不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

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◎  大国主命と因幡の白兎 


大国主命と言えば、『因幡の白兎』 の物語から見つめないといけない

まぁこの物語を知らない大人は居ないと言ってもよいだろう

爺も知ってはいるが、不思議に思っていたことがある。

白兎とは白い色のウサギであることは解る

同時に出てくる”鰐(わに)”が不可解なのだ

子供心に昔の日本には”鰐”が居たのか?

問えば、鰐とは鮫(さめ)のことだと言う

釈然としなかったことを覚えている。

日本海にそれほど多くの鮫が大昔は泳いでいた?

知る術はないのだが・・・・。

それと”兎”が”鮫”と会話ができたのか?

さらに兎と大国主命がどんな言葉で会話したのか?

子供の思考なんてそんなものである。

最近になって、とある説に納得させられた。


これは所謂、『騙り(かたり)』のひとつ

鰐は『和邇(わに)』、『丸邇(わに)』、『王仁(わに)』

いわゆる”海人”和邇氏のことではないかという。


白兎は素兎でもあり、素宇佐妓(しろうさぎ)であり。

九州の宇佐の女性ではないかと言う。


この話はじっさいに九州のどこかであった実話で

それを南方の逸話に変えて

神話の中に潜り込ませたものかもしれないという。

それでなければ、兎でなければならない理由は見えない

ワニが選ばれた理由も見つからない

ネズミでもサルでも鯨でも良かったはずである。


「イナバ」は稲葉、稲場であり、イネの置き場を指し

「淤岐(おき)」は陸地から離れた海である「沖」を指すことが多いため

「淤岐嶋」は特定の場所ではなく、「沖にある島」を指す説もある


海人に宇佐の女性が乱暴されたのを大国主命が助けた

つまりはそう言う事らしい。

だから医療の神としても有名なんだろう。


ここで問題なのは、どうして大国主命がいじめに遭っていたか

八十神の迫害・陰湿なイジメに遭っていた理由

この物語(モノ騙り)には一切出てこない気がする。

苛めていたのが本当に”兄弟神”だったのか?


大国主命の説話・逸話は一人の神さまの仕業とも思えない

全部が虚偽などと言う事はできないが

複数の神さまの逸話を一人に重ねて伝えた可能性もある

大国主命とは個人名ではなく、尊称のようなものか?

だから大物主神(おおものぬし)と同一と言われていて

数多くの名前を持つ”神様”なのだと思っている。

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◎  見えない何か と 自分の人生 

いまさらの感じは否めないが、このブログを始めた動機

なぜ宗教や神さまのことを書こうと思い至ったかだが・・

はっきりとしたものが有ったわけではない


自分は常より 『人は 病気や事故では死なない』

そう言い続けてきた

理由は自分の体験から感じたものである。

自分は過去に二度ほど、九死に一生を得たことがある

他人はそれを”奇跡”と言うかもしれない

一度は交通事故であり、もう一つは火災事故であった。

どちらも99・9%死んでいて、何ら不思議ではない状況だった。

大型トラックと衝突し、原型をとどめないような事故

当事者のトラック運転手、警察官、そこに居合わせた多くの人々

『即死』 を確信し、救急車の手配さえされなかった情景

想像を絶するとはこういう惨状を言うのかと・・・。

『おかげさま』でかすり傷ひとつせず、無事な様子に

一同皆”唖然”としていたことを思い出す。


火災事故は8メートル地下の工事中での出来事

無責任な監督と非常識な業者のお粗末な工事作業

それが原因の突然の火災

地下で一人作業中の自分は、あっという間に”火達磨”にされた

地下8メートルからの脱出劇

『必死』 と言う言葉があまりにも当てはまる当時の状況だった

二箇所の梯子(はしご)をどうやって駆け上ったか?

今でも思い出せない事が多い中で

何度か見下ろした先の”炎”の色は忘れられない。

中段まで上った刹那、溶け落ちるアルミ梯子の歪んだ形

地上に転がりあがったときの爆風の熱さ

全身”火達磨”になったにも、左手旨の軽い”やけど”で済んだ

誰もが『焼死』 を覚悟したと、後から聞かされた。


もし、この世に 『仏』 『神』がいるなら

きっとその 『加護』 『慈悲』 『愛』 に救われた事になる

ところが、長屋の爺は生家が曹洞宗と知っている程度

神さますらまともに拝んだことも無かった人間だった。

特定の誰かさんが手を貸してくれたとは思っても居ない


最近になってよる年波なのか

昔のことを思い出す、ふとあの時はどうしたものだったか?

もし見えない何かがあるとしたら?

それが何か解る爺ではないが、そんな思いが頭に浮かんだ


生かされている

生きているんではない

死ぬときは死ぬべくして死ぬ

死んだ時が 『寿命』 であり、病気や事故で人は死なない

それは

『生きているのではなく、生かされているから』

そう思えば、何か人生が楽になった気がするから不思議だ


そんなこんなで、仏や神さまのことを知りたくなって

今回のブログとなった つまらない理由 である。

見えない何かは、漠然ながら自分の中のDNAなのか

おかしな事を考えながら、独断の神さまめぐりを再開する。

◎  蛇の神さま 

物の名前を聞いて疑う人間もいないだろう

また、その由来に疑義を抱くものも稀である

1メートルが1メートルとして認知されている

その裏にそれを1メートルと決めた者がいるはずである

1メートルの基準が降って湧いたわけも無い

名前も誰かが名付けたものである

地名もまた然り・・・・。


一つのモノに複数の言語の呼び方があれば

それは必然的に複数の呼び方(読み方)が存在する

ややこしいが、物の呼び方一つとっても一つではない

現代の日本語では想像できないことも有るということ


『蛇(へび)』 現代では嫌う人が多い生き物である

脱皮をすることから「死と再生」を連想させる

長い間餌を食べなくても生きている生命力がある

等により古来より各地でヘビを崇める風習が発生した

この蛇にはいろいろな古語が存在する

カ カハ ハハ カガ カガチ

蛇(カ)の身(ミ)・・・・神(カミ)という説まである。


蛇といえば三輪山を思い出す

この三輪山をご神体として祀るのが大神神社だが

三輪山は蛇がとぐろを巻いているお姿だという

だから大物主神は”蛇神”といえる

ではなぜ大三輪神社ではなく、大神神社と称するのか?

大三輪のどこに不都合があるというのか

『大巳輪』でも『大御倭』でもよいではないか?

