不必要な善意 

わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々 (昭和天皇)

◎  へそ曲がりの細やかな感謝 

滋賀県の「稲部(いなべ)遺跡」で弥生時代終末から古墳時代初め(3世紀前半)の

鉄器工房群の遺構が見つかったという毎日新聞の記事があった

素人には極めて分かり難く、古代史をある程度知っている人間にとっては

不可解な記事でもある

何と言っても表題が・・・

【滋賀・稲部遺跡:大規模な鉄器工房遺構 「邪馬台国」時代 】

誰が決めたのか「邪馬台国時代」という言葉にちょっと違和感を感じた長屋の爺です

卑弥呼論争と共に邪馬台国論争と言うものもあるのは事実

しかし・・・邪馬台国と言う国が現実にあったのかどうか・・・・

だれかが確かめたのだろうか?

現代の言語の発音で和式漢字に置き換えて「邪馬台」と呼ぶその国は

何処にあったのかすらわかってはいないのも事実なのである

縄文時代と私たちが言っているのも、近代になって誰かが命名したに過ぎない

なぜなら縄文の付いた土器が多数発掘されたから「縄文時代」というだけで

その時代には文様の無い土器も作られている

1メートルも誰かが定めたから「1メートル」なのである(笑)


この記事の中に「鉄器製造が終了した3世紀後半には、一辺十数メートル規模の

大型の建物2棟が相次ぎ出現」 と書かれていた

私は無知なもので「鉄器製造が終了した」その後は鉄器は作られなかったのか?

私の記憶では石器→青銅器→鉄器 のはずだったように思うが

鉄器の次に何が主体となったのか・・・・アルミやステンレス、セラミック?

まさか4世紀に鉄器以上の素材の器具が存在したとも思えないのだが

学問は奥が深いのだろうと納得はしてみた(笑)

学芸員とか専門家の発表は理解しにくい事が往々にしてある

それを素人が活字にするとなおさら難解なことになるのかもしれない

どうも専門家の方々は「**j時代」という区切り、レッテル貼りが好みのようで・・・・

織田信長の時代を尾張時代と呼ばず、秀吉の時代を豊臣時代とは言わないで、

「安土桃山時代」、源氏の時代を「鎌倉時代」、足利氏の時代を「室町時代」

さらには徳川氏の時代を「江戸時代」と呼ぶ・・・

同じ江戸(東京)に首都があっても「明治時代」「大正時代」「昭和時代」

なんとなくざっくりとした基準で「**時代」は定義されてきている


たぶん・・・こんなこと考え、しょうもない事を書くのは自分だけだろうけど

ただ一つ言えるのは、このようなことが学校の授業で教えられ、試験にも出ること

そして常識として日本人の中に浸透していることに誰も疑問に思わないことではないか

外国人が日本の歴史を覚える過程で、きっと不思議に感じる事かもしれない

わずか15年でも「大正時代」・・・・

何世紀にわたっていても「縄文時代」・・・・

偏屈でへそ曲がりの爺の戯言でした。




「そんなこと知ったからといって人生に何の影響もないぜ」

その通りなのであります(笑)


この世の中で生物は「生きるために食べ」「食べることが生きること」である

どうして人間だけが【余分な知識」を得ようとするのか・・・・

友人たちの言う通り、知らなくても生きていけ、知ったからと言って何も変わらないこと

この世の中にあまりにも多すぎる気もしている


今晩の夕飯は何にしようか悩んでいる人も居る

かと思えば、夕飯など腹が満たされればよいと思って、新聞記事に難癖付けて

わけのわからないブログを書いている長屋の爺がいる・・・・


もし農業が発展しなかったなら、人間は日々獣を追いかけ、木の実を集めることに

人生のすべてをかけていただろう・・・・

私がしょうもないブログが書けるのも、【稔り(実り)】が与えてくれたもの

太陽と大地の恩恵に感謝して当然であると実感する現在である


感謝と我慢を忘れた現代人たち・・・

首を垂れるのは千代田の住人にではなく、天上の太陽であり

大地の実りに対してではないだろうか・・・・

今日の朝を迎えたことに感謝し、今日を精いっぱい生きることを誓う

それが私の毎朝の日課なのである。

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◎  久しぶりの更新です (#995) 


