不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  人の振り観て・・・ 

うらやむ

漢字で書くと、「羨む」である

この言葉もう一つの漢字で表現される

「心病む(うらやむ)」

うら とは 「心」のことである。

うらむ うらない などと同じ語源なのか?

うらむ は「心無」 正常な心を無くす

うらない は「心綯い」 質の違うものをまぜ合わせる


ねたむ【妬む/嫉む】

そねむ【嫉む/妬む】

ともに、うらやみ憎む意で使われる

羨むを強くした言い方だろう。


他人を「うらやむ」感情が芽生えたとすれば

それは「心を病んだ」結果という事だろう。

医者に診せるほどの病気ではないが

放っておくと「うらやみ」が妬みに変化する

こともあるのかもしれない。


心の傷は 完治しにくいらしい

他人は他人、自分は自分・・・・

心を病まないよう、努々(ゆめゆめ)気をつけたい

ものである。


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◎  天皇家と賀茂氏・三輪氏、八咫烏(1) 

天皇家の祖は「賀茂氏」、「三輪氏」であるという


素戔嗚尊-大国主命-都美波八重事代主命ー天事代主籤入彦命

-奇日方天日方命-飯肩巣見命ー建甕尻命ー豊御気主命ー

大御気主命ー建飯賀田須命ー大田々根子命ー大御気持命

 (三輪高宮家系より)

【 賀茂氏系図では、事代主命から大田々根子命までの7代

  は欠史となっている 】


通説では天皇家の祖は、天照大神とされる

上記の系図を観る限り、男系という事になるのだが

この系図をよく見ると

都美波八重事代主命の兄は味鉏高日子根命(大山咋命)で

奇日方天日方命の姉妹が媛蹈鞴五十鈴媛(神武天皇皇后)と

五十鈴依媛(綏靖天皇の皇后)ということになっている。

さらに飯肩巣見命の妹は渟名底仲媛命(安寧天皇の皇后)という


見方を変えれば、賀茂・三輪系の女系で天皇家の基礎が存在した

万世一系の基本は「賀茂氏女系の系統」という見方もできるのである

少なくとも天皇家と賀茂氏・三輪氏は同族といっても良いと思える

同族という視点から観ると、これほど重要な史実を歴史はなぜ隠したか

あくまでも・・・賀茂・三輪の系図を基準に見た場合ではあるが


話は変わる・・・

京都下鴨神社 正式には 賀茂御祖神社 という

 祭神は 賀茂建角身(かもたけつぬみ)である

「新撰性氏録」に「八咫烏の名は賀茂建角身」であると記されている

そして賀茂建角身の娘・玉依姫命も祭神として祭られている

賀茂別雷命(上賀茂神社祭神)は玉依姫命の子、八咫烏の孫になる

私は「三本足の烏」という姿がどうも腑に落ちない

金鵄(きんし)ともいう

『日本書紀』の記述では、神武天皇が長髄彦と戦っている際に

金色の霊鵄が天皇の弓に止まると、その体から発する光で長髄彦の

軍兵たちの目がくらみ、天皇軍が勝利することができたとされる。

金色に輝く「気高き鳥」がどうして、「三本足の黒いからす」になったのか

答えの無い烏の足跡を辿って行きたい。

◎  故障と風邪の繰り返し 

この数日 ネットにアクセスできず

じたばたする日をすごしていた

家の無線ルーターの故障とわかったのは今日

ようやく ネットに復帰できたわけだが

パソコンに釘付け状態のおり

どうやら「湯冷め」をしたらしく

風邪をぶり返したようだ

さらに1勤2休の予定が7連勤となり

老骨も「ボロボロ」状態である

あと2日で7連勤も終了する

それまでは無理せず、ぼちぼちと暮らしたい


体力が衰え、風邪で気力が薄れると

社会や政治にも興味が持てず

ましてや歴史にも集中できない

体調を元に戻し、更なる爺の歴史観を

綴っていきたいと思っている。

◎  素戔嗚尊と大国主命の関係 

素戔嗚尊(すさのおのみこと)

我々が「教えられて来た」姿は

アマテラスの弟神であり

八岐大蛇を退治して、櫛稲田姫を救った

出雲の須賀(すが)の地(島根県安来市)に

住むようになった。

そして・・・その後

はて? その後どうなったのだろう?


