不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  参考文献 3 


今年もあと残すところ数時間となり

沢山の本と出会えた意義有る一年だったように思う

人間の欲とは際限が無いものか・・・・

まだまだ読むべき本がある気がして落ち着かないのである

今年は特に、このブログを始めたことで、古代史関連の本が

多く、無学な自分が情けなくなるときもあった。

文字(言葉)は多少なりとも、己を磨いてくれていると

一人合点しているのであるが(笑)


今年お世話になった、文献の著者の方に御礼と感謝し

参考文献を記したいと思います。(以下 敬称略)


ヤマト王権と十大豪族の正体        関 裕二

眠れないほどおもしろい日本神話の物語  鳥遊まき

日本の神様がよくわかる本          戸部民夫

伊勢神宮の暗号                関 裕二

出雲と大和                   村井康彦
  
伊勢神宮と三種の神器            新谷尚紀

天皇たちの和歌                谷 知子

一条天皇                    倉本一宏

天皇の祈りはなぜ簡略化されたか      斉藤吉久

歴代天皇総覧                  笠原英彦
 
天皇陛下の全仕事               山本雅人

後醍醐天皇                    森 茂暁

王朝貴族物語                  山口 博

摂関政治                     古瀬奈津子

逆説の日本史(中世鳴動編)          井沢元彦

源氏物語の時代                  山本淳子

平家の群像                     高橋昌明

法隆寺の謎を解く                 武澤秀一

倭人伝 古事記の正体             足立倫行

激変 日本古代史                足立倫行

八百万の神々                   戸部民夫

アマテラス                     斉藤英喜

アマテラスの誕生                 筑紫申真


来年はどれくらいの本と出合えるか楽しみです


皆様にも良い一年になりますように・・・


《 感謝  長屋の爺 》
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◎  祟る伊勢の祭神とは誰? 

伊勢は祟る

これは古代史に詳しい人にとっては常識である

伊勢神宮に伝わる資料である

「大神宮諸雑事記(たいじんぐうしょぞうじき)」

の中に書かれている

聖武天皇の時代、「巽(たつみ)の方の大神」が

死穢(しえ)の不浄(ふじょう)のために祟りを

なしたという

それで聖武天皇が発病したといわれている

【 巽の方の大神とは、都から見て巽の方角にある

 伊勢に祀られている「アマテラス」を示すという】

まだある・・・

平安前期(852年)には、文徳天皇の健康が優れず

占ってみると、やはり「巽の方の大神」が祟っている

とされた

貞観10年(868年)には清和天皇の身体の不調を

占ったら、同じく「巽の方の大神」が祟っているとされ

仁和3年(887年)にも、光孝天皇が病になったときも

祟りだとされて

寛平3年(891年)には、宇多天皇の御所に頻繁に

「物恠(もののけ)」が出没したのも「巽の方の大神」

が祟っているとされた


天皇の祖神である「アマテラス」は子孫であるはずの

天皇自身に祟っていたことになる。


そもそも、天皇家の祖神であるはずの「天照大神」が

都から遠い伊勢の地に、なぜ祀られているのかである


祟るというのは、通常では起こりえない現象であり

無念・怨念と、悔恨の情・慙愧の念が齎すものである

アマテラスの無念とは・・・

天皇家の慙愧の念とはいったい・・・不可解である。


ここからは長屋の爺の想像である

本当にアマテラスは天皇家に祟ったのだろうか?

どうも違うような気がする

伊勢が祟ったことは考えられる

だが、「アマテラス」が祟ったとは思えないのである


その方角には、外宮に「豊受大御神」

二見浦には「猿田彦神」も祀られている

外宮に祀られているのは爺の想像では、「ニギハヤヒ」

であり、アマテル神 だと思っている

ならば、たたる要素が有るのは「ニギハヤヒ」「猿田彦」

のどちらかだろう

どちらもこの地方の地主神のようだし、ニギハヤヒなど

太陽神・アマテルなのだから・・・。


後ろめたい事情が有るとすれば、外宮に祀る神の捏造、

すり替えとも思える

猿田彦も密かに抹殺されて、「猿」の名を掠め取られた

恨みがありそうだ

巽の方の大神 が誰か?書き残されていないのは

当時はそれで通じる「神」の呼び名だったことになる

当たり前すぎて書き残さなかった

古代資料の常識かもしれない。

◎  お正月は神社でしょ 

もうすぐ お正月 である

お盆になれば、寺院・お墓に参り

お正月になれば、神社にお参りする

これが「日本人」らしさなのである。

さぞや外国人には理解できない文化風習だろう

日本の仏教はほとんどが「葬式仏教」という

日本的な仏教形態であり

神道とは葬式以外の信仰形態をとる

生まれたときは神社に参り

死ぬときはお寺に世話になる

大雑把な話では、そういうことになる


これには深い「わけ」があると考えている

神道において、「死」とは穢れ(けがれ)である

穢れは忌み嫌われ、避けるような方向に向いてしまう

神道に「必死」という概念はない

人が生まれること、人が死ぬことは自然の摂理だが

生まれた時点で、死ぬことを想定するのは「タブー」

なのである

凶事は「観ざる・聴かざる・言わざる」が基本

口に出すのも憚(はばか)れる

言霊思想の基本的な観念だ


しかし、仏教では死ぬことは大事な事なのである

(まぁ お釈迦様は死には何も触れていないらしいが)