いろいろあって更新ができなかった・・・

パソコンの不調と言うかWin10の更新をした辺りから

様々な不調が出てきて、追い打ちをかけるようにWi-Fiを

ハイスピードに契約更新したことで設定が面倒なこともあり

タブレットが使えず閲覧もままならなかったというお粗末


相変わらず暇さえあれば家の片づけをしていて、衣替えと

部屋の模様替えでへとへとになっています(笑)

ついでに家の周りの雑草と格闘し、不要になった鉢・プランターの整理と

貧乏暇なしの爺でした


今年の秋は最近になく「仕事がヒマ」で、この先どうなってしまうのか

政府や日銀が言うような景気ではないことは確かです・・・

首都圏はこれから「五輪特需」で上昇するかもしれませんが、地方では

ますます経済が悪化して行くような気がしています

「欲しがりません 勝つまでは」

「贅沢は敵 質素倹約」

何時の時代の事なんだか・・・・(笑)


日本の霊峰・富士山が現在の形になったのは一万年前といいます

ところが日本の歴史書にはあまり出てきていません

いや、出てこないというより「触れないようにしている感」がありありで

記紀にとって相当不都合な存在だった可能性すらあります

私は富士山は「名前を盗まれた霊峰」だと考えています


古代日本では山は【御神体】とされてきた歴史があります

富士山より低い山でさえ崇拝の対象であったり、山岳信仰の霊場で

あったりしていることからも、富士山だけが意図的に存在していないかのような扱い

をうけていることが不可解でなりません


私の暴論ですが・・・・

「富士山」という名前こそ、持統朝&藤原一族にとって、不都合な存在

だったのではないかと思っています

謂われも根拠もなく突然湧いて出た「藤原」という言葉

藤原宮にしても藤原姓にしても、あまりにも唐突に、この世に出た感があります

藤原がヤマトで最上位につくには、相応の権威づけが必要だった

そこで選ばれたのが霊峰富士の名前だった

富士→藤 

富士の裾野→藤原

藤の頂(諸侯の頂点)から古代氏族を足元に従える光景を夢見たのかも

しれませんが、名前を盗んだ後ろめたさから、記紀には明確に富士山を

書くことができなかった

その当時富士山をどんな名で呼んでいたのかも不明ですが、私は神話にあるように

不死の山→富士山 だったのではないかと思っています

人は亡くなると魂は山に帰ると信じられていた時代

最高峰の富士山こそ魂が死なない場所であり、不死の山だったと言える


外国人が富士山を見たらその美しい姿に衝撃を受け、写真を撮ったり

登ってみたいとさえ思うのだから・・・・

藤原一族(鎌足の末裔)なら、その山にあやかりたいと思ったとしても

不思議ではないのではないだろうか・・・・

日本の古代史を改ざんした張本人は持統天皇と藤原不比等であり

輝かしい日本の皇統史を汚したのも持統&不比等だと思っています




世の中には男女の区別とか役割の違いはあるが、人民はすべて

平等に神(天御祖神)からこの世に遣わされて、天地自然の一部をなしている

その中で天皇が神(天御祖神)から与えられた役割は、天を照らす太陽の光を

反射して地上を照らす光なのである

またその光を受けて重臣たちは国の隅々まで明るく照らす役割を

与えられています、民もまたその光を受けて周囲を明るく照らすのです」

 (ホツマツタエ より一部引用)




天御祖神の子孫であるはずの天皇が果たして「太陽の光」を地上に届けている

のか大いに疑問ではある

天御祖神の子孫・今上天皇が天(祖神)に恥じない言動をしているのかどうか

「お天道様は観ている」というのは、天御祖神が常に見ているという事なのである

邪悪な陰が陽の光を遮っているならば、天の怒りは抑えきれないだろう

現在、日本の皇統の最大の危機なのである

どんな時も誰であっても、お天道様はいつも観ている・・・・




「夫は太陽で妻は月の役割を担っている 月はもとより発光体ではないので

太陽の光を受けて輝いて見えるのです」

  (ホツマツタエ より一部引用)