文献を探してみたところ・・・

オオクニヌシの逸話にその後の姿が出てくる

素戔嗚尊は根の堅洲国で娘の須勢理毘売命と

暮らしていたとされる

そのスセリビメとオオクニヌシは結婚する

須勢理毘売命の夫が大国主命なら

大国主命にとって素戔嗚尊は「義父」「舅」

という事になる。

かいつまんで書けばこんなところだが


ここに古事記の素戔嗚尊の系図がある

これを観ると、大国主命は素戔嗚尊の

6世代下の子孫という事になっている

その正妻・須勢理毘売命は素戔嗚尊の娘だ

小学生が見ても「つじつま」が合わないことが明白

1世代20年としても、100年以上時代が違ってくる

この神話から考えても、二人は無関係とは思えない

どこかで重大な接点があり、史書はそれを巧妙に

隠蔽している

別の角度から素戔嗚尊と大国主命を追いかけてみたい。

◎  神武天皇と素戔嗚尊の関係 (2) 

古事記・日本書紀を見返し、さらに出雲国風土記を

読み返してふと思った

出雲国風土記は「記紀」に無い逸話を記しているが

残していない事柄もあるのではないか

残せなかったというほうが正しいのかもしれないが


 「八岐大蛇退治」のスサノオの逸話に違和感を

覚えてしまう長屋の爺である

なぜ「出雲国風土記」にはこの話が残されなかったのか

ではこれは100%創作だとでも言うのだろうか


私はチベットやウィグルなどの現状を見て

もしかすると「出雲」には書き残せない何か

そういう「圧力」が存在したのではないか

史実を書き記すことのできない「力」の存在

出雲が外部によって制圧されたか略奪されたかして

その事実を書き残すような状況に無かったとしたら

「八岐大蛇退治」なる逸話は正直に書けない

ならば何も書かない事で後世に委ねたとしたら

重要な「ピース」を残してくれた事になる。


二次元的なジグソーパズルが見えないピースを得て

多元的な推理を可能にしてくれる

そんな興奮が爺の体を支配した。


では「八岐大蛇退治」は有ったのか?

これは間違いなくなかった話(笑)

だが、この話の元ネタは存在した

出雲侵略、出雲制圧の話は実在した

長屋の爺はそう考えている。

このブログを読まれている方はすでにご存知だ

この話は「スサノオ」による出雲略奪を神話化した

勝者(王権)の自慢譚である。


スサノオという男、不可解な男である

アマテラスが岩屋戸に隠れるような悪辣な所業を成し

そのくせ、あっさりと追放された

破廉恥きわまりない男の姿だが、「八岐大蛇」の逸話

では「善人・勇者」の姿に描かれている。

酒を飲ませ酔わせて切り刻む、某術に長け「腹黒い」

印象さえ受けるのである。

この「八岐大蛇」の逸話が史実だとすれば、神武東征は

侵略の旅という事が言えるのではないか、なぜなら

スサノオは神武天皇の「兄」なのだから・・・。

スサノオの妻は「櫛稲田姫」とされる

「出雲国風土記」にも『稲田を守護する神』と記され

古事記にはスサノオとの間に男の子を産んだとあるが

詳細は不明である。

結論を書くには時期尚早ではあるが、ここまでを振り返り

神武東征とは・・・

ヤマト王権の「古代邪馬台国」の侵略だったのではないか

そこから考えるに、神武東征の道程にあった地域が

みんなの考えている「邪馬台国」そのものでは無かったか

その国々の名前が「邪馬台国(やまとこく)」であり

それを略奪した者たちにより、「ヤマト」とされ

大陸の人間に「倭(やまと)」と言わしめたのではないか

邪馬台国という「メガネ」を探していたら、自分の頭に

あったという話なのかもしれない

世の中予想外に「シンプル」なのかもしれないなどと

呟きながら、さらに神武とスサノオを追いかけてみたい。

◎  神武天皇と素戔嗚尊の関係 (1) 

島根県松江市にある「熊野大社」

主祭神というのは・・・

加夫呂伎熊野大神櫛御気野命と称える素戔嗚尊
(かぶろぎくまののおおかみくしみけぬのみこと)