生きるという事を、突き詰めて探っていくと

死というものに、行き着いてしまう

・・・これが原因かもしれない。

なぜか・・・

生きる と 生かされる とは別のものなのである

仏教は 生きる という概念

神道は 生かされている という概念

長屋の爺は そう考えている

「縋る(すがる) 仏教」

「平伏す(ひれふす) 神道」

表現は適切では無いが、そう思っている


神社の敷地で「恐怖」を感じる人はいない

寺院の敷地(墓地)で「恐怖」を感じる人は

居るかもしれない

神霊には恐怖心が湧かず、霊魂には恐怖心を持つ

その違いは、神道に「死」の匂いを感じないからで

仏教には「死」の匂いしか感じないことが原因だろう


死ぬまで生きる、生きることは死ぬ事にたどり着く

それが仏教かもしれない


生かされている故に、その運命に従い「生かされて行く」

その先に「死」というものが希薄なのが神道


人生最期のとき、アマテラスでもオオクニヌシでもない

最期は「波阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」なのである

◎  長屋の爺の「靖國」私観 

靖國神社を中心に物事を考えれば

その立場により沢山の論理が噴出し

正解など望むほうが異常と言える有様になる


重要参考人がビルに逃げ込んで、そのビルごと

一般市民もろとも爆死した状態

これが「戦争」の情景であり

爆破したサイドの人間は「お咎め」なしで

爆死した容疑者だけが「稀代の悪者」と呼ばれ

巻き添えで死んだ市民に対する「罪」は

不問に付される

容疑者(重要参考人)が「大義」であり、その結果

については、容認される正義の為の犠牲なのである。

これが「大東亜戦争」と「東京裁判」であり

戦勝国の「虐殺」は誰も問題にしない理由である


これと同様に、「政教分離」の問題も

立場の違いと思想的判断で過大解釈をされてきた

そういう経緯がある

1.信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。

いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の

権力を行使してはならない。

2.何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加

することを強制されない。

3.国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動も

してはならない。


この条文が靖國問題の火種になっていること

皇室問題を途方も無く悪化させる元凶であること


長屋の爺はそう思っている


宮内庁という政府機関が「いかなる宗教活動もしてはならない」

そういう文言で縛られた状態で、円滑な皇室運営が

出来るわけが無い

公明党と創価学会の「政教一致」は万人の知るところであり

それを許しておいて、宮内庁職員は祭祀に関わってはいけない

など、可笑しな話なのである

この政教分離という発想は、GHQの「神道潰し」で考えられた

遺物なのである

天皇の下に「神道」と言う形を媒体として、再結集することを

懸念して、皇室神道封じのお札のような存在だったのである

だが、GHQの懸念はすぐに解消され、有名無実な存在になる

はずだった20条だが、憲法改正の義務(議員の職務)を蔑ろに

したツケが現在にまで及んでいるのである。

この一事を持っても、「護憲派」という人たちの犯してきた

罪は、日本人全ての負担になっているので有る。


天皇の靖國参拝は1975年(昭和50年)を最後に

行われていない

昭和天皇が「合祀」に対し、不快感をもたれた為と巷間に

伝わっている。

憶測でしか語れない話であり、昭和天皇の「気遣い」だったのか

真相は天皇が陵までお持ちになったというところである。

誰よりも「戦没者」「英霊」に心を傾けられていた昭和天皇

お悩みになったことと推察する。

靖國が単なる神社でない事は、海外の武人達の参拝によって

証明されている

世界各国の武人・武官が参拝している事実は、政治的な理由に

よる「戦犯」という観念を超えて、勇敢なる愛国者という認識、

「戦士」に対する敬意の表れではないだろうか


ちなみに、2002年3月、在日韓国大使館付武官 2名の

靖國参拝の記録が残されている

柳海軍大佐・除陸軍大佐の2名である。

国を思う戦士の気持ちは「万国共通」だという事だろうか・・・。

◎  靖国神社を考える 2 

靖国神社を考えるとき、大きく二つのことに

分けて考えることが必要


神社という宗教施設であることの事実

俗に言う「A級戦犯」をどう捉えるか

である

神道に含まれる「日本国の神社」という

ことから考えれば、何人たりともその神社に

参拝することを妨げられないのである

もし、政治的圧力で参拝を妨害すれば、憲法に

定める「信教の自由」を侵すことに成り

憲法違反の謗りは免れないのである

首相であろうと、長屋の熊さんでも自由に参拝して

問題は無い・・・という事になる。

これに異を唱えるのは、憲法を知らないか、単なる

「いちゃもん」をつける愚か者しか居ないのである


次に「A級戦犯」という言葉は、日本語ではない

長屋の爺は昔からそういう自論を持っている。

単に戦勝国が便宜的に使った言葉であったにしろ

戦争に「A級」も「B級」も存在しない

百歩譲って、戦争責任が特定の人間に課せられたとしても

一命をもって償っているのであるから、死者に石を持って

迫ることは如何なものであろうか・・・。

戦争責任がどの辺りをいうのか明確ではないが

多くの命を奪ったという概念で測れば、世界一戦争の

非情なる戦犯は・・・・F・ルーズベルトではないのか?

戦争へのシナリオを書き、原爆を投下させた張本人

広島・長崎での死者はそのほとんどが「一般人・市民」である

国際的に考えても、無抵抗の市民を一瞬のうちに死に至ら

しめるのは、「虐殺」と呼んでいる


東条英機以下戦犯と呼ばれた人は、死んだ後に社会に復帰し

そして、「A級戦犯」という「ありがたくない呼び名」

をつけられた

「戦犯」、それも「A級戦犯」といわれた人でも、生きて

社会復帰し、国会議員になった人も居る

その違いは、生きて社会復帰したか、死んで社会復帰したか

その違いだけである

(社会復帰と言ったのは、娑婆に出てこられたという意味だ)


【A級戦犯】 

第2次大戦後の1946年、連合国は極東国際軍事裁判

(東京裁判)を開き「平和に対する罪」や「人道に対する罪

で重大戦争犯罪人(A級戦犯)として28人を起訴した。

1948年11月に途中死亡者ら3人を除く被告全員が有罪判決

を受けた。

当然ながら、ここに米国人の名前は無い「魔女裁判」の様相だ

東条英機元首相ら7人が絞首刑、木戸幸一元内大臣ら16人

が終身禁固刑、

重光葵元外相ら2人が有期の禁固刑で、東条元首相らは同年12月、

巣鴨プリズンで処刑された。

その巣鴨プリズンの跡地に建つのが

「池袋サンシャイン60」である


さらに大事な点は、靖国参拝、戦犯合祀に異を唱えるのは

シナ、南北朝鮮だけである


人間であった「神」と呼ばれる英霊に対して

「拝礼」する風習は日本だけかもしれないのだが

墓にお参りするのとはちょっと違っている

位牌も遺髪・遺品も無く、記帳された名前だけの

人から神になったのが「英霊」なのである

遺骨・遺髪・遺品は郷里の墓に

国を思う「精神」だけは、靖国の地に在る

そういう捉え方が正しいかもしれない

(和紙に英霊の名前を記したものを「霊璽簿」

 (れいじぼ)といい、霊璽簿奉安殿

 (れいじぼほうあんでん)に納められている)


靖国神社とは、国のため(家族の為)に人生の

途中で亡くなった者の「精神のお墓」であり

父母兄弟、子孫がお参りすることに問題は無く

米国人が米国の「アーリントン墓地」に参るのと

些かも変わらない話かもしれない

シナ・南北朝鮮が米国大統領や議員が墓地へ赴く

ことに異を唱えないのは、宗教だからであり

戦争では「勝者」に戦争責任は問われないのが常識で

敗戦国は常態的に「戦犯」という 生贄(いけにえ)

を差し出さなければならない仕組みになっている


仮定の話であるが、若し大東亜戦争が違った結果に

なっていれば、米国大統領は「第一級戦犯」として

命を差し出さなければいけない罪を犯している

戦争を終結するという名目で、朝鮮半島やシナ本土に

原爆を投下していたら、シナ・朝鮮は日本だけを執拗

に非難したか疑問なのである。


世の中の「正義」「大義」とは勝者の言い分なのである

勝てばどんな理由も手段も容認される

大東亜戦争から、我々が学んだことは、この一事だけである。

◎  靖國神社を考える 

現職総理大臣が参拝して

巷(ちまた)では大騒ぎである

さて、この靖国神社、他の神社とは些か異な神社

と言える

祀られているのは、「英霊(えいれい)」と呼ばれる

人間達である

創建当初は「忠霊」「忠魂」と呼ばれていたが、日露戦争

を機に「英霊」と呼ぶようになった。

詳しく報道されることも少なく、学校でも簡単にしか

触れないことで、間違った捉え方をされる神社である。

詳しく書くと、来年までこのブログが靖国一色になりそうで

簡単にお浚いしたい思う

(ただし以降 記載する内容は凡その表現で例外も有ることは

  含みおき下さい)


さて、靖国とは何ぞや? である

わりと歴史は浅い、創設は1869年(明治2年)である

大村益次郎の発案で「東京招魂社」として建てられたのが始まり

西南戦争で亡くなった者たちを慰霊追悼・顕彰する施設である


ところが、この戦没者あくまでも「明治新政府」のサイドから

見た戦没者・洵死者であり、旧幕府の人間は含まれて居ないのが

現実である

国のためなくなられた御魂と言うなら可笑しな話にも感じるが

そもそも 国 = 明治政府 であったのだから

徳川幕府の人間が、愛国心をもって闘ったという、その部分に

は斟酌されていないのである。

だから、靖国神社とは「国のために殉じた御魂を慰める」施設

そういう事が言えるだろう。


現在どこの報道機関でも「靖国神社」と表記している

実際は、「靖國神社」と書くのが正しい呼称である

形式は「神社」であるが、神社庁の管轄外となっている

神道形式の施設のような神社?・・・である


ここに祀られているのは、戊辰戦争・西南戦争~大東亜戦争

までの間に、国に殉じた御魂246万余柱の御霊である


ただし神社には特別な物は納められておらず

氏名を紙に記しただけであり、祀った、合祀したというのは

納骨する寺院の形式とは明らかに違っている精神的な祭り方

と言えるかもしれない。


なぜこうも世界中を巻き込んで「騒ぐ」のだろうか?


原因は日本に有るのではなく、たんに「シナ」の気まぐれである

なぜなら、1985年8月に中曽根首相が参拝するまでは

シナも諸外国からも一切異論は出ていなかったのである。


ではどうしてこういう事態になったのか?

原因は「朝日新聞」の特集である(1985年8月7日付)

これを見た「ならず者シナ」が触手を動かし始めたのである

シナが難癖をつけるまで、わが国の歴代首相が靖国参拝をした

回数は、延べ60回にも及ぶのである

その後、配慮とか何とか言いながら、腰砕けの総理が続き

故橋本首相が一度、元総理・小泉純一郎氏が6回の参拝をした

それだけである。


私は靖国問題を解決する名案など、この世には存在しない

そう思っている


国内的には、GHQ(占領軍)の日本を封印する為に起草した

GHQ憲法に謳われている「政教分離」を撤廃する必要が

急務だと思っている

世界を見渡しても、宗教と政治は一体になっているのが常識である

どうして日本だけが「政治」と「宗教」に神経質になる必要が

あるのだろうか?

日本神道は日本人の「こころ」「道徳観」「民族の根源」である

日本神道とは・・・日本心道なのである

米国が神道を畏れる所以は、「日本人の心」なのではないか

「無私の心」を天皇に見て、その心が国民に波及し続けることを

畏れている

当然、シナ・南北朝鮮も同様なのである


次回に続く・・・

◎  祟る神を祀る場所 

祟る神社は豪壮である

神社の社殿を整えるには、庶民の力では

かなり難しいといえる

言い換えれば、国家プロジェクトに近い

事業だったと思っている


神社と神は「政治に利用された」と考えてよい

本来は地主神として、地域の民の信仰の対象であった

その神を「常設神殿」を造り、そこに封じ込めたのは

政治目的以外には考えられないのである

「全ての事象には 理由(わけ)がある」

なんとなく神を祀ることは、けっして無いと断言できる


なぜ 出雲は祟るのか?