と言うか、『大神』 を 『おおみわ』 と読むことが解せないのだ

みわ - 三輪 - 巳環 - 巳輪 -身は -みか

御蛇(みか)-蛇(か)巳(み)-神(かみ)

大蛇身(おおかみ)が大神に変じたのかもしれない(爺の私見)


とにもかくにも、神さまと神道を考えるとき

蛇から離れることはとても少ないと思っている


『鏡餅』 誰でも知ってる正月に飾る丸い餅のことだ

これも『カガ(蛇)』 『ミ(身』 蛇がとぐろを巻いてる姿

『鏡』 も瞬きしない蛇の眼を指すとも言われる

『案山子』 田圃に立ち鳥から稲を護るあの人形

子供心に、あれではスズメは追い払えないだろう思ったもの

案山子は『カガ(蛇)の子』といわれ、稲を護る蛇の化身だそうだ

ひょっとして、『屈む(かがむ)』も蛇神を拝むときに前屈する

その様子からそう言い現されたのかもしれない

言葉は音である  何度も書いてきた

文字は後から都合よく誰かが決めたもの

全ては音に大事な意味が隠されていると思うと

わくわくしてくるのは、長屋の爺だけだろうか


次は、大国主命と大物主神と出雲か・・・・。



◎  丹波の出雲大神宮 

日本は”識字率”が素晴らしく高い国である

神代の昔から奈良時代にかけて識字率はどうだったのか?

文字と仏教が渡来し、やんごとなき人々は文字で伝えた

文字を知らない人々はどうしていたのか?

口伝であっただろうか

古くからの言い伝えの中に宝が埋まっているかもしれない


ここに異なった言語をもつ種族(民族)が集まったとする

意思の疎通を模索する中で、最初は”モノ”の呼び名だっただろうか

それぞれの呼び名 太陽や川、山や海など・・・

例えば”犬”のことを 『くま』『オヤジ』『やまおに』と呼んだとする

時を経て専門書に古語では”犬”を 『くま』『オヤジ』『やまおに』と称する

なんて書かれたかもしれない

今 △△と呼んでいるから△△であって、××であっても不思議ではない

文字に拘ったり、通説に拘ると見えてこないものも有る

そう自身に言い聞かせて、楽しんでいきたい


『出雲の社』

江戸時代以前は『出雲の社』と言えば

誰もが京都府亀岡市にあった『出雲大神宮』のことを指した

主祭神は大国主命と三穂津姫命である

第十代崇神天皇の頃に”再興された”と言われている


『丹波国風土記』によると、『奈良朝のはじめ元明天皇和銅年中

大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。すなわち今の

出雲大社これなり』と記されている。

出雲は元々丹波の地にあり、現在の出雲に移されたのかもしれない。


吉田兼好の『徒然草』という本がある

徒然なるままに 日暮らし 硯に向かい・・・・という有名な随筆

この中の第二百三十六段にこう書いてある

『丹波に出雲と云ふ所あり。大社(おおやしろ)を移して、

 めでたく造れり』

当時から丹波の出雲は有名であったことが窺える


ではなぜ大国主命は杵築の地に遷されたのだろうか

それも妃神(三穂津姫命)と引き離されてである。


大国主命と元出雲、天照大神と元伊勢

このへんが謎の糸口かもしれないな


(体調が万全でない為、続きは明日と言う事に・・・・。)