男女同権 男女平等 ・・・

その前に天地の理(ことわり)があり、人として男として女としての役割を

全うすることが神の意思であり願いなのではないだろうか・・・。
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◎  祭祀王なのか・・・ 

日本の天皇は祭祀王である ○か☓か・・・・

久しぶりの更新になりました

「日本の天皇家は神道家ではない」と言うと語弊がありますが

天皇家は神道の宗家だったのか断言できない長屋の爺です


晩節を汚す気などさらさら無いですが・・・・

天皇家が仏教徒だったことは普通に知られていることです

仏教徒ではなくなったのは「明治天皇」の時代からですから

歴史としては「百数十年」と言うところでしょう


仏教徒になったのが【聖武天皇】の時代である

それから延々と天皇家は仏教徒として生きてきました


そもそも日本(ヤマト)の国では、万葉の時代から奈良時代頃までは

天皇=現人神という認識が残っていました




私たち凡人は天皇=神であるなら、仏の弟子である天皇となると

仏 > 天皇=神 というように単純に解釈してしまいます


おそらく明治政府も明治天皇もその矛盾に気付いたのかもしれません

そこで仏教から離脱すること、仏教徒であることの否定を画策したのだろう

現人神の復権である

王政復古は「神の復活」でもあったのかもしれない


その後、何食わぬ顔で「祭祀王」を演じてきた天皇家だが

昭和天皇の願いも空しく、宗教観の曖昧さを露呈してしまった今上帝である

おそらく皇室祭祀は簡素化され、省略され、改竄されて【儀礼】としては

成立しなくなる事だろう


天皇家が仏教徒になった時点で、祭祀王では無くなった可能性が残る

神は常に【南面する】のであるから、神社も南の方角を向いて建てられる

当然天皇が現人神であり、神の子孫であるなら南面するのが道理であり

聖武天皇が「仏の奴」となり大仏に対し「北面した」時から天皇は神ではなくなった

私はそういう解釈をしています


神でなくなったと同時に、神の子孫でもなくなり、祭祀王と言う身分も放棄した

そのような解釈もしています

これについては異論があると思いますが、あくまでも私の個人的感想ですので・・・


そうは言っても日本人のアイデンティティーを簡単に否定するわけにもいかず

祭祀王であってほしいという願いは私の心の隅っこに存在しています(笑)

もし私のような捻じ曲がった皇室論の持ち主が多くなれば、皇室不要論は

大きくなるかもしれませんが、その確率は低いでしょう

なんたって「天皇陛下 いつもありがとう」、「M皇后さまいつも素敵・・・」

「M子さま お可哀想」の時代なのですから・・・


GHQのしかけた「時限爆弾」、臆病者マッカーサーの置き土産「パンドラの箱」

それが対に日の目を見たという事かもしれません


好きという感情を認めたくなくて、それ故に「嫌い」、認めることを受け入れられず「否定する」

愛するがゆえに敢えて「冷たく振舞う」

人間と言う生き物はそういう不可思議な行動をとるといいますが・・・

なんとなく日本人には悪口雑言を口にしながらでも、どこかで許している部分が

多少なりともあるのだと思っています

それでなければ皇室に対する「怨嗟の声」がこんなに小さいはずが有りません

まだ救える可能性が残る日本の皇室&天皇家

神の家の未来をどんな神に願い、どんな神に委ねればよいのか・・・

人それぞれの心の中に居ます神に祈る事なのかもしれません・・・・。




◎  糟目犬頭神社 

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【 糟目犬頭神社 (かすめけんとうじんじゃ) 】

岡崎市宮地町字馬場31にある郷社だが、地図には記載されていない神社である

大宝元年(701)に彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)を祭って、槽目(現上和田町)というところに