この国を造ったとされる「オオクニヌシ」

そのオオクニヌシから、国を取り上げたヤマト王権

祟りが恐ろしくて、日本一の神殿を造営した

そう考えるのが、普通だと思う

「祟る神」を祀る社(やしろ)にはいくつかの共通点が

あって、参道が必ずと言って良いほど、曲がっている

鳥居をくぐって進むと、本殿に行くには、90度折れ曲がる

そういう社が多いのである

さらに、橋を渡り川を越える

この世とあの世との境を越えることになる

川は禊(みそぎ)のためか、不浄を清める為なのか

鳥居から本殿・拝殿までは下って行くことが多い

そんな特徴を持っている

私観であるが、祭神に直接、接することが出来ないのも

共通している

出雲を例に挙げれば、ご神体の横顔を拝む形になっている

面と向かうことを「忌み嫌う」ような感じである

伊勢の両宮も、何を拝んでいるのか、向き合っているのかさえ

解らずに手を合わせ拝礼しているのが現実である



何に手を合わせているか、神社サイドの言い分だけである

お寺の本尊なら、通常は直接眼にし、手を合わせられるはず


出雲が祟る神ならば、諏訪も同じことが言えそうである


タケミナカタはオオクニヌシの子であり、諏訪に逃げそこで

鎮座することになった

「封じ込められた」神であり、祟らないほうがおかしい話なのだ

もし、祟る神でないなら、国譲り神話も無かったことになり

一方的に国を寄越せと言い、祀られた者は鬼になるはずである

香取神宮も怪しいので有る

行ったことが有る方なら、前述のような曲がりくねった参道

に気づくはずである

この香取はヤマトからはるか東方の地

日本の全てが大和の領土(統治)ではなかった時代だろう

この地に祀られた神とは・・・。

江戸時代でも、何百キロも旅するのは「命がけ」である

古代の旅事情から考えれば、そこに神を祀る意味が重要

という事だろう

現代の感覚で考えても、「王権」が自ら手を染める事は

無かった、そう考えるのが普通である

東方の「順わぬ民」を従わせることにより、多くの民の長が

犠牲になった

その「順わぬ民の神」を祀ったのが、「香取神宮」では

なかったか?

勇猛果敢な勇者であったから、国譲りの武功に因み祭神名

を経津主大神(ふつぬしのおおかみ)とした

経津主(ふつぬし)はオオクニヌシに国譲りを迫った

二神の一人である(もう一人はタケミカズチ)

又の名を・・伊波比主命(いはひぬしのみこと)という

いはひ・・・いわい 磐井といえば・・

蝦夷の居住地だった東北の地名・・・

岩手県南西部にあった「磐井」を思い出す

磐井の主の命(いわいのぬしのみこと)という事なのだろう

大人しくして欲しい願望と、「鬼は鬼によって制す」という

王権のお得意の統治手法である

丁寧に祀ることによって、順わぬ民(まつろわぬたみ)を

抑えたというところかもしれない。


祀る・祭るとは、上に持ち上げて自由を奪うことではないか

祭り上げるとは、崇める(あがめる)、おだて上げることである

崇める対象でないなら、おだて上げて欺き利用するためか

やはり、祟らないように祭り上げた場所が「神社」だった

そんなふうに思えるのである。

◎  神さまの分類 長屋の爺の私観 

○○神と**神は同一神である

これは学術的な見方であり、世間の認識では

ないと思っている

名前が違えば、神様自体も違うものである。


たとえば、稲荷神と倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

本来別々の神なのだが、同一神として扱われている

須佐之男命(すさのおのみこと)と牛頭天王(ごずてんおう)

スサノオはご存知のとおり、牛頭天王はインドの祇園精舎の

守護神であり、仏教とともに日本に定着した神であり

いわゆる「神仏混同」の代表である


神仏といえば・・・・

日吉神社の祭神・大山咋神(おおやまくいのかみ)

元々は比叡山の周辺の人びとに信仰されていた

素朴な山の神(地主神)だった

それが天台宗・延暦寺の創建時、最澄が延暦寺の守護神

として定めたのがきっかけとなり、延暦寺の隆盛とともに

多くの人びとに信仰されるようになったという。


こんなことを書くと、顰蹙(ひんしゅく)を買いそうだが

日本の神さまは、「風が吹けば」系か「ひょんな事から」系

「記紀に書いて有るから」系、「相伝」系の何れかのような

私観を持っている。


風が吹けば系とは、落語の「桶屋が儲かる」的な発想で

こじ付けと言うか、発想の飛躍と言うか・・・。

***であったかもしれない

***であると考えられる

***であるはず

になって行く、お決まりの論理のスパイラルである。


ひょんな事から系とは、前述の延暦寺の例のように

思わぬことから有名になったり、大きな信仰を集めること

になった神さまのことである。


記紀に書いて有るから系とは、そのまんまである

記紀にそう記(しる)されているから、間違いない(笑)

資料至上主義の真骨頂と言える

専門家(学者先生)の王道とも言える哲学?


相伝系とは、限られた地方・地域で代々言葉で伝えられ

継承されてきた由緒?ある神さま

地主神に多く、わりとマイナーな神さまに多い系統


そうすると、我々が眼にする神様のほとんどが・・・

「記紀に書いて有るから」系の神さまが多いことに

気づかされるのである


書いて有るから間違い無いのなら、日本書紀と古事記

各々の記述の相違を説明できなければいけない

あくまでも憶測やこじ付けでない論理的に説明できる

そういうものが存在するかは甚だ疑問である

書いてある内容は「真実」「虚偽」という判断ではなく

「書いた時代、書いた人間達の見解がそうなんだ」

そのくらいの角度から観たほうが良いと思っているのである。


そう考えると、狭い空間(一部の地方)にだけ伝わって

いる伝承などに、埋もれてしまった古代の真実が残されて

いるかもしれないのである。

それが消えていった者たち(敗者)の言葉だから・・・・。

◎  神社ができた本当の理由 

神様や神社をあまり細かく調べるのは

どうなのか?

そんな疑問が爺の気持ちの中にあった

言い伝えや由緒を素直に信じてあげれば

それでいいじゃないか・・・・

そういう納得の仕方もあったのだが

何せ、偏屈・変わり者・へそ曲がりの長屋の爺だ

ちょっとだけ調べて、適当なところで切り上げよう

正直に言うと当初は、そういう気持ちが大部分だった


だけど、拝む相手の「神さま」のことを知らないでは

申し訳ない、知れば親近感も湧き手も合わせやすくなる


知れば知るほど・・・・難解な神さまばかりである


きちんと伝えることの難しさ

神さまを飾ることがどういう事かを、慮れなかった先人たち

最近の巷の「無国籍料理」のようになってしまった神さまもいる


素人の「C級グルメ」のような長屋の爺の古代史論

何時まで続くか、何処に着地するのか

本人ですら見当も付かない状態である。


難解になった神様・・・その理由は一つではない


たとえば、仏教が入り込んで、神と仏が混同した


崇拝する神様を「飾りたてる」「大きく見せる」

「ご利益をこじつける」「複数の神さまを勧請する」

その結果、辻褄あわせの奇怪な由緒の誕生になる


権力者の十八番である、出自を飾る為に

氏神様の誇大な系譜を捏造することで

名も残されず闇に葬られた神様がいた


そして最大の問題は、なぜ神を神社に祀ったか?

という問題である


おそらく、神を祀る とは・・・

祟らないように丁寧に祀ったのが最初ではないか

感謝するだけなら「常設神殿」など不要

祈るだけなら「御神体」だけあれば十分である

当初の祀りとは、鎮護ではなく、謝罪ではなかったか

権力争い、土地争奪、水利紛争などで命を縮めた首長

その霊魂に供物を供え、手を合わせ、礼拝することが

神社に神を祀る動機ではなかったか・・・・。

「祟る要素」をもったモノを、大人しく留めておく場所

それが「神社」だったのではないかと、長屋の爺は

考えているのである。

その代表が「禁足地」であり、「そこから出るな」と言い

「大人しくしていれば、供物を献じ丁寧に祀ってやろう」

大きな「社」とはそういう場所なのだと思ってよい

出雲・伊勢・熱田・熊野・諏訪・香取・・・・

どうしても「祟る神さま」にしか思えないのである。

◎  日本の神様 大山衹神 

大山衹神(おおやまつみ)