◎  もう一つの出雲と神在月 

面白い記述を見つけた

島根、奈良以外にも 出雲があった


真偽のほどは不明だが確かに京都に出雲の足跡が残っている

私見は後にして、その概略を記してみたい


<元出雲>

 ところで京都府亀岡市には「出雲大神宮」という神社がある。

丹波一宮で社格も高く、もとは広大な神域を持つ大神宮だった

現在では小ぢんまりした神社になっている。

出雲大神宮の御神体は背後にある山(御蔭山)で元は拝殿もなかったらしい。

原始的な信仰を伝える神社だ。

主祭神は大己貴神とその妻である三穂津姫命である

社伝では和銅二年(709年)に大己貴神だけを現在の出雲の杵築神社に遷した。

そのため現在の主神は独り取り残された三穂津姫命である

あくまで本来の出雲はこの地であったという。

そのため神社では「元出雲」と称している。

 この「元出雲」の伝承はあまり注目されず、信じられてもいないらしい



わくわくするではないか・・・。


奈良の出雲ととても雰囲気が似通っている

出雲がそもそも何処にあったかという疑問

いや、むしろなぜ複数の”出雲”が存在するのか


以前ここで、字より先に音が有ったはず・・・と書いた

赤子が最初に口から発する音は字には無関係である

字は後から誰かが当てはめた(こじつけた?)ものである

字には当てはめたであろう者の”意思”を感じる。

出雲・・・雲が出る地

蜘蛛もまた『くも』である

朱を知る虫・・・・丹に関わる虐げられた民のことであろう

奈良ー京都ー島根

出雲は想像するだけで楽しくなる大きなカンバスである。


さらに面白い記述を見つけた

神在月、出雲ではそう呼ぶと教わってきた

誰もが疑わない常識である

ところが、これは事実ではないと言う


<神無月のこと>

 ところで、「神無月」には出雲大社に諸国から八百万の神が集まって来る。

一大会議が催されるので、諸国の神々は現地を留守にする。

そのため、出雲以外の土地では10月を神無月と言い、出雲だけは神在月と言う。


 のみならず、現在は出雲大社でも、旧暦10月を神在月と言い。

そのときには「神在祭(かみありさい:じんざいさい)」と称する行事を執り行う。

 ところが、これはどうやら真っ赤なウソであるらしい。

井沢蟠竜の『広益俗説弁』(東洋文庫503)の巻二第七には、著者が江戸にいた頃

(元禄年間前後)出雲出身者に会ったので、このことを聴いたところ

「他国の人はいつもそのことを言う。出雲だって『神在月』なんてことを言うもんか。

神無月はあくまで神無月だよ」という答だったそうだ。

誰彼なしに訊かれるので、うんざりしていたのだろう。

 少なくとも江戸中期までは、出雲だけ「神在月」などという習慣はなかった。

柳田国男のある文によると

「出雲大社側では『言いたいやつはそう言わせておけ』と取り合わない」とある

大正年間にもなかったらしい。

私の知る限りでは、昭和30年代にもそういう話はなかったようで、私の家にしばらくいた

松江出身の女性も、やはり出雲だけが神在月などというのは知らなかった。

 神在月、神在祭といったことは、出雲大社は「古来そうなっている」と言っているが

実際には最近になって始められたと思われる。

ただし、出雲以外の地域では古くから俗説として広く信じられ、旅行が盛んになると、

他郷から来る人が口々に「神在月、神在月」と言うものだから、

神社側でもそれに迎合したと考えるべきだろう。

 神在祭自体も、本来は「御忌祭」というものにそう名付けたので、

大神が杵築大社周辺を巡幸されるのだが、それに逢うとイケナイ(タタリがある)ので、

夜間は外出を控え、物音もできるだけ立てないようにするのが習わしだそうである。

実際に神在祭を見た人によると、八百万の神が集まってさぞかしにぎやかと思いきや、

逆に普通のお祭りよりひっそり閑とした、異様に厳粛な雰囲気だったという。

私は、これは出雲の大神の葬送儀礼のようなものだったのではないかと思う

 出雲の大神は、大物主神と天照大神によって大神の地位を追われた神である。

勅使参向の時には勅使から「朝廷に服従せよ」と言われ、「おとなしく服従いたします」

と答えることになっているらしい。

よほど威力の強い、朝廷から見て怪しい神だったのだろう。

そのため毎年服従を誓わせるだけでなく、毎年滅ぼさなければならなかったのだ。

それが年中行事の葬送儀礼の形になり、大神の怨霊を送るのであるから、出会ってはならないのである。

【一部転載】

これを信じるなら、常識の嘘と言える。

信じる信じないは個人の問題ではあるのだが・・・・。


大物主神と天照大神を悪者にして天ツ神(朝廷)が抹殺した

そう言う事なのかなどと思っている。

◎  出雲とアニミズムと三輪山 


私は神さまを観たことがない

『神さまを観たこと有る人 手を上げて』

手を上げる人は必ずいると思う

長屋の爺はついに発狂したか? そうではない!


神さまって何? だれ? どこにいるの?


爺が幼子なら 間違いなく尋ねるだろう

そもそも神さまって何だろう?

ここから始めるのが肝心かなと思ったのである


古代の人々は自然の驚異を”神さま”の仕業と考えていた

この世の森羅万象全てに神さまの姿を見出していた

つまり、自然界の存在全てに『霊魂』が宿る

アニミズム(精霊信仰)をもっていた。

これが”八百万の神”の正体である。

日本の原始信仰において、”偉大な神さま”は姿が見えず

自然を通じて『感じる』ものだったのである。



高くそびえる山を神奈備(かむなび)と呼び

天へと伸びる高い樹木を神籬(ひもろぎ)と呼び

尋常でない巨岩を磐座(いわくら)と呼んで

神さまが降臨する場所として”聖域視”されてきた。


では眼に見えないはずの神様が、なぜ見えるようになったのか

それも尊とか命の尊称までついて人間と同じ次元に降りてきたのか

その答えが、神話を探る大事なものではないかと思う


奈良県桜井市の出雲である

大三輪さんは大神さんで三輪山であって神南備であり神名火である

ややこしいが、大三輪さんは古代から粗末に扱えない『神』であり

人々が畏怖を抱いた『鬼』の山なのである。

後から来た”神武”さんには、到底敵わない偉大な神様なのだ

人である神さまが自然の神さまを排除しきれなかったから

人々はなが~い間、大三輪さんを大事にしてきたと言うわけだと思う。

今でも土地の人は三輪山に神を感じていることの証明でも有る。



◎  二つの出雲の不思議  


歴史に興味を持ち、神代から入った人はすこ~し学ぶと

断念する人

時代を変えて続ける人

どつぼに嵌まる人に分かれる


原因はややこしい呼び名(神名)のせいである

さらに諸説入り乱れ、囲碁・将棋の先手読みの如しである

途中から戻り、再確認しながらの”学び”は相当キツイ

それならいっそ戦国時代にとなり、”家康”や”政宗”に宗旨替えするのだ

長屋の爺もご多分にもれず、この数日”頭が膿んだ”状態である

一番の原因は資料不足、事実と推量が混同していること

酷いものは素人から見ても”こじつけ”以外の何ものでもない

そんな物を相手に素人ではお手上げである。


ここで諦めてなるものか

有名どころの神さまを中心に、あっち行ったりこっちへ来たり

古の旅を再開する決意をした爺である。


神さまを考えるとき、忘れてならないものがある

『出雲』であり『吉備』であり『ヤマト』である


出雲と聞けば、山陰地方の出雲大社を思い浮かべる

奈良県にも『出雲』は存在している

長谷寺と三輪山に挟まれた地に確かに出雲郷はある

奈良県桜井市の出雲には

  オオミワはんは、ジンムはんより先や

奈良県のある地域では、地元にある神武天皇の橿原神宮より

三輪山にある大神(オオミワ)神社を尊崇している。

なぜなら大神はんは元々この地の神様であって、神武はんはその後やって来た。

いわば「よそ者」だったから。

では、大神はん(大三輪はん)とは何もの?

大神はんは大物主(オオモノヌシ)と言われ、大国主命(オオクニヌシノミコト)の別名とされています。

古代奈良県は出雲の勢力範囲であり、民衆は新しい王様(神武天皇)より自分達の古くからの王様

大物主神を懐かしんでいるのかもしれません。


というわけで、二つの出雲から探っていこうと思っております。

◎  頭の中のタイムマシンに乗って 


今回 神さまの謎(それほど大それたものでない)を調べようと

書籍やネットでいろいろ探し回った

さすがそのジャンルにすごい見識をお持ちの方が沢山居られた


ふと気がついた

皆さんの考え・持論に決まって登場すること

○○氏の祖先が×△神だから・・・。

え? どうしてそれが解るの?

素人ゆえの素朴な疑問かもしれない

だって、△□に書いてあるから・・・・だそうです。

私は昔の資料的な記述が全て偽りとは思いませんが

言うような単純なものなら、歴史(古代史)は明確に収まっていたと思います

名前一つを取り上げても、AとBは同一神だから・・・。

CはDとEの名前でも呼ばれている山の神だ・・・・。

物指しが今風な気がするのは、自分だけなんでしょうか。

書いてあるから事実

書いてないから偽りである

今の時代でも『都市伝説』と言われる奇奇怪怪な話もあるくらいだ

自分の都合の良い記述を残すこともあると思うのだが

それゆえ様々な言い伝えが残り、古代史を複雑怪奇な硬い学問にした


古代史は数学ではない

答えなど一つではないかもしれない

いや、答えなど導き出すことすら無謀なのかもしれない

古代史は沢山のピースを失った『ジグソーパズル』みたいなもの

なくなった部分を『残された記述と推論・空想と考古学』で埋める作業

そのほとんどが”史観”より”私感”でつなぐもの

ど素人の爺はそう思っている


日本人が日本の太古に思いを馳せても良いだろう

そこにロマンがあるのか、見てはならないものが見えるのか

専門家には笑える話を書くこともあるだろう

素人には なぜ? どうして? 強力なアイテムがある。

知らないことに素直に疑問を感じる

怖いもの知らずは向こう見ず、失うものなど何も無い


爺のタイムマシンはようやく動き始めたばかりである

◎  縄文人と弥生人 

なぜ『縄文時代』の歴史は不明なのか考えた

遥か昔の時代のことであり、考古学の推論しか頼るものがない

本当にそうなんだろうか?