なんとも長い呼び名の祭神であるが

古事記に出てくる「御気沼命(みけぬのみこと)」

を指しているようだ

熊野大社の祭神は「御気沼命」であり

御気沼命とは素戔嗚尊(すさのおのみこと)だという

御気沼命とは神武東征に随伴した「三毛入野命」のこと

神武天皇の兄、「五瀬命」「稲飯命」「三毛入野命」と

して知られ、東征の際「稲飯命」「三毛入野命」は

熊野の海に入水して亡くなったと伝わっている。


ところが「高千穂神社」に伝わる伝承では、三毛入野命

が東征の途中で高千穂に帰り、高千穂皇神(神代三代の神霊)

を祀ったことになっている。


素戔嗚尊は神武天皇の兄だったという事になり

以前に書いた素戔嗚尊の「高千穂侵略」と結びつく

伝承とも考えられる


これはもっと遡って検証する必要がありそうである

神武天皇(若御毛沼命)とその血脈・后を辿る旅を

開始しようと思っている。

◎  正解の無い古代史 

古代史とは解明される事がない学問であり

間違いなく99%の事実は闇の中である

もし事実を知りたければ、「タイムマシン」に乗り

その場に臨む以外に方法は無い



私は古代史を手前勝手に推測し書き散らかしている

10人居れば10通りの推量・解釈があってよい

答えは「不明」であり、個人回答に過ぎないのである


わたしがこのブログを始めてから今日まで

拙いブログに業を煮やし、読者の「持論」を

コメント投稿される親切な方が後を断たない

ありがたいと思う反面、私のブログを理解されていない

そういう方が多いのかもしれない

私は「持論」は自身のブログで披露すべき

何度も書いてきた・・・

同意、同調、激励、質問等 大いに結構

大歓迎である


所詮自分自身の自己満足が主体のブログである


「私はこう思う! それは違うのでは?」

その持論を読者自身のブログに投稿し

私に「招待状」を下されば、喜んで訪問したい

歴史ブログとはそう言うモノではないかと

思っている

長屋の爺流の解釈によって書いた歴史ブログ

それが「不必要な善意」というブログである


なぜ? いまさらこんな事を言うのか?

長屋の爺は浅学であり、勉強の途中である

せっかくのコメントに返信する知識を持っていない

恥ずかしながら、理解できない読者コメントに

怯んでいる自分がここにいる・・・。

理解する能力を持たない「長屋の爺」のブログの

コメント欄に投稿するより、自身のブログでより多くの

読者に書き示すことが価値ある選択だと考える


一月前の推測が、現在では大きく変わっている

そんな事は日常茶飯事なのである

途中経過の持論に自信も無ければ、確信も無い

ブログの内容も「思いつき」で題材を決める

その理由は、自分が書きたいから書く!

何を書くのか、どういう切り口で書くのか

すべて自分勝手なのである

自分のタメに書くから、続けられる

その勝手気ままなブログに、少しでも心を動かして

何かを感じてくだされば、幸いのきわみであり

明日からもこんな具合で、このブログを続けていこうと

長屋の爺は思っています。

◎  風邪も何とか・・・ 

予期せぬ大雪で、風邪を治すには絶好の骨休め

大雪に感謝したい気になる

本調子ではないが、かなり楽になった

風邪は「休養」というのは本当のようだが

いささか寝る事に飽きが来た

なんとも贅沢な話であるのだが・・・


町内会の用事も、ゴルフも当分延期になった

神さまが「休みなさい」と仰っている気がする

今月の後半は1勤2休のペース

体に優しい仕事の配分になった

起きて半畳 寝て一畳 天下とっても2合半

ガツガツせず、のんびり過ごしたいと

あらためて思っている次第である

◎  長屋の爺の嘘と秘密(4) 