山の神様である

天皇に寿命を与えた神様として知られる

天孫ニニギが笠沙(かささ)の岬で、出会った娘

コノハナサクヤビメに求婚することから起こった話で

父親のオオヤマツミはもう一人の娘・イハナガヒメも

差し出し、二人とも娶るよう申し入れた

ところが、姉のイハナガヒメは醜かったため追い返した

オオヤマツミが言うには・・・

「コノハナサクヤだけを娶ったことで、ニニギの子孫は

 寿命が短く、儚いものになるでしょう」

これが、神の子(天つ神の子孫)である天皇に寿命がある

という不可解な問題を説明する神話である。


古事記にはコノハナサクヤビメは「麗しき美人(おとめ)」

と書かれている

美人(おとめ)とは、ただ美しいだけではいけない

外見の美しさに加え、天皇との婚姻に相応しいよう

巫女の能力が備わっていないとならないという

古事記に登場するこの女性、最初の出会いでは二つの

名前を持ってニニギに答えている

神阿多都比賣(かむあたつひめ)

亦の名を、木花咲夜毘賣(このはなさくやびめ)という

しかし、以降は神阿多都比賣の名は出てこないのである


コノハナサクヤビメは複数の名前が有る

二つどころじゃなく、七つの名前を持つ女性である

* 木花之佐久夜毘売命(このはなさくやびめのみこと)

* 神阿多津比売命(かみあたつひめのみこと)

* 豊吾田津媛命(とよあたつひめのみこと)

* 神吾田鹿葦津姫命(かみあたかあしつひめのみこと)

* 酒解子神(さけとけのこのかみ)

* 木花知流比売命(きのはなちるひめのみこと)

* 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)

少なくとも、三人の神の名前だと理解できるのだが

古事記を編纂する時点で、何か理由があって同化した

そういう捉え方ができるのである。


話をオオヤマツミに戻すことにする

* 大山津見神(おおやまづみのかみ)

* 和多志大神(わだしのおおかみ)

* 酒解神(さけとけのかみ)

オオヤマツミは「山の神様」として有名なのだが

和多志大神の「和多」というのは、海の神様の

意味を持つ「綿津見」からきているという

山の神であり、海の神でもある神とは・・・


これには深い訳があるという

古代信仰では、山に対する信仰が最も古いといわれ

命を繋ぐ大事なものには、「水の精霊」が考えられる

農耕に欠かせない水

その水は「山」から流れてくるものであり

田畑を潤した後、海へと注ぎ込むのである

山 → 田畑 → 海

それで山の神でありながら、海の神でもあるという事だ


ところが、この「山の神」男神として書かれているが

本来、山の神は女神とされているのである


「日本書紀」の一書(あるふみ)によれば、コノハナサクヤ

の言葉として、「私は天つ神が大山衹を娶って、お生みに

なった子です」と書かれているのである。

本来は女神である「山の神」が、、父親の姿で登場し、女神の姿は

娘に変えて、寿命の説明をする逸話を創作するときに変えてしまった

そういう事だろうと思う


怖い神は何処の家にも居る「山の神」である

だれでも知っている事で、それが女性であることは

古代から不変の決まり事なのだろう・・・・。

海の神は即ち、「産みの神」であり

山の神は、「夜間の神」でもある・・・。

◎  神社の起源と天皇の身分の明確化 

神社

今では何処にでも、幾つでも眼にするこの建造物

いつの頃から日本に在ったのか・・・


古代豪族が各地を支配していた時代

それぞれの部族・一族の「氏神」が存在した

その神は祖神と自然神が合体したような形であり

決まった時、決まった場所に来るものという認識だった

だから、その時に祭壇を仮設し、常設の居場所は必要が

無かったと考えられる

山や巨木、巨岩や太陽や月などといった物に神が宿る

アニミズムが基本であった

それが、決まった場所に、神の居場所としての神社(常設神殿)

が造られるようになったのは、天武天皇の時代からという

神社の由緒にどう書かれていても、天武朝の前後に作られたことは

間違いなさそうである



御神体である「山 川 木 磐」を拝むのに、建物は

無用だったことは想像できる

政治的な思惑で始められた、常設神殿の造営であることは

祀る王である「スメラミコト」の形が定まった時を物語る

強権の王ではなく、独裁的な大王でもなく、祈る祭祀王の

定着である

祖神である「天上の神」を祀る役目の人間が天皇であり

天皇はけっして「神」ではなく、神に奉仕する人間である証明

これが伊勢神宮を筆頭に、日本神道という祭祀が天皇家と密接に

繋がった「その時」だったように思っている


諸国の氏神を祀る「神社」の建立は政治的必要性からで

庶民の思いとは無関係なのである

その必要性とは持統天皇から続く「皇統」の正統性を

誇示するためのもの

諸豪族の氏神を取捨選択し、天孫降臨神話に統合した

その際に切り捨てられ、名も無き神にされた諸国の氏神

それを鎮魂するために東大寺・修二会における全国の神々

14,000余柱の勧請に今も残されていると考えている。

◎  神の名前 (参) アメノウズメ神 

天鈿女神(アメノウズメ)

天宇受売神、天鉏女神とも書かれる

天岩戸や天孫降臨で登場した女神

猿田彦神の妻という説もあり

「猿女君」の祖だともいう

アメノウズメの「ウズ」は神事の際に髪に挿す

「華や葉」の事だという

「メ」は女であり、巫女のことを言い

「アメノウズメ」とは巫女、シャーマンのことを指す

という説も有る


この「アメノウズメ」は岩戸神話と猿田彦の名前を聞き出す

時に登場した

そのどちらも、同じ様子で描かれている

「胸乳をあらわにして、女陰露出し踊った」

踊る(舞う)というのは、神に仕える巫女の神事であり

「アメノウズメ」は巫女であると考えてよいと思う


なぜ「アメノウズメ」が性器を露出させて踊ったのか?

このように女神が豊穣神に対し「性器を露出」して踊ることは

世界各地の神話にも有る話だという

「豊穣神の復活」に 女神の性器を露出して踊る ことは

不可欠なことだというのである

ただし、この記述は「日本書紀」だけであり、「古事記」には

上品な姿の「アメノウズメ」が書かれているだけである。


ニニギはアマノウズメに対し、こう言った・・

お前一人で猿田彦をお送りし、その名前をいただいて今後も

天ツ神に仕えるように・・・・

名前をもらう・・・というか、名前を継ぐということなのか?

それが根拠となって、「猿女の君」一族の祖神といわれるように

なったという事である。

その「猿田彦」は伊勢の地、二見浦にある二見輿玉神社に

祀られている

ところが、伊勢神宮・内宮(皇大神宮)の御垣内に興玉神

(おきたまのかみ)としても祀られている

内宮の守護神だというその順位は第二位である

その守護神の第三位が近くに鎮座している宮比神(みやびのかみ)

この神様、なんと「アメノウズメ神」であるという

不可解なのは猿田彦が西向きに祭られているのに、アメノウズメは

北を向いているという

同じ方向でもなく、向かい合うわけでもない

まるで・・監視しているように鎮座している宮比神


アメノウズメはニニギの命を受けて、猿田彦を亡き者に

したという説もあり、その際に「猿」の名前を受け継ぎ

「猿女」を名乗ったという。

道案内した猿田彦は何の褒賞も受けず、その後の

活躍も無いまま、伊勢の地に祀られたのである

その猿田彦を送り届けたといわれる「アメノウズメ」は

それを監視するかのように近くに鎮座している。

余計なことをしないように監視しているのかもしれない


◎  猿田彦神を考える 《弐》 


猿田彦神は「猿の化け物」という説

あるいは、「天狗(てんぐ)」のルーツという説

長屋の爺には納得できない説である

とにかく、「猿」という文字が付いていることで

想像力が限定されているのではないか


サルという音から、すぐに「猿」を当てることに違和感

を感じる

「去る」とか「然る」、「沙流」などでも良かったわけで・・・

「サルタビコ」というカナで書いたほうがイメージしやすい

そう思っている。


アイヌ語に葦原(あしはら)・葭原(よしはら)の意である

サル(sar)という言葉がある

サルタとは葦の密生する野、道行く人の道標などの意か?


道祖神として祀られている地方もあることから

「旅の道案内」としての意味から来ているのか?

また、アイヌ語に「サ sa」という言葉が在り

「前方」という意味で使われるという

前方ー旅ー道標ー道祖神 と、いかにもという言葉である


さらに「サルタビコ」という言葉は

琉球語の「先導(せんどう)」という意味からきている

という説もあるそうだ


私は「異形(いぎょう)」という言葉が気にかかる

異形=異国人(異民族)といえば短絡的か・・・。

サンタン という言葉

アムール川流域、沿海州に住むツングース系民族のこと

サンタン人である異形の神、サンタンヒコではどうだろうか

「サンタンヒコ」が「サルタルヒコ」に、そして「サルタヒコ」

になった、などというのは飛躍過ぎだろうか・・・。

ツングース系に「オロチ」という民族がいる

ズバリ「大蛇」のことであり、サルタヒコの異形が

ヘビに感じたことに繋がってくるではないか


ちなみにアイヌ語で「ルー」とは「道」のことで

「サ」が前方なら、「ルー」は道のことであり

進む先に続く道のことになり、天孫の道案内という

役目も納得できるのである。


アイヌ語で「酒の味見をする」ことを・・・

 「サケサッケ」と言うそうである

古代から酒をサケと呼んだのか、和人との交流で

酒をサケと呼ぶようになったのかはわからないが

興味深い話である。

◎  神の名前 (弐) 天孫降臨とは 


天孫降臨とは、アマテラスから授かったと云われる

「三種の神器」を携えて、ニニギノ尊が猿田彦神の

案内でヒムカの高千穂に降臨したことを言う。

神様の世界の話なので、人間界とは少々趣が違う

話の構成になっている。


たとえば、最初に降臨する予定だったアメノオシホミミ

は降臨の準備をしている間に産まれた息子・ニニギを降臨

させたいと願い出る

降臨の準備がどのくらいの年月だったのか?

