本書紀は、ハッキリと蘇我氏を書いていない

渡来系を匂わせる記述もあるが、それならそうと出自を

書けば良いのに、あいまいな記述に終始する

私見だが、私は蘇我氏は渡来系ではなく、ヤマト土着の

豪族だったと考えている

蘇我氏を掘り下げるのは、またの機会にしたい・・・


話を戻す・・

祟りも藤原氏の深く関わることから始まる

「大化の改新」と言われたものは、蘇我氏の手柄であり

蘇我本宗家を滅ぼし、その政治的な手柄を横取りして

果てには、聖徳太子の血筋を絶やしたという冤罪まで

でっち上げた

山背大兄王(やましろおおえのみこ)一族の自裁は

矛盾だらけで、信憑性はほとんど感じない

蘇我が悪者である為に、創作されたのが「聖徳太子」伝説

太子が優れていて、偉大であればあるほど、その血筋を

絶やした「蘇我」は歴史上最悪の氏族という結論になる。


弁護人の居ない「魔女裁判」のようなもの

中大兄皇子と中臣鎌足(藤原氏の祖)が犯した反乱

当時は事実を知る者も居たはずだが、蘇我本宗家無き後は

強い指導力を持った氏族が無く、鎌足の意向が事実を曲げた


その事実を隠蔽したのが、藤原不比等であり

日本の歴史が消された瞬間でもある・・・。


蘇我が世間で言うように、「稀代の悪人」ならば

成敗した中大兄皇子や中臣鎌足が恐れる事も無いし

入鹿が祟って出ることも無かったと思っている。


蘇我入鹿を祀る「入鹿神社」

奈良県橿原市小綱町 正蓮寺内にある旧村社


宗我坐宗我都比古神社(そがにますそがつひこじんじゃ)