建てられていたので槽目神社と呼ばれていた。

しかし、たびたびの洪水にあったため現在地(宮地町)に移されたと伝えられている

この神社は【犬頭伝説】、【新田義貞公首塚伝説】が残る神社でもある



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              (神門)


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              (石造り 鳥居)

石で造られた鳥居で【越前鳥居】としては最古の形式を伝えていると言います


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               (石造り 狛犬)

越前鯖江産の石製で慶長15年(1610)の作と彫られている


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              (石造り 唐猫)

狛犬と言われるものはたくさん見てきましたが、猫は初めて・・・・

慶長10年に造られた越前鯖江産の石製の猫

拝殿の奥(本殿の前)にあり一般の目には触れない場所に在るため実物を見る機会

は無いに等しいものです

(貴重なものを実際にこの目で観れて感激でした)


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                【 祠 (首塚) 】

新田義貞公首塚伝説が残る、「蓮池」に浮かぶ島にある祠

朱の鳥居と神橋の先に見える祠

この先は立ち入りが禁止されていて、遠くから眺めるだけである



* 首塚伝承

南朝の忠臣で上和田城主・宇都宮泰藤(大久保氏の先祖)が、延元3年(1338)、

足利尊氏によって京都に晒されていた新田義貞の首を奪い返してここに埋め、

その首を隠すために犬頭伝説を流布させ、犬頭霊社を祭ったと伝えられている


* 犬頭伝説

上和田の城主・宇都宮泰藤が、鷹狩の道すがら大杉の下で休んでいるうちに、

ついつい寝てしまいました。



しばらくすると大杉から大蛇が降りてきて今にも泰藤を呑み込もうとしていたが

泰藤は何も気づかず眠り込んでいた、その時つれてきた白い犬が大蛇を見つけて

しきりに吠えたので泰藤は目を覚ましたが、大蛇には気づかずまたまた寝入ってしまった

それでも犬は吠え続けているので、眠りを妨げられ怒った泰藤は刀を抜き犬の首をはねて

しまったという

すると犬の首は上へ飛び上がって大蛇ののどに噛付き、大蛇をかみ殺した

泰藤は驚き、後悔し、暫く茫然としていましたが、忠犬の霊を慰めるため犬頭霊社

としてこの宮に葬ったと言われている



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                  (手水)

シンプルな蛇口だけの手水、龍の蛇口とは言わないまでも

もう少し体裁の良いものだと良いですよね(笑)


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                   (百度石)


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                   (由緒書き)

以前来た時より文字が消えていて、読むことができない状態ですが

近いうちに改めて由緒をまとめたものを拝殿横に設置すると聞きました

そのころにもう一度訪れてみようと思います


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             (建て替え中の社務所)

見事な梁材を使用した立派な社務所

なかなか最近では観ることができなくなった立派な材料を

使っていました

瓦は地元三河が誇る三州瓦で、時代の先端を行く流行の

パッキン工法で建てられています

普段人の住まない社務所は湿気対策と耐震を兼ねて理想的な

工法かもしれません


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                    (太鼓)




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                  (本殿)

       【祭神】  彦火火出見尊 伊弉諾尊 伊弉册尊 素盞嗚命 犬頭靈神




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                 (拝殿 内部)

幕には「三つ葉葵」の紋が・・・代々岡崎城主から厚い庇護を受けていた

ということでしょう





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               (拝殿の額)

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◎  ご報告 

      天皇、皇后両陛下が来春のベトナム訪問で調整

 菅義偉官房長官は14日午前の記者会見で、天皇、皇后両陛下が来春にもベトナムを訪問される方向で調整していると明らかにした。

 菅氏は「わが国とベトナムは友好関係を着実に進展させ発展させてきており、ベトナムからは歴代国家主席がわが国を公式訪問している。これに対して、両陛下のベトナムご訪問はこれまで実現しておらず、ベトナム政府から累次にわたって両陛下に対し、ご訪問、ご招待があった」と説明した。



本当にこのような皇室が必要なのか・・・あらためて考えさせられてしまう記事である


高齢を理由に「公務が負担だから」という理由から「譲位」を言い出したのは

いったいどこの誰だった?