生まれたばかりの子を代役に据える話の構成は疑問が残る

これも持統天皇が息子が亡くなり、孫に皇位を継がせること

の正当性を神話に投影させたものだろう


では、降臨に際して先導役を務めた「猿田彦」とは何者か?

ニニギはいったい何処から来たのか(降臨したのか)?

降臨に従ってきた天児屋命、布刀玉命、天宇受売命、

伊斯許理度売命、玉祖命という者達とは何者?


(猿田彦については、また別に書こうと思っている)


ニニギはどこから来たのか? であるが・・・。

日本以外の地からはるか昔に、流れ着いた者だろうと

推測できるが、言い伝えか伝説の焼き直しかとも

考えられる


従ってきた者達が誰で、どうして降臨の話に

登場させられたのか?

これも、持統天皇の周りの群臣たちの「出自(しゅつじ)」

の正統性を誇示するためだろうと思っている

天児屋命は中臣連(なかとみのむらじ)の祖神

布刀玉命は忌部首(いむべのおびと)の祖神

天宇受売命は猿女君(さるめのきみ)の祖神

伊斯許理度売命は作鏡連(かがみつくりのむらじ)の祖神

玉祖命は玉祖連(たまのおやのむらじ)の祖神である。

記紀が編纂された時代の権力構図からみれば、これは

中臣氏(藤原氏)の出自を飾り立てる「大道具」の

役目だけで書かれた記述とも考えられるのである。


天孫降臨神話とは、持統天皇の皇位継承の正当性と

持統天皇(天智系)の正統性を記す為のもの

そのついでに、藤原氏の出自を過大に飾る「おまけ」まで

書き足したように感じる



遠い過去のことを想像するには、足りない物だらけである

そういえば、「遠い」と言う言葉は、アイヌ語で「トゥイ」と

云うそうである。

◎  猿田彦神を考える 《壱》 


猿田彦神(さるだひこ)

猿田毘古神、猿田彦大神とも・・

サルダヒコという神、容姿が細かく伝えられている

神様とは「見えないもの」という常識から

逸脱した神様である。

私はこの容姿の説明を読んだとき、専門家の言う

意味が解らなかった・・。

専門家は皆、「このイメージは間違いなく猿の

化け物というような異形である」と仰る

  鼻の長さ七咫(ななあた)もあり、背の丈七尺

  あまりで、身長は七尋(ななひろ)近く。

  口と尻は明るく光っていて、眼は八咫鏡(やたのかがみ)

  のように円く大きく真っ赤な酸漿(ほうずき)のようだ

*七咫=約1.2m 七尺=約2.1m 七尋=約12.6m



長屋の爺は想像力が退化しているのか、これを聞いて

猿の化け物には思えないのである。

どうすれば、これが「猿」に繋がるのか?

爺が最も嫌いな動物である「猿」のことだ

どうしても猿の顔や姿と一致しないのである。

そもそも、背丈と身長の意味は同じではないのか?

背丈と身長が違うなどは、非論理的な記述である

背丈とは「踵(かかと)から頭頂部までの高さ」を言い

身長と同意語だと爺は思っていた。


爺の私見では、鼻と記述されていたのは、もしかすると

「ヘビの舌」のようにも思える

背丈と身長が違うのは、移動するときの「伸び縮み」の

様子から、縮んだときを「背丈」、伸びたときを「身長」

と捉えたように感じる

眼が円く赤いのもヘビの特徴である

(ただ口と尻が明るく光ることの説明ができない)

神様の姿を克明に記述するのは「特異」であり

サルタビコという言葉から思い込みの「猿」に

無意識に繋げた学説のように思えるのである。

 
       

◎  東大寺に残る「神々」の歴史 

現在も当たり前のように使われている言葉

その由来も本質的な意味も残されていない

今の私達が大事と考えても、古代の人にとって

あえて書き残すほどのものではなかった

知っていて当たり前

書き残すほどの特別なことではなかった


「息を吸ったら、息は必ず吐くように」

こんなこと書き残す意味が無いのと同じか


忘れてはならないこと

違(たが)えてはいけないこと

尋常ではないこと

自慢すること 

不本意であったこと

そういう事柄を書き残したのではないか

その大事なことも立場の違いで変わってくる

それが「古事記」であり、「日本書紀」である

書き残した時点で「大事」な事だったわけで

後世にも大事だと言う認識があったかどうか・・・。


日本の風習の多くは「江戸時代」に定まったもの

そんな話を聞いたことがある

言霊思想の日本ならでは、そんな気がする



現在、私達が感じる古代史観というもの

これは大雑把に言って、仏教伝来後の感覚であり

神仏混同しての歴史観と解釈基準である

日本の最古の歴史書といわれる「日本書紀」

これが書かれた時代は仏教が広まった時代のもの

朝廷の誰もが「仏教」の中で生きた時代である


神の解釈も異国の宗教などの影響を受けていると

思ったほうがよい気がする

どこまでが仏教に染まらない時代の逸話で

どこから仏教色に染まって変化した逸話か

知ることは出来ないのである。


東大寺二月堂・修二会

お水取りと言ったほうが解りやすいだろう

この修二会でじつに面白いことが執り行われる


修二会では経を唱える十一面悔過の他に、毎夜19時の

「初夜」に神名帳の奉読がある。

神名帳には日本全国60余州に鎮坐する490ケ所の明神と

14000余ケ所の神々の名が書かれおり、それを読み上げて

修二会を参詣せよと神々を勧請
し、19時頃の「初夜」と

23時頃の「後夜」に大導師の祈願と咒師の四王勧請が行われる。

  《 二月堂縁起より 》


驚くことに、この日本各地に座す神々

その総数14,000柱余ということである

なぜ東大寺に全国の神々を勧請するのか理解できない

東大寺建立に尽力したという説も有るが、古代の神々と

東大寺との関係はわからない

日本書紀にも、神々の数も名前も不確かなことしか

残されていない状況で、この数字と名前の存在は

無視できないものだと思っている。

◎  酒と神様と常識 


酒 「さけ」はなぜ「さけ」と呼ぶのか?

あいかわらず 可笑しな事を言う爺である


昔からそう呼んでいるから「さけ」なのである

名回答だろう・・・

では何時頃の時代なのか?は知られていない

古代では当たり前すぎて、口伝えさえ残されていない

そう考えている

酒の呼び名の由来は諸説あり

これと言った有力な説が無いのが現状である


「さ」とは「神」のことであるという

早乙女(さおとめ)も神に仕える「若い女性」であり

五月雨(さみだれ)は神の迷い乱れる心をいう


酒のことを「ささ」ともいう

これも説が多すぎて信頼できるものは無い


酒を「さし」「き」「くし」などとも呼んだ

という説もあり、これというものがない


長屋の爺の勝手(自由?)な解釈によると

まず、さけ であるが・・・

さ は神のことでよいと思っている

け は神の存在感・実在感に対し、敬い奉り

供える酒

神の酒 であり、「さ・け」、「さ・き」

酒の効能である「酔い」によって、神の傍に

行く、または神を感じる事が出来る「もの」が

酒であり、神に献じる扱いが「ささ」だった

そんなふうに思っている。


古代日本神道の霊魂観に「一霊四魂」というのがある

それぞれの魂には、「荒魂(あらみたま)」

「和魂(にぎみたま)」、「幸魂(さちみたま)」

「 奇魂(くしみたま)」という神様の名前が付いており、

それらを統括するのが1つの霊で、直 霊(なおひ)である。

これが人間の一霊四魂という「心の構造」であるとされる


この「くしみたま」こそ、酒のルーツだと思っている

「くし」は酒のことをいう ↑ とある

酒 御 魂 さけみたま であり、くしみたま なのである

くしみたま(奇魂)は奇跡によって幸を与えるとされている

酒に酔えば神に会うことができるような奇跡が起こる?