縄文期、この時代には絶大な権力を有した者が存在したのか疑問である

かっこいい英雄もいなければ、極悪人もいなかったのではないか

それでは権力を持った”勝者”も、涙を飲んだ”敗者”もいなかったことになる

勝者・敗者のいない世界に『歴史』は存在しない。

歴史は権力者(勝者)の正当性、正義を主張することから出来上がる。


『縄文人』と聞くと、野蛮な民という印象を抱く

はたしてそうなのか?

狩猟民族は”縄張り”をもって、他人の領域を侵すことは無かった

さらに必要以上の獲物を捕ると、自らが滅びること本能的に知っていた

狩猟民族は”大きな戦争”もしなかっただろうし

急激な人口増加もありえなかったと考えられる


農耕民族の渡来

これがわが国太古の『歴史』の始まりだと思う

”農耕民族” 一見大人しそうで素朴に思える

ところが どっこい これが曲者だ

農耕地は耕せば耕すほど豊かになれる

定住し蓄えることで人口も膨らんでいく

当然、耕す豊かな土地を求め、他人の領域に入り込む

どんどん他人の土地を欲しがり、土地(縄張り)を拡大していく

そこには”話し合い”も”譲り合い”も存在しない

部族が生きるか死ぬかの『戦い』が日々繰り返される

これが”農耕民族”の姿であり ”弥生人”の野蛮さである

奪った者が、己の正当性・正義の戦いを主張し

他の部族に言い訳をしたのが『歴史』の始まりだったと思っている。

◎  比売大神の謎 


宇佐神宮

天皇家の宗廟であり、全国にある『八幡宮』四万社の総本社である

主祭神は応神天皇

本殿には三つの御殿が並ぶ

一之御殿に 『応神天皇』

中央の二之御殿に 『比売大神』

三之御殿には 『神功皇后』 が祀られている

なぜか主祭神の 応神天皇 ではなく、比売大神が中央に鎮座する

主祭神より格の高い位置に『比売大神』 が祭られているわけとは?

主祭神である応神天皇より格の高い神でなければいけないはずであるが

始祖と言うべき身分の神なのだろうか?

『比売大神』とは いったいどんな神さまなのだ・・・・。


宇佐神宮では日本書紀の記述から、宇佐に降った三女神であると言う

三女神とは、市杵嶋姫命・市杵島姫命・田霧姫命のこと

三女神=『比売大神』 なのか?

姫神三人を一括りで祀るのもどうかと思うし

この姫神たちは『宗像神社』に祀られている三女神である

それを纏めて 『比売大神』 として祀るのは無理がある

応神天皇より神格が上の女神・・・・・・。


日本書紀には、宇佐に降った三女神は

『アマテラスとスサノオとの誓約(うけい)によって生まれた』

とされている。

誓約(うけい)・・・・?

ぶっちゃけ 人が生まれるのは”木の又”でも”誓約”でもない

話し合いなどで子供が生まれたら、不妊治療など意味もない

アマテラスとスサノオは姉弟ではなかったことになる

夫婦だったと言う事なのか?


宇佐神宮には奇妙なことが有る

拝礼作法は『出雲大社』と同じ、二礼 四拍手 一拝 なのである。

さらに、境内は曲がりくねった参道がある。

これは”不幸な死に方”、つまり殺された神を祀る神社の形式だ

神功皇后も祟る神として知られているが

不幸な死に方をした『女神』はだれか?

応神天皇より神格が上で、不幸な死に方をした女神

もっとよく調べてみたいと思う。

◎  天照大神と伊勢神宮について 2 

日本の最初の天皇と言われる神武天皇

その神武天皇の5代前の先祖である天照大神は

皇祖神として今でも崇められているのだが

はたしてそうだろうか?

先祖が祀られている神宮に参らない末裔など存在するのか

皇室だけに留まらず、国民の総氏神と言われる最高神なのだ


失礼は承知で言うと、皇祖神ではないと思っている


土着の豪族が一つに纏まろうとした段階の地方豪族の首長

太陽神と言われ、日の巫女だったとも言われている

そういう地方豪族・土着の首長・権力者を排除しながら王家が確立された

話し合いではない『武力と謀略』による搾取・略奪・抹殺

その行いの後ろめたさ、非道に対する『祟り(たたり)』

それから逃れる為、神として手厚く祀った

それこそが8世紀に編纂された『正史』が神話でしか書き残せなかった

最大の理由だと考えている

日本(やまと)が王家を軸に統治されたのはたぶん6~7世紀ころ

大体であろうと不確かであろうと

史実を書き残さないのは明確な”意図”を感じる

書かなかったのではない

書けなかったのである

日本の最初の統治はきっと、複数の豪族の合議制か

大国主命や天照大神、大山祇神などもそのなかのメンバーだったか?


長屋の爺は、なぜ日本には『記紀』以前の記録が無いのか

とても不思議だった

文字が8世紀に突然できたわけでもない

口伝えもあるだろう


地方それぞれ簡素な記録が書かれていたはず

勝者が残さなかったのではないか?