奈良県橿原市曽我町にある蘇我氏の祖神を祀った神社


入鹿神社から宗我坐宗我都比古神社の間の地域は

蘇我氏の本拠地とでも言うような土地である

この近くに、「談山神社(たんざんじんじゃ)」がある

奈良県桜井市多武峰(とうのみね)にあり

この神社、中臣鎌足が祭神だという


談山神社から山道を行くと、その奥に中臣鎌足の墓所と

いわれる陵がある。

談山神社から、少し歩いたところに中臣鎌足の次男・淡海公

(藤原不比等)の墓といわれる石塔がある。

学校の授業で教わった事が事実なら、さぞかし墓に詣でる人も

多いのかと思いきや・・・あまり人気は無いとのこと

神社にはそれなりの参拝者はいるが

墓所に向かう人は少ないようである。

この小綱町の人びとは最近まで、談山神社には参らなかった

多武峰の人たちも、入鹿神社には参らなかったと言う

小説の世界でない、現実に地域で憎しみあい、交流を禁じる

風習が存在した事実

言い伝えと言う「DNA」が時を経ても、息づいていたことに

正直驚いても居る

祟って出るほどの強い憎しみを思うと、人の心の強さと

弱さを、同時に見る思いである。

◎  人生の旅において 得たもの 失ったもの 

人生を「旅」とか、「航海」に例える事があり

たとえとしては同感である


旅に「手ぶら」というわけにもいかず

相応の「荷」を持って出るわけだが

人生の旅は「徒歩(かち)」が条件である

一歩ずつ自らの足で歩む

当然、持てる荷に限度があり、欲張ると後悔することに


人生を歩む中で、何かを手にするとき、何かを捨てなければ

人生を歩きとおす事は適わない

気づかぬ間に「大切な何か」を捨てている事になる


傍目で「何でも恵まれている」と思える人も

何かしらの「人生の大切な物」を捨てたり、落としたりしている

そういう事らしい・・・・。


制限された人生の旅で、「過度な欲」は禁物である

世の中ではリスクが基本、この世に「絶対」は存在しない


最近の日本人を観ると、「欲」だけを手に旅する人が目立つ

あれもこれも、手当たり次第・・・

まるで「にわか成金のシナ人」さながらである

金がすべて・・・儲けることが生きがい

金儲けがすべてに優先する人生

金を儲けていると本人は思っているが

金に支配され、金の奴隷、拝金教の信徒のごとき有様だ


私はテレビも新聞も観ない

一日24時間、仕事と家事と読書とPCで消費する

バツイチの主夫であり、主婦でもあり、自由気ままな爺でもある

私はあと半日、時間が長くなればと願っている

時間が欲しい、しかし私がいくら願っても、24時間は不変である

それとは矛盾するように・・・

私は時折、何もせずボーとする時間を持つ

考えようによって、無駄な時間、時間の浪費かもしれないが

私は何かを得れば、何かを失う事を知っている

気ままな時間と、束縛されない自由な時間は

失ったものの代償だ

失ったものを思うための時間は

私にとって、人生の通行料のようなもの

失くして解るものがあり

失くして得るものもある


桜の散る この季節

知らず知らずに「殻」の中にもぐりこむ

人生の足取りが緩む「いつもの季節」

桜になったような錯覚に、ふとため息が出る日々

今年もようやく、この季節を越えられそうである。


この世で一番好きな花は・・・・桜

この世で一番嫌いなものは・・・散った花びら

この世で一番大事なものは・・・・時間である。

◎  神道の転換期と神話の神々 

オギャーと産まれて、ある一定の年齢になってから

死の瞬間まで、人は有る程度理解できる「瞬間」を

生きている

ある程度と言ったのは、寝ている間の事は私は

承知していない、そういう意味での程度である


不思議な事は「謎」という

人類にとって最大の謎は、誕生の瞬間と死滅の瞬間である

誕生の瞬間を覚えている人は居ない

死の瞬間もまた本人から聞くわけにはいかない

知り得ない事実・・・・究極の謎である

死滅は謎であり、恐怖であり

誕生は喜びであり、謎でもある

死ぬ事が怖いのは、解らないからであり、謎だからでもある。

誕生を喜び祝うのは、知りえない謎を経験した「命の主」に

敬意を感じているからではないか


古代の人びとは人は死ぬと、山へ帰っていくと考えていた

山とは祖先が眠る「聖なる地」

山そのものが「聖なる者の住処」であり

其処に住む聖なる者が「神」なのだ

自分達が行く事ができない「空の上」に最も近い場所

その山に「神聖さ」を見つけたのである。


神とは見えないものであり、人それぞれが思い浮かべる

姿かたちをしていて、見るものでなく感じるもの

古代神道において神は、強く、大きく、優しく、豊かで

厳しいものだったと考えている。


神道が「宗教」として変わったのは、人が神に代わった時点

祀り崇める立場の人間が、神に代わり崇め奉られるように

なってから、古代神道は日本神道という宗教に変わった

「巫女」が「神」に成り代わったとしても不思議でなく

日の巫女が「王」となっても、日の巫女がアマテラスに

なっても少しも不思議ではないのである。


人は死んで山に帰り、その山が崇拝されるなら

山に帰るべき自分は、崇拝されても当然であり

山に帰らず国人の近くで祭られたい

そんな願望が起きてもおかしくはないのである。


本来、山に帰るべき、魂の眠る場所は必要なかった

祠や木々、巨石は精霊(魂)の降りる場所であり

豪奢な宮など必要なかった、宮殿風の器が必要なのは

人間臭い願望でしかない。


神社本殿に居る神は本来の精霊ではない・・・

私は神社本殿は、行き場の無い魂の宿る場所

自然界の精霊たち以外の「魂の住処」が

神社ではないかと考えている。


神という音が、「上」を指し示す「かみ」であり

山の上に座する天に一番近い聖なる場所の住人を

人びとは畏敬の念をこめて、「神(かみ)」と言った

いつしか人びとの一番高いところに座る者を

聖なる場所の住人に例えて、「かみ」と呼び

「かみ」が「神」に摩り替わった

以来、天皇家の祖先を祖神と置き換え、皇統神話を

作り上げ、新しい日本の神の系統を創り、古代の

ヤマト以前の古代神道を捨てようとしたのである。

その代表が日本書紀であり、古事記だと思っている。

◎  火男と火女、安来節 

おかめ・ひょっとこ

どうしてそう呼ぶのか?

由来が知りたい、普通にそう思った


他の人が聞けば「おかしな事を・・」

と馬鹿にされそうだが、爺は知りたかった!

長屋の爺は、昔から決まっているから仕方ない

という説には得心できないのである


おかめ とは「火女」の事だといい

ひょっとこ とは「火男」の事だという

この説から言うと、ひめ と ひおとこ

火とはどのような種類の「火」か・・・


ひょっとこ は口を窄め突き出した姿で

表現されている

これは、火吹き竹で空気を送っている姿

おかめの下膨れの表情は、空気を一杯に吸い

口いっぱいに溜め込んだ姿だと言う


火男ーひおとこーひょっとこ となり

火女ーひめーかめ となったではどうだろうか?