わけないか・・・・。


知っているようで知らない、常識という名の不可解さ

古代も今も、知らなくても伝えなくても通用する事柄は

数多いのだろうか

人が「意思」「感情」を持っている限り、伝える価値の

基準は変わる

伝えようとしない限り、伝わらないのは世の中の常識であり

伝えようとしても、伝わらないのは男と女だけかもしれない(笑)

◎  難読文字と神様の名前 

《 難読文字 》

時々 眼にする あなたは幾つ読めますか?

「難読文字」の啓蒙なのか・・・

私はこれを観ると、笑ってしまう

小学校・中学校で漢字の勉強をして

読み・書きを教わる

そこに「難読文字」が含まれているかは

無学な爺には解らないのだが

漢字の基礎知識を持ってしても、読めない文字

「当て字」にもなっていない文字が読めなくて

当然であり、読めますか?と問うよりも

どうしてそう読むのかが解りますか?

と、問うべきである。

「読めますか?」と、問うた本人はご存知なのだろうか

そう思うと、爺は笑ってしまうのである。

むろん、爺にも読めない文字は沢山有る

どうして、そう読むのか理解できないものも多い

勉学とは「押し付け」られたり、「詰め込む」ものでは

ないと思っている

疑問に感じることから、「学び」は始まると思う

知りたい欲求が、「学び」の肥料である

小さな子等は、「なんで?」「どうして?」と疑問を

投げかける

そこから一つ一つ「学ぶ」ことを知る

大人は「小利口」になって、疑問を封印してしまう

幼子のように「どうして?」と言える「おとな」に

成りたいものである。



御神酒 「おみき」と読む

これを「おみき」と読めと言うほうが不思議である

ウィキペディアに説明があり

「みき」という言葉は「酒」に「御」(み)をつけたもので、

酒の美称である。

通常はさらに「御」をつけて「おみき」という。

『古事記』には「くし」の語があり、沖縄県には「ウグス」の

語がある。

これらは「奇(くし)」に繋がるもので、酒の効能が奇瑞とされた

ことによるものである。


説明のようで説明されていない笑い話だ

酒(さけ)に御(み)をつけたなら

御酒 みーさけ になるだろう?

なぜ? みき なのかの説明になっていない

専門家の指摘(反論)も聞かれない

ということは・・・専門家すら解ってない話

そういう事になる。

御 御 酒 とかいて 「お み き」という


以前にも書いたことが有る

大己貴(おおなむち)、大国主神の別名という

己 という字、「おのれ」と読む

この字のひだり部分を上まで書きつなげると

巳 と言う文字、「み」と読む ヘビのことだ

その文字の左部分を繋げないと

已 と言う文字、「のみ」「すでに」と読む

長屋の爺のへたくそな文字では、区別が付かない

もしである・・・大巳貴 と書けば

おおーみーき と読める

オオクニヌシのことを言うことになる

ということは「おみき」とは、酒のことではなく

酒をお供えする相手、神様の名前が由来と考えて

みれば納得できる。

已など、この一文字ですでに「のみ」であり

酒を連想させる

大酒呑みの偉い人 ってどんな人(笑)


ただ・・・大己貴を「おおなむち」と読むことにも

疑問を感じるのだが・・・・

「おおなむち」という神を、オオクニヌシと同化した

ときに、「おおみき」という神も同化した

神の名は「音」言葉としては存在したが文字が無かった

後世になって、「おおなむち」という神の名に、別の

神の名「おおみき」の当て字をあてがった結果

大己貴=おおなむち と読むようになった

あくまでも・・・長屋の爺の思いつきの推論でしかない


オオクニヌシとは、大きな力ををもった国の主である

国譲りを強要した者達から見れば、怖ろしい「鬼」であり

言い換えれば、オオクニヌシとは、「大御鬼」と言える

大御鬼(おおみき)から 大巳貴 になり、大己貴になった

根拠の希薄な「戯言」ではあるが・・・。

◎  神の名前  (壱) 国譲り神話 


日本では「別名」をもっている神様がいる

どうして複数の呼び名(神名)が存在するのか

素人だからこその素朴な疑問・・・


別名・異名はそのどちらも通用していた?

「大」が付く付かないくらいは理解できる

まったくの別名は、どうにも腑に落ちない


現在、二つ以上の名前が残る神様は

本来は別の神様ではなかったのか・・

書き記す側の都合で、纏めてしまった可能性

否定できないと思っている。


百の集落(ムラ)があれば、百の神様が居る

そう考えれば、全ての神は多種多様であり

名前(呼び名)も多種多様であるはず

記紀を記すとき、取捨選択に困り

便宜上、神様の分類をした

不都合な神名は、王権に都合の良い神と同化させ

体裁をつくろった

それが複数の名をもつ神様の誕生の裏側ではないか

記紀には、「一書(あるふみ)」と呼ばれる注釈が

存在するのだが

その一書がなぜ書き残されたか、疑問に感じている

神に関しても「惚けた(とぼけた)言い伝え」として

様々なことが書き残されている


国譲りに関する不思議

オオナムヂ・・スサノオの6世の子孫である

兄である「八十神(やそがみ)」によって殺され

スサノオが居る黄泉の国へ行く

そこで、スサノオの娘「ヤガミヒメ」と結婚する

スサノオから「オオクニヌシ」の名を授かり

地上に戻り、国造りに励んだ

地上が栄え始めた頃、アマテラスは自分の子が

統治するのが良かろうと言い

オオクニヌシに国を譲るように迫る

結局はアマテラスの意が叶いオオクニヌシは

国を譲る(盗られた)ことになった。


オオクニヌシはスサノオの6世(子孫)であり

スサノオの娘を妻にした・・・?

スサノオの姉であるアマテラスが弟の子孫に対し

国をよこせと横車を押す


これは、同族の権力争いなのか

単なる侵略のあらすじなのか

私は「アマテラス」と「スサノオ」は姉弟では

ないと考えている

スサノオとは出雲一帯を支配していた「王族」

の代名詞ではなかったか?

朱砂の王・・・鉄と水銀を豊富に持つ大王

オオクニヌシとは・・大きな国の主

出雲王国の王が「オオクニヌシ」であり

その尊称が「朱砂の王」、「素砂の王」だった

大陸から鉄を得て、製鉄によって力を持った王

その出雲王国を騙し取った経緯を美化し

都合の良い神話に置き換えたのが「国譲り」と

いう名の、侵略だったと思っている。


つづく

◎  本と出合うこと、本を選ぶこと 


もう幾つ寝るとお正月 ♪♪

本年も残すところ半月あまりである

どんな年だったかの総括は未だ早い気がする


長屋の爺の「正月休み」は半月にも及ぶ

長い休暇だ

もちろんその間の収入は無い

が、とても楽しみである

旅行に行くでもなく、誰かと会うでもなく

沢山の書籍と食べ物に囲まれて「冬眠」する

至福の時間である


一日、文字を読まないとどうにかなる

そういう人間である

それが到底、爺には理解できない専門書で

あろうと、パンフレットであろうとかまわない

文字であれば満足する

変な爺なのである


今年もせっせと書籍を買い集めている

時代小説を10冊ほど、社会・政治などを数冊

古代史関連が数冊を購入済みであり、できれば

もう少し購おうと思っている。


長屋の爺は書籍を購入するとき、中身を見て買った

ことが無い

ほとんど、第一印象・・・

タイトルとの出会いだけである

だから、直木賞も芥川賞も全く選択の基準には

しないし、大家・重鎮といわれる作家も新人も

同じ土俵での本選びとなる

著者が誰であろうと問題外であり

その結果「残念な思い」と「高い授業料」を

支払ったことも有る(書籍名・著者は言えない)


正月用にと購入した本の中に「呆韓論」という

のがある

何気なくページを開いてみたら、なんとこれは

面白い、ついつい引き込まれてしまう内容に

正月まで我慢できるか自信がなくなってきた

「韓流ドラマ」にお熱の方に、聞かせたい話が満載で

著者のほかのタイトルも購入しようかと思っている。

(これは宣伝(ステマ)ではない)