焼却されたかして不都合な過去は残されなかった

そう考えれば、今に伝わらない理由が見えてくる


だがいきなり王家が興るのも不自然である

苦肉の策として事実と創作をミキサーにかけて

作り直したのが神話と言う奇妙奇天烈な歴史物語だった

国譲りを正当化するため、和をもって尊しとなす

事実は地方の占領が武力と陰謀で成された

その祟りを回避する為の、出雲大社であり、伊勢神宮だった

その神威のあまりの強さに、伊勢に追いやられた天照大神

きっと『王家に祟る』強力な神ゆえ

拝殿すら設けず、封じ込めたのが真相だと爺は思っている。

恐ろしくて参拝などできない

それほど惨い過去があったと言う事ではないか


むろん爺の勝手な妄想である

普段から他人の言う事を信じない性分

立派な学者先生が言おうとも鵜吞みにする気は無いのである



◎  天照大神と伊勢神宮について 1 

日本の神さまを考えるとき

避けて通れないのが 『神話』 である

『古事記』 や 『日本書紀』 に描かれている神話

これを単なる創作と観るか否か

自分には 『物書きの才』 はまるで無い

だからかも知れないが、当時の才知あふれる人が書いたもの

徹頭徹尾 微細なところまで行き届いた構成が成されたはず

ところが、現実は素人の爺が読んでも、陳腐な記述が多い

完璧なフィクションを目指したなら

大傑作に仕上がっていてもおかしくない

この理解に苦しむ 『ちぐはぐさ』 『辻褄の合わない事柄』

”正史”として編纂されたにしては矛盾だらけである。

国の成り立ちを、事実(史実)ではなく、神話(御伽噺)にした理由

これが全ての手がかりだと思っている。


この日本に権力が生まれ、そのときから歴史は始まった

権力が生まれれば、勝者と敗者が生じ

勝ち残った者は、自らの正義を主張し、敗者の悪行を書き残す

それが 『正史』 と言われ

敗者は弁明の場を与えられないから、密かに正史とは異なる

『稗史(はいし)』を残すことになる。


どちらが正しいとは決められない

お互いの言い分が根幹を成している


この国(日本)には大昔、狩猟民族が存在していた

彼らは自然界にある全てのモノに魂(神)が宿ると信じた

それは畏怖・畏敬であったのだろう

自然は恵みを与えてくれるが、時として荒れ狂い命まで奪う

それが自然崇拝、八百万の神の信仰である。

その集団を率いていた長(おさ)が居た

それが 『国つ神』 土着神だったのではないだろうか


皇祖神は、いつ どこから 来たかは不明である

歴史が全てを隠してしまった

『この国は”和”をもって尊しと成す』

教わった記憶がある

自分はこれこそ、騙り(かたり)だと思っている。

話し合いこそ大事、今の文明なら理解もできる

ある日突然、見知らぬ集団が現れたとして

本当に話し合いなどで解決するだろうか?