4 進路

中学三年ともなれば、進路を決める事になる

高校へ行くか、就職するか、遊んで暮らすか

裕福とは無縁の我が家、人並みに近い生活とは

いいながら、余裕など有るわけも無い

小学生の時から「アルバイト」生活には慣れている

どちらかといえば動いているときが楽しい

嫌な教師の顔を見るくらいなら

社会に出て働きたい、それが偽らざる本音だった


「三者面談」親子と担任が進路について話し合う

その時は母親と担任が私の進路について勝手に

決めようとした

母には私が進学の意思が無い事は伝えていた

ところが担任の話で母親の気持ちが揺らいでしまった

担任いわく、「内申書以外は問題ない」

「できれば進学させられないか」

ところが我が家の経済事情が立ちはだかる事になる

入学金、授業料、通学費用等々・・・・

「遠くの県立高校でも合格できるのに勿体ない」

私は担任が何を根拠にそんな話をするのか

理解できなかった

第一、私は転校してからは、通信簿など親に

見せた事もないし、自分の成績など気にした事がない

当時は教師・学校に不信感を持ち続けていたのだから


結局その後の父兄面談で、近くの新設高に願書を出す事を

親と担任がきめてしまった

好むと好まざるとに関わらず、私の人生の一ページが

書き換えられたようなもの


その後の女性担任の言葉が凄かった・・・

「**、お前は受験勉強なんてしなくて良い」

「S・Yも家庭の事情で、私立高に行けないから」

「お前が勉強を観てやれ」

??? である

意味が理解できないでいると

「お前の受験する学校は、お前なら問題なく合格する」

「遊んでいないで、クラスメートのために力を貸せ」

「あいつを何とかして県立++高に入れる手伝いしろ」

そんな事を言う教師がいる事に驚かされた

クラスの誰もが、教師の誰もが、反抗的で授業態度の悪い

この自分を評価する事がうそ臭い話である

母子家庭のS・Yを授業料の安い県立高に入れる手伝い

「何で俺なんだよ・・・」


学は以って已むべからず

  青は之を藍より取りて、藍より青し



学ぶ事は中断してはいけないという

続けることの大事さと、学ぶ事の大切さをいう

そういう意味だと教わった

聞いたときはどうでも良い担任の言葉だったが

この歳になると重い言葉に感じるのが不思議である

その後4ヶ月、俄か家庭教師の自分はS君の家に通う

結果としてS君は、苦手科目を何とかクリアして

県立高校に合格したのである。


S君の志望校合格という結果は

あくまでもS君の涙ぐましい猛勉強の成果であり

私はその監視役程度だった事は間違いないのである。


私といえば、担任女教師の叱咤激励で

泣く泣く受験し、彼女の思惑通り合格する事ができた

陰で私の「内申書」に手心を加える努力を他の教師に

願ってくれた事は想像できるのである


 琢かざれば、器を成さず

  人 学ばざれば、道を知らず
 


十五の春に教えられた座右の銘である・・・。




もし・・・である

私の人生に大きな影響を与えた人は?

と聞かれれば、即座に彼女を思い起こすだろう

人生を良い方向へ導き、諭してくれた人

あの女教師「K先生」は大恩人である。



桜とは無縁の少年に、意図せぬ「桜」が咲いた日である

  (つづく)

◎  葛藤 (2) 