私がけっして選ばない書籍の条件があり

事業成功者の著作は買ったことが無い

成功した人の言葉は「成功」したから言える

ことばであり、勝者の論理でしかないし

そのような人になりたいとも思わない

たぶん万人に通じることは少ないと思っている


売れっ子作家の本もたまに購入するが

最近の担当編集者の質の低下はどうしたものか

著者もPCで執筆し、記憶媒体を出版社に届け

それを文字に起こすようだが、中身より期日だけが

重視され、中身の辻褄が合わないことなど問題外

そんな書籍も多々有る

長屋の爺はクレーマーではないので、一人つっこみを

するだけで、出版社などには何も言わない。


丁寧な仕事からしか「秀逸」な作品は生まれない

質より量、中身より原稿料では、読者も離れていく


そんな秀逸な作品と出会うことは、紅い糸で結ばれた

女性と出会うようなものかもしれない・・・。

◎  神秘的な水の浄化力 

古来、水は生命の源泉であり、清きものであり、神秘的な

力を持つものと考えられてきた。

これは、山地が多く、河川の清流に恵まれた日本独特の条件

の中から生まれてきた観念であると言ってもいいだろう。

とくに宗教的な習俗のなかでは、水の浄化力が非常に重視され

てきた。

その背景には、非常に穢れを嫌う古代人の考え方がある。

穢れというのは、人間の本来の力を失わせ、生命力を衰退

させる悪しきものである。

それに対して水の浄化力は、その穢れを洗い流し、人の魂を

清め、生命の輝きを再生させるのである。


そういう水の神秘的なパワーを利用する代表的な宗教儀式の

一つが、神道における禊(みそぎ)である。

禊というときにまず水をイメージするように、昔から神道の

禊祓(みそぎはらえ)の儀式の中心に位置してきたのが、「水

の祓」だった。

その意義は、穢れた魂の浄化であるとともに、生命力の再生の

儀式なのである。

神道における聖水としての観念は、中世以降、仏教の垢離(こり)

の観念と習合し、今日では斎戒沐浴、水垢離、寒懲り、水行、滝行

といった心身浄化や修行の方法として共通したものとなっている。


われわれの身近な生活のなかにも、水の浄化力を信仰する儀式や風習

が数多く行われている。

たとえば、神社で拝礼の前に手を洗い口を漱ぐ(すすぐ)。

穢れのついた人形や雛人形を川に流す。

大相撲の仕切りのときの「力水」は、文字通り生命力を輝かす水の

霊力を象徴している。

また、盛り塩や葬式のときの「清めの塩」も、水(海水)の象徴である。

なぜ海水=塩かというと、古来、神社の神官は、海、川、滝、井戸などで

禊をしたが、そのなかでもっとも最良とされたのが「海」だった。

これは日本神話でイザナギ神が海に入って禊をしたことと関係があるの

かもしれない。

われわれが日常でもよく使う言葉で「水に流す」というが、これも悪い

ことは忘れ(禊をして)やり直す(再生)という意味である。


戸部民夫著 八百万の神々 より

◎  万葉仮名と口承(口伝)の謎 

万葉仮名

万葉集を書き記した「文字」の呼称である

かな といっても、ひらかな・かたかなではない

はっきり言って、「当て字」である

ヤマトの言の葉の音に便宜的に漢字の読みと

音をあてがっただけである。


さて、そのヤマト言葉の「音」と「万葉歌」に

大きな疑問を持っている


どういう事かと言うと・・・

日本の「奈良時代」の言葉は「何語」だったのか

日本語(現在の口語)では無かったはず

ヤマト言葉とか古代ヤマト語、全く異なる「和語」か

それもわかっていないと思う

人も物も海を渡って、数多く入ってきただろう

漢語や韓語、その他の異国語も使われたと思う

ヤマト言葉は口語だったのか、文語だったのか

江戸時代から400年経て、日本語は様変わりしている

これは事実である

ならば、4世紀の言葉と5世紀の言葉が違っていても

不思議ではないし、7世紀、8世紀となれば尚更に

変化している可能性は有る


現存する「万葉集」の記述は平安後期から鎌倉期に

書かれた「写本」である

9世紀になって存在が世に出た曰くがあり

持統天皇から後の時代に時間をかけて編集

された「歌集」ということになる



奈良時代前後のヤマト言葉をどういう「音」として

異国の「漢字」を当てはめてのか

単純に音だけで当てはめたということなのか


歌はなぜ詠まれたのか

歌は誰のために詠まれたのか

どうして書き残されたのか


書き残すという行為

非日常な出来事や伝えなければいけない事柄を

後に残す必要があったから書き記された

長屋の爺はそう信じている・・・。


長閑な情景を残すことにどんな意味があったのか

日本と言う国にとって、なべの中で煮え滾っている

そんな時代である


「空耳(そらみみ)」という言葉がある

他国語なのに母国語の言葉(音)に感じて、母国語と

して解釈する

赤ん坊は文字を知らないのに言葉を話す

最初の頃の言葉(音)は、大人の都合で解釈する

言い換えれば「大人の勝手な空耳」なのである

「マンマ」「バブバブ」

実際にどんな意味で出た言葉(音)かは問題外だ

それが「**語」という概念は微塵も無い


何を言いたいか?


音に文字を当てはめるとき

受け取り手の都合・解釈でそれを行ってはいないか

本来その音は「和語」ではなく「**語」である

可能性も否定できないのではないか?


万葉集に掲載される歌の7世紀中ごろまでの歌は

口伝え(口承)によって語り継がれたものであり

その後の歌は「万葉仮名」によって書き記されたと

考えていいだろう

つまりは古代の地方の言葉で語り継がれた歌(民謡)

などが、時代を経たヤマト人によって、詠まれた時代ではなく

書き残された時代の言葉の解釈によって記された

赤ん坊の言葉と似たような解釈もあったのでは?

それが長屋の爺の「万葉集は難しい素材」という根拠である



いずれ歌の中身についても、考えを書きたいと思っている。



◎  日本の神様 身近な神 

ヤノハハキ神(矢乃波波木神)

民間信仰で「箒の神」として知られている

箒(ほうき)とはゴミを掃き清めるあの「箒」だ

身近な家の神様で生活に関係する神様である

生活の道具にも神様が居る

日本の神様の幅広い分布を物語るようだ

ところがこの箒の神は掃除の神様ではない

人間の生死に関わる神様だという

ハハキとは「母木」に通じ

ハハキ=命を産む木 ということで、お産のときに

妊婦と赤ん坊を守護する神として信仰されてきた


また、箒は霊を掃き集める機能を持った道具として

不思議な力を持つ「呪術」の呪物として考えられている

日本では箒に手ぬぐいをかぶせ、長居の客を追い出す

「おまじない」にも使われていた。

ジブリの「魔女の宅急便」でも箒に乗るかわいい魔女が

主人公になるなど、特別な力 が備わっていると昔から

考えられていたようである。


この「ヤノハハキ神」は伊勢神宮・内宮に祀られていて

内宮の敷地を守護する役目だとされる

古来、朝廷では伊勢の宮の神霊として崇め奉ったといい

屋敷神、土地神の性格を持っていた神と思われる

土地の神・産土神(うぶすながみ)の産神という機能

だけを持って独立した神様かもしれない。

◎  日本の言葉 その行く末 

漁火(いさりび)

私はどうしてこれが、いさりび と読むのか

不思議であった



もともとこれは漁業から出た言葉で

船上で明かりを灯し、魚を集める道具である

船の上は波があり、立ち上がって移動することが難しい

そこで膝をついたまま移動する、これを「いざる」という

差別語とされる「いざリ」の語源だろう

ちいさな小船で漁をするには、危険は避けなければならない

必要から生まれた移動法が「いざる」だったのである

その小船での移動法が何時からか、漁 そのものを指すように

なったのかもしれない

漁=いざり

漁火=いざりび→いさりび


これがどうして差別語と言われるのか?

いざる(居去る)あるいは 移去るという言葉

膝をついたまま移動する膝行(しっこう)から

立てない人、歩けない人という認識なのか

こじつけ以外の何物でもない・・・。


名古屋弁では物を横に移動するときに

「**をいざる」「**をいざらかす」

などと使うらしい、これは禁止されていないのか?

面倒な論争を嫌い、禁止語にして収束を図ることで

意味有る言葉を失っていく残念な風潮である。


伊勢の国に伊射波神社(いざわじんじゃ)がある

大漁・豊漁を祈願する漁師達に信仰されている

伊雑神社とも書かれることがあり、言葉としては

古くから「いざわ」と呼ばれ信仰されてきたようだ


いざり=漁 ならば、「いざわ」も漁と密接な関係が

連想される

御魚取り神事(みととりしんじ)という神事も残され

長屋の爺には いざ=漁 の思いが強くなった


それと古代イスラエルの預言者「イザヤ」との

関係はあるのか、興味は尽きない題材である

◎  日本の神様 市場の神 


オオミヤノメ神

大宮能売神、大宮女神とも書かれ

馴染みの無い神様である

この神様、「百貨店の神」という

市場の産業に繁栄を齎す神様「市神」である

もともとは「ウカノミタマ神」(稲荷神)の

巫女だったが、神様に昇格した変わった経歴が有る

宮廷祭祀とも深く関わっていて、食物神と並んで

祀られていた

この神様は別の肩書きを持っている

開業式神(なりわいはじめのかみ)

開店式神(みせびらきのかみ)

商売福徳守護・・・なにやら難しいようなw

早い話、大黒様や福助人形、招き猫のパワー

と同じ、商売が上手く行くように力を貸してくれる

そういう神様ということだ

商売の神様と言えば「お稲荷さん」とばかり思っていた

が、細かく分担しているようである。


このオオミヤノメ神 と似かよった「市場の神」がいる

カミオオイチヒメ神

山の神の総元締め オオヤマヅミ神 の娘で

稲荷神の母親である

山の神や穀物神を祀る巫女的な存在だったとされる


市場は本来「食物」を交換する場所だった

その「市(いち)」の神様は「穀物神」だったが

穀物神を祀る巫女が神の「託宣」によって交換する

諸物価を決めていたとも言われている。

地方・地域によって「市場の神」は違っていて

大黒様であったり、オオクニヌシであったり

恵比寿、ウカノミタマ神だったりするようである

◎  日本神道の起源は仏教なのか? 