見知らぬ・異民族との遭遇が引き起こすもの

諍い(いさかい)だったのではないか

眼を覆うような惨劇が繰り広げられた可能性は否定できない

その裏返しが、『国譲り』であり、『神武東征』ではないか

事実と言うキャンバスにあれこれ書き加え・塗りつぶし

出来上がったのが『正史』である


さて 誰もが知る天照大神について

まず疑問・・・・

天照大神が皇祖神であるなら、なぜ歴代の天皇は参拝しなかった

宮廷内に祀られていた天照大神を伊勢の地に追いやったのはなぜか


伊勢神宮には”拝殿”が無い

拝むことを拒絶するかのようである

そもそも神社に参拝する際、その神社の主祭神を最初に参拝する

その他は後からでもかまわないが、主に許しを請うのは当然である

伊勢は外宮から参拝するのが習わしである摩訶不思議だ

『主より先に従う神にお参りせよ』 と言うのだから変てこだ


伊勢神宮にはもうひとつ不思議なことがある

参拝の前に”五十鈴川”の水で手を清めるのである


まるで”結界”を越えたモノを清めるように・・・・。

次に不可解な・・・・

20年ごとに繰り返される 『式年遷宮』

日本の建築技術なら100年はおろか200年でも大丈夫だが

『常若思想』 だとか 『伝統工法を絶やさぬ為』 とか言って

今も行われている


外宮・内宮といっても同じ敷地には無い

およそ直線距離で4・5キロ離れている

敷地もちょっとしたゴルフコース並みの広さである

何から何まで”別格”な神社である

爺の手に余る神様の中の神さまである

時折他の神さまとの関係で登場されるだろう








◎  疑うことから始める 


古(いにしえ)を覗き見すると 幾多の疑問が浮かぶ

己がへそ曲がりなだけかもしれない

『古事記』『日本書紀』は全てを信じるには無理がある

歴史は勝者の正当性を主張する言い分だらけである


藤原貴族政治が意としたもの、その正当性と辻褄あわせ

それを幾重にも粉飾・改ざんして書き上げた古代小説

専門家でもない爺が”厚顔無恥”な私見を書いて行きたい


伊勢神宮 言わずと知れた国家神道の要である

ところが江戸時代は”庶民信仰”のメッカであり

『お伊勢参り』『お蔭参り』で有名盛んであった

皇室との強い絆は見受けられないのである

明治維新から恭しく権威付けられたふしがある

持統天皇が参ったことが有るとか無いとか・・・・。

明治天皇が最初であったことは知られている。

それはちょっと不思議な話である


日本の神道は8世紀の後、『藤原貴族』の都合により

藤原のための信仰に摩り替えられたと思っている。

政争に敗れたものたちを”神”として祭り

体よく封じ込めたのが想像できる

さらに”明治新政府”が脚色した

各地の神社の言い伝えが嘘と言うつもりは無い

その言い伝えの中にこそ『神道の真実』が潜んでいるのでは

へそ曲がり爺の真骨頂である歪んだ眼で観て行こう


今度のテーマは『神さまの謎』で考えて行きたいと思う

どうなることやら・・・・・・。

◎  『伊勢屋 稲荷に 馬の糞』 終わり 


狐は稲荷神の眷属(神の使者)であり、稲荷神の化身であるという


江戸(東京)にはどうして稲荷社が多いのか

これには訳がある

稲荷神のお使いである狐を怒らせると祟りを起こすと言われ

江戸時代初期に近隣の農村から江戸の町にその説話が持ち込まれ

急速に広まり、町のあちこちで赤い鳥居の稲荷が増えたという


狐はもともと稲荷神の使いで、神より格下であった

ところが狐は荼枳尼天(だきにてん)の化身とされ神と同格

稲荷神そのものであるといわれた


荼枳尼天信仰を広めたのは『平清盛』である

清盛が若いころ京都の蓮台野で狩をしていた

そこに現れた一匹の狐

清盛が矢を射かけようとした時、狐が美女に変わったという

自分は荼枳尼天であると言い

『わが命を助けるなら、望みのことを何でも叶えよう』

のちに清盛は荼枳尼天を祀り、そのおかげで源氏を倒した


自分はこのことを違った解釈をしている

清盛の前に現れたのは、狐ではなく『来つ寝』だった

見目麗しい女性だったか

はたまた諜報活動に長けていたか

あるいは裏社会に生きる身分の低い女性だったかもしれない

清盛は貴族、巷のどろどろとした問題には直接手はかけない

汚れ仕事は裏社会の”鬼”や”狐”を手足のように使役したのか

殿上人が下賤の者を使ったと世間には憚られた結果

そんな逸話が残ったと考えている。


荼枳尼天は来つ寝であり

来つ寝は狐であり

狐は荼枳尼天である

これが稲荷社に狐が祀られている理由だと思える。

独断と偏見の稲荷神社考察

爺だけが納得しているだけかもしれないが

それも善しとしよう・・・・。

◎  『伊勢屋 稲荷に 馬の糞』 3 

さて残った難題の『きつね』である

正直言って、爺の浅学ではどうにもならない

きつねと言う言葉は古くから有ったらしい

平安のころにはすでに『狐(きつね)』と呼ばれていた。

また、狐のことを古代では『きつ』と呼ばれていたとも言う

『日本霊異記』という本にはすでに載っていて

それによると『来つ寝』と書かれていて

これが語源となったという。

また大和の時代、抵抗する土着の神を持つ民を排除し、狐と呼んで蔑視していた。

産鉄地などから追い立てられた女性たちを侮蔑し『来つ寝』と呼んだのか

身を売って生計を立てるしか残されていなかった女性も居ただろう


稲荷の眷属が狐の理由は不明である

結局は月並みな『米を食い荒らすネズミを獲る』から

そういう話に落ち着いてしまう

ネズミを獲るなら、猫でも鷹でも良かった気もする。

独断では有るが、朱色の鳥居と丹の関係は繋がった

稲荷と眷属の狐、朱色の鳥居と丹、砂鉄とたたら場

これからも調べようと思う。


たたら場では必ず、『金屋子神』を祀っている

本社は島根県安来市にあり、九州~東北の一部まで信仰されている。

『金屋子神』は女神と言われ、神を祀るのが『女(ヲナリ)』と言う

この『ヲナリ』と『いなり』の関係はどうなのか?


ちなみに島根県安来市といえば『安来節』だろう

ドジョウすくいは有名であるが

ドジョウすくい、実は『土壌すくい』ではないかと言う

山陰地方は良質の真砂(砂鉄)が採れた

真砂を水の中から採取する光景が土壌すくいだと言う人も居る


余談だが世界の砂鉄の三大生産国は、日本・ニュージーランド・カナダである

◎  『伊勢屋 稲荷に 馬の糞 』 2 


稲荷神社 主催神 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

『古事記』には須佐之男命(すさのおのみこと)の子

『日本書紀』では伊弉諾尊、伊弉冉尊の子とする。


なぜ 稲荷神社の鳥居は 赤いのか?


正しくは朱いのであって、赤くはない 朱色が本当だろう

イナリは鋳物(いもの)が成りと言い、炉の中の赤い鉱石に見立てたという説

稲穂が成りとも言い 田甫にこうべを垂れる稲穂は黄金色に輝くと言い

これを朱色に見立てたという説もある。


硫化水銀 HgS

これを含む鉱物が辰砂(しんしゃ)と呼ばれる

別名 賢者の石 丹砂 朱砂 水銀朱

日本では古来より『丹(に)』と呼ばれている

漢方薬や漆器に施す朱漆、赤い墨(朱墨)の原料

印肉の朱肉にも使われていた

古くは吉野川上流、伊勢国丹生が大生産地だったという

丹生(にう)は文字通り丹を生産していた所だったようだ

関西から中国地方にかけて沢山の丹の産地が広がっていた

その名残が、丹後・丹波・伊丹・丹沢・丹生川・丹生山・丹生沢

日本中いたるところにその痕跡を残す。



丹は朱砂(すさ)のことである

朱砂の王・・・スサノオウ・・・須佐ノ男のことではないのか

朱砂の王を祀っているならば『朱の鳥居』も頷ける

スサノオは個人名ではないと思う

『朱砂の王』は代々継承されてきた”王位”だったのではないか


独断と偏見の自己納得ではあるが

稲荷の鳥居が朱いことは理解できたような気がする。

残るは狐である。

◎  『伊勢屋 稲荷に 馬の糞』  

 
人は土間の生活から 板間の生活に慣れると

土間の生活を忘れ 土間の生活には戻れない


人は板間の生活から 畳の生活に慣れると

板間の生活を忘れ 板間の生活には戻れない


人は畳の生活から 絨毯の生活に慣れると

畳の生活を忘れ 畳の生活には戻れない


これは歴史を考えるとき、実に的を射た言葉だと思う。

考える”ものさし”が今様では遠い昔は理解できない。

現代では非常識・非論理的であっても

その当時は最新の理論・常識だったこともあるだろう。


古代日本を知ろうとするとき、忘れてはいけない事がある

言霊 穢れ 祟り 鉄 水銀 


稲荷神社

『伊勢屋 稲荷に 馬の糞』 江戸時代の当たり前の光景だ

それほど沢山あった稲荷社だが

なぜ稲荷の鳥居は赤いのか?

なぜ稲荷には狐なのか?

稲荷は『い・なり』なのか、『いな・り』、『い・な・り』なのか

言葉(音)が最初にできた事は解っている

ものの本によると、稲成(いなり)、雷鳴(いなり)とある。

尤もらしいが赤い鳥居と狐とは結びつかない。


ある方の推理では、いなりは『鋳成』ではないかという

鉄を鋳造するあの”鋳物”のことである。

鋳物とくれば『踏鞴製鉄(たたらせいてつ)』のこと

送風装置の鞴(ふいご)がたたら(踏鞴)と呼ばれていた為つけられた名称だ

その踏鞴を踏む者を『番子』と言い

その者たちが交代で休み無く踏んだことから『代わり番子』という言葉が生まれた。

また竃(かまど)の火を不眠不休で見続けたのが『寝不見(ねずみ)』の語源とも

踏鞴製鉄は四日もの間、粉炭と砂鉄を粘土製の竃に交互にくべながら作るという

その工程を『一代』と言う

君が代の『千代に八千代』はここから来ている

君は当然『天皇』であり、

あなたの御世がこの先、富多き時代が永く続きますように

簡単に言うと、そういう意味らしい。

◎  御神酒は当て字なのか 

日常生活で時折遭遇する難読文字

地名・人命その他諸々である

自分が最初に気になったのは『御神酒』である

小学生ではきっと読めない子が多いだろう。

どこをどうすれば”おみき”などと読めるのか

不思議だったことを覚えている。

御神酒は承知のように、神様に捧げる酒のことだ

なぜ?『おしんしゅ』ではなく『おみき』なのか?