お火女(おかめ)は ひょっとこ よりも後の

時代に定まった気がする

おたふく(お多福)という別称もあることから

幸・福を、顔一杯に溜め込んだ表情に、仏教的な

発想から、縁起が良い という「多福」の文字を

あてがい、おたふく と呼ばれた

女性ー竈ー火ー豊か・・・幸福という発想ではないか


一説によれば、日本女性の理想的な面立ちという

遥か昔の「日本的美人」は、お多福のような

ふくよかで下膨れが良いとされたようである。



火男が居れば、火女が居ても良いではないか・・・


ひょっとこ(火男)の目は、片方が小さいとか

片方が閉じているとも言われる

これは「踏鞴製鉄(たたらせいてつ)」の職業病だ


火吹きの大仕掛けが鞴(ふいご)であり、踏鞴(たたら)

である

火の加減を見るために、始終片目で炎を直視するため

片方の目が見えなくなる「一つ目」は、踏鞴場には当たり前

の職業病

若しかすると、ひょっとこ は踏鞴製鉄を象徴する姿で

火の神に関する「祭事」や「儀式」に登場した「火男」

だったのではないか・・・


 ひょっとこと言えば、「安来節」の泥鰌すくいを連想する

この「泥鰌(どじょう)すくい」は魚の泥鰌ではなく

土壌のことだという説がある

安来地方は砂鉄が沢山取れた土地で、砂鉄の混じった土砂を

すくい、砂鉄を取り出す「仕草(しぐさ)」が泥鰌すくいの

原型とも言われる

その「安来節」の踊り手は、ひょっとこの面を被り、頬被りを

し、「笊(ざる)」で どじょう をひょうきんな姿で掬う


砂鉄は製鉄に欠かせない原材料である

踏鞴の火男が、材料の砂鉄を、土の中から探し出す・・・

安来節の踊り手は、「ひょっとこ」以外では成立しない

理由(わけ)があったと納得した


丹、鉄、銅、銀、金・・・・古代からの言い伝えに

敗者の匂いと、宝の名残が見える気がする

◎  朱に交われば 赤くなる? 


 朱に交われば 赤くなる

私はこの言葉に言いようの無い不自然さを

覚えていた

人は周りの環境によって、良くもなれば悪くもなる

そういう意味だと教わった・・・。

なぜ 「朱」だったのか

朱に交わるとはどういうことか・・・。

朱を塗る、朱を被る、というならその物は「朱色」

の塗料・染料と言う話で、赤くなるのは当然過ぎる話

諺にするほどの言葉には思えない。


私の中で「朱」とは、「丹(に・たん)」という

水銀を連想する

辰砂(しんしゃ)、丹砂(たんさ)という赤土を

釜で蒸留して水銀を採る


朱というのは「辰砂」のことであり、丹を採掘する

人びとを指し、その仕事に従事する集団に加入する事

関わる事が「朱に交わる」ではないかと考えた。

永い間「辰砂」を扱っているうちに、自然と手足などが

赤く汚れ、「赤い人」に見えたのかもしれない。


それが、どうして「良くもなれば悪くもなる」なのか?

貴重な産物である「丹(に)」に携わる事は「富」を

得る事ができたが、中央の権力者の簒奪によって

全てを失う可能性もあった

それゆえ、水銀採取の仲間に入れば、富も得られようが

反対に全てを失いもする・・・・そう解釈する。


周りの環境など「後付の説明」としか思えない

本来は現在のような意味ではなく、単なる水銀採掘に

関わる人を、判別する方法が「体が赤い者」は朱砂に

関わっているのだと、見分ける「目印」だった


あくまでも、私の個人的発想でしかないが・・・。


そこで、鬼 の登場である

鬼の話で「大江山の酒呑童子」退治がある

大酒のみだったから、酒呑というのは解るが

童子というのは理解できない

童子は特別な「力」を持っているといわれ

聖徳太子の話にも、たびたび「童子」が出てくる

鬼を退治するには、童子の特殊な力が必要だった

はたして・・・そうだろうか?

私は、酒呑童子とは「朱点」が変化して「酒呑」に

なったのではないかという説に興味を覚えた

鬼退治とは、源頼光が朱点童子の一族を滅ぼし

「水銀の利権」を独り占めした鬼騙り(ものがたり)

だったと考える。

首を討たれる童子が訴えた言葉・・・

「鬼に横道(おうどう)無きものを」

横道無きとは、卑劣な行為はしないということであり


水銀採掘をする鉱山師(やまし)は朝廷から「鬼」と

呼ばれ、理不尽な扱いを受けていたという証明だろう


大江山の北は「丹後」、南は「丹波」と呼ばれ

和歌山県の熊野、奈良県の吉野とともに、「水銀」の

産地だった

丹が取れたから、丹後、丹波であり、其処に残る

神社が「丹生神社」と呼ばれて現在に伝わる。

丹沢、丹生、遠敷、丹羽などはその名残を留める

私の私見では、蜷川、仁木、羽生、二村なども

可能性があると思っている。


ここでも、鬼とはささやかな幸を権力者に奪われ

鬼という名で後世まで、蔑まれた悲しい人々だった

鬼は怖いものではなく、哀しい運命を背負った人々

そういう見方が正しいような気がしてきた。


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