「ベトナムに行ける体力&気力があるなら、祭祀&公務をやれよ」とは友の弁だ・・・・




◆ 私事の報告 ◆

正式に決まった話ではないので、軽率な事は言えないのですが、この地を

離れることになりそうと言う話です

今日明日の話ではないですが、転居することになると思います

この地で10年という歳月暮らしてきたので、多少なりとも愛着はあるし

全てを失くし失意の爺を受け入れてくれた場所だが、世間で言うところの耐震が

不十分という判定がされ、築40年ははるかに過ぎた物件でもあり、家主が

建て替えを決意したらしい (借りている身では文句は言えない 笑)

完成するまでの期間、生活をする場所を探しても、元の場所に帰って来るには

もう一度引っ越しをすることになるわけで、いっそのこと転居したほうが経済的・・・

という結論です

ネコが居るのでどこでも暮らせるわけも無く、条件的に厳しいと思っているが

正式に決まればすぐにでも転居先を探さなければならなくなる

という事は、今以上に時間の制約が厳しくなりそうということで・・・

できる事なら暖かい季節に引っ越ししたいものだがw


最初の話が、キッチンと風呂・トイレのリフォームだったので、安心していたのだが

リフォーム+耐震工事なら、建て替えたほうが家賃も上げられるし・・・・

という業者との話し合いの結果なのだろうと思う


取り敢えず、1000回をきりにしてブログは休止しようと思います

突然言い出せば驚かれると思いましたので、一応そういう「予定になりそう」

という報告でした


経験から引っ越しの荷物の3分の1~半分は転居先で不要となり、ゴミと化す

のが定番なので、私は引っ越す前に産廃業者にかなりの荷物を処分してもらう

この場所だから必要な物、転居先で使えるかどうか判断できないものは、潔く

捨てて行くというのが流儀です

意外とシンプルな方が暮らしやすい

買う事はできるのに、捨てることができないと、重い荷物をいつまでも背負う事に

断捨離は人生に不可欠な事かもしれません(笑)

私の人生はどうやっても「波乱万丈」なのかもしれません

また・・それも佳きかなです




五言 臨終 一絶 ( 終わりに臨む ) 

大津皇子 作

金烏臨西舎 (金烏西舎に臨(て)らひ)

鼓声催短命 (鼓声短命を催す)

泉路無賓主 (泉路賓主(ひんしゅ)無し)

此夕離家向 (此夕家を離(さか)りて向かふ)


日本の古代の皇位とは、譲られたり坐して手に入るモノでは無かった

競争相手の命を奪って手に入れるものだった

そこには血のつながりも、肉親の情も存在していなかった

勝ち残った者にだけ許された栄誉が「玉座」だったと私は考えています

その血塗られた歴史は万世一系というベールで覆い隠され、表の部分だけを

勝者の論理と都合の良い歴史物語によってデコレーションされ皇統史という名で

我々の誇りとなってきたのが現実では無かったか・・・と私は思っています


今回の皇室問題を観る時、歴史は繰り返されるのだと、思いを新たにしました

日本人が考えているような天皇の公務が「激務」で「滅私」であるなら、争ってまで

手に入れるようなものであるはずがない

其処には庶民が想像もつかない「特権」「生活」「楽しみ」が待っているから

肉親同士で争ってまで就きたい地位なのだと思っています


サラリーマンが目指す「社長のイス」が、激務で休みも無く、私的時間など皆無で

報酬が管理職に毛の生えた程度なら、誰も目指さないのではないでしょうか?

日産のゴーン氏のように、年収数億円だからこそ、誰もがその頂を目指すのでは

無いかとも考えています


なぜ? どうして? の先にあるもの

全ての事柄には必ず理由があります

これからも、なぜ?どうして?の気持ちを持ち続けていきたいと思っています。


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