これは『大国主神』が関係しているらしい

大国主神は”国づくりましし大神”と言われた国土の主宰神である

この神さま名前がたくさん残っている

大物主神 (おおものぬしのかみ)

国作大己貴命 (くにつくりおおなむちのみこと)

葦原醜男 (あしはらのしこお)

八千矛神 (やちほこのかみ)

大国玉神 (おおくにたまのかみ)

顕国玉神 (うつしくにたまのかみ)

大己貴命 (おほなむちのみこと)

大名持神 (おおなもちのかみ)

まだまだ有るが・・・・じつに不思議だ。


御神酒には

この中の大己貴命(おほなむちのみこと)に関わると言う

大(お)と読み

己 → 巳(み)と読み

貴(き)と読むと おみき が完成する

大国主神に捧げる酒がおみきと呼ばれる裏の説であるという。


古代に書き残された書物

物語(ものがたり)は実は、物騙り(ものかたり)であると言う事だ

物は人ではない、何を当たり前なことと言われそうだが

人ではない”者”は”鬼”であると以前書いた

だから もの(者、物)=鬼 ということが言えるらしい

大物主神は”大鬼主神”でもある

大巳貴と書けば、巳はヘビを指し動物になる。


日本の国つ神(統治する神)が、天つ神(後から来た神)に貶められた

そして出雲という地に隔離されたのが想像できるのだ。


言葉は生き物、言葉それ自体に力が宿っていると考えられた時代

漢字は後から当てられたもの、音こそ本来の意味を残しているようだ

知ることは実に楽しい世界を魅せてくれるものだと思っている。



◎  禅 

我が家は代々『曹洞宗』の信徒である。

たぶん日本仏教の中で、一番シンプルな宗派だと思う。

葬式仏教としてではなく、禅宗としての話である。

座禅のみを重視した『只管打坐』(しかんたざ)を追求する宗派

未だに理解とはほど遠い爺である。


禅(ぜん)は日本人の心の拠り所でもある

禅から生まれたのが『武士道』である

人を斬るための『剣術』から禅を経て、『剣道』に変わり

ただ的を射る『弓の技』が『弓道』へと変化を遂げた。

『禅の精神』は人の『死生観』に裏づけられた『道』として

今現在もスポーツや文化に継承されているという。


茶を日本に広めたのも禅である

睡魔を防ぎ健康を増進させるものとされ

日本では禅僧に茶は不可欠な存在と成ったらしい

それが、一休宗純(一休さん)から村田珠光へ伝えられ

それが千利休へと繋がっていったという。

茶を楽しむことから『茶道』へと変化を遂げた。


長屋の爺は凡庸な年寄りだ

えらそうなこと言っても、本質は何もわかってはいない

ただ、この歳になって振り返ってみれば

愚かだったことも、赤面するようなこと

断腸の思いなど、瑣末(さまつ)なことかもしれない

ただ自分自身がどう考えるか、心持ち次第でどうでもなる

・・・とは思うが実践する事はまた別物みたいだ


『らしく生きる』

いつの頃からか、なんとなく思って生きるようになった

自分は死ぬまでらしく生きるしかないと思っている。

◎  『言霊(ことだま)』と『祟り(たたり)』の歴史 

前回、鬼は神さまであると書いた

なぜ 鬼=神なのか?


人でなし・・・鬼

殿上人(官位5位以上)以外は人ではない。

人でない者は『草』や『虫』、『雲(蜘蛛)』『獣』として扱われた時代。


井沢元彦氏の説によると、残されたものに書いてあるから事実

書いていないから事実無根と決め付けるのは『資料至上主義』だと一蹴する。


この国の古代史は『言霊(ことだま)』と『祟り(たたり)』の歴史である


ご利益のある神さまはその反対の鬼である。

子供を産めなかった(産んですぐに亡くした)人は『安産の神』として祀られた。

恋人との仲を無理やり引き裂かれた人は『縁結びの神』として祀られた。

願いが叶わないまま命を落とした人が・・・・結果として

願い事を聞き入れてくれる『神さま』になっている。


十月に日本中の神さまが『出雲』に集まる。

ここでは『神在り月』と呼ぶそうだ。

なぜ?『伊勢』ではなく『出雲』なのか?


その答えはきっと、歴代天皇で最初に伊勢神宮を参拝したのが誰だったか

そこにあるのじゃないかと思っている。


最初は『明治天皇』だったそうである。

伊勢は皇室の祖神を祭っているわけではないことが伺える。

私は天皇陛下も皇后陛下も大好きである。

皇室批判など全くする気など無い!


知ることを知ると言うことの大切さを、この歳になって気付かされた。

治癒する見込みの無い病と付き合うように

日本の歴史に抗ったり、否定したり目をつぶらずに

末永く『良い付き合い』をして行こうと思い、ちょっとだけ学んでいるのである。

◎  信じるものは救われる 

人間は生きる為に『ルール』決まり事を定めた

人は時代と共にルールによって生きてきたのである

今の世、人はルールのために生きている

生きる為にルールを変え、ルールとともに生きるのが本筋じゃないのか

ルールによってがんじがらめに縛られ

息苦しさの中で”何か”に縋ろうとする

それが信仰であったり

快楽であったり


日本の神社に祭られている『神さま』

その多くは『鬼』であるという

その時々の権力者によって理不尽にも抹殺されたものたち

その罪の意識と祟りを恐れて

手厚く祀ったのが『神さま』であるという

歴史は勝者の言い伝え、自己正当性のいいわけである

物にはすべからく”表と裏”がある

裏が悪いと言うだけの何かを知っているわけでもない

裏を知ってようやく表が理解できる

そんな気がしてきた・・・・。


『釈迦に宗旨なし』と言うらしい

釈迦は”魂”も”あの世”も否定していたと聞いたことがある

現実世界での悟りを説いたというのが本当らしい

後世の人たちが”憶測”や”願望”で自己解釈して今に伝わる

だからと言って、日本仏教13宗を否定などできない

人それぞれ、望むものも目指すものも違ってよいと思う

信じるものが本当に『救われる』世の中であって欲しいものである。

◎  運転免許 買う?取得する? 

毎日のように遭遇する光景がある

自動車の優先順位を知らないドライバー

一時停止していると、本線から曲がってくる運転手さん

『どうぞ!』と手を振る

『オイ オイ・・・・』

これで出て事故を起こそうものなら『違反者』になるだろう

ものには順序というのがある

本線優先 直進優先 左折優先・・・・

自動車学校では何を教えている。

生徒じゃなく、お客さんか?

金さえ払ってくれれば、とにかく免許はあげます・・・ってか?