葛藤について、以前に書いたが

葛藤が歴史に大きく関わったこと

そんな逸話を紹介したい

単なる「こじつけ」と言われるかもしれない

それでも見過ごせない、歴史はそんな足跡を残していた


葛とは「葛城氏」、「出雲族」などのヤマト王朝のこと

藤とは「藤原氏」、正統ヤマト王朝を簒奪した一族

その両派が複雑に絡み合う事の様が「葛藤」である


藤原氏は近江を中心に栄えた名門氏族という

平たく言えば、関西を地盤としていたわけである


出雲族といわれる氏族は多様に変化し今に至る

葛城氏もまたしかり・・・

葛城王朝(出雲族)は九州北部・山陰山陽・四国

北陸・東海にまで及ぶ勢力だった

 豊臣秀吉 

織田信長に代わり天下統一を実現した戦国武将

彼は尾張(愛知県名古屋市)の農民の出自である

びわ湖畔(長浜)に所領を貰い、大名となったとき

譜代の家臣が少ない状態で出世したこともあり

尾張出身の家臣を召抱えた

加藤清正、福島正則、加藤嘉明、浅野長政など

「尾張衆」と呼ばれる武将達である

その一方で、近江の人材の発掘・登用を行った

石田三成、小堀正次、田中吉正、大谷吉嗣

増田長盛、片桐且元、脇坂保治、蒲生氏郷

そして長束正家、「近江衆」といわれる者たち

秀吉は運命的に「葛」と「藤」を共に召抱えた

そういう事になる

近江衆が間違いなく「藤原氏」の末裔とは言えない

だが藤原の地元の人間だった事は事実である

同じ様に「尾張衆」が葛城氏の末裔だったかは不明だ

関が原の闘いで東軍、西軍に分かれたのも

大筋で 葛vs藤 という構図になった

豊臣恩顧の家臣団も尾張衆と近江衆に区分けされた

淀(西軍)につくか、徳川(東軍)につくか・・・・

まさしく 「葛藤」 を迫られたのである。

徳川は三河の武将、言い換えれば「葛城」の末裔である

淀は織田信長の妹「市」と近江の血筋「浅井長政」の娘

葛と藤の混血である

淀(茶々)自身、自分の体を流れる「葛の血」と「藤の血」

に想像できないほどの「葛藤」があったかもしれない

関が原の決戦は、単なる国土統一だけでなく

裏には「葛城氏」の末裔が、藤原の末裔に一矢報いる

歴史の雪辱戦だったともいえるのである。


ちなみに「征夷大将軍」という官職は源氏の棟梁だけに

許されたもの

豊臣秀吉は自らの出自を「藤原」「平氏」としたため

生涯 武門の棟梁の最高位である「征夷大将軍」

を名乗れず、「関白太政大臣」という官職に

甘んじたのである。

◎  長屋の爺の嘘と秘密(3) 

3 交友

私はどういう訳か「不良」に好かれた

思い返せば所帯を持った頃まで、その筋と

関わりあった

当然ながら身内にも「任侠」の世界の者が居て

物心ついたときには、背中に絵を描いた男たちに

馴染んでいた気がする


好んで級友と呼ぶ人間と関わらなかった事もあり

親友と言う者もいなかった

ところが中3の夏、道でばったり会った男

他のクラスの人間程度の認識しかなかったその男に

突然呼び止められた・・・。

「また、難癖つけて もめるのか?」

正直なところ、私は顔をしかめた

その男は 「今日は地元の祭りなんだ」

 「夕方、みんな集まるから」

 「お前もこいよ!」

彼の家は・・・たしかヤクザだったか?

返事もできず佇んでいると

「必ず来いよな・・・待ってるぞ」

その男と初めて交わした言葉が

「わかった」であった(笑)

約束したからには守るのが「男」である

夕方、彼の家に行くと

見たこともない同い年の男女が、数名車座になり

楽しげに会話していた

唯一、知っていたのが、噂の組長の娘

クラスも違うし、会話すらしたことも無く

級友が「あいつの親父、ヤクザの組長だぜ」

「へ~そうなんだ」

そのときに知った程度

この子とは縁が深い いろいろな意味で・・・。


みんなの輪の中に居ながら、溶け込めない私

そのうち電話があり、隣の市で喧嘩騒ぎがあり

助っ人に来てくれという話・・・。

呆れて言葉も出ない状況とはこの事である

タクシーに乗せられ、あれよあれよという間に

指定された場所に移動した私だった

幸いにも到着したときには、話がついたみたいで

なぜか未成年なのに、ビールで乾杯して解散


それ以来、呼び出しも無く、学校で会っても

「オゥ 元気か?」

そのくらいの挨拶をされる程度だった

私は心のどこかで、彼に好感を抱いていたと思う

同級生というより、少しやんちゃな兄き

中学を卒業するまで、彼とは外で会うことは無かった


もうじき「バレンタイン」である

私が始めて異性から「チョコ」をもらったのは

中3のとき、あの組長の娘

通称「お譲(おじょう)」からだった

田舎者である、バレンタインが何なのかも知らず

突然、数人の女性徒に囲まれたときはあせった

その中に居た「お譲」から差し出された箱

周りの怖い女性徒の「受け取ってやりなよ」の

言葉に、つい手を出した自分・・・。

遠い昔の、思い出である(笑)


卒業するまで、その子から時々「プレゼント」なる

物をもらった

会話らしきものも無かったと記憶する

花より団子の当時の私、大変申し訳なく思っている。

親がヤクザだろうと、気にはしなかったが

一人娘だと後から知り、私がその「婿候補」だったと

数年後に友人から聞かされたことを思い出す

ヤクザの跡取りになりそこなった長屋の爺である。

  (つづく)


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