たられば であるが・・・

もし日本に「仏教」が伝えられなかったら

日本に今のような「神道」は存在しなかった

そういう説が有る

どういうことか?

日本の「原信仰」では、神とは見えないもの

自然を通じ「感じる」ものだったのである

それが「アニミズム」であり、生活の総てで神の存在

を意識する原始的信仰だった


ところが大陸より「仏教」が伝わり、偶像崇拝という

風習がヤマト人を変化させた

神の具現化とでも言うのか、「見えない神」から

「見える神」に変わっていった

仏教に仏像があるように、神道にも神像が出現する


沢山の神々が中央の舞台へと登場し、その神々を

掲載したのが「古事記」であり「日本書紀」である

「古事記」に登場する神の総数 321柱

そのほとんどを我々は知らない

321柱の神々も「王権」に都合の良い神たちで

勝者の言い分による「選別された神」である

各地に取り残された神たちもたくさんいたはずで

日本の原信仰の神々はそんな数字ではないと

長屋の爺は思っている

山の数だけ「山ノ神」が、川の数だけ「川の神」が

集落の数だけ「日の神」が、漁村の数だけ「海の神」が

いたはずなのである。


古代信仰(原信仰)とは能動的な信仰であり

仏教のような受動的な信仰ではない


考える宗教、教えられる宗教、悟る宗教が「仏教」なら

感じる宗教、感謝し祈る宗教が「神道」だと

爺の持論である・・・。


今現在でも都会から離れた地域では多くの神々と

生活を共にしている

水の神、火の神、竈の神、井戸の神、台所の神

産土神、氏神、水分の神、不浄の神 等々・・・・


代表的なものでは「トイレの神様」である「弁財天」

家を建てるときに祀る「産土神」(地鎮祭でおなじみ)

火の神(愛宕信仰や秋葉信仰)

竈の神は釜神(かまじん)、火男(ひおとこ)

神棚には「天照大神」「氏神」「鎮守」などを祭り

日本人の生活の一部となっている


次回からは「日本の神々」を考えてみたい

◎  神話から見える不都合な事情 

どこの国にも「神話」くらいあるだろう

この日本にも「神話」はある

だが「神話」はあくまでも神話であり

首尾一貫した「ストーリー」によって成り立つ

これは洋の東西を問わずだと思う


ところが日本の神話

とにかく辻褄が合わない話が数多くある

日本書紀・古事記でさえ、理解に苦しむような

記述が多くあるのだ


系統というものがある

神話に出てくる「神」にも系譜があり

それを見ると頭が痛くなる

例えが悪いが、「石川さゆり」が「坂本龍馬」と

夫婦だった、みたいな系譜だと思っていい(笑)

キチンと揃えようとして、失敗した遊具の

「ルービックキューブ」みたいなものか

なんとも言いようの無い出来栄えである。


例えば「アマテラス」の場合

スサノオが天上に挨拶に来る場面では

強弓を手にし戦闘体制で待ち構えたが

天上で悪さをするスサノオに対した場面では

天岩戸に逃げ込んでしまう

前者では「神々しい女神」「闘う女神」の印象

後者は「弱々しい女神」「普通の女性」の印象だ


スサノオに関していえば

荒くれ者、破廉恥、駄々っ子の印象だが

地上に戻ってからは、勇気の人、善行の人という印象だ

どちらが本当のスサノオなのか理解できない

たかが神話と言うなかれ

神話は一つのストーリーで伝え継がれていくもの

それが「支離滅裂」では神話の体を成していない

長屋の爺はそう感じている。


アマテラスとスサノオは姉弟だという

ところがこの二人、五人の子を生している

「誓約(うけい)」によって出来た子と言うが

約束で「子供」は産まれない

「男」と「女」だからこそ、子が出来る

そんな当たり前のことすら無視した記述である

これなら、「コウノトリ」が運んでくるほうが

納得できる話に聞こえる。


一事が万事、日本の神話はこういう具合である

夢を見ようにも、ロマンを感じたくても

呆然としてしまうことになる。


遥か昔、天つ神と美しい女神が居た、その子が現在の

日本の皇室の祖なんですよ・・・・。


神の末裔が「皇祖」であり、この国は神の子孫が代々

治めてきた「日本」という島国です

こういう筋書きに出来なかったものか


これには多くの「不都合な真実」が存在した

その結果あれもこれも入れて、てんこ盛りにした

こういう「不思議な神話」になったのだろうか



その不都合な真実の欠片を求めて

長屋の爺の古代史めぐりを続けてゆきたい

そう思っている。

◎  漢字と歌と言の葉 

よく文献で見かける言葉

「この文字からも判るように」

「この文字は本来**のことであり」

私達は漢字を見てその文字の意味すること

示すものの状態・形を想像する

私はこれを「漢字の先入観」だと思っている


ここまで古代史の上っ面だけを考えてきた

長屋の爺の古代史考だが、気づかれている方は

居ないと思っていることがある


このブログでは「万葉集」は一切触れていない

全く、ぜんぜん万葉集の文字すら書いていない

正直に言えば、理解できないことが多いから

歌はなぜ「詠まれた」のか・・・

そこから始めなくてはいけない話

言霊の世界で生きたヤマト民族が

どうして「歌」を詠んだのか、読むようになったか


戦国時代、戦いの合間に馬上で歌を詠み

兜の中に忍ばせた「歌」と万葉の「歌」が同じなのか

判断できないのである

現代感覚から言えば、「歌」は風情を詠み

心を詠むものであるが

5世紀ごろの日本に「文化の化学反応」があったのか

それを今も考え続けている

「言霊」と「漢字」と「言の葉」の遭遇である

「舞」が神に捧げる神事であったならば

「歌」は まつりごと の記録ではなかったか

万葉とは「途方も無い数の言の葉」ということか?

もうしばらく万葉を考えてから書いてみたい

そう思っている。

◎  古代の数字と「八」との関係 


「八」という数字

古事記や日本書紀を見ると

この「八と」言う数字がついた言葉に

しばしば遭遇する

私は「八」は吉数ではないと思っている

「末広がり」などと言うのは、「江戸期」あたりに

広まった風聞が元になったのか?


八重垣(やえがき)

八咫烏(やたからす)

八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)

八岐大蛇(やまたのおろち)

八千矛神(やちほこ)

八幡神(やはた)

八重事代主神(やえことしろぬし)

八百万神(やおよろず)

八雲(やくも)

八州(やしま)

八十神(やそ)

これをみて「八」が最も大きい数字だった

そんなふうに思えてしまう

古代の常識では、一から七までが数字であり

それ以上は「八」として表現された?

どうしてそう思うか・・・


アイヌ語の数字の数え方から想像した

あくまでも「長屋の爺論」であり

理論の裏づけなんてものは全く無い(笑)

さて、アイヌ語の数字は以下の通りである

1 シネプ    1個

2 トウプ    2個

3 プ     3個

4 イネプ    4個

5 アシクネプ  5個

6 イワンペ   6個

7 アラワンペ  7個

8 トウペサンペ (あと 2 個で 10 個 )

9 シネペサンペ (あと 1 個で 10 個 )

10 ワン

「七」まで単語が有るなら、「八」以降も有りそうだが

あと2で10になるというのは驚きである


これが長屋の爺が古代ヤマトでは「七」が単独数字の

最大であり、「八」以降は「たくさん」という認識

であっただろうという論拠である

数える数字とは別に、意識の中の数字とでも

言うのだろうか

日本の先住民、土着民族に浸透していた「数」の意識

それが一から七であって、八とは「多い」ということ

に繋がったのではなかろうか

そんな風に思っている。

◎  大仕事が終わって一息 

今年一番の大仕事を何とか完了させ

ホッとしている長屋の爺です

ここ数日、パソコンの前で「気絶」して

真夜中にベッドにようやくたどり着き

倒れこむ日々の繰り返しだった


まだまだ仕事自体は終わらないが

大物が終わって一段落した



なにせ爺である

夕方遅くには、体力が尽きてしまい

更新できなかったのが悔やまれるが

徐々にペースを取り戻そうと思っている

鍋が美味しい季節になった・・・・。


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