合宿免許では豪華な食事つき

教習車はドイツ製の高級車

温泉つきあり、マッサージ器完備、エステ完備、ネイルサービスetc

これでは学校と言わずリゾート気分

免許取得ではなく免許購入する顧客待遇か

時代はどんどん変わっていくが、命に関わる運転行為

はたして、これで良いものなのか・・・・。


最近眼にする

携帯・スマホを観ながらの片手&わき見運転

別に自爆や田んぼに勝手に落ちるのはかまわないが

他人さまを巻き添えにするのだけは勘弁願いたい。


自分が事故を起こさないのは、まわりのドライバーが上手だから

それを早く気付かないと、大きな後悔をすることになると思います。

流行にはちゃんと乗るのに、車の流れには乗れない免許購入者

現実に則した運転知識を日常の運転で身に着けることを望みます。

◎  出会い 

一冊の本との出会いはとても不思議だ

額に汗して探したわけでもないのに

突然目の前に現れる

野暮天の爺が言うのもなんだが

ちょっとかわいい女性とめぐり会ったようなものか


『縁』という言葉が大好きである

生まれも育ちも異なる、人と人が巡り会う


夫婦も友人も職場も住まい、書籍もまた然り

熱心な仏教徒でもない長屋の爺

縁を否定するだけの知識は持ち合わせていない

縁を偶然と言えばそれまでだが

必然なのかもしれないと思えば人生それなりに楽しい


自分が読書に嵌ったのもある本との出会いからだ

高田崇史氏の『QED 龍馬暗殺』というミステリー小説

シリーズ13巻あり 歴史上の謎とされる題材を軸に展開する


その出会いに端を発し、関裕二氏から井沢元彦氏へと繋がっていった


歴史が少し解ると、神社・仏閣も気になりだした

いつも素通りしていた近くの神社

以前は祀られている神様が誰なのか知らなかった

それが解るだけでもうれしくなる

単純な自分に苦笑いである。


知ることの楽しさを知る

あの世とやらが有るのか無いのか

あの世に行くまで、たいして時間は残っていないだろう

時間のある限り、これからも本を読んでいこうと思っている。








◎  平気でつばを吐くアスリートたち 

いつの頃からかプロ野球を観なくなった

外国人選手が多くなって、噛みタバコなのか?

平気でつばを吐く

いくらプロと言っても、子供たちが観ているグラウンド

けっして良い範にはならないと思う

それが当たり前のように日本人選手もつばを吐くようになった

観ていて気分のよいものではない


最近ではサッカー選手も平気でつばを吐く

おかげでサッカー嫌いになってしまった。

観客・ファンを無視した『オレ様』選手が普通になったようだ

秀でたアスリートは必ずしも紳士ではないことが判った


例えばである

柔道の青畳の上でつばを吐く競技者がいるだろうか?

相撲の土俵上でつばを吐く力士がいるだろうか?

プロは常に観られている

その自覚の無さが、つばを吐くという行為に繋がる

日本には”つばを吐く”行為は

軽犯罪法第一条二十六項 により違法行為とされている

ちなみに、街路又は公園その他公衆の集合する場所で、たんつばを吐き

又は大小便をし、若しくはこれをさせた者

千円~一万円の罰金と決められている。

野球場・サッカー場が上記の場所かどうかは判らないですが・・・・・。


外国ではつばを吐くと逮捕される国もあるとか

何でも外国を見習うのは如何なものかと思います。

犯罪云々より、民度が問われかねない行為

爺は道徳教育の大切さを痛感しているだけです。

◎  小説・震災後を読んで 

小説・震災後というタイトルの本を書店で見つけ購入した。

作者に興味があったからかもしれない

作者は福井晴敏氏

『亡国のイージス』 『終戦のローレライ』の著者

この作家の感性で東日本大震災をどう切り取るか興味津々

間違いなくこれはフィクションなのだが

現実を知らない爺には虚と実の区別すらどうでも良い気持ちに


日本と言う国が『神話』で武装され

『言霊(ことだま)』によって現実逃避している姿を再認識


あってはならない事はありえ無いこと


有識者が『安全です』と言葉に出した時点からそれは安全であり

誰が何と言おうと延々と『安全』なのが日本の実体

安全神話は神話であって絵空事という事を再認識する

自身のまわりの生活神話も考えさせられる一冊であった。

◎  貧乏の基準 

自分は正真正銘の由緒正しい『貧乏人』である

戦後生まれでありながら、白いご飯が食べられない子供

数年間であったが、親戚の家にも預けられた

弁当箱の中身は『ジャガイモ』と『カボチャ』

むろんおかずなど無い

おやつと言えば、近所の婆さんが作る大根・にんじん・トマト

収穫を手伝うと、いつも笑顔で『もってけ~』

それを近くの川の水で洗い、『肥後守』というナイフで皮をむく

望んだわけではないが『ベジタリアン』だった(笑)


その幼少期の記憶がトラウマになったのか

今でも『炊き込みご飯』は好まない

『銀シャリ』こそ最高の食べ物と思っている。



私の中では、貧乏人というのは

ご飯が食べられない人を指す

今、三度の食事が食べられない人はどれくらい居る?


友人から芸能人が貧乏自慢していた話を聞いた

おかずが無いから、味噌・醤油・バター・お茶・水をかける?

何をかけなくても、白いご飯が食べられるのは

本当の貧乏とは言わないと、長屋の爺は思っているのですがねぇ・・・。

◎  気になると・・・・ 

自分はTVは観ない

新聞も購読していない

楽しみは読書

ただ・・・悲しいかな無学歴・無教養な爺である

小難しい本が良かろうと、日本の古代史なるものから始めた

未だに奈良・平安を彷徨っている始末だ

生きてるうちに現代までは辿りつけないと諦めている

それでは流石につまらないので時代小説を合間に詠むことにした。

いろいろ迷って『佐伯秦英』氏の”居眠り岩音 江戸双紙”を読み出した

最新刊で42巻にも及ぶ長編作である。

時代は田沼意次の世、18世紀後半の話かなり面白い作品だ。

書評や感想をたれるような技量もない長屋の爺

ただただ著者には感心するばかりだ


爺は変な癖がある、本は何度も繰り返し読むと言う習慣なのだが

自分に読解力など備わっていないから、単に回数で補っているのが本音

さすがに42巻読み応えがある、日に2~3冊は読んでいる気がする。


この本の中で主人公が長屋住まいという設定、時としていろんなものを貰ったりする

だが、それが何時からか登場しなくなる。

はてあの脇差はどうしたのだろう?

あの内掛けはどこに置いてある?

小説の単なる設定の中で使われた道具に拘る、おかしな爺と言われるか・・・。

大きなお世話であり、作品の進展には少しも影響の無いつまらんこだわりであり

人様の家の心配をするような 瑣末な話である。



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